一
小石川白はく山さんのあたりに家がある。小山弥やさ作く氏、直ちょ槙くしんは、筆者と同郷の出で、知人は渠かれを獅し子し屋やさんと渾あだ名なした。誉ほめ過すぎたのでもありません、軽く扱ったのでもありません。 氏神の祭礼に、東京で各町内、侠きお勇いの御おみ神こ輿しを担かつぐとおなじように、金沢は、廂ひさしを越すほどの幌ほろに、笛太鼓三さみ味せ線んの囃はや子しを入れて、獅子を大練りに練って出ます。その獅子頭に、古来いわれが多い。あの町の獅子が出れば青空も雨となる。一いっの風を捲まく。その町の獅子は日和を直す。が、まけるものか荒びは激しい、血を見なければ納まらないと、それを矜ほこりとし名誉として、由緒ある宝物になっている。こういうのは、いずれ名ある仏師、木彫の達人の手になつた﹇#﹁なつた﹂はママ﹈ものであろうと思う。従って、不断この仕事があるわけではないので、亜流の職人が手間取にこしらえる。一種、郷おみ土やげ玩おも具ちゃの手頃な獅子があって、素しら材きづくりはもとより、漆黒で青い瞳、銀の牙きば、白い毛。朱丹にして、玉の瞳、金の牙、黒い毛。藍らん青せいにして、黒い牙、赤い毛。猛たけき、凄すさまじき、種いろ々いろで、ちょいとした棚の置物、床飾り、小こど児もの玩もてあそぶのは勿論の事。父祖代々この職人の家から、直槙は志を立てて、年と紀し十五六の時上京した。 彫刻家にして近代の巨匠、千せん駄だ木ぎの大師匠と呼ばれた、雲原明流氏の内弟子になり、いわゆるけずり小僧から仕込まれて、門下の逸材として世に知られるようになりました。――獅子屋というのはそうした訳で、人品もよし、腕も冴さえた。この人物が、四十を過ぎて、まのあたり、艶えん異い、妖よう変へんな事実にぶつかった――ちと安価な広告じみますが、お許しを願って、その、直じき話わをここに、記そうと思う。…… ついては、さきだって、二つ三つ、お耳に入れておきたい話があります。二
以前、まだ、獅子屋さんの話をきかないうち、筆わた者しは山の手の夜店で、知った方は――笑って、ご存じ……大だい嫌きらいな犬が、人ひと混ごみの中から、大おお鰻うなぎの化けたような面つら。……なに馬鹿を言え、犬の面がそんなものに似てたまるかと……御ごも尤っともでありますが、どうも時々そう見える。――その面が出はしまいかと気にしながら、古本古雑誌の前に踞しゃ込がみこんで、おやすく買求めて来ましたのが、半紙綴つづり八十枚ばかりの写本、題して﹁近世怪談録﹂という。勿論江戸時代、寛政、明和の頃に、見もし聞きもした不思議な話を筆写したものでありますが、伝写がかさなっているらしく、草行まじりで、丁寧だけれども筆耕が辿たど々たどしい。第一、目録が目線であります。下しも総うさが下綱だったり、蓮れん花げが蓬よもぎの花だったり、鼻が阜ふになって、腹が榎えのきに見える。らりるれろはほとんど、ろろろろろで、そのまま焼しょ酎うち火ゅうびが燃えそうなのが、みな女筆だからおもしろい。
中に、浅草だの、新吉原だの、女郎だのという字は、優しく柔かにしっとりと、間違いなくかいてある。どうも、このうつしものを手内職にした、その頃の、ごしんぞ、女にょ房うぼ、娘。円まる髷まげか、島田か、割わり鹿かの子こ。……やつれた束ね髪ででもありましょうか、薄暗い行あん燈どんのもとに筆をとっている、ゆかしい、あわれな、寂わびしい姿が、何となく、なつかしく目に映る。何も、燈心の灯影は、夜と限ったわけではありません、しょぼしょぼ雨の柳の路地の窓際でもよし、夕顔のまばら垣に、蚊かや遣りが添っても構いはしない。……内職の仕事といえば、御殿や、お邸やしきでさえなければ、言わずともその情景は偲しのばれましょう。
ところで、何しろ﹁怪談録﹂です。怨おん念ねんの蛇がぬらぬらと出たり、魔界の巷ちまたに旅人がったり。……川柳にさえあるのです……︵細首を掴つかんで遣やり手て蔵へ入れ︶……そのかぼそい遊女の責殺された幻が裏うら階ばし子ごに彳たたずんだり、火の車を引いて鬼が駆けたり、真夜中の戸障子が縁の方から、幾いく重えにも、おのずからスッと開あいて、青い坊さんが入って来たりするのでありますから、がたがたがた、酒屋の小僧が台所の戸を開けても、ハッと思い、蚊遣の火も怪しく燃えれば、煙の末に鬼が顕あらわれ、夕顔の蕊しべもおはぐろでニタリと笑う。柳の雫しずくも青い尾を曳ひく。ふと行燈に蟷かま螂きりでも留ったとする……眼まなこをぎょろりと、頬ほお被かぶりで、血染の斧おのを。
﹁あれえ。﹂
筆を持った白い手を、わななかせたに違いない。
時に、白い﹇#﹁白い﹂は底本では﹁自い﹂﹈手といえば、﹁怪談録﹂目録の第一に、一、浅草川船中にて怪霊に逢う事、というのがある。
当時の俳諧師、雪中庵の門人、四五輩。寛延年とし不つま詳びらかならず、霜月のしかも晦みそ日か、枯かれ野の見みからお定まりの吉原へ。引手茶屋で飲んだのが、明あ日すは名におう堺町葺ふき屋やち町ょうの顔見世、夜の中うちから前景気の賑にぎわいを茶屋で見ようと、雅名を青楼へ馳はせず芝居に流した、どのみち、傘さん雨うさん︵久保田氏︶の選には入りそうもないのが、堀から舟で乗出した。もう十よ時つを過ぎている、やがて十ここ二の時つ。舳へさきが蔵前をさすあたり、漾よう蕩とうたる水の暗さにも、千鳥の声に、首尾の松が音ずれして、くらやみから姿をさしのべ、舟を抱くばかりに思うと、ぴたりと留って動かない。櫓ろづかいをあせる船頭の様子も仔しさ細いありげで、夜よは深し、潮も満ちて不気味千万、いい合わせたように膝を揉もみ合あい、やみを透すかすと、心持、大きな片手で、首尾の松を拝んだような船の舳に、ぼっと、白いものが搦からんでいる。呼い吸きを詰めて見透すと、白い、細ほっそりした、女の手ばかりが水の中から舳に縋すがっているのであります。﹁さながら白き布かと見えて、雪のごとし﹂と、写本には書いてある。うつくしい女の手が布に見えたのは、嘘ではないらしい。狂言の小舞の謡うたにも、
十六七は棹 に掛けた細布、折取りゃいとし、手繰りよりゃいとし……
肌さえ身さえ、手の縋った、いとしいのを。
﹁やあ、畜生。﹂
この怪ばけもの、といったか、河かっ童ぱ、といったか、記してないが、﹁いでその手ぶし切落さんと、若き人、脇わき指ざし、﹂……は無法である。けだし首尾の松の下だけの英雄で、初めから、一人供をした幇たい間こもちが慌てて留めるのは知れている。なぜにその手を取って引上げて見なかったろう。もし枝葉に置く霜の影に透したらんに、細い腕かいなに袖絡からみ、乳乱れ、褄つま流れて、白しら脛はぎはその二ふた片ひらの布を流ながれに掻かき絞しぼられていたかも知れない。
船頭もまた臆おく病びょうすぎる。江えど戸っ児こだろうに、溺おぼれた女とも、身投とも弁わきまえず、棒ぼう杭ぐいのようにかたくなって、ただ、しい、しい、静しずかにとばかり。おのおの青くなって、息を凝らすうちに――﹁かの白き手、舳をはなし、水中に消入りぬ。﹂……
潮に乗って船は出た。
﹁が、しかし、水に溺れましたか、あるいは身投の婦人が苦しさのあまり、助たすかりたさにとも申すような……﹂
