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ハ ン セ ン 病 ︵ ハ ン セ ン び ょ う 、 H a n s e n ’ s d i s e a s e , l e p r o s y ︶ は 、 抗 酸 菌 の 一 種 で あ る 癩 ︵ ら い ︶ 菌 ( M y c o b a c t e r i u m l e p r a e ) の 皮 膚 の マ ク ロ フ ァ ー ジ 内 寄 生 お よ び 末 梢 神 経 細 胞 内 寄 生 に よ っ て 引 き 起 こ さ れ る 感 染 症 で あ る 。
病 名 は 、 1 8 7 3 年 に 癩 菌 を 発 見 し た ノ ル ウ ェ ー の 医 師 、 ア ル マ ウ ェ ル ・ ハ ン セ ン に 由 来 す る 。 か つ て の 日 本 で は ﹁ 癩 ︵ ら い ︶ ﹂ 、 ﹁ 癩 病 ﹂ 、 ﹁ ら い 病 [ 注 釈 1 ] ﹂ と も 呼 ば れ て い た が 、 そ れ ら を 差 別 的 に 感 じ る 者 も 多 く 、 歴 史 的 な 文 脈 以 外 で の 使 用 は 避 け ら れ る の が 一 般 的 で あ る 。 そ の 理 由 は 、 ﹁ 医 療 や 病 気 へ の 理 解 が 乏 し い 時 代 に 、 そ の 外 見 や 感 染 へ の 恐 怖 心 な ど か ら 、 患 者 へ の 過 剰 な 差 別 が 生 じ た 時 に 使 わ れ た 呼 称 で あ る ﹂ た め で 、 そ れ に 関 連 す る 映 画 な ど も 作 成 さ れ て い る 。
感 染 経 路 は 、 癩 菌 の 経 鼻 ・ 経 気 道 よ り の も の が 主 で あ る が 、 他 系 統 も 存 在 す る ︵ 感 染 経 路 の 項 に て 後 述 ︶ 。 癩 菌 の 感 染 力 は 非 常 に 低 く 、 治 療 法 も 確 立 し た 現 状 で は 、 重 篤 な 後 遺 症 を 残 す こ と や 感 染 源 に な る こ と は な い も の の 、 適 切 な 治 療 を 受 け な い ・ 受 け ら れ な い 場 合 、 皮 膚 に 重 度 の 病 変 が 生 じ 、 他 者 へ の 二 次 感 染 を 生 じ る こ と も あ る 。
2 0 1 8 年 の 世 界 保 健 機 関 ( W H O ) に よ る 統 計 で は 、 世 界 に お け る ハ ン セ ン 病 の 新 規 患 者 総 数 は 、 年 間 約 21 万 人 で あ る 。 一 方 で 、 日 本 の 新 規 患 者 数 は 年 間 で 0 - 1 人 に 抑 制 さ れ 、 現 在 で は 極 め て 稀 な 疾 病 と な っ て い る [ 2 ] 。 ハ ン セ ン 病 は W H O に よ り ﹁ 顧 み ら れ な い 熱 帯 病 ( N T D s ) ﹂ に 指 定 さ れ て い る [ 3 ] 。
癩病を患った夫と看病する妻を描いた月岡芳年 の浮世絵。周囲から離婚を勧められても夫を見捨てることなく一家を支える妻に対して褒美が出たことを報じている。『郵便報知新聞 』1875年
ハ ン セ ン 病 は 古 く か ら 世 界 の 各 地 に 存 在 し て い た 病 気 で 、 多 く の 古 文 書 や 宗 教 に ハ ン セ ン 病 を 思 わ せ る 記 述 が 残 さ れ て い る 。 た だ し 、 古 文 書 に 登 場 す る l e p r o s y 、 癩 病 と 呼 ば れ た も の は ハ ン セ ン 病 以 外 の 病 気 も 含 む 可 能 性 が あ る こ と や 、 古 文 書 で の l e p r o s y や レ プ ラ の 記 述 の 意 味 を 確 認 す る こ と は 容 易 で な く 、 ハ ン セ ン 病 の 起 源 、 歴 史 の 研 究 を 難 し く す る 要 因 と な っ て い る 。
日 本 で は ﹁ 癩 ︵ ら い ︶ 病 ﹂ 、 ﹁ ハ ン セ ン 病 ﹂ の 両 方 の 呼 称 が あ る ︵ そ れ 以 前 に は ﹁ ハ ン セ ン 氏 病 ﹂ の 表 記 も あ っ た 。 下 記 も 参 照 さ れ た い 。 ︶ 。 上 述 し た と お り 、 公 的 な 場 で の 前 者 の 使 用 は 忌 避 さ れ る 傾 向 が あ る 。 近 代 以 前 の ﹁ 癩 ︵ 病 ︶ ﹂ は 一 つ の 独 立 し た ﹁ ハ ン セ ン 病 ﹂ と い う 疾 患 以 外 の 病 気 も 含 む 概 念 で あ り 、 断 り を 併 記 し て 使 用 さ れ る こ と が あ る 。
英 語 圏 で は l e p r o s y , H a n s e n ’ s d i s e a s e の 両 方 が 使 用 さ れ る 。 患 者 は l e p e r ︵ 癩 者 ︶ と も 呼 ば れ る が 、 1 9 5 3 年 に 開 催 さ れ た 第 6 回 国 際 癩 会 議 で は 、 患 者 は l e p r o s y p a t i e n t と 呼 ぶ こ と が 推 奨 さ れ た 。
従 来 、 癩 療 養 所 は ﹁ レ プ ロ サ リ ウ ム 、 L e p r o s a r i u m ﹂ と 呼 ば れ た が 、 ﹁ サ ナ ト リ ウ ム 、 s a n a t o r i u m ﹂ の 方 が よ り 一 般 的 で あ る 。
以 下 に 、 ハ ン セ ン 病 の 主 な 別 称 を 概 観 す る 。
英 語 の ﹁ l e p r o s y ﹂ や 近 代 西 洋 語 の 同 等 の 語 、 ま た 日 本 語 の ﹁ レ プ ラ ﹂ は 、 古 代 ギ リ シ ア 語 で ﹁ λ έ π ρ α ︵ l e p r ā ︶ ﹂ 、 な い し は そ の 借 用 語 で あ る ラ テ ン 語 の ﹁ l e p r a ﹂ に 由 来 す る が 、 そ の 語 史 は 次 の よ う に 辿 る こ と が で き る 。 ﹁ λ έ π ο ς ︵ l e p o s ︶ 皮 ・ 鱗 ﹂ → ﹁ λ ε π ε ρ ό ς ︵ l e p e r o s ︶ 皮 ・ 鱗 を 持 っ た 〜 ﹂ → ﹁ λ ε π ρ ό ς ︵ l e p r o s ︶ 鱗 状 の 〜 、 か さ ぶ た 状 の 〜 、 レ プ ラ の 〜 ﹂ → そ の 女 性 形 ﹁ λ έ π ρ α ︵ l e p r ā ︶ ﹂ [ 4 ] 。 こ の 語 の 意 味 を 巡 っ て は 議 論 が 絶 え な い 。 少 な く と も 古 代 ギ リ シ ア に お い て は 、 語 源 に 見 え る よ う に ﹁ 皮 膚 が 鱗 状 ・ か さ ぶ た 状 に な る 症 状 群 ﹂ を 指 し 、 乾 癬 や 湿 疹 な ど 幅 広 い 皮 膚 疾 患 が こ の 名 で 呼 ば れ て い た 。 ハ ン セ ン 病 の 症 状 を 含 ん で い た か ど う か に つ い て は 諸 説 あ る 。 紀 元 前 5 〜 4 世 紀 の 古 い 使 用 例 と し て 、 ヘ ロ ド ト ス ﹃ 歴 史 ﹄ ︿ 1 巻 1 3 8 節 ﹀ 、 ア リ ス ト フ ァ ネ ス ﹃ ア カ ル ナ イ の 人 々 ﹄ ︿ 7 2 4 行 ﹀ な ど が あ り 、 ま た ヒ ポ ク ラ テ ス 集 成 の 中 で は ﹃ 予 知 論 II ﹄ ︿ 43 章 ﹀ な ど が あ る [ 注 釈 2 ] 。
ア リ ス ト テ レ ス が ﹁ サ テ ュ リ ア ﹂ と 呼 ん だ も の は 、 ハ ン セ ン 病 で あ っ た か も し れ な い 。 ま た 、 エ フ ェ ソ ス の ル フ ス ︵ 英 語 版 ︶ に よ れ ば 、 ギ リ シ ア の 医 者 エ ラ シ ス ト ラ ト ス の 弟 子 ス ト ラ ト ン が ﹁ カ コ キ ミ ア ︵ 英 語 版 ︶ ﹂ と 呼 ん だ も の は ﹁ 象 皮 病 ﹂ ︵ 後 述 ︶ で あ っ た と い う が 、 い ず れ の 場 合 も は っ き り し な い 。
や や 時 代 を 下 り 、 紀 元 前 1 世 紀 こ ろ か ら 、 ギ リ シ ア 語 な い し は ラ テ ン 語 で ﹁ 象 ἐ λ ε φ α ς , e l e p h a s ﹂ [ 5 ] ま た は ﹁ 象 皮 病 ἐ λ ε φ α ν τ ί α σ ι ς , e l e p h a n t i a s i s ﹂ [ 6 ] と 呼 ば れ て い た も の は 、 お そ ら く ハ ン セ ン 病 で あ っ た と 考 え ら れ て い る 。
こ の 病 気 は 全 身 を 冒 す た め 、 骨 も 悪 く な る と い わ れ て い る 。 身 体 の 表 面 に さ ま ざ ま な 斑 点 や 腫 瘍 が で き 、 そ れ ら の 赤 い 色 が 徐 々 に 黒 褐 色 に 変 わ っ て い く 。 皮 膚 の 表 面 が 均 一 的 で は な く 、 厚 か っ た り 、 薄 か っ た り 、 硬 か っ た り 、 柔 ら か か っ た り し 、 あ た か も 何 か の 鱗 の よ う に 粗 く な り 、 身 体 が し ぼ ん で く る が 、 顔 や ふ く ら は ぎ や 足 首 が 腫 れ て く る 。 病 気 が 古 く な っ て く る と 手 や 足 の 指 が 腫 瘍 で 隠 れ て し ま う ほ ど に な る 。 熱 が 出 る と 、 そ う し た ひ ど い 状 態 の 病 人 は 容 易 に 死 へ と 追 い や ら れ て し ま う 。 — ケ ル ス ス ﹃ 医 学 論 ﹄ 第 3 巻 25 章 よ り 、 [ 7 ]
七 十 人 訳 聖 書 ︵ ギ リ シ ア 語 訳 の 旧 約 聖 書 ︶ で は 、 皮 膚 上 の ﹁ צ ָ ר ַ ע ַ ת ツ ァ ー ラ ア ト ﹂ ︵ レ ビ 記 1 3 - 1 4 章 他 ︶ に 対 し 、 λ έ π ρ α の 訳 語 を 与 え て い る 。 ヘ ブ ル 語 の ﹁ ツ ァ ー ラ ア ト ﹂ も ま た 、 具 体 的 に ど う い っ た 病 気 を 指 し て い た の か は 特 定 困 難 で あ る が 、 レ ビ 記 13 章 の 記 述 で は ﹁ 体 毛 や 皮 膚 の 白 変 、 肉 が く ぼ ん だ り く ず れ た り す る 、 そ し て 患 部 が 広 が っ て い く 。 ﹂ と い う よ う な 症 例 が 人 間 に 対 し て の ツ ァ ー ラ ア ト で 、 こ れ 以 外 に 無 生 物 ︵ 布 ・ 皮 革 な ど 、 他 に 14 章 に も ﹁ 家 屋 ﹂ に 対 す る 説 明 も あ る 。 ︶ に 対 す る ツ ァ ー ラ ア ト の 例 も あ り 、 こ ち ら は ﹁ 赤 や 緑 の 染 み が 放 置 す る と 拡 大 し て い っ た り 、 洗 濯 し て も お ち な い 。 ﹂ と い っ た 症 例 に な っ て い る 。
日 本 聖 書 協 会 の 発 行 す る ﹃ 文 語 訳 聖 書 ﹄ で ﹁ 癩 病 ﹂ 、 ﹃ 口 語 訳 聖 書 ﹄ や ﹃ 共 同 訳 聖 書 ﹄ で も ﹁ ら い 病 ﹂ と 訳 さ れ て い る が 、 聖 書 の 2 0 0 2 年 版 以 降 の も の 、 お よ び ﹃ 新 共 同 訳 聖 書 ﹄ で は 、 別 の 日 本 語 に 翻 訳 し 直 し て 対 応 し て い る 。 旧 約 聖 書 ﹃ レ ビ 記 ﹄ 13 章 の 無 生 物 に 対 す る も の は 衣 服 に つ く カ ビ と 解 釈 し て ﹁ 悪 性 の か び ﹂ な ど と し た が 、 ほ か は 、 ほ ぼ す べ て ﹁ 重 い 皮 膚 病 ﹂ と し た 。
国 立 療 養 所 長 島 愛 生 園 長 島 曙 教 会 牧 師 大 嶋 得 雄 ら は 、 こ の ﹁ 重 い 皮 膚 病 ﹂ を 不 適 訳 で 、 真 実 ・ 愛 ・ 真 心 の あ る 訳 で な い も の で あ っ て 聖 書 が 差 別 偏 見 を 与 え る も の と な り 、 社 会 に 悪 影 響 を 及 ぼ す と し て 不 買 を 求 め て い る [ 8 ] [ 9 ] 。
2 0 1 8 年 に 刊 行 さ れ た ﹃ 聖 書 協 会 共 同 訳 聖 書 ﹄ で は ﹁ 規 定 の 病 ﹂ ︵ 律 法 で 規 定 さ れ た 病 の 意 味 ︶ に 変 更 さ れ た [ 1 0 ] 。
い の ち の こ と ば 社 の 発 行 す る ﹃ 新 改 訳 聖 書 ﹄ 第 三 版 で は ﹁ ツ ァ ラ ア ト ﹂ と 日 本 語 に 翻 訳 し た 。 元 来 、 旧 約 聖 書 の 原 典 に 用 い ら れ た と み ら れ る ヘ ブ ル 語 で あ る が 、 原 典 が ギ リ シ ヤ 語 で あ る 新 約 聖 書 で の 日 本 語 訳 版 も こ れ に 統 一 さ れ て い る 。
キ リ ス ト 教 会 以 外 で は 、 も の み の 塔 聖 書 冊 子 協 会 の 発 行 す る ﹃ 新 世 界 訳 聖 書 ﹄ 1 9 8 5 年 版 が ﹁ ら い 病 ﹂ ﹁ ら い 病 人 ﹂ な ど と し て い た が 、 聖 書 の 中 で ﹁ ら い 病 ﹂ と 訳 さ れ て い る 原 語 ︵ ヘ ブ ラ イ 語 の ツ ァ ー ラ ア ト 、 ギ リ シ ャ 語 の レ プ ラ ︶ が 、 今 日 の ハ ン セ ン 病 に 限 定 さ れ て い な い [ 1 1 ] こ と か ら 、 マ タ イ に よ る 福 音 書 分 冊 や 2 0 1 9 年 改 訂 版 で は ﹁ 重 い 皮 膚 病 ﹂ に 改 め ら れ て い る 。
奈 良 時 代 に 成 立 し た ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ [ 注 釈 3 ] 、 ﹁ 令 義 解 ﹂ [ 注 釈 4 ] [ 注 釈 5 ] に は 、 そ れ ぞ れ ﹁ 白 癩 ︵ び ゃ く ら い ・ し ら は た け ︶ ﹂ と い う 言 葉 が 出 て お り 、 現 在 の ハ ン セ ン 病 で は な い か と さ れ て い る [ 1 2 ] 。 ﹁ 令 義 解 ﹂ に は ﹁ 悪 疾 所 謂 白 癩 、 此 病 有 虫 食 五 臓 。 或 眉 睫 堕 落 或 鼻 柱 崩 壊 、 或 語 声 嘶 変 或 支 節 解 落 也 、 亦 能 注 染 於 傍 人 。 故 不 可 与 人 同 床 也 。 ﹂ と 極 め て 具 体 的 な 症 状 が 書 か れ て お り 、 こ れ が 解 釈 の 根 拠 に な っ て い る 。 こ の 解 釈 が 正 し い と す る と 、 こ れ が 世 界 最 古 の 感 染 症 に 関 す る 記 述 と な る 。 た だ し 、 ハ ン セ ン 病 以 外 の 皮 膚 病 を 含 ん で い る と い う 可 能 性 も 指 摘 さ れ て い る 。
鎌 倉 時 代 に な る と 、 漢 語 由 来 の ﹁ 癩 ︵ ら い ︶ ﹂ や ﹁ 癩 病 ﹂ が 使 わ れ る よ う に な っ た 。
江 戸 時 代 に な る と 、 や ま と こ と ば で ﹁ 乞 食 ﹂ を 意 味 す る ﹁ か っ た い ︵ か た い ︶ ﹂ と い う 言 葉 も 使 用 さ れ る よ う に な っ た 。 こ の 言 葉 は 、 一 般 に は 江 戸 時 代 ま で 使 わ れ た が 、 第 二 次 世 界 大 戦 後 ま で 使 用 さ れ た 地 域 も あ っ た 。 方 言 と し て は ﹁ ド ス ﹂ 、 ﹁ ナ リ ﹂ 、 ﹁ ク サ レ ﹂ 、 ﹁ ヤ ブ ﹂ な ど の 蔑 称 も 使 用 さ れ た 。 沖 縄 に お い て ハ ン セ ン 病 、 或 い は 患 者 は ﹁ ク ン キ ャ ﹂ と 呼 ば れ 、 忌 避 さ れ る 存 在 だ っ た 。
昭 和 時 代 に 入 る と 、 ド イ ツ 語 ま た は ラ テ ン 語 で あ る ﹁ l e p r a ︵ レ プ ラ ︶ ﹂ の 言 い 換 え 語 と し て 、 片 仮 名 表 記 の レ プ ラ と い う 言 葉 も 使 用 さ れ た [ 注 釈 6 ] 。 ﹁ レ プ ラ ﹂ は 島 木 健 作 や 織 田 作 之 助 の 作 品 な ど に 散 見 さ れ る 。 ま た 、 日 本 癩 学 会 が 発 行 す る 機 関 誌 名 に も 使 用 さ れ た 。
Hansen’s disease (ハンセン病)への改称[ 編集 ]
1 8 7 3 年 に ア ル マ ウ ェ ル ・ ハ ン セ ン が 癩 菌 を 発 見 し た こ と に よ り 、 ﹁ H a n s e n ’ s d i s e a s e , H D ﹂ と い う 名 称 が 使 わ れ る よ う に な っ た 。 1 9 3 1 年 の マ ニ ラ の 国 際 会 議 に お け る 発 言 を き っ か け と し て 、 ア メ リ カ 合 衆 国 の カ ー ヴ ィ ル 療 養 所 入 所 者 が 発 行 し て い る ﹁ T h e S t a r ﹂ 誌 ︵ 1 9 4 1 年 創 刊 ︶ を 中 心 に 活 動 が 行 わ れ た 。 1 9 4 6 年 に ス タ ン レ ー ・ ス タ イ ン が 癩 諮 問 委 員 会 に 提 言 し た が 受 け 入 れ ら れ ず 、 1 9 5 2 年 に ア メ リ カ 医 師 会 が ﹁ l e p r o s y ﹂ を ﹁ H a n s e n ’ s d i s e a s e ﹂ に 変 更 す る こ と で 改 名 が 実 現 し た 。
日 本 で も 、 療 養 所 入 所 者 を 中 心 に ﹁ 癩 病 ﹂ か ら ﹁ ハ ン ゼ ン 氏 病 ﹂ へ の 改 名 の 動 き が 現 れ た 。 当 初 の 名 称 が ﹁ ハ ン ゼ ン 氏 病 ﹂ と 濁 音 表 記 に な っ て い る の は ド イ ツ 語 訳 の 影 響 で あ る 。 1 9 5 3 年 ︵ 昭 和 28 年 ︶ 2 月 1 日 に ﹁ 全 国 国 立 癩 療 養 所 患 者 協 議 会 ︵ 全 癩 患 協 ︶ ﹂ は ﹁ 全 国 国 立 ハ ン ゼ ン 氏 病 療 養 所 患 者 協 議 会 ︵ 全 患 協 ︶ ﹂ に 改 称 し た 。 し か し 厚 生 省 は そ の 後 も ﹁ 癩 ﹂ を 平 仮 名 の ﹁ ら い ﹂ に 変 更 す る の み に と ど ま り 、 専 門 学 会 も ﹁ 日 本 ら い 学 会 ﹂ と 呼 ば れ ﹁ ら い ﹂ が 使 用 さ れ 続 け た 。 そ の 一 方 で 、 大 阪 皮 膚 病 研 究 会 や 、 那 覇 や 宮 古 島 の ハ ン セ ン 病 外 来 施 設 で あ る 皮 膚 科 診 療 所 な ど で は 、 ﹁ 癩 病 ﹂ の 使 用 は 忌 避 さ れ た 。 1 9 5 9 年 ︵ 昭 和 34 年 ︶ に 全 患 協 は よ り 一 般 的 な 英 語 読 み の ﹁ ハ ン セ ン 氏 病 ﹂ に 改 称 し 、 さ ら に 1 9 8 3 年 ︵ 昭 和 58 年 ︶ に は 、 ﹁ 氏 ﹂ を 削 除 し て ﹁ ハ ン セ ン 病 ﹂ へ と 改 称 し た 。 1 9 9 6 年 ︵ 平 成 8 年 ︶ の ら い 予 防 法 廃 止 後 は 、 官 民 と も に ﹁ ハ ン セ ン 病 ﹂ が 正 式 な 用 語 と な り 、 ﹁ 日 本 ら い 学 会 ﹂ も ﹁ 日 本 ハ ン セ ン 病 学 会 ﹂ に 改 称 さ れ た 。
東 洋 医 学 で は 、 元 来 、 ﹁ 大 風 ︵ 麻 風 ︶ ﹂ や ﹁ 癘 風 ﹂ ︵ れ い ふ う ︶ [ 注 釈 7 ] と も 呼 ば れ て い た が 、 ア ル マ ウ ェ ル ・ ハ ン セ ン ︵ 漢 生 ︶ の 名 を 取 っ た ﹁ 漢 生 病 ﹂ が 一 般 的 な 呼 称 と な っ た 。 2 0 0 8 年 に は 台 湾 で も 名 称 を ﹁ 漢 生 病 ﹂ と す る 事 が 法 的 に 定 め ら れ た 。
抗酸菌染色 の像。らい菌は赤色に染色されている[13]
感 染 源 は 、 菌 を 大 量 に 排 出 す る ハ ン セ ン 病 患 者 ︵ 特 に 多 菌 型 、 LL 型 ︶ で あ る 。 た だ し 、 ハ ン セ ン 病 治 療 薬 の 1 つ で あ る リ フ ァ ン ピ シ ン で 治 療 さ れ て い る 患 者 は 感 染 源 に は な ら な い [ 1 6 ] 。
昆 虫 、 特 に 蝿 に ら い 菌 が 感 染 し て 、 ヒ ト に ベ ク タ ー 感 染 す る こ と も あ る た め 、 昆 虫 も 感 染 源 に な り 得 る と い う 報 告 が あ る 。 ゴ キ ブ リ に よ る 結 核 菌 の 移 動 実 験 に よ り 証 明 さ れ た と い う 報 告 も あ る が 、 否 定 的 な 意 見 も 多 い 。
そ の 他 、 ル イ ジ ア ナ 、 ア ー カ ン ソ ー 、 ミ シ シ ッ ピ 、 テ キ サ ス の 低 地 の コ コ ノ オ ビ ア ル マ ジ ロ か ら ら い 菌 が 検 出 さ れ て お り 、 ア ル マ ジ ロ か ら 人 間 に 感 染 す る ル ー ト の 検 討 [ 1 7 ] や 、 自 然 界 、 特 に 川 な ど に 存 在 す る ら い 菌 が 経 鼻 感 染 に て 感 染 す る ル ー ト の 検 討 [ 1 8 ] も あ る 。
感 染 は 、 未 治 療 の ら い 菌 保 有 者 ︵ 特 に 菌 を 大 量 に 排 出 す る 多 菌 型 、 LL 型 患 者 ︶ の 鼻 汁 や 組 織 浸 出 液 を 感 染 源 と す る ル ー ト が 主 流 と な っ て い る 。 ヌ ー ド マ ウ ス に 菌 の ス プ レ ー を 与 え た 動 物 実 験 に よ り 確 認 さ れ た 。 飛 沫 感 染 ︵ d r o p l e t i n f e c t i o n ︶ と も 呼 ば れ る 。 ま た 、 経 鼻 ・ 経 気 道 感 染 と は 別 に 接 触 感 染 の ル ー ト も 存 在 す る 。 傷 の あ る 皮 膚 ︵ 英 : a b r a d e d s k i n ︶ 経 由 説 と 呼 ば れ 、 刺 青 部 や 外 傷 部 に 癩 の 病 巣 が で き る 病 例 よ り 証 明 さ れ て い る 。
前 述 し た と お り 、 そ の 他 の 感 染 経 路 と し て 昆 虫 か ら の ベ ク タ ー 感 染 の 経 路 の 研 究 も あ る が 、 否 定 的 な 意 見 も 多 く 証 明 さ れ て い な い 。
た と え 菌 を 大 量 に 排 出 す る ハ ン セ ン 病 患 者 ︵ 特 に LL 型 ︶ と 接 触 し て も 、 高 頻 度 に 感 染 が 成 立 す る 訳 で は な い 。 濃 密 な 感 染 環 境 下 に 置 か れ る 等 の 特 殊 な 条 件 が 必 要 で あ り 、 感 染 力 は 非 常 に 低 い 。 ら い 菌 と 接 触 す る 人 の 9 5 % は 、 自 然 免 疫 で 感 染 ・ 発 症 を 防 御 で き る た め で あ る 。 感 染 時 期 は 小 児 が 多 く 、 大 人 か ら 大 人 へ の 感 染 及 び 発 病 は 、 極 め て 稀 で あ る [ 1 9 ] 。
患 者 か ら 医 療 関 係 者 へ の 伝 染 に 関 し て は 、 一 般 的 に ﹁ 医 療 関 係 者 に 伝 染 発 病 し た 事 実 は な い ﹂ と 言 わ れ て い る [ 2 0 ] 。 た だ し 、 流 行 地 で 幼 児 期 を 過 ご し た 人 で あ れ ば 発 病 す る 可 能 性 が ゼ ロ で は な い こ と 、 実 際 に 患 者 に 接 触 し て 感 染 し た 医 師 や 神 父 ︵ ダ ミ ア ン 神 父 な ど ︶ も 存 在 す る こ と を 考 慮 す る 必 要 が あ る 。
感染してから発症するまでの潜伏期間 は長く、3〜5年とされているが、10年から数十年に及ぶ例もある。
らい菌を発見したアルマウェル・ハンセン
1 8 6 9 年 、 ノ ル ウ ェ ー の ア ル マ ウ ェ ル ・ ハ ン セ ン は ハ ン セ ン 病 患 者 の 癩 結 節 の 中 に 大 き な 塊 状 の も の が あ る こ と を 顕 微 鏡 で 発 見 し 、 1 8 7 3 年 2 月 28 日 に 細 菌 に よ く 似 た 小 さ な 桿 状 の 物 体 を 発 見 し た [ 2 1 ] 。 1 8 7 3 年 、 オ ス ロ で ﹁ 眼 の 癩 性 疾 患 ﹂ と 題 し た 発 表 の 中 で ハ ン セ ン が 癩 菌 を ス ケ ッ チ し た 図 を 残 し た 。 た だ し 当 時 は 染 色 法 も な く 、 ら い 菌 の 形 態 を 正 確 に 描 い た も の で は な か っ た 。 そ の 後 、 1 8 7 4 年 オ ス ロ の ク リ ス チ ャ ニ ア 医 学 会 で ﹁ 癩 の 発 生 原 因 に つ い て ﹂ と 題 し た 講 演 と ノ ル ウ ェ ー の 医 学 雑 誌 上 で の 発 表 を 行 っ た 。 1 8 7 5 年 に は 英 国 の 医 学 雑 誌 へ 再 掲 載 し 、 英 文 で 初 め て 発 表 を 行 っ た 。
ア ル ベ ル ト ・ ナ イ サ ー
1 8 7 9 年 、 ド イ ツ の 細 菌 学 者 で あ る ア ル ベ ル ト ・ ナ イ サ ー ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ が ハ ン セ ン か ら 分 与 さ れ た 標 本 か ら ら い 菌 の 染 色 に 成 功 し 、 ら い 菌 の 正 確 な 形 態 を 明 ら か に し た 。 追 随 し て ハ ン セ ン も 1 8 8 0 年 に 発 表 を 行 っ た 。 ち な み に 、 ら い 菌 を 最 初 に ス ケ ッ チ し た ハ ン セ ン と 、 初 め て 染 色 に 成 功 し て ら い 菌 の 形 態 を 明 ら か に し た ナ イ サ ー は ﹁ ら い 菌 の 発 見 者 ﹂ で あ る と 共 に 主 張 し 論 争 が 起 こ っ た [ 2 2 ] 。 そ の 後 、 ハ ン セ ン が ら い 菌 を 1 8 7 3 年 に 発 見 [ 2 1 ] し た と い う こ と で 決 着 し た 。
人獣共通感染症 でも知られるが、自然動物ではヒト、霊長類 (マンガベイモンキー)とココノオビアルマジロ 以外に感染した例はない。以下、ヒトの感染状況について説明する。
(参考)2003年当時のハンセン病の新規患者数(罹患率)の分布
2 0 1 8 年 初 頭 の 登 録 患 者 数 ︵ 治 療 中 の 患 者 ︶ は 1 8 4 , 2 3 8 人 、 2 0 1 8 年 の 新 規 患 者 数 ︵ 年 間 罹 患 者 数 ︶ は 2 0 8 , 6 4 1 人 で あ る [ 2 3 ] 。 登 録 患 者 数 は 一 定 の 治 療 を 終 え た 患 者 は 治 癒 の 有 無 に 問 わ ず 、 登 録 か ら 除 外 さ れ て い る 。 そ の た め 年 次 報 告 の 性 質 上 、 年 内 に 治 療 が 完 了 す る と 登 録 者 か ら 除 外 さ れ る た め 、 新 規 患 者 数 ︵ 年 間 罹 患 者 数 ︶ は 登 録 患 者 数 を 上 回 る 。 MB 型 で は 1 年 で な く 2 年 以 上 で 治 療 し て い る の で 例 外 が あ る 。
