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その後、'''ビューティフル・ブルータス'''(''Beautiful Brutus'')と名乗る[[スキンヘッド]]の巨漢[[ヒール (プロレス)|ヒール]]となり、[[1969年]]9月3日に[[ボリス・マレンコ|グレート・マレンコ]]を下してフロリダ地区のブラスナックル王座を獲得<ref name="fl-bk">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/fl/fl-bk.html|title=NWA Florida Brass Knuckles Title|accessdate=2015-01-16|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。[[1970年]]からは[[アメリカ合衆国西海岸|西海岸]]の[[サンフランシスコ]]地区にて'''マイティ・ブルータス'''(''Mighty Brutus'')の名義で活動。[[1972年]]3月、このリングネームで[[日本プロレス]]に初来日し<ref name="ajpw">『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P61(2002年、[[日本スポーツ出版社]])</ref>、日本プロレス最後の[[ワールドリーグ戦#日本プロレスのワールドリーグ戦|ワールドリーグ戦]]となった第14回大会に参加。[[ジャイアント馬場]]、[[坂口征二]]、[[大木金太郎]]のトップ3には連敗したものの、[[吉村道明]]や[[ミツ・ヒライ]]などの中堅勢からは勝利を収め、外国人陣営では[[ゴリラ・モンスーン]]、[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]、[[ディック・マードック]]、[[サイクロン・ネグロ|カリプス・ハリケーン]]に次ぐ戦績を残した。 |
その後、'''ビューティフル・ブルータス'''(''Beautiful Brutus'')と名乗る[[スキンヘッド]]の巨漢[[ヒール (プロレス)|ヒール]]となり、[[1969年]]9月3日に[[ボリス・マレンコ|グレート・マレンコ]]を下してフロリダ地区のブラスナックル王座を獲得<ref name="fl-bk">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/fl/fl-bk.html|title=NWA Florida Brass Knuckles Title|accessdate=2015-01-16|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。[[1970年]]からは[[アメリカ合衆国西海岸|西海岸]]の[[サンフランシスコ]]地区にて'''マイティ・ブルータス'''(''Mighty Brutus'')の名義で活動。[[1972年]]3月、このリングネームで[[日本プロレス]]に初来日し<ref name="ajpw">『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P61(2002年、[[日本スポーツ出版社]])</ref>、日本プロレス最後の[[ワールドリーグ戦#日本プロレスのワールドリーグ戦|ワールドリーグ戦]]となった第14回大会に参加。[[ジャイアント馬場]]、[[坂口征二]]、[[大木金太郎]]のトップ3には連敗したものの、[[吉村道明]]や[[ミツ・ヒライ]]などの中堅勢からは勝利を収め、外国人陣営では[[ゴリラ・モンスーン]]、[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]、[[ディック・マードック]]、[[サイクロン・ネグロ|カリプス・ハリケーン]]に次ぐ戦績を残した。 |
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[[1973年]]からは'''ザ・ブルート'''︵''The Brute''︶に改名して[[カナダ]]の[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]地区に参戦、3月29日に[[ジン・キニスキー]]からNWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座を奪取し、以降も[[シーン・リーガン]]や[[ジョージ・ゴーディエンコ]]とタイトルを争った<ref name="bc-pc-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/canada/bc/nwa/bc-pc-h.html|title=NWA Pacific Coast Heavyweight Title|accessdate=2010-04-12|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。日本にもザ・ブルートとして[[1974年]]3月に[[国際プロレス]]に来日 |