幇ぼう間さん、もう遅い。分別おくれに、船頭と相顧みて、﹁船中このあたりにては、かような不思議はままある事、後に聞くもの、驚かずという事なし、いかなるものやらん合点ゆかず、恐しかりける事なり。﹂である。
が、ここを筆耕した、上品な、またおっとりと、ものやさしい、ご新造、娘には、恐しかりける事より、何となく、ものあわれに、悲しく、うら寂しく、心を打たれたろうと思う。
あとは隅田の凩こがらしである。
この次手に――
浅間山の麓 にて火車往来の事
軽井沢へ避暑の真似をして、旅や宿どの払はらいにまごついたというのではない。後ご世せこそ大事なれと、上かず総さから六部に出た﹇#﹁出た﹂は底本では﹁出に﹂﹈老人が、善光寺へ参さん詣けいの途中、浅間山の麓に……といえば、まずその硫いお黄うの香においと黒くろ煙けぶりが想われる。……さて行悩んで、侘わびしげなる茶屋に立寄り休むうちに、亭主がいうには、去年、︵享保年中︶八月中ばの事――その日も、やがて八ツ下り。稗ひえ黍きびの葉を吹く風もやや涼しく、熔岩とともにころがった南かぼ瓜ちゃの縁に、小休みの土地のもの二三人、焼やけ土つちの通り径みちを見ながら、飯めし盛もりの彼きゃ女つは、赤い襦じゅ袢ばんを新しく買った。笄こうがいを質に入れたなどと話していると、遥はるかに東の方かたよりむら立つ雲もなく、虚こく空うを渡るがごとく、車の駆来る音して、しばらくの間に目まの前あたりへ近づいたのを見ると、あら、可おそ恐ろし、素すは裸だの荒あら漢おとこ、三人、車を宙に輾ひくごとし。真まっ先さきに、布、紙を弁えず飜ひるがえした、旗の面おもてに、何と、武州、郡こおりの名、村の名、人の名――︵ともに憚はばかると註してある︶――歴あり々ありと記したるが矢よりも早く飛過ぐる。火を揚げ煙を噴いた車の中に、炎の搦からんだように腰の布が紅くれないに裂けて、素すは裸だであろう、黒髪ばかり蓑みののごとく乱れた、躯むくろをのせた、輻やが軋きしり、轍わだちが轟とどろき、磽こうたる石径を舞上って、﹁あれあれ浅間山の煙の中へ火の尾を曳ひいて消えて候そろよ、六部どの。われら世過ぎにせわしき身は、一夜の旅も、糧かてゆえに思うに任せず、廻国のついでに、おのずから、その武州何郡、何村に赴きたまわば、﹂事のよしをも訪といとむらいたまえと、舌を掉ふるって語ったというのである。――嘘ばっかり。大き小み哥た哥ち、宿場女郎の髪の香、肌ざわりなど大話をしていたればこそ、そんなものが顕あらわれた。猪か猿を取って、威勢よく飛んだか、早伝馬が駆出したか、不ふら埒ちにして雲助どもが旅の女を攫さらったのかも分らない。はた車の輪の疾とく軋きしるや、秋の夕日に尾花を燃もやさないと誰が言おう――おかしな事は、人が問いもしないのに、道中、焼やけ山やま越ごえの人足である――たとえ緊しめなくても済むものを、虎の皮には弱ったと見えて、火の車を飛ばした三み個つの鬼が、腰に何やらん襤ぼ褸ろを絡まとっていた、は窮している。……ただし窮してまで虎の皮代用の申訳をした、というので、浅間山の麓の茶屋の亭主は語り、六部の爺じい様さまは聞いて、世に伝えたのは事実らしい。
三
これに続いて、
目白辺の屋敷猫を殺しむくいし事
下谷 辺にて浪人居宅化霊 ありし事
三州岡崎宿にて旅人狒々 に逢う事
奥州にて旅人山に入 り琴の音 を尋ねる事
題を見ただけでも、三州岡崎宿にて旅人
奥州にて旅人山に
新吉原山口にて客幽霊を見し事
同 角町 海老屋 の女郎客の難に逢いし事
二つとも、ものあわれな
どうも灰はい吹ふきから異形になって立たち顕あらわれるのに、蓋ふたをしたい、煙のようなのが多い。誰の気もおなじと見えて、ずらりと並べた目録の上に、いつかこの写本を見た読者の心をひいたらしく、ただ一つ題の上に、大きな○テンをかけた一条がある。
○浅草新堀にて幽霊に行逢う事
曰く、ここに武家、山本氏うじ某なにがし若かりし頃、兄の家に養わる、すなわち用なき部屋住ずみの次男。五さみ月だ雨れのつれづれに、﹁どれ書見でも致そうか。﹂と気取った処で、袱ふく紗さで茶を運ぶ、ぼっとりものの腰元がなかったらしい。若い身空にふりみふらずみ、分けてその日は朝から降りつづく遣やる瀬せなさに、築地の家を出て、下谷三みの輪わ辺の知しる辺べの許もとへ――どうも前に云った雪中庵の連中といい、とかく赤あか蜻とん蛉ぼに似て北へ伸のすのは当今でいえば銀座浅草。むかしは吉原の全盛の色香に心を引かれたらしい。――三の輪の知人在宿にて、双方心易く、四よも方や山まの話に夜が更けた。あるじ泊りたまえと平にいう。いや夜あるきには馴なれている、雨も小こ留やみに、月も少し明あかければ途みちすがら五ごい位さ鷺ぎの声も一興、と孔くじ雀ゃくの尾の机にありなしは知らぬ事、時ほと鳥とぎすといわぬが見つけものの才子が、提ちょ灯うちんは借らず、下げ駄た穿ばきに傘を提げて、五さつ月きや闇みの途すがら、洋ステ杖ッキとは違って、雨傘は、開いて翳さしても、畳んで持っても、様子に何となく色気が添って、恋の道づれの影がさし、若い心を嗾そそられて、一人ではもの足りない気がすると言う。道を土手へ切れかかった処に、時節がら次男、懐中の湿っぽさが察しられる。寂しくわが邸を志して、その浅草新堀の西福寺――震災後どうなったか判らない――寺の裏道、卵塔場の垣外へ来かかると、雨上りで、妙に墓原が薄うす明あかるいのに、前ゆく途てが暗い。樹こだ立ちともなく、葎むぐらくぐりに、晴れても傘は欲しかろう、草の葉の雫しずくにもしょんぼり濡々とした、痩やせぎすな女が、櫛くし巻まきの頸えり細く、俯うつむいた態なりで、褄つまを端折りに青い蹴け出だしが、揺れる、と消えそうに、ちらちらと浮いて、跣はだ足しで弱々と来てすれ違った。次男の才子は、何と思ったか傘を開いた。これは袖で抱込む代りの声のない初う心ぶな挑あし合らいであったろう。……身に沁しむ、もののあわれさに、我ながら袖も墨染となって、蓮はすの葉に迎えようとしたと、後あとに話した、というのは当にならぬ。血気な男が、かかる折から、おのずから猟奇と好色の慾よく念ねんが跳おどって、年の頃人の妻女か、素人ならば手で情なさけを通わせようし、夜よた鷹かならば羽はが掻いをしめて抱こうとしたろう。
婦おんなは影のように、衣きものの縞しま目めを、傘の下に透すかして、つめたく行過ぎるとともに、暗く消えた。
その摺すれ違った時、袖の縞の二ふた条すじばかりが傘を持った手に触れたのだったが、その手が悚ぞ然っとするまで冷え透とおる。……
持ちかえて、そのまま傘を畳んで歩あ行るき出すと、ものの一二町の間というのに、女の袖の触った片手――内々握ったかも知れないが――腕から肩の附根まで、その冷たさ氷のごとし。振ってみても、敲たたいてみても、しびれるほどで感じがない。……
