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一乗谷城の戦い

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一乗谷城の戦い

一乗谷朝倉氏遺跡復原町並
信長により一乗谷城下町は灰燼に帰した。 
戦争信長包囲網
年月日天正元年(1573年8月
場所越前国一乗谷
結果:織田軍の勝利、朝倉義景の自刃
交戦勢力
織田軍 朝倉軍
指導者・指揮官
織田信長
柴田勝家
佐久間信盛
丹羽長秀
朝倉義景 
朝倉景鏡
戦力
30,000 20,000
損害
不明 3,000以上
織田信長の戦い

一乗谷城の戦い(いちじょうだにじょうのたたかい)は、天正元年8月1573年9月)に織田信長朝倉義景の間で行なわれた戦国時代の合戦である。但し一乗谷城での攻防は極めて限定的であったため、激戦地の名を冠して刀根坂の戦い(とねざかのたたかい)とも呼ばれる。

小谷城包囲

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154157347

8835,0002西

西10

121,000

退

2退

刀根坂の戦い

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1332退

退

退退退3,000383,80017

14

一乗谷城の戦い

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151617

15500

18

20宿200




戦いの意義

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この戦いで朝倉氏が滅亡したことで、最終的に信長の領土は越前・若狭に拡大することとなった。

関連作品

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  • 赤神諒『酔象の流儀 朝倉盛衰記』(講談社、2018年12月18日)ISBN 978-4-06-514035-2(山崎吉家を主人公とする小説)

参考文献

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   1988186-188 , 348-352 

︿132006117-129 

関連項目

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