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- インド共和国
- भारत गणराज्य (ヒンディー語)
Republic of India (英語)
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- 国の標語: सत्यमेव जयते
ラテン文字転写: "satyam eva jayate"
(サンスクリット語: まさに真理は自ずと勝利する)
- 国歌: ジャナ・ガナ・マナ

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[編集] 概要
[編集] 独立
[編集] 地理
[編集] 政治
﹁インドの歴代首相﹂および﹁インドの政党﹂も参照
インドの政治の大要はインド憲法に規定されている。
国家元首は大統領。実権は無く、内閣の助言に従い国務を行う。議会の上下両院と州議会議員で構成される選挙会によって選出される。任期5年。
副大統領は議会で選出される。大統領が任期満了、死亡、解職で欠ける場合は、副大統領の地位のままその職務を行う。任期は大統領と同じ5年だが、就任時期をずらすことで地位の空白が生ずることを防止する。また、副大統領は上院の議長を兼任する。
行政府の長は首相で、下院議員の総選挙後に大統領が任命する。 内閣は下院議員の過半数を獲得した政党が組閣を行う。閣僚は首相の指名に基づき大統領が任命する。内閣は下院に対して連帯して責任を負う︵議院内閣制︶。また、連邦議会の議事運営、重要問題の審議・立法化と国家予算の審議・決定を行う。
議会は、両院制で、州代表の上院︵ラージヤ・サバー︶と、国民代表の下院︵ローク・サバー︶とで構成される。
上院250議席のうち12議席を大統領が有識者の中から指名する。任期は6年で、2年ごとに3分の1ずつ改選。大統領任命枠以外は、各州の議会によって選出される。 下院は、545議席で、543議席を18歳以上の国民による小選挙区制選挙で選出し、2議席を大統領がアングロ・インディアン︵イギリス系インド人:植民地時代にイギリス人とインド人との間に生まれた混血のインド人、もしくはその子孫の人々︶から指名する。任期は5年だが、任期途中で解散される場合がある。有権者の人口が多いため、選挙の投票は、5回にわけて行われる。 選挙は小選挙区制で、投票は用紙に印刷された政党マークに印を付ける方式であり、今日まで行われている。
憲法施行後、1951年10月から翌年2月にかけて連邦と州の両議会議員の第一回総選挙が行われた。結果は会議派が勝利し、首相にネルーが就任した。
2004年の下院選挙は、4月20日に第1回の投票が行われ、5月13日に開票された。
インドの政治を軍事の面から見てみると、インドの軍事制度は非常に安定している。特に、シビリアン・コントロールがアジアでも有数と言えるほどに徹底されている。
インド下院︵定数545︶の議員を選ぶ総選挙が2009年4月16日にはじまり、5月13日まで5回に分けて実施された。有権者は約7億1400万人。選挙結果は5月16日に一斉開票され、国民会議派は206議席を獲得、連立による過半数獲得を模索している。インド人民党 (BJP) は116議席を獲得した。
[編集] 外交
独立後、重要な国際会議がインドで開かれ、国際的な条約や協約が締結されている。
●1947年3月、デリーでアジア問題会議が開催され、新生のアジア諸国が直面視する諸問題が討議された。
●1949年2月、デリーでアジア19カ国会議が開催され、オランダのインドネシア再植民地化が、批判すべき緊急の政治課題として討議された。
●1949年11月、コルカタでインド平和擁護大会が開催された。
●1949年12月、ビルマ︵ミャンマー︶に続いて中華人民共和国を承認した。
●1950年10月、北インドのラクナウーで太平洋問題調査会の第11回国際大会が開催された。ネルーが﹁アジアの理解のために﹂と題して基調演説を行った。
●1954年4月、北京で中印双方は﹁中印両国の中国チベット地方とインドとの間の通商と交通に関する協定﹂に調印し、そこで平和五原則︵パンチャ・シーラ︶を確定した。それは領土・主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和的共存からなっていた。
●1955年4月、バンドン︵インドネシア︶でアジア・アフリカ会議が開催された。14億の諸民族を代表する29カ国の指導者が参加した。平和五原則に基づく諸原則を承認した。スカルノ、周恩来、ネルー、ナセルなどが参加していた。
●1961年9月、ベオグラード︵ユーゴスラビア︶で第1回非同盟諸国首脳会議が開催された。チトー、ナセル、ネルーなどがアジアとアフリカの25カ国代表が参加した。戦争の危機回避を求めるアピールが採択された。
[編集] 領土紛争
詳細は﹁カシミール﹂、﹁アクサイチン﹂、﹁印パ戦争﹂、および﹁中印国境紛争﹂を参照
カシミール地方のインドとパキスタン・中国との間で領土紛争があり、特にパキスタンとは激しい戦闘が繰り返され︵印パ戦争︶現在は停戦状態にある。インドの主張するカシミール地方は、ジャンムー・カシミール州となっている。
これとは別に、インド東部アッサム州北部のヒマラヤ山脈南壁は中国との間で領土紛争があったが中国側が自主的に撤退し、現在はインドのアルナーチャル・プラデーシュ州となっている。
[編集] パキスタンとの関係