今も講談に流布する、怪談小さよ夜ぎぬ衣ぞ草う紙し、同じ享保の頃だという。新吉原のまざり店みせ、旭あさ丸ひま屋るやの裏うら階ばし子ごで、幇たい間こもちの次じろ郎あ庵んが三つならんだ真まん中なかの厠かわやで肝を消し、表大広間へ遁にげ上のぼる、その階子の中段で、やせた遊おい女らんが崩れた島田で、うつむけにさめざめ泣いているのを、小夜衣の怨おん霊りょうとも心附かず、背中をなでると、次郎庵さん、と顔を上げて、冷たい手でじっと握った、持たれたその手が上と下に、ふわりふわり――幇間に尾花も変だ、芋ずいが招くように動いて留やまない。たちどころに半病人となって、住すま居いへ帰り、引ひっ被かずいても潜っても、夜具の袖まで、ふわふわ動いて、押えても緊しめても、頻しきりに動く。学者は舞踏病の一種だと申されよう。日を経て、ふるえの留まらぬままに、一念発起して世を捨てた。土手の道哲の地じな内いに、腰衣で土に坐り、カンカンと片手で鉦かねを、敲たたき、たたき、なんまいだなんまいだなんまいだ、片手は上うえ下したに振っている。ああ、気の毒だと、あたりの知しり人びと、客筋、の行ゆきかえりの報謝に活きて、世を終った、手振坊主の次郎庵と、カチン︵講釈師の木のうまい処︶後にその名を残した、というのと、次男の才子の容体が、妙に似ている。
が、この方は無事に助かった。細身の大小、まだ前髪立ともいうべき年ごろに、余りといえば手の冷えよう、築地まで帰るのが心もとなく、さいわい蔵前に姉の縁づいた邸があった。いうまでもなく義兄の住すま居い。真夜中に慌あわただしく門を敲いて驚かすと、﹁馬が一所か。﹂とも言わず、兄は快く一間に招じた。上品な姉の、寝乱れた姿も見せず、早くきちんと着かえて、出迎へたのも頼もしい。
途中、五位鷺の声もきかず、ただ西福寺裏で行逢った、寂しく、あわれな婦おんなを聞くと、兄は深く頷うなずいた。が、まずいうがままにいたされよ、で、ご新しん姐ぞに意を得させ、鍋なべをもって酒を煮た。下げ戸こは知ったが、唯一の良薬と、沸にえ燗かんの茶碗酒。えい、ほうと四あた辺りを払った大名飲のみ。
――聞いただけでも邪気が払える。あとをなお沸に立たった酒で、幾いく度たびもその冷込んだ手を洗わせ、やがて、ご新姐の手ずから、絹きぬ衾ぶすまを深々と被かぶせられると、心も宙に浮いて、やすらかにぐっすり寝た。目がさめると、雨は降っていたが気は晴々となった、と言います。三田の豪傑だと、片腕頂戴するところ、この武家の少年は、浅草で片手を氷にしようとした、いささかも武勇めかないだけに、読んでいても、これは事実だと思われる。
ここにもう一条﹁怪談録﹂から大意を筆記したい事がある。
大森辺魔道の事
明和三年弥やよ生いなかば――これは首尾の松の霜、浅間の残暑、新堀の五月雨などとは事かわって、至極陽気がいい。川崎の大師へ参詣かたがた……は勿体ないが、野のが掛けとして河原で一杯、茶飯と出ようと、四よつ谷や辺の大工左官など五六人。芝、品川の海の景色、のびのびと、足にまかせて大森の宿しゅ中くなかまで行ゆくと、街道をひいて通るのではない、馬五郎、という大工が、このあたりに縁類の久しい不沙汰をしたのがあり、ちょっと顔出して行きたし、お前さん方は一足お先へ。﹁おう、そうか、久しぶりと聞けば、前さ方きでもすぐには返すまいし、戸口からも帰られまい、ゆっくりなせえ、並木の茶店で小休みをしながら待とうよ。﹂で、馬五郎がその縁類を訪れた。ここの辞儀挨拶は用がないから省略する。どれ、連中に追おっつこうと、宿はずれへ急ぐと、長のど閑かな霞のきれ間とも思われる、軽く人ひと足あしの途絶えた真昼の並木の松蔭に、容よう子すの好いい年増が一人、容かたちの賤いやしからぬのが、待構えたように立っていて、
﹁もし、もし。﹂
女主ある人じが是非お目にかかりたく、それゆえお迎えに参りました、と言う。
﹁へへえ、奥様がね。へい、はてな?﹂
お逢い遊ばせばわかる事、お手間は取らせませぬ、と手がのびて袂たもとを曳ひかれると春風今を駘たけ蕩なわに、蕨わらび、独う活どの香に酔ったほど、馬は、うかうかと歩あ行るき出したが、横よこ畷なわて少しばかり入ると、真向うに樹こだ立ち深く、住すみ静しずめた見事な門もん構がまえの屋敷が見える。掃清めたその門内へ導くと、ちょっとこれに、唯ただ今いまご案内。で、婦おんなは奥深く切戸口と思うのへ小こば走しりに姿を消した。式台のかかり、壁の色、結構、綺麗さ。花の影、松風の中に一人立つ大工の目を驚かして、およそ数す寄きを凝らした大名の下屋敷にも、かばかりの普請はなかろう。折から鶏の声の遠く聞えるのが一ひと入しお里離れた思いがする……時しも家やの内遠い処に、何となく水の音……いや湯殿で加減を見るような気配がした。いかにとぼんとした馬なればといって、広い邸の門内の素すま真んな中かには立っていない。片かた傍わきに、家来衆、めしつかわれるものの住むらしい小造りな別棟、格子づくりの家うちがあって、出窓に、小瓶に、山吹の花の挿したのが覗のぞかれる。ふとその窓があくと、島田髷まげの若い女の、まるい顔が、馬を見ると、はッとした様子で、
﹁あれ、親方さん。﹂
﹁ええ。﹂
﹁どうして、こんな処へ。ここをどこだとお思いなさいます。――畜生道、魔界だことを、ご存じないのでございますか。﹂
﹁やあ。﹂
﹁人間のもとの身では帰られませんよ、どんな事がありましても、ここで何かめしあがったり、それからお湯へ入ってはいけません。こういううちにも、早く、早くお遁にげなさいまし、お遁げなさいまし。﹂
﹁やあ、お前さんは。﹂
﹁三年あとに、お宅に飼われました、駒こまですよ、駒……猫ですよ。﹂
ばったり、出窓の障子が上うわ敷じき居いから落ちて閉った時、以前の年増がもう目の前。
﹁お待たせいたしました。さあさあどうぞ。﹂
﹁へい、いえ、その。……﹂
﹁さあ。﹂
﹁へい、いえ、その。﹂
﹁さあ、まあ、どうなすったんでございますねえ。﹂
凄すごい。じっと見た目が袂を引いたより力が強い。見す見す魔界と知りながら、年増の手には是非もない。馬は、ふらふらとなって切戸口から引入れられると、もう奥庭で、階段のついた高縁の、そこが書院で、向った襖ふすまがするすると左右へ開くと、下げ髪にして裲うち襠かけを捌さばいた、年三十ばかりの奥方らしいのに、腰元大勢、ずらりとついて、
﹁待ちかねました。よう、見えたの。﹂
と莞にっ爾こり。
その裲襠、帯、小袖の綾あや、錦にしき。腰元の装よそおいの、藤、つつじ、あやめと咲きかさなった中に、きらきらと玉虫の、金きん高だか蒔まき絵えの膳ぜん椀わんが透いて、緞どん子すのが大おお揚あげ羽はの蝶のように対に並んだ。
﹁草わら鞋じをおぬぎになるより、さきへ一風呂。﹂
﹁さっぱりと、おしめしあそばせ。﹂
腰元のもろ声を聞くと、頭から、風呂桶おけを引ひっ被かぶせられたように動どう顛てんして、傍わきについた年増を突飛ばすが疾はやいか――入る時は魂が宙に浮いて、こんなものは知らなかった――池にかかった石だたみ、目金橋へ飛上る拍子に、すってんころりと、とんぼう返り、むく起きの頭を投飛ばされたように、木戸口から駆出すと、
﹁遁にがすなよ。﹂
という声がする。
﹁追え、追え。﹂
﹁娑しゃ婆ばへ出た。﹂
と口々に、式台へ、ぱらぱらと女たち。
門外そとへ足がのびた。
﹁手桶では持重りがして手間を取る、椀、椀、椀。﹂
といった……ここは書きとりにくい。魔界の猫邸であるのに、犬の声に聞えます。が、白しら脛はぎか、前脚か、緋ひぢ縮りめ緬んを蹴けて、高飛びに追かけたお転婆な若いのが、
﹁のばした、叶わぬ。﹂
と、その椀を、うしろから投げつけたのが、空くうを足あ掻がく馬の踵かかとに当ると、生ぬるい水がざぶりとかかった。