注 意 点 と し て は 、 ハ ン セ ン 病 と 診 断 さ れ て 、 適 切 に 治 療 し て い る 人 数 の み を カ ウ ン ト し て い る た め 、 ハ ン セ ン 病 と 診 断 さ れ ず 、 治 療 さ れ て い な い 患 者 も 相 当 数 存 在 す る と 思 わ れ る 。
表 1 に 、 地 域 別 の 2 0 1 8 年 初 頭 の 登 録 患 者 数 、 2 0 0 1 - 2 0 1 8 年 の 新 規 患 者 数 の 動 向 を 示 し た [ 2 4 ] [ 2 3 ] 。 2 0 0 1 年 と 2 0 1 0 年 と を 比 較 す る と 新 規 患 者 数 は 5 3 4 , 0 0 0 件 余 ︵ 7 0 % ︶ 減 少 し 、 そ の 後 も 減 少 傾 向 に あ る 。 表 2 に は 2 0 1 8 年 の 国 家 別 新 規 患 者 数 で 患 者 数 が 1 , 0 0 0 人 以 上 の 国 家 を 降 順 に リ ス ト ア ッ プ し た 。 2 0 1 8 年 現 在 、 イ ン ド で 新 規 患 者 数 が 最 も 多 く な っ て い る 。
表1:2018年初頭の登録患者数、2001–2018年新規患者数の動向(2014年まではヨーロッパ地域を除く)
地域
登録患者数(人) [] は人口10,000当たりの有病率
新規患者数(年間罹患者数)(人)
2018年初頭
2001年
2004年
2007年
2010年
2013年
2016年
2018年
アフリカ州
22,865 [0.21]
39,612
46,918
34,468
25,345
20,911
19,384
20,586
アメリカ州
34,358 [0.34]
42,830
52,662
42,135
37,740
33,084
27,356
30,957
ヨーロッパ
39 [<0.0]
32
50
東南アジア
114,004 [0.58]
668,658
298,603
171,576
156,254
155,385
161,263
148,495
中東 ・近東
5,096 [0.07]
4,758
3,392
4,091
4,080
1,680
2,834
4,338
西太平洋
7,876 [0.04]
7,404
6,216
5,863
5,055
4,596
3,914
4,193
計
184,238
763,262
407,791
258,133
228,474
215,656
214,783
208,641
表2:2018年の国家別新規患者数(降順)
国家
新規患者数(人)
インド
120,334
ブラジル
28,660
インドネシア
17,017
バングラデシュ
3,729
ネパール
3,249
コンゴ民主共和国
3,323
エチオピア
3,218
ソマリア
2,610
モザンビーク
2,422
ミャンマー
2,214
フィリピン
2,176
ナイジェリア
2,095
スリランカ
1,703
タンザニア
1,482
マダガスカル
1,424
W H O に よ る ハ ン セ ン 病 制 圧 の 定 義 は 、 1 9 9 1 年 5 月 に 開 催 さ れ た 第 44 回 世 界 保 健 総 会 で 決 定 さ れ 、 人 口 1 0 0 万 人 以 上 の 国 で 、 登 録 患 者 数 が 人 口 1 万 人 あ た り 1 人 を 下 回 る ︵ 有 病 率 が 1 . 0 を 下 回 る ︶ こ と と さ れ た 。 こ の 定 義 を 遵 守 す る と 日 本 で は 1 9 7 0 年 前 後 に 制 圧 を 達 成 し て い る 。 2 0 0 5 年 初 頭 は イ ン ド ・ ブ ラ ジ ル ・ コ ン ゴ 民 主 共 和 国 ・ ア ン ゴ ラ ・ モ ザ ン ビ ー ク ・ ネ パ ー ル ・ タ ン ザ ニ ア ・ 中 央 ア フ リ カ の 9 カ 国 が 未 制 圧 国 で あ っ た が 、 2 0 0 6 年 初 頭 に イ ン ド ・ ア ン ゴ ラ ・ 中 央 ア フ リ カ が 、 2 0 0 7 年 初 頭 に マ ダ ガ ス カ ル と タ ン ザ ニ ア が 、 2 0 0 7 年 末 に コ ン ゴ 民 主 共 和 国 と モ ザ ン ビ ー ク が 制 圧 を 達 成 し た 。 現 在 の 未 制 圧 国 は ブ ラ ジ ル ・ ネ パ ー ル と 、 新 た に 加 わ っ た 東 テ ィ モ ー ル の 3 カ 国 と な っ て い る 。 東 テ ィ モ ー ル は 以 前 よ り 有 病 率 が 1 . 0 を 超 え て い た も の の 、 人 口 1 0 0 万 人 未 満 で あ っ た た め に 定 義 よ り 除 外 さ れ て い た 。 し か し 2 0 0 8 年 、 人 口 1 0 0 万 人 を 突 破 し た こ と に よ り 加 わ っ た 。
表 3 に は 未 制 圧 国 の ブ ラ ジ ル ・ ネ パ ー ル ・ 東 テ ィ モ ー ル 、 最 近 ま で 未 制 圧 国 で あ っ た モ ザ ン ビ ー ク ・ コ ン ゴ 民 主 共 和 国 ・ タ ン ザ ニ ア ・ マ ダ ガ ス カ ル ・ イ ン ド の 登 録 患 者 数 と 新 規 患 者 数 の 最 近 の 動 向 を ま と め た 。
表3:主要国家における登録患者数と新規患者数(年間罹患者数)の推移
国家
登録患者数(人) ()は人口10,000人当たりの有病率
新規患者数(年間罹患者数)(人) ()は人口10,000人当たりの罹患率
2004年初頭
2005年初頭
2006年初頭
2007年初頭
2008年初頭
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
ブラジル
79,908 (4.6)
30,693 (1.7)
27,313 (1.5)
60,567 (3.2)
45,847 (2.40)
49,206 (2.86)
49,384 (2.69)
38,410 (2.06)
44,436 (2.4)
39,125 (2.05)
ネパール
7,549 (3.1)
4,699 (1.8)
4,921 (1.8)
3,951 (1.4)
3,329 (1.2)
8,046 (3.29)
6,958 (2.62)
6,150 (2.27)
4,253 (1.53)
4,436 (1.57)
東ティモール
*
*
289 (3.1)
222 (2.2)
131 (1.2)
*
*
288 (3.04)
248 (2.46)
184 (1.72)
モザンビーク
6,810 (3.4)
4,692 (2.4)
4,889 (2.5)
2,594 (1.3)
no data(制圧)
5,907 (2.94)
4,266 (2.20)
5,371 (2.71)
3,637 (1.80)
2,510
コンゴ民主共和国
*
10,530 (1.9)
9,785 (1.7)
8,261 (1.4)
no data(制圧)
7,165
11,781 (2.11)
10,737 (1.87)
8,257 (1.39)
8,820
タンザニア
5,420 (1.6)
4,777 (1.3)
4,190 (1.1)
no data(制圧)
no data(制圧)
5,279 (1.54)
5,190 (1.38)
4,237 (1.11)
3,450
no data
マダガスカル
*
4,610 (2.5)
2,094 (1.1)
no data(制圧)
no data(制圧)
4,266
3,710 (2.05)
2,709 (1.46)
1,536
1,644
インド
*
148,910 (1.4)
95,150 (0.87) (制圧)
no data(制圧)
no data(制圧)
367,143
260,063 (2.39)
161,457 (1.46)
139,252
137,685
(補足)
a) 制圧とは人口10,000当たり1件以下の患者数であること。 b) *印はデータなし。 c) マダガスカルは2006年9月に国家レベルでハンセン病を制圧した。 d) ネパールは統計期間が異なり2004年11月中旬–2004年11月中旬である。 e) コンゴは2008年に2007年末をもって制圧に達したとWHO に公式に報告している。
ハ ン セ ン 病 は 全 世 界 に 見 ら れ る が 、 分 布 は 一 様 で な く 、 度 々 、 流 行 も 生 じ る 。 代 表 的 な も の と し て は 、 1 8 5 0 〜 1 9 2 0 年 の ノ ル ウ ェ ー ・ 1 9 2 0 年 代 の ナ ウ ル 島 ・ 1 9 8 0 年 代 の カ ピ ン ガ マ ラ ン ギ 島 で の 流 行 が あ る 。 流 行 の 原 因 に つ い て 多 種 多 様 な 検 討 も 行 わ れ て い る [ 2 5 ] が 、 実 際 に は 明 確 に な っ て い な い 。
男 女 比 に 関 し て は 、 全 世 界 を 通 じ て 男 性 が 女 性 よ り 多 い 。 男 性 は 小 児 期 か ら 活 動 的 で あ り 、 感 染 し や す い と 言 わ れ て い る が 、 明 確 に は 原 因 が 分 か っ て い な い 。 た だ し 日 本 の 全 国 の 療 養 所 で は 、 一 般 的 に 男 性 の 方 が 女 性 よ り 寿 命 が 短 い た め に 男 女 比 は ほ と ん ど 同 じ ま た は 逆 転 し て い る 。
貧 困 層 と 富 裕 層 の 比 較 に 関 し て は 、 イ ン ド の 調 査 に よ る と 、 貧 困 層 に 発 症 率 が 高 い 。 ハ ン セ ン 病 患 者 は 、 亜 鉛 、 カ ル シ ウ ム 、 マ グ ネ シ ウ ム が 正 常 の 人 に 比 べ て 著 し く 低 値 で あ っ た [ 2 6 ] 。
表4は1996-2018年までの日本での新規患者数である。日本で発見された日本国籍 の新規患者は減少し続け、2005年に初めてゼロになった。以後日本で発見された新規患者は、国外 で過ごして来日した在日外国人 の割合が多い。
表4:日本国内の新規患者数(人)*2019年4月1日現在[27]
年
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
日本人
6
6
5
8
6
5
7
1
4
0
1
1
3
0
0
在日外国人
18
8
5
11
8
8
9
7
8
7
6
10
4
2
4
合計
24
14
10
19
14
13
16
8
12
7
7
11
7
2
4
年
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
日本人
2
0
1
1
1
0
1
0
在日外国人
3
3
2
4
6
3
1
3
合計
5
3
3
5
7
3
2
3
在 日 外 国 人 の 中 で は 、 ブ ラ ジ ル 出 身 者 と 東 南 ア ジ ア 出 身 者 が ほ と ん ど で あ る 。
一 方 、 登 録 患 者 数 は 日 本 で は 1 9 9 7 年 ︵ 平 成 9 年 ︶ 以 降 、 公 表 さ れ て い な い 。 日 本 国 内 の 療 養 所 入 所 者 数 は 、 2 0 1 9 年 現 在 1 , 2 1 5 人 で あ る が 、 ハ ン セ ン 病 が 治 癒 し て も 障 害 を 負 っ た 人 々 が 、 施 設 で 暮 ら し て い る 。
世 界 保 健 機 関 に 定 義 さ れ る よ う に ﹁ 診 断 さ れ て 適 切 に 一 定 期 間 治 療 を 行 い 、 そ の 後 は 患 者 登 録 か ら 除 外 さ れ る ﹂ と い う 観 点 で 、 日 本 の 登 録 患 者 数 を 推 定 す る と 、 新 規 患 者 数 と 同 程 度 で あ る 数 名 と な る 。
し か し 、 日 本 で は 菌 を ゼ ロ に す る ま で 治 療 を 行 う 治 療 基 準 が 設 け ら れ て お り 、 W H O が 規 定 し て い る 治 療 期 間 よ り 大 幅 に 治 療 が 長 期 化 し て い る ケ ー ス や 、 一 旦 治 癒 し た が 菌 検 査 で 少 し で も 陽 性 が み ら れ れ ば 治 療 を 行 う と い う ケ ー ス も 考 え ら れ る た め 、 実 際 に 治 療 を 行 っ て い る 患 者 数 に 関 し て は 、 W H O で 定 義 し て い る 登 録 患 者 数 に 比 べ る と か な り 多 い と 推 定 さ れ る 。 し か し 実 際 の と こ ろ は 、 治 療 を 行 っ て い る 患 者 数 に 関 す る 統 計 を 行 っ て い な い の で 、 詳 細 は 不 明 で あ る 。
病 型 別 で は 、 昭 和 前 半 の 統 計 で は あ る が 、 日 本 で は 多 菌 型 が 多 く 、 癩 性 禿 頭 症 や 失 明 が 多 か っ た 。 光 田 健 輔 に よ る と 、 1 9 1 1 年 に 公 立 療 養 所 第 一 区 府 県 立 全 生 病 院 ︵ 現 、 国 立 療 養 所 多 磨 全 生 園 ︶ で は 5 8 . 6 3 % に 禿 頭 症 が み ら れ た 。 沖 縄 県 や 東 南 ア ジ ア の 様 な 流 行 地 で は 、 症 状 は 一 般 的 に 軽 い と い わ れ て い る [ 2 8 ] 。
ハ ン セ ン 病 の 分 類 に 関 し て は 様 々 な 分 類 法 が あ る 。 一 般 的 な 病 型 分 類 は 、 W H O の MB 型 ・ PB 型 分 類 法 で あ り 、 こ の 分 類 が 望 ま し い 。 以 前 は 、 1 9 6 2 年 提 唱 の R i d l e y & J o p l i n g の 分 類 法 が 一 般 的 に 使 用 さ れ た 。
W H O は 、 多 剤 併 用 療 法 に よ る 治 療 方 針 決 定 上 の 簡 便 な 病 型 分 類 と し て 、 MB 型 ︵ 多 菌 型 、 m u l t i b a c i l l a r y ︶ と PB 型 ︵ 少 菌 型 、 p a u c i l b a c i l l a r y ︶ の 2 分 類 を 採 用 し て い る 。 MB 型 は お お む ね LL 型 、 BL 型 、 BB 型 お よ び 一 部 の BT 型 に 相 当 す る 。 一 方 、 PB 型 は お お む ね I 群 、 TT 型 お よ び 大 部 分 の BT 型 に 相 当 す る 。 菌 ス メ ア 検 査 の BI ︵ b a c t e r i a l i n d e x ︶ ︵ 菌 指 数 ︶ と 皮 疹 ︵ 皮 膚 の 発 疹 ︶ の 数 に よ っ て 分 け ら れ る 。 BI に つ い て は 検 査 の 項 を 参 照 。
MB型(多菌型):BI陽性・皮疹6個以上
PB型(少菌型):BI陰性・皮疹5個以下
1 9 6 2 年 に 提 唱 さ れ た 分 類 法 で あ る [ 2 9 ] [ 3 0 ] 。 分 類 の 方 法 は 、 ら い 菌 に 対 す る 生 体 の 細 胞 性 免 疫 の 強 弱 に 基 づ い て い る 。 LL 型 ︵ ら い 腫 型 、 l e p r o m a t o u s t y p e ︶ 、 TT 型 ︵ 類 結 核 型 、 t u b e r c u l o i d t y p e ︶ 、 B 群 ︵ 境 界 群 、 b o d e r l i n e g r o u p ︶ 、 I 群 ︵ 未 定 型 群 、 i n d e t e r m i n a t e g r o u p ︶ に 分 け 、 さ ら に B 群 は LL 型 に 近 い BL 型 ( b o r d e r l i n e l e p r o m a t o u s t y p e ) 、 TT 型 に 近 い BT 型 ( b o r d e r l i n e t u b e r c u l o i d t y p e ) 、 中 間 の BB 型 ( m i d - b o r d e r l i n e t y p e ) と 、 1 群 5 型 に 分 類 し た 。
LL 型
ら い 菌 に 対 し て 免 疫 を ほ と ん ど 持 た な い 人 が 、 ら い 菌 と 接 触 し 感 染 が 成 立 し た 場 合 に 生 じ る 。 治 療 を 行 な わ な い と 進 行 し て 、 体 や 四 肢 に 褐 色 の 結 節 ︵ 癩 腫 ︶ を 生 じ 、 眉 毛 が 抜 け 、 結 節 が 崩 れ て 特 異 な 顔 貌 を 呈 す る 。 皮 膚 の 病 巣 か ら 菌 が 検 出 さ れ る 。 病 理 組 織 検 査 で は 、 ら い 菌 が 多 数 検 出 で き る が 、 リ ン パ 球 の 浸 潤 は 少 な い 。 メ カ ニ ズ ム は T h 2 型 の 反 応 で あ り 、 抗 原 提 示 や 殺 菌 な ど の 機 能 が 抑 制 さ れ る ︵ 細 胞 性 免 疫 の 低 下 ︶ こ と に よ っ て 症 状 が 出 現 す る 。
TT 型
ら い 菌 に 対 す る 免 疫 は 本 来 存 在 す る が 、 何 ら か の 理 由 で 免 疫 が 低 下 し た り し て 、 感 染 が 成 立 す る よ う な 場 合 に 生 じ る 。 皮 膚 に 知 覚 麻 痺 を 伴 う 紅 色 斑 を 呈 す る 。 皮 膚 か ら 菌 は 検 出 さ れ な い が 、 そ の 一 方 で 、 免 疫 反 応 と 考 え ら れ る 神 経 の 障 害 が 、 発 病 の 初 期 か ら 起 こ る こ と が 多 い た め 、 神 経 障 害 な ど の 臨 床 症 状 か ら 診 断 が つ く の が ほ と ん ど で あ る 。 病 理 組 織 検 査 で も 、 ら い 菌 は 検 出 さ れ な い が 、 末 梢 神 経 の 周 り に リ ン パ 球 の 強 い 浸 潤 像 が み ら れ る 。 メ カ ニ ズ ム は T h 1 型 の 反 応 で あ り 、 細 胞 性 免 疫 は 保 た れ る が 、 強 い 組 織 傷 害 を 起 こ す サ イ ト カ イ ン が 出 現 す る こ と に よ っ て 症 状 が 出 現 す る 。
B 群
免 疫 応 答 が LL 型 と TT 型 の 中 間 に 位 置 す る 。 内 容 ・ 程 度 も 不 安 定 で 特 異 的 な 症 状 が な い 。 病 理 組 織 像 も 両 者 の 特 徴 が 共 存 し て い る 。
I 群
ハ ン セ ン 病 特 有 の 症 状 に 乏 し い 発 病 初 期 を 一 つ に ま と め た も の 。
マ ド リ ッ ド 分 類 法
第 6 回 国 際 ら い 会 議 で 1 9 5 3 年 に 提 唱 さ れ た リ ド レ イ と ジ ョ プ リ ン グ ︵ R i d l e y & J o p l i n g ︶ の 分 類 法 以 前 の 分 類 法 。 ら い 腫 型 ︵ L 型 ︶ ・ 境 界 群 ︵ B 群 ︶ ・ 類 結 核 型 ︵ T 型 ︶ ・ 不 定 型 群 ︵ I 群 ︶ の 2 群 2 型 に 分 類 し て い る 。
日 本 の 伝 統 的 分 類 法
結 節 ら い ・ 斑 紋 ら い ・ 神 経 ら い の 3 型 に 分 類 。 結 節 ら い は LL 型 と B 群 の 一 部 、 斑 紋 ら い は TT 型 と B 群 の 一 部 に 相 当 す る も の と 思 わ れ る 。 神 経 ら い は TT 型 と B 群 の 一 部 で 斑 紋 が 消 失 し た 状 態 に 相 当 す る も の と 思 わ れ る 。
症 状 は 主 に 末 梢 神 経 障 害 と 皮 膚 症 状 で あ る 。 ら い 菌 の 至 適 温 度 は 3 0 - 3 3 ℃ で あ る た め 、 温 度 の 高 い 肝 臓 や 脾 臓 、 腎 臓 等 の 臓 器 に 病 変 が 生 じ て も 症 状 は 見 ら れ な い 。 病 状 が 進 む と 、 末 梢 神 経 障 害 に 由 来 す る 変 形 や 眼 症 状 な ど の 合 併 症 状 を 生 じ る 。 し か し 、 早 期 診 断 ・ 早 期 治 療 を 行 え ば 、 こ の よ う な 重 篤 な 合 併 症 状 に 至 る 例 は な い 。
前 述 し た よ う に 末 梢 神 経 障 害 と 皮 膚 症 状 が 重 要 で あ る 。 神 経 の 症 状 と し て は 神 経 障 害 だ け で な く 末 梢 神 経 の 肥 厚 ︵ 触 診 で 触 れ る こ と が で き る ︶ も 出 現 す る た め ま と め て 記 載 し た 。 前 述 し た R i d l e y & J o p l i n g の 分 類 法 に 基 づ き 症 状 の 出 方 が 異 な る た め 、 そ れ に 準 じ て 解 説 を 加 え る 。 な お 、 末 梢 神 経 の 炎 症 の 結 果 生 じ る 感 覚 障 害 、 痺 れ 、 運 動 麻 痺 に つ い て は 内 部 リ ン ク も 参 照 の こ と 。
LL 型 ︵ ら い 腫 型 ︶
皮 膚 症 状
皮 疹 の 形 状 は 斑 状 ・ 結 節 ・ 丘 疹 が 出 現 す る 。 出 現 す る 発 疹 に よ っ て 丘 疹 型 、 結 節 型 、 瀰 漫 浸 潤 型 に 分 類 す る こ と も あ る が 、 実 際 に は そ れ ら が 混 在 し て い る こ と が 多 い 。 疼 痛 や 痒 み な ど の 自 覚 症 状 は 通 常 は な い 。 表 面 が 脂 ぎ っ て 滑 ら か な 感 じ が あ り 、 左 右 対 称 性 に 発 疹 が 分 布 し 、 境 界 は 不 明 瞭 で あ る と い う 特 徴 が あ る 。
神 経 障 害
知 覚 障 害 は 軽 度 で あ る 。 神 経 の 肥 厚 は 全 身 に 出 現 す る も の の 発 症 初 期 に は 不 明 確 で あ る 。
TT 型 ︵ 類 結 核 型 ︶
皮 膚 症 状
多 様 な 発 疹 が 出 現 す る 。 孤 立 性 の 隆 起 性 紅 斑 が 特 徴 的 で あ る 。 発 疹 の 分 布 は 非 対 称 的 で LL 型 に 比 べ る と 皮 疹 の 数 は 少 な い 。 境 界 は 明 瞭 で 比 較 的 単 純 な 弧 を 描 い て い る の も 特 徴 で あ る 。 ま た 、 そ の 部 分 の 皮 膚 の 構 造 は 破 壊 さ れ て 発 汗 障 害 を き た し た り 毛 が 脱 落 す る と と も に 、 皮 疹 に 一 致 し て 明 瞭 な 知 覚 障 害 を 生 じ る 。
神 経 障 害
皮 疹 に 一 致 し た 知 覚 障 害 が 特 徴 的 で 早 期 よ り 出 現 す る 。 神 経 の 肥 厚 も 早 期 よ り 起 こ る が 限 局 し て 生 じ る 。 LL 型 の よ う に 全 身 ・ 左 右 対 称 に は 生 じ な い 。 知 覚 障 害 は 島 状 に 分 布 し 、 通 常 の 神 経 の 走 行 に 一 致 し な い こ と が 多 い 。
B 群 ︵ 境 界 群 ︶
LL 型 ・ TT 型 の 移 行 群 の 総 称 で あ り 、 様 々 な 発 疹 や 神 経 障 害 を 生 じ る 。
I 群 ︵ 未 定 型 群 ︶
前 述 し た 如 く 、 発 病 初 期 で ま だ 病 型 が 決 定 で き な い 時 期 に 相 当 す る 。 そ の 後 LL 型 ・ TT 型 ・ B 群 の 特 徴 的 な 発 疹 ・ 神 経 障 害 に 変 化 し て い く 。 こ の 段 階 で は 病 理 検 査 で も ハ ン セ ン 病 特 有 の 特 徴 も 示 さ ず 、 ハ ン セ ン 病 の 重 要 所 見 で あ る 神 経 障 害 も 明 確 で な い 。
皮 膚 症 状
境 界 不 明 瞭 で 平 坦 な 淡 紅 色 斑 が 2 - 3 個 出 現 す る 。
神 経 障 害
知 覚 障 害 は ほ と ん ど な い 。 あ っ て も 軽 度 で あ る 。 神 経 肥 厚 は ま だ み ら れ な い 。
ハ ン セ ン 病 神 経 障 害 を 生 じ る た め に 、 二 次 的 に 様 々 な 症 状 が 出 現 す る 。 た と え ば 眼 症 状 、 神 経 因 性 疼 痛 、 脱 毛 、 変 形 、 う ら 傷 な ど の 皮 膚 疾 患 、 筋 萎 縮 ・ 運 動 障 害 等 が 知 ら れ て い る 。
眼 症 状
顔 面 神 経 麻 痺 に よ る 兎 眼 ︵ 開 眼 の ま ま に な る ︶ 、 三 叉 神 経 麻 痺 に よ る 角 膜 の 知 覚 障 害 が 原 因 で 、 角 膜 が 障 害 さ れ や す く な り 角 膜 炎 を 併 発 し 失 明 す る 人 も い る 。 ま た 、 鼻 粘 膜 が 障 害 さ れ 、 涙 管 閉 塞 を き た す こ と も し ば し ば 起 こ り 、 逆 行 性 感 染 に よ る 頑 固 な 結 膜 炎 も 起 こ す こ と が あ る 。 そ の た め 、 常 に 点 眼 剤 を 必 要 と す る 人 も 多 い 。
神 経 因 性 疼 痛
ハ ン セ ン 病 で は 神 経 障 害 ・ 機 能 不 全 の た め 、 様 々 な 神 経 痛 が 生 じ 神 経 因 性 疼 痛 と も 呼 ば れ る 。 多 く は 突 然 、 電 撃 痛 と も 呼 ば れ る 強 い 痛 み に 襲 わ れ る 。 神 経 痛 の 症 状 も さ ま ざ ま で 、 俗 称 ﹁ だ る 神 経 痛 ﹂ ︵ 日 本 語 の ﹁ だ る い ﹂ が 語 源 ︶ な ど も あ る 。 ネ パ ー ル で は ‘ J h u m - J h u m ’ と 表 現 さ れ て い る 。 ま た 、 触 刺 激 に よ っ て 誘 発 さ れ る 疼 痛 ア ロ デ ィ ニ ア ︵ 知 覚 過 敏 ︶ と い う 病 態 も あ る 。 あ る 特 定 の 部 位 を 触 っ た り 冷 覚 ・ 温 覚 刺 激 を 与 え た り す る と 出 現 す る た め 、 特 筆 す べ き 疼 痛 で あ る 。 非 ス テ ロ イ ド 性 抗 炎 症 薬 も 使 わ れ る が 効 果 が 低 い た め 、 適 宜 、 抗 う つ 薬 や 抗 け い れ ん 薬 、 麻 薬 系 鎮 痛 薬 も よ く 使 わ れ る [ 3 1 ] 。
脱 毛
LL 型 で は 眉 毛 な ど も 脱 毛 し 治 癒 後 も 再 生 し な い 。 以 前 日 本 で は 頭 髪 の 脱 毛 も み ら れ 、 動 脈 に 沿 っ て 毛 が 残 存 す る の が 特 徴 と さ れ た 。
変 形
ハ ン セ ン 病 に お け る 変 形 は 、 治 療 が 行 わ れ ず 進 行 し て い く 種 々 の 病 変 の 結 果 と 、 神 経 の 麻 痺 、 感 覚 が な い こ と に よ る 外 傷 の 積 み 重 ね な ど に よ る 。
顔
顔 面 神 経 麻 痺 に よ る 症 状 が 多 い 。 LL 型 で は 軟 骨 が 侵 さ れ 鞍 鼻 ︵ 鼻 根 部 が 陥 没 し た 状 態 ︶ ・ 耳 の 変 形 を 生 じ る こ と も あ る 。 な お 鞍 鼻 は 梅 毒 で も み ら れ る こ と が あ る の で 、 誤 診 の 例 も あ っ た 。
四 肢
