林家木久扇
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本名 | |
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別名 | 木久ちゃん |
生年月日 | 1937年10月19日(86歳) |
出身地 | 日本 東京市日本橋区 (現・東京都中央区) 日本橋久松町 |
師匠 | 3代目桂三木助 林家彦六 |
弟子 | 林家時蔵(預かり) 林家きく姫 林家彦いち 林家久蔵 2代目林家木久蔵 林家きく麿 林家ひろ木 林家扇 林家木りん 林家けい木 林家扇兵衛 林家木はち |
名跡 | 1. 桂木久男(1960年 - 1961年) 2. 初代林家木久蔵(1961年 - 2007年) 3. 林家木久扇(2007年 - ) |
出囃子 | 宮さん宮さん |
活動期間 | 1960年8月15日 - |
活動内容 | 古典落語 |
配偶者 | あり |
家族 | 長女:豊田佐久子 (自身のマネージャー) 長男:2代目林家木久蔵 |
所属 | 落語協会 トヨタアート(マネジメント) |
公式サイト | 林家木久扇公式サイト |
主な作品 | |
『彦六伝』 | |
備考 | |
落語協会相談役 漫画家 トヨタアート代表 | |
林家 木久扇︵はやしや きくおう、1937年︵昭和12年︶10月19日 - ︶は、落語家・漫画家・画家。旧名は初代林家木久蔵︵はやしや きくぞう︶。本名:豊田洋︵とよた ひろし︶。血液型A型。出囃子は﹁宮さん宮さん﹂。定紋は、林家彦六一門の定紋である﹁光琳の蔭蔦﹂。愛称は木久ちゃん。
来歴・人物
実家は商売をしており比較的裕福な幼少期を過ごしたが、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた。自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、﹁金はあるに越したことはない﹂という考えを持つに至る。そのためか貧乏を嫌い、終生長屋暮らしだった師匠彦六を﹁清貧に甘んじ人情に厚い人﹂と評する一方で﹁噺家は貧乏でもいいという姿勢﹂を欠点とし、﹁噺の中に出てくる人物と同色の暮らし向きをして、若手落語家たちにあれが老成大家の未来像なんだと植えつけてしまった︵例として、落語会のギャラを自分の分だけでなく、弟子達の分まで半分相手に返してしまう行動など︶﹂と記している。
寄席に登場し一礼すると、﹁スーパースターの林家木久扇でございます﹂と挨拶し、観客の笑いを誘い、掴みを取る。
﹁現在の多くの若い落語家は経済観念が欠落している﹂とも批判している。インタビュー依頼電話に﹁私が喋るのは只じゃござんせん﹂とプロ意識を持っていた師匠彦六の天敵6代目三遊亭圓生、豪邸を建てた3代目古今亭志ん朝、師匠彦六と同じ長屋住まいだが﹁横丁の大金持ち﹂とあだ名されるほど貯金をして、脳溢血で倒れた際入院費・治療代を全額貯金を払って亡くなり、一方亡くなる直前まで金のことを考えていた師匠彦六の友人9代目桂文治を賞賛している[1]。
木久扇が圓生の考えに賛同する部分は特に経済観念であり、噺家活動の方向性については﹁落語は古典でなくては、のかたまり﹂﹁指導力のある人だが、一方的﹂と感じていたと﹃ぼくの人生落語だよ﹄で記している。また、志ん朝の父・5代目古今亭志ん生は対極的に“貧乏長屋”の代名詞として、今なお志ん生一門中心に噺家の小咄のネタとなっている。
木久扇のライバルは“先月の売り上げ”である︵ラーメンだけでなく、噺家・作家としての売り上げも含む[2]︶。
多芸多趣味であることもあり、落語界の外に多くの知己を持っている。大御所になってからも絵の師匠に弟子入りしたりしている。
﹃笑点﹄などで脱力的なキャラクターが認知されているが、エッセイや著書からは、キャラクターのイメージとは異なる相当のインテリであることを窺わせる。時代劇や日本史に造詣が深く、NHKの歴史番組などにゲスト出演する際は、笑点でのキャラクターとは別人の描写である。
私生活では、常に帽子を目深にかぶり、絶対に有名人であることを悟られないように用心深く過ごしている。弟子もつけないことが多い。清水崑からは門弟中に﹁ひとり高く、孤高であれ、お前さん群れなさんなよ[1]﹂とよく励まされており、その言葉の影響もある模様。
