一
定さだめし今いま時じぶ分んは閑ひ散まだらうと、其その閑ひ散まを狙ねらつて來きて見みると案あん外ぐわいさうでもなかつた。殊ことに自じぶ分んの投とう宿しゆくした中なか西にし屋やといふは部へや室か數ずも三十近ぢかくあつて湯ゆヶ原はら温をん泉せんでは第だい一といはれて居ゐながら而しかも空あき室まはイクラもない程ほどの繁はん盛じやうであつた。少すこし當あては違ちがつたが先まづ〳〵繁はん盛じやうに越こした事ことなしと斷あき念らめて自じぶ分んは豫よさ想うぐ外わいの室へやに入はひつた。
元ぐわ來んらい自じぶ分んは大だいの無ぶし性やう者ものにて思おもひ立たつた旅りよ行かうもなか〳〵實じつ行かうしないのが今こん度どといふ今こん度どは友いう人じんや家かぞ族くの切せつなる勸くわ告んこくでヤツと出で掛かけることになつたのである。﹃其そ處こに骨ほねの人ひと行ゆく﹄といふ文もん句くそれ自じし身んがふら〳〵と新しん宿じゆくの停てい車しや場ぢやうに着ついたのは六月二十日の午ごぜ前ん何時であつたか忘わすれた。兔とも角かく、一ひと汽きし車や乘のり遲おくれたのである。
同つ伴れ者は親しん類るゐの義おつ母かさんであつた。此この人ひとは途とち中ゆう萬ばん事じ自じぶ分んの世せ話わを燒やいて、病びや人うにんなる自じぶ分んを湯ゆヶ原はらまで送おくり屆とゞける役やくを持もつて居ゐたのである。
﹃どうせ待まつなら品しな川がはで待まちましようか、同おなじことでも前さ程きへ行いつて居ゐる方はうが氣きも持ちが可いいから﹄
と自じぶ分んがいふと
﹃ハア、如ど何うでも。﹄
其そ處こで國こ府ふ津づまでの切きつ符ぷを買かひ、品しな川がはまで行ゆき、其そのプラツトホームで一時じか間ん以いじ上やうも待まつことゝなつた。十一時じご頃ろから熱ねつが出でて來きたので自じぶ分んはプラツトホームの眞まん中なかに設まうけある四方はう硝がら子すば張りの待まち合あひ室しつに入はひつて小ちひさくなつて居ゐると呑のん氣きなる義おつ母かさんはそんな事こととは少すこしも御ごぞ存ん知じなく待まち合あひ室しつを出でて見みたり入はひつて見みたり、煙たば草こを喫すつて見みたり、自じぶ分んが折をり折り話はなしかけても只ただ﹃ハア﹄﹃そう﹄と答こたへらるゝだけで、沈ちん々〳〵默もく々〳〵、空くう々〳〵漠ばく々〳〵、三日でも斯かうして待まちますよといはぬ計ばかり、悠いう然ぜん、泰たい然ぜん、茫ばう然ぜん、呆ぼう然ぜんたるものであつた。其その中うち漸やうやく神かう戸べ行ゆきが新しん橋ばしから來きた。特とくに國こ府ふ津づ止どまりの箱はこが三四輛りやう連れん結けつしてあるので紅あか帽ばうの注ちゆ意ういを幸さいはひにそれに乘のり込こむと果はたして同どう乘じよ者うしやは老らう人じん夫ふう婦ふきりで頗すこぶる空すいて居ゐた、待まち疲くたびれたのと、熱ねつの出でたのとで少すくなからず弱よわつて居ゐる身から體だをドツかと投なげ下おろすと眼がグラついて思おもはずのめりさうにした。
前ぜん夜やの雨あめが晴はれて空そらは薄うす雲ぐもの隙あひ間まから日ひか影げが洩もれては居ゐるものゝ梅つ雨ゆ季どきは爭あらそはれず、天てん際さいは重おもい雨あま雲ぐもが被おほりママ重かさなつて居ゐた。汽きし車やは御ごて丁いね寧いに各かく驛えきを拾ひろつてゆく。
﹃義おつ母かさん此こ處ゝは梅うめで名なだ高かひ蒲かま田たですね。﹄
﹃そう?﹄
﹃義おつ母かさん田たう植ゑが盛さかんですね。﹄
﹃そうね。﹄
﹃御ごら覽んなさい、眞まつ紅かな帶おびを結しめて居ゐる娘むすめも居ゐますよ。﹄
﹃そうね。﹄
﹃義おつ母かさん川かは崎さきへ着つきました。﹄
﹃そうね。﹄
﹃義おつ母かさんお大だい師しさ樣まへ何なん度どお參まゐりになりました。﹄