尺 骨 神 経 や 正 中 神 経 麻 痺 に よ り 鷲 手 ・ 猿 手 を 生 じ る 。 廃 用 や 外 傷 に よ っ て 四 肢 の 萎 縮 や 欠 損 も 生 じ る 。 レ ン ト ゲ ン 検 査 を 行 う と 骨 の 萎 縮 も 観 察 さ れ る 。 指 に 関 し て も 末 節 ・ 中 節 ・ 基 節 な ど で 萎 縮 や 欠 損 が み ら れ る 。 四 肢 の 切 断 端 に は 度 々 、 瘢 痕 癌 が 生 じ 、 特 に タ イ で の 発 症 例 が 多 い と の 報 告 が あ る 。 変 形 に 対 し て は し ば し ば 手 術 療 法 が 行 わ れ る 。 四 肢 の 先 端 が 冷 た く な る 。
う ら 傷
う ら 傷 は 足 底 を 中 心 に 出 現 す る 慢 性 の 難 治 性 潰 瘍 で あ る 。 正 式 名 称 は 皮 膚 穿 孔 症 で あ る 。 な お 、 先 天 性 無 痛 覚 症 や 糖 尿 病 性 神 経 障 害 に お い て も 同 様 の う ら 傷 を 呈 す る た め 、 ハ ン セ ン 病 に お い て も 、 感 覚 消 失 が 主 役 を 演 じ る と 思 わ れ る 。 難 治 性 の 慢 性 創 傷 で あ る た め 、 そ の 部 位 か ら 有 棘 細 胞 癌 と い う 皮 膚 腫 瘍 が 出 現 す る こ と も あ る 。
そ の 他 の 皮 膚 疾 患
末 梢 神 経 障 害 は 自 律 神 経 障 害 も 生 じ る た め 、 皮 膚 か ら の 発 汗 作 用 が 障 害 さ れ て 乾 皮 症 を 誘 発 す る 。 皮 膚 の 防 御 力 の 減 退 、 血 管 等 に 見 ら れ る 神 経 反 射 作 用 が 消 失 に よ り 炎 症 の 治 癒 機 転 の 障 害 を 引 き 起 こ す 。 知 覚 障 害 の た め 外 傷 ・ 熱 傷 に 侵 さ れ や す く 、 症 状 の 訴 え が な い た め 治 療 開 始 が 遅 れ る こ と も あ る 。 傷 が で き や す い 上 に な か な か 治 り に く い た め 、 十 分 な ケ ア が 必 要 で あ る 。
筋 萎 縮 ・ 運 動 障 害
四 肢 の 萎 縮 に よ り 様 々 な 運 動 障 害 を 生 じ 、 患 者 の 生 活 レ ベ ル を 低 下 さ せ る 。 咽 頭 部 の 運 動 障 害 は 誤 飲 や 嚥 下 障 害 を 誘 発 す る た め 、 誤 嚥 性 肺 炎 に も 注 意 す る 。
ら い 反 応 と は ハ ン セ ン 病 の 治 療 過 程 に お い て 起 こ る 急 激 な 反 応 で あ る 。 こ れ ら の 急 性 反 応 は 1 型 ら い 反 応 と 2 型 ら い 反 応 と に 大 別 さ れ る 。 ハ ン セ ン 病 に お い て は 菌 自 体 の 働 き が 遅 い た め 一 般 に は 慢 性 的 な 経 過 を 辿 る こ と が 多 い が 、 こ の ら い 反 応 は 神 経 障 害 ︵ 後 遺 症 ︶ を 伴 う た め 、 直 ち に 適 切 な 対 応 を 要 す る 。
1 型 ら い 反 応
BB ・ BT ・ TT 型 の 治 療 開 始 後 に 生 じ る 反 応 で 機 序 は IV 型 ア レ ル ギ ー と さ れ て い る 。 境 界 反 応 ︵ b o r d e r l i n e r e a c t i o n ︶ ま た は リ バ ー サ ル 反 応 ︵ R e v e r s a l r e a c t i o n ︶ と も 呼 ば れ る 。 急 に 皮 膚 の 発 赤 が 増 強 し た り 腫 れ た り す る 症 状 や 末 梢 神 経 障 害 の 急 激 な 増 悪 反 応 を 生 じ る 。 入 院 加 療 の 上 、 ス テ ロ イ ド 大 量 投 与 ︵ 内 服 ︶ を 行 う 。
2 型 ら い 反 応
LL 型 ・ BL 型 で 治 療 開 始 か ら 約 半 年 後 に 生 じ る 急 激 な 反 応 で 機 序 は I I I 型 ア レ ル ギ ー と さ れ て い る 。 こ の 際 に 生 じ る 皮 疹 を ら い 性 結 節 性 紅 斑 ︵ E N L , E r y t h e m a n o d o s u m l e p r o s u m ︶ と 呼 ぶ 。 ま た 、 通 称 熱 こ ぶ と も 呼 ぶ 。 皮 膚 に 有 痛 性 の 結 節 を 生 じ る の が 特 徴 で 40 度 前 後 の 発 熱 や 関 節 痛 を 伴 う 。 治 療 を 行 っ た 際 に 大 量 に 菌 が 死 滅 し 、 そ れ に 対 し て 強 い 免 疫 反 応 ︵ I I I 型 ア レ ル ギ ー ︶ を 起 こ す メ カ ニ ズ ム が 考 え ら れ て い る 。 サ リ ド マ イ ド や ス テ ロ イ ド 療 法 で 治 療 を 行 う 。 ち な み に ら い 性 結 節 性 紅 斑 ︵ E N L ︶ の 命 名 者 は 村 田 茂 助 で あ る ︵ 1 9 1 2 年 ︶ [ 3 2 ] [ 3 3 ] 。
ハ ン セ ン 病 患 者 や 回 復 者 に 関 し て は 、 社 会 的 差 別 の 問 題 や 、 療 養 所 と い う 閉 鎖 さ れ た 場 所 で の 長 期 生 活 の 不 安 な ど で 不 安 症 ・ 自 殺 願 望 ・ う つ 病 ・ 人 格 障 害 な ど の 精 神 疾 患 を 生 じ る こ と が あ る 。 日 本 の 療 養 所 内 の デ ー タ で あ る が 、 平 均 年 齢 79 歳 、 3 8 5 名 中 う つ 病 は 48 名 ︵ 1 2 . 5 % ︶ で あ る と い う 報 告 も あ る [ 3 4 ] 。 ア メ リ カ の 報 告 で は 、 器 質 的 変 化 、 統 合 失 調 症 、 う つ 病 が 記 載 さ れ て い る が [ 3 5 ] 、 カ ー ヴ ィ ル に 入 所 し た 4 6 % が う つ で あ る と の コ メ ン ト も あ る [ 3 6 ] 。
菌指数(BI:bacterial index)
表記
顕微鏡視野当たりの らい菌平均菌数
BI6+
1000個以上/1視野当たり
BI5+
100個から1000個/1視野当たり
BI4+
10個から100個/1視野当たり
BI3+
1個から10個/1視野当たり
BI2+
1個から10個/10視野当たり
BI1+
1個から10個/100視野当たり
BI0
100視野中でらい菌を発見できない
ハ ン セ ン 病 と 診 断 す る 際 の 最 初 の 検 査 は 、 皮 膚 ス メ ア 検 査 と 末 梢 知 覚 検 査 で あ る 。
皮 膚 ス メ ア 検 査
皮 膚 を 垂 直 に 切 開 し 、 組 織 の 塗 抹 を ス ラ イ ド ガ ラ ス に 置 い て チ ー ル ・ ニ ー ル セ ン 染 色 ︵ Z i e h l - N e e l s e n s t a i n ︶ に よ っ て 菌 数 を 調 べ る 検 査 で あ る 。 チ ー ル ・ ニ ー ル セ ン 染 色 は 抗 酸 菌 染 色 の 一 つ の 方 法 で ら い 菌 を 赤 色 に 染 め る 。 皮 膚 を 切 開 す る た め 、 痛 覚 が 正 常 な 部 位 で は 疼 痛 を 伴 う た め 、 局 所 麻 酔 を し て か ら 検 査 を 行 う 。 菌 数 の 表 記 に は 菌 指 数 ︵ B I : b a c t e r i a l i n d e x ︶ が 用 い ら れ る 。 BI は MB 型 ・ PB 型 の 分 類 や 治 療 方 針 に お い て 重 要 で あ る 。 な お 、 以 前 は 形 態 指 数 ︵ M I : m o r p h o l o g i c a l i n d e x ︶ を 測 定 し て 菌 の 総 合 的 な 力 を 見 る 方 法 も あ っ た が 、 2 0 1 1 年 時 点 で 行 わ れ て い な い 。
末 梢 知 覚 検 査
末 梢 知 覚 検 査 は ハ ン セ ン 病 を 診 断 す る 上 で 重 要 な 検 査 で あ る 。 触 覚 や 振 動 覚 は 保 た れ る こ と も 多 い の で 、 虫 ピ ン な ど 太 め の 注 射 針 を 刺 す 痛 覚 検 査 、 冷 水 ・ 温 水 を 入 れ た 試 験 管 を 当 て る 温 冷 覚 検 査 が 合 わ せ て 行 わ れ る 。 痛 覚 検 査 は 意 思 の 疎 通 が 困 難 で あ る 乳 幼 児 ・ 高 齢 者 で は 分 か り に く い こ と が あ る 。 温 冷 覚 検 査 は 閉 眼 し 当 て た こ と を 被 検 者 に 分 か ら な い よ う に す る と 検 出 の 精 度 が 向 上 す る 。
診 断 確 定 の た め に 、 W H O で は 知 覚 障 害 を 伴 う 皮 疹 、 知 覚 障 害 を 伴 う 末 梢 神 経 の 肥 厚 、 ス メ ア 検 査 が 陽 性 の う ち 、 一 つ 以 上 が あ て は ま る こ と と し て い る 。 日 本 で は 知 覚 障 害 に 伴 う 皮 疹 、 末 梢 神 経 の 肥 厚 ・ 運 動 障 害 、 病 理 組 織 検 査 、 ら い 菌 の 検 出 の 4 点 を 重 視 し て い る 。
知 覚 障 害 に 伴 う 皮 疹
多 菌 型 で は 検 出 率 が 低 い の で 注 意 す る 。 T 型 の 皮 疹 に 一 致 し た 神 経 障 害 の 検 出 は 非 常 に 有 用 。
末 梢 神 経 の 肥 厚 ・ 運 動 障 害
尺 骨 、 橈 骨 、 腓 骨 、 大 耳 介 神 経 な ど を 触 診 で 触 れ る と 肥 厚 が 分 か る 。 知 覚 障 害 だ け で な く 運 動 障 害 も 伴 う こ と も 多 い た め 、 歩 行 や 各 種 の 運 動 の 状 態 を 調 べ る こ と も 重 要 で あ る 。
病 理 組 織 検 査
発 疹 の 一 部 の 組 織 を 採 取 し 、 標 本 [ 注 釈 8 ] に し て 顕 微 鏡 で み る 検 査 。 R i d l e y & J o p l i n g の 分 類 に 基 づ き 病 型 分 類 さ れ る 。
● ら い 腫 型 ︵ L 型 ︶ で は 、 ら い 菌 が 多 数 検 出 で き る が リ ン パ 球 の 浸 潤 は 少 な い 。 組 織 球 性 肉 芽 腫 で 組 織 球 の 泡 沫 状 変 化 が 特 徴 的 で あ る 。
● 類 結 核 型 ︵ T 型 ︶ で は 、 ら い 菌 は 検 出 さ れ な い 。 類 上 皮 細 胞 肉 芽 腫 が 特 徴 的 で あ る 。 ま た リ ン パ 球 の 強 い 浸 潤 像 が み ら れ 、 リ ン パ 球 が 末 梢 神 経 の 周 囲 に 入 る こ と は 、 他 の 疾 患 で は み ら れ な い の で 有 用 な 鑑 別 点 に な る 。
ら い 菌 の 検 出
検 出 に は 皮 膚 ス メ ア 検 査 、 病 理 組 織 か ら 検 出 す る 方 法 ︵ 前 二 者 は 説 明 済 み な の で 上 記 参 照 の こ と ︶ 、 P C R ( P o l y m e r a s e C h a i n R e a c t i o n ) [ 注 釈 9 ] か ら 検 出 す る 方 法 の 3 点 が 挙 げ ら れ る 。 遺 伝 子 増 幅 法 で あ る P C R を 用 い た ら い 菌 の 検 出 は 、 ら い 菌 の 持 つ 熱 シ ョ ッ ク タ ン パ ク 質 の 内 、 他 の 抗 酸 菌 と 交 差 し な い 部 位 の D N A 配 列 を 検 出 す る も の で 、 培 養 の で き な い ら い 菌 を 迅 速 に 検 出 す る 方 法 と し て 重 要 で あ る 。
ら い 菌 抗 体 の 検 出
最 近 、 ら い 菌 特 異 的 抗 原 の 一 つ で あ る フ ェ ノ ー ル 糖 脂 質 ︵ P G L - 1 , p h e n o l i c g l y c o l i p i d I ︶ に 対 す る 抗 体 を 血 液 検 査 で 測 定 す る 方 法 が 行 わ れ る よ う に な っ た 。 L 型 で 陽 性 で あ る が 、 T 型 で は 全 く 検 出 さ れ な い 。
レ プ ロ ミ ン テ ス ト
ら い 結 節 か ら 得 ら れ た 抽 出 物 、 レ プ ロ ミ ン を 皮 内 に 注 射 し て 反 応 を 見 る 検 査 で あ る 。 こ の 検 査 は 、 結 核 の ツ ベ ル ク リ ン 反 応 に 似 て い る 。 ら い 菌 に 対 す る 細 胞 性 免 疫 反 応 を み る 検 査 で 、 T 型 と 正 常 人 で 陽 性 、 L 型 で 陰 性 と な る [ 注 釈 1 0 ] 。 現 在 で は 行 な わ れ て い な い 。
ら い 菌 に 対 す る 薬 剤 耐 性 検 査
ら い 菌 の 遺 伝 子 解 析 か ら 、 ジ ア フ ェ ニ ル ス ル ホ ン ︵ D D S ︶ 、 リ フ ァ ン ピ シ ン ︵ R F P ︶ 、 キ ノ ロ ン 剤 へ の 耐 性 は 特 定 遺 伝 子 の 突 然 変 異 で あ る こ と が 判 明 し 、 遺 伝 子 変 異 の 検 査 に よ り 薬 剤 耐 性 が 早 く 分 か る よ う に な っ た 。
ハ ン セ ン 病 に 有 効 な ワ ク チ ン は 開 発 さ れ て お ら ず 、 ハ ン セ ン 病 の 発 症 を 予 防 す る こ と は 困 難 で あ る [ 3 7 ] 。 イ ン ド を 中 心 に 、 ワ ク チ ン 療 法 と し て 結 核 の 予 防 に 使 用 さ れ る B C G が 使 わ れ 、 有 効 で あ る と い う 報 告 も 出 さ れ て い る が 、 報 告 に よ っ て 有 効 率 の ば ら つ き ︵ 20 〜 8 0 % 強 ︶ が 大 き く 、 一 般 的 な 方 法 と な っ て い な い 。 ま た 、 ハ ン セ ン 病 の 危 険 に 高 確 率 に 曝 露 さ れ や す い 子 供 た ち を 中 心 に 、 D D S を 予 防 的 に 内 服 す る 試 み ︵ c h e m o p r o p h y l a x i s ︶ が 、 1 9 6 8 年 の 第 9 回 ら い 国 際 会 議 で 有 効 で あ る と さ れ 、 一 時 行 わ れ て い た こ と も あ っ た 。
ハ ン セ ン 病 に つ い て 、 医 学 的 に 確 立 し て い る 知 見 は 、 以 下 の 通 り で あ る 。
● 遺 伝 し な い
● 感 染 力 は 弱 く 、 発 病 は ご く 稀
● 特 効 薬 と 通 院 治 療 で 完 治 す る
治 療 目 的
W H O で は 以 下 の 3 点 を 重 視 し て 治 療 を 行 う 。
殺 菌 と 感 染 源 対 策
治 療 薬 を 用 い て ら い 菌 を 殺 し 、 活 動 を 弱 め る 。 ま た 、 そ の 活 動 性 病 変 を 抑 え る こ と に よ っ て 、 他 人 へ の 感 染 を 防 止 す る 。
障 害 予 防
ハ ン セ ン 病 に 罹 患 す る と 、 ら い 菌 の 生 体 免 疫 反 応 に よ っ て い ろ い ろ な 障 害 を 引 き 起 こ す 。 そ の た め 、 適 切 な 治 療 を 行 い 、 で き る 限 り の 障 害 を 予 防 す る こ と が 重 要 で あ る 。 こ れ を 、 障 害 予 防 ︵ P O D : p r e v e n t i o n o f d i s a b i l i t y ︶ と い う 。 ハ ン セ ン 病 罹 患 中 に 生 じ る ら い 反 応 の 治 療 も こ れ に 当 た る 。 ハ ン セ ン 病 に お い て 最 も 後 遺 症 な ど の 問 題 と な る 末 梢 神 経 障 害 は 著 し く Q O L ︵ 生 活 の 質 ︶ を 低 下 さ せ る た め の み な ら ず 、 偏 見 差 別 に も 結 び つ く の で 、 早 期 発 見 ・ 早 期 治 療 を 行 う 必 要 が あ る 。
合 併 症 と 後 遺 症 の 予 防 と 治 療
ハ ン セ ン 病 に 起 因 し た 神 経 障 害 に よ る 後 遺 症 に 対 し て 、 2 次 的 に 悪 化 さ せ な い よ う に す る こ と が 必 要 で あ る 。 も し 不 幸 に し て 障 害 が 起 こ っ て し ま っ た 時 に は 、 そ れ を 少 し で も 軽 く な る よ う 努 め 、 手 術 を 用 い て で も 機 能 の 回 復 を 図 る と い っ た 取 り 組 み が 行 わ れ る 。 こ れ を 障 害 悪 化 予 防 ︵ P O W D : p r e v e n t i o n o f w o r s e n i n g d i s a b i l i t y ︶ と 呼 ぶ 。 不 適 切 な 治 療 の 結 果 や 、 当 時 、 治 療 薬 が 十 分 に 確 保 さ れ て い な い た め に 入 所 し て い る 患 者 が 多 い 日 本 で は 特 に 重 要 視 さ れ て い る 治 療 で あ る 。
殺 菌 と 感 染 源 対 策 の 治 療
ジ ア フ ェ ニ ル ス ル ホ ン ︵ D D S ︶ ︵ レ ク チ ゾ ー ル ® ・ プ ロ ト ゲ ン ® ︶ 、 ク ロ フ ァ ジ ミ ン ︵ C L F ︶ ︵ ラ ン プ レ ン ® 、 B 6 6 3 ︶ 、 リ フ ァ ン ピ シ ン ︵ R F P ︶ ︵ リ マ ク タ ン ® ・ リ フ ァ ジ ン ® な ど ︶ の 抗 菌 剤 3 種 を 併 用 す る 多 剤 併 用 療 法 ︵ M D T , M u l t i - d r u g t h e r a p y ︶ が 治 療 の 主 体 で あ る 。 こ れ は 薬 剤 耐 性 菌 を 予 防 す る た め で あ り 、 結 核 な ど 他 の 感 染 症 で も 選 択 さ れ る こ と が あ る 方 式 で あ る 。 な お 、 W H O で は 菌 数 に よ る 病 型 分 類 を 採 用 し て お り 、 MB ︵ m u l t i b a c i l l a r y , 多 菌 型 ︶ と PB ︵ p a u c i b a c i l l a r y , 少 菌 型 ︶ の 2 種 類 に 分 け て 投 与 量 ・ 治 療 期 間 を 決 定 す る ︵ MB の ほ と ん ど は L 型 ・ B 群 、 PB の ほ と ん ど は T 型 ・ I 群 に 相 当 す る ︶ 。 最 近 で は 、 オ フ ロ キ サ シ ン ︵ O F L X ︶ 、 レ ボ フ ロ キ サ シ ン ︵ L V F X ︶ 、 ク ラ リ ス ロ マ イ シ ン ︵ C A M ︶ 、 ミ ノ サ イ ク リ ン ︵ M I N O ︶ な ど も 有 効 で あ る こ と が 分 か り 、 薬 剤 耐 性 検 査 を 施 行 し た 上 で 上 記 基 本 治 療 薬 が 使 用 で き な い 症 例 な ど に 併 用 さ れ る こ と も あ る 。 な お 、 日 本 に お け る 保 険 適 応 薬 は , 、 D D S や ク ロ フ ァ ジ ミ ン 、 リ フ ァ ン ピ シ ン 、 オ フ ロ キ サ シ ン で あ る 。
障 害 ・ 後 遺 症 の 予 防 と 治 療
ら い 反 応 な ど 強 い 反 応 が 生 じ た 場 合 は 、 通 常 の 治 療 に 加 え て 次 の よ う な 治 療 も 必 要 と な る 。 1 型 ら い 反 応 に 対 し て は 大 量 の ス テ ロ イ ド 、 2 型 ら い 反 応 に は サ リ ド マ イ ド ま た は ス テ ロ イ ド を 使 用 す る 。
変 形 に 対 し て は 、 形 成 外 科 の 発 展 と 共 に 手 術 療 法 も 行 わ れ る よ う に な っ た 。 種 々 の 変 形 、 眼 瞼 下 垂 、 脱 毛 な ど で あ る 。 眉 毛 の 脱 毛 に 対 し て は 血 管 を 付 け て 毛 髪 の 皮 弁 を 移 動 し た り 、 血 管 を 付 け ず に ま と め て 移 植 し た り 、 ま た 別 に 1 本 植 え ︵ 田 植 え ︶ と い う 方 法 が あ る 。 し か し 、 毛 が 生 着 し て も 不 自 然 な 感 じ が 残 る 場 合 が 多 い 。 2 0 1 4 年 よ り 日 本 で も ビ マ ト プ ロ ス ト 外 用 剤 ︵ グ ラ ッ シ ュ ビ ス タ 外 用 液 剤 、 塩 野 義 製 薬 販 売 ︶ が 用 い る こ と が で き る 。
急 性 の 神 経 炎 に 対 し て は 、 ス テ ロ イ ド の 投 与 な ど の 治 療 に よ り 回 復 す る 場 合 も 多 い 。 手 術 療 法 と し て は 神 経 減 圧 術 が あ る 。
知 覚 麻 痺 に よ る 熱 傷 や 外 傷 は 通 常 の 治 療 法 に 準 じ る 。 た だ し 神 経 障 害 に 起 因 す る 易 感 染 性 や 瘢 痕 形 成 が 生 じ る た め 、 通 常 の 場 合 よ り 治 療 が 困 難 で あ る こ と に 注 意 す る 必 要 が あ る 。 知 覚 が な い 状 態 で も 熱 傷 や 外 傷 が 起 こ ら な い よ う な 日 常 生 活 の 改 善 を 行 っ た り 、 装 具 な ど を 使 い 外 傷 の 予 防 、 本 人 へ の 十 分 な 注 意 喚 起 を 行 う 。 ま た 、 関 節 拘 縮 も 必 発 す る た め 、 継 続 的 な リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン に 取 り 組 む こ と も 肝 要 で あ る 。
う ら 傷 発 生 の 予 防 に 関 し て 足 浴 を 行 う 施 設 が 多 い 。 こ れ は 国 内 ・ 国 外 と も に 行 わ れ て お り 、 療 養 所 に よ っ て は 大 き い 足 浴 場 が あ る 。 日 本 国 外 の 療 養 所 で は 大 き い 洗 面 器 の 様 な 壺 を 使 っ て い る と こ ろ も あ る 。 た だ し 、 神 経 痛 の あ る ハ ン セ ン 病 の 場 合 、 暖 ま っ た 後 、 冷 え る 際 に 神 経 痛 が 増 幅 す る こ と に 注 意 が 必 要 で あ る 。
WHOで提供されているブリスターパック
皮 膚 ス メ ア 検 査 と 皮 疹 の 数 で 得 ら れ た 結 果 を も と に 多 菌 型 ︵ MB ︶ と 少 菌 型 ︵ PB ︶ と 単 一 病 変 少 菌 型 ︵ S L P B ︶ に 分 け て 治 療 を 行 う 。 多 菌 型 は ス メ ア 検 査 で 陽 性 ・ 皮 疹 6 個 以 上 で あ る ︵ L L , B L と BB に 相 当 ︶ 。 少 菌 型 は ス メ ア 検 査 で 陰 性 ・ 皮 疹 5 個 以 下 で あ る ︵ TT 、 一 切 の BT 、 I 群 に 相 当 ︶ 。 W H O の 基 準 で は MB で 1 年 間 、 PB で 6 か 月 間 の 治 療 を 終 了 し た 時 点 で 菌 検 査 の 有 無 を 問 わ ず 完 治 と す る 。 ま た 、 患 者 と し て も 除 外 さ れ る 。
M D T で 使 用 さ れ る 治 療 薬 は パ ッ ク と な っ て お り 、 ブ リ ス タ ー パ ッ ク ︵ b l i s t e r - p a c k ︶ と 呼 ば れ る 。 大 人 用 と 小 児 用 ︵ 10 歳 〜 14 歳 ︶ 、 MB 型 用 と PB 型 用 の 4 種 類 に 色 分 け さ れ て い る 。 ど の 日 に そ の 薬 剤 を 内 服 す れ ば よ い か 、 裏 に 日 付 が 記 載 さ れ て い る 。 日 本 で は 販 売 さ れ て い な い 。
詳細
大人
小児
MB(多菌型)
1年間、下記3剤で治療する。
リファンピシン(RFP)600 mg、月1回(面前服用)
ジアミノジフェニルスルホン(DDS)100 mg、毎日服用
クロファジミン(CLF)300 mg、月1回(面前服用)・また月1回以外の日は50mg、毎日服用
1年間、下記3剤で治療する。
リファンピシン(RFP)450 mg、月1回(面前服用)
ジアフェニルスルホン(DDS)50 mg、毎日服用
クロファジミン(CLF)150 mg、月1回(面前服用)・また月1回以外の日は50mg、隔日服用
PB(少菌型)
6か月間、下記2剤で治療する。
リファンピシン(RFP)600 mg、月1回(面前服用)
ジアフェニルスルホン(DDS)100 mg、毎日服用
6か月間、下記2剤で治療する。
リファンピシン(RFP)450 mg、月1回(面前服用)
ジアフェニルスルホン(DDS)50 mg、毎日服用
SLPB[38] (単一病変少菌型)[注釈 11]
以下の3剤使用(ROM)にて、以下の治療薬が使用される。1回投与のみ。
リファンピシン(RFP)600 mg、月1回(面前服用)
オフロキサシン(OFLX)400 mg、月1回(面前服用)
ミノサイクリン(MINO)100 mg、月1回(面前服用)
日本でも適切な治療法ということでWHOの基準を採用しているが、治療後の状態について言及しており、MB型なら菌陰性化するまで、PB型なら活動病変が消失するまでは完治とせず治療を継続とする。日本の保険適応薬剤はDDS, RFP, CLF, OFLXである。小児の発症例はほとんどないので基準として設置していないが内服量はWHOに準じる。SLPB(皮疹が1個のみ)の患者は日本ではPBとして治療する。
詳細
MB(多菌型)
BI3+以上、BI不明例
BI3+未満、または極初期病変(発症6か月未満)
WHOのMB治療法に準じて2年間、下記3剤で治療する。治療終了時、菌の陰性化(すなわちBI0)しなければ、さらに1年間追加する。さらに菌の陰性化が認められなければDDS+CLFなどの2剤以上で維持療法を行う。
リファンピシン(RFP)600 mg、月1回
ジアノジフェニルスルホン(DDS)100 mg、毎日服用
クロファジミン(CLF)300 mg、月1回・また月1回以外の日は50mg、毎日服用
W H O の MB 治 療 法 に 準 じ て 1 年 間 、 下 記 3 剤 で 治 療 す る 。 治 療 終 了 時 、 菌 の 陰 性 化 ︵ す な わ ち B I 0 ︶ し な け れ ば 、 さ ら に 1 年 間 追 加 す る 。
リファンピシン(RFP)600 mg、月1回
ジアノジフェニルスルホン(DDS)100 mg、毎日服用
クロファジミン(CLF)300 mg、月1回・また月1回以外の日は50mg、毎日服用
PB(少菌型)
WHOのPB治療法に準じて半年間、下記2剤で治療する。半年経っても活動病変がある場合はDDSまたはCLFを継続し、活動病変がみられなくなるまで治療を継続する。
リファンピシン(RFP)600 mg、月1回
ジアノジフェニルスルホン(DDS)100 mg、毎日服用