楽屋での人間関係は孤立気味であり、会話はもちろん視線を合わすことも避けられている[3]。これは嫌われているのではなく、不意に変なもうけ話をメンバーに持ち込むため、他のメンバーが絡みづらいと感じているからだとされる[3]。6代目三遊亭円楽は東京スポーツからのインタビューで﹁たまたま目が合ったら、近づいてきて、“いい木材を大量に仕入れたからそれを彫り物にして売ろうよ”と持ちかけられた﹂と暴露した。また、過去に象を輸入して観光料で儲けようとしたが、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約︵ワシントン条約︶に引っかかって大儲けどころか、象が輸入されずに大損したこともある。この時の象は木久象とまで名前をつけていた。とはいえ、若い時分には、師匠連にお茶を出すのは大変だ、ということで二口急須を発明して商品化されるなど、成功した事例もある。
本人の著書によれば、1976年に︵本に1967年とあるのは誤り︶腸閉塞症に罹り、生存率60%といわれる手術を成功させている。この時臨死体験に近いことを体験した。﹁ウチくる!?﹂出演時[注釈 1]には手術後、点滴が外れていない時期に﹁笑点﹂の収録に参加、舞台上で痛みを堪えてよじってはいけない体をよじっていたことを告白している。なお、このお陰で﹁笑点﹂の収録は無欠席であるとも述べている。父親は胃癌で死んだが、2000年に本人も胃癌に罹り、胃を3分の2切除している。ダブル襲名の口上で、きくお改め木久蔵は、この7年前︵2000年︶に木久扇がガンを患ったことに触れており、﹁︵木久扇が︶元気なうちに真打昇進できて良かった。これでいつ天国に行ってもらってもいい﹂と述べている。
赤塚不二夫やタモリとは長く親交があり、彼らの仕事場や宴会にはよく顔を出している。また横山やすしとは親友の間柄であり、やすしを全国ラーメン党の副会長兼大阪支部長に任命したことがある。
3代目三木助死後、三木助の死後まで残っていた門弟達は、三木助と同じ筋である8代目桂文楽、5代目柳家小さんを前に次の新たな師匠を決めさせられ、木久蔵︵当時・木久男︶以外の門弟は皆小さんを選択した。それにもかかわらず8代目林家正蔵一門へ移籍したのは、三木助の病床時に林家正蔵が見舞金を贈ってきたことに対し、﹁これが一番嬉しい﹂と三木助夫人が言っていたため。当時の木久男はまだ前座になりたてで、落語界の人間関係をよく理解していなかったと語る[4]。
自身の選定により、
●家が狭いこと︵貧乏長屋であり、部屋数も少ない。掃除が楽︶
●師匠の子供が既に成人して、自立していること︵子守の仕事をすることがない︶
ということをメリットに考えた。しかし、正蔵が道具噺をするということまでは実際その準備にかりだされるまで知らず、道具を部屋から引っ張り出し、運び出し、大道具の演技をしなくてはならず、苦心した︵もっとも、これはその日に寄席に出ている前座の仕事であるため、正蔵を師としなくてもやらされたものである。二つ目・志ん朝も別の一門であったが正蔵の後ろで大道具の演技をやらされて、失敗をしでかしている︶。
嘗て師匠彦六と当時の営団地下鉄で共に移動した際、発車間際の電車に木久蔵が先に乗り、閉まりかけたドアを押さえて彦六が乗車出来るようにしていたが、閉まるドアの力が強く、思わず木久蔵が手を離してしまったところに彦六の顔がドアに挟まれてしまった。その後、木久蔵はしばらく彦六に口をきいてもらえなかった[5]。
本人の著書によれば、約1年半、前座として新師匠彦六宅で修行をする。そのため、彦六の物真似が出来るようになった。笑点の大喜利など随所で披露する他、現在では﹁林家彦六伝﹂という新作落語まで作った。反面、彦六一門は師匠彦六自身も含めて本寸法であっても極めて地味な芸風で、テレビで売れるタレント落語家たちとは対極の位置にいたことに対し、﹃笑点﹄で活躍する木久蔵はまさしく売れっ子タレントの一人であり、また、預かり弟子であることと、テレビでの活躍などでほとんど長屋に顔を出す機会がなかったこともあってか、彦六は彼への強い印象は持っていなかった︵破門宣告も木久蔵に対し37回下しているものの、門弟全員が似たような数の宣告を受けている。林家彦六の性格参照︶。