[[1973年]]からは'''ザ・ブルート'''(''The Brute'')に改名して[[カナダ]]の[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]地区に参戦、3月29日に[[ジン・キニスキー]]からNWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座を奪取し、以降も[[シーン・リーガン]]や[[ジョージ・ゴーディエンコ]]とタイトルを争った<ref name="bc-pc-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/canada/bc/nwa/bc-pc-h.html|title=NWA Pacific Coast Heavyweight Title|accessdate=2010-04-12|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。日本にもザ・ブルートとして[[1974年]]3月に[[国際プロレス]]に来日、[[ラッシャー木村]]と[[デスマッチ#金網デスマッチ|金網デスマッチ]]で2回対戦した他、[[グレート草津]]とも金網デスマッチを行っている<ref>{{cite web|url=http://www.puroresu.com/iwe/results/iwe197403challenge.html|title=IWE Big Challenge Series 1974|accessdate=2015-03-11|publisher=PURORESU.COM}}</ref>。3月31日には[[釧路市|釧路]]にて、[[ジム・ブランゼル]]と組んでラッシャー木村&グレート草津の[[IWA世界タッグ王座]]に金網タッグ・デスマッチで挑戦した<ref name="iwe-bb">『忘れじの国際プロレス』P102(2014年、[[ベースボール・マガジン社]]、ISBN 4583620802)</ref>。その後はサンフランシスコ地区に戻り、[[1975年]]1月25日に[[ピーター・メイビア]]を破り、同地区認定のUSヘビー級王座を獲得した<ref name="sf-us-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/ca/sf/rs/sf-us-h.html|title=NWA United States Heavyweight Title [San Francisco]|accessdate=2010-04-12|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。 |
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1975年の下期より、﹁ばい菌﹂﹁害虫﹂などを指す蔑称の "Bugsy" を冠した'''バグジー・マグロー'''︵''Bugsy McGraw''︶のリングネームで[[WWE|WWWF]]に登場。[[ルー・アルバーノ|キャプテン・ルー・アルバーノ]]を[[マネージャー (プロレス)|プレイング・マネージャー]]に迎え、9月6日に[[ニューヨーク]]の[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で[[ブルーノ・サンマルチノ]]と対戦<ref>{{cite web|url=http://www.thehistoryofwwe.com/70smsg.htm|title=WWE Specific Arena Results: MSG 1970-1979|accessdate=2010-02-03|publisher=The History of WWE}}</ref>。以降も12月8日に[[メリーランド州]]ランドオーバー、翌[[1976年]]1月10日に[[マサチューセッツ州]][[スプリングフィールド (マサチューセッツ州)|スプリングフィールド]]にて、サンマルチノの[[WWE世界ヘビー級王座|WWWF世界ヘビー級王座]]に挑戦した<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=konst&letter1=B&wrestler1=6658&letter2=B&wrestler2=1158&letter3=&wrestler3=0&letter4=&wrestler4=0&matchtyp=0&anzeige=matches|title=Bruno Sammartino vs. Bugsy McGraw|accessdate=2015-02-17|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。WWWFではヒールの中堅として、ゴリラ・モンスーン、[[ボボ・ブラジル]]、[[ヘイスタック・カルホーン]]、[[チーフ・ジェイ・ストロンボー]]、[[イワン・プトスキー]]などの[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]勢と対戦。