「金民友」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
Antonio Stevenson (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
2行目: | 2行目: | ||
{{サッカー選手 |
{{サッカー選手 |
||
| 名前 = 金 民友 |
| 名前 = 金 民友 |
||
| 画像 = |
| 画像 = Kim Min-woo.jpg |
||
| 画像サイズ=230px |
|||
| 画像の説明=[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]での金民友(2018年) |
|||
| 本名 = |
| 本名 = |
||
| 愛称 = |
| 愛称 = |
2018年7月6日 (金) 11:46時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
韓国代表での金民友(2018年) | ||||||
名前 | ||||||
カタカナ | キム・ミヌ | |||||
ラテン文字 | Kim Min-Woo | |||||
ハングル | 김민우 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 大韓民国 | |||||
生年月日 | 1990年2月25日(34歳) | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 尚州尚武FC | |||||
ポジション | MF / DF | |||||
背番号 | 11 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2010-2016 | サガン鳥栖 | 213 | (31) | |||
2017- | 水原三星ブルーウィングス | |||||
2018- | →尚州尚武FC(loan) | |||||
代表歴2 | ||||||
2006-2007 | 韓国 U-17 | 18 | (1) | |||
2009 | 韓国 U-20 | 11 | (5) | |||
2009-2012 | 韓国 U-23 | 13 | (0) | |||
2013- | 韓国 | 16 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月3日現在。 2. 2017年12月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
金 民友︵キム・ミヌ、김민우、1990年2月25日 - ︶は、韓国出身の同国代表サッカー選手。ポジションはMF・DF︵主に左サイドバック︶。
来歴
延世大学校在学時に、PSVアイントホーフェンに入団テストを受けたが、入団には至らなかった[1]。大学に無断で入団テストを受験していたため、退学となった[1]。 2010年1月サガン鳥栖からのオファーを受け入団。当時は韓国国内でJリーグの試合を見るチャンスはあまりなく、本人曰く﹁何も知らないまま日本に来た﹂という[2]。慣れない日本での生活や鳥栖の厳しい練習、甲状腺機能亢進症などに苦しみ、サッカーをやめなければいけないと考えたほどであった[2]が、この年の7月に韓国代表に初選出された。 2013年7月、東アジアカップ2013で3年ぶりに韓国代表に選ばれ、7月24日、中国戦で代表初出場を記録。 2014年10月10日のパラグアイ戦で代表初得点を記録した。 2016年神戸に移籍した藤田直之の後任として主将に就任。10月24日、韓国の兵役のため[3]今シーズンで退団し、水原三星ブルーウィングスに移籍することが発表された。退団セレモニーでは涙を流しながら日本語でスピーチを行った[4]。 2018シーズンは兵役に就くため、尚州尚武FCに期限付き移籍した。エピソード
●鳥栖時代に金を指導した尹晶煥は朴智星を抜く可能性を秘めていると太鼓判を押している。金自身も﹁Jリーグでこれほど長くプレーできたのはユンさんのおかげ﹂と語っている[2]。 ●好きな芸能人にえなりかずきと少女時代を挙げている。 ●来日後は藤田や池田圭に日本語を教わった[2]。 ●ロンドンオリンピック代表メンバーから外れたが、洪明甫U-23代表監督は﹁とりわけ金民友︵を選ぶかどうか︶については最後まで悩んだ﹂とコメントしている[5]。当初の構想通りに李正秀をオーバーエイジとして招集できていれば、金民友がメンバー入りしていただろうとする報道もあった[6]。 ●退団セレモニーでのスピーチは金正訓通訳の妻の発案[2]。所属クラブ
