出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
50行目:
50行目:
|accessdate=2008-12-23
|accessdate=2008-12-23
}}</ref>。
}}</ref>。
この本とは直接関係はないが、同じく[[2006年]](平成18年)には、13年ぶりの書き下ろし『小沢主義(オザワイズム) 志を持て、日本人』が[[集英社]]インターナショナルから、『[[夕刊フジ]]』の連載「小沢一郎の剛腕コラム」をまとめた『剛腕維新』が角川学芸出版から出版されている。
== 執筆協力者 ==
== 執筆協力者 ==
57行目:
55行目:
しかし[[2014年]]になって、政治学者の[[御厨貴]]が明らかにしたところによると、本書の執筆(協力)者はすべて学者であり、具体的には「国内政治」は御厨と[[飯尾潤]]、「経済」は[[伊藤元重]]と竹中、「外交・安全保障」は[[北岡伸一]]であったという<ref>御厨貴『日本政治 ひざ打ち問答』(日経プレミアシリーズ)</ref>。
しかし[[2014年]]になって、政治学者の[[御厨貴]]が明らかにしたところによると、本書の執筆(協力)者はすべて学者であり、具体的には「国内政治」は御厨と[[飯尾潤]]、「経済」は[[伊藤元重]]と竹中、「外交・安全保障」は[[北岡伸一]]であったという<ref>御厨貴『日本政治 ひざ打ち問答』(日経プレミアシリーズ)</ref>。
== 陰謀論 ==
[[副島隆彦]]は、「日本改造計画」の英文版「Blueprint for a New Japan」(講談社インターナショナル、1994年7月)は、「日本改造計画」の翻訳本ではなく、英文版の方が先に書かれた親本であり、その日本語訳が「日本改造計画」であると主張している。英文版の真の著者は訳者とされるルイーザ・ルービンファインとしている。
== 書誌情報 ==
== 書誌情報 ==
2014年12月28日 (日) 08:38時点における版
﹃ 日 本 改 造 計 画 ﹄ ︵ に っ ぽ ん か い ぞ う け い か く ︶ は 、 日 本 の 政 治 家 、 小 沢 一 郎 の 著 書 。 1 9 9 3 年 ︵ 平 成 5 年 ︶ 刊 行 。 2 0 0 6 年 ︵ 平 成 18 年 ︶ に 復 刻 さ れ た 。
概 要
小 沢 が 自 民 党 の 幹 部 時 代 、 講 談 社 か ら 1 9 9 3 年 ︵ 平 成 5 年 ︶ 5 月 20 日 に 発 表 さ れ 、 実 際 に 書 店 に 並 ん だ の は 6 月 下 旬 だ っ た 。 内 容 は 小 沢 の 政 策 や ビ ジ ョ ン を つ づ っ た も の で 、 小 沢 が 自 民 党 を 離 党 し て 、 新 生 党 を 立 ち 上 げ 、 細 川 連 立 内 閣 が 成 立 す る と い う 政 治 の 激 動 期 に お い て 、 中 心 人 物 の 小 沢 の 考 え を 知 る た め の 書 と し て 、 発 行 部 数 72 万 5 0 0 0 部 の 年 間 3 位 の ベ ス ト セ ラ ー に な っ た 。 か つ て 、 小 沢 の 師 の 田 中 角 栄 が 1 9 7 2 年 ︵ 昭 和 47 年 ︶ に 著 し て ベ ス ト セ ラ ー に な っ た ﹃ 日 本 列 島 改 造 論 ﹄ の 平 成 版 と も い わ れ る 。
具 体 的 に は 、 新 自 由 主 義 的 な 経 済 改 革 、 貿 易 自 由 化 の 推 進 、 首 相 官 邸 機 能 の 強 化 、 軍 事 も 含 め た 積 極 的 な 国 際 貢 献 、 政 権 交 代 の あ る 二 大 政 党 制 を 可 能 と す る 政 治 改 革 ( 小 選 挙 区 制 の 導 入 ) な ど が 提 唱 さ れ て い る が 、 こ れ ら は そ の 後 の 政 界 再 編 期 、 そ し て 21 世 紀 に か け て の 主 要 な 政 治 課 題 を 先 取 り し た も の で あ っ た 。