﹃何なん度どですか。﹄
これでは何どつ方ちが病びや人うにんか分わからなくなつた。自じぶ分んも斷あき念らめて眼めをふさいだ。
二
トロリとした間まに鶴つる見みも神かな奈が川はも過すぎて平ひら沼ぬまで眼めが覺さめた。僅わづかの假うた寢ゝねではあるが、それでも氣きぶ分んがサツパリして多いく少らか元げん氣きが附ついたので懲こりずまに義おつ母かさんに
﹃横よこ濱はまに寄よらないだけ未まだ可よう御ご座ざいますね。﹄
﹃ハア。﹄
是ぜ非ひもないことゝ自じぶ分んも斷あき念らめて咽いん喉こう疾しつには大たい敵てきと知しりながら煙たば草こを喫すい初はじめた。老らう人じん夫ふう婦ふは頻しきりと話はなして居ゐる。而しかもこれは婦をんなの方はうから種しゆ々〴〵の問もん題だいを持もち出だして居ゐるやうだそして多いく少らか煩うるさいといふ氣き味みで男をとこはそれに説せつ明めいを與あたへて居ゐたが隨ずゐ分ぶん丁てい寧ねいな者もので決けつして﹃ハア﹄﹃そう﹄の比ひではない。
若もし或ある人ひとが義おつ母かさんの脊うし後ろから其その脊せな中かをトンと叩たゝいて﹃義おつ母かさん!﹄と叫さけんだら﹃オヽ﹄と驚おどろいて四あた邊りをきよろ〳〵見みま廻はして初はじめて自じぶ分んが汽きし車やの中なかに在あること、旅りよ行かうしつゝあることに氣きが附つくだらう。全ぜん體たい旅たびをしながら何なに物ものをも見みず、見みても何なん等らの感かん興きようも起おこさず、起おこしても其それを折せつ角かくの同つ伴れ者と語かたり合あつて更さらに興きようを増ますこともしないなら、初はじめから其その人ひとは旅たびの面おも白しろみを知しらないのだ、など自じぶ分んは獨ひとり腹はらの中なかで愚ぐ痴ちつて居ゐると
﹃あれは何なんでしよう、そら彼あの山やまの頂てつ邊ぺんの三角かくの家うちのやうなもの。﹄
﹃どれだ。﹄
﹃そら彼あの山やまの頂てつ邊ぺんの、そら……。﹄
﹃どの山やまだ﹄
﹃そら彼あの山やまですよ。﹄
﹃どれだよ。﹄
﹃まア貴あな下たあれが見みえないの。アゝ最も早う見みえなくなつた。﹄と老らう婦ふじ人んは殘ざん念ねんさうに舌した打うちをした。義おつ母かさんは一ちよ寸つと其その方はうを見みたばかり此この時とき自じぶ分んは思おもつた義おつ母かさんよりか老らう婦ふじ人んの方はうが幸しあ福はせだと。
そこで自じぶ分んは﹃對たい話わ﹄といふことに就ついて考かんがへ初はじめた、大おほ袈げ裟さに言いへば﹃對たい話わて哲つが學く﹄又またの名なを﹃お喋しや舌べり哲てつ學がく﹄に就ついて。
自じぶ分んは先まづ劈へき頭とう第だい一に﹃喋しや舌べる事ことの出で來きない者ものは大おほ馬ば鹿かである﹄
三
﹃喋しや舌べることの出で來きないのを稱しようして大おほ馬ば鹿かだといふは餘あまり殘ひ酷どいかも知しれないが、少すくなくとも喋しや舌べらないことを以もつて甚ひどく自じぶ分んで豪えらがる者ものは馬ばか鹿も者のの骨こつ頂ちやうと言いつて可よろしい而そして此この種しゆの馬ばか鹿も者のを今いまの世よにチヨイ〳〵見み受うけるにママは情なさけない次しだ第いである。﹄
﹃旅たびは道みち連づれ、世よは情なさけといふが、世よは情なさけであらうと無なからうと別べつ問もん題だいとして旅たびの道みち連づれは難あり有がたい、マサカ獨ひとりでは喋しや舌べれないが二ふた人りなら對あひ手てが泥どろ棒ぼうであつても喋しや舌べりながら歩あるくことが出で來きる。﹄など、それからそれと考かんがへて居ゐるうち又また眠ねむくなつて來きた。