このことについては、﹃笑点﹄の鶴亀大喜利で三波伸介が木久蔵について師匠彦六に質問したのに対し﹁あいつはなんだかわからねえ﹂と答えており︵﹃笑芸人﹄でも木久蔵自ら語っている︶、弟弟子時代からの付き合いで圓楽一門へ移籍した今もなお、笑点メンバーとして付き合いの長い三遊亭好楽︵当時‥林家九蔵︶においても、入門当初から売れっ子だった兄弟子であり、稽古を共にした記憶が無く︵﹁東京かわら版﹂インタビュー参照︶、笑点のメンバーになるまでほとんど面識がなかった模様︵このインタビューでも明示されているが、九蔵を笑点に誘ったのは5代目圓楽だった︶。
弟弟子林家正雀も、著書で師匠彦六の自宅稲荷町に通ってくる兄弟子の記録として、﹁3代目八光亭春輔、3代目桂藤兵衛、林家時蔵が毎日、九蔵が時おり、5代目はやし家林蔵はよく来た﹂とだけ記している。
日本橋出身であることを誇りに思い、上を走る首都高速道路を地下に移設してほしいと、時々笑点の挨拶で訴えている。
﹃クジラ食文化を守る会﹄の副会長を務めている事でも分かるように、捕鯨文化の維持を主張しており、﹃正論﹄2018年5月号では﹁食べていい生物といけない生物 決めるのは誰?﹂というタイトルで、﹃ビハインド・ザ・コーヴ 〜捕鯨問題の謎に迫る〜﹄の監督を務めた八木景子との対談が掲載された[6]。
大喜利メンバーとして
﹃笑点﹄には1969年11月9日から出演しており、2016年5月には最古参・最年長の大喜利メンバーという位置を、番組を勇退した桂歌丸から引き継いだ。回答者としての出演期間は、2018年11月で50年目に突入した。
大喜利メンバー入り当初、特徴が無かった木久扇は自分をどうキャラ付けしようか迷っていたが、ある日TVで流れていた嵐寛寿郎の出演するチャンバラ映画を見たのを思い出し、大喜利の回答で鞍馬天狗になりきって﹁杉作、日本の夜明けは近い﹂と話したら、これが見事にハマった。そこから目覚めて、時代劇言葉で返すようになって、自身のキャラクターが確立していった。しかし実は鞍馬天狗には原作にも映画にも﹁杉作……﹂などというフレーズは出て来ず、木久扇の創作である。それがのちに、木久扇が扮する鞍馬天狗でCMが作られ、賞を受けた[7]。
大喜利で歌を歌うのも木久扇の特徴である。昔からミュージカルが好きであった木久扇は、植木等や榎本健一のようにセリフの合間に歌を盛り込んだら会場も盛り上がるだろうと考え、自身以前にはいなかった歌を歌う大喜利メンバーとなった[8]。
木久扇の持ちネタの落語﹃林家彦六伝︵明るい選挙︶﹄にも出て来るが、木久扇の﹃笑点﹄起用は初代司会者7代目立川談志が推薦したことが大きく影響している︵現在のキャラクター﹁与太郎﹂についても同様である︶。その一方、時折与太郎キャラと大きく異なる回答︵社会風刺・反戦・メンバー罵倒など︶を出して驚かせることもあり、先述の司会者によるフォローも、こうした回答を受けてから発せられることが多かった。自身が襲名の後見を勤めた林家三平が加入して以降は、三平に対して説教やダメ出しをする事が多い。
色紋付の登場当初は﹁一番目立つ色を﹂という理由で赤い色紋付を着用していたが、すぐに黄色に変わりそのまま現在まで至る。
番組内で多用している﹁やぁねぇ﹂[8]の駄洒落から、屋根の発展に貢献したとして2004年︵平成16年︶に神奈川県瓦屋屋根工業連合会の名誉総裁に任命された。
時代劇への造詣の深さから、嵐寛寿郎が﹃笑点﹄の﹁伸介のなんでもコーナー﹂︵1975年7月6日放送︶にゲスト出演した際に共演している。また、演芸コーナーで時代劇コントグループカンカラが出演する場合、ゲストで出演することもある。
﹁いやんばか〜ん・・・・﹂は、1978年4月12日にレコード化︵原曲はジャズナンバーの﹁セントルイス・ブルース﹂︶されており、振付師の真島茂樹が考えたこ歌への新しい振り付けを2005年10月22日放送の﹁BS笑点﹂で初めて披露、2006年1月1日放送の﹁大笑点﹂では﹁いやん、ばか〜ん、ツー﹂と紹介された。
改名歴
前座名・桂木久男
落語芸術協会︵当時は日本芸術協会︶から落語協会に移籍した3代目桂三木助︵芝浜の三木助︶の直弟子である。3代目三木助は弟子にはほぼ全員に﹁木久﹂の字をつけていた。彼も例外ではなく、﹁木久男﹂という名をもらった。ちなみに木久扇の長男・2代目木久蔵の前名である﹁きくお﹂は、木久扇が最初に名乗ったこの名前から取られたものである。
