H.O.T.
表示
H.O.T. | |
---|---|
別名 | H.O.T |
出身地 |
![]() |
ジャンル | K-POP、ダンスポップ |
活動期間 | 1996年 - 2001年 |
レーベル | SMエンターテインメント |
事務所 | SMエンターテインメント |
共同作業者 | ユ・ヨンジン |
公式サイト | www.smtown.com/smtown/hot/ |
メンバー |
カンタ ムン・ヒジュン チャン・ウヒョク トニー・アン イ・ジェウォン |
H.O.T.︵エイチオーティー、에이치오티︶は、韓国の男性5人組ダンス・アイドルグループである。1996年のデビューから2001年の解散まで韓国で圧倒的な人気を誇り、韓国ポップス界の歴史を変えたとも言われている。
グループ名は“High-five Of Teenagers”︵ハイファイブ・オブ・ティーンエイジャー︶の略で、﹁10代の勝利﹂という意味が込められている[1]。ファンからは﹁エチョティ﹂︵에쵸티︶とも呼ばれている[2]。
メンバー
カンタ︵강타︶ メインボーカル担当。本名はアン・チルヒョン︵安七炫、안칠현︶。1979年11月29日︵陰暦10月10日︶生まれ、韓国ソウル市出身。東国大学校文化芸術大学院公演映像学科修士課程修了[3]。 ムン・ヒジュン︵文熙畯、문희준︶ ボーカル担当、リーダー。1978年3月14日生まれ、ソウル市出身。京畿大学校大学院多重媒体映像学科修士課程修了[3]。 チャン・ウヒョク︵張佑赫、장우혁︶ ラップ担当。1978年5月8日生まれ、韓国慶尚北道亀尾市出身。世宗大学校大学院体育学科修士課程修了[4]。2005年、イェジョン・メディアからスポンジ・エンターテインメントに移籍[5]。2007年11月に公益勤務要員として召集されたため芸能活動を中断し、以後、国民年金管理公団で服務している[6]。 トニー・アン︵토니 안、Tony An︶ ボーカル・ラップ担当。本名はアン・スンホ︵安勝浩、안승호︶。1978年6月7日生まれ、韓国ソウル市出身。2004年、芸能プロダクション﹁TNエンターテインメント﹂を設立して元アイドルの女優チョン・リョウォンやコメディアンのチョ・ヘリョンなどをスターダムに押し上げる傍ら、﹁スクールルックス﹂(Skoolooks) 社を立ち上げて学生服事業に参入し、財閥系ブランドが大半のシェアを占めるなか同社を大手にまで育て上げた[7][注釈 1]。2008年11月、兵役により陸軍に現役入隊し、国防部勤務支援団広報支援隊に配属[6]。﹁芸能兵士﹂として国軍放送FMと国軍放送TVで番組を受け持っている[8]。 イ・ジェウォン︵李在元、이재원︶ ラップ担当。1980年4月5日生まれ、韓国ソウル市出身。祥明大学校デジタルメディア大学院修士課程修了[9][10]。2005年、イェジョン・メディアからアイピム・エンターテインメントに移籍し、ソロ活動を開始[11][12]。その後無所属となり[13]、2009年5月、兵役により陸軍に現役入隊した[6]。略歴
ティーンエイジャーがこれまでの世代とは異なる高い消費力で新たに韓国のポップカルチャーを担うようになっていた1994年に、彼らの取り込みを目論んだ韓国の芸能プロダクションSMエンターテインメント︵以下﹁SM﹂︶によって﹁10代の代弁者﹂として企画され、1年の選抜期間を経て1995年[14]に結成[15][16][17][18]。1996年に、韓国音楽界にラップとダンスを浸透させ10代に圧倒的な人気を誇りながらも、突如として解散したソテジワアイドゥルと入れ替わるようにデビューした[16]。当時の韓国では、自己の音楽的アイデンティティーを反映させるのではなく、芸能プロダクションなど他者がつくったコンセプトに基づいて結成され活動をする大量消費を前提としたアイドルグループというのは珍しかったが[19]、﹁1318世代﹂︵13歳から18歳までの若年層︶の女性らから熱狂的な人気を獲得してたちまちブレイクし、第2のH.O.T.を狙ってデビューしたジェクスキスなどのアイドルグループとともに、韓国ポップス界をアイドル中心に一変させる一大ブームを巻き起こした[16][20]。 その後、のちにSMP︵SMミュージック・パフォーマンス︶とも呼ばれる、社会問題をテーマにした歌詞にラップコア調の曲と派手なダンスを融合させた独特のスタイルを確立する一方[21]、1998年にリリースした3集からはメンバーらが直接楽曲制作に携わり[22]、2000年の5集ではリード曲も含め全曲の作詞・作曲・編曲を手掛けるなど[23]、次第に他のアイドルグループとは異なる独自性を見せるようになった。 また、グループの人気は韓国に留まらず中国本土にも波及し、2000年に北京公演を成功させて他の韓国歌手の中国進出の呼び水を作るなど、韓流という形で韓国のポップスを中国国内に浸透させる大きな役割も果たした[21][24]。 しかし、人気は衰えていなかったものの、メンバーが全員20代になりアイドルとしては難しい年齢になったことや、大学卒業が迫り兵役の先延ばしが難しくなったことから、次第に﹁人気があるうちに解散するのでは﹂との憶測が囁かれ始め、2000年末にメンバーの1人が飲酒運転事故を起こして活動自粛に入った頃からは、その噂が現実味を帯びるようになっていった[25][26][27]。 