睡ねむ眠りは安あん息そくだ。自じぶ分んは眠ねむることが何なにより好すきである。けれど爲しようことなしに眠ねむるのはあたら一生しや涯うがいの一部ぶゝ分んをたゞで失なくすやうな氣がして頗すこぶる不ふゆ愉くわ快いに感かんずる、處ところが今いまの場ばあ合ひ、如いか何んとも爲しがたい、眼めの閉とづるに任まかして置おいた。
﹇#改行天付きはママ﹈幾い分く位ら眠ねむつたか知しらぬが夢ゆめ現うつゝの中うちに次つぎのやうな談はな話しが途と斷ぎれ〳〵に耳みゝに入はひる。
﹃貴あな方たお腹なかが空すきましたか。﹄
﹃……甚ひどく空すいた。﹄
﹃私わたしも大たい變へん空すきました。大おほ船ふなでお辨べんを買かひましよう。﹄
成なる程ほどこんな談はなしを聞きいて見みると腹はらが空すいたやうでもある。まして沈ちん默もく家かの特とく長ちやうとして義おつ母かさんも必きつ定とさうだらうと、
﹃義おつ母かさんお腹なかが空すきましたらう。﹄
﹃イヽエ、そうでも有ありませんよ。﹄
﹃大おほ船ふなへ着ついたら何なにか食たべましよう。﹄
﹃今こん度どが大おほ船ふなですか。﹄
﹃私わたしは眠ねて居ゐたから能よく分わかりませんが、﹄と言ひながら外そ景とを見みると丘きう山ざん樹じゆ林りんの容かた樣ちが正まさにそれなので
﹃エヽ、最も早う直すぐ大おほ船ふなです。﹄
﹃大たい變へん早はやいこと!﹄
四
大おほ船ふなに着つくや老とし夫より婦ふうふが逸いち早はやく押おしずしと辨べん當たうを買かひこんだのを見みて自じぶ分んも其その眞ま似ねをして同おなじものを求もとめた。頸くび筋すぢは豚ぶたに似にて聲こゑまでが其それらしい老らう人じんは辨べん當たうをむしやつき、少すこし上かみ方がた辯べんを混まぜた五十幾いく歳さい位ぐらゐの老らう婦ふじ人んはすしを頬ほゝ張ばりはじめた。
自じぶ分んは先まづ押おしずしなるものを一つ摘つまんで見みたが酢すが利きき過すぎてとても喰くへぬのでお止やめにして更さらに辨べん當たうの一隅ぐうに箸はしを着つけて見みたがポロ〳〵飯めしで病びや人うにんに大だい毒どくと悟さとり、これも御ごめ免んを被かうむり、元ぐわ來んらい小せう食しよくの自じぶ分ん、別べつに苦くにもならず總すべてを義おつ母かさんにお任まかせして茶ちやばかり飮のんで内ない心しん一の悔くいを懷いだきながら老とし人より夫ふう婦ふをそれとなく觀くわ察んさつして居ゐた。
﹃何な故ぜ﹁ビールに正まさ宗むね……﹂の其その何いづれかを買かひ入いれなかつたらう﹄といふが一ひとつの悔くいである。大おほ船ふなを發はつして了しまへば最も早う國こ府ふ津づへ着つくのを待まつ外ほか、途とち中ゆう何なにも得うることは出で來きないと思おもふと、淺あさ間ましい事ことには猶なほ殘ざん念ねんで堪たまらない。
﹃酒さけを買かへば可よかつた。惜をしいことを爲した﹄
﹃ほんとに、さうでしたねえ﹄と誰だれか合あひ槌づちを打うつて呉くれた、と思おもふと大おほ違ちがひの眞まん中なか。義おつ母かさんは今いましも下したを向むいて蒲かま鉾ぼこを食くひ欠かいで居をらるゝ所ところであつた。
大おほ磯いそ近ちかくなつて漸やつと諸しよ君くんの晝ちう飯はんが了をはり、自じぶ分んは二個この空あき箱ばこの一ひとつには笹さゝ葉つぱが殘のこり一には煮にざ肴かなの汁しるの痕あとだけが殘のこつて居ゐる奴やつをかたづけて腰こし掛かけの下したに押おし込こみ、老らう婦ふじ人んは三個この空あき箱ばこを丁てい寧ねいに重かさねて、傍かたはらの風ふろ呂しき敷づつ包みを引ひき寄よせ其それに包つゝんで了しまつた。最もつとも左さ樣うする前まへに老らう人じんと小こゞ聲ゑで一ちよ寸つと相さう談だんがあつたらしく、金かね貸かしらしい老らう人じんは﹃勿もち論ろんのこと﹄と言いひたげな樣やう子すを首くびの振ふり方かたで見みせてたのであつた。
