水町庸子
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生涯
三重県立津高等女学校︵現 三重県立津高等学校︶を中退後、1933年、21際の時に新宿の大衆劇場ムーランルージュ新宿座に入団。入団当初は﹁水町玲子﹂の芸名で地味ながら堅実な演技をこなす舞台女優として活躍した。徐々に女優としての頭角を現し、美人であった事も加わってトップ女優の仲間入りを果たしていく。
その後、同じムーラン所属の俳優であった三国周三と結婚、1938年に芸名を﹁水町玲子﹂から﹁水町庸子﹂に改名して﹁冬の宿﹂で映画デビューを果たす。映画デビュー後は様々な映画に出演し、味わい深い演技を見せる名女優として成長していった。
しかし、1941年に中川信夫監督の映画﹁暁の進発﹂を撮影中、急性の盲腸炎を発症し、手当ての甲斐なく滞在先の京都の宿で死去。享年28。夫の三国周三は彼女が急死した事を知って大いに悲しんだと言う。
なお、娘の水町瑛子は後に三木のり平と結婚し、息子でコメディアンの三木のり一を儲けている。
主な出演作品
映画
- 『冬の宿』(1938年、東京発声)
- 『鶯』(1938年、東京発声)
- 『胡椒息子』(1938年、東宝映画東京)
- 『美はしき出発』(1939年、東宝映画東京)
- 『ロッパの頬白先生』(1939年、東宝映画東京)
- 『出征譜』(1939年、東宝映画東京)
- 『幼き者の旗』(1939年、東宝映画京都)
- 『われ等が教官』(1939年、東宝映画東京)
- 『街』(1939年、東宝映画東京)
- 『愛の設計』(1939年、東宝映画京都)
- 『東京の女性』(1939年、東宝映画東京)
- 『松下村塾』(1939年、東京発声=文部省)
- 『光と影 前篇』(1940年、東宝映画東京)
- 『光と影 後篇』(1940年、東宝映画東京)
- 『春よいづこ』(1940年、東宝映画東京)
- 『彦六なぐらる』(1940年、南旺映画)
- 『蛇姫様』(1940年、東宝映画東京)
- 『姉の出征』(1940年、東宝映画京都)
- 『嵐に咲く花』(1940年、東宝映画京都)
- 『ハモニカ小僧』(1940年、東宝映画東京)
- 『続蛇姫様』(1940年、東宝映画東京)
- 『閣下』(1940年、東宝映画京都)
- 『娘時代』(1940年、東宝映画東京)
- 『時の花形』(1940年、東宝映画東京)
- 『熱砂の誓ひ 前篇』(1940年、東宝映画東京=華北電影股)
- 『熱砂の誓ひ 後篇』(1940年、東宝映画東京=華北電影股)
- 『暁の進発』(1941年、東宝映画京都)