「作表機」の版間の差分
SilvonenBot (会話 | 投稿記録) m ロボットによる 追加: ru:Табулятор |
編集の要約なし |
||
(24人の利用者による、間の40版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
[[File:Ibm407 tabulator 1961 01.redstone.jpg|thumb|right|200px|[[:en:IBM 407|IBM 407]]会計機([[レッドストーン兵器廠]]で)]] |
|||
'''タビュレーティングマシン'''('''Tabulating machine''')は日本では一般に'''パンチカードシステム'''と呼ばれていたもので、[[会計]]などの作表を補助する機械群。[[ハーマン・ホレリス]]が発明し、[[1890年]]の米国[[国勢調査]]の[[データ処理]]で初めて使用された。 |
|||
'''作表機'''︵さくひょうき、{{Lang-en|tabulating machine}}︶は、'''会計機'''︵accounting machine︶とも呼ばれて、[[データ処理]]を[[電子計算機]]に依るようになった以前に、[[パンチカード]]を使った[[パンチカードシステム]]のみで処理した時期に、その最終工程で分類されたカードを読んで小計・総計を計算して作表し、結果を印刷する機械であった。[[ハーマン・ホレリス]]が発明し、[[1890年]]の米国[[国勢調査]]の[[データ処理]]で初めて使用された。その後[[コンピュータ]]が普及するまでデータ処理に広く使われた。
|
|||
== |
==名称== |
||
英語の「タビュレーティングマシン」([[:en:Tabulating machine|Tabulating machine]]またはTabulator)は'''狭義'''では「作表機」(または会計機)であるが、[[キーパンチ|カード穿孔機]]、[[キーパンチ#IBM 056|カード検孔機]]、[[パンチカードシステム#分類機|カード分類機]]、作表機など全体を製造・販売した会社が一般にタビュレーティング・マシン会社([[:en:Computing-Tabulating-Recording Company|米国会社]]、[[:en:British Tabulating Machine Company|英国会社]]など)と呼ばれたため、英語で'''広義'''には「[[パンチカードシステム]]機器全体」を意味することもあって、まぎらわしいので広義ではユニット・レコード機器([[:en:Unit record equipment|Unit record equipment]])という言葉がよく使われる。 |
|||
[[1880年]]の[[国勢調査]]は集計に7年を費やし、結果が出たときには既に時代遅れの数値と言わざるを得なかった。1880年から1890年にかけての[[移民]]などを原因とするアメリカ合衆国の急速な[[人口]]増加により、1890年の国勢調査は約13年かかると予測された。米国政府は国勢調査の数値を元に州ごとの課税配分と[[アメリカ合衆国議会|連邦議会]]の州ごとの定数を決定していたため、もっと素早く集計する方法が必要とされた。 |
|||
== 1890年の国勢調査 == |
|||
ホレリスは列車の[[乗車券]]から発想した。[[車掌]]は切符に穴を開ける位置によって情報を付与していた︵例えば、目的地、旅客の年齢など︶。ホレリスはカードが[[絶縁体]]として機能し、穴の開いたところだけ電気を通すことができると気づいた。ホレリスは当時の[[ドル]]紙幣と同じサイズの[[パンチカード]]を使用した。というのも、紙幣を格納するケースがカードを格納するのに利用できるからである。ちなみに同じサイズのパンチカードは1980年代まで[[情報処理]]に使用され、[[投票]]システムには21世紀まで使われた。カードには、年齢、住居種別、性別などの情報がコード化されて格納される。事務員は集められた情報をカード上にパンチすることができた。
|
|||
[[ファイル:HollerithMachine.CHM.jpg|thumb|[[コンピュータ歴史博物館]]にあるホレリスのタビュレーティングマシンとソータ (1890)]] |
|||
[[ファイル:Hollerith punched card.jpg|right|thumb|ホレリスのパンチカード]] |
|||
[[1880年]]の[[国勢調査]]は集計に7年を費やし、結果が出たときには既に時代遅れの数値と言わざるを得なかった。1880年から1890年にかけての[[移民]]などを原因とするアメリカ合衆国の急速な[[人口]]増加により、1890年の国勢調査は約13年かかると予測された。[[アメリカ合衆国憲法]]は国勢調査の数値を元に州ごとの[[租税|課税]]配分と[[アメリカ合衆国議会|連邦議会]]の[[アメリカ合衆国の州|州]]ごとの定数を決定することを要求していたため、もっと素早く集計する方法が必要とされた。 |
|||