林家木久蔵
3代目桂三木助没後、8代目林家正蔵(後の彦六)門下に移籍した際、前師匠桂三木助の「木」と正蔵の「蔵」を取り、永く続くように「久」(永久の久から取ったと思われる)で「林家木久蔵」と新たな芸名を与えられた。
林家木久蔵を名乗り続けた理由
彦六が8代目として名乗っていた﹁林家正蔵﹂という名は、7代目林家正蔵没後、子息初代三平から一代限りという約束で借りたものなので、8代目林家正蔵はその義理から、自分の一門で﹁林家﹂の亭号を増やさないように、弟子が真打になると全員春風亭・橘家など﹁林家﹂以外の名に改名させた︵ただし、7代目一家︿海老名家﹀が﹁林家正蔵﹂の名跡の所有権を代々保持しなければならないという決まりごとは存在しない︶。
ただし、木久蔵は三平に気に入られていたことから、真打になっても﹁林家﹂の名を変えずに済んだ︵﹁笑点﹂での木久蔵の真打昇進披露の時には三平、8代目正蔵、9代目桂文治と共に高座に上がった︶。林家三平没後は、林家九蔵︵同名で真打昇進してから彦六没後1年後に圓楽一門に移り三遊亭好楽に改名︶、林家時蔵、林家正雀は、﹁林家﹂亭号の変更をしない方針となった。
こうした経緯もあってか、初代三平の長男・こぶ平の9代目正蔵襲名および次男・いっ平の2代目三平襲名に際しては、﹁笑点﹂の共演者でもあり多発性硬化症により休養を余儀なくされ、高座を離れていた二人の師匠・こん平の代理として後見を務めている。
林家木久蔵から林家木久扇へ
実子の宏寿も落語家であり、上述のように、自らの初名﹁桂木久男﹂に因み、﹁林家きくお﹂と名づけた。2007年︵平成19年︶9月に真打昇進にあたり、自分の名前をきくおに譲り、演芸番組﹁笑点﹂の企画として新しい芸名を公募。﹃夕刊フジ﹄は当代木久蔵を﹁アイデアマン﹂と評した。
このプランは﹃笑点﹄が開いた2006年10月19日の記者会見で明らかにされた。新芸名公募の募集を行った日本テレビへの応募総数は30377通に達した[注釈 2]。2007年5月6日放送の﹃笑点﹄で新しい名前を発表。公募開始前から﹁林家木久翁︵はやしやきくおう︶﹂が候補とされていたが、結果としては読みが同じ﹁林家 木久扇︵はやしや きくおう︶﹂という名となった。音響の専門家から﹁お﹂で終わる名前をアドバイスされたという。結果、これまでの﹁木久ちゃん﹂の愛称までは改称されていない。
その他に最終候補に残った名前は﹁木久彦︵きくひこ︶﹂・﹁木久左︵きくざ︶﹂・﹁木久茶︵きくさ︶﹂・﹁木久寿︵きくじゅ︶﹂だった。
漢字は、本人自身が林家 木久扇という字を選んだ。なお、この案で応募したのは2名。﹁おうぎ﹂という訓読みを縮めたものと思われるが、﹁扇﹂の音読みは﹁セン﹂のみである。このためか、立川談志は自身の番組﹁談志・陳平の言いたい放だい﹂で、この報道を聞いてすぐに﹁﹃オウ﹄なんて読みはねーよ﹂というコメントを残している。
2007年4月28日の記者会見では、﹁落語は聴き込んでいくと面白く奥が深い。が、入り口で誰かが宣伝マンをやらないと中に入ってきてくれない。その役を私がやってきたが、それは変わらない﹂と話し、従来通りのバカキャラをやりつづけることを明らかにした。
役職
- 一般社団法人落語協会相談役、真打
- 社団法人日本漫画家協会正会員
- 日本俳人協会会員
- 演芸番組『笑点』(日本テレビ)の大喜利メンバー
- 北海道ニセコ町観光大使
- 神奈川県瓦屋屋根工業連合会名誉総裁
- 鯨の食文化を守る会副会長
- 全国ラーメン党会長(党首と書かれることもある)
- 有限会社トヨタアート代表取締役(本名の豊田洋名義)
略歴
●1937年︵昭和12年︶10月19日、東京市日本橋区︵現・東京都中央区︶生まれ。
●1944年︵昭和19年︶青森県八戸市へ疎開。八戸市立柏崎小学校に在学[注釈 3]。
●1945年︵昭和20年︶3月10日、東京大空襲で実家の雑貨問屋が全焼し、廃業。
●1947年頃 西荻窪に移るが、両親が離婚[注釈 4]、母側に引き取られる。
●1956年︵昭和31年︶3月、東京都立中野工業高等学校︵食品化学工業課程︶を卒業。
●同年4月、﹁食べ物に苦労しない﹂という理由で森永乳業に入社。
●同年8月、森永乳業を退社、漫画家を目指すため、漫画家清水崑に入門。
●1958年 漫画が﹃漫画サンデー﹄に掲載され、プロの漫画家となる。