宗教の違いや国境紛争で伝統的に隣国パキスタンとはかなり関係が悪い。 ムンバイ同時多発テロ以降、関係は悪化していたが、2011年には二国間貿易の規制緩和やインドからパキスタンへの石油製品輸出解禁が打ち出され、11年7月には両国の外相が1年ぶりに会談した。 2012年9月8日、イスラマバードで会談をして、ビザ発給条件の緩和について合意した他、農業、保険、教育、環境、科学技術などの分野での相互協力などが話し合われた[8]。
[編集] 中華人民共和国との関係
国境紛争を行った中華人民共和国とも関係は悪い。
[編集] 日本との関係
詳細は﹁日印関係﹂を参照
近代以前の日本では、中国経由で伝わった仏教に関わる形で、インドが知られた︵当時はインドのことを天竺と呼んでいた︶。東大寺の大仏の開眼供養を行った菩提僊那が中国を経由して渡来したり、高岳親王のように、日本からインドへ渡航することを試みた者もいたが、数は少なく、情報は非常に限られていた。日本・震旦︵中国︶・天竺︵インド︶をあわせて三国と呼ぶこともあった。
第二次世界大戦では、インド国民会議から分派した独立運動家のチャンドラ・ボースが日本軍の援助の下でインド国民軍を結成し、日本軍とともにインパール作戦を行ったが、失敗に終わった。チャンドラ・ボース以前に、日本を基盤として独立運動を行った人物にラース・ビハーリー・ボース︵中村屋のボース︶やA.M.ナイルらがいる。ラース・ビハーリー・ボースとA.M.ナイルの名前は、現在ではむしろ、日本に本格的なインド式カレーを伝えたことでよく知られている。
1948年、東京裁判︵極東国際軍事裁判︶において、インド代表判事パール判事︵ラダ・ビノード・パール、1885年1月27日 - 1957年1月10日︶は、﹁イギリスやアメリカが無罪なら、日本も無罪である﹂と主張した。またインドは1951年のサンフランシスコで開かれた講和会議に欠席。1952年4月に2国間の国交が回復し、同年6月9日に平和条約が締結された。インドは比較的親日国であり、日本人の親印感情も高いと考えられているのは、こうした歴史によるものである。[9]
2001年のインド西部地震では日本は自衛隊インド派遣を行い支援活動を行った。
日本政府は﹁価値観外交﹂を進め2008年10月22日には、麻生太郎、シン両首相により日印安全保障宣言が締結された[10]。
日本の閣僚としては、2000年に森喜朗総理大臣︵8月18日~26日の東南アジア訪問の一貫︶、2005年に小泉純一郎総理大臣︵デリー︶、2006年1月に麻生太郎外務大臣︵デリー︶、2006年アジア開発銀行年次総会の際に谷垣禎一財務大臣︵ハイデラバード︶、2007年1月に菅義偉総務大臣︵デリーとチェンナイ︶、2007年8月に安倍晋三総理大臣︵ニューデリーとコルカタ︶、2009年12月に鳩山由紀夫総理大臣︵ムンバイとデリー︶がそれぞれ訪問している。
広島の原爆記念日である毎年8月6日に国会が会期中の際は黙祷を捧げているほか、昭和天皇崩御の際には3日間喪に服したほどで、インドは極めて親日的な国家である。しかし、インド人の日本への留学者は毎年1000人以下と、他のアジアの国の留学生の数に比べて極端に少ない。
2012年4月に日印国交樹立60周年を迎える。現在、日本とインドで様々な記念行事の実施が予定されている。[11]
[編集] 軍事
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都市 |
行政区分 |
人口 |
|
都市 |
行政区分 |
人口 |
| 1 |
ムンバイ |
マハーラーシュトラ州 |
13,662,885 |
11 |
ジャイプル |
ラージャスターン州 |
2,997,114 |
| 2 |
デリー |
デリー |
11,954,217 |
11 |
ラクナウ |
ウッタル・プラデーシュ州 |
2,621,063 |
| 3 |
バンガロール |
カルナータカ州 |
5,180,533 |
12 |
ナーグプル |
マハーラーシュトラ州 |
2,359,331 |
| 4 |
コルカタ |
西ベンガル州 |
5,021,458 |
14 |
インドール |
マディヤ・プラデーシュ州 |
1,768,303 |
| 5 |
チェンナイ |
タミル・ナードゥ州 |
4,562,843 |
15 |
パトナ |
ビハール州 |
1,753,543 |
| 6 |
ハイデラバード |
アーンドラ・プラデーシュ州 |
3,980,938 |
16 |
ボーパール |
マディヤ・プラデーシュ州 |
1,742,375 |
| 7 |
アフマダーバード |
グジャラート州 |
3,867,336 |
17 |
ターネー |
マハーラーシュトラ州 |
1,673,465 |
| 8 |
プネー |
マハーラーシュトラ州 |
3,230,322 |
18 |
ルディヤーナー |
パンジャーブ州 |
1,662,325 |
| 9 |
スーラト |
グジャラート州 |
3,124,249 |
19 |
アーグラ |
ウッタル・プラデーシュ州 |
1,590,073 |
| 10 |
カーンプル |
ウッタル・プラデーシュ州 |
3,067,663 |
20 |
ヴァドーダラー |
グジャラート州 |
1,487,956 |
| 1991年・2001年実施の国勢調査データを元にした2008年時点の推定予測値[12] |
[編集] 経済
詳細は「インドの経済」を参照