この目的のため、1880年代末ごろ、パンチカードはホレリスにより発明された。発想の元は直接には、鉄道の切符において、[[車掌]]が切符に穴を開ける位置によって情報を付与していた︵例えば、目的地、旅客の年齢など︶ところからである。同様のものは機械制御用として以前から存在しており︵例えば、[[オートマタ]]、[[ピアノロール]]、[[ジャカード織機]]など︶たとえばピアノロールは﹁楽曲のデータ﹂を、ジャカード織機のそれは﹁布の柄のデータ﹂を記録しているものと見ることもできるが、それを[[データ処理]]に利用したのがホレリスの発明と言える。ホレリスは紙が[[絶縁体]]として機能し、穴の開いたところだけ電気を通すことができると気づいた。当初紙テープを試してみたが、最終的に[[パンチカード]]に到達した<ref>[http://www.columbia.edu/cu/computinghistory/hollerith.html Columbia University Computing History - Herman Hollerith]</ref>︵当初はホレリスカードと呼ばれていた︶。
|
|||
ホレリスの機械は単純なものだった。バネ付きの針金がカード読み取り機の上部に並んでいる。カードは[[水銀]]のプール群の上にセットされる。各プールはカード上の各穴の位置にある。針金をカードに押し付けると、穴のある位置では針金が水銀のプールに浸り、電気回路が形成される。その結果がカウンター(計数器)に送られ、ベルを鳴らしてカードが読み取られたことを操作者に知らせるのである。また、カード格納部が複数あって読み取った情報に従って一箇所のカード格納部の蓋が開き、そこに読み取ったカードが落とし込まれるようになっていた。カードに情報を入れる(パンチする)こととそれを機械にセットすることを事務員が行った。このようにして全て人手で集計していたときよりもずっと迅速に集計が行われるようになった。ホレリスのマシンを使うことで1890年の国勢調査は18ヶ月で完了し、その期間内に二重チェックも行われた。 |
|||
ホレリスは丸い穴を12行24桁の格子状に開ける[[パンチカード]]を採用した。彼の機械は[[継電器]](と[[ソレノイド]])を使って機械式カウンタをインクリメントする。バネ付きの針金がカード読み取り機の上部に並んでいる。カードは[[水銀]]のプール群の上にセットされ、各プールはカード上の各穴の位置にある。針金をカードに押し付けると、穴のある位置では針金が水銀のプールに浸り、電気回路が形成される<ref>{{Cite book|last=Truedsell |first=Leon E. |title= The Development of Punch Card Tabulation in the Bureau of the Census 1890-1940|year=1965 |publisher=US GPO |page = 51}}</ref>。その結果がカウンター(計数器)に送られ、ベルを鳴らしてカードが読み取られたことを操作者に知らせるのである。 |
|||
この技術が[[会計]]や[[在庫管理]]に利用できることは明らかだった。ホレリスはタビュレーティング・マシーンズ社(TMC)を立ち上げた。しかし、民間への拡販はなかなかうまくいかず、1900年の国勢調査の需要でなんとかしのぐという状況であった。しかし、1901年、[[アメリカ合衆国国勢調査局|国勢調査局]]の長官ロバート・ポーターは大統領が代わることに伴って局を去り、イギリスへ帰国することとなった。ちなみにポーターはイギリスでブリティッシュ・タビュレーティング・マシン社を設立。これが後のICT︵さらに後にはICL︶となった。国勢調査局の新長官とホレリスの関係はうまくいかず、国勢調査局はジェームズ・パワーズという技術者を雇ってタビュレーティングマシンの改良を行わせた。パワーズはタビュレーティングマシンに印刷機能をつける改良を行い、自身も会社を立ち上げた。
|
|||
タビュレータには40個のカウンタがあり、それぞれ100個の目盛りがついたダイヤルでカウントを示す。ダイヤルには2本の針があり、1本はカウントアップするたびに動き、もう一本は前者が一周するごとにカウントアップする。そのため、カウンタは最大10,000までカウント可能である。カウンタにはパンチカードの特定の穴を対応させることができ、継電器による一種の論理回路を使って一連の穴の組み合わせをカウントさせることもできる。 |
|||
その間にホレリスもタビュレーティングマシンの改良を行い、より自動化の進んだ機械を開発していた。自動機により優位に立ったTMCは事務機会社としての地位を確立。それが後の[[IBM]]となった。[[IBM]]は1940年代にコンピュータが登場するまで、タビュレーティングマシンの高速化と高機能化を進めていった。なお、パワーズの会社は事務用品会社ランド・カーデックス社に買収され、同社は後に[[レミントンランド]]となった︵その後、[[スペリー]]→[[ユニシス]]︶。
|
|||