●1960年 師匠清水崑に諭され、落語家への転進を薦められる。
●1960年︵昭和35年︶8月15日、落語界入り。清水崑の紹介で3代目桂三木助に入門。三木助は弟子には﹁木久﹂の字をつけていたので、木久男の名をもらう。
●1961年︵昭和36年︶1月16日、師匠三木助死去。
●同年3月10日、8代目林家正蔵︵後の林家彦六︶一門へ移籍、﹁木久蔵﹂と改名。
●1965年︵昭和40年︶9月、二つ目昇進。
●1967年︵昭和42年︶5月、当時の本牧亭席亭の妹︵武津子夫人︶と結婚。結婚式のダブル・ブッキングをしてしまい、来賓が激怒[注釈 5]。
●1969年︵昭和44年︶11月9日、﹃笑点﹄のレギュラーに加入。
●1973年︵昭和48年︶9月、真打昇進。当時としては異例の10人同時昇進で物議を醸し、のちの落語協会分裂騒動の遠因になる。
●1975年︵昭和50年︶9月29日、長男・宏寿︵後の林家きくお、2代目林家木久蔵︶誕生。
●同年12月、シングル﹁酔姫エレジー﹂をリリースし歌手デビュー。
●1978年︵昭和53年︶シングル﹁いやんばか〜ん﹂をリリース。
●1979年︵昭和54年︶シングル﹁とびだすな!!﹂をリリース。
●1981年︵昭和56年︶12月、日本で初めてラーメンについての単行本を出し、ラーメン・ブームの火付け役となる。
●1982年︵昭和57年︶1月29日、師匠林家彦六死去。
●同年2月7日放送の﹃笑点﹄で彦六追悼特集に兄弟子2代目橘家文蔵、林家枝二︵現‥7代目春風亭栄枝︶、弟弟子林家九蔵︵現‥三遊亭好楽︶と出演。
●同年5月、全国ラーメン党を結成。会長に就任。﹁木久蔵ラーメン﹂チェーンの展開を始める。
●同年10月27日、現在の事務所である﹁有限会社トヨタアート﹂を設立。
●同年12月、林家時蔵が、兄弟子の5代目春風亭柳朝門下より二つ目で移籍︵時蔵は、元は弟弟子︶。
●1987年4月、林家きく姫が入門。
●1989年 林家彦いちが入門。
●1991年︵平成3年︶、芸歴30周年。
●1992年︵平成4年︶、社団法人日本漫画家協会正会員。
●同年、社団法人落語協会理事に就任。
●同年、林家久蔵が入門。
●1995年、林家きくお︵現‥2代目林家木久蔵︶が入門。
●1996年、林家きく麿が入門。
●1998年︵平成10年︶、大長編ドラえもん﹃ドラえもん のび太の南海大冒険﹄に、声優としてゲスト出演。
●2000年︵平成12年︶4月、初期の胃がんであることが発覚。その後、5月に手術を受けた[10]。
●2001年︵平成13年︶、芸歴40周年。
●2002年、林家ひろ木が入門。
●2005年︵平成17年︶、JAROのCMキャラクターになる。
●2006年︵平成18年︶、野村證券のCMに出演。
●同年、林家たい木が入門
●2007年9月21日、ダブル襲名︵別項︶
●2008年︵平成20年︶10月、林家扇が入門。
●2009年︵平成21年︶3月、林家木りんが入門。
●2012年︵平成23年︶4月、メガマソのボーカルのインザーギのカバーアルバム﹁Visualist 〜Precious Hits of V-Rock Cover Song〜﹂のジャケットにビジュアル系の衣装を身にまとい登場[11][12]。
●同年9月、ももいろクローバーZ扮する桃黒亭一門の曲﹁ニッポン笑顔百景﹂に参加。楽曲中にて小噺を披露する。
●2014年︵平成26年︶7月、初期の喉頭癌により約1カ月半に渡って休養することを明らかにした。
●同年10月19日︵自身77歳誕生日︶放送︵9月27日収録分︶で笑点復帰[13]。
親子ダブル襲名
- 父:初代林家木久蔵→林家木久扇
- 子:林家きくお→2代目林家木久蔵
落語協会の発表では、2007年9月21日に正式襲名︵﹁木久扇﹂自体は初代なので、厳密な意味での﹁襲名﹂にはあたらない︶となる。ただし、出演しているJARO︵日本広告審査機構︶のCMは同年9月1日以降﹁木久扇﹂として出演している。笑点には、同年9月23日放送の﹁ダブル襲名披露口上﹂以降、﹁木久扇﹂として出演している。
●親子の同時ダブル襲名︵あるいはトリプル襲名︶は、歌舞伎界では松本幸四郎家︵初代松本白鸚、9代目松本幸四郎、7代目市川染五郎︶に代表されるように何度かあったが、落語界では史上初。
