コンテンツにスキップ

「楠葉関」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
+{{ページ番号}}。
 
(2人の利用者による、間の2版が非表示)
1行目: 1行目:

{{ページ番号|date=2019年12月}}

'''楠葉関'''(くすはのせき/くずはのせき)は、[[中世]]に[[河内国]][[交野郡]][[くずは|楠葉]](現在の[[大阪府]][[枚方市]][[くずは|楠葉]])の[[淀川]]沿岸に設置された[[関所]]。

'''楠葉関'''(くすはのせき/くずはのせき)は、[[中世]]に[[河内国]][[交野郡]][[くずは|楠葉]](現在の[[大阪府]][[枚方市]][[くずは|楠葉]])の[[淀川]]沿岸に設置された[[関所]]。



== 概要 ==

== 概要 ==

設置時期は不明であるが、『[[太平記]]』に[[建武の新政]]開始にあたって[[後醍醐天皇]]が関所を廃止した時に「大津・楠葉」を対象外としたと記しており、この時代には存在したと考えられている。続いて、[[暦応]]3年/[[興国]]元年([[1340年]])には、[[北朝 (日本)|北朝]][[光厳上皇]]の[[院宣]]によって同関が[[春日社]]造営料所に充てられ、実質的には同社を支配していた[[奈良]][[興福寺]]の支配下に置かれていた。また、[[内蔵寮]]もこれとは別に[[率分関]]を楠葉に有しており、[[山科家]]が事実上管理下に置いていた。[[文明 (日本)|文明]]年間には、興福寺[[大乗院]]が楠葉関より年間1,100貫の[[関銭]]収入を得ていたことが知られている。

設置時期は不明であるが、『[[太平記]]』に[[建武の新政]]開始にあたって[[後醍醐天皇]]が関所を廃止した時に「大津・楠葉」を対象外としたと記しており、この時代には存在したと考えられている。続いて、[[暦応]]3年/[[興国]]元年([[1340年]])には、[[北朝 (日本)|北朝]][[光厳天皇|光厳上皇]]の[[院宣]]によって同関が[[春日社]]造営料所に充てられ、実質的には同社を支配していた[[奈良]][[興福寺]]の支配下に置かれていた。また、[[内蔵寮]]もこれとは別に[[率分関]]を楠葉に有しており、[[山科家]]が事実上管理下に置いていた。[[文明 (日本)|文明]]年間には、興福寺[[大乗院 (門跡寺院)|大乗院]]が楠葉関より年間1,100貫の[[関銭]]収入を得ていたことが知られている。



== 参考文献 ==

== 参考文献 ==

9行目: 10行目:


{{DEFAULTSORT:くすはのせき}}

{{DEFAULTSORT:くすはのせき}}

[[Category:関所]]

[[Category:日本の関所]]

[[Category:河内国]]

[[Category:河内国]]

[[Category:枚方市の歴史]]

[[Category:枚方市の歴史]]


2019年12月4日 (水) 12:23時点における最新版

楠葉関(くすはのせき/くずはのせき)は、中世河内国交野郡楠葉(現在の大阪府枚方市楠葉)の淀川沿岸に設置された関所

概要

[編集]

3/13401,100

参考文献

[編集]
  • 丹生谷哲一「楠葉関」(『日本史大事典 2』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13102-4
  • 小林保夫「楠葉関」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2000年) ISBN 978-4-095-23001-6