「新音楽時報」の版間の差分
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[[image:nzm.jpg|thumb|right|「新音楽時報」1850年4月30日号一面の大見出し]] |
[[image:nzm.jpg|thumb|right|「新音楽時報」1850年4月30日号一面の大見出し]] |
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{{クラシック音楽}} |
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'''新音楽時報'''︵しんおんがくじほう |
﹃'''新音楽時報'''﹄︵しんおんがくじほう、''Die Neue Zeitschrift für Musik''︶は、[[ドイツ]]で最も権威ある音楽雑誌である。略称'''NZM'''。[[1834年]][[4月3日]]に[[ライプツィヒ]]で[[ロベルト・シューマン]]が創刊した。﹃'''音楽新時報'''﹄﹃'''音楽新報'''︵ないしは'''ライプツィヒ音楽新報'''︶﹄﹃'''新音楽雑誌'''﹄などの訳語もある。隔月刊で、[[2016年]]現在なお刊行中である。[[ISSN]]は09456945。
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初代主筆は[[ユーリウス・クノル]]だが、初期の記事のほとんどはシューマンが執筆していた。[[1835年]]、出版元が変わると共にシューマンが主筆となる。彼は同誌に多数の評論文を発表し、[[フレデリック・ショパン]]や[[エクトル・ベルリオーズ]]といった新世代の才能を存分に称揚した。 |
初代主筆は[[ユーリウス・クノル]]だったが、初期の記事のほとんどはシューマンが執筆していた。[[1835年]]、出版元が変わると共にシューマンが主筆となる。彼は同誌に多数の評論文を発表し、[[フレデリック・ショパン]]や[[エクトル・ベルリオーズ]]といった新世代の才能を存分に称揚した。 |
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[[1843年]]6月、シューマンは他の仕事の契約が原因で同誌を去り、[[1844年]]に[[フランツ・ブレンデル]]が経営者兼主筆となる。ブレンデルが担当していた時期の記事で最もよく知られているのは、[[リヒャルト・ワーグナー]]がK・フライゲダンク︵K・自由思想︶の変名で発表した[[反ユダヤ主義|反ユダヤ的]]な論文﹁[[音楽におけるユダヤ性]]﹂であろう︵[[1850年]][[9月3日]]第19号第33巻所載︶。この論文は |
[[1843年]]6月、シューマンは他の仕事の[[契約]]が原因で同誌を去り、[[1844年]]に[[フランツ・ブレンデル]]が経営者兼主筆となる。ブレンデルが担当していた時期の記事で最もよく知られているのは、[[リヒャルト・ワーグナー]]がK・フライゲダンク(K・自由思想)の変名で発表した[[反ユダヤ主義|反ユダヤ的]]な論文「[[音楽におけるユダヤ性]]」であろう([[1850年]][[9月3日]]第19号第33巻所載)。この論文は[[フェリックス・メンデルスゾーン]]の名誉を傷つけるものだったため、メンデルスゾーンの創立による[[ライプツィヒ音楽院]]の[[イグナーツ・モシェレス]]やその他の教授たちが、ブレンデルを同校の評議員会から追放しようとする事態に発展したが、そのことを除いてはほとんど社会的反響がなかった。ブレンデルは[[1868年]]に死去するまで同誌の主筆でありつづけた。この間、[[1853年]][[10月28日]]、シューマンが久々に同誌に登場して「新しい道」と題する一文を発表し、当時20歳の[[ヨハネス・ブラームス]]の才能を熱烈に称賛して、彼の名を広く楽壇に紹介した。 |
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[[Category:ロベルト・シューマン]] |
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2022年12月27日 (火) 08:42時点における最新版
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/86/Nzm.jpg/220px-Nzm.jpg)