●﹁生前贈与﹂としては2代目三遊亭金馬→3代目三遊亭金馬以来、久しぶりである。
木久扇のギャグ・持ちネタ
笑点の大喜利で披露した場合、大抵座布団を持っていかれたり他のメンバー︵主に歌丸や6代目圓楽︶から呆れたリアクションを取られたりするものも多い。自身の回答が滑った事を察した際には﹁ウケないね﹂などと言って、自ら座布団を返上するケースもある。
●ダジャレ小噺
寄席などで披露する。ダジャレを用いたさまざまな小噺を披露する。
﹁これは絵ですか?﹂﹁えぇ﹂
﹁屋根﹂という言葉を出して﹁や〜ね〜。﹂
﹁アルジェリア﹂﹁ナイジェリア﹂
笑点では歌丸や観客に先に言われてしまうことが多い。
●木久蔵ラーメン
笑点や寄席などで披露する。ほかのメンバーから﹁不味い﹂﹁保健所の査察︵食中毒の調査︶を受けた﹂﹁返品が多い﹂などといじられるが、稀にヨイショされることもある。また、木久扇本人も自虐ネタにすることが多い。木久扇ナポリタンや木久扇ワンタンメンなど、木久蔵ラーメン以外の商品のネタも多い︵食品の返品は消費者契約法により、日本国内では返品不可であることがほとんどである︶。最近は、たい平が木久蔵ラーメンに対抗して発売した﹃秩父たい平カレー﹄や6代目円楽の﹃円楽腹黒ラーメン﹄をライバル視しており、たい平や円楽とネタで﹁不味い﹂などと罵倒し合う事が多い。
● その時々に流行っている楽曲
●会いたかった︵AKB48の楽曲︶、Z女戦争︵ももいろクローバーZの楽曲︶、U.S.A.︵DA PUMPの楽曲︶など
いずれも独特のリズムで歌う。挨拶や大喜利の回答では踊ることもある。
●おやじの海︵村木賢吉の楽曲︶
笑点で披露する。答えでおできなどと発言すると歌う︵海と膿をかけている︶。
●チャンチキおけさ︵三波春夫の楽曲︶
笑点で披露する。警察・探偵に関する問題になると歌う︵鑑識とチャンチキをかけている︶。
●ミネソタの卵売り︵暁テル子の楽曲︶
笑点で披露する。司会者は時に﹁誰か他に﹂と言ったりして、合いの手を入れる前に回答を強制的に打ち切る場合もある。また、暁テル子の楽曲では﹁東京シューシャインボーイ﹂などを歌う場合もある。
●憧れのハワイ航路︵岡晴夫の楽曲︶
笑点で披露する。
●星の流れに︵菊池章子の楽曲︶
笑点や寄席などで披露する。
●宇宙人のものまね
笑点や寄席などで披露する。
●河童・雨乞い師・マイケル・ジャクソン︵のものまね︶
笑点で披露する。両隣の︵好楽または昇太→三平︶メンバーにネタを振られて行う。大喜利の答えに使われた場合、大抵ネタを振った側の座布団が没収となるが、木久扇の座布団ないしは両者の座布団が没収される時もある。
河童ネタは、後述のように2010年には座布団10枚の賞品の元ネタとなることとなり、トルコ・カッパドキアの旅となった。
●相田みつをの詩集
笑点で披露する。ネタの中で﹁○○だっていいじゃないか、にんげんだもの﹂と言い、最後に必ず﹁せんだみつお﹂とつける。概ね好楽からツッコミを入れられる。
●エレキギター
笑点で披露する。大喜利の答えに使われた場合、歌丸に先に言われてしまうこともある。
﹁バカバカバカバカ!﹂︵エレキギターの音と馬鹿をかけている︶。
●言い間違い・読み間違い
笑点や寄席などで披露する︵﹁尾崎紅葉の﹃金色夜叉﹄﹂を﹁尾崎もみじの﹃きんいろよまた﹄﹂など︶。概ね歌丸やほかのメンバーによって訂正される。また、寄席などで披露する場合は発言後に自ら訂正している。
●認知症ネタとして、徘徊してどこか分からない、迷わないように支給された小道具を道端に置いて行くなどのネタ。
など。
ものまねレパートリー
●嵐寛寿郎
●永六輔 - 木久扇の娘の名前を命名したのは永である。
●榎本健一
●大河内傳次郎 - 笑点や寄席などで披露する。セリフを長々と披露するため、司会者からは﹁ここカットね﹂﹁休み時間です﹂などと言われ、大抵座布団は没収となる。
●岡晴夫
●片岡千恵蔵
●佐々木更三
●進藤英太郎
●田中角栄
●立川談志
●月形龍之介
●土屋嘉男
●長谷川一夫
●林家三平
●林家彦六 - 木久扇の師匠、笑点や寄席などで披露する。故三遊亭圓生を批判するネタが多く、圓生の孫弟子である好楽や6代目円楽によって制止される。大喜利の答えに使われた場合、大抵座布団は没収となる[注釈 6]。司会が昇太に代わってからは自らの身の上︵落語協会相談役、笑点歴50年など︶を語った上で、﹁そんな了見だから昇太さん、あんたのとこには嫁が来ない﹂などと、昇太が独身だった頃はそれをなじることが多かった。