IMFによると、2011年のインドのGDPは1兆6761億ドル(約135兆円)であり、世界第11位である[13]。一方、一人当たりのGDPは1389ドルであり、最貧国ではないものの世界平均の15%に満たない水準である。アジア開発銀行によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は国民のおよそ70%にあたる約8億1000万人であり、世界最大の貧困人口を抱える[4]。国際連合開発計画が発表した2011年版の人間開発報告書によると、寿命、教育、生活水準などを総合評価したHDIは世界的に下位であり、イラクやカンボジアとほぼ同水準である[14]。
独立以降、重工業の育成を図り、国内産業保護を政策としていた。冷戦が終わり、1991年に通貨危機をきっかけとしてインド型社会主義の実験を終え、経済自由化に政策を転換した。外資の導入、財政出動などにより、経済は成長を遂げた。[15]。外貨解放政策の進展で、自動車や通信、ITなどに始まった外国系企業の投資は、半導体や鉄鋼業にも広がってきており、今後は小売りや金融などの分野に進むと予想されている[16]。2001年にはゴールドマン・サックスがレポートで、中国やロシアとともにBRICsと呼び成長を続ける新興国として注目されるようになる。2007年には同じくゴールドマン・サックスが﹁インド経済が今世紀半ばに米国を追い抜き、中国に次ぐ世界2位の経済大国に成長する﹂とのレポートを出した[17]。しかし、2008年には世界的な経済減速に加え、政府が経済政策に手をこまねいていた︵政府債務の増加、進まない経済特区、過度の補助金による市場の歪みと生産性の低さ︶ために、経済成長の減速と外資の流出を招いた[18]。
産業構造は、農業、サービス業の比率が高いが、農業が減少しサービス業が伸長する傾向にある。
貿易については、産業保護政策をとっていたため貿易がGDPに与える影響は少なかったが、経済自由化後は関税が引き下げられるなどされ、貿易額が増加、GDPに与える影響力が大きくなっている。主な貿易品目は、輸出が宝石や医薬品、輸入は宝飾製品や原油など。
[編集] 通貨
ルピー (Rs, Rupee) とパイサ︵Paisa、複数形はPaise︶。1ルピーは100パイサ。25パイサ未満の通貨はほとんど出回っていない。1万円は約5500ルピー︵2009年2月現在︶[19]。
[編集] 第一次産業
生産量は多いものの、インフラの未整備や中間搾取などがネックとなっている。食料自給率は100%を超えている。また、生産物のうち約30%は廃棄されてしまうという[20]。
こうした中、政府は農業政策として法律の改正や商品取引所の整備、大規模な予算措置をとるなど、農業改革に乗り出している[20]。
[編集] 主な農産物
1960年代から穀物の増産に成功し、緑の革命と呼ばれる。
●米 パンジャブ地方、ガンジス川中下流域で盛ん。 世界生産量第2位
●綿花 デカン高原で盛ん。 世界生産量第3位
●小麦 北部で盛ん。 世界生産量第2位
●ジュート 世界生産量の60%以上を占める。 世界生産量第1位
●茶 アッサム地方で盛ん。アッサムティーと呼ばれる。 世界生産量第1位
[編集] 第二次産業
製造業は、他の産業に比べ立ち後れていたが、政府の後押しもあり成長を始めた[21]。
また、同業種の工場が集まってクラスターを作る動きもある。津田義和教授︵立教大学︶の提案を元に生まれたクラスターは、品質管理、生産性の向上に一役買っているという[22]。
ただし、成長を続けるインドの製造業だが、課題も多い︵#課題を参照︶。また、品質についても先進諸国に比べるとまだ高いとは言い難いところがあり、﹁インド品質﹂とも呼ばれている。機能は問題が無くても、見た目や細かい部分でまだ品質に劣る。これは原材料の質に加えて、労働者の意識が品質について十分ではないことが要因としてあげられる[23]。
[編集] 自動車産業
ヒンドゥスタン・モーターズやタタ自動車、マヒンドラなどの地場資本の自動車メーカーの他、スズキやルノー、三菱自動車などが1991年まであったライセンス・ラージのためインドの地場資本と提携する形で進出している。自動車生産は1994年が24.5万台であったが、2010年には200万台規模へと急速に拡大する見通しで、原油高の流れにも乗って小型車輸出も順調に拡大している。業界第2位のタタが2008年に30万円程度の超低価格車を生産すると発表したことは、インドの技術力の一定の進歩と低廉な労働市場を世界へ改めて認識させる結果となった[24]。
[編集] バイオテクノロジー
インドというとITが有名だが、バイオテクノロジーの分野にも力を入れている。1986年にはバイオテクノロジー庁が設立された。
[編集] 主な産業
●綿工業︵現在は衰退︶、ジュート工業: ムンバイ
●鉄鋼業: ジャムシェードプル
●集積回路: バンガロール、プネー
[編集] 第三次産業
[編集] 情報サービス業
1990年代から2000年代にかけてインド経済を牽引していると言われていたITなど情報サービス業は、2000年代後半には優位性が揺らいできている。また、インド国外だけでなくインド国内にも情報サービス業の大きな市場があるにもかかわらず、インド企業は国外ばかりに目を向けているため、国内市場への欧米企業進出を許している[25]。
