「傷痍軍人」の版間の差分
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[[21世紀]]となって、日本における傷痍軍人は既に亡くなった者が多いが、生存者に対する慰労や補償とともに、物故者に対する慰霊や顕彰、遺族補償の問題は未だ大きな問題となっている。 |
[[21世紀]]となって、日本における傷痍軍人は既に亡くなった者が多いが、生存者に対する慰労や補償とともに、物故者に対する慰霊や顕彰、遺族補償の問題は未だ大きな問題となっている。 |
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外地出身の傷痍軍人に対する補償と諸問題については、[[朝鮮人日本兵#|朝鮮人日本兵の補償と諸問題]]及び[[台湾人日本兵#経過|台湾人日本兵の補償と諸問題]]の項目を参照 |
外地出身の傷痍軍人に対する補償と諸問題については、[[朝鮮人日本兵#|朝鮮人日本兵の補償と諸問題]]及び[[台湾人日本兵#経過|台湾人日本兵の補償と諸問題]]の項目を参照。 |
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傷痍軍人と呼ばれた戦傷兵の収容と看護は、法の成立・改正により次のような変遷を経ている。日露戦争は開戦2年で大量の傷病兵が[[本土]]へ帰還したため、[[1906年]](明治39年)4月の廃兵院法成立後、[[廃兵院]]が各地に設けられた。[[1934年]](昭和9年)3月の傷兵院法によって廃兵院は傷兵院と改称され、[[1938年]](昭和13年)[[厚生省]]が設けられ、傷兵院は厚生省外局の[[傷兵保護院]]に所属とした。その翌年には傷兵保護院は軍事保護院に改称され、付属として各地に傷痍軍人療養所が併設された。 |
傷痍軍人と呼ばれた戦傷兵の収容と看護は、法の成立・改正により次のような変遷を経ている。日露戦争は開戦2年で大量の傷病兵が[[本土]]へ帰還したため、[[1906年]](明治39年)4月の廃兵院法成立後、[[廃兵院]]が各地に設けられた。[[1934年]](昭和9年)3月の傷兵院法によって廃兵院は傷兵院と改称され、[[1938年]](昭和13年)[[厚生省]]が設けられ、傷兵院は厚生省外局の[[傷兵保護院]]に所属とした。その翌年には傷兵保護院は軍事保護院に改称され、付属として各地に傷痍軍人療養所が併設された。 |
2023年8月20日 (日) 14:32時点における版
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概要
戦争、紛争などの武力衝突は、必然的に死者、負傷者を生み出す。戦傷は復員後も健康や生活に大きく影響する。傷痍軍人には早くに亡くなる者、生涯を通じて病や不自由に悩む者も多く、古くは古代ギリシャ時代から社会問題となっている。特に近代戦は、大量の戦傷者を生みだす傾向がある。戦時中は国家全体の気分が高揚し、﹁名誉の負傷﹂などと呼ばれ、地域社会や家族が傷痍軍人の世話や援助を自主的に行う傾向が強いが、戦争が終了すると、戦争に対する熱が急速に冷め、傷痍軍人に対する社会的援助や支援も衰える傾向にある。身体に障害を受けた傷痍軍人は復員後に定職に就くことが難しく、社会の最貧層に転落し、乞食に身をやつしたり犯罪に手を染める者もおり、しばしば大きな社会問題となった。そのため時の政府は慰労及び補償のため、軍人恩給や療養施設︵例‥フランスの廃兵院︶などの制度を整備し、社会的な不安の解消に務めてきた。-
第一次世界大戦後のアメリカの傷痍軍人。1918年撮影。
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イギリスの傷痍軍人。エイドリアン・カートン・デ・ウィアート。第二次世界大戦中撮影。