例えば、既婚の女性をカウントするなどである<ref name="minesquarterly">[http://www.columbia.edu/cu/computinghistory/hh/index.html# [-245-] An Electric Tabulating System, ''The Quarterly,'' Columbia University School of Mines, Vol.X No.16 (April 1889)]</ref>。またカード格納部が複数あって、読み取った情報に従って一箇所のカード格納部の蓋が開き、そこに読み取ったカードが落とし込まれるようになっていた<ref>[http://www-03.ibm.com/ibm/history/exhibits/attic/attic_071.html IBM Archive: Hollerith Tabulator & Sorter Box]</ref>。 |
|||
==パンチカードシステム== |
|||
[[コンピュータ|電子計算機]]の発明以前、データ処理はタビュレーティングマシンの進化した'''パンチカードシステム'''(Punch Card System、'''PCS''')と呼ばれる電気機械式機器で行われるようになり、ただしこれは[[和製英語]]で、[[英語]]では一般にユニットレコード装置(Unit Record Equipment)、電気会計機(Electric Accounting Machine、EAM)などと呼ばれていた。データ処理は[[パンチカード]]のデッキ(束)を入力として様々な機器を連結してなされた。機器間のカードデッキのフロー(流れ)は大きな紙に標準化されたシンボルを使って記述された([[フローチャート]])。 |
|||
ホレリスの技法︵カードとタビュレーティングマシンと[[キーパンチ]]機︶は1890年の国勢調査で採用された<ref>[http://www.census.gov/history/www/innovations/technology/the_hollerith_tabulator.html U.S. Census Bureau: The Hollerith Machine]</ref>。カードには、年齢、住居種別、性別などの情報がコード化されて格納される。事務員は集められた情報をカード上にパンチすることができた。1890年の国勢調査は予定より数カ月早く18ヶ月で完了し、その期間内に二重チェックも行われた。予算より遥かに少ない金額で済んだ<ref name="USCensusTab">[http://www.census.gov/history/www/innovations/technology/tabulation_and_processing.html U.S. Census Bureau: Tabulation and Processing]</ref>。
|
|||
20世紀後半に[[コンピュータ]]が担った役割を20世紀前半ではPCSが産業界や政府関連で果たしたのである。PCSの最大の供給業者は[[IBM]]である。以下では主にIBMのPCSについて解説する。
|
|||
== その後の国勢調査とIBM == |
|||
===データ記憶媒体=== |
|||
この技術が[[会計]]や[[在庫管理]]に利用できることは明らかだった。ホレリスは1896年、タビュレーティング・マシン社 (Tabulating Machine Company, TMC) を立ち上げた。同年、Hollerith Integrating Tabulator を発売。これは単に穴を数えるだけでなく、数値を穴の列で符号化し、それを累算していくことができる機械である。パンチカードの読み取りは従来と同じ水銀を使ったものだった。1900年に発売した Hollerith Automatic Feed Tabulator は自動カードフィード機構を備え、1900年の国勢調査に採用された。しかし1901年、[[アメリカ合衆国国勢調査局|国勢調査局]]の長官ロバート・ポーターは大統領が代わることに伴って局を去り、イギリスへ帰国することとなった。ちなみにポーターはイギリスでブリティッシュ・タビュレーティング・マシン社を設立。これが後のICT︵さらに後にはICL︶となった。国勢調査局の新長官とホレリスの関係はうまくいかず、国勢調査局は{{ill2|ジェームズ・ルグラン・パワーズ|en|James Legrand Powers}}という技術者を雇ってタビュレーティングマシンの改良を行わせた<ref>{{Cite book|last= Truesdell |first= Leon E. |title= The Development of Punch Card Tabulation in the Bureau of the Census 1890-1940 |publisher= US GPO |year= 1965}}</ref>。パワーズはタビュレーティングマシンに印刷機能をつける改良を行い、やがて{{ill2|パワーズ会計機|en|Powers Accounting Machine}}会社を創立した<ref name=USCensusTab/>。
|
|||
基本データ単位は80桁の[[パンチカード]]である。各桁は一つの数字、文字、特殊記号などを表している。データ値は隣接する複数の桁による「フィールド」から構成される。例えば、社員番号5桁、時給レート3桁、ある週の実働時間2桁、部門番号3桁、プロジェクト課金コード6桁などである。 |
|||