当初、インド企業の強みであった低コストは、為替変動と国内の人材不足により優位性を失いつつある。加えて、インド企業に仕事を奪われた欧米企業は、インド国内に拠点を設け、技術者を雇うことによって劣勢であったコストの問題を挽回した。同時に、単なる業務のアウトソーシングに留まらず、ビジネスコンサルティング等の高度なサービス提供によって差別化を図っている[25]。特にIBMの動きは活発で、企業買収を繰り返しわずか2年でインド国内でも最大規模の拠点を築いた。インド国内市場にも積極的に営業を行っており、市場シェアトップとなっている[25]。
こうした状況に、インド国内からは情報サービス業企業の革新を求める声があがり始めたが、上述の通りインド企業の経営陣は海外にばかり目を向け国内市場には長い間目を向けておらず、またカースト制度に由来したエリート意識からインド企業の優位を信じて革新に対する意識は低い状況にあるという[25]。また、ギルフォード証券のアナリスト、アシシュ・サダニはインド企業は25%という高い利益率となっていることを述べた上で、﹁それほど高い利益率を維持できるのは、未来のための投資を怠っているということの表れなのだ﹂と評し、今後の成長のためには目先の利益だけでなく、将来へ向けた投資をしなければならないと指摘している[25]。
[編集] 小売業
規模は2000年代半ばで3000億ドル超となっており、2017年には1兆ドルに迫ることが予想される[26]。外国企業も進出を行っているが、出店に対しては政府による法規制が行われている。背景には、多数の零細個人商店、行商人が職を失うのではないかという問題がある。これら既存の小売業者は、大規模スーパーをインドへ進出させようとしている外国企業︵カルフールやウォルマートなど︶に対し抗議運動を活発化させている[26]。
[編集] ハイテク関連
大学や研究機関などには直径十数メートルから数十メートルのパラボラアンテナが地上や屋上に設えてあり、人工衛星を用いてインターネット接続ができる。
インド国内にはこのようなパラボラアンテナを備えた施設が国全体を取り囲むように州ごとに存在し、周辺地域へは光ケーブルを用いてサービスされている。しかし、建設工事の近代化は遅れており、STPI (Software Technology Parks of India) から周辺に敷設中の光ファイバーの工事現場では、建設重機が見当たらず、殆どが手掘りであった︵2002年2月現在︶。
[編集] イギリスとの関係
17世紀、アジア海域世界への進出をイギリスとオランダが推進し、インド産の手織り綿布︵キャラコ︶がヨーロッパに持ち込まれると大流行となり、各国は対インド貿易を重視したが、その過程で3次にわたる英蘭戦争が起こり、フランス東インド会社の連合軍を打ち破り︵プラッシーの戦い︶、植民地抗争におけるイギリス覇権が確立した。1765年にベンガル地方の徴税権︵ディーワーニー︶を獲得したことを皮切りにイギリス東インド会社主導の植民地化が進み、1763年のパリ条約によってフランス勢力をインドから駆逐すると、マイソール戦争・マラータ戦争・シク戦争などを経てインド支配を確立した。イギリス東インド会社は茶、アヘン、インディゴなどのプランテーションを拡大し、19世紀後半にはインドでの鉄道建設を推進した。
イギリス支配に対する不満は各地で高まり、インド大反乱︵セポイの反乱、シパーヒーの反乱、第一次インド独立戦争︶となった。イギリスは、翌年にムガル皇帝を廃し、東インド会社がもっていた統治権を譲り受け、インド総督を派遣して直接統治下においた。1877年には、イギリス女王ヴィクトリアがインド女帝を兼任するイギリス領インド帝国が成立した。第一次世界大戦で、イギリスは植民地インドから100万人以上の兵力を西部戦線に動員し、食糧はじめ軍事物資や戦費の一部も負担させた。しかし、イギリスはインドに対して戦後に自治をあたえるという公約を守らず、ウッドロウ・ウィルソンらの唱えた民族自決の理念の高まりにも影響を受けて民族運動はさらに高揚したが、アムリットサル事件が起きた。
しかし非暴力を唱えるマハトマ・ガンディー、ジャワハルラール・ネルーにより反英・独立運動が展開された。ガンディーは﹁塩の行進﹂を開始したが成功しなかった。
第二次世界大戦では日本に亡命したチャンドラ・ボースが日本の援助によってインド国民軍を結成し、インド人兵士は多くが志願した。
インドは念願の独立後の1950年代以降も、多くのインド人が就職や結婚など様々な理由で、景気の見通しが上向きであった英国に移住した。当時、英国政府は移民の管理に懸命に務めたものの、61年にはすでに10万人以上のインド人や隣国のパキスタン人が定住していた、と記録に残っている。彼らの多くは英国にすでに移住している同郷人が親族を呼び寄せるという﹁連鎖移住﹂の制度を利用した。現在、英国に住むインド出身の人々は西ロンドンのサウソール、ウェンブリー、ハウンズロー、バーネット、クロイドン、郊外では東西ミッドランズ、マンチェスターそしてレスターにコミュニティーを作っている。またイギリスでは医師の3割がインド人である。
インドは歴史的に反英感情が強いものの、旧宗主国が普及させた世界共通語である英語を使い、英語圏中心に商売をしている。
[編集] アメリカ合衆国との関係
冷戦期の反米親ソ路線とは裏腹に、現在では経済交流を初めとして親米化し友好関係が深まってきている。インドではソフトウェア産業の優秀な人材が揃っており、英語を話せる人材が多いためアメリカへの人材の引き抜きや現地でのソフトウェア産業の設立が盛んになっている。そのため、ハイテク産業でのアメリカとのつながりが大きく、アメリカで就職したり、インターネットを通じてインド国内での開発、運営などが行われたりしている。NHKスペシャルの﹁インドの衝撃﹂では、NASAのエンジニアの1割はインド人︵在外インド人︶だと伝えている。
