一
﹁此このくらゐな事ことが……何なんの……小こど兒ものうち歌か留る多たを取とりに行いつたと思おもへば――﹂
越ゑち前ぜんの府ふ、武たけ生ふの、侘わびしい旅や宿どの、雪ゆきに埋うもれた軒のきを離はなれて、二町ちやうばかりも進すゝんだ時とき、吹ふゞ雪きに行ゆき惱なやみながら、私わたしは――然さう思おもひました。
思おもひつゝ推おし切きつて行ゆくのであります。
私わたしは此こ處ゝから四十里り餘あまり隔へだたつた、おなじ雪ゆき深ぶかい國くにに生うまれたので、恁かうした夜よみ道ちを、十町ちやうや十五町ちやう歩あ行るくのは何なんでもないと思おもつたのであります。
が、其その凄すさまじさと言いつたら、まるで眞まつ白しろな、冷つめたい、粉こなの大おほ波なみを泳およぐやうで、風かぜは荒あら海うみに齊ひとしく、ぐわう〳〵と呻うなつて、地ち――と云いつても五六尺しやく積つもつた雪ゆきを、押おし搖ゆすつて狂くるふのです。
﹁あの時じぶ分んは、脇わきの下したに羽はねでも生はえて居ゐたんだらう。屹きつと然さうに違ちがひない。身みが輕るに雪ゆきの上うへへ乘のつて飛とべるやうに。﹂
……でなくつては、と呼い吸きも吐つけない中うちで思おもひました。
九こゝ歳のつ十と歳をばかりの其その小こど兒もは、雪ゆき下げ駄た、竹たけ草ざう履り、それは雪ゆきの凍いてた時とき、こんな晩ばんには、柄がらにもない高たか足あし駄ださへ穿はいて居ゐたのに、轉ころびもしないで、然しかも遊あそびに更ふけた正しや月うぐわつの夜よの十二時じ過すぎなど、近きん所じよの友ともだちにも別わかれると、唯たゞ一ひと人りで、白しろい社やしろの廣ひろい境けい内だいも拔ぬければ、邸やし町きまちの白しろい長ながい土どべ塀いも通とほる。………ザヾツ、ぐわうと鳴なつて、川かは波なみ、山やま颪おろしとともに吹ふいて來くると、ぐる〳〵とる車しや輪りんの如ごとき濃こく黒くろずんだ雪ゆきの渦うづに、くる〳〵と舞まひながら、ふは〳〵と濟すまアして内うちへ歸かへつた――夢ゆめではない。が、あれは雪ゆきに靈れいがあつて、小こど兒もを可いと愛しがつて、連つれて歸かへつたのであらうも知しれない。
﹁あゝ、酷ひどいぞ。﹂
ハツと呼い吸きを引ひく。目めく口ちに吹ふき込こむ粉こゆ雪きに、ばツと背せを向むけて、そのたびに、風かぜと反はん對たいの方はうへ眞まう俯つ向むけに成なつて防ふせぐのであります。恁かう言いふ時ときは、其その粉こゆ雪きを、地ぢぐるみ煽あふ立りたてますので、下したからも吹ふき上あげ、左さい右うからも吹ふき捲まくつて、よく言いふことですけれども、面おもての向むけやうがないのです。
小こど兒もの足あし駄だを思おもひ出だした頃ころは、實じつは最もう穿はきものなんぞ、疾とうの以いぜ前んになかつたのです。
しかし、御ごあ安んし心ん下ください。――雪ゆきの中なかを跣はだ足しで歩あ行るく事ことは、都とく會わいの坊ぼつちやんや孃ぢやうさんが吃びつ驚くりなさるやうな、冷つめたいものでないだけは取とり柄えです。ズボリと踏ふみ込こんだ一ひと息いきの間あひだは、冷つめたさ骨こつ髓ずゐに徹てつするのですが、勢いきほひよく歩あ行るいて居ゐるうちには温あたゝかく成なります、ほか〳〵するくらゐです。
やがて、六七町ちやう潛もぐつて出でました。