此この二ふたつの悲ひげ劇きが終をわつて彼かれ是これする中うち、大おほ磯いそへ着つくと女ぢよ中ちゆうが三人にんばかり老とし人より夫ふう婦ふを出でむ迎かへに出でて居ゐて、其その一ひと人りが窓まどから渡わたした包つゝみを大だい事じさうに受うけ取とつた。其その中なかには空から虚つぽの折を箱りも三ツ入はひつて居ゐるのである。
汽きし車やが大おほ磯いそを出でると直すぐ︵吾われ等ら二ふた人りぎりになつたので︶
﹃義おつ母かさん今いまの連れん中ちゆふは何なに者ものでしよう。﹄
﹃今いまのツて何なに?﹄
﹃今いま大おほ磯いそへ下おりた二ふた人りです。﹄
﹃さうねえ﹄
﹃必きつ定と金かね貸かしか何なんかですよ。﹄
﹃さうですかね﹄
﹃でなくても左さ樣う見みえますね﹄
﹃婆ばあ樣さんは上かみ方がた者ものですよ、ツルリンとした顏かほの何どつ處かに﹁間まぬ拔けの狡かう猾くわつ﹂とでも言いつたやうな所ところがあつて、ペチヤクリ〳〵老ぢい爺さんの氣きげ嫌んを取とつて居ゐましたね。﹄
﹃さうでしたか﹄
﹃妾めかけの古ふる手てかも知しれない。﹄
﹃貴あな君たも隨ずゐ分ぶん口くちが惡わるいね﹄とか何なんとか義おつ母かさんが言いつて呉くれると、益ます々〳〵惡あく口こう雜ざふ言ごんの眞しん價かを發はつ揮きするのだけれども、自じぶ分んのは合あい憎にく甘うまい言ことをトン〳〵拍びや子うしで言いひ合あふやうな對あひ手てでないから、間まの拔ぬけるのも是ぜ非ひがない。
五
箱はこ根ね、伊い豆づの方はう面めんへ旅りよ行かうする者ものは國こ府ふ津づまで來くると最もは早や目もく的てき地ちの傍そばまで着つゐた氣きがして心こゝろも勇いさむのが常つねであるが、自じぶ分ん等ら二ふた人りは全まる然でそんな樣やう子すもなかつた。不い好やな處ところへいや〳〵ながら出でかけて行ゆくのかと怪あやしまるゝばかり不ふし承よう無ぶし承ようにプラツトホームを出でて、紅あか帽ばうに案あん内ないされて兔とも角かくも茶ちや屋ゝに入はひつた。義おつ母かさんは兔うさぎにつまゝらママれたやうな顏かほつきをして、自じぶ分んは狼おほかみにつまゝらママれたやうにママ顏かほをして︵多たぶ分ん他ほかから見みると其そん樣な顏かほであつたらうと思おもふ︶﹃やれ〳〵﹄とも﹃先まづ〳〵﹄とも何なんとも言いはず女ぢよ中ちゆうのすゝめる椅い子すに腰こしを下おろした。
自じぶ分んは義おつ母かさんに﹃これから何ど處こへ行ゆくのです﹄と問とひたい位くらゐであつた。最も早う我がま慢んが仕しきれなくなつたので、義おつ母かさんが一ちよ寸つと立たつて用ようたしに行いつた間まに正まさ宗むねを命めいじて、コツプであほつた。義おつ母かさんの來きた時ときは最も早うコツプも空あき壜びんも無ない。
思おもひきや此この藝げい當たうを見みながら
﹃ヤア、これは珍めづらしい處ところで﹄と景けい氣きよく聲こゑをかけて入はひつて來きた者ものがある。
可かは愛いさうに景けい氣きのよい聲こゑ、肺はい臟ざうから出でる聲こゑを聞きいたのは十年ねんぶりのやうな氣きがして、自じぶ分んは思おもはず立たち上あがつた。見みれば友いう人じんMエム君くんである。
﹃何ど處こへ?﹄彼かれは問とふた。
﹃湯ゆヶ原はらへ行ゆく積つもりで出でて來きたのだ。﹄
﹃湯ゆヶ原はらか。湯ゆヶ原はらも可いいが此この頃ごろの天てん氣きじやアうんざりするナア﹄
﹃君きみは如ど何うしたのだ。﹄
﹃僕ぼくは四五日前まへから小をだ田は原らの友いう人じんの宅うちへ遊あそびに行いつて居ゐたのだが、雨あめばかりで閉へい口かうしたから、これから歸かへ京らうと思おもふんだ。﹄
﹃湯ゆヶ原はらへ行ゆき玉たまへ。﹄
﹃御ごめ免ん、御ごめ免ん、最も早う飽あき〳〵した。﹄