そして、2001年4月にSMとの専属契約が満了したトニー・アン、チャン・ウヒョク、イ・ジェウォンの3人が翌5月、H.O.T.のライバルグループ﹁god﹂の所属先で元SM社長[28]のチョン・ヘイクが理事を務めるエンターテインメント企業﹁サイダス﹂︵後のサイダスFNHとiHQ︶と当時同系列であった﹁イェジョン・メディア﹂に移籍し[29]、同年6月、契約が残っていたカンタとムン・ヒジュンがソロ歌手としてSMと再契約を結んだため、事実上解散を迎えた[30]。 移籍した3人は2001年末に新たなグループ﹁JTL﹂(jtL) を結成[31]。3人はSMに残った2人より人気の面では劣ることから当初、活躍が疑問視されていたが、アルバムは50万枚を超えるヒットとなり予想を裏切る活躍を見せた[32]。しかしこのグループも、メンバー個々が2004年から2005年にかけて独立や移籍をしてソロ活動を開始したため[5][7][11]、そのまま自然消滅している[33]。年表
●1996年 ●9月 - 1stアルバム︵1集︶﹃We Hate All Kinds Of Violence...﹄を発売。本作からは﹁戦士の後裔﹂﹁キャンディ﹂が韓国内でヒット。 ●12月8日 - 大韓民国映像音盤大賞ゴールデンディスク部門﹁SKC新人歌手賞﹂を受賞[34]。 ●1997年 ●7月 - 2ndアルバム︵2集︶﹃Wolf & Sheep﹄を発売。﹁狼と羊﹂﹁幸福﹂﹁ウィ・アー・ザ・フューチャー﹂が韓国内でヒット。 ●9月21日 - 韓国ソウルのオリンピック公園第1体育館︵体操競技場︶で公式ファンクラブ﹁Club H.O.T.﹂の結成式を開催。 ●12月4日 - ソウル歌謡大賞﹁今年の最高歌手賞﹂︵大賞︶を受賞[35]。 ●12月14日 - 大韓民国映像音盤大賞ゴールデンディスク賞﹁大賞﹂[36]、KMTV歌謡大典﹁大賞﹂を受賞[37]。 ●12月28日 - SBS歌謡大典﹁大賞﹂を受賞[37]。 ●1998年 ●1月23日 - 同月25日まで、韓国ソウルのオリンピック公園第1体育館︵体操競技場︶でグループ初の単独公演を開催。 ●2月 - 同年3月まで、アメリカ︵ニューヨーク、ハワイ、ワシントン、ロサンゼルス︶でライブツアーを開催[14]。収益金4万ドル︵約6,000万ウォン︶をアジア通貨危機に対応する民間支援組織﹁失業克服国民運動﹂に全額寄付し、同年11月26日に韓国大統領府主催の昼食会に招待される[38]。 ●9月 - 金大中大統領︵当時︶と共演した韓国文化観光部・韓国観光公社の韓国広報CM、世界各国で放送開始[39][40]。 ●9月 - 3rdアルバム︵3集︶﹃RESURRECTION﹄を発売。﹁列を合わせろ﹂﹁光﹂が韓国内でヒット。 ●12月6日 - KMTV歌謡大典﹁大賞﹂を受賞[37]。 ●12月17日 - ﹃RESURRECTION﹄が韓国経済新聞社主催﹁'98韓経消費者大賞﹂︵レコード部門︶を受賞[41]。 ●12月18日 - ソウル歌謡大賞﹁今年の最高歌手賞﹂︵大賞︶を受賞︵ジェクスキスとの共同受賞︶[42]。 ●12月27日 - SBS歌謡大典﹁大賞﹂を受賞[37]。 ●12月30日 - KBS歌謡大賞﹁大賞﹂を受賞[43]。放送終了後、観覧に来ていたH.O.T.とジェクスキスのファン同士が集団乱闘[44]。 ●12月31日 - MBC歌謡祭典﹁30歳未満の国民が選んだ最高人気歌謡賞﹂︵大賞︶を受賞[45]。 ●1999年 ●1月22日 - 同月28日まで、韓国ソウルの世宗文化会館で単独12回公演を開催。 ●9月9日 - MTVビデオ・ミュージック・アワード﹁MTVコリア・インターナショナル・ビューワーズ・チョイス﹂を受賞[46]。 ●9月11日 - ムン・ヒジュンとの交際の噂が流れていたベイビーボックスのカン・ミヨンにH.O.T.のファンから殺害予告の手紙が送りつけられ、カンが現地警察当局に捜査を要請。これ以前もサイン会でカミソリで襲い掛かられたり、排泄物を投げつけられたりといった被害を受けていた[47]。 ●9月15日 - 4thアルバム︵4集︶﹃I yah!﹄を発売。﹁アイヤ!﹂が韓国内でヒット。 ●9月18日 - 韓国歌手では初[48]となる蚕室総合運動場オリンピック主競技場での単独公演を開催。観客200人超が失神し、病院に担ぎ込まれる騒ぎに[49]。 ●9月19日 - 前日の公演に来ていた韓国大邱市在住の女子高生が、H.O.T.に熱中していることを親にとがめられ飛び降り自殺[50]。その後、失神騒ぎも含め同国国会で問題に[51]。 ●11月21日 - 韓国MBC︵テレビ︶でH.O.T.がホスト役のバラエティ番組﹃Log in H.O.T.﹄を放送。 ●11月27日 - 映像音楽大賞﹁視聴者最高人気賞﹂︵最高賞相当︶を受賞[52]。 ●2000年 ●1月9日 - 韓国MBC︵テレビ︶で単独音楽ライブ番組﹃H.O.T. Forever﹄を放送。 ●2月1日 - 中国北京工人体育館で単独公演を開催。 ●7月15日 - 主演短編映画﹃平和の時代﹄(Age of Peace) が韓国で封切り。 ●10月2日 - 5thアルバム︵5集︶﹃Outside Castle﹄を発売。