まだ此この間あひだは氣きぢ丈やう夫ぶでありました。町まちの中うちですから兩りや側うがはに家いへが續つゞいて居をります。此この邊へんは水みづの綺きれ麗いな處ところで、軒のき下したの兩りや側うがはを、清きよい波なみを打うつた小をが川はが流ながれて居ゐます。尤もつとも其それなんぞ見みえるやうな容やさ易しい積つもり方かたぢやありません。
御ごぞ存んじの方かたは、武たけ生ふと言いへば、あゝ、水みづのきれいな處ところかと言いはれます――此この水みづが鐘かねを鍛きたへるのに適てきするさうで、釜かま、鍋なべ、庖はう丁てう、一いつ切さいの名めい産さん――其その昔むかしは、聞きこえた刀かた鍛なか冶ぢも住すみました。今いまも鍛か冶ぢ屋やが軒のきを並ならべて、其その中なかに、柳やなぎとともに目め立だつのは旅りよ館くわんであります。
が、最もう目めぬ貫きの町まちは過すぎた、次しだ第いに場ばす末ゑ、町まち端はづれの――と言いふとすぐに大おほきな山やま、嶮けはしい坂さかに成なります――あたりで。……此この町まちを離はなれて、鎭ちん守じゆの宮みやを拔ぬけますと、いま行ゆかうとする、志こゝろざす處ところへ着つく筈はずなのです。
それは、――其そ許こは――自じぶ分んの口くちから申まを兼しかねる次しだ第いでありますけれども、私わたしの大だい恩おん人じん――いえ〳〵恩おん人じんで、そして、夢ゆめにも忘わすれられない美うつくしい人ひとの侘わび住ずま居ひなのであります。
侘わび住ずま居ひと申まをします――以いぜ前んは、北ほつ國こくに於おいても、旅りよ館くわんの設せつ備びに於おいては、第だい一いちと世よに知しられた此この武たけ生ふの中うちでも、其その隨ずゐ一いちの旅りよ館くわんの娘むすめで、二十六の年としに、其その頃ころの近きん國ごくの知ち事じの妾おもひものに成なりました……妾めかけとこそ言いへ、情なさ深けぶかく、優やさしいのを、昔いにしへの國こく主しゆの貴きふ婦じ人ん、簾れん中ちうのやうに稱たゝへられたのが名なにしおふ中なかの河かは内ちの山やま裾すそなる虎いた杖どりの里さとに、寂さびしく山やま家がず住ま居ひをして居ゐるのですから。此この大おほ雪ゆきの中なかに。
二
流ながるゝ水みづとともに、武たけ生ふは女をんなのうつくしい處ところだと、昔むかしから人ひとが言いふのであります。就なか中んづく、蔦つた屋や――其その旅りよ館くわんの――お米よねさん︵恩おん人じんの名なです︶と言いへば、國くに々〴〵評ひや判うばんなのでありました。
まだ汽きし車やの通つうじない時じぶ分んの事こと。……
﹁昨さく夜やは何どち方らでお泊とまり。﹂
﹁武たけ生ふでございます。﹂
﹁蔦つた屋やですな、綺きれ麗いな娘むすめさんが居ゐます。勿もち論ろん、御ごら覽んでせう。﹂
旅たびは道みち連づれが、立たて場ばでも、又また並なみ木きでも、言ことばを掛かけ合あふ中うちには、屹きつと此この事ことがなければ納をさまらなかつたほどであつたのです。
往ゆき來きに馴なれて、幾いく度たびも蔦つた屋やの客きやくと成なつて、心こゝ得ろえ顏がほをしたものは、お米よねさんの事ことを渾あだ名なして、むつの花はな、むつの花はな、と言いひました。――色いろと言いひ、また雪ゆきの越こし路ぢの雪ゆきほどに、世よに知しられたと申まをす意い味みではないので――此これは後くり言ごとであつたのです。……不かた具はだと言いふのです。六ろつ本ぽん指ゆび、手ての小こゆ指びが左ひだりに二ふたつあると、見みて來きたやうな噂うはさをしました。何な故ぜか、――地ゐな方かは分わけて結けつ婚こん期きが早はやいのに――二十六七まで縁えんに着つかないで居ゐたからです。