平へい凡ぼんな會くわ話いわじやアないか。平ふだ常んなら當あた然りまへの挨あい拶さつだ。併しかし自じぶ分んは友ともと別わかれて電でん車しやに乘のつた後あとでも氣きも持ちがすが〳〵して清せい涼りや劑うざいを飮のんだやうな氣きがした。おまけに先さつ刻きの手てば早やき藝げい當たうが其その效きゝ果めを現あらはして來きたので、自じぶ分んは自じぶ分んと腹はらが定きまり、車しや窓さうから雲うん霧むに埋うもれた山やま々〳〵を眺ながめ
﹃走はしれ走はしれ電でん車しや、﹄
圓ゑん太たら郎うば馬し車やのやうに喇らつ叭ぱを吹ふいて呉くれると更さらに妙めうだと思おもつた。
六
小をだ田は原らは街まちまで長ながい其その入いり口ぐちまで來くると細こさ雨めが降ふりだしたが、それも降ふりみ降ふらずみたいした事こともなく人じん車しや鐵てつ道だうの發はつ車しや點てんへ着ついたのが午ご後ゝの何なん時じ。半はん時じか間ん以いじ上やう待またねば人じん車しやが出でないと聞きいて茶ちや屋ゝへ上あがり今こん度どは大おほぴらで一本ぽん命めいじて空くう腹ふくへ刺さし身みを少すこしばかり入いれて見みたが、惡わる酒ざけなるが故ゆゑのみならず元ぐわ來んらい八度ど以いじ上やうの熱ねつある病びや人うにん、甘う味まからう筈はずがない。悉こと〴〵くやめてごろり轉ころがるとがつかりして身から體だが解とけるやうな氣きがした。旅りよ行かうして旅や宿どに着ついて此このがつかりする味あぢは又また特とく別べつなもので、﹁疲ひら勞うの美び味み﹂とでも言いはうか、然しかし自じぶ分んの場ばあ合ひはそんなどころではなく病やまひが手てつ傳だつて居ゐるのだから鼻はなから出でる息いきの熱ねつを今いま更さらの如ごとく感かんじ、最も早はや身みう動ごきするのもいやになつた。
しかし時じか間んが來くれば動うごかぬわけにいかない只ただ人じん車しや鐵てつ道だうさへ終をはれば最も早う着つゐたも同どう樣やうと其それを力ちからに箱はこに入はひると中ちゆ等うとうは我われ等ら二ふた人りぎり廣ひろいのは難あり有がたいが二時じか間んは半んを無むご言んの行ぎやうは恐おそれ入いると思おもつて居ゐると、巡じゆ査んさが二ふた人り入はひつて來きた。
一ひと人りは張ちや飛うひの痩やせて弱よわくなつたやうな中ちゆ老うらうの人じん物ぶつ。一ひと人りは關くわ羽んうが鬚ひ髯げを剃そり落おとして退たい隱ゝんしたやうな中ちゆ老うらう以いじ上やうの人じん物ぶつ。
せた張ちや飛うひは眞まな鶴づる駐ちゆ在うざ所いしよに勤きん務むすること既すでに七八年ねん、齋さい藤とう巡じゆ査んさと稱しようし、退たい隱ゝんの關くわ羽んうは鈴すゞ木きじ巡ゆん査さといつて湯ゆヶ原はらに勤きん務むすること實じつに九年ねん以いじ上やうであるといふことは、後あとで解わかつたのである。
自じぶ分んの注ちゆ文うも通んどほり、喇らつ叭ぱの聲こゑで人じん車しやは小をだ田は原らを出た發つた。
七
自じぶ分んは如ど何ういふものかガタ馬ばし車やの喇らつ叭ぱが好すきだ。回くわ想いさうも聯れん想さうも皆みな面おも白しろい。春はるの野の路ぢをガタ馬ばし車やが走はしる、野のは菜なの花はなが咲さき亂みだれて居ゐる、フワリ〳〵と生なま温ぬるい風かぜが吹ふゐて花はなの香かほりが狹せまい窓まどから人ひとの面おもてを掠かすめる、此この時とき御ぎよ者しやが陽やう氣きな調てう子しで喇らつ叭ぱを吹ふきたてる。如い何くら嫁よめいびりの胡ごま麻し白ろ婆ばあさんでも此この時ときだけはのんびりして幾いく干らか善ぜん心しんに立たちかへるだらうと思おもはれる。夏なつも可よし、清せい明めいの季きせ節つに高テー地ブルランドの旦たん道だうを走はしる時ときなど更さらに可よし。