また、アメリカとインドは地球の反対側に位置するため、アメリカの終業時刻がインドの始業時刻に相当し、終業時刻にインドへ仕事を依頼すると翌日の始業時刻には成果品が届くことからもインドの優位性が評価されるようになった︵→オフショア︶。
一時期、シリコンバレーは“IC”でもつと言われたことがあるが[誰によって?]、この場合のICは集積回路のIntegrated Circuitsを指すのではなくインド人と中国人を意味する。
英語の運用能力が高く人件費も低廉な為、近年アメリカ国内の顧客を対象にしたコールセンター業務はインドの会社に委託︵アウトソーシング︶されている場合が多い。多くのアメリカ人の顧客にとってインド人の名前は区別し難いため、電話応対の際インド人オペレーターはそれぞれ付与された︵アングロサクソン系︶アメリカ人風の名前を名乗っている。
アメリカとの時差は12時間で、アメリカで夜にITの発注をかけてもインドでは朝。そのためにアメリカで発注かけた側が就寝して朝目覚めれば、インドから完成品がオンラインで届けられている場合もあるとのこと。この言語と時差の特性を利用し、インドにコールセンターを置く企業も増えつつあるといわれている。
ちなみにアメリカの科学者の12%、医師の38%、NASAの科学者の36%、マイクロソフトの従業員の34%、IBMの従業員の28%、インテルの17%、ゼロックスの13%がインド系アメリカ人であり、インド系アメリカ人は100万~200万人台いると言われている。印僑の9人に1人が年収1億円以上、人口は0.5%ながら、全米の億万長者の10%を占める。彼らはアメリカのITの中枢を担っているためシリコンバレーに多く住んでおり、シリコンバレーにはインド料理店が多い。
またインド人学生はアメリカに留学する割合が高く、アメリカの留学生ランキングでは1位の韓国人学生に次いでインド人学生は多い。
また後述するようにアメリカ国内ではインド人に対する嫌がらせは基本的に見られず、強いて言うならばアメリカ同時多発テロの時にアラブ系と勘違いしてインド系を襲う事があった程度である。
[編集] オーストラリアとの関係
南インドのオーストラリア総領事でインドはオーストラリアにとっての重要な輸出市場でオーストラリアは、市場競争力と付加価値がある専門技術と技術的ソリューションを、さまざまな分野にわたって提供しているという。インド工業連盟 (CII) は、﹁オーストラリアとのビジネス﹂と題したセミナーを主催、その開会の場でラーマンは、オーストラリアの専門技術と技術的ソリューションは、インドのあらゆる分野のビジネスで重要視されているとし、資源開発、鉱業、エネルギー、インフラ、建築、飲食、農業関連産業、情報通信技術、映画、メディア、エンターテインメント、小売り、金融、と活用されている分野を挙げた。
オーストラリアは移民政策としてアジア人を受け入れており、特にインド人は英語が話せるために多くが留学また移民として来ている。アメリカと同様にオーストラリアには多数のインド人が移民して、距離が近い分、アメリカに行くよりオーストラリアに行く事を選んだインド人も多い。オーストラリアにおけるインド系企業は浸透し、オーストラリアの金融機関のシステム開発は当時から、インド系ソフトウエア会社の存在なしには成り立たなくなっていた。
しかし移民政策の結果としてインド系移民が増えるにつれ、行き過ぎた多文化主義の反動として白豪主義が再燃し、オーストラリアの白人がインド人学生を狙う﹁カレー・バッシング﹂という暴力事件が起こり、オーストラリアでインド人留学生が暴行される事件が相次いで問題になっている。インド人留学生が襲われる犯罪は近年多発していている。また職種によってはインド人が独占する職場も見受けられるようになり、国内での新聞でも﹁カレー臭い﹂﹁シャワーを浴びろ﹂などインド人を差別する表現も目立つようになった。そのためかインド国内でもオーストラリア国内でもインド人差別に抗議するデモが発生している。
相次ぐインド人襲撃を受けて、ボリウッドの大物俳優アミターブ・バッチャンは、クイーンズランド大学から授与されるはずだった名誉博士号を辞退したほか、ブリスベンで行われる映画祭への出席も見合わせた。ケビン・ラッド首相はシン首相との会談の際に、事件の背景に人種差別があるわけではないと強調、オーストラリアは今でも世界有数の安全な国だとして平静を呼びかけた。
[編集] 中華人民共和国との比較
ともにアジアの地域新興大国、そしてBRICsの一角として、インドと中華人民共和国は様々な面で比較されることが多い。しかし国境問題等もあって両国とも相手国への好感が低く、関係は悪い。
産業構造では、中華人民共和国は単純製造業の比率が高く、これが成長を牽引したといわれており、インドは製造業の比率が低いことがマイナス要因となっていた。両国ともに製造業は労働集約型である。しかし中華人民共和国は設計、開発が国外で行われた組み立て型が中心であるのに対し、インドは自国で設計、開発を行う知識集約型が主力商品に含まれている。また、中国よりもインドのIT関連技術者の英語能力の方が高く、同一のIT知識を有している技術者でも、アメリカをはじめとする先進諸国のIT産業の下請けとしては、インド人の英語能力に優位性が認められ、高く評価されている。またインド人自らもこれを自負している。