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第二次世界大戦後のドイツの傷痍軍人。1946年撮影。
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第二次世界大戦後のドイツの傷痍軍人。カバンには﹁私の居場所を作る手助けを﹂と書かれている。1949年撮影。
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イラク戦争後のアメリカの傷痍軍人。タミー・ダックワース。
日本の傷痍軍人
傷痍疾病等差
正しくは陸︵海︶軍人軍属傷痍疾病等差。軍人軍属の傷痍疾病は原因によって一等症および二等症に区分された。 一等症は ●公務によって傷痍を受け、または疾病に罹ったとき ●恩給法に該当する流行病に罹ったとき ●軍人軍属たる特別な事情に関連して生じた不慮の災厄によって傷痍を受け、または疾病に罹り、部隊長において公務に準ずべきものと認めたとき ●以上各号の傷痍疾病一旦治癒の後再発したとき 一等症は現認証明書︵大正12年閣令7別紙14号書式︶、事実証明書︵同︶など、傷痍疾病の原因を証明するに足る公文書で証明すべきである。 二等症は ●一等症以外の原因によって傷痍を受け、または疾病に罹ったとき ●前号の傷痍疾病一旦治癒の後再発したとき傷痍軍人が大きな社会問題となった戦争
●ナポレオン戦争 ●南北戦争 ●日露戦争 ●第一次世界大戦 ●第二次世界大戦 ●ベトナム戦争派生した表現
1960年代から1970年代日本での新左翼過激派全盛期に、機動隊との衝突や党派間での内ゲバ、内々ゲバで著しい後遺症、身体障害を負い活動を離れた︵召還︶元活動家を﹁傷痍軍人﹂と表現することがある。傷痍軍人をテーマとした作品
●芋虫 - 江戸川乱歩、1929年 ●ジョニーは戦場へ行った - ドルトン・トランボ、1939年 ●泣いてたまるか - テレビドラマ第63話 、1967年 ●犬神家の一族 - 横溝正史 、1972年 ●7月4日に生まれて - ベトナム戦争の傷痍軍人を扱ったトム・クルーズ主演の映画、1989年 ●キャタピラー - 若松孝二、2010年関連項目
●日本の戦傷病者収容組織の変遷‥廃兵院 - 傷兵院 - 傷痍軍人療養所 - 国立療養所 - 国立病院機構 ●朝鮮人日本兵 - 講和後に日本の外国人とされ、手当の対象外とされた。 ●退役軍人 ●在郷軍人 ●山本五十六 - 1938年︵昭和13年︶に傷痍軍人記章の第一号受勲者。 ●還送患者 ●しょうけい館 - 厚生労働省による戦傷病者史料館。 ●尋ね人の時間 ●水木しげる - ラバウルの戦闘で左腕を失った。 ●春風亭柳昇 ●西都ハロー・ジロー - 兄弟漫才師、ジローは従軍で右手を失っている。戦後も義手で漫才を続けた。 ●ラッキー島津 - 戦闘で指を失った梯子を使った曲芸の芸人。 ●アメリカ傷痍軍人会 ●澪つくし - 登場人物の1人が、作中最終週の復員時に登場する。 ●とと姉ちゃん - 作中で傷痍軍人が登場する。 ●ストーク・マンデヴィル・ホスピタル ●パラリンピック ●救世軍 - 軍服調の制服を着用して活動しているキリスト教会の一派。救世軍の活動が浸透していなかったころは、﹁社会鍋﹂などの募金活動が傷痍軍人によるものと間違われることもあった。脚注
- ^ “コトバンク - 傷痍軍人(読み)しょういぐんじん”. 2021年8月13日閲覧。
- ^ ETV特集戦傷病者の長い戦後
- ^ “日本傷痍軍人会が解散式 会員の減少、高齢化で”. 共同通信社. 47NEWS. (2013年10月3日) 2014年5月1日閲覧。
- ^ 「傷痍軍人、厚生省に押掛く」『日本経済新聞』昭和25年12月24日2面
外部リンク
- しょうけい館(戦傷病者資料館) - 厚生労働省
- 傷痍軍人に関する論文 - CiNii