大 風 子 油 ︵ だ い ふ う し ゆ ︶ は 、 イ イ ギ リ 科 H y d n o c a r p u s 属 ︵ A P G 植 物 分 類 体 系 で は ア カ リ ア 科 に 移 動 ︶ に 属 す る 何 種 類 か の 植 物 の 種 子 で あ る 大 風 子 ︵ H y d n o c a r p u s A n t h e l m i n t i c a ︶ の 種 皮 を 除 い て か ら 圧 搾 し て 得 た 脂 肪 油 で あ る 。 搾 油 直 後 に は 白 色 の 軟 膏 様 の 性 状 を 示 し 無 味 無 臭 で あ る が 、 次 第 に 黄 色 に 変 化 し て 特 有 の 臭 い と 焼 き つ く よ う な 味 を 生 じ る 。 大 風 子 油 に は ヒ ド ノ カ ル プ ス 酸 と チ ョ ー ル ム ー グ ラ 酸 と い う 不 飽 和 環 状 脂 肪 酸 が 含 ま れ て お り 、 そ の 成 分 が ら い 菌 の 成 長 阻 害 作 用 を 生 じ る 。
も と も と は 古 代 よ り 東 南 ア ジ ア や イ ン ド の 民 間 療 法 と し て 行 わ れ て い た 治 療 法 で あ っ た 。 中 国 に は 明 の 時 代 に 伝 わ り 1 5 7 8 年 の ﹁ 本 草 綱 目 ﹂ に ハ ン セ ン 病 の 治 療 薬 と し て 漢 方 の 処 方 が 記 載 さ れ て い る 。 日 本 で も 江 戸 時 代 頃 か ら 用 い ら れ た 。 19 世 紀 末 に は ヨ ー ロ ッ パ で も 使 用 さ れ る よ う に な っ た 。 1 9 2 0 年 代 に オ ー ス ト リ ア の 植 物 学 者 ヨ ゼ フ ・ F ・ ロ ッ ク に よ り 再 発 見 さ れ 、 全 世 界 で 一 般 的 に 使 用 さ れ る よ う に な っ た 。
1 9 1 7 年 に は イ ギ リ ス の 医 師 ・ ロ ジ ャ ー ス 卿 に よ っ て 大 風 子 油 か ら ジ ノ カ ル ピ ン ︵ G y n o c a r p i n ︶ 脂 肪 酸 を 製 剤 化 し 、 内 服 薬 ・ 注 射 薬 が 作 ら れ た 。 そ の 後 、 1 9 2 0 年 に ヒ ギ ロ カ ル プ ス 酸 ナ ト リ ウ ム 製 剤 ︵ 内 服 薬 ・ 注 射 薬 ︶ が 作 ら れ た 。 こ れ ら は ﹁ ア レ ポ ー ル ﹂ と 呼 ば れ 、 イ ギ リ ス の 植 民 地 で あ る イ ン ド ・ ビ ル マ を 中 心 に 使 わ れ た 。 そ の 後 、 種 々 の 改 良 が 行 わ れ た 。 ア メ リ カ 薬 局 法 に は 、 内 服 療 法 で は 消 化 器 障 害 の 副 作 用 を 生 じ る た め の 注 射 薬 と し て 記 載 さ れ た [ 3 9 ] 。
大 風 子 油 の 注 射 の 欠 点 は 注 射 部 位 に 結 節 や 瘢 痕 を 残 す こ と で あ っ た 。 効 果 が 乏 し く 無 効 と い う 意 見 も 多 か っ た が 、 大 風 子 油 で 治 療 を し な い 場 合 に 比 べ れ ば 効 果 は ゼ ロ で は な い と し た 報 告 が あ る こ と と 、 他 に 有 効 な 薬 剤 が 存 在 し な か っ た た め に 、 大 風 子 油 に よ る 治 療 は 多 く の 国 で 行 わ れ た 。 そ の 後 、 1 9 4 3 年 の プ ロ ミ ン が 有 効 で あ る と い う 報 告 以 降 は 、 大 風 子 油 に よ る 治 療 は 徐 々 に 行 わ れ な く な っ た 。
抗 菌 剤 の グ ル コ ス ル ホ ン ナ ト リ ウ ム ︵ プ ロ ミ ン ︶ は 、 D D S に ブ ド ウ 糖 と 亜 硫 酸 水 素 塩 を 縮 合 さ せ て 水 溶 性 に し た 化 合 物 で あ る 。 体 内 で は D D S と な り 、 そ れ が 有 効 成 分 と し て 働 く 。 プ ロ ミ ン は ア メ リ カ 合 衆 国 の パ ー ク ・ デ イ ビ ス ︵ 英 語 版 ︶ 社 の 商 品 で あ っ た が 、 毒 性 が 強 く 、 注 射 製 剤 の み の 使 用 に 限 ら れ る と い う 欠 点 が あ っ た 。
プ ロ ミ ン は 、 1 9 4 1 年 に ア メ リ カ 合 衆 国 の ガ イ ・ ヘ ン リ ー ・ フ ァ ジ ェ ッ ト に よ っ て 、 ハ ン セ ン 病 患 者 に 使 用 さ れ た 。 本 来 は 結 核 治 療 薬 と し て 開 発 さ れ た が 、 ア メ リ カ 合 衆 国 ル イ ジ ア ナ 州 の カ ー ヴ ィ ル 療 養 所 に 入 所 し て い る ハ ン セ ン 病 患 者 に 実 験 的 に 投 与 し た と こ ろ 、 効 果 が あ る こ と が わ か っ た 。 そ こ で 1 9 4 3 年 に 症 例 数 22 、 改 善 15 、 不 変 6 、 悪 化 1 と い う 画 期 的 な 報 告 を 写 真 付 き で 、 ア メ リ カ 合 衆 国 の 医 学 雑 誌 に 発 表 し た 。 プ ロ ミ ン は そ の 後 、 世 界 的 に も 非 常 に 効 果 の あ る 特 効 薬 で あ る こ と が 確 認 さ れ 、 ハ ン セ ン 病 の 治 療 が 、 こ の 時 を 境 に 劇 的 に 変 化 し た 。 原 著 [ 4 0 ] の 表 を 示 す 。
表1(論文の原文に掲載されている表)
Type
Number
Improved
Stationary
Worse
Bacteriologic reversion from positive to negative
Mixed, far advanced
6
3
2
1
1
Mixed, moderately advanced
5
4
1
o
1
Lepromatous, far advanced
1
1
0
0
0
Lepromatous, moderately advanced
9
6
3
0
3
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その後、DDSがプロミンと同様の効果があることが分かった。さらにこれはプロミンの欠点を改善する形で、経口投与が可能となり、この治療薬の薬物療法 が主役になった。
DDS成分の薬品は、その後レクチゾールの商品名で販売されており、ハンセン病のみならず、多くの疾患でも使用されている。
ら い 菌 と 結 核 菌 は 近 縁 関 係 に あ る た め 、 結 核 菌 に 有 効 で あ る 薬 は ハ ン セ ン 病 に も 試 用 さ れ た 。 そ の う ち リ フ ァ ン ピ シ ン に 関 し て は 、 最 初 に 試 用 し た の は O p r o m o l l a D V , L i m a L d e S , C a p r a r a G . で 、 1 9 6 5 年 の こ と で あ っ た 。
リ フ ァ ン ピ シ ン は 、 ハ ン セ ン 病 の 原 因 菌 で あ る ら い 菌 に 対 し て 殺 菌 的 に 作 用 す る こ と が 後 に 分 か っ た 。 高 坂 健 二 お よ び 森 竜 男 ら が 、 感 染 さ せ た ヌ ー ド マ ウ ス に リ フ ァ ン ピ シ ン を 投 与 す る と 数 日 後 に 感 染 性 を 失 う こ と を 証 明 し た 。
多 剤 併 用 療 法 ︵ M D T ︶ は 、 前 述 し た D D S に 加 え 、 ク ロ フ ァ ジ ミ ン ︵ C L F ︶ と リ フ ァ ン ピ シ ン の 3 種 を 併 用 す る 治 療 法 で あ り 、 耐 性 菌 の 発 生 を 予 防 す る た め に W H O が 1 9 8 1 年 に 勧 告 し 治 療 基 準 に 組 み 込 ま れ た 。 同 年 の 最 初 の 治 療 基 準 で は 多 菌 型 と 少 菌 型 に 区 分 さ れ て い た が 、 多 菌 型 と 少 菌 型 の 区 分 の 定 義 は 1 9 9 7 年 の 改 訂 版 で 使 用 さ れ て い る も の と は 異 な っ て お り 、 ま た 治 療 方 針 に 関 し て も 菌 を ゼ ロ に す る ま で 徹 底 的 に 治 療 を 行 う 基 準 で あ っ た 。 そ の 後 、 1 9 8 7 年 、 1 9 9 3 年 、 1 9 9 7 年 に 改 定 が 加 え ら れ た 。 S L P B ︵ 単 一 病 変 少 菌 型 ︶ は 1 9 9 7 年 の 改 定 で 新 た に 治 療 基 準 に 追 加 さ れ た 。
入 浴 と 熱 を 加 え る 治 療 法 な ど
光 明 皇 后 の ら い 患 者 湯 浴 み 伝 説 も あ る が 、 ハ ン セ ン 病 患 者 に 入 浴 さ せ る こ と は 普 通 の 考 え で あ ろ う 。 日 本 に お い て は 、 草 津 温 泉 が ハ ン セ ン 病 に 有 効 と 言 わ れ 多 く の 患 者 が 集 ま っ た 。 後 藤 昌 文 ・ 後 藤 昌 直 父 子 は ハ ン セ ン 病 の 入 浴 療 法 を 考 案 し ハ ワ イ の 国 王 の 要 請 で ハ ワ イ ま で 行 き 指 導 し て 回 っ た 。 ダ ミ ア ン 神 父 も 習 っ た と い う 。 し か し 、 ハ ン セ ン 病 に は 有 効 で な か っ た た め 、 こ の 治 療 法 は 普 及 し な か っ た 。 全 生 病 院 で は 、 風 呂 場 外 科 、 と い う 言 葉 も あ る 。 初 代 看 護 婦 で あ っ た 石 渡 婦 長 は 、 光 田 健 輔 と 相 談 し て 、 船 の よ う な も の の 下 に 車 が 付 い て い て 、 寝 な が ら 入 浴 で き る も の を 風 呂 場 に 持 ち 込 ん で き て そ れ に 患 者 を 入 れ て 体 を 洗 っ た と い う [ 4 1 ] 。
一 方 、 ア メ リ カ 本 土 で は ら い 菌 が 熱 に 弱 い こ と を 利 用 し た 治 療 法 の 開 発 が 試 み ら れ た が 、 雑 誌 T h e S t a r に よ る と も う 少 し で 焼 肉 に な る ほ ど の 高 温 だ っ た と い う [ 4 2 ] 。 ま た 部 分 的 に 四 肢 な ど に 用 い ら れ る パ ラ フ ィ ン 浴 も 行 わ れ た と こ ろ も あ る が 、 温 度 管 理 の 失 敗 で 大 き な 火 傷 を 起 こ す こ と も あ っ た た め 療 養 所 に よ っ て は 行 わ れ な か っ た 。 ハ ン セ ン 病 と 入 浴 に ま つ わ る 話 と し て 、 フ ラ ン ス 革 命 の ジ ャ コ バ ン 党 の 幹 部 の マ ラ ー は ハ ン セ ン 病 を 患 い そ の た め の 入 浴 治 療 中 に 殺 さ れ た と い わ れ て い る 絵 は 有 名 で あ る [ 4 3 ] 。 1 9 8 6 年 当 時 の 入 浴 に 関 す る 資 料 で は 、 習 慣 と し て 介 護 人 が 重 装 備 を し た 上 で 行 わ れ て い た と あ る [ 4 4 ] 。
瀉 血 療 法
﹁ 瀉 血 ﹂ と は 、 血 液 を 抜 く 治 療 法 の こ と で あ る 。 瀉 血 は は ぶ 咬 傷 な ど 色 々 な 疾 患 に も 使 わ れ て い た 治 療 法 で あ る 。 ハ ン セ ン 病 へ の 応 用 は ら い 菌 に 汚 染 さ れ た 悪 血 を 排 出 す る こ と を 目 的 と し た 。 元 々 は 古 代 中 国 の 医 書 ﹁ 黄 帝 内 経 ﹂ に は 患 部 の 腫 れ た 所 か ら 瀉 血 す る 治 療 法 の 記 載 や 、 日 本 の 近 世 医 書 に も 多 数 の 記 載 が あ っ た が 、 こ の 治 療 法 が 普 及 し た の は 18 世 紀 以 降 か ら で あ る [ 4 5 ] 。 開 始 時 期 は 明 確 で な い が 日 本 で は 江 戸 時 代 ま た は 明 治 時 代 頃 か ら 行 わ れ た [ 4 6 ] 。 名 称 と し て 乱 切 ・ 瀉 血 療 法 と 呼 ば れ る 。 一 般 的 に は 背 部 [ 注 釈 1 2 ] に 行 わ れ た [ 4 7 ] 。 非 医 師 や 家 族 に よ り 施 行 さ れ た こ と も あ っ た 。 実 施 年 齢 は 子 供 が 多 く 都 市 部 で 1 5 . 1 % 、 離 島 で は 5 0 % 近 く が 行 わ れ た 。 実 施 年 齢 に つ い て は 乳 幼 児 5 9 . 1 % 、 幼 児 期 2 7 . 8 % 、 新 生 時 期 2 . 0 % で あ っ た [ 4 8 ] 。 背 部 で は 細 い 瘢 痕 、 頭 部 で は 小 さ い 脱 毛 が 残 る 。 日 本 で の 治 療 法 は 次 の 通 り で あ る 。
(一) 柄 つ き 剃 刀 を 使 用 し 出 血 さ せ る 。
(二) 芭 蕉 の 芯 で 拭 き 出 血 を 増 大 さ せ る 。 火 吹 き 竹 で 出 血 を 増 大 さ せ る こ と も あ る た め ﹁ ブ ー ブ ー ﹂ と も 呼 ば れ た 。
(三) 泡 盛 で 消 毒 す る 。
ぶ ち ぬ き
日 本 で は 、 自 分 の 踝 ︵ く る ぶ し ︶ の 上 に 灸 を す え 皮 膚 に 穴 を 開 け る 民 間 療 法 が あ っ た 。 ﹁ ぶ ち ぬ き ﹂ と も 呼 ば れ て い る [ 4 9 ] 。 多 数 の 灸 を す る 民 間 治 療 も 、 草 津 温 泉 な ど に あ っ た 。
脳 髄 食
過 去 に 朝 鮮 の 民 間 療 法 で は 、 生 の 脳 が 特 効 薬 で あ る と い う 迷 信 が あ っ た 。 こ れ に よ り 、 児 童 の 脳 味 噌 が 食 べ ら れ る と い う 京 城 府 竹 添 町 幼 児 生 首 事 件 が 発 生 し て い る 。
M D T ︵ 多 剤 併 用 療 法 ︶ 後 の ハ ン セ ン 病 の 再 発 率 は 0 . 0 1 - 3 . 3 / 1 0 0 人 / 年 と さ れ て い る [ 3 7 ] 。 再 発 の 原 因 は 、 薬 剤 に 抵 抗 性 を 持 つ が 活 動 し て い な か っ た 菌 の 再 活 性 化 、 薬 剤 耐 性 菌 の 増 殖 等 が 挙 げ ら れ る が 、 患 者 個 々 の 原 因 に つ い て は 特 定 で き な い こ と が 多 い 。
ハ ン セ ン 病 は 適 切 に 治 療 を 行 え ば 治 癒 す る 疾 患 で あ り 、 後 遺 症 に ま で 進 展 す る ケ ー ス は 少 な い た め 、 余 命 に 関 す る 統 計 は な い 。
プ ロ ミ ン 発 見 以 前 は 適 切 な 治 療 法 が 存 在 し な か っ た た め 後 遺 症 に 至 る ケ ー ス も 多 く 、 後 遺 症 を 含 め た 余 命 を 考 慮 す る と 、 若 干 低 く な る 。 ハ ン セ ン 病 の 神 経 障 害 が 原 因 で 生 じ る 喉 頭 機 能 障 害 は 、 呼 吸 困 難 を 誘 発 す る た め 主 な 死 亡 原 因 で あ っ た 。
日 本 で は 療 養 所 内 の 食 糧 事 情 の 問 題 の 影 響 な ど 社 会 的 事 情 か ら 、 感 染 症 が 療 養 所 内 で 流 行 す る な ど 、 余 命 の 低 下 が 1 9 4 5 年 ︵ 昭 和 20 年 ︶ を ピ ー ク に み ら れ た 。 死 亡 原 因 と し て は 、 日 本 国 内 や そ の 頃 統 治 し て い た 朝 鮮 で は 結 核 が 、 沖 縄 で は マ ラ リ ア が 最 大 で あ っ た [ 5 0 ] [ 5 1 ] [ 5 2 ] [ 5 3 ] [ 5 4 ] 。 2 0 0 9 年 の 報 告 で は 、 そ れ に よ る と 菊 池 恵 楓 園 で は 平 均 年 齢 8 6 . 7 歳 の 71 名 の 死 亡 原 因 は 肺 炎 21 名 、 悪 性 腫 瘍 20 名 、 循 環 器 疾 患 9 名 、 脳 血 管 疾 患 5 名 、 呼 吸 不 全 ︵ 肺 炎 を 除 く ︶ 5 名 と い う 統 計 [ 5 5 ] が あ り 、 こ れ は ハ ン セ ン 病 以 外 の 人 の 死 亡 統 計 の 分 布 と あ ま り 相 違 な い 。
現在は薬物治療が確立されたため、重度の病変が残ることはない。外見上の特徴も差別の原因となったと考えられるが、日本における重症らい腫らい患者の特徴の一つはらい性脱毛である。
ハ ン セ ン 病 患 者 に 対 す る 差 別 に は 、 い ろ い ろ な 要 因 が あ る 。
(一) 外 見 上 の 特 徴 か ら 、 日 本 で は 伝 統 的 な 穢 れ 思 想 を 背 景 に 持 つ 有 史 以 来 の 宗 教 観 に 基 づ く 、 神 仏 に よ り 断 罪 さ れ た 、 あ る い は 前 世 の 罪 業 の 因 果 を 受 け た 者 の 罹 る 病 と 誤 認 ・ 誤 解 さ れ て い た ︵ ﹁ 天 刑 病 ﹂ と も 呼 ば れ た ︶ 。
(二) ﹁ ハ ン セ ン 病 は 、 感 染 元 が ら い 菌 保 有 者 と の 継 続 的 か つ 高 頻 度 に 渡 る 濃 厚 な 接 触 が 原 因 で あ る と い う 特 徴 が あ る ﹂ こ と か ら 、 幼 児 に 対 す る 性 的 虐 待 や 近 親 相 姦 な ど を 連 想 さ せ 、 誤 解 ・ 偏 見 が 助 長 さ れ た 。
(三) ﹁ 非 常 に 潜 伏 期 が 長 い た め 感 染 症 と は 考 え に く い ﹂ ﹁ 政 府 自 ら が 優 生 学 政 策 を 掲 げ た ﹂ こ と か ら 、 ﹁ 遺 伝 病 ﹂ で あ る と の 誤 認 ・ 誤 解 が 広 ま っ た [ 注 釈 1 3 ] 。
(四) 鼻 の 軟 骨 炎 の た め に 鞍 鼻 ︵ あ ん び ︶ や 鼻 の 欠 損 を 生 じ る が 、 同 じ 症 状 を 呈 す る 梅 毒 と 同 じ と 信 じ ら れ た 時 期 が あ っ た 。 ハ ン セ ン 病 に 罹 患 し た ダ ミ ア ン 神 父 も ま た 、 女 た ら し な ど と い う 非 難 が あ っ た の は 、 梅 毒 と ら い 病 が 同 じ で あ る と 誤 解 さ れ て い た か ら で あ る [ 5 7 ] 。
歴 史 的 に は ハ ン セ ン 病 は 治 ら な い 病 気 で 視 覚 的 な 変 形 や 身 体 障 害 が 影 響 し 伝 染 性 の 強 い も の で あ る と 誤 認 ・ 解 さ れ て い た た め 、 ハ ン セ ン 病 患 者 は 多 く の 社 会 か ら 強 制 的 に 排 除 さ れ た 。 そ の た め 一 つ の 場 所 に 救 済 を 求 め て ハ ン セ ン 病 患 者 が 自 主 的 に 集 ま っ た り 、 ハ ン セ ン 病 患 者 が 強 制 的 に 1 箇 所 に 集 め ら れ る こ と に よ っ て 、 ハ ン セ ン 病 コ ロ ニ ー が で き た 。 こ の 中 に は ハ ン セ ン 病 療 養 所 と し て 治 療 の た め の 施 設 が 作 ら れ た と こ ろ も あ る 。 多 く の コ ロ ニ ー は 社 会 か ら 断 絶 し た 島 や 僻 地 に あ る こ と が 多 い 。 ハ ワ イ の モ ロ カ イ 島 や ノ ル ウ ェ ー の 国 立 病 院 な ど の 例 が あ る 。 [ 要 出 典 ]
キ リ ス ト 教 に 則 っ て 運 営 さ れ た ハ ン セ ン 病 者 施 設 は 、 聖 書 の 中 の ラ ザ ロ の 寓 話 か ら ﹁ ラ ザ ー ハ ウ ス ﹂ ︵ l a z a r h o u s e ︶ と 呼 ば れ る 。
長 期 に 存 在 し た 有 名 な コ ロ ニ ー は ハ ワ イ モ ロ カ イ 島 の カ ラ ウ パ パ 、 ト リ ニ ダ ー ド ・ ト バ ゴ の チ ャ カ チ ャ カ レ 、 ク レ タ の ス ピ ナ ロ ン ガ 、 フ ィ リ ッ ピ ン の ク リ オ ン が あ る 。
カ ラ ウ パ パ
モ ロ カ イ 島 の カ ラ ウ パ パ で は 、 ダ ミ ア ン 神 父 が 定 住 し 奉 仕 し た 後 、 医 師 が 住 む よ う に な り 療 養 所 と な っ た 。
ス ピ ナ ロ ン ガ
政 府 が 1 9 0 3 年 に 隔 離 の 島 と 指 定 し た 際 、 ト ル コ 系 の 住 民 が 去 り 、 患 者 棄 民 の 島 と な り 悲 惨 な 状 態 と な っ た 。 食 料 、 水 は 届 け ら れ た が 、 医 師 は 最 後 ま で 定 住 し な か っ た 。 そ の 後 患 者 と し て 、 ま た 若 い リ ー ダ ー と し て 神 父 ジ ョ ゼ フ ・ パ ヴ ラ キ ス ︵ J o s e p h P a v l a k i s ︶ が 来 島 し 、 彼 は 人 々 を い く つ か の グ ル ー プ に 分 け た ︵ 家 を 修 繕 す る グ ル ー プ な ど ︶ 。 教 会 や 、 ダ ン ス ホ ー ル や 、 劇 場 な ど も で き た 。 当 然 、 ら い に 対 す る 誤 解 偏 見 は な か っ た 。 最 後 に 神 父 を 含 み 30 名 が 1 9 5 7 年 に ギ リ シ ア に 帰 還 し た [ 5 8 ] 。
ク リ オ ン
フ ィ リ ッ ピ ン の 島 の コ ロ ニ ー 兼 療 養 所 で 1 9 0 6 年 に 創 立 さ れ た 。 一 時 は 5 0 0 0 人 以 上 の 患 者 が 集 ま っ た 時 も あ っ た 。 第 2 次 大 戦 の 影 響 で 、 マ ニ ラ で 鋳 造 さ れ た 貨 幣 が 使 え ず 、 現 地 で 紙 幣 が 作 ら れ 使 用 さ れ た 。 2 0 0 6 年 に は 1 0 0 周 年 を 迎 え イ ベ ン ト が 行 わ れ た [ 5 9 ] 。
台 湾
1 9 2 9 年 、 楽 生 療 養 院 が 、 当 時 台 湾 を 統 治 し て い た 日 本 の 台 湾 総 督 府 に よ っ て 設 立 さ れ た 。 台 湾 で 最 初 の 公 立 ハ ン セ ン 病 療 養 所 で 台 北 郊 外 に 位 置 。 同 院 は 開 設 当 初 は 病 舎 3 棟 、 入 所 者 1 0 0 人 と 小 規 模 な も の だ っ た が 、 ハ ン セ ン 病 患 者 へ の 強 制 隔 離 政 策 で 1 9 6 9 年 に は 病 舎 61 棟 、 入 所 者 1 , 0 5 0 人 の 大 型 施 設 に 発 展 し た 。 1 9 9 4 年 に 台 北 捷 運 の 車 両 基 地 の 建 設 予 定 地 に 選 ば れ た こ と を き っ か け に 、 療 養 施 設 の 歴 史 的 価 値 や 入 所 者 の 人 権 問 題 な ど が 一 般 市 民 に も 広 く 認 識 さ れ る よ う に な り 、 2 0 0 9 年 に は 楽 生 院 が 当 時 の 台 北 県 ︵ 現 ・ 新 北 市 ︶ 政 府 か ら 文 化 的 景 観 と 歴 史 的 建 造 物 に 指 定 さ れ 、 行 政 院 長 ︵ 首 相 ︶ も 過 去 に あ っ た 患 者 へ の 差 別 に つ い て 謝 罪 を 行 っ た [ 6 0 ] 。
韓 国
1 9 1 6 年 、 小 鹿 島 更 生 園 が 開 設 さ れ た 。
日 本 政 府 は 小 鹿 島 更 生 園 及 び 楽 生 院 の 入 所 者 に 対 し て 補 償 金 を 支 払 っ て い る [ 6 1 ] 。
日 本 で は 明 治 時 代 に ハ ン セ ン 病 患 者 の 救 済 が 行 わ れ 、 療 養 所 が 建 て ら れ た 。 日 本 で は 、 1 8 8 9 年 に テ ス ト ウ ィ ー ド 神 父 が 静 岡 県 御 殿 場 市 神 山 に 神 山 復 生 病 院 を 設 立 し た の が 最 初 の 療 養 所 で あ り 、 そ の 後 各 地 に 私 立 療 養 所 が 建 て ら れ た 。 公 立 療 養 所 ︵ 都 道 府 県 連 合 ︶ に 関 し て は 、 1 9 0 7 年 に 設 置 の 法 律 が で き 、 そ の 2 年 後 に 全 国 に 設 置 さ れ た 。 そ の 後 、 多 く の 私 立 療 養 所 は 閉 鎖 さ れ て い っ た 。 1 9 3 0 - 1 9 4 0 年 頃 に な る と 、 国 に よ る 一 括 統 治 ・ 強 制 隔 離 政 策 を 推 進 す る こ と や 、 患 者 数 に 比 例 し て 各 県 か ら 予 算 を 決 定 す る 会 議 が 毎 年 大 変 で あ っ た こ と な ど の 理 由 に よ り 、 公 立 療 養 所 ︵ 都 道 府 県 連 合 ︶ は 国 に 移 管 さ れ 国 立 と な っ た 。 2 0 1 9 年 5 月 現 在 、 13 の 国 立 療 養 所 と 1 の 私 立 療 養 所 が 現 存 し て い る [ 6 2 ] 。 ハ ン セ ン 病 は 回 復 し て い る が 過 去 の 強 制 隔 離 政 策 に よ り 入 所 さ せ ら れ た 人 の う ち 、 後 遺 症 が 残 っ て お り 介 助 を 必 要 と し て い る 人 と 、 社 会 に お け る 生 活 基 盤 の 喪 失 と 家 族 と の 関 係 絶 縁 が 原 因 で 入 所 継 続 が 必 要 な 人 の 施 設 と な っ て い る 。 ま た 、 ハ ン セ ン 病 療 養 所 を 退 所 後 、 療 養 所 に 戻 っ た 元 患 者 が 、 2 0 0 9 - 2 0 1 8 年 度 の 10 年 間 で 、 延 べ 1 2 9 人 に 上 っ て い る 現 状 も あ る [ 6 3 ] 。
な お 、 国 立 ハ ン セ ン 病 療 養 所 の 一 つ で あ る 国 立 駿 河 療 養 所 は 、 1 9 4 2 年 に ハ ン セ ン 病 傷 痍 軍 人 療 養 所 と し て 建 て ら れ た も の で あ る 。 こ れ は 日 本 で 初 め て で あ っ た 。 神 山 復 生 病 院 と 同 様 、 静 岡 県 御 殿 場 市 神 山 に あ る が 場 所 は 離 れ て い る 。 1 9 4 5 年 に 現 在 の 名 前 に 改 称 し 、 厚 生 省 ︵ 現 在 の 厚 生 労 働 省 ︶ の 所 管 と な っ た 。
20 世 紀 前 半 を 中 心 に 、 世 界 各 地 の ハ ン セ ン 病 療 養 所 や コ ロ ニ ー に お い て 、 菌 を 伝 染 さ せ な い た め や 患 者 を 隔 離 す る た め と し て 、 通 貨 ︵ 主 に 貨 幣 ︶ が 発 行 さ れ た 。 特 殊 紙 幣 / 貨 幣 は 様 々 な 国 で 使 用 さ れ た 。 最 も 早 い 発 行 は 1 9 0 1 年 で 、 当 時 ハ ン セ ン 病 患 者 が 多 か っ た コ ロ ン ビ ア で は 感 染 を 防 御 す る 目 的 で 療 養 所 の み で 使 用 さ れ る 特 殊 貨 幣 が 政 府 に よ り 鋳 造 さ れ た 。 マ レ ー シ ア で は 、 ゴ ー ド ン ・ ア レ ク サ ン ダ ー ・ リ リ ー ︵ G o r d o n A l e x a n d e r R y r i e ︶ [ 注 釈 1 4 ] [ 注 釈 1 5 ] [ 6 4 ] が 特 殊 貨 幣 を 発 行 し た 。 日 本 、 韓 国 で も 特 殊 貨 幣 が 作 ら れ 、 療 養 所 内 で 使 用 さ れ て い た 時 期 が あ っ た [ 注 釈 1 6 ] 。 不 祥 事 な ど が 発 覚 し 廃 止 さ れ た が 、 紙 幣 を 検 査 し て 菌 が 付 着 し て い な い の で 廃 止 し た 国 も あ る 。