︵しかし、……やがて知ち事じの妾おもひものに成なつた事ことは前まへに一ちよ寸つと申まをしました。︶
私わたしはよく知しつて居ゐます――六ろつ本ぽん指ゆびなぞと、氣けもない事ことです。確たしかに見みました。しかも其その雪ゆきなす指ゆびは、摩まや耶ぶ夫に人んが召めす白しろい細ほそい花はなの手てぶ袋くろのやうに、正まさに五ごべ瓣んで、其それが九きう死しい一つし生やうだつた私わたしの額ひたひに密そつと乘のり、輕かるく胸むねに掛かゝつたのを、運うん命めいの星ほしを算かぞへる如ごとく熟じつと視みたのでありますから。――
また其その手てで、硝コ子ツ杯プの白しら雪ゆきに、鷄たま卵ごの蛋き黄みを溶とかしたのを、甘かん露ろを灌そゝぐやうに飮のまされました。
ために私わたしは蘇よみ返がへりました。
﹁冷おひ水やを下ください。﹂
最もう、それが末まつ期ごだと思おもつて、水みづを飮のんだ時ときだつたのです。
脚かつ氣けを煩わづらつて、衝しよ心うしんをしかけて居ゐたのです。其そのために東とう京きやうから故く郷にに歸かへる途とち中うだつたのでありますが、汚よごれくさつた白しろ絣がすりを一枚まいきて、頭づだ陀ぶく袋ろのやうな革かば鞄ん一ひとつ掛かけたのを、玄げん關くわんさきで斷ことわられる處ところを、泊とめてくれたのも、螢ほたると紫あぢ陽さ花ゐが見みと透ほしの背せ戸どに涼すゞんで居ゐた、其そのお米よねさんの振ふり向むいた瞳めの情なさけだつたのです。
水みづと言いへば、せい〴〵米こめの磨とぎ汁しるでもくれさうな處ところを、白しら雪ゆきに蛋き黄みの情なさけ。――萌もえ黄ぎの蚊か帳や、紅べにの麻あさ、……蚊かの酷ひどい處ところですが、お米よねさんの出では入ひりには、はら〳〵と螢ほたるが添そつて、手てを映うつし、指ゆび環わを映うつし、胸むねの乳ちぶ房さを透すかして、浴ゆか衣たの染そめの秋あき草ぐさは、女をみ郎なへ花しを黄きに、萩はぎを紫むらさきに、色いろあるまでに、蚊か帳やへ影かげを宿やどしました。
﹁まあ、汗あせびつしより。﹂
と汚きたない病びや苦うくの冷ひや汗あせに……そよ〳〵と風かぜを惠めぐまれた、淺あさ葱ぎい色ろの水みづ團うち扇はに、幽かすかに月つきが映さしました。……
大だい恩おんと申まをすは此これなのです。――
おなじ年とし、冬ふゆのはじめ、霜しもに緋もみ葉ぢの散ちる道みちを、爽さわやかに故こき郷やうから引ひつ返かへして、再ふたゝび上じや京うきやうしたのでありますが、福ふく井ゐまでには及およびません、私わたしの故こき郷やうからは其それから七里りさきの、丸まる岡をかの建たて場ばに俥くるまが休やすんだ時とき立たち合あはせた上じや下うげの旅りよ客かくの口くち々〴〵から、もうお米よねさんの風うは説さを聞ききました。
知ち事じの妾おもひものと成なつて、家いへを出でたのは、其その秋あきだつたのでありました。
こゝはお察さつしを願ねがひます。――心こゝ易ろやすくは禮れい手てが紙み、たゞ音おと信づれさへ出で來きますまい。
十六七年ねんを過すぎました。――唯たゞ今いまの鯖さば江え、鯖さば波なみ、今いま庄しやうの驛えきが、例れいの音おとに聞きこえた、中なかの河かは内ち、木きの芽めた峠うげ、湯ゆの尾をた峠うげを、前ぜん後ごさ左い右うに、高たかく深ふかく貫つらぬくのでありまして、汽きし車やは雲くもの上うへを馳はしります。
