大韓民国陸軍
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歴史
1945年8月15日、大日本帝国の敗戦による朝鮮統治終了にともない、混乱乗じて各地において大小さまざまな武装組織や政党が次第にではあるが現れてきた。
米軍政期の間に軽装備の南朝鮮国防警備隊︵旧日本軍の置き土産でもある三八式歩兵銃や九九式短小銃、中には竹槍で一時を凌いだ部隊もあり、制服や靴は員数分も満足に無く日々の食事にも困ることもあった。しかし当時の韓国国家警察はカービン銃をはじめ、戦車以外の必要な装備はアメリカ軍から与えられていた︶が米軍当局の監督の元に創設。軍事英語学校︵後の警備士官学校/陸軍士官学校︶において旧日本陸軍や旧満州国軍で士官・下士官経験のある者たちと光復軍系列の人士を主軸に軍事教育を施し、将来の国軍の礎としてあらゆる努力が注がれた。
やがて、朝鮮戦争を経て近代陸軍へと進化、ベトナム戦争にも派兵した。戦中にはタイヴィン虐殺、タイビン村虐殺事件、ゴダイの虐殺などの戦争犯罪を引き起こした。ただ、朝鮮戦争後は軍人︵特に陸軍系統︶の発言力が増し、政治的活動に傾倒する高級軍人が次第に台頭してきた。やがてそれは幾多のクーデター事件や反共活動の激化、学生運動や労使活動に対する弾圧を生み出す土壌となった。
朴正煕政権が倒れてからは次第に︵あるいは表面的には︶強権的な一面は鳴りを潜めつつあったが、光州事件が発生。軍に対する国民の目が一層厳しくなる結果となった。
1980年代後半からは、漸進的に近代化を図っており、それまでアメリカからの供与に頼っていた装備を続々と国内開発の兵器に代替しているほか、経済借款返還の一環として、西側諸国では珍しくロシア製の装備を主力部隊に配備している。
年表
●1945年8月15日‥大日本帝国降伏。
●1948年9月5日‥南朝鮮国防警備隊から韓国陸軍へ改編[1]。
●1950年6月25日‥朝鮮戦争勃発。
●1953年7月27日:休戦。
●1965年10月‥ベトナム戦争に参戦。首都師団(en)(猛虎師団)[2]、青龍師団[3]、白馬師団[4]を派遣。派遣部隊は逐次、増強された。
●1968年1月21日‥青瓦台襲撃未遂事件発生。
●1973年3月23日‥ベトナムから完全撤兵。
●1976年8月18日‥ポプラ事件発生。
●1996年9月18日‥江陵浸透事件発生。
●1997年11月7日‥掃討作戦完了。
●2003年‥イラクに多国籍軍として600名を派遣。
●2004年2月23日:イラク派遣部隊、アメリカからの要請により2,800名規模に増強︵その後3,600名︶。ザイトゥーン部隊︵イラク平和再建師団︶に改編される。
海外派兵/PKO/PKF
組織
2011年時点の兵力は約520,000人。
軍令機関
教育学校機関
主要作戦機関
主要軍政機関
現在の編成
陸軍参謀総長が指揮する陸軍本部のもとに3個野戦軍を主軸に次の組織が所属する。
●第1軍司令部 軍事境界線防衛︵東部戦線︶
●第2軍団︵3個師団、司令部‥江原道春川市︶
●第3軍団︵3個師団、司令部‥江原道麟蹄郡︶
●第8軍団︵3個師団、司令部‥江原道襄陽郡︶
●第2軍司令部 後方地域防衛
●第9軍団︵4個師団、司令部‥大田広域市︶
●第11軍団︵3個師団、司令部‥慶尚南道昌寧郡︶
●第3軍司令部 軍事境界線防衛︵西部戦線︶
●首都軍団︵2個師団︵海兵隊1個師団を含む︶、司令部‥京畿道安養市︶
●第1軍団︵4個師団、司令部‥京畿道高陽市︶
●第5軍団︵4個師団、司令部‥京畿道抱川市︶
●第6軍団︵3個師団、司令部‥京畿道富川市︶
●第7軍団︵2個師団、司令部‥京畿道利川市︶
●首都防衛司令部 首都ソウル防衛を目的とする大統領直属部隊の司令部。
●特殊戦司令部 情報収集、特殊作戦を統括する司令部。特戦司︵とくせんし︶とも呼ばれる。7個特殊作戦旅団を有する。隷下の特殊作戦旅団は﹁ブラックベレー﹂とも呼ばれる。自衛隊の中央即応集団に相当する。
●航空作戦司令部 第1航空旅団︵ヘリコプターを集中運用する︶
歴代参謀総長
陸軍参謀総長は15代のキム・ジョンオ以降現在まで陸軍大将の指定職となっている。
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 概暦 |
