香川清登
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香川 清登︵かがわ きよと、1895年︵明治28年︶12月11日 - 1943年︵昭和18年︶11月24日︶は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。
略歴[編集]
兵庫県出身。1918年︵大正7年︶11月、海軍兵学校︵46期︶を卒業。翌年8月、海軍少尉に任官し﹁阿蘇﹂乗組となる。1925年︵大正14年︶12月から一年間、海軍大学校航海学生として学んだ。 1926年︵大正15年︶12月、﹁嵯峨﹂航海長兼分隊長となり、﹁韓崎﹂﹁摂津﹂﹁迅鯨﹂の各航海長兼分隊長を経て、1930年︵昭和5年︶12月、海軍少佐に昇進。1931年︵昭和6年︶12月、﹁夕張﹂航海長兼分隊長となり、﹁高雄﹂﹁扶桑﹂の各航海長兼分隊長、﹁吹雪﹂駆逐艦長を歴任し、1936年︵昭和11年︶12月、海軍中佐に進級した。 1937年︵昭和12年︶11月、﹁東雲﹂駆逐艦長に就任し、﹁大井﹂副長、呉鎮守府付、﹁橋立﹂艤装員長、同艦長、横須賀鎮守府付などを歴任。1941年︵昭和16年︶10月、第1駆逐隊司令となり海軍大佐に昇進、そして太平洋戦争を迎えた。 1943年︵昭和18年︶1月、呉鎮守府付となり、翌月に第二水雷戦隊司令部付を経て第31駆逐隊司令に就任する。同年11月、セント・ジョージ岬沖海戦において戦死した。没後、海軍少将に進級した。栄典[編集]
参考文献[編集]
- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第9巻、発売:第一法規出版、1995年。
脚注[編集]
- ^ 『官報』第2132号「叙任及辞令」1919年9月11日。