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[[東京専門学校]](現:[[早稲田大学]])[[文学部]]国文科卒業。母校の麻布中学教諭を経て、昭和7年(1932年)より、早稲田大学文学部国文科講師(のち教授)で随筆文学講座を担当。 |
[[東京専門学校]](現:[[早稲田大学]])[[文学部]]国文科卒業。母校の麻布中学教諭を経て、昭和7年(1932年)より、早稲田大学文学部国文科講師(のち教授)で随筆文学講座を担当。 |
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戦災で自宅蔵書を失い、[[信州]]に疎開した。昭和29年︵1954年︶に定年退職後は、[[麻布高校]]、跡見学園短期大学でも教えた。自宅書斎で執筆中に倒れ、約一ヶ月後に亡くなった。
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義理堅く潔癖な性格のため、自身の著書公刊には積極的では無く、﹃素白全集﹄︵全3巻︶も少部数しか刷られなかった︵ゆえに[[古書]]値は高価 |
義理堅く潔癖な性格のため、自身の著書公刊には積極的では無く、『素白全集』(全3巻)も少部数しか刷られなかった(ゆえに[[古書]]値は高価)。近年、著作や人となりが識者に見直され再刊された。早稲田大学での同期に、歌人の[[窪田空穂]]がおり、主宰する歌誌『槻(つき)の木』に参加し、短歌や随筆を発表した。また同じ歌人・[[東洋美術史]]学者の[[会津八一|會津八一]]も友人である。 |
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==著作・全集== |
==著作・全集== |
2011年2月4日 (金) 07:06時点における版
岩本 素白︵いわもと そはく 、1883年8月17日 - 1961年10月2日︶は、国文学者で、随筆家。本名は堅一︵けんいち︶。東京府麻布に生まれる、父竹次郎は旧丸亀藩士で海軍勤務であった。
東京専門学校︵現‥早稲田大学︶文学部国文科卒業。母校の麻布中学教諭を経て、昭和7年︵1932年︶より、早稲田大学文学部国文科講師︵のち教授︶で随筆文学講座を担当。
戦災で自宅蔵書を失い、信州に疎開した。昭和29年︵1954年︶に定年退職後は、麻布高校、跡見学園短期大学でも教えた。自宅書斎で執筆中に倒れ、約一ヶ月後に亡くなった。
義理堅く潔癖な性格のため、自身の著書公刊には積極的では無く、﹃素白全集﹄︵全3巻︶も少部数しか刷られなかった︵ゆえに古書値は高価︶。近年、著作や人となりが識者に見直され再刊された。早稲田大学での同期に、歌人の窪田空穂がおり、主宰する歌誌﹃槻︵つき︶の木﹄に参加し、短歌や随筆を発表した。また同じ歌人・東洋美術史学者の會津八一も友人である。