一
余が札さつ幌ぽろに滞在したのは五日間である、僅に五日間ではあるが余は此間に北海道を愛するの情を幾倍したのである。
我国本土の中うちでも中国の如き、人口稠ちう密みつの地に成長して山をも野をも人間の力で平たひらげ尽したる光景を見慣れたる余にありては、東北の原野すら既に我自然に帰き依えしたるの情を動かしたるに、北海道を見るに及びて、如い何かで心躍らざらん、札幌は北海道の東京でありながら、満目の光景は殆ど余を魔し去つたのである。
札幌を出発して単身空そら知ちが川はの沿岸に向つたのは、九月二十五日の朝で、東京ならば猶ほ残暑の候でありながら、余が此時の衣ふく装さうは冬着の洋服なりしを思はゞ、此地の秋既に老いて木こが枯らしの冬の間近に迫つて居ることが知れるであらう。
目的は空知川の沿岸を調査しつゝある道庁の官吏に会つて土地の撰定を相談することである。然るに余は全く地理に暗いのである。且かつ道庁の官吏は果して沿岸何いづれの辺に屯たむろして居るか、札幌の知人何なん人びとも知らないのである、心細くも余は空そら知ちぶ太とを指して汽車に搭たふじた。
石いし狩かりの野は雲低く迷ひて車窓より眺むれば野にも山にも恐ろしき自然の力あふれ、此処に愛なく情じやうなく、見るとして荒涼、寂寞、冷厳にして且つ壮大なる光景は恰あたかも人間の無力と儚はかなさとを冷あざ笑わらふが如くに見えた。
蒼白なる顔を外套の襟に埋めて車窓の一隅に黙然と坐して居る一青年を同室の人々は何と見たらう。人々の話はな柄しがらは作物である、山林である、土地である、此無限の富源より如何にして黄金を握つかみ出すべきかである、彼等の或者は罎びん詰づめの酒を傾けて高論し、或者は煙草をくゆらして談笑して居る。そして彼等多くは車中で初めて遇つたのである。そして一青年は彼等の仲間に加はらずたゞ一人其孤独を守つて、独り其空想に沈んで居るのである。彼は如何にして社会に住むべきかといふことは全然其思考の問題としたことがない、彼はたゞ何い時つも何時も如何にして此天地間に此生を托すべきかといふことをのみ思ひ悩んで居た。であるから彼には同車の人々を見ること殆ほとんど他界の者を見るが如く、彼と人々との間には越ゆ可からざる深谷の横はることを感ぜざるを得なかつたので、今しも汽車が同じ列車に人々及び彼を乗せて石狩の野を突過してゆくことは、恰ちや度うど彼の一生のそれと同じやうに思はれたのである。あゝ孤独よ! 彼は自ら求めて社会の外を歩みながらも、中ちゆ心うしん実に孤独の感に堪えなかつた。
若し夫それ天高く澄みて秋しう晴せい拭ふが如き日であつたならば余が鬱屈も大にくつろぎを得たらうけれど、雲は益々低く垂れ林は霧に包まれ何ど処こを見ても、光一閃だもないので余は殆ど堪ゆべからざる憂愁に沈んだのである。
汽車の歌うた志しな内いの炭山に分るゝ某なにがし停車場に着くや、車中の大半は其処で乗換へたので残るは余の外に二人あるのみ。原始時代そのまゝで幾千年人の足跡をとゞめざる大森林を穿うがつて列車は一直線に走るのである。灰色の霧の一団又一団、忽たちまち現はれ忽ち消え、或は命あるものの如く黙々として浮動して居る。
﹁何どち処らまでお出でゝすか。﹂と突然一人の男が余に声をかけた。年輩四十幾いく干つ、骨格の逞たくましい、頭髪の長の生びた、四角な顔、鋭い眼、大なる鼻、一見一癖あるべき人物で、其風俗は官吏に非ず職人にあらず、百姓にあらず、商人にあらず、実に北海道にして始めて見るべき種類の者らしい、則すなはち何れの未開地にも必ず先づ最も跋ばつ扈こする山やま師しらしい。
