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'''革命的労働者協会(社会党・社青同盟解放派)'''(かくめいてきろうどうしゃきょうかい しゃかいとうしゃせいどうめいかいほうは)は、[[日本]]の[[新左翼]]党派([[日本社会主義青年同盟|社青同]]系)。略称は「革労協」。 |
'''革命的労働者協会(社会党・社青同盟解放派)'''(かくめいてきろうどうしゃきょうかい しゃかいとうしゃせいどうめいかいほうは)は、[[日本]]の[[新左翼]]党派([[日本社会主義青年同盟|社青同]]系)。略称は「革労協」。 |
2006年7月7日 (金) 16:51時点における版
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革命的労働者協会︵社会党・社青同盟解放派︶︵かくめいてきろうどうしゃきょうかい しゃかいとうしゃせいどうめいかいほうは︶は、日本の新左翼党派︵社青同系︶。略称は﹁革労協﹂。
指導者は、滝口弘人、中原一、高見圭司、狭間嘉明ら。機関紙誌は、﹃解放﹄︵旧﹃革命﹄︶。学生組織は、反帝学生評議会︵反帝学評︶。新左翼党派としては、唯一、起源が日本共産党にない。
他の新左翼がトロツキーあるいはレーニン・ボリシェヴィキ路線をとるのに対して、革労協は、ローザ・ルクセンブルクの立場に立ち、ボルシェヴィキ的な前衛党による外部注入的な大衆指導路線を批判する反ボルシェヴィズム的立場であり、ある意味では親アナルコ・サンディカリズム的である。
来歴
解放派は他の新左翼党派とは異なって労働者、学生の二本立てで考えるのが理解しやすい。 1961年‥滝口弘人が社青同東大学生班を結成︵後に江田五月、横路孝弘も参加︶。 社青同全国学生班の結成より前であることに留意、社青同東大班の結成が社青同学生班結成の前史のひとつである。 1964年‥原潜闘争で飛躍︵学︶。 1965年‥社青同全国学生班協議会解放派︵学︶と東京解放派︵労︶が結成。 日韓闘争︵労学︶、早大闘争︵学︶を主導。 1966年‥都学連、全学連をブントや中核派とともに再建︵学︶。 1966年‥東交反合理化闘争を主導、社青同東京地本の中軸となる︵労︶。 9月3日:社青同中央を握る社会主義協会向坂派により東京地本が分裂され、東京地本は独立する(樋口圭之介委員長)。全国各地は各地本内部で、主導権を争いながら共闘している︵労︶。 1968年‥東大闘争の主軸を担う︵学︶。 70年安保に向かう、ベトナム反戦運動の高揚の中で、反戦青年委員会が当初は、社会党・総評の主導で結成される︵社会党青年局長であった高見圭司が中心であった︶が、﹁反戦﹂の主導権はは次第に新左翼のほうに移っていく︵労︶。 1969年‥9月、革命的労働者協会︵社会党・社青同解放派︶が結成される。 革労協結成をめぐっては、社会党都本部の四分の一を占めた反戦派の内、解放派でない部分である﹁革同﹂︵社会党革命同志会︶との分岐の問題があった。ドイツ革命期における、早期の新党結成か、ぎりぎりまで社民内分派闘争を追及するか、と同様の問題である。﹁社民内外を貫く公然たる分派の形成﹂との表現は、この二面の止揚なのか妥協なのか。学生運動では数年前から事実上単独党派として活動しているので、このあたりの問題にリアリティーがない。これは後の狭間派の分離の伏線でもある。 1971年‥参議院選挙全国区に高見圭司が立候補14.6万票を獲得。 1977年‥2月11日、中原一が革マル派に殺害される。 対革マル戦が激化する中で、後の労対派が、解放派本来のレーニン主義批判の立場を堅持するのに対して、学生組織・戦闘組織に影響力を持つ狭間派は対革マル戦のため組織性を強化する必要があるとの理由でレーニン的組織原則に屈服してしまう。 1981年‥6月頃までに永井、狭間、けん︵いわゆる﹁NHK﹂︶らの狭間派︵学生の半分と労働者の一部︶と、滝口、高見ら通称﹁労対派﹂︵後の革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会、通称解放派全協︶︵学生の半分と労働者の多数︶に分裂。狭間派
1988年‥1月、前年に成田闘争の北原派から分離独立した小川派に同調した総務委員・永井啓之を中心とする永井グループが分裂した。 1989年‥6月25日、内部粛清により永井啓之を埼玉県川口市の自宅から拉致し殺害、茨城県牛久市の県道隧道内で遺体が発見された。この事件で11月に狭間嘉明が殺人容疑で逮捕された。 1991年‥1月までに関西の西原学を中心とする西原グループが分裂。 1999年‥5月、総務委員会内多数派の現代社派︵主流派、千木良派︶と少数派の木元派︵赤砦社派、反主流派、明治大学系、山茂派︶に分裂。両派が主導権争いを激化させ、内ゲバにより2006年までに11人が死亡。現代社派
拠点校
関連組織・団体
- 現代社 - 公然拠点
- 日本社会主義青年同盟
- 全国反帝学生評議会連合
- 全日本学生自治会総連合
- 反帝高校生評議会連合
- プロレタリア統一戦線