[[ザ・ブラックジャックス]]︵[[ブラックジャック・マリガン]]&[[ブラックジャック・ランザ]]︶、[[イワン・コロフ]]、[[アーニー・ラッド]]、[[スーパースター・ビリー・グラハム]]、[[スパイロス・アリオン]]といった大物ヒールのパートナーにも起用され、[[トニー・パリシ]]&[[ジノ・ブリット|ルイ・セルダン]]が保持していた[[WWE・世界タッグチーム王座|WWWF世界タッグ王座]]にも度々挑戦した<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1540&bild=1&details=7&liga=3&jahr=1976|title=The WWE matches fought by Bugsy McGraw in 1976|accessdate=2014-08-22|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。
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1975年の下期より、﹁ばい菌﹂﹁害虫﹂などを指す蔑称の "Bugsy" を冠した'''バグジー・マグロー'''︵''Bugsy McGraw''︶のリングネームで[[WWE|WWWF]]に登場。[[ルー・アルバーノ|キャプテン・ルー・アルバーノ]]を[[マネージャー (プロレス)|プレイング・マネージャー]]に迎え、9月6日に[[ニューヨーク]]の[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で[[ブルーノ・サンマルチノ]]と対戦<ref>{{cite web|url=http://www.thehistoryofwwe.com/70smsg.htm|title=WWE Specific Arena Results: MSG 1970-1979|accessdate=2010-02-03|publisher=The History of WWE}}</ref>。以降も12月8日に[[メリーランド州]]ランドオーバー、翌[[1976年]]1月10日に[[マサチューセッツ州]][[スプリングフィールド (マサチューセッツ州)|スプリングフィールド]]にて、サンマルチノの[[WWE世界ヘビー級王座|WWWF世界ヘビー級王座]]に挑戦した<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=konst&letter1=B&wrestler1=6658&letter2=B&wrestler2=1158&letter3=&wrestler3=0&letter4=&wrestler4=0&matchtyp=0&anzeige=matches|title=Bruno Sammartino vs. Bugsy McGraw|accessdate=2015-02-17|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。WWWFではヒールの中堅として、ゴリラ・モンスーン、[[ボボ・ブラジル]]、[[ヘイスタック・カルホーン]]、[[チーフ・ジェイ・ストロンボー]]、[[イワン・プトスキー]]などの[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]勢と対戦。[[ザ・ブラックジャックス]]︵[[ブラックジャック・マリガン]]&[[ブラックジャック・ランザ]]︶、[[イワン・コロフ]]、[[アーニー・ラッド]]、[[スーパースター・ビリー・グラハム]]、[[スパイロス・アリオン]]といった大物ヒールのパートナーにも起用され、[[トニー・パリシ]]&[[ジノ・ブリット|ルイ・セルダン]]が保持していた[[WWE・世界タッグチーム王座|WWWF世界タッグ王座]]にも度々挑戦した<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1540&bild=1&details=7&liga=3&jahr=1976|title=The WWE matches fought by Bugsy McGraw in 1976|accessdate=2014-08-22|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。
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2015年3月11日 (水) 09:11時点における版
バグジー・マグロー | |
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プロフィール | |
リングネーム |
バグジー・マグロー ザ・ビッグ "O" ビューティフル・ブルータス マイティ・ブルータス ザ・ブルート ザ・ステューデント ザ・スカル |
本名 | マイケル・デービス |
ニックネーム | 鮮血の荒熊 |
身長 | 191cm - 192cm |
体重 | 130kg - 137kg |
誕生日 | 1945年??月??日 |
出身地 |
![]() ![]() シャーロット |
デビュー | 1960年代後半 |
引退 | 1980年代後半 |
来歴
デビュー / 1970年代