生いの命ちび拾ろいを、いや、人間びろいをしたのであるが、家に帰って、草わら鞋じを脱ぎ、足を洗う時心づくと、いやな気味の水のかかった処に、もさもさ黒い毛が生えていた。剃っても削っても、一夜のうちに湧わいてのびる。……のみならず、当分は、
﹁椀。﹂
と一ひと言こというさえ、口を塞ふさいで、顔の色を変えた。﹁不思議にも浅間しく人々にも見せ申したり。馬五郎に心安ければ目まのあたりこれを見る。なかなか浮きたる事にはあらず。﹂というのであります。
浮きたる事にも、飛んだる事にも、馬を鹿に、というさえあるに、猫にしようとした……魔魅の振舞も沙汰過ぎる。聞くからに荒こう唐とう無むけ稽いである。第一、浅学寡かぶ聞んの筆者が、講談、俗話の、佐賀、有馬の化猫は別として、ほとんど馬五郎談と同工異曲なのがちょっと思い出しても二三種あります。肥ひご後のく国に、阿あ蘇その連峰猫ねこ嶽だけは特に人も知って、野州にも一つあり、遠く能の登との奥深い処にもある、と憶おもう。しかるに前述、獅子屋さん直槙の体験談を聞くうちに、次第に何となく、この話に、目鼻がつき、手足が生えて、獣けものか、鳥か、稀け有うな形で、まざまざと動き出しそうになって来た。
と云って、いかにすればとて、現代に化猫は出はしません。それは話につれて、自然おわかりになりましょう。就いては場所――場所は麻あざ布ぶ――狸まみ穴あなではなく――二の橋あたり、十番に近い洒し落ゃれた処ゆえ、お取次をする前に、様子を見ようと、この不精ものが、一度その辺へ出向いた、とお思い下さい。
四
﹁ああ、久しぶりだ。﹂ 電車を下りて、筆者は二の橋に一息した。 橋もかわった。その筈はずの事で、水みな上かみ滝太郎さんが白しろ金かねの本宅に居た時分通ったと思うばかり、十五六年いや二十年もっとになる。秋のたそがれを思い出す。三田台の坂も今と違って、路は暗し、水は寂しい。橋板は破れ、欄干は朽ちて、うろぬけて、夜は狸穴から出て来て渡るものがありそうで、流れに柵しがらんだ真まっ黒くろな棒杭が、口を開けて、落葉を吸った。――これ、まだ化けては不い可けない――今は真まっ昼ぴる間まだ。見れば川幅も広くなり、鉄橋にかわって、上の寺の樹こか蔭げも浅い。坂を上あがった右手に心覚えの古ふる樫がしも枝が透いた。踞しゃがんで休むのは身は楽だけれども、憩うにも、人を待つにも、形が見っともない、と別べっ嬪ぴんの朋とも友だちに、むかし叱られた覚えがある。そこで欄干に凭もたれかかって煙たば草こを――つい橋はし袂だもとに酒場もあるのに、この殊勝な心掛を刎はね散らして、自動車が続けさまに、駆通る。 解った。いやしくも大東京市内においては、橋の上で煙草を喫のむ時世ではないのである、と云うのも、年を取ると、口くや惜しいが愚痴に聞える。 ふけた事をいって、まず遊ばない算段をしながら、川添の電車道を、向う斜めの異おつな横町へ入って行ゆく。…… いきなり曲角の看板に、三業組合と云うのが出ている。路地の両側の軒ごとに、一業二業、三業の軒燈が押合って、灯は入らないでも、カンカン帽子の素通りは四角八面に照らされる。中にも真まん円まるい磨すり硝がら子すのなどは、目金をかけた梟ふくろうで、この斑ふい入りの烏め、と紺こん絣がすりの単ひと衣えを嘲あざけるように思われる。 立込んだ家続つづきだから、あっちこち、二階の欄干に、紅あかい裏が飜ひるがえり、水とき紅い色ろを扱った、ほしものは掛かかっていても、陰が籠こもって湿っぽい、と云う中うちにも、掻かい巻まきの袖には枕が包まれ、布団の綴つづ糸りいとに、待人の紙こよ綟りが結ばっていそうだし、取残した簾すだれの目から鬢びん櫛ぐしが落ちて来そうで、どうやら翠みどりの帳とばり、紅くれないの閨しとねを、無断で通り抜ける気がして肩身が細い。 覗のぞきはしないが、小窓、子れんじに透いて見える、庭背戸には、萩の植込、おしろいの花。屋根越の柳の青い二階も見えた。あれは何の謎だろう。矢羽の窓かくしの前に、足袋がずらりと干してある。都鳥と片帆の玩おも具ちゃを苞つとに挿した形だ、とうっとり見上げる足あし許もとに、蝦ひき蟇がえるが喰附きそうな仙サボ人テ掌ンの兀こつ突とつとした鉢植に驚くあとから、続いて棕しゅ櫚ろの軒下に聳そびえたのは、毛の中から猿が覗きそうでいながら、却ってさまようものをしばらく彳たたずませ、憩わせる蔭を見せた。その仙人掌に下駄をつまだて、棕櫚に帽子をうつむけなどして、横に曲り縦に通ると、一軒、表二階の欄干を小さな楓かえでに半ば覗かせて、引ひっ込こんだ敷石に、いま打った水らしい、流れるばかり雫しずくが漾ただよう網あじ代ろ戸どを左右に開いた、つい道端の戸口に、色白な娘が一人、芸げい妓しゃの住すま居いでないから娘だろう。それとも年の少わかいかみさんだろうか。―― ︵――かみさんだと、あとの直槙の話にそのままだが、誂あつらえ通りそうはゆくまい。――︶ 女中に職すぎるのが、踞こごんで、両膝で胸を圧おさえた。お端はし折ょり下の水紅色に、絞りで千鳥を抜いたのが、ちらちらと打水に影を映した。乱れた姿で、中形青せい海がい波はの浴衣の腕を露あら呈わに、片手に黒い瓶かめを抱いだき、装もり塩じおをしながら、撮つまんだ形なりを、抜いて持った銀の簪かんざしの脚で、じゃらすように平な直らしていた。 流行の小唄端はう唄たなど、浄じょ瑠うる璃りとは趣かわって、夢にきいた俗人の本歌のような風情がある。 荒唐無稽だの、何だのというものの﹁大森辺魔道の事﹂人はこんな時に、この物語を思い出すのが、身のためだろう。 その黒い瓶を取って投げられたら。…… 筆者は足早に立たち退のいた。 出抜けると丘が向うに、くっきりと樹が黒い。山下町はこの辺らしい。震災に焼けはしなかった土地と思うが、往ゆき来きもあわただしく、落着きのない店屋が並んで、湿しけ地ちか、大おお溝どぶを埋めたかと見え、ぼくぼくと板を踏んで渡る処が多い。 ここへ来たのは、もう一ヶ処、見て戻りたい場所があったからで。……足場のよくない、上り道だが、すぐ近くに、造作なく、遠い心覚えの、見当がついた。 ――一本松と、そこの一基の燈とう籠ろうである―― おなじ一本松という――名所が、故郷なる金沢、卯うた辰つや山まの山の端はにあって、霞を絡まとい、霧を吸い、月影に姿を開き、雨あま夜よのやみにも灯ともし一つ、百万石の昔より、往ゆき来きの旅人に袖をあげさせ、手を翳かざさせたものだった、が、今はない。…… 浮浪の徒の春の夜の焚たき火びに焼けて、夜もすがら炬たい火まつを漲みなぎらせ、あくる日二時頃まで煙を揚げたのを、筆者は十四五の時、目まのあたり知っている。草の中に切株ばかり朽ちて残った。が、年々春も酣たけなわになると、おなじ姿の陽かげ炎ろうが立つといいます。むかし享保頃、ここに若い人の、きれいな心中があって、地方の事で数の少い、また多くてはならないが、もののあわれのいいつたえを、幼い耳にも伝えられたものだった。 麻布の松は、くらがり坂ざかの上にかくれて、まだ見えない。道の右手に、寺の石いし磴だんがすっくと高い。心なしか、この磴が金沢の松の上あがり口にそっくり似ている。︵ここを、直槙が上あがった事はやがて知れます。