間あひの宿しゆくで、世せ事じの用ようは聊いさゝかもなかつたのでありますが、可なつ懷かしさの餘あまり、途とち中うで武たけ生ふへ立たち寄よりました。
内ない證しようで……何なんとなく顏かほを見みられますやうで、ですから内ない證しようで、其その蔦つた屋やへ參まゐりました。
皐さつ月き上じや旬うじゆんでありました。
三
門かど、背せ戸どの清きよき流ながれ、軒のきに高たかき二ふた本もと柳やなぎ、――其その青あを柳やぎの葉はの繁しげ茂り――こゝに彳たゝずみ、あの背せ戸どに團うち扇はを持もつた、其その姿すがたが思おもはれます。それは昔むかしのまゝだつたが、一ひと棟むね、西せい洋やう館くわんが別べつに立たち、帳ちや場うばも卓テエ子ブルを置おいた受うけ附つけに成なつて、蔦つた屋やの樣やう子すはかはつて居ゐました。
代だい替がはりに成なつたのです。――
少すこしばかり、女ぢよ中ちうに心こゝろづけも出で來きましたので、それとなく、お米よねさんの消せう息そくを聞ききますと、蔦つた屋やも蔦てう龍りう館くわんと成なつた發はつ展てんで、持もちの此この女ぢよ中ちうなどは、京きやうの津つから來きて居ゐるのださうで、少すこしも恩おん人じんの事ことを知しりません。
番ばん頭とうを呼よんでもらつて訊たづねますと、――勿もち論ろん其その頃ころの男をとこではなかつたが――此これはよく知しつて居ゐました。
蔦つた屋やは、若わか主しゆ人じん――お米よねさんの兄あに――が相さう場ばにかゝつて退たい轉てんをしたさうです。お米よねさんにまけない美びじ人んをと言いつて、若わか主しゆ人じんは、祇ぎを園んの藝げい妓しやをひかして女によ房うばうにして居ゐたさうでありますが、それも亡なくなりました。
知ち事じ――其その三年ねん前ぜんに亡なく成なつた事ことは、私わたしも新しん聞ぶんで知しつて居ゐたのです――其そのいくらか手てあ當てが殘のこつたのだらうと思おもはれます。當たう時じは町まちを離はなれた虎いた杖どりの里さとに、兄きや妹うだいがくらして、若わか主しゆ人じんの方はうは、町まち中なかの或ある會くわ社いしやへ勤つとめて居ゐると、此この由よし、番ばん頭とうが話はなしてくれました。一いつ昨さく年ねんの事ことなのです。
――いま私わたしは、可おそ恐ろしい吹ふゞ雪きの中なかを、其そ處こへ志こゝろざして居ゐるのであります――
が、さて、一いつ昨さく年ねんの其その時ときは、翌よく日じつ、半はん日にち、いや、午ご後ご三時じご頃ろまで、用ようもないのに、女ぢよ中ちうたちの蔭かげで怪あやしむ氣けは勢ひのするのが思おもひ取とられるまで、腕うで組ぐみが、肘ひぢ枕まくらで、やがて、夜や具ぐを引ひつ被かぶつてまで且かつ思おもひ、且かつ惱なやみ、幾いく度たびか逡しゆ巡んじゆんした最さい後ごに、旅りよ館くわんをふら〳〵と成なつて、たうとう恩おん人じんを訪たづねに出でました。
故わざと途とち中う、餘よ所そで聞きいて、虎いた杖どり村むらに憧あこ憬がれ行ゆく。……
道みちは鎭ちん守じゆがめあてでした。
白しろい、靜しづかな、曇くもつた日ひに、山やま吹ぶきも色いろが淺あさい、小こな流がれに、苔こけ蒸むした石いしの橋はしが架かゝつて、其その奧おくに大おほきくはありませんが深ふかく神かん寂さびた社やしろがあつて、大たい木ぼくの杉すぎがすら〳〵と杉すぎなりに並ならんで居ゐます。入いり口ぐちの石いしの鳥とり居ゐの左ひだりに、就とり中わけ暗くらく聳そびえた杉すぎの下もとに、形かたちはつい通とほりでありますが、雪せつ難なん之の碑ひと刻きざんだ、一基きの石せき碑ひが見みえました。