ハ ン セ ン 病 患 者 が 偽 名 ︵ 仮 名 ︶ を 使 用 す る こ と は 多 い 。 こ の 偽 名 使 用 に 関 し て は ア メ リ カ の み な ら ず 、 日 本 で も 普 通 に み ら れ る 。 国 立 ハ ン セ ン 病 療 養 所 の 一 つ で あ る 邑 久 光 明 園 で 1 9 9 8 年 に 行 わ れ た 調 査 に よ る と 、 ﹁ 実 名 使 用 ﹂ は 2 0 0 名 ・ ﹁ 仮 名 ﹂ は 1 2 7 名 ・ ﹁ 不 明 ﹂ は 6 名 で あ っ た 。 ま た 、 仮 名 を 使 用 す る 理 由 と し て は ﹁ 家 族 に 被 害 が 及 ぶ の を 防 ぐ た め ﹂ が 85 名 と 最 も 多 く 、 ﹁ 以 前 か ら 使 っ て い る 名 前 だ か ら ﹂ 10 名 ・ ﹁ 皆 そ う し て い る ﹂ 10 名 ・ ﹁ 勧 め ら れ て ﹂ 7 名 ・ そ の 他 10 名 ︵ 不 明 を 除 く ︶ と 続 い た 。 ら い 予 防 法 廃 止 ︵ 1 9 9 6 年 ︶ 以 前 は 非 常 に 多 か っ た が 、 廃 止 を 機 会 に 実 名 に 戻 っ た 人 も 多 い [ 注 釈 1 7 ] 。
中 国 の 広 東 省 、 福 建 省 お よ び 台 湾 に お い て は 、 ハ ン セ ン 病 に 罹 患 し た 男 性 が 女 性 と 性 行 為 を 行 い 、 伝 染 さ せ る と 自 分 の ハ ン セ ン 病 は 治 る と 信 じ ら れ て い た 。 ま た 、 逆 も 信 じ ら れ て い た 。 こ の 迷 信 に 基 づ く 悲 話 、 艶 話 は 多 い 。 福 建 省 の 風 習 に 患 者 が 死 亡 す る と 別 に 墓 を 作 り 、 し か も 、 亀 甲 墓 の 入 り 口 を 閉 じ 、 ﹁ 開 か ん 墓 ﹂ と す る 風 習 が あ り 、 沖 縄 県 今 帰 仁 に も そ れ が あ る [ 6 6 ] [ 6 7 ] 。
こ の 節 に は 参 考 文 献 や 外 部 リ ン ク の 一 覧 が 含 ま れ て い ま す が 、 脚 注 に よ る 参 照 が 不 十 分 で あ る た め 、 情 報 源 が 依 然 不 明 確 で す 。 適 切 な 位 置 に 脚 注 を 追 加 し て 、 記 事 の 信 頼 性 向 上 に ご 協 力 く だ さ い 。 ︵ 2 0 2 2 年 2 月 ︶
世 界 の 各 地 域 か ら 採 取 さ れ た ら い 菌 を 遺 伝 子 解 析 し 比 較 し た 研 究 に よ る と 、 ら い 菌 は 東 ア フ リ カ で 誕 生 し た と 見 ら れ て い る [ 6 8 ] [ 6 9 ] 。 な お 、 ら い 菌 が 発 見 さ れ る 以 前 は 似 た よ う な 症 状 の 病 気 を 混 同 す る こ と も 多 く 、 古 い 時 代 の 報 告 例 で は 現 在 の ハ ン セ ン 病 に 当 た る の か は っ き り し な い も の も あ る の で 注 意 が 必 要 で あ る 。
一 例 と し て ﹃ 描 か れ た 病 ﹄ ︵ リ チ ャ ー ド ・ バ ー ネ ッ ト ︶ で は 写 真 普 及 以 前 に 使 用 さ れ て い た 医 学 書 の 精 密 画 に つ い て ﹁ 痂 皮 形 成 ら い 病 [ 注 釈 1 8 ] ﹂ と ﹁ 結 核 様 ら い [ 注 釈 1 9 ] ﹂ と 書 か れ て い る 症 例 に つ い て 、 ﹁ ︵ 現 在 の 視 点 か ら で は ︶ 魚 鱗 癬 の 可 能 性 が 高 い ﹂ と 指 摘 し て い る 他 、 結 核 ︵ 皮 膚 結 核 ︶ も ハ ン セ ン 病 と の 区 別 が 難 し か っ た と し て い る [ 7 2 ] 。
ハ ン セ ン 病 に 関 す る 最 古 の 記 述 は 、 紀 元 前 2 4 0 0 年 の エ ジ プ ト の 古 文 書 、 医 書 と し て は 紀 元 前 2 世 紀 の イ ン ド の ﹃ チ ャ ラ カ ・ サ ン ヒ タ ー ﹄ や ﹃ ス シ ュ ル タ ・ サ ン ヒ タ ー ﹄ [ 6 9 ] で あ る 。 そ の 他 に も 、 ペ ル シ ア で は 紀 元 前 6 世 紀 に 、 中 国 で は ﹃ 論 語 ﹄ に [ 注 釈 2 0 ] 、 あ る い は ギ リ シ ア で は 紀 元 後 1 - 2 世 紀 の 医 師 の 記 述 に ハ ン セ ン 病 の 症 状 の 記 述 が あ る [ 6 9 ] 。 日 本 の ハ ン セ ン 病 に 関 す る 最 古 の 記 述 は 7 2 0 年 頃 、 日 本 書 紀 に 残 っ て い る [ 要 出 典 ] 。
中 世 鎌 倉 遺 跡 で あ る 由 比 ヶ 浜 南 遺 跡 の 発 掘 調 査 で 、 ハ ン セ ン 病 に よ る 変 病 骨 が 発 見 さ れ て い る [ 7 3 ] [ 7 4 ] 。
江 戸 時 代 後 期 の 遺 跡 と 見 ら れ る 青 森 県 畑 内 遺 跡 第 26 号 土 坑 墓 か ら 出 土 し た 古 病 理 学 的 に ハ ン セ ン 病 と 診 断 さ れ る 人 骨 の 上 顎 か ら 、 ら い 菌 の D N A が 検 出 さ れ た 。 こ の 人 骨 は 東 北 大 学 総 合 学 術 博 物 館 に 所 蔵 さ れ て い る [ 7 5 ] 。
西 ヨ ー ロ ッ パ に は 中 世 初 期 に 侵 入 し た と 考 え ら れ て お り [ 6 9 ] 、 3 0 0 年 頃 か ら ヨ ー ロ ッ パ で ハ ン セ ン 病 が 蔓 延 し た 。 十 字 軍 に よ る 移 動 [ 6 9 ] や 民 族 大 移 動 に よ り ハ ン セ ン 病 は 拡 大 し 、 11 世 紀 ・ 12 世 紀 に ハ ン セ ン 病 の 流 行 が ピ ー ク と な っ た [ 要 出 典 ] 。
1 0 9 6 年 に は じ ま っ た 十 字 軍 は 、 パ レ ス チ ナ ・ エ ル サ レ ム 地 域 の ハ ン セ ン 病 が ヨ ー ロ ッ パ に 蔓 延 す る き っ か け と な っ た 。 罹 患 し た 兵 士 の た め に エ ル サ レ ム の ラ ザ レ ッ ト ︵ l a z a r e t t o ‥ ハ ン セ ン 病 患 者 専 用 の 収 容 所 ・ ら い 院 ︶ [ 注 釈 2 1 ] が 作 ら れ 、 患 者 救 済 が 行 わ れ た 。 そ の 後 、 ヨ ー ロ ッ パ 各 地 に も ハ ン セ ン 病 が 蔓 延 し て き た た め 、 フ ラ ン ス や ド イ ツ な ど に も ラ ザ レ ッ ト が 作 ら れ た 。 ラ ザ レ ッ ト で は 、 ハ ン セ ン 病 を ﹁ ミ ゼ ル ・ ズ フ ト ﹂ ︵ 貧 し き 不 幸 な 病 ︶ と 称 し て 救 済 が 行 わ れ た が 、 当 時 の ロ ー マ 教 会 は 旧 約 聖 書 に 基 づ き 、 ﹁ ツ ァ ー ラ ア ト ﹂ の 措 置 と し て ﹁ 死 の ミ サ ﹂ や ﹁ 模 擬 葬 儀 ﹂ な ど 祭 儀 的 な 厳 し い 措 置 が 行 わ れ る こ と も 多 か っ た 。 ま た 、 外 出 時 に は 自 分 が 患 者 で あ る こ と を 分 か る よ う な 服 装 を 強 制 さ れ 、 公 衆 の 場 に 出 る こ と は 制 限 さ れ た 。 旧 約 聖 書 レ ビ 記 1 3 - 1 4 章 に は 患 者 と 思 し き 人 物 を 一 時 的 に 隔 離 し て 祭 司 が 経 過 を 観 察 す る 法 が あ る が 、 こ れ に は 感 染 し て い な か っ た 場 合 や 治 癒 し た 場 合 の 復 権 の 規 定 も 含 ま れ て お り 、 不 治 の 病 で あ る か の よ う な 誤 解 に 基 づ く 種 々 の 差 別 と は 一 線 を 画 し て い る 。 中 世 に お い て 行 わ れ て い た の は 公 衆 衛 生 上 の 隔 離 で は な く ﹁ 風 俗 規 制 ﹂ に よ る 社 会 的 隔 離 の た め の 患 者 隔 離 政 策 が 行 わ れ た [ 要 出 典 ] 。 具 体 的 に は ﹁ 現 社 会 か ら の 追 放 ﹂ ﹁ 市 民 権 ・ 相 続 権 の 剥 奪 ﹂ ﹁ 結 婚 の 禁 止 、 家 族 と の 分 離 、 離 婚 の 許 可 ﹂ ﹁ 就 業 禁 止 、 退 職 の 促 進 ﹂ ﹁ 立 ち 入 り 禁 止 な ど の 行 動 規 制 ﹂ な ど の 制 裁 措 置 が と ら れ た 。 一 方 で 兵 役 、 納 税 、 裁 判 出 頭 の 義 務 は 免 除 さ れ て い た が 、 そ れ は 公 民 と し て の 存 在 が 否 定 さ れ て い た こ と を 意 味 す る 。 そ の た め 、 ハ ン セ ン 病 患 者 に 対 す る 偏 見 ・ 差 別 が 拡 大 し た 。 社 会 的 隔 離 政 策 の 勅 令 と し て は カ ー ル 大 帝 が 有 名 で 、 そ の 後 出 現 し た 法 治 国 家 で も ﹁ 患 者 隔 離 法 ﹂ や ﹁ 患 者 取 締 令 ﹂ に よ り ら い 院 に 強 制 収 容 さ れ た [ 注 釈 2 2 ] 。
13 世 紀 に は 新 約 聖 書 に 範 を と っ た ﹁ 救 ら い 事 業 ﹂ が 行 わ れ た 。 ロ ー マ 教 会 に 対 抗 し 、 ア ッ シ ジ の フ ラ ン チ ェ ス コ の 献 身 的 な 救 済 活 動 に よ り 、 1 2 0 9 年 に 組 織 さ れ た フ ラ ン シ ス コ 会 は ア ッ シ ジ に ﹁ ら い 村 ﹂ を 建 設 し た 。 そ こ で は 、 一 つ の 共 同 自 治 社 会 が 形 成 さ れ 、 ﹁ 死 の ミ サ ﹂ や ﹁ 仮 装 埋 葬 ﹂ な ど の 儀 式 も な く 、 ま た 外 出 も 自 由 に で き た 。 新 約 聖 書 の ﹁ マ タ イ 伝 ﹂ 16 章 に 出 て い る イ エ ス ・ キ リ ス ト の 教 え と 行 動 に 則 っ た 病 者 へ の ﹁ 労 わ り ﹂ に 基 づ く 救 済 活 動 で あ っ た 。 ま た 、 キ リ ス ト に よ る ハ ン セ ン 病 患 者 の 治 療 は 奇 跡 と し て 扱 わ れ 、 ハ ン ガ リ ー の 聖 女 エ リ ー ザ ベ ト に よ る 救 済 [ 注 釈 2 3 ] な ど や 、 十 字 軍 時 代 の パ レ ス チ ナ に 設 置 さ れ た ら い 院 で の ラ ザ ロ 看 護 騎 士 団 [ 注 釈 2 4 ] の 患 者 救 済 に も 影 響 を 及 ぼ し た 。
14 世 紀 頃 に な る と ヨ ー ロ ッ パ で は ハ ン セ ン 病 患 者 は 次 第 に 減 少 し た 。 1 3 4 8 年 の 黒 死 病 ︵ ペ ス ト ︶ の 大 流 行 で ラ ザ レ ッ ト の 収 容 者 が 一 掃 さ れ る こ と も あ り [ 6 9 ] 、 ヨ ー ロ ッ パ 各 地 の ら い 院 は 次 々 に 閉 鎖 さ れ た 。
16 世 紀 に は ヨ ー ロ ッ パ や ア フ リ カ か ら ア メ リ カ 大 陸 に ハ ン セ ン 病 が も た ら さ れ た 。 そ し て 18 世 紀 に は 北 米 、 19 世 紀 後 半 に は 太 平 洋 諸 国 に 広 が っ た 。
19 世 紀 に ハ ワ イ で 激 し い 流 行 が み ら れ た 。 政 府 は 棄 民 政 策 を と り 、 モ ロ カ イ 島 に 患 者 を 隔 離 ・ 定 住 さ せ た 。 1 8 7 3 年 に ハ ワ イ で 布 教 を し て い た ダ ミ ア ン 神 父 が モ ロ カ イ 島 に 定 住 し 奉 仕 を 開 始 し た 。
1 8 5 0 年 か ら 1 9 2 0 年 に か け て 、 ノ ル ウ ェ ー に ハ ン セ ン 病 が 流 行 し た 。 戦 争 に よ る 飢 饉 が 引 き 金 と な り 、 人 口 の 多 い 地 方 よ り 漁 村 や 農 村 で 流 行 し た 。 1 8 8 5 年 に 世 界 で 初 め て 衛 生 立 法 に 基 づ く 強 制 隔 離 政 策 が 行 わ れ た 。 こ れ は 、 1 8 9 7 年 に ド イ ツ で 開 か れ た 第 1 回 国 際 ら い 会 議 で 発 表 さ れ 、 強 制 隔 離 政 策 が 評 価 さ れ た 。 た だ し 、 患 者 全 員 を 国 立 病 院 に 隔 離 す る 前 に 流 行 は 終 結 し た 。
1 9 2 0 年 代 に ナ ウ ル 島 と 1 9 8 0 年 代 に カ ピ ン ガ マ ラ ン ギ 島 で 3 割 の 住 民 に 感 染 発 病 を 示 す ほ ど の 流 行 が み ら れ た 。 こ の 様 な ハ ワ イ と 同 様 な 激 烈 な 流 行 に つ い て は 、 感 染 症 に 対 す る 処 女 地 で は 弱 い 感 染 症 進 入 で も 流 行 が 発 生 す る と い う 考 え が あ り 、 外 的 物 質 に 対 す る 免 疫 能 が な い ︵ 自 然 免 疫 能 ︶ と も 考 え ら れ る が 、 し か し 十 分 な 説 明 は な さ れ て い な い 。
1 8 9 7 年 、 ド イ ツ で 開 か れ た 第 1 回 国 際 ら い 会 議 で ノ ル ウ ェ ー の 事 例 が 発 表 さ れ 強 制 隔 離 政 策 が 推 奨 さ れ た 。 た だ し 、 日 本 の 隔 離 政 策 と は 異 な り 警 察 に よ る 取 締 り で は な く 、 医 師 の 判 断 に 基 づ い た 強 制 隔 離 で あ っ た 。 1 9 0 9 年 に ノ ル ウ ェ ー で 第 2 回 国 際 ら い 学 会 が 開 催 さ れ 、 強 制 隔 離 政 策 に よ る 対 策 の 重 要 性 が 再 確 認 さ れ る と と も に 、 早 期 に ハ ン セ ン 病 患 者 か ら 子 供 を 引 き 離 す こ と が 推 奨 さ れ た 。
1 9 0 7 年 、 フ ィ リ ピ ン ︵ 米 国 統 治 下 ︶ で は 、 元 来 、 強 制 隔 離 政 策 を 行 っ て い た が 、 大 風 子 油 ︵ 当 時 の 治 療 薬 ︶ に よ る 施 設 治 療 を 行 い 、 菌 が 陰 性 化 し た 患 者 は 社 会 復 帰 さ せ る と い う 開 放 制 度 に 転 換 し た ︵ パ ロ ー ル シ ス テ ム ︶ 。 患 者 の 意 志 で は な く 、 多 く の 伝 染 病 患 者 に 対 し 施 設 収 容 ・ 治 療 の 効 率 化 す る こ と が 目 的 で あ っ た が 、 こ の 開 放 制 度 は 世 界 で 初 め て の 試 み で 画 期 的 な 政 策 で あ っ た 。 こ の 政 策 は 、 1 9 2 3 年 に ス ト ラ ス ブ ル ク で 開 か れ た 第 3 回 国 際 ら い 学 会 に よ っ て 発 表 さ れ た が 、 退 所 後 の 再 発 は 非 常 に 高 い こ と な ど が 明 ら か に な り 、 開 放 制 度 や 大 風 子 油 治 療 の 効 果 に つ い て は 否 定 さ れ た 。 一 方 で 小 児 に 伝 染 し や す い こ と か ら ﹁ 産 児 は 母 か ら 引 き 離 す こ と ﹂ ﹁ ら い 患 者 は 伝 染 さ せ る 職 業 に は つ く べ き で な い ﹂ な ど の 公 衆 衛 生 的 に 必 要 な 隔 離 た め の 方 法 が 決 議 さ れ た 。
1 9 3 1 年 、 国 際 連 盟 は ﹁ ら い 公 衆 衛 生 の 原 理 ﹂ と 題 す る 著 作 を 発 刊 し 、 ハ ン セ ン 病 の 早 期 患 者 に 対 し て は 施 設 隔 離 を 行 わ ず 、 外 来 診 療 所 で 大 風 子 油 に よ る 治 療 を 行 う の が 望 ま し い と さ れ 、 政 策 と し て 初 め て ﹁ 治 療 対 策 ﹂ ﹁ 脱 施 設 隔 離 ﹂ が 打 ち 出 さ れ た 。 た だ し そ の 一 方 で 重 症 の 伝 染 性 の 強 い 患 者 は 施 設 に 強 制 的 に 隔 離 す る 重 要 性 も 再 確 認 さ れ て い る 。 1 9 3 8 年 に カ イ ロ で 開 催 さ れ た 第 4 回 国 際 ら い 学 会 で は 、 そ の 影 響 を 受 け て 疫 病 地 の 大 風 子 油 に よ る 施 設 治 療 政 策 は 認 め ら れ た 。
1 9 4 1 年 に は ア メ リ カ の フ ァ ジ ェ ッ ト に よ り 新 薬 で あ る プ ロ ミ ン が 使 用 [ 注 釈 2 5 ] さ れ 、 こ れ に よ り 大 風 子 油 か ら プ ロ ミ ン と 治 療 方 法 が 変 化 し ハ ン セ ン 病 は 治 る 病 気 と な っ た 。 そ の 後 は 、 隔 離 政 策 は 徐 々 に 衰 退 し 外 来 診 療 が 重 視 さ れ て い く こ と に な る 。
各 国 の 状 況
日 本 で は 世 界 的 な 動 向 と 逆 行 す る か の よ う に 、 1 9 3 1 年 に 強 制 隔 離 政 策 ︵ 感 染 の 拡 大 を 防 ぐ た め 全 患 者 を 療 養 所 に 強 制 的 に 入 所 さ せ る 政 策 ︶ が 開 始 さ れ た 。
1 9 4 2 年 頃 の ア メ リ カ で は 、 テ キ サ ス ・ ル イ ジ ア ナ ・ フ ロ リ ダ の 州 法 に お い て 、 医 師 の 診 断 を 条 件 に カ ー ヴ ィ ル の 療 養 所 へ の ハ ン セ ン 病 患 者 の 収 容 が 行 わ れ た 。 こ の 療 養 所 は 1 8 9 4 年 に 開 所 さ れ 、 1 9 4 2 年 当 時 ア メ リ カ 本 土 に 2 5 0 0 人 存 在 し た ハ ン セ ン 病 患 者 の う ち 1 3 7 1 名 が 入 所 し て い た 。
ガ イ ・ ヘ ン リ ィ ・ フ ァ ジ ェ ッ ト ︵ G u y H e n r y F a g e t ︶
ガ イ ・ ヘ ン リ ィ ・ フ ァ ジ ェ ッ ト は 、 ア メ リ カ 合 衆 国 カ ー ヴ ィ ル 療 養 所 の 病 院 長 ︵ d i r e c t o r , 1 9 4 0 - 1 9 4 7 ︶ で 、 プ ロ ミ ン の ハ ン セ ン 病 に 対 す る 有 効 性 [ 注 釈 2 6 ] を 発 見 し た 。 1 9 4 7 年 に 心 臓 病 で 亡 く な り 、 没 後 の 1 9 5 8 年 に 東 京 の 国 際 ら い 学 会 と 、 1 9 8 4 年 の カ ー ヴ ィ ル 百 年 祭 で も 表 彰 さ れ た [ 7 6 ] [ 7 7 ] 。 な お 、 T h e S t a r の 初 代 編 集 長 に よ る と 、 健 康 を 害 し た あ と 事 故 で 亡 く な っ た こ と を 示 唆 し て い る [ 7 8 ] 。
小 笠 原 登 ︵ お が さ わ ら の ぼ る ︶
小 笠 原 登 は 、 ハ ン セ ン 病 の 伝 染 力 の 弱 さ か ら ハ ン セ ン 病 体 質 病 説 を 主 張 。 光 田 健 輔 ら が 唱 え る 患 者 の 強 制 隔 離 に 反 対 す る も 、 当 時 ︵ 昭 和 初 期 ︶ の 学 会 で は 否 定 さ れ た [ 7 9 ] [ 8 0 ] 。
ヒ ラ リ ー ・ ロ ス 修 道 女 ︵ S i s t e r H i l a r y R o s s ︶
ア メ リ カ 合 衆 国 カ ー ヴ ィ ル 療 養 所 の 薬 剤 師 、 検 査 技 師 、 研 究 生 化 学 者 ︵ r e s e a r c h b i o c h e m i s t ︶ 、 F a g e t と の 共 著 を 含 め 、 46 編 の 論 文 を 書 い た 。 特 に ス ル ホ ン 剤 の 尿 中 、 血 中 濃 度 を 測 定 し 、 使 用 法 の 決 定 、 そ の 他 広 く ハ ン セ ン 病 学 に 貢 献 し 、 色 々 な 学 会 に 出 席 し 、 1 9 5 8 年 に は ダ ミ ア ン ・ ダ ッ ト ン ︵ D a m i e n - D u t t o n ︶ 賞 、 プ レ ジ デ ン ト ・ メ ダ ル ︵ P r e s i d e n t ’ s M e d a l , 女 性 で は 初 ︶ を 与 え ら れ た 。 患 者 に も 慕 わ れ 、 ﹁ カ ー ヴ ィ ル の 奇 蹟 ﹂ の ベ テ ィ ・ マ ー テ ィ ン ︵ B e t t y M a r t i n ︶ に 検 査 技 術 を 教 え た [ 8 1 ] [ 8 2 ] [ 8 3 ] 。
光 田 健 輔 ︵ み つ だ け ん す け ︶
光 田 健 輔 は 、 ハ ン セ ン 病 と 非 ハ ン セ ン 病 を 区 別 す る 目 的 で 、 殺 菌 し た ら い 菌 を 抗 原 と し た 研 究 を 行 っ た 。 し か し 、 そ れ は ﹁ L 型 ﹂ と ﹁ T 型 ・ 正 常 ﹂ を 区 別 す る ﹁ 光 田 反 応 ﹂ と し て 完 成 し た 。 光 田 反 応 は レ プ ロ ミ ン 反 応 と も 呼 ば れ 、 ハ ン セ ン 病 の 複 雑 な 病 型 を 理 解 す る 上 で 重 要 な 反 応 で あ る 。 実 際 に は 、 光 田 の 愛 弟 子 で あ る 林 文 雄 が 完 成 し た 。 太 田 正 雄 は 、 こ の 反 応 を バ ン コ ク の 学 会 で 知 り こ の よ う な 論 文 が 埋 も れ て い る の は 惜 し い と 、 国 際 雑 誌 を 立 ち 上 げ た 際 に 林 の 文 献 を そ の 1 号 に 掲 載 し た 。 光 田 は 1 9 6 1 年 に ダ ミ ア ン ・ ダ ッ ト ン 賞 を 受 賞 し た [ 8 4 ] [ 8 5 ] [ 8 6 ] 。
村 田 茂 助 ︵ む ら た も す け ︶
村 田 茂 助 は 、 ハ ン セ ン 病 の 反 応 で 有 名 な 癩 性 結 節 性 紅 斑 E r y t h e m a n o d o s u m l e p r o s u m E N L ︵ 俗 に 熱 コ ブ ︶ を 世 界 に 先 駆 け て 研 究 、 命 名 し た 。 全 生 園 の 外 科 医 師 で 、 光 田 健 輔 と 同 時 代 の 研 究 家 、 彼 と の 共 著 も あ る 。 し か し 早 く 開 業 に 転 じ た [ 3 3 ] 。
石 館 守 三 ︵ い し だ て も り ぞ う ︶
石 館 守 三 ︵ 1 9 0 1 - 1 9 9 6 ︶ は ハ ン セ ン 病 治 療 薬 で あ る プ ロ ミ ン の 合 成 を 日 本 で 初 め て 成 功 し た 。 東 京 大 学 医 学 部 薬 学 科 で 研 究 し た 。
ウ イ リ ア ム ・ ジ ョ ッ プ リ ン グ ︵ W i l l i a m H J o p l i n g ︶
ウ イ リ ア ム ・ ジ ョ ッ プ リ ン グ は 、 ハ ン セ ン 病 の 分 類 で 有 名 で あ る 。 ロ ン ド ン 大 学 卒 。 戦 前 は ハ ン セ ン 病 に も 興 味 が あ っ た よ う で あ る が ア フ リ カ で 内 科 ・ 産 婦 人 科 を や り 、 戦 時 中 は 軍 医 で あ っ た 。 戦 後 の 1 9 4 7 年 、 36 歳 の 時 に ロ ン ド ン に 帰 り 、 大 学 院 で 熱 帯 医 学 を 専 攻 し た 。 そ の 後 、 1 9 5 0 年 に 戦 後 ロ ン ド ン 郊 外 の 古 城 に 作 ら れ た ハ ン セ ン 病 病 院 ﹁ ジ ョ ー ダ ン ︵ J o r d a n ︶ 病 院 ﹂ の 住 み 込 み 院 長 と な り 、 そ こ で 病 理 医 の リ ド リ ー ︵ R i d l e y ︶ と 共 に R i d l e y - J o p l i n g 分 類 を 完 成 し た 。 1 9 6 2 年 に は ら い 反 応 も 研 究 し た [ 8 7 ] [ 8 8 ] 。 ジ ョ ッ プ リ ン グ の エ ピ ソ ー ド と し て ﹁ 1 9 5 0 年 代 の 初 め に E r y t h e m a n o d o s u m l e p r o s u m の 命 名 者 が 知 り た く て 尋 ね て 回 り 、 東 京 か ら の 客 人 に よ り そ れ は 村 田 茂 助 で あ る と 分 か っ た ﹂ と い う こ と が あ る 。 ジ ョ ッ プ リ ン グ は 、 彼 が 独 力 で 書 い た 教 科 書 H a n d b o o k o f L e p r o s y で も 有 名 で 、 こ の 教 科 書 は 5 版 を 数 え る 。 そ の 他 、 L e p r o s y s t i g m a に つ い て の 論 文 や T h e S t a r に 書 か れ た 自 叙 伝 も 有 名 で あ る 。
柳 駿
柳 駿 ︵ J o o n L e w ︶ は 、 大 韓 民 国 の ハ ン セ ン 病 指 導 者 で 延 世 大 学 名 誉 教 授 。 医 学 生 の 時 に 、 徘 徊 す る ら い 病 患 者 に シ ョ ッ ク を 受 け 、 京 城 帝 国 大 学 、 九 州 大 学 細 菌 学 教 室 、 カ リ フ ォ ル ニ ア 大 学 で ハ ン セ ン 病 を 学 ん だ 。 医 師 に な り 、 最 初 に 勤 務 し た の は 小 鹿 島 更 生 園 で あ っ た 。 1 9 4 7 年 ら い 浮 浪 者 の 団 体 の ボ ス を 集 め 、 物 乞 い を 止 め よ う と 、 希 望 村 と い う 運 動 を 始 め た 。 朝 鮮 戦 争 前 に は 16 も の 希 望 村 が で き た 。 希 望 村 運 動 は 中 央 政 府 に よ り 新 し い 定 着 村 運 動 と な っ た 。 そ の 他 、 柳 駿 医 科 学 研 究 所 理 事 長 に な り 、 ハ ン セ ン 病 関 係 の 種 々 の 役 職 を 歴 任 し た 。 毎 年 開 催 さ れ る 日 本 ハ ン セ ン 病 学 会 に も 出 席 す る [ 8 9 ] 。
ケ イ ト ・ マ ー ズ デ ン ( K a t e M a r s d e n )