﹁空そら知ちぶ太とまで行く積りです。﹂
﹁道庁の御用で?﹂彼は余を北海道庁の小役人と見たのである。
﹁イヤ僕は土地を撰定に出掛けるのです。﹂
﹁ハハア。空知太は何処等を御撰定か知らんが、最も早う目めぼ星しいところは無いやうですよ。﹂
﹁如ど何うでしやう空知太から空知川の沿岸に出られるでしやうか。﹂
﹁それは出られましやうとも、然し空知川の沿岸の何処等ですか其が判然しないと……﹂
﹁和歌山県の移民団体が居る処で、道庁の官吏が二人出張して居る、其処へ行くのですがね、兎も角も空知太まで行つて聞いて見る積りで居るのです。﹂
﹁さうですか、それでは空知太にお出になつたら三浦屋といふ旅や人ど宿やへ上つて御覧なさい、其処の主ある人じがさういふことに明あかるう御座いますから聞て御覧なつたら可ようがす、どうも未だ道路が開けないので一ちよ寸つと其処までの処でも大変大廻りを為しなければならんやうなことが有つて慣れないものには困ることが多うがすテ。﹂
それより彼は開墾の困難なことや、土地に由つて困難の非常に相違することや、交通不便の為めに折角の収穫も容易に市場に持出すことが出来ぬことや、小作人を使ふ方法などに就いて色々と話し出した、其等の事は余も札幌の諸友から聞いては居たが、彼の語るがまゝに受けて唯だ其好意を謝するのみであつた。
間もなく汽車は蕭せう条でうたる一駅に着いて運転を止めたので余も下りると此列車より出た客は総体で二十人位に過ぎざるを見た、汽車は此処より引返すのである。
たゞ見る此一小駅は森林に囲まれて居る一の孤島である。停車場に附属する処の二三の家屋の外ほか人間に縁ある者は何も無い。長く響いた気笛が森林に反響して脈々として遠く消え去うせた時、寂せき然ぜんとして言ふ可からざる静しづけさに此孤島は還つた。
三輛の乗合馬車が待つて居る。人々は黙々としてこれに乗り移つた。余も先の同車の男と共に其一に乗つた。
北海道馬の驢ろ馬ばに等しきが二頭、逞ましき若者が一人、六人の客を乗せて何いづ処くへともなく走り初めた、余は﹁何処へともなく﹂といふの心持が為したのである。実に我が行先は何いづ処くで、自から問ふて自から答へることが出来なかつたのである。
三輛の馬車は相隔つる一町ばかり、余の馬車は殿しんがりに居たので前に進む馬車の一高一低、凸でこ凹ぼこ多き道を走つて行く様が能よく見える。霧は林を掠かすめて飛び、道を横よこぎつて又た林に入り、真しん紅くに染つた木の葉は枝を離れて二片三片馬車を追ふて舞ふ。御ぎよ者しやは一いち鞭べん強く加へて
﹁最も早う降おりるぞ!﹂と叫けんだ。
﹁三浦屋の前で止めてお呉れ!﹂と先の男は叫けんで余を顧みた。余は目礼して其好意を謝した。車中何なん人びとも一語を発しないで、皆な屈托な顔をして物もの思おもひに沈んで居る。御者は今一度強く鞭を加へて喇らつ叭ぱを吹き立たてたので躯からだは小なれども強がう力りよくなる北海の健児は大おほ駈かけに駈けだした。
林がやゝ開けて殖民の小屋が一軒二軒と現れて来たかと思ふと、突然平野に出た。幅広き道路の両側に商家らしきが飛び〳〵に並んで居る様は新開地の市街たるを欺あざむかない。馬車は喇叭の音勇ましく此間を駈けた。
二
三浦屋に着くや早速主人を呼んで、空知川の沿岸にゆくべき方法を問ひ、詳しく目的を話して見た。処が主人は寧むしろ引返へして歌うた志しな内いに廻はり、歌志内より山越えした方が便利だらうといふ。