雪ゆきの難なん――荷にか擔つぎ夫ふ、郵いう便びん配はい達たつの人ひとたち、其その昔むかしは數あま多たの旅りよ客かくも――此これからさしかゝつて越こえようとする峠たう路げみちで、屡しば々〳〵命いのちを殞おとしたのでありますから、いづれ其その靈れいを祭まつつたのであらう、と大おほ空ぞらの雲くも、重かさなる山やま、續つゞく巓いたゞき、聳そびゆる峰みねを見みるにつけて、凄すさまじき大おほ濤なみの雪ゆきの風ふぜ情いを思おもひながら、旅たびの心こゝろも身みに沁しみて通とほ過りすぎました。
畷なは道てみち少すこしばかり、菜なた種ねの畦あぜを入はひつた處ところに、志こゝろざす庵いほりが見みえました。侘わびしい一いつ軒けん家やの平ひら屋やですが、門かどのかゝりに何なんとなく、むかしの状さまを偲しのばせます、萱かや葺ぶきの屋や根ねではありません。
伸のび上あがる背せ戸どに、柳やなぎが霞かすんで、こゝにも細せゝ流らぎに山やま吹ぶきの影かげの映うつるのが、繪ゑに描かいた螢ほたるの光ひかりを幻まぼろしに見みるやうでありました。
夢ゆめにばかり、現うつゝにばかり、十幾いく年ねん。
不ふ思し議ぎにこゝで逢あひました――面おも影かげは、黒くろ髮かみに笄かうがいして、雪ゆきの裲かい襠どりした貴きふ夫じ人んのやうに遙はるかに思おもつたのとは全まる然で違ちがひました。黒くろ繻じゆ子すの襟えりのかゝつた縞しまの小こそ袖でに、些ちつとすき切ぎれのあるばかり、空そら色いろの絹きぬのおなじ襟えりのかゝつた筒こひ袖ぐちを、帶おびも見みえないくらゐ引ひき合あはせて、細ほつそりと着きて居ゐました。
其その姿すがたで手てをつきました。あゝ、うつくしい白しろい指ゆび、結ゆひ立たての品ひんのいゝ圓まる髷まげの、情なさけらしい柔すな順ほな髱たぼの耳みゝ朶たぶかけて、雪ゆきなす項うなじが優やさしく清きよらかに俯うつ向むいたのです。
生なま意い氣きに杖ステツキを持もつて立たつて居ゐるのが、目めくるめくばかりに思おもはれました。
﹁私わたしは……關せき……﹂
と名なを申まをして、
﹁蔦つた屋やさんのお孃ぢやうさんに、お目めにかゝりたくて參まゐりました。﹂
﹁米よねは私わたしでございます。﹂
と顏かほを上あげて、清すゞしい目めで熟じつと視みました。
私わたしの額ひたひは汗あせばんだ。――あのいつか額ひたひに置おかれた、手ての影かげばかり白しろく映うつる。
﹁まあ、關せきさん。――おとなにお成なりなさいました……﹂
此これですもの、可なつ懷かしさはどんなでせう。
しかし、こゝで私わたしは初はつ戀こひ、片かたおもひ、戀こひの愚ぐ癡ちを言いふのではありません。
……此この凄すごい吹ふゞ雪きの夜よ、不ふ思し議ぎな事ことに出であひました、其そのお話はなしをするのであります。
四
その時ときは、四か疊こ半ひではありません。が、爐ろを切きつた茶ちやの室まに通とほされました。
時ときに、先せん客きやくが一ひと人りありまして爐ろの右みぎに居ゐました。氣けだ高かいばかり品ひんのいゝ年としとつた尼あまさんです。失しつ禮れいながら、此この先せん客きやくは邪じや魔までした。それがために、いとゞ拙つたない口くちの、千せんの一ひとつも、何なんにも、ものが言いはれなかつたのであります。