イ ギ リ ス の 看 護 婦 、 冒 険 家 、 旅 人 。 1 8 5 9 生 、 1 9 3 1 年 没 。 父 親 は ロ ン ド ン の 弁 護 士 。 8 人 兄 弟 の 末 っ 子 。 た い へ ん お て ん ば で あ っ た と い う 。 父 親 が 若 死 し た の で 病 院 の 見 習 看 護 婦 に な っ た 。 当 時 彼 女 は ブ ル ガ リ ア の 戦 争 に 行 く 志 願 を し て い る 。 ト ル コ と 戦 争 を し た ロ シ ア 人 を 介 護 し た よ う で あ る が 、 こ れ に 関 す る 資 料 は 不 確 実 で あ る 。 イ ギ リ ス に 帰 り 正 規 の 看 護 婦 に な り 、 婦 長 に な る 。 ハ ン セ ン 病 の ハ ワ イ の 療 養 所 に 勤 務 し た い と 申 し 出 、 断 ら れ て い る 。 イ ン ド に 行 こ う と 考 え て い た 時 、 ロ シ ア 赤 十 字 か ら 先 の 戦 争 で 看 護 に 功 績 が あ っ た と 招 待 を 受 け た 。 彼 女 は ロ ン ド ン の 宮 殿 で 皇 太 子 妃 に 拝 謁 、 ロ シ ア の 女 帝 に 親 書 を 書 い て も ら い 、 旅 に 出 る 。 エ ル サ レ ム 、 コ ン ス タ ン チ ノ ー プ ル 、 現 在 の ト ビ リ シ に 赴 く 。 1 8 9 0 年 11 月 。 モ ス ク ワ に 到 着 。 大 主 教 や ト ル ス ト イ 伯 爵 夫 人 の 支 援 を 取 り 付 け る 。 北 東 シ ベ リ ア を 目 指 し た が 、 バ イ カ ル 湖 近 く の イ ル ク ー ツ ク で 支 援 委 員 会 を 作 っ た ︵ イ ル ク ー ツ ク ら い 療 養 所 を 創 設 し た よ う で あ る ︶ 。 そ の 後 の 活 躍 も 述 べ ら れ て い る が 、 こ の プ ロ ジ ェ ク ト に 協 力 し た 人 も い る 。 こ の 旅 行 が 真 実 で あ っ た の か 、 批 判 も あ る [ 9 0 ] 。
ア シ ュ ミ ー ド
ア ル バ ー ト ・ シ ド ニ ー ・ ア シ ュ ミ ー ド ・ ジ ュ ニ ア ︵ A s h m e a d , A l b e r t S y d n e y J u n i o r ︶ ︵ 1 8 5 0 . 4 . 4 - 1 9 1 1 . 2 . 2 0 ︶ は ア メ リ カ の 医 師 で 、 1 8 7 4 年 か ら 1 8 7 5 年 に か け 、 東 京 府 病 院 ︵ 1 8 7 4 - 1 8 8 1 ︶ で 医 学 を 教 え た 。 当 時 の 日 本 の ハ ン セ ン 病 に 興 味 を 覚 え 、 研 究 を 始 め た 。 1 8 7 6 年 帰 米 。 1 8 9 7 年 の ベ ル リ ン 国 際 ら い 会 議 を 強 く 推 進 し た 一 人 で あ っ た 。 彼 は そ の 会 議 に 出 席 は し な か っ た が 、 強 力 な 移 民 禁 止 、 隔 離 論 者 で あ っ た 。 そ の 会 議 は ハ ン セ ン 病 隔 離 政 策 へ の 潮 流 を つ く っ た 。
ハ ン ナ ・ リ デ ル
ハ ン セ ン 病 専 門 病 院 の 設 立 や 治 療 体 制 の 確 立 に 貢 献 す る な ど 日 本 の ハ ン セ ン 病 史 に 名 を 刻 ん だ 。
● エ ル サ レ ム 王 ボ ー ド ゥ ア ン 4 世 ︵ 1 1 6 1 年 - 1 1 8 5 年 ︶
幼 少 の 頃 に 発 病 し た 。 し か し 、 13 歳 で 即 位 し て 以 来 24 歳 で 没 す る ま で 、 勢 力 を 増 大 さ せ て い た サ ラ ー フ ッ デ ィ ー ン を 向 こ う に 回 し て 自 ら 戦 場 に 出 て 戦 い 続 け 、 存 命 中 エ ル サ レ ム 王 国 の 独 立 を 守 っ た 。
● ス コ ッ ト ラ ン ド 王 ロ バ ー ト 1 世 ︵ 1 2 7 4 年 - 1 3 2 9 年 ︶
第 一 次 ス コ ッ ト ラ ン ド 独 立 戦 争 で イ ン グ ラ ン ド 王 エ ド ワ ー ド 2 世 を 破 っ て ス コ ッ ト ラ ン ド を イ ン グ ラ ン ド の 支 配 か ら 解 放 し 、 空 位 と な っ て い た ス コ ッ ト ラ ン ド の 王 位 に 就 い た 。 晩 年 の 1 3 2 9 年 に 発 病 し 、 同 年 没 し た 。
● 朝 鮮 世 祖 王 ︵ 1 4 1 7 年 - 1 4 6 8 年 ︶
第 4 代 国 王 世 宗 の 次 男 。 兄 の 文 宗 の 死 後 、 甥 の 端 宗 が 11 歳 で 即 位 す る と 、 幼 い 王 を 補 佐 す る 役 割 を 担 う が 、 端 宗 に 退 位 を 強 要 し て 1 4 5 5 年 に 自 ら 即 位 し た 。 晩 年 に 身 体 の 皮 膚 が 徐 々 に ハ ン セ ン 病 に 侵 さ れ る よ う に な り 、 1 4 6 8 年 に 次 男 の 海 陽 大 君 ︵ 睿 宗 ︶ に 王 位 を 譲 る 形 で 上 王 と な っ た が 、 そ の 翌 日 に 薨 去 し た 。
● 大 谷 吉 継 ︵ 1 5 5 9 年 - 1 6 0 0 年 ︶
日 本 の 戦 国 時 代 後 期 、 豊 臣 秀 吉 配 下 の 武 将 。 賤 ヶ 岳 の 戦 い で は 七 本 槍 に 匹 敵 す る 武 功 を 挙 げ た 。 業 病 [ 注 釈 2 7 ] を 患 っ て お り 、 顔 が 爛 れ て い た と 伝 わ っ て い る た め 、 お そ ら く は ハ ン セ ン 病 に 罹 患 し て い た と 考 え ら れ て い る 。 石 田 三 成 と 固 い 友 情 で 結 ば れ て い た と 言 わ れ 、 関 ヶ 原 の 戦 い で は 東 軍 有 利 と 思 い つ つ も 、 三 成 と の 友 情 に 報 い る た め に 西 軍 に つ い て 闘 い 、 最 後 は 自 刃 し て 果 て た 。
あ る 時 開 か れ た 茶 会 に お い て 、 招 か れ た 豊 臣 家 諸 将 は 茶 碗 に 入 っ た 茶 を 、 1 口 ず つ 飲 ん で 次 の 者 へ と 渡 し て 回 し 飲 み を 始 め た 。 こ の 時 、 吉 継 が 口 を つ け た 茶 碗 は 誰 も が 嫌 い 、 後 の 者 た ち は 病 気 の 感 染 を 恐 れ て 飲 む ふ り を す る だ け で あ っ た が 、 石 田 三 成 だ け は 普 段 と 変 わ り な く そ の 茶 を 飲 ん だ ︵ 一 説 に は 吉 継 が 飲 む 際 に 顔 か ら 膿 が 茶 碗 に 落 ち た が 、 三 成 は そ の 膿 ご と 茶 を 飲 み 干 し た と さ れ る 。 ま た 三 成 で な く 豊 臣 秀 吉 で あ る と い う 話 も あ る ︶ 。 こ の 逸 話 は 本 郷 和 人 に よ る と 、 典 拠 が 不 明 の 信 憑 性 の 乏 し い 逸 話 で 、 江 戸 時 代 に 遡 る こ と が 難 し く 、 明 治 時 代 の ジ ャ ー ナ リ ス ト で あ っ た 福 本 日 南 が 1 9 1 1 年 に 刊 行 し た ﹃ 英 雄 論 ﹄ で は 、 三 成 で は な く 秀 吉 の 話 と し て 記 載 さ れ て い る [ 9 1 ] 。
● ダ ミ ア ン 神 父 ︵ 1 8 4 0 年 - 1 8 8 9 年 ︶
ベ ル ギ ー 人 の カ ト リ ッ ク 司 祭 。 ハ ワ イ 王 国 の モ ロ カ イ 島 で ハ ン セ ン 病 患 者 た ち の ケ ア に 生 涯 を さ さ げ 、 自 ら も ハ ン セ ン 病 で 命 を 落 と し た 。
1 8 7 3 年 、 許 可 を 得 て モ ロ カ イ 島 に 渡 り 、 ハ ン セ ン 病 患 者 の 救 済 に 尽 力 し た 。 神 父 の 活 動 は 世 界 に 報 じ ら れ 、 や が て 救 癩 の 使 徒 と 呼 ば れ る よ う に な っ た 。 1 8 8 4 年 12 月 に ダ ミ ア ン 神 父 は ハ ン セ ン 病 ︵ LL 型 ︶ を 発 病 し た 。 こ の と き 、 癩 菌 発 見 に 関 わ っ た 細 菌 学 者 ナ イ セ ル の 弟 子 の 一 人 で 当 時 ハ ワ イ で ハ ン セ ン 病 の 研 究 中 だ っ た ア ー ニ ン グ が ダ ミ ア ン 神 父 を 診 察 し た 。 当 時 は ハ ン セ ン 病 に 対 す る 医 学 知 識 が 乏 し く 、 多 く の 医 師 が 梅 毒 と ハ ン セ ン 病 の 区 別 が つ か な い ば か り か 、 ﹁ 梅 毒 は ハ ン セ ン 病 の 第 4 期 ﹂ と 考 え て い た 学 者 さ え い る ほ ど で あ っ た 。 こ の た め ダ ミ ア ン 神 父 の ハ ン セ ン 病 罹 患 の 原 因 を ﹁ 患 者 の 女 性 と 関 係 を 持 っ た こ と ﹂ で あ る と い う 中 傷 さ え 行 わ れ た [ 9 2 ] 。 そ の 後 、 ダ ミ ア ン 神 父 の 発 症 原 因 に つ い て は 多 く の 研 究 が 行 わ れ た が 、 そ の う ち の 一 人 で あ る ジ ョ プ リ ン グ は 、 ダ ミ ア ン 神 父 が 発 病 し た の は 患 者 の 世 話 な ど で 癩 菌 に 対 す る 露 出 が 濃 厚 で あ っ た こ と と 、 体 質 的 に 発 病 し や す い タ イ プ で あ っ た と 考 え ら れ る と 発 表 し て い る [ 9 3 ] 。
カ ト リ ッ ク 教 会 は ダ ミ ア ン 神 父 を 1 9 9 5 年 に 福 者 、 2 0 0 9 年 に 聖 者 に 列 し た 。
● 明 石 海 人 ︵ 1 9 0 1 年 - 1 9 3 9 年 ︶
静 岡 県 沼 津 市 出 身 で 、 ハ ン セ ン 病 を 患 い な が ら も 短 歌 を 発 表 し た 歌 人 で あ る 。 ハ ン セ ン 病 発 症 前 は 小 学 校 教 師 を し て い た 。 ハ ン セ ン 病 の 後 遺 症 で 失 明 や 発 声 障 害 ︵ 神 経 障 害 の た め 喉 頭 機 能 障 害 に な り 、 気 管 切 開 を 受 け た 際 に 発 声 障 害 と な っ た ︶ な ど も 併 発 し た 。 腸 結 核 の た め 長 島 愛 生 園 で 没 し た 。 没 年 の 1 9 3 9 年 に は ベ ス ト セ ラ ー 歌 集 ﹃ 白 描 ﹄ [ 注 釈 2 8 ] を 発 刊 す る 。
● 桜 井 哲 夫 ( 詩 人 ) ︵ 1 9 2 4 年 - 2 0 1 1 年 ︶
● 村 越 化 石 ︵ 1 9 2 2 年 - 2 0 1 4 年 ︶
静 岡 県 藤 枝 市 生 ま れ の 俳 人 。 15 歳 で 治 療 の た め に 離 郷 、 1 9 4 1 年 か ら 群 馬 県 草 津 町 の 国 立 療 養 所 栗 生 楽 泉 園 で 暮 ら す 。 失 明 し た 後 も 、 妻 や 職 員 の 手 を 借 り て 句 作 を 続 け た 。
● ヨ ゼ フ ・ パ ヴ ラ キ ス
ハ ン セ ン 病 を 発 病 し て 、 1 9 0 3 年 に 遺 棄 の 島 と 指 定 さ れ た ギ リ シ ャ 王 国 の ク レ タ 島 東 部 に 位 置 す る ス ピ ナ ロ ン ガ 島 に 送 ら れ た 神 父 で あ る 。 ス ピ ナ ロ ン ガ 島 は ハ ン セ ン 病 の 患 者 が 次 々 に 送 ら れ て 悲 惨 な 状 態 と な っ て い た が 、 パ ヴ ラ キ ス は 患 者 を 集 め て 建 物 班 を 作 る な ど 組 織 化 し 、 水 の 確 保 、 お よ び 住 宅 ・ ダ ン ス ホ ー ル ・ 劇 場 な ど の 建 設 に 尽 力 し た 。 ギ リ シ ア 政 府 は 1 9 5 4 年 に 隔 離 を 止 め 、 ハ ン セ ン 病 の 新 規 患 者 は ア テ ネ で 治 療 す る こ と と な っ た た め 、 1 9 5 7 年 に ア テ ネ に 帰 還 し た [ 5 8 ] 。
● 北 条 民 雄 ︵ 1 9 1 4 年 - 1 9 3 7 年 ︶
自 身 の ハ ン セ ン 病 体 験 に 基 づ く 私 小 説 ﹃ い の ち の 初 夜 ﹄ で 文 學 界 賞 を 受 賞 。
ハ ン セ ン 病 に 関 連 す る 雑 誌 は 国 際 的 に は 、 以 下 に 紹 介 す る 雑 誌 ﹃ T h e S t a r ﹄ が 有 名 で あ る ︵ 2 0 1 1 年 現 在 、 廃 刊 ︶ 。 療 養 所 職 員 、 専 門 家 な ど に よ り 、 啓 発 記 事 、 解 説 記 事 な ど も 多 く 、 大 い に 参 考 と す べ き 資 料 が 多 数 掲 載 さ れ て い る 。 一 方 、 日 本 で は 療 養 所 ご と に 機 関 紙 ︵ 療 養 所 、 自 治 会 、 ま た 別 の 団 体 に よ る 発 行 ︶ が あ る 。 日 本 の 機 関 紙 は 各 療 養 所 の 出 来 事 を 中 心 と し た 記 事 や 入 所 者 の 随 筆 や 文 学 の 掲 載 の 場 に な っ て お り 、 雑 誌 ﹃ T h e S t a r ﹄ ほ ど 専 門 性 の 高 い 記 事 は ほ と ん ど 掲 載 さ れ な い が 、 そ の 存 在 は 入 所 者 に 生 き が い を 与 え て い る 。 日 本 の 療 養 所 ご と に 発 行 し て い る 雑 誌 に つ い て は 日 本 の ハ ン セ ン 病 問 題 # 日 本 お よ び 関 連 諸 国 の ハ ン セ ン 病 療 養 所 内 の ﹁ ハ ン セ ン 病 療 養 所 の 雑 誌 ﹂ を 参 照 の こ と 。 ま た 学 術 的 、 国 際 的 に は 英 国 の 発 行 に よ る L e p r o s y R e v i e w が 発 行 さ れ て い る 。
雑 誌 ﹃ T h e S t a r ﹄
患 者 に よ り 編 集 、 発 行 さ れ た ハ ン セ ン 病 に 関 す る 啓 発 雑 誌 で あ る 。 米 国 の 療 養 所 カ ー ヴ ィ ル で 、 盲 目 の 編 集 長 ス タ ン リ ー ・ ス タ イ ン ︵ S t a n l e y S t e i n ︶ が 1 9 4 1 年 に 創 刊 、 2 0 0 1 年 に 廃 刊 し た 。 A 4 判 で 年 6 回 発 行 。 医 師 、 看 護 師 、 技 術 者 か ら の 投 稿 が 多 い の が 特 徴 で 、 患 者 に 役 に 立 つ 記 事 も 多 く 掲 載 さ れ て い る 。 そ の 中 に は 専 門 誌 に 掲 載 さ れ る よ う な 高 度 な ハ ン セ ン 病 の 総 説 論 文 も 含 ま れ て い る 。 裏 表 紙 に も 専 門 家 に よ る ハ ン セ ン 病 の 簡 単 な 解 説 が あ る 。 ﹁ ハ ン セ ン 病 の 歴 史 ﹂ ﹁ ハ ン セ ン 病 の 疫 学 ﹂ ﹁ ダ ミ ア ン 神 父 ﹂ ﹁ 中 世 の ら い 患 者 ﹂ ﹁ M D T ﹂ ﹁ ハ ン セ ン 病 と 妊 娠 ﹂ ﹁ 代 理 貨 幣 ﹂ ﹁ ジ ョ ッ プ リ ン グ 博 士 の 自 叙 伝 ﹂ ﹁ 菊 池 恵 楓 園 の 紹 介 ﹂ ﹁ ソ 連 の イ ル ク ー ツ ク 癩 療 養 所 ︵ 日 本 人 投 稿 ︶ ﹂ ﹁ ハ ン セ ン 病 の リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン の や り 方 ﹂ ﹁ ス ピ ナ ロ ン ガ 島 ﹂ ﹁ 神 経 細 胞 内 の ラ イ 菌 の 電 子 顕 微 鏡 写 真 ﹂ ﹁ 日 本 の ら い 予 防 法 が 廃 止 さ れ る ﹂ な ど が 今 ま で に 掲 載 さ れ た 。 患 者 か ら の 投 稿 も あ り 、 興 味 深 い 記 事 も 多 く 含 ま れ て い る 。 否 定 的 な 意 味 を 含 む ﹁ l e p r o s y ﹂ と い う 用 語 の 使 用 は 避 け ら れ た が 投 稿 者 の 意 向 が 強 け れ ば 使 用 も 可 能 と さ れ て い た [ 9 4 ] 。 愛 生 園 図 書 館 ︵ 歴 史 館 ︶ 、 国 立 ハ ン セ ン 病 資 料 館 に 相 当 数 保 存 さ れ て い る 。
雑 誌 ﹃ L e p r o s y R e v i e w ﹄
英 国 の L E P R A H e a l t h i n A c t i o n よ り 年 に 4 回 発 行 さ れ て い る 。 ハ ン セ ン 病 の 理 解 と コ ン ト ロ ー ル に 資 す る こ と を 目 的 と し て い る 。 研 究 の 総 て の 面 の 原 著 、 ハ ン セ ン 病 の 教 育 関 連 の 資 料 を 発 行 し 、 ハ ン セ ン 病 に 携 わ っ て い る 人 々 、 お よ び 患 者 の 役 に 立 つ こ と を 目 指 し て い る 。
ハンセン病に関する研究の発展や各地で生じるハンセン病に関する諸問題への対処を目的として、様々な団体・学会が存在する。以下に代表的な機関を掲載した。
世界救らい団体連合
世界救らい団体連合 (ILEP, International Federation of Anti-Leprosy Associations ) は、各国保健省やその国で活動する他のNGOとの協力下で、医療従事者に対する技術向上トレーニング、患者の発見・治療とその後のリハビリテーション、さらには新治療法の開発などの研究活動を行う団体である。1966年に創立されたが当初はヨーロッパ救らい団体連合(ELEP)として設立し1975年に世界救らい団体連合(ILEP)と名称を変更した。ILEPにはヨーロッパ、アメリカ、日本の14団体が加入している。ILEP加入団体の活動はハンセン病問題のあるほぼ全ての国で実施されており、特徴として患者・回復者と直接接して活動する、すなわち草の根レベルの活動にある。
世界救らい団体連合一覧
団体名
略称
国
笹川記念保健協力財団
SMHF
日本
Aide aux Lepreux Emmaus-Suisse
ALES
スイス
American Leprosy Mission
ALM
アメリカ合衆国
Amici di Raoul Follereau
AIFO
イタリア
British Leprosy Relief Association
LEPRA
イギリス
Comite International de l’Ordre de Malte
CIOMAL
スイス
Damien Foundation India Trust
DFIT
ベルギー
Deutsche Lepra-und Tuberkulose Hilfe
DAHW
ドイツ
Fondation Luxembourgeoise Raoul Follereau
FL
ルクセンブルク
Fondation Raoul Follereau
FRF
フランス
Fontilles Lucha contra la Lepra
SF
スペイン
Netherlands Leprosy Relief Associations
NLR
オランダ
Secours aux Lepraux-Leprosy Relief
SLC
カナダ
The Leprosy Mission India Trust
TLM
イギリス
IDEA
I D E A ( I n t e r n a t i o n a l A s s o c i a t i o n f o r I n t e g r a t i o n , D i g n i t y a n d E c o n o m i c A d v a n c e m e n t ) は 、 ハ ン セ ン 病 回 復 者 の 団 体 で あ る 。 会 長 は D r . P . K . G o p a l 。 積 極 的 に 国 際 的 活 動 を 行 っ て い る 。
笹 川 記 念 保 健 協 力 財 団 は 、 日 本 財 団 ︵ 財 団 法 人 日 本 船 舶 振 興 会 ︶ の 一 つ で ハ ン セ ン 病 制 圧 事 業 の み な ら ず エ イ ズ 対 策 な ど の 活 動 を 行 っ て い る 団 体 で あ る 。 笹 川 良 一 の 三 男 で あ る 笹 川 陽 平 が W H O ハ ン セ ン 病 制 圧 特 別 大 使 を 務 め 、 ハ ン セ ン 病 の 制 圧 、 ハ ン セ ン 病 患 者 の 人 権 問 題 に 取 組 ん で い る 。 2 0 0 6 年 に は イ ン ド の ハ ン セ ン 病 回 復 者 と そ の 家 族 が 自 立 し て 暮 ら す た め の 支 援 を 行 う ﹁ サ サ カ ワ ・ イ ン ド ・ ハ ン セ ン 病 財 団 ﹂ を 設 立 す る な ど 積 極 的 な 活 動 を 行 っ て い る 。 こ の 団 体 は 、 笹 川 良 一 ︵ 1 8 9 9 年 - 1 9 9 5 年 ︶ を 会 長 と し て 1 9 7 4 年 に 創 設 さ れ た 。 笹 川 良 一 は 日 本 財 団 創 設 時 よ り 国 内 外 の ハ ン セ ン 病 問 題 に 関 心 が あ り 積 極 的 に 活 動 を 行 っ て い た 。
国際ハンセン病学会
国 際 ハ ン セ ン 病 学 会 ︵ 英 : I n t e r n a t i o n a l L e p r o s y A s s o c i a t i o n ︶ は ハ ン セ ン 病 対 策 に 関 す る 情 報 の 発 信 、 ハ ン セ ン 病 対 策 キ ャ ン ペ ー ン に 対 す る 支 援 、 ハ ン セ ン 病 に 関 わ る 他 団 体 と の 連 携 を 目 的 と し た 学 会 で あ る 。 1 8 9 7 年 に 国 際 ら い 会 議 が ベ ル リ ン で 開 催 さ れ 、 こ れ が 後 に 第 1 回 国 際 ハ ン セ ン 病 学 会 と な っ た 。 当 時 は 根 本 的 な 治 療 法 が 確 立 さ れ て い な い た め 、 隔 離 以 外 に 対 策 の な い 疾 患 で あ る と 結 論 づ け て い る 。 日 本 か ら は 土 肥 慶 三 ︵ 皮 膚 科 医 ︶ と 北 里 柴 三 郎 ︵ 細 菌 学 ︶ が 出 席 し た 。 化 学 療 法 の 進 歩 に 伴 っ て 、 次 々 と 重 要 な 決 定 が こ の 学 会 を 通 じ て 出 さ れ た 。 約 5 年 お き に 学 会 が 開 か れ が 、 1 9 8 2 年 イ ン ド 開 催 時 は 世 界 ハ ン セ ン 病 デ ィ で 行 わ れ た の で 前 回 か ら 5 年 後 で は な い 。 I n t e r n a t i o n a l J o u r n a l o f L e p r o s y ( Q u a t e r l y ) と い う 学 会 誌 の 発 行 も 行 っ て い た 。
日本ハンセン病学会
日本ハンセン病学会(英 : Japanese Leprosy Association )は、ハンセン病に関する研究、会員相互の知識の交換を図る目的で設立された日本医学会分科会の一つである。1927年に「日本癩(らい)学会」として設立された。その後、「日本らい学会」を経て、「日本ハンセン病学会」の名称になった。日本ハンセン病学会は、ハンセン病医学の発展、すなわち病因の解明、診断、治療に貢献するのみならず、ハンセン病医療を向上させ、その成果を臨床や社会へ反映させ、さらに患者の福祉の向上や人権を尊重した医療の確立に向け活動を行っている。年1回の総会を行うとともに、日本ハンセン病学会雑誌を年3回発行。雑誌はインターネットで公開されている。
国 立 ハ ン セ ン 病 資 料 館
国 立 ハ ン セ ン 病 資 料 館 は 、 東 京 都 東 村 山 市 に あ る ハ ン セ ン 病 に 関 連 す る 資 料 を 扱 う 資 料 館 ・ 博 物 館 で あ る 。 元 々 は 高 松 宮 記 念 ハ ン セ ン 病 資 料 館 と し て 、 藤 楓 協 会 創 立 40 周 年 記 念 事 業 で 作 ら れ た [ 注 釈 2 9 ] 。 ハ ン セ ン 病 療 養 所 、 入 所 者 の 実 情 を よ く 示 し 、 ら い 予 防 法 廃 止 へ の 原 動 力 と な っ た 。 資 料 館 に 関 す る 資 料 と し て ﹁ 高 松 宮 記 念 ハ ン セ ン 病 資 料 館 10 周 年 記 念 誌 ﹂ ︵ 2 0 0 4 年 ︶ が あ る 。 2 0 0 7 年 4 月 に リ ニ ュ ー ア ル し 、 国 立 ハ ン セ ン 病 資 料 館 と し て 開 館 し 、 現 在 に 至 る 。
国 立 感 染 症 研 究 所 ハ ン セ ン 病 研 究 セ ン タ ー
国 立 感 染 症 研 究 所 ハ ン セ ン 病 研 究 セ ン タ ー は 、 東 京 都 東 村 山 市 に あ る ハ ン セ ン 病 の 予 防 お よ び 治 療 に 関 す る 調 査 研 究 を 行 う 機 関 で あ る 。 2 0 1 1 年 現 在 、 感 染 制 御 部 が あ る 。 当 初 は ら い 予 防 法 の 結 果 、 国 立 ら い 研 究 所 と し て 発 足 し た ︵ 1 9 5 5 年 7 月 1 日 ︶ 。 熊 本 分 室 も あ っ た が 1 9 5 7 年 8 月 1 日 廃 止 さ れ た 。 1 9 9 7 年 1 月 1 日 に 国 立 衛 生 予 防 研 究 所 の 一 部 と な り 、 4 月 1 日 よ り 国 立 感 染 症 研 究 所 ハ ン セ ン 病 研 究 セ ン タ ー と な る 。 多 く の 基 礎 研 究 が 行 わ れ 優 れ た 結 果 を 出 し た 。 安 部 正 英 は 、 非 常 に 敏 感 な F T A - A B S を 開 発 し 、 ら い 菌 の 感 染 に つ い て 、 多 く の 知 見 を も た ら し た 。 ハ ン セ ン 病 医 学 夏 季 大 学 ︵ 旧 称 ら い 夏 季 大 学 ︶ を 毎 年 一 週 間 主 宰 し 関 心 の あ る 人 々 へ 教 育 し 、 ま た 外 国 の 研 究 者 へ の 指 導 な ど に 貢 献 し た [ 9 6 ] 。
大 阪 皮 膚 病 研 究 会
1 9 2 9 年 7 月 4 日 、 大 阪 の 匿 名 の 篤 志 家 よ り 、 元 大 阪 医 科 大 学 教 授 櫻 根 孝 之 進 に 3 万 円 、 次 い で 10 万 円 の 寄 付 が あ り 、 同 教 授 ら が 創 立 し た 研 究 会 で あ る 。 ﹁ 皮 膚 病 ﹂ と あ る が 、 ハ ン セ ン 病 専 門 の 研 究 会 で あ る 。 1 9 3 0 年 4 月 に 専 門 誌 ﹁ レ プ ラ ﹂ を 創 刊 、 1 9 3 1 年 に 研 究 所 を 建 設 し こ こ で は 、 高 坂 健 二 、 森 竜 男 、 伊 藤 利 根 太 郎 な ど が 活 躍 し 、 リ フ ァ ン ピ シ ン 投 与 に よ り 感 染 源 に な ら な い こ と を 発 見 す る な ど の 業 績 を 上 げ た 。 1 9 3 2 年 に 施 設 は 大 阪 帝 国 大 学 に 寄 付 さ れ 、 1 9 3 4 年 に 財 団 法 人 化 し た 。
1 9 5 3 年 に 櫻 根 賞 ︵ 後 の 日 本 ハ ン セ ン 病 学 会 賞 ︶ を 発 足 さ せ る な ど 活 動 を 続 け た が 、 使 命 を 終 え た と し て 2 0 0 3 年 に 解 散 し た 。
草 津 町 立 温 泉 図 書 館