﹁アウトサイド・キャッスル﹂が韓国内でヒット。 ●11月20日 - メンバーが飲酒運転による交通事故を起こし立件される[53]。以後、グループは活動自粛期間に突入[54]。 ●11月24日 - Mnetミュージックビデオ・フェスティバル﹁最高人気ミュージックビデオ賞﹂︵最高賞相当︶を受賞[52]。活動自粛中のため授賞式は不参加[54]。 ●2001年 ●2月27日 - 蚕室総合運動場オリンピック主競技場で単独公演を開催︵積雪による会場の屋根崩壊で中止となった同月23日から同月27日のオリンピック公園第1体育館︵体操競技場︶公演の代替公演[55]︶。ムン・ヒジュンがステージ上で解散説に触れ、これを否定[56]。 ●3月4日 - トニー・アン、専属契約が満了[57]。 ●4月1日 - イ・ジェウォン、専属契約が満了[57]。 ●4月25日 - チャン・ウヒョク、専属契約が満了[57]。 ●5月13日 - トニー・アン、イ・ジェウォン、チャン・ウヒョクが記者会見の場で、同月11日付のイェジョン・メディアへの移籍と新グループ結成の計画を発表[29]。H.O.T.は分裂状態に。 ●6月27日 - カンタ、ムン・ヒジュンが記者会見を開催し、SMエンターテインメントとの再契約締結を発表[30]。明確な解散宣言がないまま、H.O.T.は事実上解散へ。エピソード
メンバーの入れ替え
グループ名に﹁ティーンエイジャー﹂という言葉が使われていることからも分かるように、もともとは﹁10代による10代のためのグループ﹂であり、10代でなくなったメンバーは入れ替えられる予定であった[58]。しかし、予想以上に人気が出てしまったため所属先のSMエンターテインメントはその計画を取り止め、結果的に解散までメンバーの交代は行われなかった[58]。風船の色
韓国ではアイドルのファンクラブごとに色を定め、その色の風船などを用いて応援するスタイルが定着しているが、これは元々H.O.T.のファンクラブがシンボル・カラーを白にして、白い風船を応援道具に用いたことに由来する[59]。この応援カラーには他の歌手のファンクラブと重複しないという不文律があるものの、色には限りがあるため同色を選んだファンクラブ同士で諍いが起こることが多く、H.O.T.のファンも2006年、男性歌手ピのファンらが既定の銀色ではなく白く光っているように見えるケミカルライト︵サイリューム︶を使ったことから、50人以上がピの所属事務所に押し掛けてそのケミカルライトの使用を止めるよう要請したことがある[60]。日本進出
SMエンターテインメントのオーナーであるイ・スマンは当初、H.O.T.を日本でデビューさせるつもりであったが、当時の韓国において兵役未了の男性が海外を頻繁に行き来することは難しく、結局断念[61]。代わりにSMの日本進出第1号となったのが女性3人組のS.E.S.であった[61]。茶髪で出入り禁止
韓国の公共放送局KBSは青少年に悪影響を与えるとして1997年に服装規定を設けて、出演者の衣装や髪型などに対する規制を開始したことから、H.O.T.は仕方なく、2集や3集の活動時はバンダナやキャップで茶髪や染色した髪を隠したが[62][63]、長い髪に濃いメイク、そして黒尽くめの衣装と日本のビジュアル系ロックバンドの影響を受けたと思われる姿でイメージ・チェンジを図った4集の際は[64]何も被らずに出演しようとしたため、KBSから出演許可が出ず、同局でのプロモーション活動が一切できなかった[65]。それでもKBS側は年末のKBS歌謡大賞だけでも出てもらおうと局長級のプロデューサーまで駆り出してSMエンターテインメントやリーダーのムン・ヒジュンと掛け合ったものの、ムンがKBSにおもねっていると思われることを嫌って出演を固辞したことから、前年獲得した同大賞の候補者からも除外された[65]。解散の真相
解散は、トニー・アン、イ・ジェウォン、チャン・ウヒョクの3人が将来に不安を抱いていたことに加え[29]、SMエンターテインメントとの金銭的条件が合わなかったこと[注釈 2]が原因だと言われている[68]。ただどちらが解散の引き金を引いたのかについては双方の説明に相違があり、3人は移籍会見の時、2001年1月にはすでにSMから﹁解散通知﹂を受け取っていたと語り、SM側はこれを否定して、H.O.T.の中国での人気を重視していたことから解散の意思はなく[69]、移籍先の親会社が株価釣り上げのため[注釈 3]SMのスタッフを引き抜いた上で契約の切れた3人を奪取したものであって[77]、逆に3人からはそれぞれ契約満了時に﹁解約通知﹂が送られてきたと反論している[78]。 いずれにしてもメンバーらは、この件に関して月日を重ねても多くを語ろうとしないため、真相は明らかとなっていない[79]。実現寸前だった再結成
メンバーらは決して仲違いしているわけではなく、解散後もH.O.T.の歌を披露することはないものの、数度イベントやコンサートで一堂に会している[80][81]。ただ再結成については、メンバーらは会うたびに話し合い[82]、解散2年後の2003年には中国での韓流を盛り上げるため、SMエンターテインメントのオーナーでプロデューサーでもあるイ・スマンの音頭で実現寸前までいったが、復活を目前にして多額のCM契約金が目当てと勘繰られ兼ねない報道が出てしまったことから、誤解を避けるため見送られてしまい[83][84]、その後もたびたび話題には上るものの実現には至っていない。ディスコグラフィー