ところが小をだ田は原らから熱あた海みまでの人じん車しや鐵てつ道だうに此この喇叭がある。不ふゆ愉くわ快い千萬な此この交かう通つう機きく關わんに此この鳴なり物ものが附ついてる丈だけで如ど何うか興きようを助たすけて居ゐるとは兼かねて自じぶ分んの思おもつて居ゐたところである。
先まづ二臺だいの三等とう車しや、次つぎに二等とう車しやが一臺だい、此この三臺だいが一列れつになつてゴロ〳〵と停てい車しや場ぢやうを出でて、暫しば時らくは小をだ田は原らの場ばす末ゑの家いへ立なみの間あひだを上のぼりには人ひとが押おし下くだりには車くるまが走はしり、走はしる時ときは喇らつ叭ぱを吹ふいて進すゝんだ。
愈いよ平へい地ちを離はなれて山やま路ぢにかゝると、これからが初はじまりと言いつた調てう子しで張ちや飛うひ巡じゆ査んさは何ど處こからか煙きせ管ると煙たば草こい入れを出だしたがマツチがない。關くわ羽んうも持もつて居ゐない。これを見みた義おつ母かさんは徐おもむろに袖たもとから取とり出だして
﹃どうかお使つかひ下くださいまし。﹄
と丁てい寧ねいに言いつた。
﹃これは〳〵。如ど何うもマツチを忘わすれたといふやつは始しま末つにいかんもので。﹄
と巡じゆ査んさは一いつぷく點つ火けてマツチを義おつ母かさんに返かへすと義おつ母かさんは生き眞ま面じ目めな顏かほをして、それを受うけ取つて自じし身んも煙たば草こを喫すいはじめた。別べつに海かい洋やうの絶ぜつ景けいを眺ながめやうともせられない。
どんより曇くもつて折をり〳〵小こさ雨めさへ降ふる天てん氣きではあるが、風かぜが全まつたく無ないので、相さが摸みわ灣んの波靜しづかに太たい平へい洋やうの煙えん波ぱ夢ゆめのやうである。噴ふん煙えんこそ見みえないが大おほ島しまの影かげも朦もう朧ろうと浮うかんで居ゐる。
﹃義おつ母かさんどうです、佳いい景けし色きですね。﹄
﹃さうねえ。﹄
﹃向むかうに微かすかに見みえるのが大おほ島しまですよ。﹄
﹃さう?﹄
此この時とき二ふた人りの巡じゆ査んさは新しん聞ぶんを讀よんで居ゐた。關くわ羽んう巡じゆ査んさは眼めが鏡ねをかけて、人じん車しやは上のぼりだからゴロゴロと徐じよ行かうして居ゐた。
八
景けし色きは大おほきいが變へん化くわに乏とぼしいから初はじめての人ひとなら兔とも角かく、自じぶ分んは既すでに幾いく度たびか此この海うみと此この棧さん道だうに慣なれて居ゐるから強しひて眺ながめたくもない。義おつ母かさんが定さだめし珍めづらしがるだらうと思おもつて居ゐたのが、例れいの如ごとく簡かん單たんな御ごあ挨いさ拶つだけだから張はり合あひが拔ぬけて了しまつた。新しん聞ぶんは今け朝さ出でる前まへに讀よみ盡つくして了しまつたし、本ほんを讀よむ元げん氣きもなし、眠ねむくもなし、喋しや舌べる對あひ手てもなし、あくびも出でないし、さて斯かうなると空くう々〳〵然ぜん、漠ばく々〳〵然ぜん何いつ時しか義おつ母かさんの氣きが自じぶ分んに乘のり移うつつて血ちの流なが動れが次しだ第い々/々\にのろくなつて行ゆくやうな氣きがした。
江えの浦うらへ一時じは半んの間あひだは上のぼりであるが多たせ少うの高かう低ていはある。下くだりもある。喇らつ叭ぱも吹ふく、斯かくて棧さん道だうにかゝつてから第だい一の停てい留りう所じよに着ついた所ところの名なは忘わすれたが此こ處ゝで熱あた海みから來くる人じん車しやと入いりちがへるのである。
巡じゆ査んさは此こ處ゝで初はじめて新しん聞ぶんを手てば離なした。自じぶ分んはホツと呼い吸きをして我われに返かへつた。義おつ母かさんはウンともスンとも言いはれない。別べつに我われに返かへる必ひつ要えうもなく又また返かへるべき我われも持もつて居ゐられない
﹃此こ處ゝで又また暫しば時らく待またされるのか。﹄