﹁次の汽車なら日の暮までには歌志内に着きますから今夜は歌志内で一泊なされて、明日能くお聞合せになつて其上でお出かけになつたが可ようがす。歌志内なら此処とは違つて道庁の方かたも居ますから、其井田さんとかいふ方の今居る処も多分解るでせう。﹂
斯かういはれて見ると成程さうである。されども余は空知川の岸に沿ふて進まば、余が会はんとする道庁の官吏井田某の居所を知るに最も便ならんと信じて、空知太まで来たのである。然しかるに空知太より空知川の岸をつたふことは案内者なくては出来ぬとのこと、而も其道らしき道の開け居るには在らずとの事を、三浦屋の主人より初めて聞いたのである。其処で余は主人の注意に従ひ、歌志内に廻はることに定きめて、次の汽車まで二時間以上を、三浦屋の二階で独りポツ然ねんと待つこととなつた。
見渡せば前は平ひら野のである。伐きり残された大木が彼かし処こ此こ処ゝに衝つゝ立たつて居る。風かぜ当あたりの強きゆゑか、何れも丸まる裸はだ体かになつて、黄色に染つた葉の僅わづ少かばかりが枝にしがみ着いて居るばかり、それすら見て居る内にバラ〳〵と散つて居る。風の加はると共に雨が降つて来た。遠をち方かたは雨雲に閉されて能くも見え分かず、最まぢ近かに立つて居る柏かしはの高さ三丈ばかりなるが、其太い葉を雨に打たれ風に揺られて、けうとき音ねを立てゝ居る。道を通る者は一人もない。
かゝる時、かゝる場所に、一人の知人なく、一人の話相手なく、旅はた人ご宿やの窓に倚つて降りしきる秋の雨を眺めることは決して楽しいものでない。余は端はしなく東京の父母や弟や親しき友を想ひ起して、今更の如く、今日まで我を囲みし人情の如何に温かであつたかを感じたのである。
男子志を立て理想を追ふて、今や森林の中に自由の天地を求めんと願ふ時、決して女め々ゝしくてはならぬと我とわが心を引ひき立たてるやうにしたが、要するに理想は冷やかにして人情は温かく、自然は冷厳にして親しみ難く人じん寰くわんは懐かしくして巣を作るに適して居る。
余は悶々として二時間を過した。其その中うちには雨は小こや止みになつたと思ふと、喇叭の音ねが遠くに響く。首を出して見ると斜に糸の如く降る雨を突いて一輛の馬車が馳せて来る。余は此馬車に乗込んで再び先の停車場へと、三浦屋を立つた。
汽車の乗客は数かぞふるばかり。余の入つた室は余一人であつた。人独り居るは好ましきことに非ず、余は他の室に乗換へんかとも思つたが、思い止まつて雨と霧との為めに薄暗くなつて居る室の片隅に身を寄せて、暮近くなつた空の雲の去ゆき来ゝや輪をなして回転し去る林の立木を茫然と眺めて居た。斯かゝる時、人は往々無念無想の裡うちに入るものである。利害の念もなければ越こし方かた行末の想おもひもなく、恩愛の情もなく憎悪の悩もなく、失望もなく希望もなく、たゞ空然として眼を開き耳を開いて居る。旅をして身心共に疲れ果てゝ猶ほ其身は車上に揺られ、縁もゆかりもない地方を行く時は往々にして此かくの如き心境に陥るものである。かゝる時、はからず目に入つた光景は深く脳底に彫ゑり込まれて多年これを忘れないものである。余が今しも車窓より眺むる処の雲の去ゆき来ゝや、樺かばの林や恰ちや度うどそれであつた。
汽車の歌志内の渓谷に着いた時は、雨全く止みて日は将まさに暮れんとする時で、余は宿るべき家のあてもなく停車場を出ると、流さす石がに幾千の鉱夫を養ひ、幾百の人家の狭き渓たにに簇ぞく集しふして居る場所だけありて、宿引なるものが二三人待ち受けて居た。其一人に導かれ礫いし多く燈ともしび暗き町を歩みて二階建の旅はた人ご宿やに入り、妻女の田舎なまりを其儘、愛嬌も心かららしく迎へられた時は、余も思はず微笑したのである。
