タレス
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[編集] 概要
ソクラテス以前の哲学者の一人で、西洋哲学において、古代ギリシアに現れた記録に残る最古の︵自然︶哲学者であり、イオニアに発したミレトス学派の始祖である。また、ギリシャ七賢人の一人とされる。
古代ギリシア語の母音の長短を考慮した表記は﹁タレース﹂である。ソクラテス以前の哲学者の全てがそうであるように、タレス自身が直接書いた著作・記録は残っておらず、古代の著作・記録でタレスに言及したもの︵断片、特にディオゲネス・ラエルティオスによる︶から、その思想を推察することしかできない。
タレスはフェニキア人のテリダイ一族の名門の家系から生まれた。政治活動に従事したのち自然の研究に携わるようになる。彼は多才な人物であったが、特に測量術や天文学に通じており、ヘロドトスによればその知識を用いて日食を予言したといわれている。これは天文学上の計算から紀元前585年5月28日と考えられる。また地に落ちた影と自分の身長とを比較して、ピラミッドの高さを測定したとも言われている。
彼の活動したイオニアは小アジア、エーゲ海沿岸に位置し、ホメロスの活動した土地でもある。イオニアは地理的に東方と西方文化の十字路に位置しており、エジプトやバビロンの数学や自然科学も流入していたと考えられ、そうした文化的素地がタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスらのミレトス学派が発生する母胎となったと考えられている。
彼が﹁最初の哲学者﹂とよばれる由縁は、それまでは神話的説明がなされていたこの世界の起源について、合理的説明をはじめて試みた人だという点にある。すなわち彼は万物の根源︵アルケー︶を水と考え、存在する全てのものがそれから生成し、それへと消滅していくものだと考えた。そして大地は水の上に浮かんでいるとした。世界は水からなり、そして水に帰るという説を唱えたのだった。
体育競技を観戦していて、炎熱と渇き、また老齢による衰弱によって死亡したとされる。
[編集] ターレスの定理
一般の人によく知られているのは哲学よりも、中学校の数学の教科書に必ず出てくるターレスの定理であろう。これは﹁半円の弧に対する円周角は直角である﹂という定理である。ターレス自身が円周上の点と円の中心を結び、2つの二等辺三角形を作ってこの定理を証明したために、この名前がついたという。ちなみに﹁ターレスの定理﹂とよばれるものは5つある。[編集] 逸話
●貧乏のゆえに哲学は何の役にも立たぬものであると非難されたタレスは、次のオリーブの収穫が豊作であろうことを天文学から知り、まだ冬の間にミレトス︵小アジアの西︶、キオス︵ミレトス沖の島︶の全てのオリーブの圧搾機械を借り占めておいた。すると、収穫の時期が来たときに多くの人が彼に機械を貸し出すことを要求したので、莫大な利益を得ることになった。こうしてタレスは、彼が欲するなら金持ちになることは可能であるが、そのようなことは彼の関心にないことを示したという。 ●母親が彼にむりやり妻を娶らせようとしたとき、﹁まだその時ではない﹂と彼は答えた。その後、盛りを過ぎてから迫ると﹁もうその時ではない﹂と答えた。 ●プラトンが伝える有名な逸話に、夜空を見上げ天文の観察に夢中になるあまり、溝︵あるいは穴︶に落ちてしまった、というものがある。傍にいた女性︵若い女性とも老婆とも言われる︶に、学者というものは遠い星の事はわかっても自分の足元の事はわからないのか、と笑われたという。 ●ある日、彼がロバの背に塩を積んで市場に売りに行く途中、川を渡る時にロバがつまずいて転び、塩は川に溶けて流れてしまった。翌日も同様に塩を積んで市場へ向かったが、川を渡る時にロバはまたつまずいた。ロバは川でつまずくと荷が軽くなる事を覚え、わざとつまずいたのだった。一計を案じたタレスはその翌日、ロバの背に海綿を積んで市場へ向かった。今度もロバはつまずいたが、海綿は水を吸って重くなった。それ以後、ロバがつまずく事はなくなったという。[編集] 参考文献
●日下部吉信﹃初期ギリシア自然哲学者断片集1﹄︵筑摩書房︶ ISBN 4480085963 ●ディオゲネス・ラエルティオス﹃ギリシア哲学者列伝︵上︶﹄岩波文庫︵岩波書店︶ ISBN 400336631X[編集] 外部リンク
●﹁Thales of Miletus﹂ - インターネット哲学百科事典にある﹁タレス﹂についての項目。︵英語︶
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