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1 | 李應俊(이응준、イ・ウンジュン) | 1948.12.15 - 1949.5.8 | 日本陸軍士官学校(第26期、1914年) 軍事英語学校(軍番110番、1946年) |
1892年漢城(ソウル)生まれ。日本陸軍大佐。 |
2 | 蔡秉徳(채병덕、チェ・ビョンドク) | 1949.5.9 - 1949.9.30 | 日本陸軍士官学校(第49期、1935年) 軍事英語学校(軍番2番、1946年) |
1914年平壌生まれ。日本陸軍中佐。朝鮮戦争開戦時の参謀総長。緒戦の大敗により解任される。河東峠の戦いにおいて戦死。 |
3 | 申泰英(신태영、シン・テヨン) | 1949.10.1 - 1950.4.9 | 韓国陸軍幼年学校 日本陸軍中央幼年学校 日本陸軍士官学校(第26期、1914年) |
1919年京城(ソウル)生まれ。日本陸軍中佐。のちに、国防長官を務める。 |
4 | 蔡秉徳(채병덕、チェ・ビョンドク) | 1950.4.10 - 1950.6.29 | - | 2度目の就任。 |
5 | 丁一権(정일권、チョン・イルクォン) | 1950.6.30 - 1951.6.22 | 満州国陸軍軍官学校から日本陸軍士官学校留学(陸士第55期相当、1941年) 軍事英語学校(軍番5番、1946年) |
1917年生まれ。満州軍大尉。朝鮮戦争では韓国軍を持ちこたえさせて反撃に転じさせる。 |
6 | 李鍾贊(이종찬、イ・ジョンチャン) | 1951.6.23 - 1952.7.22 | 日本陸軍士官学校(第49期、1937年) | 1916年京城(ソウル)生まれ。日本陸軍中佐。朝鮮戦争当時は第3師団長として活躍。日本の軍人勅諭の教えに沿って韓国軍軍人の政治的中立性を強く説く。 |
7 | 白善燁(백선엽、ペク・ソンヨプ) | 1952.7.23 - 1954.2.13 | 満州国陸軍軍官学校(1941年) 軍事英語学校(軍番54番、1946年) |
1920年生まれ。韓国軍で初代4つ星の大将になり、軍の近代化に尽力する。1959年には連合参謀会議議長となる。1995年に日本から勲一等瑞宝章を贈られる。 |
8 | 丁一権(정일권、チョン・イルクォン) | 1954.2.14 - 1956.6.26 | - | 2度目の就任。 |
9 | 李亨根(이형근、イ・ヒョングン) | 1956.6.27 - 1957.5.17 | 日本陸軍士官学校(第56期、1942年) 軍事英語学校(軍番1番、1946年) |
1920年生まれ。日本陸軍少佐。白善燁と同じ時期に韓国軍大将になり、三軍(陸・海・空)の初代合同参謀総長。南北休戦会談の韓国軍代表。軍の非政治化と陸軍内での軍人精神保存に尽力する。初代参謀総長の李應俊は義理の父に当たる。 |
10 | 白善燁(백선엽、ペク・ソンヨプ) | 1957.5.18 - 1959.2.22 | - | 2度目の就任。 |
11 | 宋尭讃(송요찬、ソン・ヨチャン) | 1959.2.23 - 1960.5.22 | 志願兵出身(第2期) 軍事英語学校(軍番96番、1946年) |
日本軍准尉。参謀総長在任中には戒厳司令官として治安維持に当たる。軍人年金制度確立に尽力する。 |
12 | 崔栄喜(최영희、チェ・ヨンヒ) | 1960.5.23 - 1960.8.28 | 専修大学法学部卒(1944年) 日本陸軍工兵学校 軍事英語学校(軍番51番、1946年) |
1921年京城(ソウル)生まれ。日本陸軍工兵少尉。朝鮮戦争では歩兵第1師団長、歩兵第8師団長として功績を挙げる。 |
13 | 崔慶禄(최경록、チェ・ギョンロク) | 1960.8.29 - 1961.2.16 | 軍事英語学校(軍番11番、1946年) | 1920年生まれ。 日本軍准尉。朝鮮戦争中は歩兵第11連隊長として功績を挙げる。参謀総長在任中は韓国軍最初の大規模機動訓練を実施した。のちに、駐英大使・運輸長官・駐日大使を歴任。 |
14 | 張都暎(장도영、チャン・ドヨン) | 1961.2.17 - 1961.6.5 | 軍事英語学校(軍番80番、1946年) | 1923年生まれ。東洋大学卒。日本軍少尉。朝鮮戦争中は歩兵第6師団長、第5師団長として功績を挙げる。参謀総長在任間は「学徒軍事訓練教官団」を創設する。朴正煕少将等と5・16軍事クーデターを起こし政権を掌握するが、失脚する |
