「福崎文吾」の版間の差分
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'''福崎文吾'''︵ふくさき ぶんご、[[1959年]][[12月6日]] - ︶は、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]。[[田中魁秀]]九段門下。棋士番号135番。[[大阪府]][[守口市]]出身。[[十段]]、[[王座]]のタイトルを獲得。[[竜王戦]]1組通算10期。
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福崎'''福崎文吾'''︵ふくさき ぶんご、[[1959年]][[12月6日]] - ︶は、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]。[[田中魁秀]]九段門下。棋士番号135番。[[大阪府]][[守口市]]出身。[[十段]]、[[王座]]のタイトルを獲得。[[竜王戦]]1組通算10期。
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==人物及びエピソード== |
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*第25期十段戦でタイトル戦初登場。[[米長邦雄]]から4-2で十段を奪取。当初は米長の圧倒有利とされたが、福崎は3局を穴熊で勝利。米長はうち2局を相穴熊で戦ったが、及ばなかった。 |
*第25期十段戦でタイトル戦初登場。[[米長邦雄]]から4-2で十段を奪取。当初は米長の圧倒有利とされたが、福崎は3局を穴熊で勝利。米長はうち2局を相穴熊で戦ったが、及ばなかった。 |
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*翌第26期十段戦で[[高橋道雄]]を挑戦者に迎えたが、0-4で失冠。高橋の[[矢倉囲い|矢倉]]に対抗して、全局を相矢倉で戦った。まずは矢倉で1勝してから、穴熊を使う予定だったという。
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*翌第26期十段戦で[[高橋道雄]]を挑戦者に迎えたが、0-4で失冠。高橋の[[矢倉囲い|矢倉]]に対抗して、全局を相矢倉で戦った。まずは矢倉で1勝してから、穴熊を使う予定だったという。
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*第39期王座戦で谷川浩司から王座を奪取。このタイトルは翌年[[羽生善治]]に奪われたが、その後羽生は王座のタイトルを19期保持し続け |
*第39期王座戦で谷川浩司から王座を奪取。このタイトルは翌年[[羽生善治]]に奪われたが、その後羽生は王座のタイトルを19期に渡り保持し続ける事となる。いつしか﹁福崎は前王座を19連覇中﹂とのジョークまで生まれたが、第59期での羽生の失冠に伴い、福崎が﹁前王座﹂と呼ばれる事も無くなった。
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*A級経験のない九段棋士(現役棋士では他に、福崎の師匠である[[田中魁秀]]、および<!-- [[屋敷伸之]](2011年4月よりA級)、-->[[中村修]])であり、また、タイトル在位歴がありながらA級経験がない棋士(現役では他に<!--屋敷、(2011年4月よりA級)-->中村修のみ)でもあるという、やや珍しいケースである。 |
*A級経験のない九段棋士(現役棋士では他に、福崎の師匠である[[田中魁秀]]、および<!-- [[屋敷伸之]](2011年4月よりA級)、-->[[中村修]])であり、また、タイトル在位歴がありながらA級経験がない棋士(現役では他に<!--屋敷、(2011年4月よりA級)-->中村修のみ)でもあるという、やや珍しいケースである。 |
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*関西本部所属。関西弁での笑いを前面に押し出した解説は人気があり、大盤解説などにもよく登場する。ただかつては今と違い、近づきがたい雰囲気を放っていたと[[小林健二 (将棋棋士)|小林健二]]が語っている。 |
*関西本部所属。関西弁での笑いを前面に押し出した解説は人気があり、大盤解説などにもよく登場する。ただかつては今と違い、近づきがたい雰囲気を放っていたと[[小林健二 (将棋棋士)|小林健二]]が語っている。 |
2011年9月27日 (火) 13:48時点における版
人物及びエピソード
昇段履歴
- 1975年 5級 = 奨励会入会
- 1976年 初段
- 1978年10月11日 四段 = プロ入り
- 1980年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1981年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
- 1982年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
- 1990年3月26日 八段(勝数規定)
- 2005年10月28日 九段(勝数規定)
主な成績
獲得タイトル
- 登場回数4回 獲得合計2期
一般棋戦優勝
- 若獅子戦 1回(第3回)
- 優勝合計 1回
在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
将棋大賞
- 第 7回(1979年度) 新人賞・勝率第一位賞
- 第14回(1986年度) 殊勲賞
著書
- 振り飛車穴熊戦法 軽快にバランスよく攻める(2002年11月、創元社、ISBN 4-422-75084-4)