堂林翔太
表示
広島東洋カープ #7 | |
---|---|
![]() 2013年7月30日、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にて | |
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
出身地 | 愛知県豊田市 |
生年月日 | 1991年8月17日(32歳) |
身長 体重 |
183 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手、外野手、一塁手 |
プロ入り | 2009年 ドラフト2位 |
初出場 | 2012年3月30日 |
年俸 | 1,830万円(2016年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
堂林 翔太(どうばやし しょうた、1991年8月17日 - )は、広島東洋カープに所属する愛知県豊田市出身のプロ野球選手(内野手)。妻はフリーアナウンサーの枡田絵理奈。
経歴・人物
プロ入り前
小学校2年時に﹁豊田リトル﹂で野球を始める。
中学時代は﹁豊田シニア﹂に所属し、投手兼遊撃手だった。宮城県で開催された国際大会で名古屋北シニアの補強選手として出場し、この時、東北選抜との試合で菊池雄星︵現・西武︶と対戦している。中京大中京高校に進学すると1年春から投手としてベンチ入り。1年秋から2年夏までは打力を買われて一塁手のレギュラーになる。2年春には選抜大会に出場するも試合出場はなし。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/42/2009chukyo_dobayashi.jpg/220px-2009chukyo_dobayashi.jpg)
2009年8月12日 全国高校選手権大会(阪神甲子園球場) 中京大 中京 堂林翔太投手
2年夏は愛知大会で敗退。新チームとなった秋からエースで4番を任され、東海大会を全4試合完投するなど安定した投球で優勝しセンバツの切符を手にする。3年春の第81回選抜高等学校野球大会では準々決勝で報徳学園に9回までリードしながら敗れベスト8。打撃では打率.584、4打点を記録した。
3年夏の第91回全国高等学校野球選手権大会ではエース兼4番として投打でチームを牽引し、打率.522、12打点、1大会通算最多タイとなる6二塁打を記録。当時は多彩なテクニックに加え、強じんな足腰とバネ、冷静なプレイスタイルを持っていながら心を持たず勝利のみを追求していたため、﹁ベースボールサイボーグ﹂の異名をとった。日本文理高校との決勝では右中間に先制2ランホームランを放つなど、同校の史上最多7度目となる夏の甲子園優勝に大きく貢献したが、途中で降板して右翼手に回り、優勝投手にはなれなかった。﹁最後まで投げたかったんですけど…、ホント済みませんでした。﹂と、試合終了後の優勝インタビューでは敗戦したかのように、悔し涙を流し声を詰まらせながら謝罪をした。高校通算13本塁打。
高校の2学年先輩に阪神タイガースの伊藤隼太、1学年先輩にフィギュアスケートの浅田真央、1学年後輩に後にカープのチームメイトとなる磯村嘉孝、FCザンクトパウリの宮市亮、SKE48の梅本まどかがいる。
2009年のプロ野球ドラフト会議では、一塁手や三塁手としての育成を視野に入れていた広島東洋カープから、内野手として2巡目で指名。契約金7000万円、年俸700万円︵金額は推定︶という条件で入団した。なお、ニューヨーク・ヤンキースのアレックス・ロドリゲスのような選手になって欲しいという期待[1]から、背番号はロドリゲスと同じ﹁13﹂を着用。広島で背番号13を付けた野手は、1964年のロナルド大森︵内野手︶以来である[2]。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/42/2009chukyo_dobayashi.jpg/220px-2009chukyo_dobayashi.jpg)
プロ入り後
2010年
野手としての経験を積む目的で、二軍生活に終始した。ウエスタン・リーグ公式戦では、100試合の出場で規定打席に到達。打率.203、7本塁打、32打点という成績を残す一方で、三塁手として18失策を記録した。7月22日には、同リーグの監督推薦選手として出場したフレッシュオールスターゲーム︵長崎ビッグNスタジアム︶7回裏の打席で、イースタン・リーグ選抜の林啓介︵千葉ロッテマリーンズ︶から本塁打を放っている[3]。
2011年
前年に続いて、シーズンを二軍で過ごした。ウエスタン・リーグの公式戦には、103試合に出場。打撃面では、打率.208、1本塁打、23打点という成績にとどまった。さらに、三塁手として16失策、遊撃手として10失策を記録した。