オリジナル・アルバム
We Hate All Kinds Of Violence... ︵1996年9月︶ 1集。活動曲︵シングルの代わりとしてアルバムのプロモーション活動に使用する曲︶は﹁戦士の後裔﹂︵チョンサエ フイェ、Descent of Warrior︶と﹁キャンディ﹂(Candy)。リード曲は校内暴力がテーマの﹁戦士の後裔﹂であったが、メロディーがサイプレス・ヒルの﹁ロコトス﹂(Locotes) と﹁エイント・ゴーイン・アウト・ライク・ザット﹂(I Ain't Goin' Out Like That) に酷似していると指摘されたため、急遽活動曲を愛らしさを前面に出した﹁キャンディ﹂に切り替えた[85][86]。 Wolf & Sheep ︵1997年7月︶ 2集。活動曲は﹁狼と羊﹂︵ヌッテワ ヤン、Wolf & Sheep︶、﹁幸福﹂︵ヘンボク、Full of Happiness︶、﹁ウィ・アー・ザ・フューチャー﹂(We are the future)。リード曲の﹁狼と羊﹂はサビで﹁乞食野郎︵빌어먹을︶﹂︵﹁くそったれ﹂程度の憎まれ口︶という言葉が使われていたが、韓国の放送局から放送不可判定を受けたため、放送ではその箇所が修正されたクリーン・バージョンが使用された[87]。日本盤には、その修正済のものが収録されている確認ができず念のため[要出典]。 RESURRECTION ︵1998年9月︶ 3集。活動曲は﹁列を合わせろ﹂︵ヨルマッチョ、Line Up!︶と﹁光﹂︵ピッ、Hope︶。リード曲の﹁列を合わせろ﹂は前作の﹁ウィ・アー・ザ・フューチャー﹂で原型が出来上がっていたSMPの完成形だが、発表当時レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの﹁キリング・イン・ザ・ネーム﹂(Killing In The Name) の盗作ではないかとして論議を呼んだ[21]。ただ、この事実を把握していたレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのメンバーらは、このことをライブで笑い話として取り上げるだけで、特に問題にすることはなかった[88]。 I yah! ︵1999年9月︶ 4集。活動曲は﹁アイヤ!﹂(I yah!)、﹁闘志﹂︵トゥジ、Git It Up!︶、﹁歓喜﹂︵ファニ、It's Been Raining Since You Left Me︶。このほか、本作には﹁コリアン・プライド﹂(Korean Pride) や﹁8.15﹂という曲が収録されるなど愛国的なイデオロギーが見受けられる。また、ところどころある放送禁止用語の部分がピー音で消されている。 Outside Castle They are nothing different with us. ︵2000年10月︶ 5集。売り上げは90万枚弱で、1集から続いていたミリオンセラー記録が途切れた[16][89]。活動曲は﹁アウトサイド・キャッスル︵ザ・キャッスル・アウトサイダーズ︶﹂(Outside Castle (The Castle Outsiders)) と﹁そう!そのように!﹂︵クレ!クロッケ!、We can do it︶。作曲・作詞・編曲は全てメンバーが手掛けた。ムン・ヒジュンがつくったリード曲﹁アウトサイド・キャッスル﹂は、偏見の目に晒されている障害者がテーマになっている[90]。カンタが手掛けた2曲目︵後続曲︶の﹁そう!そのように!﹂は、プロモーションの途中でメンバーが不祥事を起こして︵具体的にはカンタの飲酒運転︶活動中断に追い込まれた上、これに伴って所属先がテレビ局に音楽番組のチャートから除外するよう求めたことから活動曲としてはほとんど使われなかった[54][91]。ライブ・アルバム
●Greatest H.O.T. Hits-song Collection Live Album ︵1999年4月︶ ●99 Live In Seoul ︵2000年1月︶ ●H.O.T. Forever H.O.T. Live Concert in Seoul Olympic Stadium ︵2001年4月︶ベスト・アルバム
●H.O.T. ︵1999年2月︶ - 台湾限定盤。 ●The Best ︵2002年1月︶ - 日本限定盤。オリジナル・アルバムと同じくavex traxレーベルからの発売。その他
●Age Of Peace ︵2000年7月︶ - 主演映画﹃平和の時代﹄(Age of Peace) のサウンドトラック。脚注
注釈
(一)^ スクールルックスを除く韓国の大手学生服メーカー3社のうち、アイビークラブはサムスングループの第一毛織から分社、エリートベーシックはサムスングループの第一合繊から新韓グループに移り﹁新韓﹂と社名変更した後分社、﹁スマート﹂ブランドのSKネットワークスはSKグループの系列と、いずれも財閥系ないし旧財閥系の企業である。