と眞まな鶴づるの巡じゆ査んさ、則すなはち張ちや飛うひ巡じゆ査んさが言いつたので
﹃いつも此こ處ゝで待またされるのですか。﹄
と自じぶ分んは思おもはず問とふた。
﹃さうとも限かぎりませんが熱あた海みが遲おそくなると五分ふんや十分ぷん此こ處ゝで待またされるのです。﹄
壯さう丁ていは車くるまを離はなれて水みづを呑のむもあり、皆みな掛かけ茶ぢや屋ゝの縁えんに集あつまつて休やすんで居ゐた。此こ處ゝは谷たに間まに據よる一小せう村そんで急きふ斜しや面めんは茅くさ屋やが段だんを作つくつて叢むらがつて居ゐるらしい、車くるまを出でて見みないから能よくは解わからないが漁ぎよ村そんの小せうなる者もの、蜜みか柑んが山やまの産さん物ぶつらしい。人じん車しやの軌きだ道うは村むらの上じや端うたんを横よこぎつて居ゐる。
雨あめがポツ〳〵降ふつて居ゐる。自じぶ分んは山やまの手ての方はうをのみ見みて居ゐた。初はじめは何なに心ごころなく見みるともなしに見みて居ゐる内うちに、次しだ第いに今いま見みて居ゐる前ぜん面めんの光くわ景うけいは一幅ぷくの俳はい畫ぐわとなつて現あらはれて來きた。
九
軌レー道ルと直ちよ角くかくに細ほそ長ながい茅くさ葺ぶきの農のう家かが一軒けんある其その裏うらは直すぐ山やまの畑はたけに續つゞいて居ゐるらしい。家いへの前まへは廣ひろ庭にはで麥むぎなどを乾ほす所ところだらう、廣ひろ庭にはの突つきあたりに物もの置おきらしい屋や根ねの低ひくい茅くさ屋やがある。母おも屋やの入いり口くちはレールに近ちかい方はうにあつて人じん車しやから見みると土ど間まが半はん分ぶんほどはすかひに見みえる。
入いり口くちの外そとの軒のき下したに橢だゑ圓んけ形いの据すゑ風ぶ呂ろがあつて十二三の少せう年ねんが入はひつて居ゐるのが最さい初しよ自じぶ分んの注ちゆ意ういを惹ひいた。此この少せう年ねんは其その日ひに燒やけた脊せな中かばかり此こち方らに向むけて居ゐて決けつして人じん車しやの方はうを見みない。立たつたり、しやがんだりして居ゐるばかりで、手てぬ拭ぐひも持もつて居ゐないらし﹇#﹁い脱カ﹂の注記﹈、又また何い時つ出でる風ふうも見みえず、三時じか間んでも五時じか間んでも一日でも、あアやつて居ゐるのだらうと自じぶ分んには思おもはれた。廣ひろ庭にはに向むいた釜かまの口くちから青あをい煙けむが細ほそ々〴〵と立たち騰のぼつて軒のき先さきを掠かすめ、ボツ〳〵雨あめが其その中なかを透すかして落おちて居ゐる。半はん分ぶん見みえる土ど間までは二十四五の女をんなが手てぬ拭ぐひを姉ねえ樣さまかぶりにして上あがりがまちに大おほ盥だらひ程ほどの桶をけを控ひかへ何なに物ものかを篩ふるひにかけて專せん念ねん一意いの體てい、其その桶をけを前まへに七ツ八ツの小こむ女すめが坐すわりこんで見けん物ぶつして居ゐるが、これは人にん形ぎやうのやうに動うごかない、風ふ呂ろの中なかの少せう年ねんも同おなじくこれを見けん物ぶつして居ゐるのだといふことが自じぶ分んにやつと解わかつた。
入いり口くちの彼あち方らは長ながい縁えん側がはで三人にんも小こむ女すめが坐すわつて居ゐて其その一ひと人りは此こち方らを向むき今いましも十七八の姉ねえ樣さんに髮かみを結ゆつて貰もらふ最さい中ちゆう。前まへ髮がみを切きり下さげて可かは愛ゆく之これも人じん形ぎやうのやうに順おとなしくして居ゐる廣ひろ庭にはでは六十以いじ上やうの而しかも何いづれも達たつ者しやらしい婆ばあさんが三人にん立たつて居ゐて其その一ひと人りの赤あか兒んぼを脊おぶ負つて腰こしを曲まげ居をるのが何なに事ごとか婆ばあさん聲ごゑを張はり上あげて喋しや白べつて居ゐると、他たの二ふた人りの婆ばあ樣さんは合あひ槌づちを打うつて居ゐる。けれども三人にんとも手ても足あしも動うごかさない。そして五六人にんの同おなじ年とし頃ごろの小こど供もがやはり身みう動ごきもしないで婆ばあさん達たちの周まは圍りを取とり卷まいて居ゐるのである。