詳細は「彦六伝」を参照
弟子の名前
長男の前名の﹁きくお﹂を含め、直弟子には平仮名混じりの高座名をつけることが多い傾向にある。笑点ではそれをネタにされることもあり、﹁きくおが平仮名なのは、親父の木久蔵(当時)が漢字が読めないからだ﹂、と言われたこともある。なお、自身でも﹁私にとってKYは﹃空気読めない﹄ではなく、﹃漢字読めない﹄である﹂とネタにすることもある。
ただし、林家こん平の弟子についても﹁たい平﹂、﹁いっ平﹂のような平仮名混じりの高座名をつけている︵これは、こん平の師匠である初代三平の流れを汲むものだが、たい平・いっ平︵二代・三平︶はこん平の直弟子である︶ことから、木久扇に限ったことではないが、ネタにされるのは木久扇ぐらいである。
得意演目
出演番組
現在
過去・単発出演
●モーニングジャンボ奥さま8時半です︵1972年4月 - 不明、TBS系列︶※レポーターなどとして出演
●笑えば2時だよ︵1972年4月 - 1973年3月、フジテレビ︶※司会
●桃太郎侍 第86話﹁大当り貧乏くじ﹂︵1978年6月4日、日本テレビ︶ - 雲国 役
●オレたちひょうきん族﹃タケちゃんマン 三味線を持った渡り鳥﹄︵フジテレビ︶
※﹃オレたちひょうきん族 THE DVD 1983〜1984﹄の一枚目に収録されている。片岡千恵蔵の﹁七つの顔の男だぜ﹂を演じている。
●ご存知!旗本退屈男シリーズ︵1988年 - 1993年、テレビ朝日︶
●右門捕物帖 血染めの矢 江戸-長崎 黄金強奪連続殺人に必殺の十手が挑む!︵1989年12月28日、テレビ朝日︶ - 昭文堂 役
●月曜ドラマスペシャル 塀の中の懲りない面々5︵1990年4月9日、TBS︶
●ホタルノヒカリ2 第三夜︵2010年7月21日、日本テレビ︶ - 菊屋麺蔵 役
●ぐるぐるナインティナイン グルメチキンレース・ゴチになります!︵2018年3月22日、日本テレビ︶ - ひょっこりはんとともに設定金額発表役で出演。
著書
- 林家木久蔵の子ども落語(全6巻、フレーベル館) - 1998年(平成10年)9月 第1巻発刊
- 輝けキクゾー交遊録(東京新聞) - 2000年(平成12年)9月発刊
- キクゾーのチャンバラ大全(ワイズ出版) - 2001年(平成13年)3月発刊
- 落語の隠し味(フレーベル館) - 2001年(平成13年)12月発刊
- バカの中身(うなぎ書房) - 2004年(平成16年)6月発刊
その他、著書多数
レコード
- 酔姫エレジー/歌奈里亜(1975年(昭和50年)12月)
- いやんばか〜ん/木久蔵のナンチャッテ数え唄(1978年(昭和53年)4月) - 後にCDアルバム「笑タイム」にも収録。
- とびだすな!!/村のおまわりさん(1979年(昭和54年)9月) - 後にCDアルバム「SMILE」にも収録。前作「いやんばか〜ん」とは打って変わって真面目な歌で、交通ルールについて歌っており、交通安全を促す内容の歌である。
映画
CD
●﹁キクラクゴ﹂︵2004年12月29日、オーマガトキ︶
●﹁NHK新落語名人選 林家木久蔵﹂︵2005年12月7日、ユニバーサルミュージック︶
●﹁キクキクラクゴ﹂︵2007年8月22日、オーマガトキ︶
●﹁空とぶプリンプリン﹂︵2016年6月22日、日本コロムビア︶ - 木久ちゃんロケッツ名義。NHK﹁みんなのうた﹂︵2016年6月 - 7月放送楽曲︶
● ﹁林家木久扇 ザ・スーパースター﹂︵2枚組、2016年12月25日、キントトレコード)
DVD
- 「ザッツ・エンタテインメント スーパースター林家木久扇 爆笑編」(2007年9月19日、ソニー・ミュージックダイレクト)
- 「林家木久蔵一門会 爆笑ビックショー!」(2005年、有限会社 浪)
その他作品
- 昭和バカ噺子 -林家木久扇物語-(2007年、はらのらま作画、コミック・ガンボ連載) - 原案(版元倒産になり掲載誌が休刊となったため打切り。コミックスは2巻まで刊行されている)
- 日本の話芸(NHK) - タイトル画(オープニングおよびエンディング)
CM・広告
- 日本広告審査機構(JARO)(CM)
- 野村證券(株券電子化篇)(CM・広告)