ともに移民︵印僑、華僑︶が多く、移民先で経済的成功を収め大きな影響力を発揮することが多い。ただし印僑は華僑に比べると他国での成功は劣っており、シンガポールとマレーシアでは華僑のほうが圧倒的に経済力が強い。またインドは中国よりも海外からの投資、外国人観光客数、経済成長率、都市整備がかなり劣っている。
インドと中国は両者共々古い文明を持つが、訪問外国人数ではインドは500万人に対し、中国は5000万人という差がある。
ともに冷戦期は東側に近く、社会主義計画経済政策をとっていた点は共通していて、これは上記の移民の原因の一つとなった。現在は市場経済を導入しているにもかかわらず、﹁社会主義の国﹂と今も憲法で謳っている点も同じである。インドは同じく非同盟国のキューバと同様、ソ連と友好協力条約を結び、ソ連製の装備が60%以上ものシェアを持ち、コルカタ、ヴィジャヤワーダ、ニューデリーにレーニン像が建っているくらい極めて親密であった。
ただし建国以来、一貫して共産党の一党独裁体制の続く中華人民共和国に対して、インドは多党制で形の上では普通選挙が行われている。
両国間のかつての貿易は並々ならぬものであった。例えば、タタ財閥︵ジャムシェードジー・タタ︶は清国との交易から始まった。
中華人民共和国が近い将来少子高齢化社会となるのに比べ、インドは少子化問題の懸念がずっと少ない。ただしインドは過剰な人口であるものの識字率は58.0%という低さであり、今でも増加している。そのため近年識字率90.9%の中国とはGDPで大きく差をつけられている。また、中印両国とも経済成長が著しく、G20のメンバーであり、G14に加盟する可能性がある。現在常任理事国である中国は日本の常任理事国入りは不支持であるのに対し、犬猿の仲とも言われるインドの常任理事国入りは支持している。インドにとって中国は最大の貿易パートナーであるため、貿易では非常に密接な関係である。
[編集] 医療ビジネス
インドの医療レベルは飛躍的に進歩し、欧米で研修をした医師が帰国している。英語が第二公用語であるために、医療関係でも英語圏との結び付きが強い。インドでは海外からの医療ツアーのPRが行われており、﹁アポロホスピタルグループ﹂はインド内外で38の病院を経営し、4000人の医師を抱えるインド最大の病院チェーンで、特に心臓手術では施術例55000人・成功率99.6%という実績があり、心臓手術では世界五指に入るという。先進国より破格に治療費が安い事が魅力であり、医療費が高いアメリカとインドの手術費用を比較するとアメリカではおよそ350万円かかる心臓手術がインドでは80万円程度という4分の1以下の安さである。 計画委員会のレポートによると、インドには約60万人の医師と100万人の看護師、200万人の歯科医がおり、そのうち5%が先進国での医療経験を持つ。現在、6万人のインド人医師がアメリカやイギリス、カナダ、オーストラリアの医療機関で働いているという。世界的に見て医師と弁護士の水準が高く各国で活躍するインド人医師の数は6万人に上り、イギリスでは外科医の40%がインド人医師で占められ、アメリカに於いても10%を超える外科医がインド人医師である。
[編集] 課題
インドの経済については、以下の課題が指摘されている。
[編集] インフラ
インフラ整備等︵電力不足、湾港施設のお粗末さなど︶の事業環境に、各都市間で格差がある。世界銀行のレポートによれば、首都であってもインフラ整備は十分ではないという。首都デリーを含むインド全土で毎日停電が頻発しているため大きな工場やオフィスは自家発電設備を備えている。また大都市近辺では車両の増加に道路整備が追いつかず、定常的に渋滞が発生している。
それに対して、行政府は外国企業の誘致をさらに進める意向であるとともに、事業環境が十分ではない状況を改善する意向を持っている。
●マンモハン・シン首相は﹁外国企業の誘致に向け、インフラ整備や税制の簡素化、関税の削減、申請手続きの迅速化を進めてきたが、﹁まだ十分ではない﹂と述べ、改善を急ぐ考えを明らかにしている。
●P・チダンバラム財務大臣は﹁民間企業による投資が、年率9%成長の維持に不可欠とみており、﹁国内外を問わず民間企業が投資できる環境を整備する必要がある﹂と述べた。
2007年度予算案では、インフラ整備への予算配分を増加。投資額は前年度40%増の1兆3400億ルピーとなっている。また、経済成長持続に向けてさらなる投資が必要としている。﹁インドは今後5年間で道路や空港、港、鉄道などのインフラ整備に向けて14兆5000億ルピー規模の投資が必要としている﹂[27]
また、経済特区を設置し、障害が最小限のレベルですむようにすることによって、海外企業の工場進出を促した。2007年現在、約300の経済特区がある[21]。
[編集] 土地問題
インドでは、7億人が農業に従事しているため多くの土地が農地となっており、大規模な工場を建設する余地が乏しいという。そのため、各地で工場を建てたりなどで土地が必要な企業と、農地を奪われる形となる農民との間でデモや衝突が起こっている[28]。以下に一例を挙げる。
●タタ・モーターズ - タタ・ナノの生産工場を巡り対立。
●ポスコ - オリッサ州で製鉄所建設を巡り3年間対立︵2008年時点︶[28]。
[編集] 交通
[編集] 道路
イギリス領だった影響から、左側通行である。
