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画像を組み入れる際は、次のように注記してください。
…官庁のイレモノは立派にと、当時の伊藤政府が心をくだいて打建て
た記念物で、これがコンドル博士の設計に成るものである。<br /
>
<img class="illustration" width=
"320" height="322" src="fig47728
_06.png" alt="コンドル博士の図" /><br />
――その後はどうなつたらうか。東京のかう壊れない前は、浜町公園
に行くと、園内に誰しも何だらう?と思ふ、西洋のお宮のやうな、一基
の建てものがあつた。これが、さゝやかながらコンドル博士を記念した
﹁堂宇﹂といへばいへたやうなもので、諸方のコンドルさんが手がけた
建築物の遺品をあつめて作つたものだつた。ああその遺品さへも、今は
現にこの東京で、手に入り難い。<br />
…何分にも時間がなく、前から頼んで置いた恩納村の人々は、定めし
踊りを見せようと待つてゐられることゝ氣がせかれるので、詳しい調査
は、一度島田君にでも來てもらつてすることにして、二時頃名護に引き
かへす。<br />
<img class="illustration" width=
"564" height="424" src="fig4990_
07.png" alt="﹁第一七圖 國頭郡今歸仁村今泊阿應理惠
按司勾玉﹂のキャプション付きの図" /><br />
<span class="caption">第一七圖 國頭郡今歸
仁村今泊阿應理惠按司勾玉</span><br />
<span class="caption">神戸港頭の袂別</
span>
キャプションは、図版注記の次行に書き入れ、1行あけてから、本文を再開してください。
…私も彼らが涙を<ruby><rb>溢</rb><rp>︵</
rp><rt>こぼ</rt><rp>︶</rp></ruby>す
と共に喜びの涙を溢しました。その翌日余り高くない波動状の山脈を五
里ばかり進んで参りますと遙かの向うのマンリーという雪峰が<rub
y><rb>聳</rb><rp>︵</rp><rt>そび</rt
><rp>︶</rp></ruby>えて居る。これは海面を抜くこ
と<br />
<img class="illustration" width=
"453" height="350" src="fig49966
_15.png" alt="﹁阿耨達池とカイラス雪峰﹂のキャプショ
ン付きの図" /><br />
<span class="caption">阿耨達池とカイラス雪
峰</span><br />
<br />
<h5 class="mado-ko-midashi"><a c
lass="midashi_anchor" id="midash
i1307">二万五千六百<ruby><rb>尺</rb><rp
>︵</rp><rt>︹呎︺</rt><rp>︶</rp></r
uby>の雪峰</a></h5> であって<ruby><rb>巍
然</rb><rp>︵</rp><rt>ぎぜん</rt><rp>
︶</rp></ruby>として波動状の山々の上に聳えて居る様は
いかにも素晴らしい。その辺へ着きますと<ruby><rb>閃々<
/rb><rp>︵</rp><rt>せんせん</rt><rp>︶
</rp></ruby>と電光が輝き渡り<ruby><rb>迅雷
</rb><rp>︵</rp><rt>じんらい</rt><rp>
︶</rp></ruby><ruby><rb>轟々</rb><r
p>︵</rp><rt>ごうごう</rt><rp>︶</rp><
/ruby>と耳を<ruby><rb>劈</rb><rp>︵</
rp><rt>つんざ</rt><rp>︶</rp></ruby>
くばかり。…<br />
<span class="caption">アケビ︵Akebi
a quinata <span class="shatai">
Decne</span>.︶の果実</span>
ほとんどの場合、キャプションは横組みで添えられていますが、その際も、横組み注記を併用する必要はありません。
キャプション中に改行がある場合は、次のように注記してください。
…引用することは必ずしも無駄ではなかろう。<br />
<img class="illustration" width=
"360" height="507" src="fig52468
_15.png" alt="﹁第3図﹃雪華図説﹄図版第十面﹂のキャ
プション付きの図" /><br />
<div class="caption">
第3図﹃雪華図説﹄図版第十面<br />
本図は加納一郎氏所蔵原本より複写したもので,貴重な原本を貸与さ
れた同氏の厚志を謝す.なお文久二年大槻磐渓の重刻本もただ一箇順序
のちがったものがあるが,図は原本と同じものである.<br />
</div>