2012年
春季キャンプ中から一軍監督の野村謙二郎にマンツーマンで打撃指導を受ける[4]ほどの期待を背景に、公式戦の開幕を初めて一軍で迎えた。3月30日には、地元のナゴヤドームで催された中日ドラゴンズとの開幕戦に、﹁7番・三塁手﹂としてスタメンで一軍デビュー。8回に初安打を記録した[5]。4月24日の対阪神タイガース戦で8回にランディ・メッセンジャーからプロ初本塁打を甲子園のバックスクリーン右に放った[6]。オールスターゲームでは、最後の1人を決める投票﹁SKYACTIV TECHNOLOGY プラスワン ドリーム投票﹂で選出され[7]、6打席無安打ながら全3試合に出場、第2戦では﹁1番・三塁手﹂で先発出場を果たした。7月25日のヤクルト戦で石川雅規からプロ入り初の二桁本塁打となる10号本塁打を放つ。高卒3年目での二桁本塁打は球団では江藤智、前田智徳以来3人目[8]。全試合出場を果たすものの、両リーグワーストの29失策、150三振、得点圏打率.192と課題が残った。150三振は広島の球団最多記録︵今までの最多三振はアンディ・シーツの139三振︶を更新するもので、シーズン終了後にマツダスタジアム内で三振に倒れる堂林の姿を集めた写真展が開かれた[9]。オフの11月6日に、﹁侍ジャパンマッチ2012﹁日本代表VSキューバ代表﹂﹂の日本代表が発表され[10]代表入りした[11]。ここでは、代打で出場し三塁打を放った[12]。契約更改では、1000万円増の1700万円で更改し、野村が現役時代につけていた背番号﹁7﹂へ変更。
2013年
6月23日、この日まで打率.218と低迷していたが、対東京ヤクルト戦︵マツダ︶で、3対4で迎えた9回1死二塁、山本哲哉からプロ入り初のサヨナラ本塁打を放つ[13]。8月20日の対中日戦︵長良川球場︶の2回裏の第1打席で死球を受け途中交代[14]、その後8月23日に左手第3中手骨骨折と診断され、同日に登録抹消されている。
2014年
キャンプから外野手、更には高校でも守っていた一塁手に挑戦した。4月2日の対東京ヤクルト戦で同点の延長12回裏にバーネットからプロ入り2本目のサヨナラ本塁打を放つ。しかし、5月9日のヤクルト戦で右手薬指を骨折するなど[15]前年同様打撃の調子が上がらずレギュラー確保には至らなかった。
かねてより交際宣言していたTBSアナウンサーの枡田絵理奈と結婚することが11月5日に判明し[16]、12月25日に枡田との婚姻届を提出した[17]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | 広島 | 144 | 554 | 488 | 60 | 118 | 25 | 4 | 14 | 193 | 45 | 5 | 2 | 5 | 3 | 44 | 2 | 14 | 150 | 8 | .242 | .321 | .395 | .718 |
2013 | 105 | 410 | 364 | 36 | 79 | 14 | 0 | 6 | 111 | 41 | 10 | 2 | 5 | 1 | 33 | 0 | 7 | 96 | 10 | .217 | .294 | .305 | .599 | |
2014 | 93 | 330 | 284 | 37 | 70 | 12 | 1 | 8 | 108 | 28 | 1 | 1 | 5 | 3 | 32 | 0 | 6 | 87 | 3 | .246 | .332 | .380 | .713 | |
2015 | 33 | 73 | 69 | 5 | 18 | 2 | 0 | 0 | 20 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 16 | 1 | .261 | .292 | .290 | .582 | |
NPB:4年 | 375 | 1367 | 1205 | 138 | 285 | 53 | 5 | 28 | 432 | 117 | 17 | 5 | 16 | 7 | 112 | 2 | 27 | 349 | 22 | .237 | .314 | .359 | .675 |
- 2015年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
年 | 一塁 | 三塁 | 外野 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2012 | - | 143 | 76 | 278 | 29 | 17 | .924 | - | ||||||||||
2013 | - | 105 | 68 | 210 | 19 | 18 | .936 | - | ||||||||||