﹁貴あな女たは煙たば草こをあがりますか。﹂
私わたしはお米よねさんが、其その筒こひ袖ぐちの優やさしい手てで、煙きせ管るを持もつのを視みて然さう言いひました。
お米よねさんは、控ひかへて一ちよ寸つと俯うつ向むきました。
﹁何なに事ごともわすれ草ぐさと申まをしますな。﹂
と尼あまさんが、能のうの面めんがものを言いふやうに言いひました。
﹁關せきさんは、今こと年し三十五にお成なりですか。﹂
とお米よねさんが先さきへ數かぞへて、私わたしの年としを訊たづねました。
﹁三さん碧ぺきなう。﹂
と尼あまさんが言いひました。
﹁貴あな女たは?﹂
﹁私わたしは一ひとつ上うへ……﹂
﹁四しろ緑くなう。﹂
と尼あまさんが又また言いひました。
――略りやくして申まをすのですが、其そ處こへ案あん内ないもなく、づか〳〵と入はひつて來きて、立たち状ざまに一ちよ寸つと私わたしを尻しり目めにかけて、爐ろの左ひだりの座ざについた一人にんがあります――山やま伏ぶしか、隱いん者じやか、と思おもふ風ふう采さいで、ものの鷹おう揚やうな、惡わるく言いへば傲がう慢まんな、下へ手たが畫ゑに描かいた、奧あう州しうめぐりの水み戸との黄くわ門うもんと言いつた、鼻はなの隆たかい、髯ひげの白しろい、早はや七十ばかりの老らう人じんでした。
﹁此これは關せきさんか。﹂
と、いきなり言いひます。私わたしは吃びつ驚くりしました。
お米よねさんが、しなよく頷うなづきますと、
﹁左さや樣うか。﹂
と言いつて、此これから滔たふ々〳〵と辯べんじ出だした。其その辯べんずるのが都とく會わいに於おける私わたしども、なかま、なかまと申まをして私わたしなどは、ものの數かずでもないのですが、立りつ派ぱな、畫ゑの畫せん伯せい方がたの名なを呼よんで、片かた端つぱしから、奴やつがと苦にがり、彼あれめ、と蔑さげすみ、小こぞ僧う、と呵から々〳〵と笑わらひます。
私わたしは五六尺しやく飛とび退さがつて叩おじ頭ぎをしました。
﹁汽きし車やの時じか間んがございますから。﹂
お米よねさんが、送おくつて出でました。花はな菜なの中なかを半なかばの時とき、私わたしは香かに咽むせんで、涙なみだぐんだ聲こゑして、
﹁お寂さびしくおいでなさいませう。﹂
と精せい一いつ杯ぱいに言いつたのです。
﹁いゝえ、兄あにが一いつ緒しよですから……でも大おほ雪ゆきの夜よなぞは、町まちから道みちが絶たえますと、こゝに私わたし一ひと人りきりで、五いつ日かも六むい日かも暮くらしますよ。﹂
とほろりとしました。
﹁其そのかはり夏なつは涼すゞしうございます。避ひし暑よに行いらつしやい……お宿やどをしますよ。……其その時じぶ分んには、降ふるやうに螢ほたるが飛とんで、此この水みづには菖あや蒲めが咲さきます。﹂
夜よぎ汽し車やの火ひの粉こが、木きの芽めた峠うげを螢ほたるに飛とんで、窓まどには其その菖あや蒲めが咲さいたのです――夢ゆめのやうです。………あの老らう尼には、お米よねさんの守まも護りが神み――はてな、老らう人じんは、――知ち事じの怨をん靈りやうではなかつたか。
そんな事ことまで思おもひました。
圓まる髷まげに結ゆつて、筒こひ袖ぐちを着きた人ひとを、しかし、其その二ふた人りは却かへつて、お米よねさんを祕ひみ密つの霞かすみに包つゝみました。
三み十そ路ぢを越こえても、窶やつれても、今いまも其その美うつくしさ。片かた田ゐな舍かの虎いた杖どりになぞ世よにある人ひととは思おもはれません。