夜食を済すと、呼ばずして主人は余の室へやに来てくれたので、直たゞちに目的を語り彼より出来るだけの方便を求めた、主人は余の語る処をにこついて聞いて居たが
﹁一ちよ寸つとお待ち下さい、少し心当りがありますから。﹂と言ひ捨てゝ室を去つた。暫しば時らくして立たち還かへり
﹁だから縁といふは奇態なものです。貴あな所た最も早う御安心なさい、すつかり分わか明りました。﹂と我身のことの如く喜んで座に着いた。
﹁わかりましたか。﹂
﹁わかりましたとも、大わかり。四日前から私の家にお泊りのお客様があります。この方は御料地の係の方かたで先せん達だつてから山林を見みわ分けしてお廻はりになつたのですが、ソラ野宿の方が多がしよう、だから到当身体を傷こはして今手前共で保養して居らつしやるのです。篠原さんといふ方ですがね。何でも宅へ見える前の日は空知川の方に居らつしやつたといふこと聞きましたから、若しやと思つて唯今伺つて見ました処が、解りました。ウン道庁の出張員なら山を越すと直ぐ下の小屋に居たと仰しやるのです、御安心なさい此処から一里位なもので訳は有りません、朝行けばお昼前には帰つて来られますサ。﹂
﹁どうも色々難あり有がたう、それで安心しました。然し今も其小屋に居て呉れゝば可いが。始終居所が変るので其れで道庁でも知れなかつたのだから。﹂
﹁大丈夫居ますよ、若もし変つて居たら先せんに居た小屋の者に聞けば可ようがす、遠くに移るわけは有りません。﹂
﹁兎も角も明あ日す朝早く出掛けますから案内を一人頼んで呉れませんか。﹂
﹁さうですな、山道で岐え路だが多いから矢張り案内が入いるでしやう、宅の倅せがれを連れて行いらつしやい。十四の小僧ですが、空そら知ちぶ太とまでなら存じて居ます。案内位出来ませうよ。﹂と飽くまで親切に言つて呉れるので、余は実に謝する処を知らなかつた。成程縁は奇態なものである、余にして若し他の宿屋に泊つたなら決してこれ程の便宜と親切とは得ることが出来なかつたらう。
主人は何処までも快活な男で、放胆で、而も眼中人なきの様子がある。彼の親切、見ず知らずの余にまで惜気もなく投げ出す親切は、彼の人物の自然であるらしい。世界を家うちとなし到る処に其故郷を見出す程の人は、到る処の山川、接する処の人が則すなはち朋友である。であるから人の困厄を見れぱ、其人が何なん人びとであらうと、憎にく悪あしするの因いは縁れさへ無くば、則ち同情を表する十年の交友と一般なのである。余は主人の口より其略伝を聞くに及んで彼の人物の余の推測に近きを知つた。
彼は其生れ故郷に於て相当の財産を持つて居た処が、彼の弟二人は彼の相続したる財産を羨むこと甚だしく、遂には骨肉の争あらそひまで起る程に及んだ。然るに彼の父なる七十の老翁も亦た少せう弟てい二人を愛して、ややもすれば兄に迫つて其財産を分配せしめやうとする。若しこれ三等分すれば、三人とも一家を立つることが出来ないのである。
﹁だから私は考へたのです、これつばかしの物を兄弟して争ふなんて余り量見が小さい。宜しいお前達に与やつて了う。たゞ五分の一だけ呉れろ、乃わ公しは其を以もつて北海道に飛ぶからつて。其処で小僧が九こゝのつの時でした、親子三人でポイと此こつ方ちへやつて来たのです。イヤ人間といふものは何処にでも住まば住まれるものですよハッハッハッ﹂と笑つて﹁処が妙でせう、弟の奴等、今では私が分わ配けてやつた物を大概無くしてしまつて、それで居て矢張り小ぽけな村を此上もない土地のやうに思つて私が何度も北海道へ来て見ろと手紙ですゝめても出て来き得えないんでサ。﹂