︶ また上り坂なりの石磴だから、いよいよ聳そびえて、階はし子ごを斜ななめに立てたようである。下に、道端の高い空地で、草の中に子供が大勢遊んでいるのも、卯辰山のその麓ふもとを思い出させた。 ﹁一本松の先に、ちょっとここを上って見よう。﹂ ふるさとも可なつ懐かしい、わずかに洋ステ杖ッキをつくかつかぬに、石磴の真上から、鰻が化けたか、仙サボ人テ掌ンが転んだか、棕しゅ櫚ろが飛んだか、ものの逞たくましい大きな犬が逆落しに︵ううう、わん、わんわん!︶ そりゃこそ出たわ、怯おびえまいか、大工の馬五郎ならざるものも、わッと笑う子供の声も早鐘のごとく胸を打って、横なぐれに、あれは狸坂と聞く、坂の中へ、狸のような色になって、紺こん飛がす白りが飛込んだ。 そのまま突落されたように出た処は、さいわい畜生道でも魔界でもない。賑にぎやかな明あかるい通りで、血ちな腥まぐさいかわりに、おでんの香が芬ぷんとした。もう一軒、鮨すしの酢が鼻をついた。真まん中なかに鳥居がある。神の名は濫みだりに記すまい……神社の前で、冷たい汗の帽子を脱いだ。 自動車が来たので、かけ合った、安い値も、そのままに六本木。やがて、赤坂檜ひの町きちょうへ入って、溜ため池いけへ出た。道筋はこうなるらしい。……清水谷公園を一廻りに大通を過ぎて番町へ帰ったが、吻ほっとして、浴衣に着換えて、足袋を脱ぐ時、ちょっと肩をすくめて、まず踵かかと、それから、向むこ脛うずねを見て苦笑したのは、我ながら呆とぼけている。 けれども、直槙の事は、真面目にお聞きを願う。お聞きになると、あんまり呆けていないのにお心附きになろうかと思う。…… さて、以下、直槙から聞いた話を、そのままお伝えするのである。五
二人対坐で、酌人はわざと居なかった。獅子屋さんは盃さかずきをちょっと控えた。
﹁――雪の家や、……雪の家というその待合です――
︵今日は、ご免下さい。︶
あなた方はそうした格子戸を開けて、何といって声をお掛けになりましょうかしら……おかしな口のきき方です、五つ月ゆ雨ど時きの午後四時ごろ、初はつ夏なつ真まっ昼ぴる間まだから、なおおかしい。
土間わきの壁を抜いて、御神燈といいますか、かき入れなしの磨すり硝がら子すに、鉢から朝顔の葉をあしらって夕顔に見せた処が、少々歪ゆ曲がんで痩やせたから、胡きゅ瓜うりに見えます、胡瓜に並んで、野郎が南かぼ瓜ちゃで……ははは。
処へ、すぐ取次に出た女中が……間に合せの小こお女んな。それに向い、改って、
︵小石川白山の小山と申すものですが。︶
……どうもおかしい。ここへ来るのに、私は、ご存じと思います、二の橋の袂たもとで自動車を下りましたが、三業組合の横町へ、一文字に入れそうもありません。また入れるにした処で、ちと大おお袈げ裟さで、近所騒がせだと思いました。
運転手が深切に、まごつくと不い可けません。先方は、と聞いて、一つ探険をして参りましょう。探険もまたおかしい。……実は、自宅玄関へ出た私ども家内が、﹁先さ途きは麻布の色町ですよ、﹂とこの運転手に聞かせたからですが。――﹁行っていらっしゃい。﹂家内見送りでもって、昼間の待合行ゆきは余り数を覚えません。勝手が違ったので、一枚着換えたやつが、しからばともいわず、うっかり、帽子の茶系統処どころを、ひょいと、脱いで、駆出したのがすでにおかしいのでございました。
そこで、
︵当こち屋らに、間まぶ淵ちさんのお妹ごはおいでになるかね。︶
淵が瀬にしろ、流ながれにしろ、そのお妹ご、とお聞きになると、何となく色気があります。ところがどうして、胡ごま麻し塩おの三分刈、私より八つばかりも年上の媼ばあさんだから、お察しを願いたい。
――五日以前、暮方です。膳に向った、電燈を点つけようという処へ、電話が掛かかって、家内が取次に出て、……﹁小山でございます、はい、あなたは、はあ、雪の家さん。﹂どうも雪の家という響き、何、響くほどの広さじゃない。あの手狭ですから、直ぐそこに、馬鹿な……受話器に向ったものの顔も白いように聞えて優しい名だな、と思いますと、はいはい、と受けていましたっけ。
――おわすれかも知れません、二十四五年前に、お目に、かかったきりですが、間淵の妹です。間淵は昨年なくなりました。けれど自分で一度お目にかかりたいと思いながら、ついうかがいそびれておりましたところ、このごろ、そちこち、新聞などで、名前を、写真を、見受けますし、ところも分りましたからちょっとお目にかかりたい。﹁そういって……二の橋の、きこえたでしょう、おつな名の待合から。﹂笑いながら、﹁大分、婆さんの声、お菜と一緒に、お生あい憎にく。﹂……﹁分った、分った、断ってもらおう。﹂﹁いいんですか。﹂﹁勿論、久しく煩いましても可い厭やな言いい種ぐさだが、とにかくだ、寝ているからおいで下すっても失礼します、いずれそのうち、ご挨拶だ。﹂……
――あとで、――おだいじにまた折を見ましてで電話を切りましたが、誰どな方た? といって、家内が聞きます。
その時話した事ですが、さあ、もう十四五年も前だったろう。……馳ちそ走うざ酒けのひどいのをしたたか飲まされ、こいつは活いきがいいと強いられた、黄き肌は鮪だの刺身にやられたと見えて、家うちへ帰ってから煩った、思い懸けず……それがまた十何年ぶりかで、ふと出会った旧ふるい知ちか己づきで、つい近所だから、と裏長屋へ連込まれた……間淵がそれだ。――いやそれなんです――
足の短い、胴づまりで肥った漢おと子この、みじめなのが抜ぬき衣えも紋んになって、路地口の肴さか屋なやで、自分の見立てで、その鮪まぐろを刺身に、と誂あつらえ、塩鮭の切身を竹の皮でぶら下げてくれた厚ここ情ろざしを仇あだにしては済まないが、ひどい目に逢ったのを覚えているだろう。これが間淵。その漢子の妹だよ、いま電話のかかったのは――と家内に。
が、妹には、逢ったというより見た事があるかないか、それさえよく覚えていない。――思い出せば、その酒と鮪の最中、いや、灘なだの生一本を樽からでなくっちゃ飲めない、といった一ひと時代もあったが、事、志と違って、当分かくの通り逼ひっ迫ぱくだ。が、何の、これでは済まさない、一つ風かざ並なみが直りさえすれば、大だい連れんか、上シャ海ンハイか、香ホン港コン、新シン嘉ガポ坡ールあたりへ大船で一いっ艘ぱい、積出すつもりだ、と五十を越したろう、間淵が言います。この﹁大船で一艘積出す、﹂というのが若い時からその男の癖だった。話の中に、一人娘は、七八ツの時から、赤坂の芸げい妓しゃ家やへ預けてある、といったのも、そういえば記おぼ憶えがある。
――亡くなった、という電話だが、あとさきの様子から待合に縁がありそうに思われる。
その節、取りまぎれて、折返しとは行かなかったけれども、二月とはおかず、間淵の侘わび住ずま居いを訪ねたが、もうどこかへ引越しした。行くさきさえ、その辺で聞いても分らなかった、という始末なのですから。
︵電話は聞きながしにしておこう。︶
︵義理の悪いことはないんですか。︶
︵言うにゃ及ぶべき。︶
晩酌で、陶然として、そのまま肱ひじ枕まくらでうたたねという、のんきさではありません。急ぎの仕事に少し疲れていた時であったのです。