- 日本調剤(ジェネリック医薬品啓発、参考)(広告)…本人曰く、盛岡市・仙台市(仙台市交通局/川内営業所・霞の目営業所所轄のバス)では、ラッピングバスにもなっている
- 中外製薬(バルサンPジェット)バルサン追いつめ効果
- 富士通(らくらくスマートフォン me F-01L「はじめての人」篇)
趣味
●イラスト、錦絵 - 略歴節にあるように、かつて漫画家志望だった。個展を開いたこともあり、NHKで放送されている﹁日本の話芸﹂のオープニング・イラストは彼の手による物である。雑誌・書籍・テレビからの挿し絵の依頼も多い。
●時代劇映画鑑賞 - 落語のマクラによく使っているほか、このジャンルに絞った著書も数冊出版。好きな時代劇は﹃鞍馬天狗﹄。鞍馬天狗の出で立ちでデパートの一日店長をやっていたこともある。しかし今の子供は鞍馬天狗を知らず、ある時のサイン会で子供から﹁おじさんはイカですか?﹂と言われて嫌になって止めたと言う。著書によれば、少年期から映画が好きだった。嵐寛寿郎など子供の頃に見ていた時代劇俳優の物真似も得意。嵐寛寿郎の晩年に彼とに対面を果たしている。
●ラーメン食べ歩き - 趣味が高じて自分のラーメン店を開業。
以上の3つは単なる趣味を越えた腕前である。
●俳句 - 俳号は﹁とよ田三茶﹂ 日本俳人協会会員。
●剣道 - 青年期に剣道道場大義塾で剣道範士中村藤吉、全日本剣道選手権優勝者中村太郎に師事。道場の後輩に後の6代目柳家小団治︵現在落語家、剣道七段︶がいた。大義塾OB会会長を務める。現在も剣道好きで素振りは欠かさない。
一門弟子
特に記載のない者は真打。
●林家時蔵︵預かり弟子で元は木久扇の弟弟子。師匠・彦六の死去で兄弟子5代目春風亭柳朝門下に移籍したが、柳朝の病気に伴い、さらに木久扇門下へ移籍︶
●林家電蔵︵廃業︶
●林家きく姫︵事実上の総領弟子︶
●林家彦いち
●林家久蔵
●2代目林家木久蔵︵木久扇の長男・宏寿︶
●林家きく麿
●林家木之助︵破門。その後、2001- 2005年にかけて2代目快楽亭ブラック門下でブラッC、その後ブラックの落語立川流脱退に伴い、立川談四楼門下に移籍し、立川三四楼として活動。2019年10月真打昇進し、立川わんだ を襲名。)
●林家八笑︵廃業︶
●林家ひろ木
●林家たい木︵廃業︶
●林家扇︵二ツ目︶
●林家木りん︵二ツ目、大相撲の元大関・清國の息子︶
●林家けい木︵二ツ目︶
●林家扇兵衛︵二ツ目︶
●林家木はち︵前座︶
脚注
注釈
(一)^ 2010年8月15日放映分。
(二)^ 代表的な芸名案は﹁笑点Web﹂のトップページに2009年初頭まで﹁林家木久蔵の新しい名前﹂として掲載されていた[9]。
(三)^ 2012年2月には、東北復興をイメージした絵を、柏崎小学校に贈呈。
(四)^ 著書には、父親の戦争ボケが原因ともある。
(五)^ 自分の結婚式と同じ時間に他人の結婚式の司会の営業をしていた。そのため自分の結婚式には、新郎席に柳家小きん︵後の6代目柳家つば女︶が代理人として座るという事態となった。このことは﹁クイズダービー﹂の問題︵三択問題︶になった。
(六)^ 笑点の大喜利では、実際に寄席などで演じる落語のネタを答えに使うことは禁止されているため。
出典
(一)^ ab﹃バカの中身﹄より。
(二)^ 林家たい平﹃笑点絵日記﹄より。
(三)^ ab女性セブン2011年8月11日号
(四)^ ﹃元祖キクゾー天狗印元気乃素﹄および﹃笑芸人﹄インタビューより。
(五)^ テレビ朝日﹃徹子の部屋﹄での発言より。
(六)^ 月刊正論2018年5月号
(七)^ ぴあMOOK﹃笑点五〇年史 1966-2016﹄45ページ
(八)^ abぴあMOOK﹃笑点五〇年史 1966-2016﹄46ページ
(九)^ 木久扇名前募集 笑点Web
(十)^ 自分を面白がらせてみましょうよ 胃がんから3年、笑いの世界を生きる落語家 林家木久蔵さん
(11)^ インザーギ fromメガマソ / ﹁Visualist﹂ TV Spot youtube.com
(12)^ 林家木久扇が ビジュアル系に! カヴァーCD﹃Visualist﹄発売 CDJournal.com
(13)^ 林家木久扇﹁笑点﹂復帰! 歌丸﹃もう一回入院したら︵笑︶﹄webザテレビジョン 2014年9月28日
関連項目
外部リンク