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先の婚史について記録がない。[[天聡]]8年(1634年)、数え26歳でホンタイジに嫁ぎ、東宮福晋となった。[[崇徳]]元年(1636年)、関睢宮宸妃に封ぜられた。 |
先の婚史について記録がない。[[天聡]]8年(1634年)、数え26歳でホンタイジに嫁ぎ、東宮福晋となった。[[崇徳]]元年(1636年)、関睢宮宸妃に封ぜられた。 |
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ホンタイジから深い寵愛を受けた。息子を1人産んだが、夭折した。1641年9月、ハルジョルは病の床に伏せ、ホンタイジは急遽戦地から帰還したが、到着しないうちに亡くなり、ホンタイジは哀哭してやまなかった。敏恵恭和元妃の[[諡]]が贈られた。
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ホンタイジから深い寵愛を受けた。息子を1人産んだが、夭折した。1641年9月、ハルジョルは病の床に伏せ、ホンタイジは急遽戦地から帰還したが、到着しないうちに亡くなり、ホンタイジは哀哭してやまなかった。'''敏恵恭和元妃'''の[[諡]]が贈られた。
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== 出典 == |
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2015年8月19日 (水) 17:19時点における版
ハルジョル︵1609年 - 1641年︶は、清の太宗ホンタイジの側室。孝荘文皇后の姉。姓はボルジギト︵博爾済吉特︶氏。名の漢字表記は海蘭珠。
先の婚史について記録がない。天聡8年︵1634年︶、数え26歳でホンタイジに嫁ぎ、東宮福晋となった。崇徳元年︵1636年︶、関睢宮宸妃に封ぜられた。
ホンタイジから深い寵愛を受けた。息子を1人産んだが、夭折した。1641年9月、ハルジョルは病の床に伏せ、ホンタイジは急遽戦地から帰還したが、到着しないうちに亡くなり、ホンタイジは哀哭してやまなかった。敏恵恭和元妃の諡が贈られた。
出典
- 『清史稿』
子女
- 皇八子 (無名)(1637年8月27日 - 1638年3月13日)