ところがどうです、その翌日、まだ朝のうち、玄関で早口に饒しゃ舌べっている女の声がして、すぐに取次のいうのを聞くと、年をとっては気ぜわしい、堪こらえ情がなくなって訪ねて来た。しかじかの口上。起きられぬほどの容体でなければちょっと逢いたい、と昨ゆう夜べの今け朝さで、その間淵の妹が追掛けてやって来ました。
不精から、面倒くさいというばかり、逢って差支えはちっともないのです、それに白山。――麻布からは大抵の苦労じゃない、勿論断る法はありません。玄関さきの座敷へ通させ、仕事場の小刀をおいて出て逢いました。
︵ああ、ああ、さてお久しいことやぞや、お懐しい。︶
申しては驕おごりの沙汰だが、﹁ことやぞや﹂ではお懐しいがられたくない、ところへ、六十近いお婆さんだから、懐しさぶりを露むき骨だしに、火鉢を押して乗出した膝が、襞ひ捩だよれの黒くろ袴ばかま。紬つむぎだか、何だか、地紋のある焦茶の被布を着て、その胡ごま麻し塩おです。眉毛のもじゃもじゃも是非に及ばぬとして、鼻の下に薄うす髭ひげが生えて、四五本スクと刎はねたのが、見みす透かされる。――この性格、何とお思いなさいます。﹂
(――と話した時、小山直槙は眉を顰 めたのであった――)
﹁……余儀ない次第と申そうか、了見違いと申そうか、やがて、真夜中にこの婆さんを見なければならない羽目に立到りました時は、この面相にして、白を着て、黒い被布です、朱あかい袴を穿はいていたのだから、その不気味さをお察し下さい。
その朝だって、家内が挨拶に出ようというのを、私が差留めたほどでした。
︵まことにしばらく、……お珍らしい。︶
と、時に、挨拶をするのも上の空で、人様の顔を失礼だが、うっかり見まもっているうちに、吃びっ驚くりするように、思い出したのは、私が東京へ出ました当時﹁魔道伝書﹂と云う、変怪至極な本の挿さし画えにあった老婆の容体で、それに何となくそのままなんです。
――﹁魔道伝書﹂ようございますか、勿論、板本でなし、例の貸本屋を転々する写本でなく、実にこの婆さんの兄の間淵が秘蔵した、半紙を部厚に横よこ綴とじの帳面仕立で。……都合があって、私と二人で自じす炊いをして、古ふる襦じゅ袢ばん、ぼろまでを脱ぎ、木綿の帯を半分に裂いて屑くず屋やに売って、ぽんぽち米を一升炊きした、その時分はそれほど懇意だったのですが。――また大食いな男で、一升一かたけぺろりの勢いきおい。机を売り、火鉢、火ひば箸しから灰を売食といった時でも、その﹁伝書﹂は手離さなかった。もっとも渋を刷はいた厚紙で嵌はめ込こみの蔽おおいがあって、それには題して﹁入いり船ふね帳﹂。紙帳も蚊帳もありますか、煎せん餅べい蒲ぶと団んを二人で引ひっ張ぱりながら、むかし雲助の昼三話。――学資を十分に取って、吉原で派手をした、またそれがための没落ですが、従って家郷奥能登の田野の豊みの熟り、海山の幸を話すにも、その﹁入船帳﹂だけは見せなかった。もうその頃から、﹁大船を一いっ艘ぱい﹂が口癖で、ただし時世だけに視野が狭い。……香港、新嘉坡といわないで、台湾、旅順へ積出すと言います……そこいらの胸算用――計画の覚おぼえだ、と思うから、見る気の起る筈はずもありません。
間淵は、名さえ洞とう斎さいといいました。家うちは祖父の代から医師なのを、洞斎本人は法津が目的で、勉強をするのは、能登では間に合わない。おなじ県でも金沢だけにありました専門学校へ通うのに、私の家うちを宿にした。――賄まかないつき間貸と称となえる、余り嬉しくもない、すなわちあれです。私との縁はそれなんです。
やがて、間淵が東京へ出て、三年目かに、私も……申すはお恥しい、今もこの通りですが、志を立てて上京した。とっかかり草わら鞋じを脱いだのが、本郷元もと町まちにあった間淵の下宿で、﹁やあ、よく来たね、﹂は嬉しいけれども、旅にして人の情なさけを知る、となると、どうしても侘わびしい片かた山やま家がの木賃宿。いや、下宿の三階建の構かまえだったのですが、頼む木蔭に冬空の雨が漏って、洋ラン燈プの笠さえ破れている。ほやの亀ひ裂びを紙で繕って、崩れた壁より、もの寂しい。……第一石油の底の方に淀よどんでいる。……そうでしょう、下宿料が月の九つ以上も滞とどこおった処だから、みじめな女郎買じゃないけれども、油さしも来やしない。旅費のつかい残りで、すぐに石油を買う体てい裁たらく、なけなしの内金で、その夜は珍らしく肴さかなを見せた、というのが、苦渋いなまり節、一ひと欠かけ片ら。大根おろしも薄黒い。
が、﹁今に見たまえ、明日にも大船で一艘台湾へ乗出すよ。﹂で、すぐにその晩、近所の寄席の色ものへ連出して、中入の茶を飲んで、切きれ端っぱしの反ほ古ごへ駄菓子を撮つまんで、これが目金だ、万世橋を覚えたまえ、求ぎゅ肥うひ製だ、田舎の祭に飴屋が売ってるのとは撰たちが違う、江戸伝来の本場ものだ。黒くて筋の入ったのは阿おら蘭んだ陀ね煉り、一名筏いか羊だよ羹うかん。おこしを食うのに、ばりばり音を立てなさんな、新造に嫌われる、と世話を焼いて、帰かえ途りが、屋台の牛めしです。寝床で話しながら遣やらかそう、と精進揚を買って帰る。易くて腹にたまっていいと云ううちにも、油ものの好きな男で。
――ですから、のちに、私がその﹁魔道伝書﹂のすき見をした時も炬こた燵つや櫓ぐら……︵下へ行あん火かを入れます︶兼帯の机の上に、揚ものの竹の皮包みが転がっていました――
そういった趣で、啖くう事は、豆大福から、すしだ、蕎そ麦ばだ。天どんなぞは驕おごりの沙汰で、辻売のすいとん、どうまた悟りを開いたか、茶めし、餡あんかけ、麦とろに到るまで、食いながら、撮つまみながら、その色もの、また講釈、芝居の立見。早手廻しに、もうその年の酉とりの市を連れて歩あ行るいた。従って、旅費の残りどころか、国を出る時、祖とし母よりが襟にくけ込んだ分までほぐす、羽織も着ものも、脱ぐわ剥はぐわで、暮には下宿を逐ちく電でんです。行ゆき処どころがないかと思うと、その頃の東京は、どんな隅にも巣がありました。裏長屋の九尺二間へ転げ込むのですが、なりふりは煤すすはきの手伝といった如法の両人でも、間淵洞斎がまた声の尻上りなのさえ歯切れよく聞える弁舌爽さわやかで、しかも二はた十ち前に総持寺へ参禅した、という度胸胡あぐ坐らで、人を食っているのですから、喝かつ、衣類調度の類たぐい、黄き金んの茶釜、蒔まき絵えの盥たらいなどは、おッつけ故く郷にから女房が、大船で一いっ艘ぱい、両国橋に積込むと、こんな時は、安あわ房か上ず総さの住人になって饒しゃ舌べるから、気のいい差配は、七輪や鍋なべなんぞ、当分は貸したものです。
徒おか士ちま町ちの路地裏に居ました時で。……京では堂宮の絵馬を見ても一日暮せるという話を聞きます。下谷のあの辺には古道具屋が多いので、私は希のぞ望みが希望だったから、二にち長ょう町まちや柳盛座の芝居の看板の前には立ちません、若い時だから寒さには強い。ぶらぶら何を見て歩あ行るいていたかは、ご想像に任せますが、空すき腹ばらの目を窪くぼまして長屋へ帰ると、二時すぎ。間淵は見えないで、その煎餅蒲団のかかった机の上に、入船帳の蔽おおいを抜けて、横綴の表紙が前申した、﹁魔道伝書﹂、題ばかりでも、黙って見たままで居られますか。いきなり開けた処に、変な、可お訝かしな、絵があったのです。