高速道路などは計画・建設中の段階である。デリー・コルカタ・チェンナイ・ムンバイを結ぶ延長約5800kmの道路︵通称﹁黄金の四角形﹂︶が2006年中に完成した。また、国内を東西方向・南北方向に結ぶ+型の延長約7300kmの道路︵通称﹁東西南北回廊﹂︶も2007年末に完成する予定である。これらの高速道路は通行料金(Toll)が必要な有料道路(Toll way)であり、所々に料金所があるが、一般道と完全に分離しているわけではない。大都市では片道3車線以上で立体交差であるが、数十km郊外に行けば片道2車線で一般道と平面交差し、近所の馬車や自転車も走る。これ以外の道路も舗装はされているが、メンテナンスが十分でなく路面は凸凹が多い。
[編集] 鉄道
詳細は﹁インドの鉄道﹂を参照
現在では鉄道が移動の主体となっている。貧富の差が激しいのにあわせて、使う乗物によってかかる費用が大きく違う。例︶ムンバイ、デリー間。飛行機の外国人料金: 6000ルピー。二等の寝台: 400ルピー。また日本の新幹線を基にした高速鉄道や貨物鉄道も計画されている。
[編集] 航空
かつて旅客機は一部の富裕層でしか使われていなかったが、2000年代に入り国内大手資本により格安航空会社が多数設立され、それに併せて航空運賃が下がったこともあり中流階級層を中心に利用者が増加している。
航空会社としては以下のものがある。
●エア・インディア︵国営のフラッグ・キャリア︶
●キングフィッシャー航空
●ジェットエアウェイズ
●スパイスジェット︵格安航空会社︶
●ジェットライト︵格安航空会社︶
●IndiGo︵格安航空会社︶
●GoAir
●Paramount Airways
首都・ニューデリーにはインディラ・ガンディー国際空港がある。その他の空港についてはインドの空港の一覧を参照。
[編集] 人口
2007年の人口は1,131,043,000人。2011年の人口は12億1,000万人以上で人口増加率17.64%。インドの人口は1950年以降、毎年1,000万~1,500万人の勢いで増加し続け、2005年には11億人を突破した。国連の予測では今後もこのペースで増加し、2030年代に中華人民共和国を追い抜く可能性が高い。中華人民共和国が一人っ子政策を見直さない限り2030年代で人口が頭打ちになるのと比べ驚異的な伸びといえる。ただし2030年代以降は毎年500~700万人増と人口増加はやや鈍化する。とはいえ2050年には16億人近くに達し、その後も増加し続け、2100年には18億人近くになるというのが大方の専門家の見方だ。またインドは人口構成が若いのが特徴で、2000年の中位年齢は23歳、2050年でも38歳と言われている[誰によって?]。
インドの人口の推移と予測
| 年 |
人口(万人) |
増加率 (%) |
| 1950 |
3億5756 |
× |
| 1960 |
4億4234 |
2.2 |
| 1970 |
5億5491 |
2.3 |
| 1980 |
6億8885 |
2.2 |
| 1990 |
8億4641 |
2.1 |
| 2000 |
10億0169 |
1.9 |
| 2005 |
11億0337 |
× |
| 2007 |
11億3104 |
× |
| 2010 |
11億7380 |
1.4 |
| 2020 |
13億1221 |
1.1 |
| 2030 |
14億1657 |
0.8 |
| 2040 |
14億8571 |
0.5 |
| 2050 |
15億9000 |
0.3 |
| 2100 |
17億9000 |
0.3 |
インド全体の人口増加率は、1971年から2001年まで、2%台から1%台の1.97%に落ちた[29]。
[編集] 国民
パンジャーブ地方に暮らす一部の民族は、起源をヨーロッパのロマ︵ジプシー︶と同じにする。そのほか、民族によって服装や生活様式の違いがはっきりと分かれていることが多い。またロマは先住民のドラヴィダ人ではないかという説も浮上している。
[編集] 人種・民族
現在のインド人は先住民のドラヴィダ人と中央アジア方面からやってきたアーリア人との混血であるといわれている。Y染色体やMtDNAの研究結果によると、インド人の大半は南アジア固有のハプログループを有している。[30][31]。
ミャンマーと国境が接している北東部は、チベット・ビルマ語族の民族がいる。
[編集] 印僑
印僑は華僑・ユダヤ人・アルメニア人に並ぶ世界四大移民集団で、海外で成功を収めている。大英帝国の植民地時代から世界各国の国へ移民し、特にイギリスの支配下であった英語圏に圧倒的に多いのが特徴である。
1500万人とも言われる[誰によって?]膨大な数の在外インド人︵NRI=印僑︶は世界中に移住しており、その中の一部はインドへの投資も積極的である。
[編集] 言語
詳細は﹁インドの言語﹂、﹁インドの公用語の一覧﹂、および﹁インドの言語の話者数一覧﹂を参照
インドはヒンディー語を連邦公用語とする。ヒンディー語圏以外では各地方の言語が日常的に話されている。インドで最も多くの人に日常話されている言葉はヒンディー語で、約4億人の話者がいると言われ、インドの人口の約40%を占める。方言を含むと800種類以上の言語が話されているインドでは、地域が異なればインド人同士でも意思疎通ができない場合がある。植民地時代に家では英語だけで子供を育てたことなどから、英語しか話せない人もいる。しかし一方で、地域や階級によっては英語がまったく通じないこともしばしばである。1991年の国勢調査によると、178,598人︵調査対象者の0.021%︶が英語を母語にしており、9000万人以上︵同11%︶が英語を第一、第二、ないし第三の言語として話すとしている。インド社会は国内コミュニケーションの必要上から第二公用語の英語を非常に重視しており、結果として国民の英語能力は総じて高い。インドの大学では全て英語で講義を受けるため、インド人留学生にとって、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどの英語圏が留学先として圧倒的に人気が高いのである。