本 書 発 売 を 契 機 に 、 政 治 家 本 出 版 ブ ー ム が 起 こ り 、 浜 田 幸 一 ﹃ 日 本 を ダ メ に し た 九 人 の 政 治 家 ﹄ ︵ 1 9 9 3 年 12 月 ︶ 、 橋 本 龍 太 郎 ﹃ V I S I O N O F J A P A N ﹄ ︵ 1 9 9 3 年 12 月 ︶ 、 武 村 正 義 ﹃ 小 さ く と も キ ラ リ と 光 る 国 ・ 日 本 ﹄ ︵ 1 9 9 4 年 1 月 ︶ 、 渡 辺 美 智 雄 ・ 柿 澤 弘 治 ・ 伊 吹 文 明 ﹃ 新 保 守 革 命 ﹄ ︵ 1 9 9 4 年 4 月 ︶ な ど が 相 次 い で 発 刊 さ れ た 。 政 界 再 編 の 流 れ の 中 で 、 国 民 の 政 治 へ の 関 心 が 高 ま る な か 、 い ず れ も ベ ス ト セ ラ ー と な っ た 。
小 沢 は 当 初 ﹃ 夜 明 け ﹄ と い う タ イ ト ル を 考 え て お り 、 ﹃ 改 造 ﹄ と い う タ イ ト ル は 出 版 社 の 要 請 で 入 れ た と い う [ 1 ] 。
ベ ス ト セ ラ ー に な っ た こ と も あ り 、 講 談 社 か ら は 英 語 版 を 出 版 す る 話 も あ っ た が 、 当 時 の 講 談 社 の ﹃ 週 刊 現 代 ﹄ が 、 親 小 沢 の 小 学 館 の ﹃ 週 刊 ポ ス ト ﹄ に 対 抗 し て 、 小 沢 批 判 を 繰 り 広 げ て い た た め 、 こ の 話 は 消 滅 し た [ 2 ] 。 英 語 版 は 1 9 9 4 年 ︵ 平 成 6 年 ︶ に 講 談 社 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル か ら 出 版 さ れ た [ 3 ] [ 4 ] 。 さ ら に 、 翌 1 9 9 5 年 ︵ 平 成 7 年 ︶ に は ペ ー パ ー バ ッ ク 版 が 出 版 さ れ た [ 5 ] 。
1 9 9 8 年 ︵ 平 成 10 年 ︶ に 絶 版 と な っ た が 、 2 0 0 6 年 ︵ 平 成 18 年 ︶ に 小 沢 が 民 主 党 代 表 と な り 、 ま た 、 自 民 党 の 安 倍 晋 三 の ﹃ 美 し い 国 へ ﹄ が ベ ス ト セ ラ ー に な っ て 、 政 治 家 本 が 再 び ブ ー ム に な っ て い た の を 機 に 復 刻 さ れ た 。 復 刻 に あ た り 、 講 談 社 学 芸 図 書 出 版 部 部 長 の 小 沢 一 郎 ︵ 著 者 と 同 姓 同 名 ︶ が 担 当 編 集 者 と な っ た [ 6 ] 。 さ ら に ﹃ 日 本 改 造 計 画 ﹄ の 続 編 が 執 筆 さ れ る と の 報 道 も な さ れ た [ 7 ] 。
執 筆 協 力 者
本 書 は 小 沢 の 理 念 を も と に 、 詳 細 に つ い て は 小 沢 の 主 催 す る 勉 強 会 に 参 加 し て い た 官 民 の 有 識 者 が 肉 付 け し た も の と さ れ て き た が 、 執 筆 過 程 の 詳 細 は わ か っ て い な か っ た ︵ な お 、 小 沢 側 近 の 平 野 貞 夫 は 竹 中 平 蔵 が 協 力 者 の 一 人 で あ っ た と 明 か し た こ と が あ る [ 8 ] ︶ 。
し か し 2 0 1 4 年 に な っ て 、 政 治 学 者 の 御 厨 貴 が 明 ら か に し た と こ ろ に よ る と 、 本 書 の 執 筆 ︵ 協 力 ︶ 者 は す べ て 学 者 で あ り 、 具 体 的 に は ﹁ 国 内 政 治 ﹂ は 御 厨 と 飯 尾 潤 、 ﹁ 経 済 ﹂ は 伊 藤 元 重 と 竹 中 、 ﹁ 外 交 ・ 安 全 保 障 ﹂ は 北 岡 伸 一 で あ っ た と い う [ 9 ] 。
選挙区
家族・親族
所属政党
関連派閥
主要役職
秘書・元秘書
著書
単著
『日本改造計画 』
『語る』
『男の行動美学』
『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』
『剛腕維新』
『小沢主義(オザワイズム)―志を持て、日本人』
共著
『日米関係を読む』(ジェームズ・ファローズ・松永信雄 共著)
『ジョン万次郎とその時代』(川澄哲夫 編)
『政権交代のシナリオ―「新しい日本」をつくるために』(菅直人 共著)
『小沢一郎総理(仮)への50の質問』(おちまさと との対談)
関連人物
関連項目