若い、優しい女が裸体、いや、裸体じゃないが、縁の柱に縛られた、それまでのかよわい抵抗、悩乱が思われる。帯も扱しご帯きもずり落ちて、絡まつわった裳すそも糸のように搦からんだばかり。腹部を長くふっくりと、襟の辷すべった、柔かい両の肩、その白さ滑かさというものは、古ぼけた紙に、ふわりと浮く。……
が、もう断あき念らめたのか、半ば気を失ったのか、いささかも焦しょ躁うそ苦うく悶もんの面影がない。弱々と肩にもたせた、美しい鼻筋を。……口を幽かすかに白歯を見せて、目をいたまま恍うっ惚とりしている。
それを、上目づかいの頤あごで下から睨ねめ上あげ、薄うす笑わらいをしている老ばば婆あがある、家やづ造くりが茅かや葺ぶきですから、勿論、遣やり手てが責めるのではない、姑しゅうとが虐しえたげるのでもない。安達ヶ原でない証しるしには、出刃も焼やけ火ひば箸しも持っていない、渋しぶ団うち扇わで松葉を燻いぶしていません。ただ黒い瓶かめを一具、尻からげで坐った腰巻に引きつけて、竹たけ箆べらで真まっ黒くろな液体らしいものを練取っているのですが、粘ねば々ねばとして見える。
老ばば婆あは白しら髪がの上の処に、
(ようゆうばば術を施すのところ)
おかしな口調です――︵術を施すのところ︶老ばば婆あはたちまち見て取った。絵も覿てき面めんだから解りました。が、その︵ようゆう︶が分りません、かなで書いただけで、それは三十年余りも経たった、いまにおいてどういう意味だかわかりません。が……さて続いた絵なんです、もっとも、めくるとすぐに細かい字で、ぎっしり二三枚かき込んでありましたけれども、川柳にもありましょう、うまい事をいった、︵読よみ本ほんは絵のとこが出て子に取られ︶少年はきれいな婦おんなの容易ならない身の上が案じられますから、あとを性せっ急かちに開ける、とどうです。
立った乱れ姿で縛られたのが、今度は崩れたように腰をついて、膝を折りかがめに、片足を、ぐったりと、濡縁に髪を流し、白く蹴出した、その一本のふくら脛はぎの膝から下に、むくむくと犬だか猫だか浅間しい毛が生えて、まだ女のままの指ゆび尖さきが獣けものの鰭ひづ爪めに屈かがまって縮んでいる。
――︵ようゆう︶ですね、老ばば婆あは、今度は竹箆を口に啣くわえて、片手で瓶の蓋ふたを圧おさえ、片手で﹁封﹂という紙きれを、蓋の合せ目へ禁おしながら、ニヤリとしている。
その、老ばば婆あに、形も面も、どことなく肖にているのですよ。唯今お話をしました、――二の橋の待合から電話を掛け、当分病気だといって断ったのに、すぐに翌日、白山の私宅へ来た。――
﹁――お懐しい。﹂と袴の膝を不遠慮に突きつけた、被布で胡麻塩の間淵の妹。
ちょっとお待ち下さい。
﹁うう、うううう、おお、おお、苦しい。﹂
だしぬけに目の前の厠かわやで、うめく声がすると、ばったり戸を開けて出たのが間淵で、――こんがらかると不い可けません。――兄洞斎です。
私がその魔道伝書を覗のぞいているのを見ると、
﹁や、いつ帰った。﹂
というが早いか、引ひっ手た繰くるや否や、肥ふとっているから、はだかった胸へ腋わきの下まで突つっ込こんだ、もじゃもじゃした胸毛も、腋わき毛げも、うつくしい、情なさけない、浅間しい、可かわ哀いそ相うな婦おんなを揉もみくたにして、捻ねじ込こんだように見えて、毛の生えた方も、白い方も、そのまま瞼まぶたにちらついて、覚えています。私は、ぱちぱちと瞬またたきした。
﹁飛んでもない、こりゃ見せるもんじゃない、いや、見るもんじゃない。第一若いものが見ては大変だ……﹂
酷ひどく腹が痛んで、私の帰ったのが夢中で分らなかったから、うっかりした折からだそうで。……渋しぶ豌えん豆どうの堅いやつを、自分で持って行って、無理に頼んで、うどん粉をこってりと、揚物にさしたという、それに中あてられたんです。
なかなか、絵も二枚や三枚じゃない、ずッしり分厚に綴つづ込りこんだ一冊で、どんな事が書いてあるか知れません。冒険的にも見たかったのでありますが、牛若ほどの器量がないから、魔道妖異の三略には、それきり、手を触れる事が出来なかった。
六
﹁なあ、それにしても、ほんにほんに久しいものやて、にい……﹂ さて、袴を穿いた婆さんはいうのです。巻まき莨たばこを吹かしますが、取出すのが、持頃の呉ご絽ろらしい信玄袋で、どうも色合といい、こいつが黒い瓶かめに見えてならなかった。…… ﹁あの時分﹂…… 自分で尼、尼という、襟に大形の輪数珠も掛けていましたが、容体が巫み女こにも似て、両部も三部も合体らしい。……﹁尼ども、両親はとうになくなって、もともと身しん上しょうの足りぬ処を、洞斎兄の学資といえば、姉の嫁、私わしには嫂あによめじゃにい、その里方から末を見込んで貢いでおった処を、あの始末で、里をはじめ、親類もあいそを尽かせば、嫂あねも断あき念らめた。それやで、に、嫂の里へ引取って養うてくれておった尼を連れて、東京へ、徒士町の長屋へ出向いたというものは、嫂は縁切り、尼はまたこの広い世界へ棄てられた。島流し同様のものやったが、にい―― 人間の侘わびしい住すま居いというより、何やら、むさくるしい巣のような裡なかから、あんたは、小僧に――﹂ そうです。千駄木の師匠、雲原明流氏の内へ、縁あって弟子小僧に住込みました。 これは申すまでもありません。 ﹁洞斎の兄の身にして見ればじゃ、にい、この妹をつれて、女房が上京するといえばや、当分だけなと、くらしをつける銭金の用意をしていて、一緒に世帯をするものと思うたのが、そのしだら魂胆や。つら当にも、その場からでも、妹を奉公させる……また奉公もせんならん。翌あく日るひが日の糧にも困った、あの逼ひっ迫ぱくやよってに、すぐに口を見つけて、にい、わすれもせんぞに――あんたはその千駄木へ。尼は、四谷へ、南と、北へ。……一日違いで徒士町から分れたというもんじゃ。地いな方かで結うたなり、船や汽車で、長いこと、よう撫なでつけもせなんだれど、これでも島田髷やったが、にい。﹂ 私は顔を見た。 ﹁覚えておいでますかにい――ちょっとの間やったけれど、おなごりが惜しかったぞ。北と南へ。﹂ どっちが北だか、南だか、方角に途とま迷どいしたが、とにかく分れたのは難あり有がたかった、と思いました。……それに、言わるれば、白おし粉ろいをごってり塗つけた、骨組の頑丈な嫂あねというのには覚えはあるが、この、島田髷には、ありそうな記憶が少しもない。 ﹁命さえあれば、にい、どこでどう、めぐり逢わんとも限らんもんや。したが、尼も、この奉公を振出しに、それは、それは太いかいこと、苦労辛苦をしたもんや。﹂ ここで、長々と身の上話がはじまった。が、くどいから略しましょう。あり来きたりの事で、亭主が三度かわった事だの、姑しゅうと小こじ姑ゅうとに虐いじめられた事だの、井戸川へ身を投げようとした事だの、最後に、浅間山の噴火口に立って、奥能登の故郷の方に向って手を合わせて、いまわという時、立たち騰あがる地獄の黒くろ煙けむりが、線香の脈となって、磊らい々らいたる熔岩が艾もぐさの形に変じた、といいます。 ちょっとどうも驚かされた。かねて信心渇仰の大、大師、弘法様が幻に影よう向ごうあった。