辻村伊助
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辻村 伊助︵つじむら いすけ、1886年4月22日 - 1923年9月1日︶は、日本の園芸家、登山家。
神奈川県小田原町︵現・小田原市︶に素封家の二男として生まれる[1]。
東京府開成中学校、第一高校学校を経て[1]、東京帝国大学理学部農芸化学科卒。1906年一高時代、日本初の登山団体﹁山岳会﹂に入会し[1]、登山を行い日本アルプスを踏破。1906年木曽駒ヶ岳・宝剣岳でタカネスミレの新産地を発見。1913年渡欧し、翌年、近藤茂吉とグロース・シュレックホルンに登頂した際、下山中雪崩で重傷を負う。入院先の看護師ローザ・カレンと結ばれ、1921年帰国、小田原高等女学校で英語を教える。箱根湯本に高山植物園を開いたが、1923年関東大震災で裏山が崩れ、夫人、3児と共に埋没死。3年後の1926年に遺骨が発見され、比叡山延暦寺に納骨された。
著書
- 『スウイス日記』 横山書店 1922 のち角川文庫、講談社文庫、平凡社ライブラリー
- 『ハイランド』 梓書房 1930 のち平凡社ライブラリー
参考文献
- 中野啓次郎「辻村伊助伝」『スウィス日記』日本文芸社、1968