余は此男の為す処を見、其語る処を聞いて、大に得る処があつたのである。よしや此一小旅店の主人は、余が思ふ所の人物と同一でないにせよ、よしや余が思ふ所の人物は、此主人より推して更らに余自身の空想を加へて以て化成したる者にせよ、彼はよく自由によく独立に、社会に住んで社会に圧せられず、無窮の天地に介立して安んずる処あり、海をも山をも原野をも将はた市街をも、我物顔に横行濶歩して少しも屈托せず、天涯地角到る処に花の香かんばしきを嗅ぎ人情の温かきに住む、げに男はすべからく此の如くして男といふべきではあるまいか。
斯く感ずると共に余の胸は大おほいに開けて、札幌を出でてより歌志内に着くまで、雲と共に結ぼれ、雨と共にしほれて居た心は端はしなくも天の一方深碧にして窮りなきを望んだやうな気がして来た。
夜の十時頃散歩に出て見ると、雲の流ながれ急にして絶たえ間ま々々には星が見える。暗い町を辿たどつて人家を離れると、渓を隔てゝ屏風の如く黒く前面に横よこたはる杣そま山やまの上に月現はれ、山を掠かすめて飛ぶ浮雲は折り〳〵其前面を拭ふて居る。空気は重く湿めり、空には風あれども地は粛然として声なく、たゞ渓流の音のかすかに聞ゆるばかり。余は一方は山、一方は崖の爪先上りの道を進みて小高き広場に出たかと思ふと、突然耳に入つたものは絃歌の騒さわぎである。
見れば山に沿ふて長なが屋やだ建ちの一棟あり、これに対して又一棟あり。絃歌は此長屋より起るのであつた。一棟は幾戸かに分れ、戸々皆な障子をとざし、其障子には火影花はなやかに映り、三絃の乱れて狂ふ調子放歌の激して叫ぶ声、笑ふ声は雑然として起つて居るのである、牛部屋に等しき此長屋は何ぞ知らん鉱夫どもが深山幽谷の一隅に求め得し歓楽境ならんとは。
流れて遊女となり、流れて鉱夫となり、買ふものも売るものも、我世夢ぞと狂歌乱舞するのである。余は進んで此長なが屋やこ小う路ぢに入つた。
雨あめ上あがりの路はぬかるみ、水みづ溜だまりには火ほか影げうつる。家は離れて見しよりも更に哀れな建てざまにて、新開地だけにたゞ軒先障子などの白木の夜目にも生なま々〳〵しく見ゆるばかり、床ゆか低く屋根低く、立てし障子は地より直たゞちに軒に至るかと思はれ、既に歪ゆがみて隙間よりは鉤つりランプの笠など見ゆ。肌はだ脱ぬぎの荒くれ男の影鬼の如く映れるあり、乱髪の酌婦の頭の夜叉の如く映るかと思へば、床も落つると思はるゝ音が為て、ドツとばかり笑声の起る家もあり。﹁飲めよ﹂、﹁歌へよ﹂、﹁殺すぞ﹂、﹁撲なぐるぞ﹂、哄笑、激語、悪罵、歓呼、叱咤、艶つやある小こぶ節しの歌の文句の腸を断つばかりなる、三絃の調子の嗚むせ咽ぶが如き忽ちにして暴風、忽ちにして春しゆ雨んう、見来れば、歓楽の中に殺気をこめ、殺気の中に血涙をふくむ、泣くは笑ふのか、笑ふのは泣くのか、怒いかりは歌か、歌は怒か、嗚あ呼ゝ儚はかなき人生の流よ! 数年前までは熊眠り狼住みし此渓間に流れ落ちて、こゝに澱よどみ、こゝに激し、こゝに沈み、月影冷やかにこれを照して居る。
余は通り過ぎて振り顧かへり、暫し停たゝ立ずんで居ると、突然間近なる一軒の障子が開あいて一人の男がつと現はれた。
﹁や、月が出た!﹂と振上げた顔を見れば年頃二十六七、背高く肩広く屈強の若者である。きよろ〳〵四あた辺りを見廻して居たが吻ほつと酒しゆ気きを吐き、舌打して再び内によろめき込んだ。
三
宿の子のまめ〳〵しきが先に立ちて、明くれば九月二十六日朝の九時、愈いよ々〳〵空知川の岸へと出発した。