15 | 金鍾五(김종오、キム・ジョンオ) | 1961.6.6 - 1963.5.31 | 軍事英語学校(軍番31番、1946年) | 1921年生まれ。日本軍少尉(日本中央大学在学中に学徒出陣)。朝鮮戦争中は歩兵第9師団長として激戦を指揮する。 |
16 | 閔キ植(ミン・ギシク、민기식) | 1963.6.1 - 1965.3.31 | 満州建国大学卒 軍事英語学校(軍番18番、1946年) |
1921年生まれ。日本軍少尉。朝鮮戦争中は歩兵第7師団長、歩兵第5師団長として作戦を指揮する。1965年3月以降のベトナム派兵を指揮する。 |
17 | 金容培(김용배、キム・ヨンベ) | 1965.4.1 - 1966.9.1 | 京城法学専門学校卒 軍事英語学校(軍番77番、1946年) |
1923年ソウルで生まれ。日本軍少尉。参謀総長在任中はベトナム派兵を指揮する。また、短期幹部候補生制度を新設する。 |
18 | 金桂元(김계원、キム・ケウォン) | 1966.9.2 - 1969.8.31 | 延禧専門学校卒 軍事英語学校(軍番35番、1946年) |
1923年生まれ。日本軍少尉。1978年に大統領秘書室長になり、1979年の10・26事件で死刑判決を受けたが、後に無期懲役に減刑される。 |
19 | ソ・ジョンチョル(서종철) | 1969.9.1 - 1972.6.1 | 韓国陸軍士官学校(第1期、1946年) | 1924年生まれ。参謀総長在任中は、士官学校の統合や陸軍改編を行う。 |
20 | 盧戴鉉(노재현、ノ・ジェヒョン) | 1972.6. 2- 1975.2.28 | 韓国陸軍士官学校(第3期、1947年) | 1926年生まれ。朝鮮戦争中は砲兵大隊長。 |
21 | 李世コウ(이세호、イ・セホ) | 1975.3.1 - 1979.1.31 | 韓国陸軍士官学校(第2期、1946年) | 1925年京畿道開城生まれ。朝鮮戦争中は第8師団参謀長。 |
22 | 鄭昇和(정승화、チョン・スンファ) | 1979.2.1 - 1979.12.12 | 韓国陸軍士官学校(第5期、1948年) | 1926年生まれ。第7師団長、第3軍団長、陸軍士官学校長等を歴任する。1979年の10・26事件直後に敷かれた戒厳令下で戒厳司令官を兼務するが、保安司令官全斗煥少将により逮捕される(粛軍クーデター)。 |
23 | イ・ヒソン(이희성) | 1979.12.13 - 1981.12.15 | 韓国陸軍士官学校(第8期、1949年) | 1924年生まれ。参謀総長在任中は、漢方医を軍医に採用した。 |
24 | 黄永時(황영시、ファン・ヨンシ) | 1981.12.16 - 1983.12.15 | 韓国陸軍士官学校(第10期、1950年) | 1926年慶尚北道生まれ。後に監査院長を務めた。後に、粛軍クーデターと光州事件における流血鎮圧で、懲役8年の有罪を受けるも特赦。 |
25 | 鄭鎬容(정호용、チョン・コヨン) | 1983.12.16 - 1985.12.15 | 韓国陸軍士官学校(第11期、1955年) | 1932年大邱生まれ。 |
26 | パク・ヒド(박희도) | 1985.12.16 - 1988.6.11 | 韓国陸軍士官学校(第12期、1956年) | 1934年生まれ。参謀総長在任中は、第8・第9・第11軍団を創設して東海岸及び後方地域の防御を補強する。後に盧泰愚大統領に更迭される。 |
27 | イ・ジョング(이종구) | 1988.6.12 - 1990.6.10 | 韓国陸軍士官学校(第14期、1958年) | 1935年生まれ。1988年のソウルオリンピックを最大限支援する。 |
28 | イ・ジンサム(이진삼) | 1990.6.11 - 1991.12.5 | 韓国陸軍士官学校(第15期、1959年) | 1936年生まれ。東國大學校で修士号取得。参謀総長在任中は、陸軍にLAN構築を進めた。 |
29 | キム・ジニョン(김진영) | 1991.12.6 - 1993.3.8 | 韓国陸軍士官学校(第17期、1960年) | 1939年生まれ。 |
30 | キム・ドンジン(김동진) | 1993.3.9 - 1994.12.26 | 韓国陸軍士官学校(第17期、1961年) | 1938年京城(ソウル)生まれ。。 |