[[プラグボード]]は1906年の Type 1 で導入された<ref>[http://www.columbia.edu/cu/computinghistory/tabulator.html IBM Tabulators and Accounting Machines]</ref><ref>[http://www-03.ibm.com/ibm/history/history/year_1906.html IBM Archive: 1906]</ref>。1911年、ホレリスの会社を含む4社が合併し[[C-T-R|コンピューティング・タビュレーティング・レコーディング・コーポレーション]] ([[:en:Computing Tabulating Recording Corporation|Computing-Tabulating-Recording Corporation]], C-T-R) となった。1920年代には印字機能つきのタビュレータ<ref>{{Cite web|title = IBM Archives: 1920 |publisher= IBM |url= http://www-03.ibm.com/ibm/history/history/year_1920.html |accessdate=2012-07-02}}</ref>、プラグボードを着脱可能なタビュレータが登場。1924年、CTRはインターナショナル・ビジネス・マシンズ ([[IBM]]) と改称。IBMはタビュレーティングマシンの改良を進めていった。
|
|||
データは[[キーパンチ]]と呼ばれる機械を使って人手で入力された。キーパンチには[[タイプライター]]状のキーボードと未入力のカードと入力済みカードが置かれるホッパーで構成される。後にはカードにパンチした内容がカード上端に印字されるようになった(IBM 026 など)。場合によってはパンチされたカードは次の「検孔機 verifier」と呼ばれるキーパンチによく似た機械に送られる。検孔機の操作者はキーパンチと同じ内容を入力し、検孔機内部でそれがパンチ済みの内容と合っているかチェックする。問題なければ、カードの右端に小さなポッチがパンチされる。 |
|||
1950年代に電子式[[コンピュータ]]が製品化されてからもタビュレーティングマシンは広く使われ続けた。なお、パワーズ会計機も[[1927年]]に[[レミントンランド]]に買収され、[[スペリー]]による買収を経て現在の[[ユニシス]]に至る。 |
|||
===分類(ソート)=== |
|||
[[画像:Cardsorter.fhwa.jpg|thumb|right|ソータ]] |
|||
PCSの主要な機能のひとつはパンチされたデータに従ってパンチカードのデッキを適切な順に[[ソート]]することである。同じデッキでも処理手順によって異なったソートをすることがある。IBM 80シリーズのようなソーターは、ひとつの入力デッキを指定された桁の内容に従って13個の出力デッキに振り分ける。なお、13番目のデッキ格納場所は指定された桁に情報がパンチされていないカードやリジェクトされたカードのためのものである。 |
|||
タビュレーティングマシンの用途の多くは、[[IBM 1401]] などのコンピュータに置き換えられていった。{{仮リンク|FARGO|en|FARGO (programming language)}}と[[RPG (プログラム言語)|RPG]]というプログラミング言語は、そのような移行のために開発された。タビュレータの制御パネル︵[[プラグボード]]︶はマシンサイクルに基づいているので、FARGOとRPGはマシンサイクルの記法をエミュレートしており、プログラミング教材はプラグボードと言語のコーディングシートの関係を示していた。
|
|||
データ処理業務は毎日バッチ形式で一括処理するのが一般的であった。一日の業務でパンチされたカードをソートしてからマスターデッキにマージし、その後作表処理が行われる。 |
|||
==操作== |
|||
===作表(タビュレーティング)=== |
|||
[[File:IBM402plugboard.Shrigley.wireside.jpg|thumb|right|200px|[[:en:IBM 402|IBM 402]]会計機のコントロール・パネル]] |
|||
リポートや集計は会計機やタビュレーティングマシンで行われる(例えば IBM 407)。ソートされたデッキを供給すると、タビュレーティングマシンが各カードの内容をそれぞれ一行で印字する。指定されたフィールドの値が内蔵のカウンターに加算され、特殊なパンチ穴のあるマスターカードを検出するとカウンターの値を合計値として印字する。 |
|||
{{Main|プラグボード}} |
|||
会計機の操作は、[[プラグボード]]でワイヤリングすることによって行われた。 |
|||