草 津 町 立 温 泉 図 書 館 は 、 群 馬 県 吾 妻 郡 草 津 町 に あ る 公 立 図 書 館 で あ る 。 町 内 に 国 立 療 養 所 栗 生 楽 泉 園 が あ る こ と か ら 、 ハ ン セ ン 病 療 養 所 に 関 す る 資 料 ︵ 栗 生 楽 泉 園 に 関 す る 資 料 や 入 所 者 の 出 版 物 な ど [ 9 7 ] ︶ の 収 集 を 行 っ て い る [ 9 8 ] 。 2 0 1 5 年 ︵ 平 成 27 年 ︶ 時 点 で 5 0 0 冊 ほ ど 所 蔵 し て お り 、 日 本 の 図 書 館 の 中 で は 最 大 級 の 蔵 書 数 で あ る [ 9 9 ] 。
1 9 4 4 年 に ア メ リ カ の ニ ュ ー ヨ ー ク に 設 立 さ れ た ハ ン セ ン 病 制 圧 の た め の 非 営 利 組 織 ﹁ ダ ミ ア ン ・ ダ ッ ト ン 協 会 ﹂ ︵ D a m i e n - D u t t o n S o c i e t y F o r L e p r o s y A i d ︶ は 1 9 5 3 年 に ダ ミ ア ン ・ ダ ッ ト ン 賞 ︵ e n : D a m i e n - D u t t o n A w a r d ︶ を 創 設 し た 。 賞 名 の 由 来 は ダ ミ ア ン 神 父 と 神 父 に 仕 え た ジ ョ ゼ フ ・ ダ ッ ト ン で あ る 。 毎 年 ハ ン セ ン 病 治 療 に 業 績 を 上 げ た 個 人 、 団 体 に 賞 を 授 与 す る 。
初 代 の 受 賞 者 は 米 国 ル イ ジ ア ナ 州 カ ー ビ ル の 国 立 ハ ン セ ン 病 療 養 所 で 権 利 擁 護 運 動 を 続 け た 患 者 の ス タ ン レ ー ・ ス タ イ ン で あ っ た 。 こ れ ま で の 受 賞 者 の 中 に は ﹁ 世 界 ハ ン セ ン 病 デ ィ ﹂ を 提 唱 し た ジ ョ ン ・ F ・ ケ ネ デ ィ 元 米 国 大 統 領 、 障 害 を 持 つ 世 界 中 の 貧 し い ハ ン セ ン 病 患 者 や 貧 し い 人 々 の た め に 活 動 し た マ ザ ー ・ テ レ サ ら が い る 。 日 本 人 ま た は 日 本 の 団 体 の 受 賞 歴 は 、 1 9 6 1 年 に 光 田 健 輔 、 1 9 7 6 年 に 義 江 義 雄 、 2 0 0 2 年 に 湯 浅 洋 、 2 0 0 8 年 に 日 本 財 団 ︵ 笹 川 陽 平 会 長 ︶ と 笹 川 記 念 保 健 協 力 財 団 ︵ 日 野 原 重 明 会 長 ︶ が あ る 。
一 方 、 ハ ン セ ン 病 研 究 や ハ ン セ ン 病 問 題 に 対 し て 大 き な 役 割 を 果 た し た フ ァ ジ ェ ッ ト 、 リ ド リ ー 、 ジ ョ ッ プ リ ン グ 、 全 療 協 な ど は 受 賞 し て い な い 。 こ の 点 か ら 、 や や 恣 意 的 な 部 分 が 多 い と い う 批 判 が あ る 。
Raoul Follereau
世 界 ハ ン セ ン 病 デ ー
フ ラ ン ス の 社 会 運 動 家 で あ る ラ ウ ル ・ フ ォ レ ロ ー ( R a o u l F o l l e r e a u が 、 E p i p h a n y ︵ 公 現 祭 ― キ リ ス ト 生 誕 の 際 に 東 方 の 3 博 士 が B e t h l e h e m を 訪 れ た の を 記 念 す る 1 月 6 日 の 祭 日 ︶ ロ ー マ 字 を 入 れ る ︶ が 提 唱 し た 、 毎 年 1 月 最 終 日 曜 日 の ﹁ 世 界 ハ ン セ ン 病 の 日 ﹂ に は 、 世 界 各 地 で こ の 日 を 記 念 し た ハ ン セ ン 病 の 活 動 が 行 わ れ て い る 。 こ の 日 を 選 定 し た 理 由 は 、 E p i p h a n y か ら 3 回 目 の 日 曜 日 に は 、 ミ サ で 主 が ら い 患 者 を 癒 し た 、 と い う 聖 書 が 読 ま れ る 日 で あ る 。
最 初 の 世 界 ハ ン セ ン 病 デ ー は 、 1 9 5 4 年 1 月 31 日 で 、 36 万 の カ ト リ ッ ク 神 父 と 数 百 万 の 信 者 が 参 加 し た [ 1 0 0 ] 。
ハ ン セ ン 病 を 正 し く 理 解 す る 週 間 ︵ 日 本 ︶
﹁ ハ ン セ ン 病 を 正 し く 理 解 す る 週 間 ﹂ は 、 救 ら い 事 業 に 尽 く し た 貞 明 皇 后 の 誕 生 日 で あ る 6 月 25 日 を 含 む 1 週 間 に 設 定 さ れ て い る 。 ハ ン セ ン 病 患 者 あ る い は 回 復 者 に 対 し て 、 差 別 や 偏 見 の な い 社 会 を 推 進 す る 目 的 で あ る 。
元 々 は 1 9 3 1 年 ︵ 昭 和 6 年 ︶ に ﹁ 癩 予 防 デ ィ ﹂ と 呼 ば れ 、 ハ ン セ ン 病 患 者 の 救 済 を 名 目 に 、 無 癩 県 運 動 と 強 制 隔 離 政 策 を 奨 め る 、 日 本 国 政 府 の キ ャ ン ペ ー ン で あ っ た 。 1 9 5 1 年 ︵ 昭 和 26 年 ︶ に 貞 明 皇 后 が 崩 御 し た の に 伴 い ﹁ 救 ら い の 日 ﹂ に 、 1 9 6 3 年 ︵ 昭 和 38 年 ︶ に ﹁ ら い を 正 し く 理 解 す る 週 間 ﹂ に 、 1 9 6 4 年 ︵ 昭 和 39 年 ︶ に ﹁ ハ ン セ ン 病 を 正 し く 理 解 す る 週 間 ﹂ に 改 称 し た 。
乳幼児期に感染し、約30年の潜伏期間を経て発症したと見られる雌のチンパンジーの病例が報告されている。このチンパンジーは獅子様顔貌を呈しハンセン病と診断され多剤療法で完治した[101] 。
● ハ ル ト マ ン ・ フ ォ ン ・ ア ウ エ ﹁ 哀 れ な ハ イ ン リ ヒ ﹂ ︵ 1 1 9 0 年 ご ろ ︶ - 癩 病 ︵ ハ ン セ ン 病 ︶ に 冒 さ れ た 騎 士 が 、 彼 を 慕 っ て 命 を 奉 げ よ う と 決 意 し た 敬 虔 な 少 女 の お か げ で 、 奇 跡 的 に 治 癒 す る 物 語 詩 。
● グ ザ ヴ ィ エ ・ ド ・ メ ー ス ト ル ﹁ ア オ ス タ 市 の 癩 病 者 ﹂ ︵ 1 8 1 1 年 ︶ - ア ル プ ス の 麓 、 ア オ ス タ の 古 城 に 隔 離 さ れ て 暮 ら す 癩 病 ︵ ハ ン セ ン 病 ︶ 患 者 と 、 遠 征 中 に 偶 然 ア オ ス タ を 訪 れ た 軍 人 と の 対 話 。 作 者 自 身 の 体 験 が 元 に な っ て い る と 思 わ れ る 。
● 仮 名 垣 魯 文 ﹁ 高 橋 阿 伝 夜 叉 譚 ﹂ ︵ 1 8 7 9 年 ︶ 、 邦 枝 完 二 ﹁ お 伝 地 獄 ﹂ ︵ 1 9 3 4 年 ︶ な ど - 明 治 の 毒 婦 と 呼 ば れ た ﹁ 高 橋 お 伝 ﹂ を 題 材 と し た 作 品 。 お 伝 の 夫 ・ 浪 之 助 は ハ ン セ ン 病 を 患 っ て い る 。
● ル ー ・ ウ ォ ー レ ス ﹁ ベ ン ・ ハ ー ﹂ ︵ 1 8 8 0 年 ︶ - 主 人 公 ベ ン ・ ハ ー の 母 親 と 妹 は ハ ン セ ン 病 と 思 わ れ る 病 気 で ﹁ 死 の 谷 ﹂ に 隔 離 さ れ た 。
● 生 田 葵 山 ﹁ 団 扇 太 鼓 ﹂ ︵ 1 8 9 9 年 ︶ - 主 人 公 の 宗 太 郎 は 、 血 統 に よ っ て 癩 病 ︵ ハ ン セ ン 病 ︶ に 罹 っ た と さ れ 、 家 族 も ろ と も 差 別 を 受 け 、 故 郷 を 離 れ て 巡 礼 者 と な る [ 1 0 2 ] 。
● 北 条 民 雄 ﹁ い の ち の 初 夜 ﹂ ︵ 1 9 3 6 年 ︶ - 自 身 が ハ ン セ ン 病 に 罹 患 し 収 容 さ れ る ま で の 様 子 を 描 い て い る 。 当 時 は 不 治 の 病 で あ っ た 。 絶 望 し て 自 殺 未 遂 し 、 ﹁ 新 し い 人 間 ﹂ の 誕 生 を 渇 望 す る と こ ろ は 感 動 的 で さ え あ る 。
● 谷 崎 潤 一 郎 ﹁ 飈 風 ﹂ ︵ 1 9 1 0 年 ︶ - 主 人 公 の 画 家 ・ 直 彦 は 、 吉 原 の 芸 者 に 入 れ あ げ る あ ま り 衰 弱 し て し ま い 、 禁 欲 の た め 東 北 へ 旅 に 出 る 。 汽 車 の 車 中 で 癩 病 ︵ ハ ン セ ン 病 ︶ の 兄 妹 を 見 つ け 、 直 彦 は 親 身 に な っ て 世 話 す る が 、 そ れ は ﹁ 娘 の 器 量 の 人 並 み 勝 れ て 美 し い 事 も 、 水 々 し い 肉 附 き も 、 癩 病 と 云 う 越 ゆ べ か ら ざ る 垣 根 の あ る 爲 に 、 安 心 し て 近 寄 る こ と が 出 来 る よ う に 思 わ れ た ﹂ か ら で あ っ た 。
● 松 本 清 張 ﹁ 砂 の 器 ﹂ ︵ 1 9 6 1 年 ︶ - 和 賀 英 良 は 、 ハ ン セ ン 病 の 父 を 持 っ た 過 去 を 必 死 に 隠 し な が ら 音 楽 界 の 成 功 を 目 指 し て い た 。 隔 離 政 策 に よ る 患 者 迫 害 が 激 し か っ た と い わ れ る 昭 和 10 年 代 を 作 品 の 設 定 時 期 と し て い る [ 1 0 3 ] 。
● J ・ G ・ バ ラ ー ド ﹁ 結 晶 世 界 ﹂ ︵ 1 9 6 6 年 ︶ - SF 小 説 。 ア フ リ カ の ハ ン セ ン 病 病 院 の 副 院 長 が 主 人 公 と な っ て い る 。
● 遠 藤 周 作 ﹁ わ た し が ・ 棄 て た ・ 女 ﹂ ︵ 1 9 6 3 年 ︶ - ハ ン セ ン 病 を 一 部 テ ー マ に 盛 り 込 み 、 井 深 八 重 を モ デ ル に し て い る 。
● 鮎 川 哲 也 ﹁ 偽 り の 墳 墓 ﹂ ︵ 1 9 6 2 年 ︶ - 長 編 推 理 小 説 。 作 品 の 主 題 で は な い が 、 事 件 の 捜 査 過 程 で 上 述 の 明 石 海 人 の 句 集 が 登 場 す る 。 ま た 探 偵 役 の 刑 事 が 国 立 療 養 所 を 訪 れ 、 職 員 か ら ハ ン セ ン 病 治 療 の 進 歩 と 根 強 い 誤 解 に つ い て 語 ら れ る 。
● 神 谷 美 恵 子 ﹁ 生 き が い に つ い て ﹂ ︵ 1 9 6 6 年 ︶ - 生 き が い を 奪 わ れ 、 暗 闇 に 陥 っ た 人 が い か に し て 生 き が い を 見 い だ し て い く か 、 が テ ー マ 。 著 者 の 神 谷 美 恵 子 は ハ ン セ ン 病 関 係 に 奉 仕 し た い と 願 っ た 人 で あ り 、 療 養 所 長 島 愛 生 園 が 契 機 と な っ た 。
● 三 島 由 紀 夫 ﹁ 癩 王 の テ ラ ス ﹂ ︵ 1 9 6 9 年 ︶ - 壮 大 な バ イ ヨ ン 寺 院 を 建 立 し た ジ ャ ヤ ー ヴ ァ ル マ ン 7 世 を 描 い た 戯 曲 。
● 松 下 竜 一 ﹁ 檜 の 山 の う た び と ﹂ ︵ 1 9 7 4 年 ︶ - 熊 本 の 菊 地 恵 桐 園 で 生 涯 を 終 え た ハ ン セ ン 病 の ア ラ ラ ギ 歌 人 ・ 伊 藤 保 を 描 い た ノ ン フ ィ ク シ ョ ン 小 説 。
● ジ ョ ン ・ ア ッ プ ダ イ ク ﹁ あ る 癩 病 者 の 日 記 よ り ﹂ ︵ 1 9 7 6 年 ︶ - ﹁ ザ ・ ニ ュ ー ヨ ー カ ー ﹂ 誌 に 掲 載 さ れ た 短 編 小 説 。 ア ッ プ ダ イ ク は 生 ま れ つ き 乾 癬 に 悩 ま さ れ て お り 、 皮 膚 の 病 に よ る 劣 等 感 を 創 作 活 動 に 転 化 す る と い う 自 身 の 経 験 を 、 ハ ン セ ン 病 の 陶 芸 家 を 主 人 公 に し て 描 い て い る 。
● ス テ フ ァ ン ・ ド ナ ル ド ソ ン ﹁ 信 ぜ ざ る 者 コ ブ ナ ン ト ﹂ ︵ 1 9 7 7 年 ︶ - ハ ン セ ン 病 の 主 人 公 に よ る 異 世 界 フ ァ ン タ ジ ー 。
● 玉 木 愛 子 ﹁ こ の 命 あ る 限 り ﹂ ︵ 1 9 5 5 年 ︶ - 自 身 が ハ ン セ ン 病 に 罹 患 し た 俳 人 に よ る 自 伝 。
● 栗 本 薫 ﹁ グ イ ン ・ サ ー ガ ﹂ 第 1 巻 ﹁ 豹 頭 の 仮 面 ﹂ ︵ 1 9 7 9 年 ︶ - 作 中 に ﹁ 癩 病 ﹂ に 冒 さ れ た 伯 爵 が 登 場 す る が 、 そ の 描 写 が 本 来 の ﹁ 癩 病 ︵ ハ ン セ ン 病 ︶ ﹂ の も の と は 著 し く 異 な り 、 差 別 を 助 長 し か ね な い と し て 、 全 国 ハ ン セ ン 病 患 者 協 議 会 か ら 作 者 と 出 版 社 に 抗 議 が あ り 、 の ち に 改 訂 さ れ た 。 ﹁ 豹 頭 の 仮 面 ﹂ 改 訂 版 発 行 の 経 緯 を 参 照 の こ と 。
● 島 比 呂 志 ﹁ 奇 妙 な 国 ﹂ ︵ 1 9 8 0 年 ︶ - 療 養 所 を 小 さ な 国 と み な し 、 そ の 国 の 奇 妙 な 様 態 を 風 刺 し て い る 。
● 浅 田 次 郎 ﹁ 蒼 穹 の 昴 ﹂ ︵ 1 9 9 6 年 ︶ - 登 場 人 物 の 一 人 の 宦 官 が 、 ハ ン セ ン 病 に 罹 り 王 宮 を 追 わ れ る と い う 経 緯 を も つ 。
● ド リ ア ン 助 川 ﹁ あ ん ﹂ ︵ 2 0 1 3 年 ︶ - 主 人 公 の 千 太 郎 が 店 長 を し て い る ど ら 焼 き 屋 に 、 50 年 間 あ ん を 作 り 続 け て い た と い う 老 婆 の 徳 江 が 訪 ね て く る 。 千 太 郎 は 徳 江 を 雇 う が 、 か つ て 徳 江 が ハ ン セ ン 病 の 療 養 所 に い た と い う 噂 が 広 ま り 、 客 足 が 途 絶 え 、 徳 江 は 店 を 辞 め る 。 2 0 1 5 年 に 河 瀨 直 美 監 督 ・ 樹 木 希 林 主 演 で 映 画 化 。
● ハ ン セ ン 病 文 学 全 集 - 皓 星 社 よ り 2 0 0 2 年 か ら 刊 行 さ れ て い る 、 ハ ン セ ン 病 患 者 ら に よ る 文 芸 作 品 集 。
(一) ^ 癩 が 常 用 漢 字 に 含 ま れ な い た め 、 平 仮 名 で 書 か れ る こ と が 多 い 。
(二) ^ ヒ ポ ク ラ テ ス 集 成 に 関 し て は 、 ヒ ポ ク ラ テ ス の 真 筆 で は な い 偽 作 が 大 半 を 占 め る が 、 い ま こ こ で は そ の 真 贋 を 区 別 し な い 。
(三) ^ 推 古 天 皇 20 年 ︵ 6 1 2 年 ︶ の 条 。
(四) ^ 8 3 3 年 ︵ 天 長 10 年 ︶ に 清 原 夏 野 ら 12 人 に よ っ て 編 ま れ た 。
(五) ^ 大 宝 律 令 の ﹁ 悪 疾 ﹂ を ﹁ 白 癩 ﹂ と 解 釈 。
(六) ^ 漢 字 で は ﹁ 例 布 羅 ﹂ 。
(七) ^ 紀 元 前 3 世 紀 の 前 漢 時 代 の 中 国 最 古 の 医 学 書 ﹃ 黄 帝 内 経 ﹄ に 記 載 が あ る 古 い 言 葉 で あ る 。
(八) ^ HE 染 色 だ け で な く 菌 の 検 出 の た め 抗 酸 菌 染 色 を 行 う 必 要 が あ る 。 染 色 性 が 良 い た め F i t e 染 色 が 推 奨 さ れ て い る 。 特 殊 染 色 と し て 神 経 を 観 察 す る た め S 1 0 0 染 色 を 追 加 す る こ と も あ る 。
(九) ^ 組 織 生 検 の 一 部 を 凍 結 な い し 7 0 % エ タ ノ ー ル 保 存 し て お け ば 、 検 査 が 可 能 で あ る 。
(十) ^ 実 際 に は 、 フ ェ ル ナ ン デ ス ︵ F e r n a n d e z ︶ 反 応 と 光 田 反 応 が あ る 。 フ ェ ル ナ ン デ ス 反 応 は 、 皮 内 に 注 射 後 48 時 間 後 の 発 赤 を み る 早 期 反 応 で 、 光 田 反 応 は 注 射 後 2 - 3 週 間 後 の 硬 結 を み る 晩 期 反 応 で あ る 。 光 田 反 応 の 名 前 は 、 光 田 健 輔 の 研 究 ︵ 1 9 1 9 ︶ か ら 発 展 し て 作 ら れ た 検 査 に 由 来 す る 。
(11) ^ S L P B は 皮 疹 が 1 個 だ け で 菌 陰 性 で あ る 。 1 9 9 7 年 に W H O が 設 置 。
(12) ^ 頭 痛 の 場 合 は 頭 部 で あ る 。 そ の 他 の 場 所 に 行 わ れ る こ と も 多 か っ た 。
(13) ^ ら い 菌 発 見 以 後 も ﹁ 遺 伝 病 ﹂ と い う 誤 解 が か な り 後 ま で 残 っ て い た の が 分 か る 例 で 、 横 溝 正 史 の 短 編 小 説 ﹃ 赤 屋 敷 の 記 録 ﹄ ︵ 大 正 15 年 発 表 、 物 語 の 舞 台 も 大 正 時 代 。 ︶ は ﹁ レ プ ラ は 遺 伝 病 ﹂ と い う 前 提 で 物 語 が 進 む [ 5 6 ] 。
(14) ^ マ レ ー シ ア 、 ス ン ゲ イ ブ ロ ー 療 養 所 長 で あ る 。 対 日 戦 争 時 に は 、 患 者 を 守 る た め に 療 養 所 に 残 っ た 。 1 9 4 8 年 12 月 に 愛 国 ゲ リ ラ を 治 療 し た こ と が 発 覚 、 チ ャ ン ギ ︵ シ ン ガ ポ ー ル ︶ に 連 行 さ れ 抑 留 さ れ た 。 そ の 後 マ ラ リ ア 、 赤 痢 で 健 康 を 害 し 、 1 9 5 0 年 ス コ ッ ト ラ ン ド に 帰 国 。 1 9 5 3 年 に 亡 く な っ た 。
(15) ^ 感 染 を 防 ぐ た め 療 養 所 だ け の 紙 幣 を 発 行 し た が 、 1 9 3 8 年 に 伝 染 性 の 有 無 を 調 べ る た め に 汚 れ た 紙 幣 を 検 査 し た と こ ろ 、 菌 の 汚 染 は な く 伝 染 は な い と い う 結 論 に 至 っ た た め 特 殊 紙 幣 を 燃 や し て し ま っ た と い う エ ピ ソ ー ド が あ る 。 そ の 後 、 特 殊 貨 幣 は 廃 止 さ れ た 。
(16) ^ 1 9 5 5 年 頃 に は 場 所 的 に は 不 祥 事 が き っ か け で 廃 止 と な っ て い る 。
(17) ^ 社 会 復 帰 し た 人 は 免 許 証 の 名 前 や 病 院 で の 呼 び 出 し が 実 名 と な る た め 、 違 和 感 を 覚 え る 人 も 多 い と い う 。
(18) ^ ﹁ 鼻 の 横 と 右 頬 に 松 毬 状 の 硬 そ う な 皮 膚 が あ る ﹂ と い う 症 例 [ 7 0 ] 。
(19) ^ 右 手 に ご つ ご つ し た こ ぶ の よ う な も の が 多 数 あ る ﹂ と い う 症 例 [ 7 1 ] 。
(20) ^ 論 語 の ︵ 雍 也 第 六 ︶ で 冉 伯 牛 の 罹 患 し た 病 と 伝 わ る 。
(21) ^ ﹁ ラ ザ レ ッ ト ﹂ は 全 身 に 腫 れ も の を 持 つ 乞 食 を 意 味 す る ﹁ ラ ザ ロ ﹂ に 由 来 す る [ 6 9 ] 。
(22) ^ イ ギ リ ス で は 1 3 4 7 年 に エ ド ワ ー ド 3 世 に よ っ て ﹁ 患 者 隔 離 法 ﹂ が 定 め ら れ た 。 ス ペ イ ン で は 1 2 8 4 年 に ﹁ 患 者 隔 離 法 ﹂ 、 1 4 7 7 年 に 患 者 を 取 り 締 ま る た め の ﹁ ら い 管 理 制 度 ﹂ が 設 け ら れ た 。 ス コ ッ ト ラ ン ド で は 12 世 紀 に ﹁ バ ロ ー 法 ﹂ が 制 定 さ れ ら い 院 へ の 強 制 収 容 が 始 ま っ た 。 フ ラ ン ス で は シ ャ ル ル 5 世 が 1 3 7 1 年 に ﹁ 患 者 取 締 令 ﹂ を 公 布 し た 。 ノ ル ウ ェ ー で は 1 4 8 7 年 に ハ ン ス 王 が ﹁ 患 者 隔 離 令 ﹂ を 公 布 。 デ ン マ ー ク で も 1 4 4 3 年 、 1 4 7 8 年 に ﹁ 患 者 隔 離 令 ﹂ が 公 布 さ れ た 。 イ タ リ ア で は 都 市 ご と に ﹁ 患 者 取 締 令 ﹂ が あ っ た 。
(23) ^ こ の エ リ ー ザ ベ ト の 活 動 は 度 々 、 宗 教 画 の 題 材 と し て 取 り 上 げ ら れ た 。
(24) ^ ハ ン セ ン 病 に 罹 患 し た 兵 士 を 看 護 す る た め に 教 皇 ダ マ シ ウ ス 2 世 時 代 に パ レ ス チ ナ で 組 織 さ れ た 。 そ の 後 、 エ ル サ レ ム が イ ス ラ ム 軍 に 占 拠 さ れ る と 多 く の 騎 士 団 員 は 殺 害 さ れ た 。 一 部 の 団 員 は 逃 れ ヨ ー ロ ッ パ で 、 イ エ ス ・ キ リ ス ト の ﹁ 労 わ り ﹂ に 基 づ い た ハ ン セ ン 病 患 者 の 看 護 に あ た っ た [ 要 出 典 ] 。
(25) ^ 1 9 4 6 年 に リ オ デ ジ ャ ネ イ ロ で 開 か れ た ﹁ 汎 ア メ リ カ ら い 会 議 ﹂ で 、 新 薬 プ ロ ミ ン の 有 効 性 が 発 表 さ れ た 。
(26) ^ 1 9 4 2 年 に s u l f a n i l a m i d e の 治 験 論 文 で 20 名 中 、 有 効 6 で あ っ た が 、 翌 年 の 1 9 4 3 年 の プ ロ ミ ン の 成 績 は 22 例 中 15 例 有 効 で あ っ た 。 治 療 研 究 中 、 患 者 に 対 し て 説 得 す る こ と に 苦 労 し て 、 こ の 研 究 の 重 要 性 の エ ッ セ イ を T h e S t a r に 書 い た 。
(27) ^ 業 病 と は 前 世 の 罪 の 報 い と し て 発 す る 病 気 と い う 意 味 で 、 当 時 は そ の よ う な 認 識 が さ れ て い た 。
(28) ^ 巻 頭 に ﹁ 深 海 に 生 き る 魚 族 の よ う に 、 自 ら 燃 え な け れ ば 何 処 に も 光 は な い ﹂ と い う 有 名 な 言 葉 を 残 し た 。
(29) ^ 募 金 の 目 標 を 8 億 円 と し て 1 9 9 3 年 6 月 25 日 に 開 館 式 を 行 っ た 。
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ご存知の方は加筆 をお願いします。(2022年2月 )
(一) ^ “ D e f i n i t i o n o f l e p r o s y ” . T h e F r e e D i c t i o n a r y . 2 0 1 5 年 1 月 25 日 閲 覧 。
(二) ^ “ ハ ン セ ン 病 医 療 関 係 者 向 け ” . 国 立 感 染 症 研 究 所 . 2 0 1 9 年 6 月 4 日 閲 覧 。
(三) ^ “ N e g l e c t e d t r o p i c a l d i s e a s e s - W o r l d H e a l t h O r g a n i z a t i o n ( W H O ) ” . 世 界 保 健 機 関 ( W H O ) . 2 0 2 2 年 11 月 22 日 閲 覧 。
(四) ^ T e g o p o u l o s - F y t r a k i s , G r e e k D i c t i o n a r y . T e g o p o u l o s - F y t r a k i s , 1 9 9 9
(五) ^ ル ク レ テ ィ ウ ス ﹃ 事 物 の 本 性 に つ い て ﹄ ︿ 1 1 1 4 行 ﹀ な ど 。
(六) ^ ケ ル ス ス ﹃ 医 学 論 ﹄ ︿ 3 巻 25 章 ﹀ 、 大 プ リ ニ ウ ス ﹃ 博 物 誌 ﹄ ︿ 26 巻 5 章 ﹀ な ど 。
(七) ^ 石 渡 隆 司 ﹁ ケ ル ス ス ﹃ 医 学 論 ﹄ ( 6 ) ( 古 典 医 学 書 翻 訳 ) ﹂ ﹃ 医 事 学 研 究 ﹄ 第 6 巻 、 岩 手 医 科 大 学 、 1 9 9 1 年 11 月 、 1 3 5 - 1 5 1 頁 、 C R I D 1 5 7 1 6 9 8 6 0 1 7 6 9 6 0 5 3 7 6 、 I S S N 0 9 1 2 6 5 9 7 。 p . 1 4 5 よ り [ リ ン ク 切 れ ]
(八) ^ 大 嶋 得 雄 . “ お 探 し の ペ ー ジ が 見 つ か り ま せ ん で し た 。 聖 書 の ら い ” . 2 0 1 9 年 6 月 4 日 閲 覧 。 [ リ ン ク 切 れ ]
(九) ^ “ t o p 聖 書 の ら い l e p r o s y i n t h e B i b l e ” . 長 島 曙 教 会 . 2 0 1 9 年 6 月 5 日 閲 覧 。
(十) ^ ﹃ 聖 書 聖 書 協 会 共 同 訳 に つ い て ﹄ 日 本 聖 書 協 会 、 2 0 1 8 年 、 11 頁 。https://www.bible.or.jp/contents/know/pdf/si_bible.pdf 。
(11) ^ “ ら い 病 ” . も の み の 塔 オ ン ラ イ ン ・ ラ イ ブ ラ リ ー . W a t c h T o w e r B i b l e a n d T r a c t S o c i e t y o f P e n n s y l v a n i a . 2 0 1 9 年 6 月 4 日 閲 覧 。
(12) ^ 今 谷 逸 之 助 : 日 本 癩 病 史 、 1 9 3 7 - 1 9 3 9
今 谷 逸 之 助 ﹃ 日 本 癩 病 小 史 ﹄ 邑 久 光 明 園 慰 安 会 、 1 9 3 8 年 。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I271110000001346675 。 ﹁ ﹃ 楓 第 2 巻 第 7 号 - 第 3 巻 第 1 号 ﹄ 別 冊 ﹂
(13) ^ “ ハ ン セ ン 病 と は - ハ ン セ ン 病 一 般 の 方 向 け ” . 国 立 感 染 症 研 究 所 . 2 0 2 0 年 1 月 31 日 閲 覧 。
(14) ^ R o j a s - E s p i n o s a O , L ø v i k M ( 2 0 0 1 ) . “ M y c o b a c t e r i u m l e p r a e a n d M y c o b a c t e r i u m l e p r a e m u r i u m i n f e c t i o n s i n d o m e s t i c a n d w i l d a n i m a l s ” . R e v . - O f f . I n t . E p i z o o t . 20 ( 1 ) : 2 1 9 – 5 1 . P M I D 1 1 2 8 8 5 1 4 .