インド憲法には1950年の憲法施行後15年で英語を公用語から除外するとしている。現在、憲法はヒンディー語で翻訳され、正文とされているが、現実には15年を経過しても英語を除外することができず、公用語法において英語の使用を無期限延長することとしている。ただし英語離れとでも言うべき動きは進んでおり、すでにボンベイ、カルカッタ、マドラスという大都市さえも、それぞれムンバイ、コルカタ、チェンナイという現地語の名称へと公式に改められた。こうした傾向はインド国内でのナショナリズムの拡大・浸透が続く限り進むものと見られるが、連邦公用語のヒンディー語は未だ全国に浸透していない。特にインド南部タミル・ナードゥ州などではヒンディー語を連邦公用語とすることへの反発が強い。
インドの言語は北部のインド・ヨーロッパ語族インド語派と南部のドラヴィダ語族に大きく分かれる。ドラヴィダ語族の言語は主に南部のアーンドラ・プラデーシュ州、カルナータカ州、ケーララ州、タミル・ナードゥ州で話され、それ以外の地域がインド・ヨーロッパ語族に含まれる。この様に北部と南部とで言語が大きく異なっているため、インド・ヨーロッパ語族に含まれるヒンディー語がドラヴィダ語族の人々への浸透の遅れる原因ともなっている。
1980年代以降のヒンドゥー・ナショナリズムの高まりと共に、サンスクリットを公用語にしようという動きも一部で高まっている。もともと中世以前においてはインド圏の共通語であったと考えられているサンスクリットは、各地方語の力が強まりその役割が果たされなくなった後も、上位カーストであるブラフミンの間では基礎教養として身に付けられてきたという経緯がある。しかし古い言語であるだけに、現在︵学者・研究者による会議の席上や特殊なコミュニティー等を除けば︶日常語として話している人はほとんど居らず、またその複雑さ故に同言語の学習に多年を要することなどもあり、実際の普及は滞っているのが現状である。
[編集] 公用語
祝日
| 日付 |
日本語表記 |
現地語表記 |
備考 |
| 1月26日 |
共和国記念日 |
Republic Day गणतंत्र दिवस |
1950年の憲法発布を祝う日 |
| 8月15日 |
独立記念日 |
Independence Day स्वतंत्रता दिवस |
1947年にイギリスから独立した日 |
| 10月2日 |
ガンディー生誕記念日 |
Gandhi Jayanti गांधी जयंती |
|
他に各州によって祝祭日が設けられている場合があり、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教の祭礼日がある。各企業では法律上の3日を含めて年間10日程度の休日を設けているが、どの日を休日にするかは一律でない。またヒンドゥー教に由来する祭日は太陽暦ではなく、インド特有の太陰太陽暦に基づいており、太陽暦上では2週間程度前後する。各地域で休日とされる日程のうち太陽暦に準拠する日は3回。
太陰太陽暦に基づく祝日
祝日
| 日付 |
日本語表記 |
現地語表記 |
備考 |
| 1月 |
ポンガル(タミル・ナードゥ州など南部)/マカラ・サンクラーンティ(主に北インド全般) |
Pongal பொங்கல்/Makara Sankranti मकर संक्रांति |
冬至の時期に行われる収穫祭。 |
| 3月 |
ホーリー |
Holi होली |
インド3大祭りに上げられる春祭り |
| 4月 |
ラーマ降誕祭 |
Ramnavmi रामनवमी |
ラーマ神の誕生日を祝う |
| 7~8月 |
ラクシャー・バンダン |
Raksha Bandhan रक्षाबंधन |
女性が兄弟の手首に飾り紐を巻きつけて加護を願う祭り |
| 8月 |
クリシュナ・ジャナマーシュタミー |
Krishna Janamashtami कृष्ण जन्माष्टमी |
クリシュナ神誕生日、北インドで盛大な祭り |
| 8~9月 |
ガネーシャ祭 |
Ganesh Chaturthi गणेश चतुर्थी |
西部のマハーラーシュトラ州で盛んな祭り。 |
| 10月 |
ダシャーラー |
Dassera दशहरा |
インド3大祭りの一つ、ラーマ王子が悪魔に打ち勝った日を祝う |
| 10~11月 |
ディーワーリー |
Diwali दीवाली |
インド3大祭りの一つ、富と幸福の女神ラクシュミーを祭る |
| 11月 |
グル・ナーナク生誕祭 |
Guru Nanak Jayanti गुरु नानक जयंती |
シク教の開祖グル・ナーナクの誕生日 |
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
 |
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