ために、音おと信づれを怠おこたりました。夢ゆめに所ところがきをするやうですから。……とは言いへ、一ひとつは、日ひに増まし、不ふ思し議ぎに色いろの濃こく成なる爐ろの右みぎ左ひだりの人ひとを憚はゞかつたのであります。
音おと信づれして、恩おん人じんに禮れいをいたすのに仔しさ細いはない筈はず。雖けれ然ども、下げ世せ話わにさへ言いひます。慈じ悲ひすれば、何なんとかする。……で、恩おん人じんと言いふ、其その恩おんに乘じやうじ、情なさけに附つけ入いるやうな、賤いやしい、淺あさましい、卑ひれ劣つな、下げ司すな、無ぶれ禮いな思おもひが、何どうしても心こゝろを離はなれないものですから、ひとり、自みづから憚はゞかられたのでありました。
私わたしは今いま、其そ處こへ――
五
﹁あゝ、彼あす處こが鎭ちん守じゆだ――﹂
吹ふゞ雪きの中なかの、雪ゆき道みちに、白しろく續つゞいた其その宮みやを、さながら峰みねに築きづいたやうに、高たかく朦もう朧ろうと仰あふぎました。
﹁さあ、一ひと息いき。﹂
が、其その息いきが吐つけません。
眞まう俯つ向むけに行ゆく重おもい風かぜの中なかを、背うし後ろからスツと輕かるく襲おそつて、裾すそ、頭かしらをどツと可おそ恐ろしいものが引ひき包つゝむと思おもふと、ハツとひき息いきに成なる時とき、さつと拔ぬけて、目めの前まへへ眞まつ白しろな大おほきな輪わの影かげが顯あらはれます。とくる〳〵とるのです。りながら輪わを卷まいて、卷まき〳〵卷まき込こめると見みると、忽たちまち凄すさまじい渦うづに成なつて、ひゆうと鳴なりながら、舞まひ上あがつて飛とんで行ゆく。……行ゆくと否いなや、續つゞいて背うし後ろから卷まいて來きます。それが次しだ第いに激はげしく成なつて、六むツ四よツ數かぞへて七なゝツ八やツ、身から體だの前ぜん後ごに列れつを作つくつて、卷まいては飛とび、卷まいては飛とびます。巖いはにも山やまにも碎くだけないで、皆みな北ほく海かいの荒あら波なみの上うへへ馳はしるのです。――最もう此この渦うづがこんなに捲まくやうに成なりましては堪たへられません。此この渦うづの湧わき立たつ處ところは、其その跡あとが穴あなに成なつて、其そ處こから雪ゆきの柱はしら、雪ゆきの人ひと、雪ゆき女をんな、雪ゆき坊ばう主ず、怪あやしい形かたちがぼツと立たちます。立たつて倒たふれるのが、其そのまゝ雪ゆきの丘をかのやうに成なる……其それが、右みぎに成なり、左ひだりに成なり、横よこに積つもり、縱たてに敷しきます。其その行ゆく處ところ、飛とぶ處ところへ、人ひとのからだを持もつて行いつて、仰あを向むけにも、俯うつ向むかせにもたゝきつけるのです。
――雪せつ難なん之の碑ひ。――峰みねの尖とがつたやうな、其そ處この大たい木ぼくの杉すぎの梢こずゑを、睫まつ毛げにのせて倒たふれました。私わたしは雪ゆきに埋うもれて行ゆく………身みう動ごきも出で來きません。くひしばつても、閉とぢても、目めく口ちに浸しむ粉こゆ雪きを、しかし紫あぢ陽さ花ゐの青あをい花はな片びらを吸すふやうに思おもひました。
――﹁菖あや蒲めが咲さきます。﹂――
螢ほたるが飛とぶ。
私わたしはお米よねさんの、清きよく暖あたゝかき膚はだを思おもひながら、雪ゆきにむせんで叫さけびました。
﹁魔まが妨さまたげる、天てん狗ぐの業わざだ――あの、尼あまさんか、怪あやしい隱いん士しか。﹂