(15) ^ “ ハ ン セ ン 病 ︵ ら い 、 H a n s e n ’ s D i s e a s e ︶ と は ” . 国 立 療 養 所 邑 久 光 明 園 . 2 0 0 9 年 7 月 23 日 時 点 の オ リ ジ ナ ル よ り ア ー カ イ ブ 。 2 0 1 9 年 6 月 4 日 閲 覧 。
(16) ^ “ L e p r o s y ” . M e r c k M a n u a l s C o n s u m e r V e r s i o n . 2 0 1 9 年 6 月 4 日 閲 覧 。
(17) ^ T r u m a n R L e p r o s y i n w i l d a n i m a l s L e p r R e v ( 2 0 0 5 ) 7 6 , 1 9 8 - 2 0 8 .
(18) ^ M a t s u o k a , M ; I z u m i , S h i n z o ; B u d i a w a n , T e c k y ; N a k a t a , N o b o r u ; S a e k i , K e i s e k e ( 1 9 9 9 ) . “ M y c o b a c t e r i u m l e p r a e D N A i n d a i l y u s i n g w a t e r a s a p o s s i b l e s o u r c e o f l e p r o s y i n f e c t i o n . ” . I n d i a n j o u r n a l o f l e p r o s y 71 ( 1 ) : 6 1 - 6 7 . I S S N 0 2 5 4 - 9 3 9 5 . P M I D 1 0 4 3 9 3 2 6 . http://europepmc.org/abstract/MED/10439326 .
(19) ^ 石 橋 康 正 , 昆 宰 市 , 中 嶋 弘 監 修 a n d 石 井 則 久 , 尾 崎 元 昭 編 ﹁ $ $ 5 章 菌 学 お よ び 免 疫 $ $ ﹂ ﹃ ハ ン セ ン 病 の 外 来 診 療 ﹄ メ ジ カ ル セ ン ス 、 1 9 9 7 年 4 月 。 I S B N 9 7 8 4 9 4 4 1 3 0 0 4 7 。 国 立 国 会 図 書 館 書 誌 ID : 0 0 0 0 0 2 6 4 3 3 9 1 。https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784944130047 。
(20) ^ R o o k : T e x t b o o k o f D e r m a t o l o g y . 1 9 9 8
(21) ^ a b M a n g e P a u l F . ﹁ H a n s e n と ら い 菌 の 発 見 ﹂ ﹃ 日 本 ら い 学 会 雑 誌 ﹄ 第 63 巻 第 1 号 、 日 本 ハ ン セ ン 病 学 会 、 1 9 9 4 年 、 1 7 - 2 9 頁 、 C R I D 1 3 9 0 0 0 1 2 0 5 0 9 5 0 6 9 5 6 8 、 d o i : 1 0 . 5 0 2 5 / h a n s e n 1 9 7 7 . 6 3 . 1 7 、 I S S N 0 3 8 6 - 3 9 8 0 、 P M I D 7 9 2 8 7 9 9 。
(22) ^ 小 野 公 義 : ﹃ ら い 菌 の 発 見 さ れ た 年 皮 膚 科 の 臨 床 ﹄ 2 1 : 5 1 7 - 5 1 8 、 1 9 7 9 年 。
(23) ^ a b “ W e e k l y e p i d e m i o l o g i c a l r e c o r d N o s . 3 5 / 3 6 , 2 0 1 9 , 9 4 ” ( P D F ) . W H O . p . 3 9 1 ( 2 0 1 9 年 8 月 30 日 ) . 2 0 2 0 年 5 月 29 日 閲 覧 。
(24) ^ “ W e e k l y e p i d e m i o l o g i c a l r e c o r d v o l . 8 3 , 3 3 ” ( P D F ) . W H O . p . 2 9 4 ( 2 0 0 8 年 8 月 15 日 ) . 2 0 2 0 年 5 月 19 日 閲 覧 。
(25) ^ T r a u t m a n , J o h n R ( 1 9 8 4 ) . “ E p i d e m i o l o g i c a l a s p e c t s o f H a n s e n ' s d i s e a s e . ” . B u l l e t i n o f t h e N e w Y o r k A c a d e m y o f M e d i c i n e ( N e w Y o r k A c a d e m y o f M e d i c i n e ) 60 ( 7 ) : 7 2 2 . P M C 1 9 1 1 7 2 3 . P M I D 6 3 8 6 0 8 3 . https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1911723/ .
(26) ^ R a o K N , S a h a K : F u r t h e r s t u d i e s o n u n d e r n u t r i t i o n i n l e p r o m a t o u s H a n s e n ’ s d i s e a s e . T h e S t a r , 4 5 , 4 , 6 - 7 , 1 9 8 6 .
(27) ^ 国 立 感 染 症 研 究 所 ﹁ ハ ン セ ン 病 医 療 関 係 者 向 け 情 報 ﹂ ﹃ ハ ン セ ン 病 新 規 患 者 数 ﹄ よ り ︵ 2 0 0 8 年 以 降 ︶
(28) ^ 光 田 健 輔 ﹁ 南 方 に 行 く 程 ら い 症 軽 し ﹂ ﹃ レ プ ラ ﹄ 15 ︵ 3 ︶ 、 1 9 4 4 年 。
(29) ^ R i d l e y , D S ; J o p l i n g , W H ; o t h e r s ( 1 9 6 2 ) . “ A c l a s s i f i c a t i o n o f l e p r o s y f o r r e s e a r c h p u r p o s e s . ” . L e p r o s y r e v i e w 33 ( 2 ) : 1 1 9 - 2 8 . https://www.cabidigitallibrary.org/doi/full/10.5555/19622901452 . ( 要 購 読 契 約 )
(30) ^ R i d l e y D S , J o p l i n g W H . ( 1 9 6 6 J u l - S e p ) . C l a s s i f i c a t i o n o f l e p r o s y a c c o r d i n g t o i m m u n i t y . A f i v e - g r o u p s y s t e m . 34 . p p . 2 5 5 - 7 3 . P M I D 5 9 5 0 3 4 7 . https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/5950347/ .
(31) ^ H a a n p a a M e t a l : R e v i e w ; N e u r o p a t h i c p a i n i n l e p r o s y . L e p r R e v 7 5 , 7 - 1 8 , 2 0 0 4 .
(32) ^ 村 田 茂 助 ‥ ら い 性 結 節 性 紅 斑 に つ い て , 日 本 皮 膚 泌 尿 器 科 雑 誌 , 1 2 : 1 0 1 3 - 1 0 5 1 , 1 9 1 2 . ︵ ﹁ 皮 膚 科 及 泌 尿 器 科 雑 誌 第 12 巻 第 10 号 ﹂ ﹃ 日 本 皮 膚 科 学 会 雑 誌 ﹄ 第 12 巻 第 10 号 、 1 9 1 2 年 、 9 7 7 - 、 d o i : 1 0 . 1 4 9 2 4 / d e r m a t o l . 1 2 . 9 7 7 。 ( 要 購 読 契 約 ) ︶
(33) ^ a b K i k u c h i , I c h i r o ( 2 0 0 9 ) . “ M o s u k e M u r a t a , t h e d e s i g n a t o r o f e r y t h e m a n o d o s u m l e p r o s u m ” . L e p r o s y r e v i e w 80 ( 1 ) : 9 2 - 9 5 . https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/19472858/ .
(34) ^ 西 田 ら 、 L e p r R e v 2 0 0 6 ; 2 0 3 - 2 0 9 .
(35) ^ P s y c h i a t r i c a s p e c t s o f H a n s e n ’ s d i s e a s e , O l i v i e r H r . J C l i n P s y c h i a t r y 4 8 , 4 7 7 - 4 7 9 , 1 9 8 7
(36) ^ Y e a r B o o k o f D e r m a t o l o g y , 1 9 8 9 , p . 1 7 4
(37) ^ a b 松 岡 正 生 . “ 国 立 感 染 症 研 究 所 感 染 症 情 報 セ ン タ ー ” . 国 立 感 染 症 研 究 所 . 2 0 1 6 年 11 月 4 日 時 点 の オ リ ジ ナ ル よ り ア ー カ イ ブ 。 2 0 1 9 年 6 月 4 日 閲 覧 。
(38) ^ S L P B : s i n g l e - l e s i o n p a u c i b a c i l l a r y
(39) ^ N o r m a n T a y l e r 著 、 難 波 恒 雄 、 難 波 洋 子 訳 註 、 ﹃ 世 界 を 変 え た 薬 用 植 物 ﹄ 、 創 元 社 、 1 9 7 2 年
(40) ^ F a g e t , G . H . ; P o g g e , R . C . ; J o h a n s e n , F . A . ; D i n a n , J . F . ; P r e j e a n , B . M . ; E c c l e s , C . G . ( 1 9 4 3 ) . “ T h e P r o m i n T r e a t m e n t o f L e p r o s y ” . P u b l i c H e a l t h R e p o r t s 58 : 1 7 2 9 – 1 7 4 1 . http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2017027/ . R e p r i n t ( 1 9 6 6 ) I n t e r n a t i o n a l J o u r n a l o f L e p r o s y 34 ( 3 ) : 2 9 8 – 3 1 0 .
(41) ^ ら い 看 護 か ら 河 野 和 子 、 外 口 玉 子 編 日 本 看 護 協 会 出 版 会 1 9 8 0 2 0 5 頁
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(86) ^ 光 田 健 輔 ﹃ 回 春 病 室 ﹄ 朝 日 新 聞 社 、 1 9 5 0 年 。 [ 要 ペ ー ジ 番 号 ]
(87) ^ 村 田 茂 助 ﹁ 癩 性 結 節 性 紅 斑 ニ 就 イ テ ﹂ ﹃ 日 皮 泌 誌 ﹄ 第 12 巻 、 1 9 1 2 年 、 1 0 1 3 - 1 0 5 1 頁 。
(88) ^ J o p l i n g W H : R e c o l l e c t i o n s a n d R e f l e c t i o n s . T h e S t a r 5 1 , 4 , M a r c h / A p r i l , 1 9 9 2 .
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(90) ^ ト ニ ー ・ グ ー ル ド ﹃ 世 界 の ハ ン セ ン 病 現 代 史 ‥ 私 を 閉 じ 込 め な い で ﹄ 菅 田 絢 子 監 訳 、 明 石 書 店 ︿ 世 界 人 権 問 題 叢 書 ﹀ 、 2 0 0 9 年 。 I S B N 9 7 8 4 7 5 0 3 2 9 0 8 6 。 [ 要 ペ ー ジ 番 号 ]
(91) ^ 本 郷 和 人 ﹃ 戦 国 武 将 の 明 暗 ﹄ 新 潮 社 、 2 0 1 5 年 、 3 1 - 3 2 頁 。
(92) ^ 菊 池 一 郎 ‥ ナ イ セ ル 王 朝 と ア ー ニ ン グ 博 士 . 皮 膚 科 の 臨 床 , 3 7 : 1 5 4 9 - 1 5 5 0 , 1 9 9 5 .
(93) ^ 日 本 に お け る 詳 し い 文 献 ‥ ダ ミ ア ン イ エ ス ス ・ マ リ ア の 聖 心 会 ダ ミ ア ン 神 父 帰 天 百 周 年 記 念 誌 、 1 9 8 9 年 。 [ 要 文 献 特 定 詳 細 情 報 ]
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(98) ^ 中 沢 孝 之 ﹁ 図 書 館 移 転 ― 草 津 町 立 温 泉 図 書 館 に な り ま し た ! ﹂ ﹃ み ん な の 図 書 館 ﹄ 第 4 6 5 号 、 教 育 史 料 出 版 会 、 2 0 1 6 年 1 月 、 4 7 - 5 2 頁 、 N A I D 4 0 0 2 0 6 7 7 2 2 9 。
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(101) ^ 石 井 則 久 , 鵜 殿 俊 史 , 藤 澤 道 子 , 伊 谷 原 一 , 谷 川 和 也 , 宮 村 達 男 , 鈴 木 幸 一 ﹁ チ ン パ ン ジ ー と ハ ン セ ン 病 ﹂ ﹃ 日 本 ハ ン セ ン 病 学 会 雑 誌 ﹄ 第 80 巻 第 1 号 、 日 本 ハ ン セ ン 病 学 会 、 2 0 1 1 年 、 2 9 - 3 6 頁 、 C R I D 1 3 9 0 2 8 2 6 8 1 2 9 7 7 7 6 2 5 6 、 d o i : 1 0 . 5 0 2 5 / h a n s e n . 8 0 . 2 9 、 I S S N 1 3 4 2 - 3 6 8 1 。
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出典 は列挙するだけでなく、脚注 などを用いてどの記述の情報源であるかを明記 してください。記事の信頼性向上 にご協力をお願いいたします。(2024年6月 )
● 犀 川 一 夫 ﹃ ハ ン セ ン 病 政 策 の 変 遷 沖 縄 県 ハ ン セ ン 病 予 防 協 会 創 立 40 周 年 記 念 出 版 ﹄ 沖 縄 県 ハ ン セ ン 病 予 防 協 会 、 1 9 9 9 年 3 月 。
● 朝 日 新 聞 大 阪 厚 生 文 化 事 業 団 編 ﹃ 遥 け く も 遠 く ハ ン セ ン 病 療 養 所 在 園 者 の 聞 き 書 き 集 ﹄ 朝 日 新 聞 大 阪 厚 生 文 化 事 業 団 、 1 9 9 8 年 3 月 。
● 内 海 爽 ほ か 編 ﹃ エ ッ セ ン シ ャ ル 微 生 物 学 ﹄ ︵ 第 4 版 ︶ 医 歯 薬 出 版 、 1 9 9 5 年 3 月 。 I S B N 4 - 2 6 3 - 2 0 9 3 7 - 0 。
● 牧 野 正 直 ・ 長 尾 榮 冶 ・ 尾 崎 元 昭 ・ 畑 野 研 太 郎 編 ﹃ 総 説 現 代 ハ ン セ ン 病 医 学 ﹄ 大 谷 藤 郎 監 修 、 東 海 大 学 出 版 会 、 2 0 0 7 年 2 月 。 I S B N 9 7 8 - 4 - 4 8 6 - 0 1 7 4 9 - 3 。
● リ チ ャ ー ド ・ バ ー ネ ッ ト 著 、 中 里 京 子 訳 ﹃ 描 か れ た 病 疾 病 お よ び 芸 術 と し て の 医 学 挿 画 ﹄ 河 出 書 房 新 社 、 2 0 1 6 年 。 I S B N 9 7 8 - 4 - 3 0 9 - 2 5 5 6 4 - 4 。
● ハ ン セ ン 病 資 料 館 10 周 年 記 念 誌 社 会 福 祉 法 人 ふ れ あ い 福 祉 協 会 , 2 0 0 4 .
● H a n d b o o k o f L e p r o s y . F o u r t h e d i t i o n . J o p l i n g W . H . , M c D o u g a l l , A . C . H e i n e m a n n P r o f e s s i o n a l P u b l i s h i n g , 1 9 8 8 .
● l e p r o s y | s t i g m a
● ﹃ ハ ン セ ン 病 反 省 し な い 国 家 ﹄ 藤 野 豊 、 2 0 0 8 年 、 か も が わ 出 版
● ﹃ ハ ン セ ン 病 だ っ た 私 は 幸 せ ﹄ 金 城 幸 子 、 2 0 0 7 年 、 ボ ー ダ ー イ ン ク
● 谺 雄 二 ﹃ 知 ら な か っ た あ な た へ - ハ ン セ ン 病 訴 訟 ま で の 長 い 旅 ﹄ 2 0 0 1 年 、 ポ プ ラ 社
● 聖 書 ﹃ レ ビ 記 ﹄ 13 章
● 聖 書 ﹃ マ タ イ に よ る 福 音 書 ﹄ 10 章
● 聖 書 ﹃ ル カ に よ る 福 音 書 ﹄ 17 章
● ベ テ ィ ー ・ マ ー テ ィ ン ︵ B e t t y M a r t i n ︶ “ M i r a c l e a t C a r v i l l e ” 1 9 5 0 年 , T h e C o u n t r y L i f e P r e s s
● 邦 訳 ‥ ﹃ カ ー ヴ ィ ル の 奇 蹟 ﹄ 1 9 5 1 年 、 尾 高 京 子 訳 、 文 芸 春 秋 新 社
● 光 田 健 輔 ﹁ 防 癩 は 健 民 運 動 の 魁 で あ る ﹂ ﹃ 愛 生 ﹄ 13 巻 2 号 、 1 9 4 3 年 2 月
● 光 田 健 輔 ﹃ 愛 生 園 日 記 ラ イ と た た か っ た 六 十 年 の 記 録 ﹄ 1 9 5 8 年 、 毎 日 新 聞 社
● 高 田 淳 ﹃ 日 本 の ア ウ シ ュ ビ ッ ツ ﹄ 1 9 9 9 年 、 ハ ン セ ン 病 国 賠 訴 訟 原 告 団 、 同 支 援 す る 会
● 宮 坂 道 夫 ﹃ ハ ン セ ン 病 重 監 房 の 記 録 ﹄ 2 0 0 6 年 、 集 英 新 書
● ﹃ ハ ン セ ン 病 と キ リ ス ト 教 ﹄ 荒 井 英 子 、 1 9 9 6 年 、 岩 波 書 店
● 小 川 正 子 ﹁ 石 打 た れ る 人 々 - 癩 者 に 捧 げ た 若 き 女 医 の 手 記 ﹂ ﹃ 新 女 苑 ﹄ 1 9 3 9 年 1 月 号 、 実 業 之 日 本 社
● 小 川 正 子 ﹃ 小 島 の 春 - あ る 女 医 の 手 記 ﹄ 1 9 8 1 年 、 長 崎 出 版
● 上 川 豊 ﹁ 南 支 南 洋 の 癩 と 台 湾 の 癩 ﹂ ︵ ﹃ 社 会 事 業 の 友 ﹄ 1 5 2 号 、 1 9 4 1 年 7 月 発 刊 ︶
● 岡 村 徹 ﹁ ナ ウ ル 島 か ら の 手 紙 ﹂ ﹃ 菊 池 野 ﹄ 6 3 6 号 、 2 0 0 8 年 6 月
人物
● 冉 伯 牛 - 中 国 ・ 春 秋 時 代 の 儒 学 者 。 ハ ン セ ン 病 に 罹 患 し て い た と い う 説 が あ る 。
● 光 明 皇 后 - ﹁ 日 本 書 紀 ﹂ に 救 癩 伝 説 。
● 一 遍 - ﹁ 一 遍 上 人 絵 伝 ﹂ に は 一 遍 と と も に 諸 国 を 巡 礼 し た 患 者 の 姿 が あ る 。
● 忍 性 - 北 山 十 八 間 戸 を 創 設 し 保 護 ・ 救 済 に あ た る 。
● 斎 藤 義 龍 - 美 濃 の 戦 国 武 将 。 ハ ン セ ン 病 に 罹 患 し て い た と い う 説 が あ る 。
● 加 藤 清 正 - 戦 国 武 将 。 ハ ン セ ン 病 に 罹 患 し て い た と い う 説 が あ り 、 清 正 を 祀 る 加 藤 神 社 に 平 癒 を 願 う 罹 患 者 が 押 し 寄 せ た と い う 。
● 大 谷 吉 継
● 中 居 屋 重 兵 衛 - 江 戸 末 期 の 蘭 学 者 。 ハ ン セ ン 病 の 治 療 を 行 い 尊 敬 さ れ た と い う 説 が あ る が 、 中 山 文 庫 と 呼 ば れ る 史 料 以 外 に 記 述 が な く 否 定 さ れ て い る 。
● 神 谷 美 恵 子 - ハ ン セ ン 病 の 治 療 に 生 涯 を 捧 げ た 女 医 。
● 宮 崎 松 記 - 医 師 。 ﹁ 戦 争 と ハ ン セ ン 病 ﹂ に 関 す る 研 究 。 傷 痍 軍 人 駿 河 療 養 所 の 設 置 。 龍 田 寮 事 件 や 本 妙 寺 事 件 の 調 査 。
● 光 田 健 輔 - ハ ン セ ン 病 の 研 究 者 ・ 医 師 。 ダ ミ ア ン ・ ダ ッ ト ン 賞 受 賞 。 ﹁ 救 ら い の 父 ﹂ と も 呼 ば れ る が 、 ハ ン セ ン 病 患 者 の 強 制 隔 離 政 策 を 推 進 し た と い う 点 で 批 判 を 受 け て い る 。
● 井 深 八 重 - 誤 診 に よ り 神 山 復 生 病 院 ︵ 御 殿 場 市 ︶ に 収 容 さ れ た が 、 看 護 師 と し て ハ ン セ ン 病 患 者 の 看 護 に あ た る 。 遠 藤 周 作 の ﹁ わ た し が ・ 棄 て た ・ 女 ﹂ と い う 作 品 の モ デ ル と な っ た 。
● 小 川 正 子 - ハ ン セ ン 病 患 者 救 済 に 尽 く し た 医 師 。 手 記 ﹁ 小 島 の 春 ﹂ が 有 名 。 山 梨 県 出 身 で 笛 吹 市 に 記 念 館 が あ る 。
● 中 村 哲 ( 医 師 ) - ペ シ ャ ワ ー ル 会 医 療 サ ー ビ ス ︵ P M S ︶ 総 院 長 。 ハ ン セ ン 病 を 中 心 と す る 医 療 活 動 に 従 事 。
● 笹 川 陽 平 - ハ ン セ ン 病 人 権 啓 発 大 使 、 W H O ハ ン セ ン 病 制 圧 特 別 大 使 。 ダ ミ ア ン ・ ダ ッ ト ン 賞 受 賞 。
● 八 尋 光 秀 - ら い 予 防 法 違 憲 国 家 賠 償 訴 訟 の 共 同 代 表 弁 護 士 。
・ 事 件
● 近 畿 ら い 患 者 窃 盗 団 事 件 - 昭 和 10 年 代 の 近 畿 地 方 で 発 生 し た ハ ン セ ン 病 患 者 の 窃 盗 団 が 起 こ し た 事 件 。 ハ ン セ ン 病 患 者 に 対 す る 適 切 な 刑 罰 が 行 わ れ な い こ と が 問 題 と な っ て い た 。
● 的 ヶ 浜 事 件 - 1 9 2 2 年 に 大 分 県 の 的 ヶ 浜 集 落 を 警 察 が 焼 き 討 ち し た 事 件 ︵ ハ ン セ ン 病 患 者 の み の 集 落 で は な い ︶ 。
● 長 島 事 件 - 1 9 2 6 年 に 起 き た 長 島 愛 生 園 ︵ 岡 山 ︶ で の 紛 争 。 療 養 所 の 環 境 の 悪 化 に 対 す る 入 所 者 の 不 満 が 爆 発 し た 事 件 で あ る 。
● 京 城 府 竹 添 町 幼 児 生 首 事 件 ー 1 9 3 3 年 に 日 本 統 治 時 代 の 朝 鮮 の 京 畿 道 京 城 府 で 発 生 し た 猟 奇 事 件 。 ﹁ 人 間 の 脳 味 噌 を 生 で 食 う ﹂ と い う の が ハ ン セ ン 病 の 特 効 薬 に な る と の 迷 信 に よ る 。
● 本 妙 寺 事 件 - 1 9 4 0 年 に 起 き た 本 妙 寺 ︵ 熊 本 ︶ の ハ ン セ ン 病 集 落 を 一 斉 検 挙 。 検 挙 方 法 に 問 題 を 残 し た 。
● 小 鹿 島 更 生 園 園 長 刺 殺 事 件 - 1 9 4 2 年 に 日 本 統 治 時 代 の 朝 鮮 の 全 羅 南 道 高 興 郡 錦 山 面 の ハ ン セ ン 病 療 養 所 ﹁ 小 鹿 島 更 生 園 ﹂ で 発 生 し た 殺 人 事 件 。
● 小 鹿 島 虐 殺 事 件 - 1 9 4 5 年 に 日 本 統 治 時 代 の 朝 鮮 の 全 羅 南 道 高 興 郡 錦 山 面 の ハ ン セ ン 病 療 養 所 ﹁ 小 鹿 島 更 生 園 ﹂ で 発 生 し た 殺 人 事 件 。
● 藤 本 事 件 ︵ 菊 池 事 件 ︶ - 1 9 5 1 年 に 熊 本 で 起 き た 爆 破 事 件 。 人 権 問 題 が 関 係 し 裁 判 と 捜 査 の 問 題 が 指 摘 さ れ て い る 。
● 龍 田 寮 事 件 ︵ 黒 髪 校 事 件 ︶ - 1 9 5 3 年 に 熊 本 で 起 き た 事 件 。 竜 田 寮 ︵ 菊 池 恵 楓 園 内 の 児 童 施 設 ︶ の 児 童 が 、 一 般 の 学 校 ︵ 黒 髪 小 学 校 ︶ へ 登 校 す る こ と が 阻 止 さ れ て 問 題 と な っ た 。 ハ ン セ ン 病 患 者 に 対 す る 差 別 を 象 徴 す る 事 件 。
● ハ ン セ ン 病 元 患 者 宿 泊 拒 否 事 件 - 2 0 0 3 年 11 月 、 黒 川 温 泉 に あ っ た ア イ レ デ ィ ー ス 宮 殿 黒 川 温 泉 ホ テ ル が ハ ン セ ン 病 元 患 者 の 宿 泊 を 拒 否 し た 事 件 。 未 だ に ハ ン セ ン 病 元 患 者 に 対 す る 差 別 が あ る こ と で 話 題 と な っ た 事 件 。
● 連 続 大 量 差 別 は が き 事 件 - 2 0 0 3 年 か ら 2 0 0 4 年 に か け て 部 落 関 係 者 や ハ ン セ ン 病 患 者 に 対 し て 、 差 別 は が き の 送 付 な ど の 嫌 が ら せ を 数 百 回 に わ た っ て 繰 り 返 し た 事 件 。 動 機 は 遊 び 半 分 で 無 職 の 男 が 逮 捕 さ れ る 。
・ 歴 史 上 の 収 容 施 設 ︵ 世 界 ︶
● 平 和 の 村 - 1 9 5 7 年 に マ ザ ー ・ テ レ サ が 、 イ ン ド の 西 ベ ン ガ ル 州 に ハ ン セ ン 病 患 者 の た め の コ ミ ュ ー ン と し て 設 立 し た 施 設 。
● ラ ・ デ ジ ラ ー ド 島 - カ リ ブ 海 の フ ラ ン ス 領 グ ア ド ル ー プ の グ ラ ン ド ・ テ ー ル 島 か ら 東 の 方 に 位 置 し て い る 島 。 1 9 5 8 年 ま で ハ ン セ ン 病 患 者 の 入 植 地 。
● ロ ベ ン 島 - 南 ア フ リ カ 共 和 国 西 ケ ー プ 州 ケ ー プ タ ウ ン か ら 約 1 2 k m 沖 合 の テ ー ブ ル 湾 に あ る 島 。 1 8 3 6 年 か ら 1 9 3 1 年 ま で 、 島 は ハ ン セ ン 病 患 者 を 隔 離 す る た め に 使 わ れ た 。
● モ ロ カ イ 島 - 太 平 洋 の ハ ワ イ 諸 島 に 位 置 す る 火 山 島 。 ダ ミ ア ン 神 父 に よ る 救 済 が 行 わ れ た 。
・ 過 去 の 貧 民 街 ・ 施 設 ︵ 日 本 ︶
医学
活動団体
療養所
法律
差別に関連する用語
その他
今神温泉 - 山形県にある温泉。ハンセン病などかつて難病の「霊場」として知られた。
ニューウェルズ・オールドボーイズ - 愛称のロス・レプロソス(ハンセン病患者)が1920年代にハンセン病診療所のためのチャリティマッチを開催していた
秋田県旗 - 県章として選ばれた作品が、群馬県の療養所に収容されていたハンセン病患者の偽名による投稿だったことが、応募者の死後に明らかになった。
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ハンセン病 に関連するメディアがあります。