31 | ユン・ヨンナム(윤용남) | 1994.12.27 - 1996.10.18 | 韓国陸軍士官学校(第19期、1963年) | 1940年生まれ。 |
32 | ト・イルギュ(도일규) | 1996.10.19 - 1998.3.27 | 韓国陸軍士官学校(第20期、1964年) | 1940年生まれ。 |
33 | キム・ドンシン(김동신) | 1998.3.28 - 1999.10.27 | 韓国陸軍士官学校(第21期、1965年) | 1941年生まれ。東ティモールPKOに韓国軍を派遣する。後に国防長官を務める。 |
34 | キム・ヒョンボ(길형보) | 1999.10.28 - 2001.10.21 | 韓国陸軍士官学校(第22期、1966年) | 1942年生まれ。 |
35 | キム・パンギュ(김판규) | 2001.10.13 - 2003.4.6 | 韓国陸軍士官学校 (第24期、1968年) | 1943年生まれ。参謀総長在任中はPKOへの韓国軍派遣を推進する。 |
36 | 南在俊(남재준、ナム・ジェジュン) | 2003.4.7 - 2005.4.7 | 韓国陸軍士官学校(第25期、1969年) | 1944年生まれ。趣味は山登り、漢文の素養もある。大佐時代は連隊長等を、准将時代は歩兵学校教授部長等を、少将時代は第6師団長等を、中将時代は首都防衛司令官等を、大将時代は韓米連合司令部副司令官等を務める。 |
37 | 金章洙(김장수、キム・ジャンス) | 2005.4.7 - 2006.11.7 | 韓国陸軍士官学校(第27期、1971年) | 後に国防長官や国会議員を務める。 |
38 | パク・フンリョル(박흥렬) | 2006.11.17 - 2008.3.21 | 韓国陸軍士官学校(第28期、1972年) | 1949年釜山生まれ。大田大学行政学名誉博士 |
39 | 任忠彬(임충빈、イム・チュンビン) | 2008.3.21 - 2009.9.21 | 韓国陸軍士官学校(第29期、1973年) | 1985年に東國大學校で修士号取得。 |
40 | 韓民求(한민구、ハン・ミング) | 2009.9.21 - 2010.6.18 | 韓国陸軍士官学校(第31期、1975年) | 1951年忠北清原生まれ。1992年に延世大学行政大学院修了。後に合同参謀議長を務める。 |
41 | 黄義敦(황의돈、ファン・ウイドン) | 2010.6.18 - 2010.12.14 | 韓国陸軍士官学校(第31期、1975年) | 1953年江原原州生まれ。不動産投機疑惑で辞任。 |
42 | 金相基(김상기、キム・サンギ) | 2010.12.16 - 2012.10.11 | 韓国陸軍士官学校(第32期、1976年) | 1952年慶北浦項生まれ。2009年に高麗大学で行政学の博士号を取得。 |
43 | 曺晶煥(조정환、ジョ・ジョンファン) | 2012.10.11 - 現在 | 韓国陸軍士官学校(第33期、1977年) | 1955年江原道麟蹄郡生まれ。陸軍参謀次長や第2作戦司令官を経て、現職。 |
大韓民国陸軍の階級
- 士官
- 准士官
- 준위(准尉):(Warrant Officer)
- 下士官(韓国語では副士官)
- 원사(元士):(Sergeant Major)
- 상사(上士):(Master Sergeant)
- 중사(中士):(Sergeant First Class)
- 하사(下士):(Staff Sergeant)
- 兵卒 (韓国語では兵士)
- 병장(兵長):(Sergeant)
- 상등병(上等兵):(Corporal)
- 略称:상병(上兵)
- 일등병(一等兵):(Private First Class)
- 略称:일병(一兵)
- 이등병(二等兵):(Private)
- 略称:이병(二兵)
- 훈련병(訓練兵):(Private (Basic))
- 略称:훈병(訓兵)
- 訓練所での新兵教育課程にある兵の階級
大韓民国陸軍の装備品
車両
- K2 - (当初600両程度予定であったが最終的には200輌程度調達予定)
- K1A1 - (484輌)(機械化歩兵師団や独立機甲旅団の戦車大隊の主力)
