コンテンツにスキップ

「レディ・ワシントン (ブリッグ)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
57行目: 57行目:

最初のアメリカ[[太平洋岸北西部]]探検使用された2隻の内の1隻であり、1787年10月1日にボストンを出港した。[[ケープ岬]]経由で太平洋岸北西部に達し、現地の[[インディアン]]達と[[毛皮]]や生皮の交易を行い、さらには太平洋を横断し中国と[[茶]]や[[陶磁器]]の交易を行った。ボストン出港時の船長はロバート・グレイ([[:en:Robert Gray (sea-captain)|Robert Gray]])であたったが、途中で[[ジョン・ケンドリック]](もう一隻の{{仮リンク|コロンビア・レディビバ|en|Columbia Rediviva}}の船長であった)と交代した。建造時は[[スループ]]であったが、ケンドリックが[[ブリッグ]]に改造した。

最初のアメリカ[[太平洋岸北西部]]探検使用された2隻の内の1隻であり、1787年10月1日にボストンを出港した。[[ケープ岬]]経由で太平洋岸北西部に達し、現地の[[インディアン]]達と[[毛皮]]や生皮の交易を行い、さらには太平洋を横断し中国と[[茶]]や[[陶磁器]]の交易を行った。ボストン出港時の船長はロバート・グレイ([[:en:Robert Gray (sea-captain)|Robert Gray]])であたったが、途中で[[ジョン・ケンドリック]](もう一隻の{{仮リンク|コロンビア・レディビバ|en|Columbia Rediviva}}の船長であった)と交代した。建造時は[[スループ]]であったが、ケンドリックが[[ブリッグ]]に改造した。



レディ・ワシントンは、日本に来航した最初のアメリカ船である([[1791年]][[5月6日]])。ケンドリックは売れ残りの生皮を[[鎖国]]中の日本で売り捌こうとしたが、交易は拒否された。この来航を記念して[[和歌山県]][[東牟婁郡]][[串本町]]の[[紀伊大島]]、樫野埼に[[日米修交記念館]]が建設されている。

レディ・ワシントンは、日本に来航した最初のアメリカ船である([[1791年]][[5月6日]])。ケンドリックは売れ残りの生皮を[[鎖国]]中の日本で売り捌こうとしたが、交易は拒否された。この来航を記念して[[和歌山県]][[東牟婁郡]][[串本町]]の[[紀伊大島]]、樫野埼に[[日米修交記念館]]が建設されている。またJR[[串本駅]]前には1995年にレディ・ワシントンのブロンズ像が建立された



ケンドリックは[[1794年]]に[[ハワイ]]で死亡したが、レディ・ワシントンはその後も太平洋交易に従事し、[[1797年]]にフィリピンで沈没した。

ケンドリックは[[1794年]]に[[ハワイ]]で死亡したが、レディ・ワシントンはその後も太平洋交易に従事し、[[1797年]]にフィリピンで沈没した。


2013年5月11日 (土) 23:55時点における版

|-
|colspan="2" style="text-align:center;line-height:1.5em;"||-
経歴
名称: Lady Washington(レプリカ)
運用者: Grays Harbor Historical Seaport Authority
建造所: Ray Wallace、ワシントン州アバディーン
起工: 1987年
進水: 1989年3月7日
母港: ワシントン州アバディーン
仕様諸元
クラス: ブリッグ
トン数 99トン
排水量 210トン
長さ: 67 ft (20 m)(デッキ長)
72 ft (22 m)(水線長)
112 ft (34 m)(帆桁幅)
高さ: 89 ft (27 m) (リグ高さ)
喫水: 11 ft (3 m)
帆装: ブリッグ
4,400 sq ft (410 m2)
注記: 船体はトガサワラ属の木材製

1810西1989

18


901750[1]

西使211787101西Robert Gray

179156JR1995

17941797

Edmonds

1989100Grays Harbor County

2State Ship[2]使Tall Ship Ambassador

Hawaiian Chieftain

TV


2003/ USS EnterpriseRLS

参考

  1. ^ Garys Harbor Historical Seaport Authority
  2. ^ State Symbols

外部リンク(英語)