1960年代後半に黒人レスラーのトム・ジョーンズのトレーニングを受けてデビュー。五大湖エリアから南部のテキサスやフロリダ、さらにはハワイなどNWAの各テリトリーを転戦し、リングネームを様々に変えてキャリアを積む。フロリダでは覆面を被り、マスクマンのザ・ビッグO︵The Big "O" ︶に変身したが[1]、マスクと髪の毛を賭けたコントラ・マッチでジョー・スカルパに敗れ、覆面を剥がされた[2]。 その後、ビューティフル・ブルータス︵Beautiful Brutus︶と名乗るスキンヘッドの巨漢ヒールとなり、1969年9月3日にグレート・マレンコを下してフロリダ地区のブラスナックル王座を獲得[3]。1970年からは西海岸のサンフランシスコ地区にてマイティ・ブルータス︵Mighty Brutus︶の名義で活動。1972年3月、このリングネームで日本プロレスに初来日し[4]、日本プロレス最後のワールドリーグ戦となった第14回大会に参加。ジャイアント馬場、坂口征二、大木金太郎のトップ3には連敗したものの、吉村道明やミツ・ヒライなどの中堅勢からは勝利を収め、外国人陣営ではゴリラ・モンスーン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ディック・マードック、カリプス・ハリケーンに次ぐ戦績を残した。 1973年からはザ・ブルート︵The Brute︶に改名してカナダのバンクーバー地区に参戦、3月29日にジン・キニスキーからNWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座を奪取し、以降もシーン・リーガンやジョージ・ゴーディエンコとタイトルを争った[5]。日本にもザ・ブルートとして1974年3月に国際プロレスに来日、ラッシャー木村と金網デスマッチで2回対戦した他、グレート草津とも金網デスマッチを行っている[6]。3月31日には釧路にて、ジム・ブランゼルと組んでラッシャー木村&グレート草津のIWA世界タッグ王座に金網タッグ・デスマッチで挑戦した[7]。その後はサンフランシスコ地区に戻り、1975年1月25日にピーター・メイビアを破り、同地区認定のUSヘビー級王座を獲得した[8]。 1975年の下期より、﹁ばい菌﹂﹁害虫﹂などを指す蔑称の "Bugsy" を冠したバグジー・マグロー︵Bugsy McGraw︶のリングネームでWWWFに登場。キャプテン・ルー・アルバーノをプレイング・マネージャーに迎え、9月6日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでブルーノ・サンマルチノと対戦[9]。以降も12月8日にメリーランド州ランドオーバー、翌1976年1月10日にマサチューセッツ州スプリングフィールドにて、サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦した[10]。WWWFではヒールの中堅として、ゴリラ・モンスーン、ボボ・ブラジル、ヘイスタック・カルホーン、チーフ・ジェイ・ストロンボー、イワン・プトスキーなどのベビーフェイス勢と対戦。ザ・ブラックジャックス︵ブラックジャック・マリガン&ブラックジャック・ランザ︶、イワン・コロフ、アーニー・ラッド、スーパースター・ビリー・グラハム、スパイロス・アリオンといった大物ヒールのパートナーにも起用され、トニー・パリシ&ルイ・セルダンが保持していたWWWF世界タッグ王座にも度々挑戦した[11]。 1976年の終盤からはザ・ブルートの名義で中南部のNWAトライステート地区に出場し、11月から12月にかけてザ・スポイラーやテッド・デビアスとトライステート版の北米ヘビー級王座を争っている[12]。1977年はバグジー・マグローとしてオーストラリアに遠征し、ブッチャー・ブラニガンやマリオ・ミラノと組んでNWA豪亜タッグ王座を獲得[13]。同年はジャイアント馬場も海外遠征で来豪しており、4月1日にシドニー、翌2日にメルボルンにて、両者のシングルマッチが行われた︵結果はいずれもマグローの反則負け︶[14]。 以降、リングネームを﹁バグジー・マグロー﹂に定着させ、1978年4月には新日本プロレスの第1回MSGシリーズに参加。予選トーナメント1回戦で山本小鉄、2回戦でトニー・ガレアを破り決勝リーグに進出し、アントニオ猪木や藤波辰巳、上田馬之助、アンドレ・ザ・ジャイアントらと公式戦で対戦した[15]。1980年代 / 引退後
1970年代末からはNWAフロリダ地区︵エディ・グラハムが主宰していたチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ︶を主戦場に、悪徳マネージャーのサー・オリバー・フンパーディンクのファミリーに加入[16]。"バッド・バッド" レロイ・ブラウンとの巨漢コンビでダスティ・ローデスやジャック・ブリスコと流血戦を演じたが、1980年3月にフンパーディンクと仲間割れしてベビーフェイスに転向[17]。アンコ型の巨体に禿頭の髭面という正義のヒーローには程遠い風貌ながら、そのコミカルで陽気なキャラクターが子供たちに支持され、ローデスに次ぐ同地区の人気者となる[18]。 以降もフロリダに定着し、ドン・ムラコ、イワン・コロフ、ニコライ・ボルコフ、バロン・フォン・ラシク、マサ・サイトー、ディック・スレーター、ザ・ファンクス、ボビー・ジャガーズ、R・T・タイラー、ハンス・シュローダーらヒール勢と抗争を展開した[19]。