- K1 - (1,027輌)(上と同)
- T-80U - (33輌)(当初、敵性装備研究用として機甲学校に配備されたものの、BMP-3と共に東部戦線の第3機甲旅団へ移転され、実戦配備状態)
- T-80UK - (2輌、指揮型)
- M48A5K - (480輌)(歩兵師団の戦車大隊に配備)
装軌車
- K21歩兵戦闘車
- K200A1装甲兵員輸送車(KIFV)×1,700輌
- K216 NBC装甲偵察車
- M113装甲兵員輸送車 - (540輌)
- M-557A3×140輌
- BMP-3×40輌
装輪車
- バラクーダ装輪装甲車 - (12輌)
- KM900装輪装甲車 - (約400輌)
- K131多用途車(KM420)
- K311小型トラック(KM450)
- K511中型トラック(KM250)
- K711大型トラック(KM500)
火器
小火器
- K5 9mm拳銃(英語版)
- USP9 タクティカル
- K7 9mmサブマシンガン(英語版)
- K1A1 5.56mmアサルトカービン
- M16A1
- K2 5.56mmアサルトライフル
- K3 5.56mm分隊支援火器(英語版)
- M60機関銃
- H&K MSG90
火砲
- M110 203mm自走榴弾砲
- K9 155mm自走榴弾砲 雷鳴- (36輌)
- K55 155mm自走榴弾砲(M109A2K) - (1,040輌)
- K242 81mm自走迫撃砲
- K532 107mm自走榴弾砲(Bv206)
- M115 203mm榴弾砲
- KH179 155mm榴弾砲
- M114A1 155mm榴弾砲(2線級の予備役師団の全般支援大隊に配備)
- KH178 105mm榴弾砲
- M2A1/M101A1 - (1,700門、2線級の予備役師団の砲兵連隊直協支援大隊に配備)
- KM187 81mm迫撃砲(M29)
- M2 60mm迫撃砲
- M40 106mm無反動砲
- K30 30mm自走機関砲
- K263A1 20mm自走バルカン砲
- M167 20mmバルカン砲
- GDF003 35mm連装機関砲
地対地ミサイル/ロケット
- 玄武-1弾道ミサイル (射程180km)
- 玄武-2A弾道ミサイル (射程300km)
- 玄武-2B弾道ミサイル (射程500km)
- 玄武-3A巡航ミサイル (射程500km)
- 玄武-3B巡航ミサイル (射程1,000km)
- 玄武-3C巡航ミサイル (射程1,500km)
- MGM-140 ATACMS弾道ミサイル (Block1・1A)
- オネスト・ジョン
- M270A1自走ロケット砲 黒龍 - (約60~70基)
- KM136 130mm36連装自走ロケット砲 九龍 - (250基)
- 70mm32連装自走ロケット砲
- パンツァーファウスト3
- AT-4対戦車ロケットランチャー(M136)
- M72対戦車ロケットランチャー
誘導弾
- KSAM自走地対空ミサイル
- KP-SAM携帯対空ミサイル
- ミストラル
- ハープーン(Block1D)
工兵用装備
- K1AVLB戦車橋
- KM9装甲ブルドーザ(M9)
- PRS-17K地雷探知機
- 遠隔式対人地雷システム
需品器材
- K10装甲弾薬補給車
- K77装甲砲兵指揮車
- M985弾薬運搬車
- K1ARV装甲回収車
- K288装甲回収車
- K1001重レッカー車
- K915戦車運搬車
通信器材
レーダー
- AN/TPS-830K対空レーダー
- AN/TPQ-37対砲レーダー
- AN/TPQ-36対迫レーダー
- TPS-224K地上監視レーダー
無線機
- PRC-999K無線機
- PRC-96K無線機
その他の通信器材
- ATCIS(戦術指揮情報システム)
- MILES(多目的レーザー交戦訓練システム)
- 赤外線監視システム
回転翼機
- AH-1F - (52機、AH-1の対戦車戦闘用の最新型)
- UH-60P(UH-60Lの韓国型)
- CH-47D - (18機)
- CH-47D LR×6機(特殊戦司令部に配属)
- UH-1
- 105CBS-5
- 500MD
固定翼機
- AEGIS知能型警備ロボット
- ROBHAZ-DT3危険作業ロボット
記念日
毎年、10月1日は韓国陸軍記念日である。