「ハーバード燕京研究所」の版間の差分
→ハーバード燕京図書館: イェンチン分類補足 |
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研究を支える図書館として{{仮リンク|ハーバード燕京図書館|en|Harvard–Yenching Library}}︵Harvard-Yenching Library︶があり、世界有数の[[東アジア]]研究資料を所蔵することで知られている<ref name="u-parl_world-library38">{{cite web|url=http://u-parl.lib.u-tokyo.ac.jp/archives/japanese/world-library38|title=︻世界の図書館から︼ハーバード燕京図書館の漢籍デジタルコレクション|author=成田健太郎|publisher=東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理研究財団寄付研究部門︵U-PARL︶|accessdate=2020-3-31}}</ref>。ハーバード燕京図書館は当初研究所が運営していたが、その規模が研究所を圧迫するようになったために、1975年にハーバード大学に寄付された<ref name="kansai-u-cheng"/>{{rp|17-18}}。{{仮リンク|ハーバード大学図書館|en|Harvard Library}}の一翼を担っており<ref name="kansai-u-cheng"/>{{rp|18}}<ref name="u-parl_world-library38"/>、ハーバード大学図書館システムを構成する図書館の中で3番目の規模である︵2010年現在︶<ref name="kansai-u-cheng"/>{{rp|18}}。
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1879年、中国貿易を行っていたボストンの商人たちが、中国から中国人学者として{{仮リンク|戈鯤化|zh|戈鯤化}}︵コウ・クンファ、Ko K’un-hua︶を招聘し、ハーバード大学で中国語と最新中国情報の授業を行うようになった<ref name="kansai-u-cheng"/>{{rp|18}}<ref name="library-history">{{cite web|url=https://projects.iq.harvard.edu/yenchinglib/history|title=History|publisher=Harvard-Yenching Library|accessdate=2020-4-3}}</ref>。この時に使用された教科書類がハーバード大学における最初の中国語文献コレクションである<ref name="kansai-u-cheng"/>{{rp|18}}<ref name="library-history"/>。1914年、[[東京帝国大学]]の[[服部宇之吉]]︵[[中国学者]]︶と[[姉崎正治]]︵[[仏教学者]]︶がハーバード大学に招聘されて講義を行った際に、日本語文献をハーバード大学に寄贈し、ハーバードの日本語文献コレクションが始まった<ref name="kansai-u-cheng"/>{{rp|18}}<ref name="library-history"/>。東アジアコレクションは未整理の状態に置かれていたが、1927年にハーバード大学の博士課程の学生であり司書資格を持っていた{{仮リンク|裘開明|zh|裘開明}}が、ハーバード大学図書館の館長から整理を依頼された<ref name="kansai-u-cheng"/>{{rp|18}}。
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1928年にハーバード燕京研究所が設立されると、ハーバード大学(ワイドナー図書館)が所蔵していた中国語・日本語文献コレクションがハーバード燕京研究所に移管された(移管の年について、公式ウェブサイトは1928年<ref name="library-history"/>、館長のJames K. M. Chengは講演で1929年と述べている<ref name="kansai-u-cheng"/>{{rp|18}})。1931年に「ハーバード燕京研究所中国語・日本語図書館」(Chinese-Japanese Library of the Harvard-Yenching Institute) の名称となって裘開明が初代館長に任命された<ref name="kansai-u-cheng"/>{{rp|18}}。 |
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初代館長{{仮リンク|裘開明|zh|裘開明}}は、中国や日本の書籍の[[図書分類法]]として{{仮リンク|イェンチン分類|en|Harvard–Yenching Classification}} |