基本的な形態では、作表機は一度に1枚のカードを読み取り、カードの一部 (フィールド) を[[ファンフォールド紙]]に印刷し、場合によっては並べ替えて、カードにパンチングされた1つまたは複数の数字をアキュムレータと呼ばれる1つまたは複数のカウンタに追加する。初期のモデルでは、合計を取得するために、カードの実行後に[[アキュムレータ (コンピュータ)|アキュムレータ]]レジスタのダイヤルを手動で読み取っていた。以降のモデルでは、合計を直接印刷することができる。特定のパンチを持つカードは、異なる動作を引き起こすマスターカードとして扱われる可能性がある。たとえば、顧客マスターカードは、購入した個々のアイテムを記録するソートされたカードとマージできる。請求書を作成するために作表機で読み取られると、請求先住所と顧客番号がマスターカードから印刷され、次に購入された個々のアイテムとその価格が印刷される。次のマスターカードが検出されると、合計価格がアキュムレータから印刷され、通常は{{仮リンク|キャリッジコントロールテープ|en|Carriage control tape|label=}}を使用して、ページが次のページの上部に排出される。 |
|||
後にプラグボードによるプログラムが可能となり、ひとつのカードのふたつのフィールドの値を入力として乗算なども行えるようになった。また、その計算結果を同じカードの所定のフィールドにパンチして記録することもできるようになった。 |
|||
パンチカード処理の連続した段階やサイクルでは、十分な装置があれば、かなり複雑な計算が可能であった。現代のデータ処理用語では、各ステージを[[SQL]]句と考えることができる。情報を集める <code>SELECT(フィルタ列)</code>、次に絞り込む<code>WHERE(フィルタカード、または行﹂)</code>、次に合計とカウントの<code>GROUP BY</code>、次にソートの<code>SORT BY</code>、そして必要に応じて別の<code>SELECT</code>と<code>WHERE</code>のサイクルにそれらをフィードバックすることができる。人間のオペレータは、各段階で様々なカードデッキを取り出し、ロードし、保存しなければならなかった。
|
|||
===自動カードパンチ機=== |
|||
* 集団穿孔機(Gang Punch) - 多数のカードに同じ内容を一度にパンチする機械 |
|||
* 複製穿孔機(Reproducing Punch) - 入力されたカードデッキと同じ内容のカードデッキを作成する(あるいは指定されたフィールドだけをコピーする)機械。例えば給与計算用のカードデッキから実働時間と給料のフィールドを除いた複製を作ることで次の月の給与計算に使うことができる。プログラマは[[バックアップ]]を作るためにこの機械を使った。 |
|||
* 合計穿孔機(Summary Punch) - タビュレーティングマシンに連結し、集計結果をカードにパンチして別の用途に使えるようにしたもの。 |
|||
* マークセンスリーダ - いわゆる[[マークシート]]を読み取って、その内容をパンチカードにパンチする機械。 |
|||
==いくつかの作表機== |
|||
後の文書作成機(IBM 519 など)はこれら全ての操作を実行することができた。 |
|||
前身のタビュレーティング・マシーン・カンパニー(TMC)の機種も含めて、[[IBM]][[会計機]]([[パンチカード#IBMの80欄カードと文字コード|長方形穴の80欄カード]]使用)には次のような機種があった。 |
|||
*最初のTMC会計機の読取り速度は毎分150枚。<ref>[https://www.ibm.com/ibm/history/history/year_1906.html 最初の会計機(1906)]</ref> |
|||
*TMC Type IV(後にIBM 301) |
|||
*IBM 401 (1933年) |
|||
*IBM 405 (1934年) |
|||
*[[:en:IBM 402|IBM 402]] & 403 (1948年) |
|||
*[[:en:IBM 407|IBM 407]] (1949年) - 日本でも広く使われて、またその印刷技術は後に[[IBM 700/7000 series|IBM 700/7000シリーズ]]の[[:en:IBM 716|IBM 716]]プリンターにも使われた。 |
|||
*[[:en:IBM 421|IBM 421]] (1960年代) |
|||
など |
|||
前身の[[レミントンランド]]の機種も含めて、[[UNIVAC]]作表機([[パンチカード#UNIVACの90欄カード|丸穴の90欄カード]]使用)には次の機種があった。 |
|||
===特殊用途の機器=== |
|||
*[[Remington Rand 409]] (1949年) |
|||
* 照合機(Collators) - ふたつの入力ホッパーと4つ以上の出力ホッパーがあり、プラグボードのプログラムに基づいてカードデッキをマージしたり照合したりする。 |
|||
*UNIVAC 60作表機 (1952年) |
|||
* インタプリタ(Interpreter) - カードの内容を上端に印字する。 |
|||
*UNIVAC 120作表機 (1953年) |
|||
* 分離装置(Decollator) - 複数枚綴りの定型文書を分離して別々のスタックにし、[[カーボン紙]]を取り去る。厳密にはPCSと直接の関係はない。 |
|||
*UNIVAC 1004作表機 (1962年) |
|||
* バースター(Burster) - ミシン目でページを分離する機械。これもPCSと直接の関係はない。 |
|||
など |