2014 | 9 | 21 | 2 | 0 | 4 | 1.000 | 34 | 23 | 61 | 4 | 5 | .955 | 47 | 61 | 0 | 4 | 0 | .938 |
通算 | 9 | 21 | 2 | 0 | 4 | 1.000 | 282 | 167 | 549 | 52 | 40 | .932 | 47 | 61 | 0 | 4 | 0 | .938 |
- 2014年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2012年3月30日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、7番・三塁手で先発出場
- 初打席:同上、3回表に吉見一起から捕邪飛
- 初安打:同上、8回表に吉見一起から左翼線二塁打
- 初打点:2012年4月12日、対阪神タイガース3回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回裏に安藤優也から左前先制適時打
- 初本塁打:2012年4月24日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)、8回表にランディ・メッセンジャーから中越先制決勝ソロ
- 初盗塁:2012年6月5日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(札幌ドーム)、2回表に二盗(投手:吉川光夫、捕手:鶴岡慎也)
- その他記録
背番号
- 13 (2010年 - 2012年)
- 7 (2013年 - )
登場曲
- 「Real World」EXILE(2012年)
- 「スピリッツ」いきものがかり(2012年途中)
- 「Happy Song」西野カナ(2013年開幕 - 4月中旬)
- 「あの虹」カミナリグモ(2012年途中 - 同年終了迄。 2013年4月途中 - 5月)
- 「BE TOGETHER」鈴木亜美(2013途中 - 同年6月21日)
- 「ひまわり」TUBE(2013年6月22日 - 同年終了迄)
- 「Fly Away」堂珍嘉邦(2014年)
代表歴
脚注
(一)^ ““A・ロッド”堂林がV弾!背番号に込められた思い開花”. スポーツニッポン (2012年4月25日). 2012年5月13日閲覧。
(二)^ 広島東洋カープ 背番号13 - 背番号Maniax
(三)^ 2010年度フレッシュオールスター・ゲーム 試合結果
(四)^ ““鯉のプリンス”堂林、初の開幕1軍”. デイリースポーツ. (2012年3月26日) 2012年3月27日閲覧。[リンク切れ]
(五)^ “堂林がプロ初安打!スタメン抜てき応えた”. デイリースポーツ. (2012年3月31日) 2012年3月31日閲覧。[リンク切れ]
(六)^ “堂林1号!甲子園優勝投手が甲子園で!”. デイリースポーツ. (2012年4月25日) 2012年4月26日閲覧。[リンク切れ]
(七)^ “堂林カープ野手史上最年少で初球宴!”. デイリースポーツ. (2012年7月12日) 2012年7月13日閲覧。[リンク切れ]
(八)^ “堂林10号同点弾!江藤、前田智に並ぶ”. デイリースポーツ. (2012年7月26日) 2012年7月28日閲覧。[リンク切れ]
(九)^ “堂林選手の三振写真展始まる”. 中国新聞. (2012年10月25日) 2012年11月3日閲覧。[リンク切れ]
(十)^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
(11)^ 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
(12)^ “堂林、侍初安打が特大三塁打!浩二監督も絶賛”. スポーツ報知. (2012年11月19日) 2013年2月21日閲覧。[リンク切れ]
(13)^ 堂林 プロ初のサヨナラ本塁打﹁すごく気持ちよかったです﹂スポーツニッポン2013年6月23日配信
(14)^ 堂林 死球で途中交代 左手の打撲、骨に異常なしスポーツニッポン2013年8月20日配信
(15)^ 広島堂林が右手薬指骨折プレーまで7週間 日刊スポーツ2014年5月10日配信
(16)^ ﹁年内結婚へ 番組で生報告﹂ ORICON STYLE 2014年11月6日閲覧
(17)^ 広島堂林、TBS枡田アナが婚姻届提出 日刊スポーツ 2014年12月25日閲覧
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 堂林翔太 - NPB.jp 日本野球機構
- 堂林翔太オフィシャルブログ「翔」