その間、テキサス州ダラスのWCCWにも参戦し、1980年12月12日にブルーザー・ブロディからテキサス・ブラスナックル王座を奪取[20]。主戦場のフロリダでは1981年3月5日と4月15日にハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦し、引き分けに持ち込んでいる[21]。 1981年5月にはジャック・ブリスコの斡旋で全日本プロレスに来日、再びヒールターンしてザ・シークのタッグパートナーを務め、ジャンボ鶴田&リッキー・スティムボートなどのチームと対戦、ジャイアント馬場とのシングルマッチも組まれた[22]。帰国後もヒールのポジションでテネシー州メンフィスのCWAに登場[23]。ジミー・ハートをマネージャーにジェリー・ローラーやビル・ダンディーと対戦し、スティーブ・カーンとNWAミッドアメリカ・ヘビー級王座を争った[24]。 同年の末よりダラスのWCCWに再登場し、12月26日にザ・グレート・カブキを破ってNWAアメリカン・ヘビー級王座を獲得[25]。翌1982年4月11日には若手時代のキングコング・バンディをパートナーに、ケリー・フォン・エリック&アル・マドリルからNWAアメリカン・タッグ王座も奪取している[26]。同年6月4日にテキサス・スタジアムで行われたフリッツ・フォン・エリック引退興行ではアンドレ・ザ・ジャイアントとのシングルマッチが組まれた[27]。 その後はベビーフェイスに戻り、1983年もNWAの主要テリトリーを転戦。ジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区ではルーファス・R・ジョーンズや﹃ブギウギ﹄ジミー・バリアントとタッグを組み、スターケードなどのビッグイベントにも出場した︵バリアントとのタッグは、アメリカのプロレス業界誌﹃レスリング・オブザーバー﹄の"Worst Tag Team" にも選ばれている︶。 1984年3月には全日本プロレスに再来日。開幕戦でスタン・ハンセンの試合に乱入して喧嘩を売り、3月30日に茨城県古河市にて、当時ハンセンが保持していたPWFヘビー級王座に挑戦した[4]。なお、ハンセンとマグローはジム・バーネット主宰のNWAジョージア地区でタッグを組んでおり、1983年のクリスマスにアトランタのオムニ・コロシアムにおいてロード・ウォリアーズと対戦したことがある[28]。 1984年夏からは古巣のフロリダに復帰し、ワフー・マクダニエルやブラックジャック・マリガンとのベテラン・コンビで活躍。1985年はファビュラス・フリーバーズ︵マイケル・ヘイズ、テリー・ゴディ、バディ・ロバーツ︶、ミッシング・リンク、アブドーラ・ザ・ブッチャー、リック・ルード、ジェシー・バー、ヘラクレス・ヘルナンデス、リップ・ロジャースなどと対戦している[29]。その後、WWFの全米進出が始まってNWAの各テリトリーが形骸化したこともあり、1980年代の後半に引退した。 引退後はセントラル・フロリダの医療機関で看護師の業務に就いている[2]。近年はフロリダで行われるオールドタイマーのリユニオン・イベントにも参加しており、2005年1月29日の﹃レッスル・リユニオン﹄にはグレッグ・バレンタイン、ジェイク・ロバーツ、チャボ・ゲレロ・シニアらと共にバトルロイヤルに出場した︵当日はダスティ・ローデス、ハーリー・レイス、ザ・ファンクス、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ロディ・パイパー、ジミー・スヌーカ、カウボーイ・ボブ・オートン、マスクド・スーパースターなども参加し、エキシビション・マッチを行っている︶[30]。 2009年は、6月18日収録︵7月2日放送︶のTNA﹃iMPACT!﹄にミック・フォーリーのセキュリティとして登場した[31]。同年10月1日には、WWEの下部団体FCWのハウス・ショーにも顔を見せている。得意技
獲得タイトル
- NWAオールスター・レスリング
- NWAサンフランシスコ
- NWAトライステート
- ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)
- NWA豪亜タッグ王座:2回(w / ブッチャー・ブラニガン、マリオ・ミラノ)[13]
- NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回[34]
- NWAフロリダ・タッグ王座:2回(w / パク・ソン、ソー・ザ・ヴァイキング)[35]
- NWAフロリダ・TV王座:2回[36]
- NWAフロリダ・ブラスナックル王座:1回[3]
- NWA USタッグ王座(フロリダ版):1回(w / ダスティ・ローデス)[37]
- NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:1回[24]
- NWAテキサス・ブラスナックル王座:3回[20]
- NWAアメリカン・ヘビー級王座:1回[25]
- NWAアメリカン・タッグ王座:1回(w / キングコング・バンディ)[26]
- NWA世界タッグ王座(ワールド・クラス版):1回(w / ワイルド・ビル・アーウィン)[38]
- WCCW TV王座:1回[39]
- NWAミッドアトランティック・タッグ王座:1回(w / ルーファス・R・ジョーンズ)[40]