陰晴定さだめなき天気、薄き日影洩るゝかと思へば忽ち峰より林より霧起りて峰をも林をも路をも包んでしまう。山路は思ひしより楽にて、余は宿の子と様々の物語しつゝ身も心も軽く歩あゆんだ。
林は全く黄き葉ばみ、蔦つた紅もみ葉ぢは、真しん紅くに染り、霧起る時は霞かすみを隔へだてて花を見るが如く、日光直射する時は露を帯びたる葉毎に幾千万の真珠碧玉を連らねて全山燃もゆるかと思はれた。宿の子は空知川沿岸に於ける熊の話を為なし、続いて彼が子供心に聞き集めたる熊物語の幾種かを熱心に語つた。坂を下りて熊笹の繁しげれる所に来ると彼は一寸立どまり
﹁聞えるだらう、川の音が﹂と耳を傾けた、﹁ソラ……聞えるだらう、あれが空知川、もう直ぐ其処だ。﹂
﹁見えさうなものだな。﹂
﹁如何して見えるものか、森の中に流れて居るのだ。﹂
二人は、頭を没する熊笹の間を僅に通う帯ほどの径みちを暫く行ゆくと、一人の老人の百姓らしきに出遇つたので、余は道庁の出張員が居る小屋を訊ねた。
﹁此径を三丁ばかり行くと幅の広い新開の道路に出る、其右側の最初の小屋に居なさるだ。﹂と言い捨てゝ老人は去いつて了つた。
歌志内を出た発つてから此処までの間に人に出遇つたのは此老人ばかりで、途中又小屋らしき物を見なかつたのである、余は此老人を見て空知川の沿岸の既に多いく少らかの開墾者の入いり込こんで居ることを事実の上に知つた。
熊笹の径こみちを通りぬけると果して、思ひがけない大道が深林を穿うがつて一直線に作られてある。其幅は五間以上もあらうか。然も両側に密みつ茂もして居る林は、二丈を越へ三丈に達する大木が多いので、此幅広き大道も、堀割を通ずる鉄道線路のやうであつた。然し余は此道路を見て拓殖に熱心なる道庁の計営の、如何に困難多きかを知つたのである。
見れば此道路の最初の右側に、内地では見ることの出来ない異様なる掘ほつ立たて小ご屋や﹇#﹁掘立小屋﹂は底本では﹁堀立小屋﹂﹈がある。小屋の左右及び後うし背ろは林を倒して、二三段歩の平地が開かれて居る。余は首尾よく此小屋で道庁の属官、井田某及び他の一人に会ふことが出来た。
殖民課長の丁寧なる紹介は、彼等をして十分に親切に余が相談相手とならしめたのである。更に驚くべきは、彼等が余の名を聞いて、早く既に余を知つて居たことで、余の蕪雑なる文章も、何時しか北海道の思ひもかけぬ地に其読者を得て居たことであつた。
二人は余の目的を聞き終りて後、空知川沿岸の地図を披ひらき其経験多き鑑識を以て、彼かし処こ比こ処ゝと、移民者の為めに区劃せる一区一万五千坪の地の中から六ヶ所ほど撰定して呉れた。
事務は終り雑談に移つた。
小屋は三間に四間を出でず、屋根も周まは囲りの壁も大木の皮を幅広く剥はぎて組合したもので、板を用ゐしは床のみ、床には莚むしろを敷き、出入の口はこれ又樹皮を組みて戸となしたるが一枚被おほはれてあるばかりこれ開墾者の巣なり家なり、いな城廓なり。一隅に長方形の大きな炉が切つて、これを火鉢に竈かまどに、煙草盆に、冬ならば煖炉に使用するのである。
﹁冬になつたら堪らんでしやうねこんな小屋に居ては。﹂
﹁だつて開墾者は皆みんなこんな小屋に住んで居るのですよ。どうです辛棒が出来ますか。﹂と井田は笑ひながら言つた。
﹁覚悟は為して居ますが、イザとなつたら随分困るでしやう。﹂
﹁然し思つた程でもないものです。若し冬になつて如ど何うしても辛棒が出来さうもなかつたら、貴あな所たが方たのことだから札幌へ逃げて来れば可いですよ。どうせ冬ふゆ籠ごもりは何処でしても同じことだから。﹂