(二)^ 解散当時、1人に付き1枚当たり20ウォンというH.O.Tの歌唱印税が余りに少なすぎるとして大きな話題を集めたが、これは1組当たりなら100ウォンという韓国では珍しくない額であり[66]、また韓国の音楽界は当時から売上が損益分岐点を超えないと支払われないことも多かったため、実際は必ずしも少ないとは言いがたいものであった[67]。その上、芸能界の構造が酷似している隣国の日本と比べても、1組当たり単価の1%︵当時韓国でのアルバムの単価は10,000ウォン程度︶という歌唱印税は遜色ない額であった[67]。
(三)^ 3人が移籍したレコード会社﹁イェジョン・メディア﹂の当時の親会社﹁ローカス・ホールディングス﹂︵以下﹁ローカスHD﹂︶は、元は﹁コアテック・システム﹂という変圧器の鉄心を製造する会社であったが[70]、2000年3月に﹁サイダス﹂を設立した[71]情報通信関連企業﹁ローカス﹂の代表理事が同年8月に筆頭株主になってからは娯楽企業へと変貌し、移籍2か月前の2001年3月にはイェジョン・メディアやカン・ウソク率いる韓国最大手の映画配給会社﹁シネマ・サービス﹂を立て続けに買収して[72][73]株価を急騰させていた[74]。そして、移籍の数か月後にはローカスの代表理事がローカスHDの株式をローカスに買わせ、ローカスはそれをすぐに売却して300億ウォンの利益を上げるなどしていたことから、当時から投機目的の経営なのではとの指摘が多かったが[74]、実はこの裏でローカスが事業の悪化で総額530億ウォンもの粉飾決算を続けていたことが2005年になって発覚し[75]、ローカスの代表理事は翌2006年、横領や背任などの疑いで検察当局に逮捕されている[76]。
出典
(一)^ “[윤PD의 연예시대(1)]HOT, god, 동방신기...스타 이름에 얽힌 숨겨진 사연” (韓国語). 이데일리 SPN︵イーデイリーSPN︶. イーデイリー (2008年3月31日). 2009年10月27日閲覧。
(二)^ ﹁`에쵸티' 이름값 쏠쏠(H.O.T) / 엘지에 음료상표로 빌려줘﹂﹃한겨레︵ハンギョレ︶﹄1999年4月1日、4版、7面。
(三)^ ab“[기획] 학구열 불타는 연예인 석∙박사 누가 있나?” (韓国語). 스타투데이︵スタートゥデイ︶. 毎経インターネット (2009年6月10日). 2009年10月27日閲覧。
(四)^ “HOT, 내년 군대에서 모두 집합?” (韓国語). 마이데일리︵マイデイリー︶ (2006年3月10日). 2009年10月27日閲覧。
(五)^ ab“H.O.T 출신 장우혁, 소속사 정해7월 솔로 활동” (韓国語). 인터넷한겨레︵インターネット・ハンギョレ︶. ハンギョレ新聞社 (2005年4月15日). 2009年10月27日閲覧。
(六)^ abc“'1세대 아이돌' H.O.T, 전원 입대 마감…5人5色 군복무” (韓国語). 마이데일리︵マイデイリー︶ (2009年5月7日). 2009年10月27日閲覧。
(七)^ ab“[Living&Joy] 연 매출액 140억 교복업체 CEO 토니안” (韓国語). 한국아이닷컴 서울경제︵韓国アイドットコム ソウル経済︶. インターネット韓国日報 (2005年12月28日). 2009年10月27日閲覧。
(八)^ “연예병사 토니 안, 국군방송DJ활동” (韓国語). 동아닷컴︵東亜ドットコム︶ (2009年4月6日). 2009年10月27日閲覧。
(九)^ “이재원 :: 네이버 인물검색” (韓国語). 네이버 인물검색︵ネイバー人物検索︶. NHN. 2009年10月27日閲覧。
(十)^ “몰래 입대 이재원 "HOT 멤버들도 몰라"” (韓国語). 한국아이닷컴 스포츠한국︵韓国アイドットコム スポーツ韓国︶. インターネット韓国日報 (2009年5月6日). 2009年10月27日閲覧。
(11)^ ab“이재원, "내 꿈 묻은 HOT·JTL…, 그 단상 솔로앨범에 담았다"” (韓国語). CBS 노컷뉴스︵CBSノーカットニュース︶. ノーカットニュース (2005年5月16日). 2009年10月27日閲覧。
(12)^ “イ・ジェウォン”. KBS WORLD. 韓国放送公社. 2009年10月27日閲覧。
(13)^ “이재원 "소속사도 없는데...가슴 아파"” (韓国語). 프런티어타임스︵フロンティアタイムス︶ (2008年12月23日). 2009年10月27日閲覧。
(14)^ ab“H.O.T 활동일지” (韓国語). 한국아이닷컴 한국일보︵韓国アイドットコム 韓国日報︶. インターネット韓国日報 (2001年2月1日). 2009年10月27日閲覧。
(15)^ “[집중기획SM제국 그베일을 벗긴다] 첫 기획형 스타 'HOT' 10대우상 각인” (韓国語). 헤럴드경제︵ヘラルド経済︶. ヘラルドメディア (2005年6月14日). 2009年10月27日閲覧。
(16)^ abcdカン・ミョンソク (30 5 2006). “[커버스토리|‘문화권력’ 아이돌 스타]10대를 위한10대에 의한 H.O.T 10년” (韓国語). 주간동아︵週間東亜︶ (韓国ソウル: 東亜日報社) (537): pp. 36-38. ISSN 1228-7148 2009年10月27日閲覧。.