|||
この他に、パワーズ会計機会社︵[[:en:Powers Accounting Machine|Powers Accounting Machine]]、後にUNIVACへ合併︶、英国作表機会社︵[[:en:British Tabulating Machine Company|British Tabulating Machine Company]]、後に[[:en:International Computers Limited|ICL]]へ合併︶、[[東芝]]、[[富士通]]なども作表機を出していた。
|
|||
===プログラミング=== |
|||
[[Image:IBM402plugboard.Shrigley.wireside.jpg|thumb|IBM 402 会計機のプラグボード]] |
|||
ソーター以外のPCSは[[プラグボード]]制御盤を使ってプログラム可能であった。パネルにはグループ化された穴の配列がある。これらの穴を導線でつなぐことでプログラムする。カードのフィールドに相当する穴と何らかの制御︵集計、四則演算など︶に対応する穴をつなぐことで処理が行われる。一般にある処理を行うための配線済みプラグボードを複数用意して、業務ごとにプラグボードを入れ替えて使う。
|
|||
==その他== |
|||
ワイヤは長さごとに色が決まっていて、たくさんのワイヤが集積することでプログラミングが困難になるのを防いでいた。またワイヤには一時的なものと永続的なものがあり、永続的なものは特殊な工具を使わないと取り外せないようになっていて、[[デバッグ]]完了後はそのような配線を使うのが一般的であった。
|
|||
「[[スーパーコンピュータ|スーパーコンピューティング]]」という言葉は1931年、{{仮リンク|ニューヨークワールド|en|New York World}}紙が[[IBM]]が[[コロンビア大学]]に納入した大型特製タビュレータを指して使ったのが最初である<ref name="Eames1973">{{Cite book|last=Eames |first=Charles |coauthors= Eames, Ray |title=A Computer Perspective |year=1973 |publisher=Harvard University Press |location= Cambridge, Mass |page = 95 }} なお、95ページにある1920年という日付は間違っている。詳しくは [http://www.columbia.edu/cu/computinghistory/packard.html The Columbia Difference Tabulator - 1931] を参照</ref>。 |
|||
==コンピュータ時代のPCS== |
|||
[[1948年]]、IBM 604 が発表された。この機械はカード・プログラムド・カリキュレータ︵Card Programmed Calculator、CPC︶と呼ばれ、[[真空管]]を使った計算機構を備えていた。これは10年間で5600台を販売するベストセラーとなった。これを代替する目的で開発されたコンピュータが[[IBM 650]]である。
|
|||
初期のコンピュータプログラムは入力および保管にパンチカードを使用した。企業や大学にはキーパンチ機が並んだ部屋があり、プログラマはそのような部屋で作業した。IBM 407 会計機を使ってパンチカードの内容を印字し、プログラムのデバッグに活用することもあった。IBM 519 を使ってプログラムのカードデッキのバックアップを作ることもあった。519 は73~80桁の位置に連続番号を打つのにも使われた。これは[[FORTRAN]]や[[COBOL]]がその桁位置を使っていないことから、それらのプログラムデッキに活用された。順番に並んでいたデッキを落とすなどしてバラバラにしてしまった場合には IBM 80シリーズのソーターを使った。より簡単な方法としては、カードデッキの上端の側面にペンなどで何かを書いておくと正しく並んでいることが確認できた。
|
|||
[[IBM 1401]]のような初期の商用コンピュータはパンチカードを入出力として、より複雑な結果を得られるようになっていた。しかし、多くの場合記憶媒体としては[[磁気テープ]]が使われ、磁気テープへのデータ入力手段としてパンチカードが使われるようになっていった。
|
|||
作業手順が変わることに抵抗を示す組織は多く、コンピュータが登場してからもPCSが使われることは多かった。料金集計、[[マイクロフィルム]]アパーチャーカード(パンチカードの一部にマイクロフィルムを埋め込んだカード)、投票システムなど、PCSは21世紀になっても使われている。 |
|||
System/3 は IBM のミッドレンジコンピュータの先祖とも言うべき機種だが、PCSを完全に置き換える目的で開発された。 |
|||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
* [[ウォーレス・ジョン・エッカート]] |
|||
* [[Remington Rand 409]] |
|||
* [[計算機の歴史]] |
|||
==外部リンク== |
==外部リンク== |