﹁ハッハッハッヽヽヽ其それなら初めから小作人任まかせにして御自分は札幌に居る方が可よからう。﹂と他の属官が言つた。
﹁さうですとも、さうですとも冬になつて札幌に逃げて行くほどなら寧いつそ初めから東京に居て開墾した方が可いんです。何に僕は辛棒しますよ。﹂と余は覚悟を見せた。井田は
﹁さうですな、先づ雪でも降つて来たら、此この炉にドン〳〵焼たき火びをするんですな、薪たき木ゞならお手のものだから。それで貴所方だからウンと書しよ籍もつを仕しこ込んで置いて勉強なさるんですな。﹂
﹁雪が解ける時分には大学者になつて現はれるといふ趣向ですか。﹂と余は思わず笑つた。
談はなして居ると、突然パラ〳〵と音がして来たので余は外に出て見ると、日は薄く光り、雲は静に流れ、寂たる深林を越えて時しぐ雨れが過ぎゆくのであつた。
余は宿の子を残して、一人此この辺あたりを散歩すべく小屋を出た。
げに怪しき道路よ。これ千年の深林を滅めつし、人力を以て自然に打うち克かたんが為めに、殊更に無ぶじ人んの境さかひを撰んで作られたのである。見渡すかぎり、両側の森林これを覆ふのみにて、一個の人じん影えいすらなく、一いち縷るの軽煙すら起らず、一の人語すら聞えず、寂せき々〳〵寥れう々〳〵として横はつて居る。
余は時雨の音の淋しさを知つて居る、然し未だ曾かつて、原始の大深林を忍びやかに過ぎゆく時雨ほど淋びしさを感じたことはない。これ実に自然の幽寂なる私さゝ語やきである。深林の底に居て、此音ねを聞く者、何人か生物を冷笑する自然の無限の威力を感ぜざらん。怒濤、暴風、疾雷、閃雷は自然の虚きよ喝かつである。彼の威力の最も人に迫るのは、彼の最も静かなる時である。高遠なる蒼天の、何の声もなく唯だ黙して下界を視みお下ろす時、曾かつて人跡を許さゞりし深林の奥深き処、一片の木の葉の朽ちて風なきに落つる時、自然は欠あく伸びして曰く﹁あゝ我わが一日も暮れんとす﹂と、而して人間の一千年は此刹那に飛びゆくのである。
余は両側の林を覗きつゝ行くと、左側で林のやゝ薄くなつて居る処を見出した。下草を分けて進み、ふと顧みると、此身は何時しか深林の底に居たのである。とある大木の朽ちて倒れたるに腰をかけた。
林が暗くなつたかと思ふと、高い枝の上を時雨がサラ〳〵と降つて来た。来たかと思ふと間もなく止んで森しんとして林は静まりかへつた。
余は暫くジツとして林の奥の暗くなつて居る処を見て居た。
社会が何処にある、人間の誇り顔に伝唱する﹁歴史﹂が何処にある。此場所に於て、此時に於て、人はたゞ﹁生存﹂其その者ものの、自然の一呼吸の中に托されてをることを感ずるばかりである。露国の詩人は曾て森林の中に坐して、死の影の我に迫まるを覚えたと言つたが、実にさうである。又た曰く﹁人類の最後の一人が此の地球上より消滅する時、木の葉の一片も其為にそよがざるなり﹂と。
死の如く静なる、冷やかなる、暗き、深き森林の中に坐して、此の如きの威迫を受けないものは誰も無からう。余我を忘れて恐ろしき空想に沈んで居ると、
﹁旦那! 旦那!﹂と呼ぶ声が森の外でした。急いで出て見ると宿の子が立つて居る。
﹁最も早う御用が済んで︹ママ︺帰りましやう﹂
其処で二人は一先づ小屋に帰ると、井田は、
﹁どうです今夜は試験のために一晩此処に泊つて御覧になつては。﹂
余は遂に再び北海道の地を踏まないで今日に到つた。たとひ一家の事情は余の開墾の目的を中止せしめたにせよ、余は今も尚ほ空知川の沿岸を思ふと、あの冷厳なる自然が、余を引つけるやうに感ずるのである。
何故だらう。
︵明治三十五年十一月―十二月︶