(17)^ “대중문화 음악계서 이수만은..” (韓国語). 문화닷컴︵文化ドットコム︶. 文化日報 (2000年3月31日). 2009年10月27日閲覧。
(18)^ “[기업속으로] 이수만이사의 성공전략…완벽한 사전준비” (韓国語). 한경닷컴︵韓経ドットコム︶ (2005年12月1日). 2009年10月27日閲覧。
(19)^ “10대 노린 첫 기획그룹 ‘H.O.T’…1년여간 수십명 오디션” (韓国語). 동아닷컴︵東亜ドットコム︶ (2008年6月17日). 2009年10月27日閲覧。
(20)^ カン・ジュンマン (8 2006). “[강준만의 세상읽기] 성의식 변하니 가사도 바뀌네” (韓国語). 한겨레21︵ハンギョレ21︶ (韓国ソウル: ハンギョレ新聞社) (623). ISSN 1228-4017 2009年10月27日閲覧。.
(21)^ abc“H.O.T.(エイチ・オー・ティー)”. KBS WORLD. 韓国放送公社. 2009年10月27日閲覧。
(22)^ “H.O.T는 누구?” (韓国語). 조선닷컴 소년조선일보︵朝鮮ドットコム 少年朝鮮日報︶. デジタル朝鮮日報 (2001年5月15日). 2009年10月27日閲覧。
(23)^ “HOT, 5집 'Outside Castle'발표…컴백” (韓国語). 국민일보 쿠키뉴스︵国民日報 クッキーニュース︶. 国民日報 (2000年9月27日). 2009年10月27日閲覧。
(24)^ ソ・イルホ (3 2004). “커버스토리 - ‘제2의 韓물결’ 아시아를 휩쓸다” (韓国語). 주간조선︵週刊朝鮮︶ (韓国ソウル: 朝鮮日報社) (1794). ISSN 1228-2235 2009年10月27日閲覧。.
(25)^ “'보이 그룹' H.O.T '나이 벽' 넘을까?” (韓国語). 동아닷컴︵東亜ドットコム︶ (2000年1月10日). 2009年10月27日閲覧。
(26)^ “'HOT 해체설' 진상 추적” (韓国語). 일요시사︵日曜時事︶. 日曜時事新聞社 (2001年1月5日). 2009年10月27日閲覧。
(27)^ “10대 우상 H.O.T '해체위기'” (韓国語). 한국아이닷컴 일간스포츠︵韓国アイドットコム 日刊スポーツ︶. インターネット韓国日報 (2001年2月1日). 2009年10月27日閲覧。
(28)^ “[나의 사업이야기] 김형순 로커스 사장 (10)” (韓国語). 매일경제︵毎日経済︶. 毎経インターネット (2001年4月9日). 2009年10月27日閲覧。
(29)^ abc“[대중음악]'H.O.T.'해체, 토니안 장우혁 이재원 새 그룹 결성” (韓国語). 동아닷컴︵東亜ドットコム︶ (2001年5月13日). 2009年10月27日閲覧。
(30)^ ab“[음악]문희준 강타 "SM 잔류"…H.O.T.재결합 사실상 무산” (韓国語). 동아닷컴︵東亜ドットコム︶ (2001年6月27日). 2009年10月27日閲覧。
(31)^ “JTL”. KBS WORLD. 韓国放送公社. 2009年10月27日閲覧。
(32)^ “[대중음악]JTL "우리의 참모습 인정받아 기뻐요"” (韓国語). 동아닷컴︵東亜ドットコム︶ (2002年1月14日). 2009年10月27日閲覧。
(33)^ “チャン・ウヒョク”. KBS WORLD. 韓国放送公社. 2009年10月27日閲覧。
(34)^ ﹁대상에 김건모﹁세계영화기행﹂/96대한민국영상음반대상 시상식﹂﹃한국일보︵韓国日報︶﹄1996年12月9日、38面。
(35)^ “올 최고가수상 ‘HOT’ 차지/제8회 서울가요대상” (韓国語). 인터넷서울신문︵インターネットソウル新聞︶. ソウル新聞社 (1997年12月5日). 2009年10月27日閲覧。
(36)^ ﹁97영상음반대상 시상/골든디스크대상 H·O·T﹂﹃한국일보︵韓国日報︶﹄1997年12月15日、38面。
(37)^ abcd“H.O.T.” (韓国語). 네이버 인물검색︵ネイバー人物検索︶. NHN. 2009年10月27日閲覧。
(38)^ ﹁“우리가 받아온 사랑 사회에 돌려줘야죠”﹂﹃한겨레︵ハンギョレ︶﹄1998年12月1日、23面。
(39)^ “[CF이야기] 자본주의 꽃도 향내를 피운다” (韓国語). 인터넷한겨레︵インターネット・ハンギョレ︶. ハンギョレ新聞社 (2000年7月10日). 2009年10月27日閲覧。
(40)^ “民団/BackNumber/韓国東西南北”. MINDAN. 在日本大韓民国民団中央本部. 2009年10月27日閲覧。
(41)^ ﹁['98 한경소비자대상 (상)] 얼어붙은 시장에도 히트상품있다﹂﹃한국경제︵韓国経済︶﹄1998年12月16日。
(42)^ “[제9회 서울가요대상] 젝스키스 H.O.T '최고가수상'” (韓国語). 한국아이닷컴 스포츠한국︵韓国アイドットコム スポーツ韓国︶. インターネット韓国日報 (1998年12月19日). 2009年10月27日閲覧。
