「東谷友恵」の版間の差分
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'''東谷 友恵'''(ひがしたに ともえ、旧姓:本郷(ほんごう)、[[1964年]][[6月19日]] - )は、[[日本]]の元女子[[バレーボール]]選手、指導者。 |
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== 来歴 == |
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当時は[[リベロ (バレーボール)|リベロ]]制度がなく、[[ミドルブロッカー|センタープレーヤー]]もレシーブを行う時代だったが、センタープレーヤーが2年連続レシーブ賞を獲得したことは異例だった。ユニチカ監督の[[吉田国昭]]は、﹁攻守ともにバランスのとれた申し分のない選手﹂と評している<ref>月刊バレーボール1987年1月号臨時増刊 '87チームの顔 147ページ</ref>。
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当時は[[リベロ (バレーボール)|リベロ]]制度がなく、[[ミドルブロッカー|センタープレーヤー]]もレシーブを行う時代だったが、センタープレーヤーが2年連続レシーブ賞を獲得したことは異例だった。ユニチカ監督の[[吉田国昭]]は、﹁攻守ともにバランスのとれた申し分のない選手﹂と評している<ref>月刊バレーボール1987年1月号臨時増刊 '87チームの顔 147ページ</ref>。
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1990年、ユニチカを退部。翌年に開催される[[第46回国民体育大会|石川国体]]に出場するため、[[PFUブルーキャッツ|PFU]]に入社。1991年、石川選抜のメンバーとして国体3位入賞に大きく貢献した。現役引退した後は、PFUの監督・コーチなどを歴任。 |
1990年、ユニチカを退部。翌年に開催される[[第46回国民体育大会|石川国体]]に出場するため、[[PFUブルーキャッツ|PFU]]に入社。1991年、石川選抜のメンバーとして国体3位入賞に大きく貢献した。現役引退した後は、PFUの監督・コーチなどを歴任。同チームの後進の指導に当たっていた。
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== 球歴 == |
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* 石川県体育協会創立50周年記念誌 - スポーツ石川のあゆみ - 456ページ 発行:石川県体育協会 編集:創立50周年記念誌編集部会 発行日:1998年2月20日 |
* 石川県体育協会創立50周年記念誌 - スポーツ石川のあゆみ - 456ページ 発行:石川県体育協会 編集:創立50周年記念誌編集部会 発行日:1998年2月20日 |
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== 外部リンク == |
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* [http://www.pfu.fujitsu.com/volleyball/staff/ PFU公式サイト - スタッフ紹介] |
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2022年11月17日 (木) 17:37時点における版
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1964年6月19日(60歳) | |||
出身地 | 石川県珠洲市 | |||
ラテン文字 | Higashitani Tomoe | |||
身長 | 173cm | |||
体重 | 62kg | |||
血液型 | B型 | |||
選手情報 | ||||
愛称 | ユウ | |||
ポジション | センター | |||
指高 | 220cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 303cm | |||
ブロック | 285cm |
来歴
石川県珠洲市出身。1982年、金沢商業高校在学時に全国高校選抜メンバーに選抜され中国遠征を経験。1983年、ユニチカに入部。 1986年に全日本に選抜され、世界選手権やワールドカップに出場した。一方、国内リーグでも1989年にベスト6・レシーブ賞、翌年もレシーブ賞を獲得した。 当時はリベロ制度がなく、センタープレーヤーもレシーブを行う時代だったが、センタープレーヤーが2年連続レシーブ賞を獲得したことは異例だった。ユニチカ監督の吉田国昭は、﹁攻守ともにバランスのとれた申し分のない選手﹂と評している[1]。 1990年、ユニチカを退部。翌年に開催される石川国体に出場するため、PFUに入社。1991年、石川選抜のメンバーとして国体3位入賞に大きく貢献した。現役引退した後は、PFUの監督・コーチなどを歴任。同チームの後進の指導に当たっていた。球歴
- 所属チーム履歴
- 市立日置中学 → 金沢商業高校 → ユニチカ・フェニックス(1983-1990年)→ PFU(1990-1992年)
- 受賞歴
- 1989年 - 第22回 日本リーグ ベスト6、レシーブ賞
- 1990年 - 第23回 日本リーグ レシーブ賞
脚注
- ^ 月刊バレーボール1987年1月号臨時増刊 '87チームの顔 147ページ
参考文献
- 石川県体育協会創立50周年記念誌 - スポーツ石川のあゆみ - 456ページ 発行:石川県体育協会 編集:創立50周年記念誌編集部会 発行日:1998年2月20日
バレーボール全日本女子 |
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