初代館長{{仮リンク|裘開明|zh|裘開明}}は、中国や日本の書籍の[[図書分類法]]として、[[四庫分類]]を取り入れた{{仮リンク|イェンチン分類|en|Harvard–Yenching Classification}}を定めた<ref>{{Citation|和書|title=ハーバード大学イェンチン図書館の和漢移籍|last=津谷|first=喜一郎|author-link=津谷喜一郎|year=1993|url=http://jsmh.umin.jp/journal/39-2/237-243.pdf|journal=日本医史学雑誌|publisher=日本医史学会|volume=39|number=2}}237-239頁。</ref>。イェンチン分類は欧米の東アジア研究図書館で広く採用されていたが、1997年からはハーバード燕京図書館も[[アメリカ議会図書館分類表]] (LCC) を採用している<ref>{{Citation|和書|title=アメリカ大学図書館の旅(1) - ハーバード大学 -|last=後藤|first=慶太|year=2000|url=http://hdl.handle.net/2433/37587|journal=静脩|publisher=京都大学附属図書館|volume=37|number=2|naid=120000905581}}13頁。</ref>。
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2022年12月3日 (土) 09:29時点における版
歴史
1928年、チャールズ・マーティン・ホール︵1863年 - 1914年︶の遺産の寄付を受け、ハーバード燕京研究所が設立された[1]:18。ホールは、アジアの文化と歴史を研究する組織をアメリカ国内に設立するよう、遺産の3分の1の遺贈を定めていた[1]:18。 ﹁客員学者と客員研究員の招聘﹂、﹁ハーバードの膨大な図書資源︵特にハーバード燕京図書館︶を活用した短期研究プロジェクト﹂、﹁ハーバード燕京図書館﹂が研究所の主要事業である[1]:17。ハーバード燕京図書館
研究を支える図書館としてハーバード燕京図書館︵Harvard-Yenching Library︶があり、世界有数の東アジア研究資料を所蔵することで知られている[2]。ハーバード燕京図書館は当初研究所が運営していたが、その規模が研究所を圧迫するようになったために、1975年にハーバード大学に寄付された[1]:17-18。ハーバード大学図書館の一翼を担っており[1]:18[2]、ハーバード大学図書館システムを構成する図書館の中で3番目の規模である︵2010年現在︶[1]:18。 1879年、中国貿易を行っていたボストンの商人たちが、中国から中国人学者として戈鯤化︵コウ・クンファ、Ko K’un-hua︶を招聘し、ハーバード大学で中国語と最新中国情報の授業を行うようになった[1]:18[3]。この時に使用された教科書類がハーバード大学における最初の中国語文献コレクションである[1]:18[3]。1914年、東京帝国大学の服部宇之吉︵中国学者︶と姉崎正治︵仏教学者︶がハーバード大学に招聘されて講義を行った際に、日本語文献をハーバード大学に寄贈し、ハーバードの日本語文献コレクションが始まった[1]:18[3]。東アジアコレクションは未整理の状態に置かれていたが、1927年にハーバード大学の博士課程の学生であり司書資格を持っていた裘開明が、ハーバード大学図書館の館長から整理を依頼された[1]:18。 1928年にハーバード燕京研究所が設立されると、ハーバード大学︵ワイドナー図書館︶が所蔵していた中国語・日本語文献コレクションがハーバード燕京研究所に移管された︵移管の年について、公式ウェブサイトは1928年[3]、館長のJames K. M. Chengは講演で1929年と述べている[1]:18︶。1931年に﹁ハーバード燕京研究所中国語・日本語図書館﹂(Chinese-Japanese Library of the Harvard-Yenching Institute) の名称となって裘開明が初代館長に任命された[1]:18。 初代館長裘開明は、中国や日本の書籍の図書分類法として、四庫分類を取り入れたイェンチン分類を定めた[4]。イェンチン分類は欧米の東アジア研究図書館で広く採用されていたが、1997年からはハーバード燕京図書館もアメリカ議会図書館分類表 (LCC) を採用している[5]。 ハーバード燕京研究所中国語・日本語図書館は当初中国と日本の文献のみを収集対象としており、人文科学に重点を置いていた[1]:18。1950年代には西洋における最大の東アジア文献コレクションとなった[1]:18。。ハーバードでの東アジア研究が広がるとともに収集範囲も広がり、﹁ハーバード燕京研究所中国語・日本語図書館﹂という名称も1965年に﹁ハーバード燕京図書館﹂と改められた[1]:18[3]。主な関連人物
- セルゲイ・エリセーエフ(初代所長)
- エドウィン・O・ライシャワー(第二代所長)
- ジョン・ペルゼル(第三代所長)
- アルバート・クレイグ(第四代所長)
- パトリック・ハナン(第五代所長)
- 杜維明(第六代所長)
- 裴宜理(第七代所長)
- 鳥居龍蔵 - 1939年、研究所に招聘され、客員教授として北京に赴任した。