眞まつ黒くろな艷つやの佳いい洋か犬めが一匹ぴき、腮あごを地ぢに着つけて臥ねそべつて、耳みゝを埀たれたまゝ是これ亦また尾ををすら動うごかさず、廣ひろ庭にはの仲なか間まに加くははつて居ゐた。そして母おも屋やの入いり口くちの軒のき陰かげから燕つばめが出でたり入はひつたりして居ゐる。
初はじめは俳はい畫ぐわのやうだと思おもつて見みて居ゐたが、これ實じつに畫ゑでも何なんでもない。細さい雨うに暮くれなんとする山さん間かん村そん落らくの生せい活くわつの最もつとも靜しづかなる部ぶゝ分んである。谷たにの奧おくには墓はか場ばもあるだらう、人じん生せい悠いう久きうの流ながれが此こ處ゝでも泡あわ立だたぬまでの渦うづを卷まゐて居ゐるのである。
十
隨ずゐ分ぶん長ながく待またされたと思おもつたが實じつ際さいは十分ぷんぐらゐで熱あた海みからの人じん車しやが威ゐせ勢い能く喇らつ叭ぱを吹ふきたてゝ下くだつて來きたので直すぐ入いれちがつて我われ々〳〵は出しゆ立つたつした。
雨あめが次しだ第いに強つよくなつたので外そ面との模もや樣うは陰いん鬱うつになるばかり、車う内ちは退たい屈くつを増ますばかり眞まな鶴づるの巡じゆ査んさがとう〳〵
﹃何どち方らへ行いらつしやいます。﹄と口くちを切きつた。
﹃湯ゆヶ原はらへ行ゆかふと思おもつて居ゐます。﹄と自じぶ分んがこれに應おうじた。思おもつて居ゐるどころか、今いま現げんに行ゆきつゝあるのだ。けれど斯かふ言ふのが温をん泉せん場ばへ行ゆく人ひと、海かい水すゐ浴よく場ぢやうへ行ゆく人ひと乃ない至し名めい所しよ見けん物ぶつにでも出でか掛ける人ひとの洒しや落れた口くて調うであるキザな言こと葉ばたるを失うしなはない。
﹃湯ゆヶ原はらは可いい所とこです、初はじめてゞすか。﹄
﹃一二度ど行いつた事ことがあります。﹄
﹃宿やどは何どち方らです。﹄
﹃中なか西にし屋やです。﹄
﹃中なか西にし屋やは結けつ構かうです、近きん來らい益ます可いいやうです。さうだね君きみ。﹄と兔とか角く言こと葉ばの少すくない鈴すゞ木きじ巡ゆん査さに贊さん成せいを求もとめた。
﹃さうです。實じつ際さい彼あの家うちが今いま一番ばん繁はん盛じやうするでしよう。﹄と關くわ羽んうの鈴すゞ木きじ巡ゆん査さが答こたへた。
先まづこんな有ありふれた問もん答だふから、だん〳〵談はな話しに花はながさいて東とう京きよ博うは覽くら會んくわいの噂うはさ、眞まな鶴づる近きん海かいの魚ぎよ漁れふ談だん等とうで退たい屈くつを免まぬかれ、やつと江えの浦うらに達たつした。
﹃サアこれから下くだりだ。﹄と齋さい藤とう巡じゆ査んさが威ゐせ勢いをつけた。
﹃義おつ母かさんこれから下くだりですよ。﹄
﹃さう。﹄
﹃隨ずゐ分ぶん亂らん暴ばうだから用よう心じんせんと頭あたまを打ぶつ觸けますよ。﹄
﹃さうですか。﹄
齋さい藤とう巡じゆ査んさが眞まな鶴づるで下げし車やしたので自じぶ分んは談だん敵てきを失うしなつたけれど、湯ゆヶ原はらの入いり口くちなる門もん川かはまでは、退たい屈くつする程ほどの隔かく離りでもないので困こまらなかつた。
日ひは暮くれかゝつて雨あめは益ます強つよくなつた。山やま々〳〵は悉こと〴〵く雲くもに埋うもれて僅わづかに其その麓ふもとを現あらはすばかり。我われ々〳〵が門もん川かはで下おりて、更さらに人く力る車まに乘のりかへ、湯ゆヶ原はらの溪けい谷こくに向むかつた時ときは、さながら雲くも深ふかく分わけ入いる思おもひがあつた。