ユース経歴 ●2005年 - 2007年 彦南高校 ●2008年 - 2009年 延世大学校 プロ経歴 ●2010年 - 2016年 サガン鳥栖 ●2017年 - 水原三星ブルーウィングス個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 鳥栖 | 10 | J2 | 24 | 4 | - | 2 | 0 | 26 | 4 | |
2011 | 28 | 7 | - | 1 | 0 | 29 | 7 | ||||
2012 | J1 | 31 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 36 | 2 | ||
2013 | 33 | 5 | 3 | 0 | 5 | 0 | 41 | 5 | |||
2014 | 34 | 6 | 3 | 0 | 3 | 0 | 40 | 6 | |||
2015 | 33 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 35 | 2 | |||
2016 | 30 | 5 | 3 | 0 | 3 | 0 | 36 | 5 | |||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2017 | 水原 | 11 | Kクラシック | 30 | 6 | - | 1 | 0 | 31 | 0 | |
2018 | 尚州 | 11 | - | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 161 | 20 | 14 | 0 | 13 | 0 | 188 | 20 | |
日本 | J2 | 52 | 11 | - | 3 | 0 | 55 | 11 | |||
韓国 | Kクラシック | 30 | 6 | - | 1 | 0 | 31 | 6 | |||
総通算 | 243 | 37 | 14 | 0 | 16 | 0 | 244 | 37 |
- J2リーグ初出場 - 2010年3月7日 J2第1節 vsコンサドーレ札幌 (ベストアメニティスタジアム)
- J2リーグ初得点 - 2010年5月9日 J2 第12節 vs大分トリニータ (大分銀行ドーム)
- J1リーグ初出場 - 2012年3月10日 J1第1節 vs セレッソ大阪 (ベストアメニティスタジアム)
- J1リーグ初得点 - 2012年9月22日 J1第26節 vs 柏レイソル (ベストアメニティスタジアム)
代表・選抜歴
- 2006年 U-16韓国代表
- 2006年 アジアユース選手権
- 2007年 U-17韓国代表
- 2009年 U-20韓国代表
- 2009 FIFA U-20ワールドカップ (4試合3得点)
- 2010年 U-21韓国代表
- 第16回アジア競技大会 (4試合0得点)
- 2011年 U-22韓国代表
- ロンドンオリンピック アジア2次予選
- 2012年 U-23韓国代表
- ロンドンオリンピック アジア最終予選
- 2010年 - 韓国代表
- 2013年 東アジアカップ2013
- 2014年 AFCアジアカップ2015
- 2015年 東アジアカップ2015
- 2015年 - 2016年 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
- 2016年 - 2017年 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
- 2017年 E-1フットボールチャンピオンシップ2017
脚注
(一)^ ab慎武宏. “<韓国人Jリーガーの想い> 若き3人のコリアンはなぜ“イルボン”を選んだのか。〜金民友、呉宰碩、チョ永哲〜(2/3)”. Number Web. 2013年6月6日閲覧。
(二)^ abcde船木渉 (2017年6月2日). “︻YOUはどうしてJリーグに?‥特別編︼元鳥栖MFキム・ミヌが過ごしたJリーグでの7年間。W杯への思い、別れの手紙の真相”. フットボールチャンネル 2017年7月3日閲覧。
(三)^ 大韓民国国軍体育部隊傘下のサッカークラブである尚州尚武FC︵Kリーグ所属︶へ入団するためには、一定期間Kリーグのクラブに所属し、そこから移籍する必要がある
(四)^ “︻鳥栖︼兵役で退団の金民友が涙﹁またベアスタのピッチに立てることを夢見ています﹂”. スポーツ報知. (2016年10月29日) 2017年7月3日閲覧。
(五)^ サッカー:五輪代表メンバー発表、朴主永も選出 朝鮮日報 2012.06.30
(六)^ 황석호, 홍명보호 진짜 행운의 주인공2012.06.30
関連項目
- Jリーグの外国籍選手一覧
- サガン鳥栖の選手一覧
- 崔正漢 - 高校、大学の同級生
- 徐庸徳 - 同上
外部リンク
韓国代表 - 出場大会 |
---|