||
{{Commonscat|Tabulating machines}} |
|||
いずれも英文 |
|||
*[http://www. |
*[http://www.officemuseum.com/data_processing_machines.htm Punched Card Tabulating Machines (Early Office Museum)] |
||
*[http://www.kogures.com/hitoshi/history/punch-card/index.html パンチカードシステムの歴史] |
|||
*[http://www.officemuseum.com/data_processing_machines.htm Early office museum] |
|||
==脚注・出典== |
|||
[[Category:IBM|たひゆれえていんくましん]] |
|||
{{Reflist|2}} |
|||
[[Category:コンピュータ史|たひゆれえていんくましん]] |
|||
{{Normdaten}} |
|||
[[en:Tabulating machine]] |
|||
{{DEFAULTSORT:さくひようき}} |
|||
[[es:Máquina tabuladora]] |
|||
[[Category:計算用具]] |
|||
[[fi:Reikäkorttikone]] |
|||
[[ |
[[Category:IBM]] |
||
[[Category:コンピュータ史]] |
|||
[[lt:Tabuliatorius]] |
|||
[[Category:歴史上の機器]] |
|||
[[pl:Maszyna licząco-analityczna]] |
|||
[[ru:Табулятор]] |
|||
[[simple:Tabulating machine]] |
|||
[[th:Tabulating Machine]] |
2024年6月4日 (火) 21:03時点における最新版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/97/Ibm407_tabulator_1961_01.redstone.jpg/200px-Ibm407_tabulator_1961_01.redstone.jpg)
名称[編集]
英語の﹁タビュレーティングマシン﹂︵Tabulating machineまたはTabulator︶は狭義では﹁作表機﹂︵または会計機︶であるが、カード穿孔機、カード検孔機、カード分類機、作表機など全体を製造・販売した会社が一般にタビュレーティング・マシン会社︵米国会社、英国会社など︶と呼ばれたため、英語で広義には﹁パンチカードシステム機器全体﹂を意味することもあって、まぎらわしいので広義ではユニット・レコード機器︵Unit record equipment︶という言葉がよく使われる。1890年の国勢調査[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/HollerithMachine.CHM.jpg/220px-HollerithMachine.CHM.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f2/Hollerith_punched_card.jpg/220px-Hollerith_punched_card.jpg)
その後の国勢調査とIBM[編集]
この技術が会計や在庫管理に利用できることは明らかだった。ホレリスは1896年、タビュレーティング・マシン社 (Tabulating Machine Company, TMC) を立ち上げた。同年、Hollerith Integrating Tabulator を発売。これは単に穴を数えるだけでなく、数値を穴の列で符号化し、それを累算していくことができる機械である。パンチカードの読み取りは従来と同じ水銀を使ったものだった。1900年に発売した Hollerith Automatic Feed Tabulator は自動カードフィード機構を備え、1900年の国勢調査に採用された。しかし1901年、国勢調査局の長官ロバート・ポーターは大統領が代わることに伴って局を去り、イギリスへ帰国することとなった。ちなみにポーターはイギリスでブリティッシュ・タビュレーティング・マシン社を設立。これが後のICT︵さらに後にはICL︶となった。国勢調査局の新長官とホレリスの関係はうまくいかず、国勢調査局はジェームズ・ルグラン・パワーズという技術者を雇ってタビュレーティングマシンの改良を行わせた[7]。パワーズはタビュレーティングマシンに印刷機能をつける改良を行い、やがてパワーズ会計機会社を創立した[6]。 プラグボードは1906年の Type 1 で導入された[8][9]。1911年、ホレリスの会社を含む4社が合併しコンピューティング・タビュレーティング・レコーディング・コーポレーション (Computing-Tabulating-Recording Corporation, C-T-R) となった。1920年代には印字機能つきのタビュレータ[10]、プラグボードを着脱可能なタビュレータが登場。