(43)^ “[H.O.T.] 98 KBS 가요대상 수상” (韓国語). 한국아이닷컴 스포츠한국︵韓国アイドットコム スポーツ韓国︶. インターネット韓国日報 (1998年12月31日). 2009年10月27日閲覧。
(44)^ “<바람개비>‘HOT’-‘젝스키스’팬 주먹다짐” (韓国語). 문화닷컴︵文化ドットコム︶. 文化日報 (1999年1月1日). 2009年10月27日閲覧。
(45)^ “[MBC 가요제전] 김종환 '사랑을...'. H.O.T '빛' 선정” (韓国語). 한국아이닷컴 스포츠한국︵韓国アイドットコム スポーツ韓国︶. インターネット韓国日報 (1999年1月2日). 2009年10月27日閲覧。
(46)^ “◇MTV상 H.O.T '아시아스타들과 함께” (韓国語). 한국아이닷컴 스포츠한국︵韓国アイドットコム スポーツ韓国︶. 聯合ニュース (インターネット韓国日報). (1999年9月14日) 2009年10月27日閲覧。
(47)^ “베이비복스 멤버 `살해 위협'” (韓国語). 한국아이닷컴 한국일보︵韓国アイドットコム 韓国日報︶. インターネット韓国日報 (1999年9月11日). 2009年10月27日閲覧。
(48)^ “[H.O.T] 올림픽주경기장 단독 공연” (韓国語). 조선닷컴︵朝鮮ドットコム︶. デジタル朝鮮日報 (1999年8月6日). 2009年10月27日閲覧。
(49)^ “HOT공연중 200여명 실신” (韓国語). 한국아이닷컴 한국일보︵韓国アイドットコム 韓国日報︶. インターネット韓国日報 (1999年9月27日). 2009年10月27日閲覧。
(50)^ “H.O.T 여고생팬 비관자살” (韓国語). 조선닷컴︵朝鮮ドットコム︶. 聯合ニュース (デジタル朝鮮日報). (1999年9月20日) 2009年10月27日閲覧。
(51)^ “[국감인물] 정동채 의원 "H.O.T 대책 마련하라"” (韓国語). 매일경제︵毎日経済︶. 毎経インターネット (1999年9月29日). 2009年10月27日閲覧。
(52)^ ab“2008 MKMF” (韓国語). エムネットメディア. 2009年10月27日閲覧。
(53)^ “맹목적 스타추종 ‘이성마비’” (韓国語). 문화닷컴︵文化ドットコム︶. 文化日報 (2000年11月22日). 2009年10月27日閲覧。
(54)^ abc“HOT·백지영 '출연 어쩌나'” (韓国語). 한국아이닷컴 스포츠한국︵韓国アイドットコム スポーツ韓国︶. インターネット韓国日報 (2000年11月29日). 2009年10月27日閲覧。
(55)^ “[방송] 초등생용 영어 드라마 신설 등” (韓国語). 조선닷컴︵朝鮮ドットコム︶. デジタル朝鮮日報 (2001年2月21日). 2009年10月27日閲覧。
(56)^ “"H.O.T..."4만5천명 빗속 열광” (韓国語). 조선닷컴︵朝鮮ドットコム︶. デジタル朝鮮日報 (2001年2月28日). 2009年10月27日閲覧。
(57)^ abc“해체설 도는 H·O·T 어떻게 될까?” (韓国語). 한국아이닷컴 한국일보︵韓国アイドットコム 韓国日報︶. インターネット韓国日報 (2001年2月28日). 2009年10月27日閲覧。
(58)^ ab“문희준, "H.O.T. 원래 멤버 계속 바뀌는 그룹이었다"” (韓国語). 마이데일리︵マイデイリー︶ (2008年9月2日). 2009年10月27日閲覧。
(59)^ “일락, 풍선 색 분쟁 S.E.S팬들 홈피 점령” (韓国語). 스포츠조선︵スポーツ朝鮮︶ (2004年5月30日). 2009年10月27日閲覧。
(60)^ “비 소속사ㆍHOT 팬 때아닌 색깔 논쟁” (韓国語). 세계닷컴︵世界ドットコム︶ (2006年12月17日). 2009年10月27日閲覧。
(61)^ ab“[me]SM엔터테인먼트 이수만 회장 일본 찍고 ~ 중국 돌아 ~ 세계로” (韓国語). JOINS. ジョインス・ドットコム (2008年3月11日). 2009年10月27日閲覧。
(62)^ ﹁﹁방송사 복장규제﹂ 반대 여론﹂﹃동아일보︵東亜日報︶﹄1997年8月5日、15面。
(63)^ ﹁“H.O.T 모자씌우기” 시끌/KBS에 염색머리 감추고 출연﹂﹃한국일보︵韓国日報︶﹄1998年11月19日、21面。
(64)^ ﹁드디어 H.O.T가 돌아왔다﹂﹃경향신문︵京郷新聞︶﹄1999年9月17日、45版、31面。
(65)^ ab﹁[TV인아웃]KBS SBS 가요결산 프로 "H.O.T. 안보이네"﹂﹃동아일보︵東亜日報︶﹄1999年12月13日、5版、12面。
(66)^ “[연예가 블랙박스]H.O.T 분열 화근 된 음반 '인세'” (韓国語). 동아닷컴︵東亜ドットコム︶ (2001年6月25日). 2009年10月27日閲覧。
