コンテンツにスキップ

貞享騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
使

貞享騒動(じょうきょうそうどう)とは、1686年貞享3年)に信濃国松本藩で発生した百姓一揆である。中心となった多田加助の名前から、加助騒動とも呼ばれる。

経緯


168613351=18.0391=1.80391251.4 7[1]

11殿125510141

101819112282016253[1]




加助神社


1725[2]5017361880殿

自由民権運動と貞享騒動


姿1878稿[3][4]1916

義民塚

1950年10月16日、松本市城山の南斜面(勢高神社裏)における市立丸ノ内中学校建設現場にて人骨が発見された。約1か月後の11月17日までに合計18体の人骨が確認された。そのうちの1体だけ(最初に見つかった人骨)埋葬の仕方が他と違い、残りの17体とは別の原因で埋められたと考えられた。また、当時の歴史・医学関係の研究者により17体の人骨は貞享騒動刑死者たちのものであり、この勢高の地が松本藩の臨時の刑場跡とされた。1952年にはその慰霊のための義民塚もつくられた。(鳥羽とほる著の随筆「中央線」より)

貞享義民社


1950殿196021986300

貞享義民記念館

1992年11月、この騒動を顕彰して貞享義民社のむかいに貞享義民記念館が開館。

  1. ^ a b 福嶋 2016, pp. 170–186.
  2. ^ 後に従兄弟が駿河沼津藩主として大名に返り咲いた
  3. ^ 田中薫著「貞享義民一揆の実像」p.24
  4. ^ 中島博昭著「探訪・安曇野」

参考文献

  • 信府統記』松本藩、1724年享保9年)
  • 『解説貞享義民中萱加助』伊藤政人著 白水社
  • 『おしゅん』大坪かず子著 貞享義民を讃える会 1988年
  • 『義民 城に叫ぶ』塚田正公著 信教出版部 1986年
  • 『貞享義民一揆の実像』田中薫著 信毎書籍出版センター 2002年 ISBN 4-88411-005-6
  • 『貞享義民顕彰の足跡』宮澤久典著 貞享義民社奉賛講 2009年
  • 福嶋紀子『赤米のたどった道:もうひとつの日本のコメ』吉川弘文館、2016年。ISBN 9784642082938 

関連

外部リンク