1924年、CTRはインターナショナル・ビジネス・マシンズ (IBM) と改称。IBMはタビュレーティングマシンの改良を進めていった。 1950年代に電子式コンピュータが製品化されてからもタビュレーティングマシンは広く使われ続けた。なお、パワーズ会計機も1927年にレミントンランドに買収され、スペリーによる買収を経て現在のユニシスに至る。 タビュレーティングマシンの用途の多くは、IBM 1401 などのコンピュータに置き換えられていった。FARGOとRPGというプログラミング言語は、そのような移行のために開発された。タビュレータの制御パネル︵プラグボード︶はマシンサイクルに基づいているので、FARGOとRPGはマシンサイクルの記法をエミュレートしており、プログラミング教材はプラグボードと言語のコーディングシートの関係を示していた。操作[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b7/IBM402plugboard.Shrigley.wireside.jpg/200px-IBM402plugboard.Shrigley.wireside.jpg)
SELECT(フィ
ルタ列)
、次に絞り込むWHERE(フィルタカード、または行﹂)
、次に合計とカウントのGROUP BY
、次にソートのSORT BY
、そして必要に応じて別のSELECT
とWHERE
のサイクルにそれらをフィードバックすることができる。人間のオペレータは、各段階で様々なカードデッキを取り出し、ロードし、保存しなければならなかった。
いくつかの作表機[編集]
前身のタビュレーティング・マシーン・カンパニー︵TMC︶の機種も含めて、IBM会計機︵長方形穴の80欄カード使用︶には次のような機種があった。 ●最初のTMC会計機の読取り速度は毎分150枚。[11] ●TMC Type IV︵後にIBM 301︶ ●IBM 401 (1933年) ●IBM 405 (1934年) ●IBM 402 & 403 (1948年) ●IBM 407 (1949年) - 日本でも広く使われて、またその印刷技術は後にIBM 700/7000シリーズのIBM 716プリンターにも使われた。 ●IBM 421 (1960年代) など 前身のレミントンランドの機種も含めて、UNIVAC作表機︵丸穴の90欄カード使用︶には次の機種があった。 ●Remington Rand 409 (1949年) ●UNIVAC 60作表機 (1952年) ●UNIVAC 120作表機 (1953年) ●UNIVAC 1004作表機 (1962年) など この他に、パワーズ会計機会社︵Powers Accounting Machine、後にUNIVACへ合併︶、英国作表機会社︵British Tabulating Machine Company、後にICLへ合併︶、東芝、富士通なども作表機を出していた。その他[編集]
﹁スーパーコンピューティング﹂という言葉は1931年、ニューヨークワールド紙がIBMがコロンビア大学に納入した大型特製タビュレータを指して使ったのが最初である[12]。関連項目[編集]
外部リンク[編集]
脚注・出典[編集]
- ^ Columbia University Computing History - Herman Hollerith
- ^ Truedsell, Leon E. (1965). The Development of Punch Card Tabulation in the Bureau of the Census 1890-1940. US GPO. p. 51
- ^ [-245-] An Electric Tabulating System, The Quarterly, Columbia University School of Mines, Vol.X No.16 (April 1889)
- ^ IBM Archive: Hollerith Tabulator & Sorter Box
- ^ U.S. Census Bureau: The Hollerith Machine
- ^ a b U.S. Census Bureau: Tabulation and Processing
- ^ Truesdell, Leon E. (1965). The Development of Punch Card Tabulation in the Bureau of the Census 1890-1940. US GPO
- ^ IBM Tabulators and Accounting Machines
- ^ IBM Archive: 1906
- ^ “IBM Archives: 1920”. IBM. 2012年7月2日閲覧。
- ^ 最初の会計機(1906)
- ^ Eames, Charles; Eames, Ray (1973). A Computer Perspective. Cambridge, Mass: Harvard University Press. p. 95 なお、95ページにある1920年という日付は間違っている。詳しくは The Columbia Difference Tabulator - 1931 を参照