(67)^ ab“‘노예계약’ 과연 존재하나…돈으로 스타 만들기 ‘투기식 풍토’가 문제” (韓国語). 국민일보 쿠키뉴스︵国民日報 クッキーニュース︶. 国民日報 (2001年7月19日). 2009年10月27日閲覧。
(68)^ ﹁H.O.T 3명SM떠나 사실상 해체﹂﹃문화일보︵文化日報︶﹄2001年5月14日、3版、30面。
(69)^ “"H.O.T 계속 존재한다"” (韓国語). 한국아이닷컴 한국일보︵韓国アイドットコム 韓国日報︶. インターネット韓国日報 (2001年5月24日). 2009年10月27日閲覧。
(70)^ “로커스, 코아텍 전격 인수 .. 김형순 사장 등 지분 41% 매입” (韓国語). 한경닷컴︵韓経ドットコム︶ (2000年8月7日). 2009年10月27日閲覧。
(71)^ “로커스, 온라인과 오프라인서 동시 콘텐츠 구현” (韓国語). 매일경제︵毎日経済︶. 毎経インターネット (2000年3月22日). 2009年10月27日閲覧。
(72)^ “시네마서비스-로커스홀딩스 조인식” (韓国語). 매일경제︵毎日経済︶. 毎経インターネット (2001年3月6日). 2009年10月27日閲覧。
(73)^ “로커스홀딩스,음반 유통 사업 진출” (韓国語). 머니투데이︵マネートゥデイ︶ (2001年3月19日). 2009年10月27日閲覧。
(74)^ ab“[CEO Story] 손경식 & 박병무” (韓国語). 매일경제︵毎日経済︶. 毎経インターネット (2005年12月7日). 2009年10月27日閲覧。
(75)^ “김형순 로커스 사장, "어처구니없는 오판, 엎드려 사죄"” (韓国語). 아이뉴스24︵アイニュース24︶ (2005年10月26日). 2009年10月27日閲覧。
(76)^ “"김형순 前대표에 수천억 불법담보 제공" … 벅스인터렉티브 공시” (韓国語). 한경닷컴︵韓経ドットコム︶ (2006年10月2日). 2009年10月27日閲覧。
(77)^ “[취재 뒷이야기] 이수만SM엔터테인먼트 이사” (韓国語). 조선닷컴 주간조선︵朝鮮ドットコム 週刊朝鮮︶. デジタル朝鮮日報 (2001年10月17日). 2009年10月27日閲覧。
(78)^ “SM "H·O·T 해체 통보 안해” (韓国語). 한국아이닷컴 한국일보︵韓国アイドットコム 韓国日報︶. インターネット韓国日報 (2001年5月16日). 2009年10月27日閲覧。
(79)^ “[애프터 스토리] 문희준이 못다한 이야기” (韓国語). 스포츠조선︵スポーツ朝鮮︶ (2009年6月29日). 2009年10月27日閲覧。
(80)^ “HOT 재결합 '동상이몽'” (韓国語). 헤럴드경제︵ヘラルド経済︶. ヘラルドメディア (2004年3月19日). 2009年10月27日閲覧。
(81)^ “[5년 만에 한 무대에 선 H.O.T]” (韓国語). 매일경제︵毎日経済︶. 聯合ニュース (毎経インターネット). (2005年6月19日) 2009年10月27日閲覧。
(82)^ “토니안 "살면서 가장 황당했던 건 HOT 된 일"” (韓国語). 머니투데이 스타뉴스︵マネートゥデイ スターニュース︶. マネートゥデイ (2005年12月8日). 2009年10月27日閲覧。
(83)^ “H.O.T. 재결합 안한다” (韓国語). 매일경제︵毎日経済︶. 毎経インターネット (2003年8月25日). 2009年10月27日閲覧。
(84)^ “[애프터 스토리] 문희준이 못다한 이야기” (韓国語). 스포츠조선︵スポーツ朝鮮︶ (2009年6月29日). 2009年10月27日閲覧。
(85)^ “승패없는 그들만의 전쟁” (韓国語). 한국아이닷컴 주간한국︵韓国アイドットコム 週刊韓国︶. インターネット韓国日報 (2001年2月6日). 2009年10月27日閲覧。
(86)^ “강타, 입대 전 가슴으로 말한 서른 살 모노극” (韓国語). 한국아이닷컴 한국일보︵韓国アイドットコム 韓国日報︶. 聯合ニュース (インターネット韓国日報). (2008年3月24日) 2009年10月27日閲覧。
(87)^ “가수 비 신곡, '섹스송' 여부 심의” (韓国語). 뉴시스︵ニューシス︶ (2008年10月21日). 2009年10月27日閲覧。
(88)^ “빅뱅’ 표절시비에 대처하는 팬들의 자세” (韓国語). 뉴시스︵ニューシス︶ (2008年2月25日). 2009年10月27日閲覧。
(89)^ “[대중음악]조성모, 2000년 음반판매1위” (韓国語). 동아닷컴︵東亜ドットコム︶ (2000年12月18日). 2009年10月27日閲覧。
(90)^ “[대중음악]'H.O.T' 댄스그룹 탈피﹃변신﹄선언” (韓国語). 동아닷컴︵東亜ドットコム︶ (2000年10月2日). 2009年10月27日閲覧。
(91)^ “[대중음악]'HOT' 활동 중단 위기” (韓国語). 동아닷컴 디지털스토리︵東亜ドットコム デジタルストーリー︶. 東亜ドットコム (2000年11月21日). 2009年10月27日閲覧。