灸きゅ点うてんの法を、その以心伝教で会得した。一念開悟、生命の活法を獲受して、以来、その法をもって、遍あまねく諸しょ人にんに施して、万病を治するに一点の過誤がない。世には、諸仏、開祖の夢想の灸と称となうる療術の輩やからは多いけれども。 ﹁尼のに限っては、示現の灸じゃ。﹂ ﹁――成程。﹂ ﹁……昨宵も電話でのお話やが、何やら、ご病気そうなが、どんな容体や。﹂ ﹁胃腸ですよ、いわゆる坐いじ業ょくで食っていますから、昨ゆう夜べなぞは、きりきり疼いたんで。﹂ ﹁いずれ、運動不足や、そりゃようないに。が、けど何でもない事や。肋ろく膜まく、肺炎、腹膜炎、神経痛、胸の病、腹、手足の病気、重い、軽い、それに応じて、施術の法があって、近頃は医法の科学的にも、灸点を認めているのやが、その医法をも超越して、︵時々むずかしい事をいいます。︶気違が何や……癩らいでも治るがに。胃腸なぞはそりゃに、お茶の子じゃぞ。すぐに一灸で、けろりとする。……腹を出しなされ、は、は、は、これでもあんた、島田髷やて、昔馴なじ染みには。﹂ ﹁ま、ま。﹂ ﹁療治の用具もちゃんと揃えて持合わせておる、に。﹂ ﹁まあ、まあ。﹂ ﹁熱いと思うてかに、熱い……灸やから。は、は、は。微みじ塵んも、そりゃない。それこそ弘法様示現の術や、ただむずむずとするばかり。﹂ ﹁まあ、しかし。﹂ ﹁ただ、あんたのものを使うというては、火鉢の火を線香に取るばっかりや。﹂ 弱った。 ﹁それやかとても、火道具はちゃんとここに持っておるがや、燐マッ寸チなぞは使わんぞ、艾もぐさにうつす附つけ木ぎには、浅間山秘密な場所の硫黄が使うてあるほどに。﹂ なお弱った。 ﹁どうも、灸だけは……ですよ。﹂ ﹁お嫌いかに。﹂ ﹁嫌いにも、なにも。﹂ ﹁好嫌いは言うておられんぞに、薬には。それやし、何せい、弘法様の……あんたお宗旨は。﹂ ﹁ほっけです。﹂ ﹁堅けん法ぼっ華け、それで頑固や。﹂ ﹁いや、いやそんな事より、なくなった母親の遺言です、灸は……﹂ ﹁その癖、すえられなさる様な事が沢山あるやろ、は、は、は。これでも昔は島田髷や。﹂ と口を開けて、それでも皮肉ではなさそうに笑った。 ﹁時に、洞斎さんは、何の病気で。﹂ と聞くと、 ﹁中気でに、四年越。﹂ 私も、何も、皮肉でいったのではなかった、気違も、癩さえ治すというのに対して。――しかし四年越、中気でなくなった事をいってからは、おかしく、急に陰気になって、帰支度をする。蒸しものの菓子を紙に包んで、ちょっと頂いた処は慇いん懃ぎんで却って恐縮。納めた袋の緒を占めるのが兜かぶとを取ったようで、厳おごそかに居直って、正ひる午ご頃ろまでに、見舞う約束が一軒。さて、とる年だし、思い立った時に逢って見たいのを、逢って見ぬと、いつまたお目にかかれようと、それゆえにこそ、といって起たった時には、すこしばかり妙な寂しい気がしたのです。 人情ですか、争えない、それもあります。それに、自動車でなくっては運ばれない。嵩かさ張ばった手土産がありました。 ﹁義理さえ欠けなければ。﹂ とあとでいう家内の言ことばについては、使で礼を返しても、その義理は欠けなかったが――逢って見たい時に逢っておかぬと、いつまたお目に掛かかれるか――まだ仕事場へ帰らない――送出して取って返し、吸いかけの巻まき莨たばこをまた撮つまんで、菓子盆を前に卯うの花のなよなよと白いのを見ながら、いま帰った尼あま巫み女この居どころを、石燈籠のない庭越に、ほのかに思いうかべました。待合、雪の家。 姪めいに当る、赤坂に芸げい妓しゃをしていると、いつか聞いたのが、早く旦那なるものにひかされたか、事情はとにかく、心づもり二はた十ちそこいらで、まだ、若い。 この後見なり、客のとりまわし、家のきりもりをしていると思われる、その母親があるのです。妹ぐるみ打うっ棄ちゃった、……いや間淵洞斎が打棄られた女房の、後あと二度目の女房なのです。後のち添ぞい、後妻、二度目の嫁といっても、何となく古女房のように聞えますが、どうして、間淵と夫婦になった年が、まだ、ほんの十五六。で、ただ一度だけ、その頃、私が、本所で逢った事がある。…… 師匠明流の情なさけで、弟子小僧に、住込んだ翌年の五月です。花時に忙がしい事があって用が立込んだかわりに、一日お暇が出て、小こづ遣かいを頂いた。師匠は大家でも弟子は小僧だ、腰の煙たば草こい入れにその銀貨を一枚﹁江戸あるき﹂とかいう虫の食った本を一冊。当日は本所の五百羅漢へゆくつもりで、本郷通りを真すぐに切通し、寄席の求肥の、めがねへ出ました。すたすたもので、あれから、柳原を両国まで、鉄道馬車で、あとはまた大歩あ行るきに歩行くつもりの、ところが、馬車を下りる時、料金を払おうとする、と、落したのか、すられたのか、煙草入がありません。小遣ぐるみ。あッと慌てたが、それだけじゃ済まない。広小路のあの群集の中で、しょぼしょぼと監督の前へ出されたのですが、突出したとは言いますまい。連れてった痩やせた車掌がいい男で、確たしかに煙草入を――洋服の腰へ手を当てて仕方をして――見たから無た銭だのりではありません。掏すられたのです。よろしい、と肥った監督が大おおきな衣かく兜しへ手を突つッ込こんで、のみ込んでくれました。 羅漢たちの中には、苦しい断食の業を積んだのがありましょう、思っただけでも足がすくむ。ありようは五百体より一杯をあてにした、蕎そ麦ばも、ちらしも、大道の餅も頬張れない。……それ以上に弱ったのは煙草が飲めない。参さん詣けいはしましたが、亀井戸の境内で、人間こうなると、目が眩くらみます、藤の花が咲いていたか、まだだったか、それさえも覚えていません。 太鼓橋の池のまわりの日当りの石に、順礼の夫婦が休んでいて、どうでしょう、女房が一服のんでいて、継ぎはぎだが紅あかいところの見える、襦じゅ袢ばんの袖で、 ﹁アイ﹂ あいと脚きゃ絆はんの膝をよじって、胸を、くの字なりに出した吸付煙草。亭主が、ふっかりと吸います、その甘う味まそうな事というものは。…… 余計にがつがつして、息を切って萩寺の方へ出たでしょうか、真まっ暗くら三さん方ぽうという形、かねて転居さきを端書で知っていました、曳ひき船ふね通どおりの間淵の家うちに辿たどり着いた。ここで一ひと片かた餉けありつこうし、煙草銭の工面をつけようと思いました。ところがどうです。――その時分の事で、まだ藁わら葺ぶきの古家で、卯の花の咲いた、木戸がありました。柱に、﹁東海会社仮事務所﹂と出ていて、例の大船で一いっ艘ぱい積出す男は、火のない瀬戸の欠火鉢を傍わきに、こわれた脇きょ息うそくの天びろ鵝う絨どを引ひき剥はがしたような小机によっかかって、あの入船帳に肱ひじをついて、それでも莞に爾こ々に々こしている…… ﹁これ、お茶をよ。﹂ と破やぶ襖れぶすまの次の間へ。 ﹁何だ、焼芋、蕎麦、ごもく、豆大福、豌えん豆どうの入った――うふ、うふ、うふふ。﹂ と尻上りの冴えた声で、笑わらいを肥ふとった腹へ揺ゆすった。 ﹁鼠が貿易をしはしまいしよ、そんなものを積んで大海を渡れるものか。その了見だと、折角あれだけの名家の弟子になりながら、小刀で蟻を刻んでいやしないかね。 蕪かぶにくッつけてさ、それ、大かぶにありつく、とか云って、買手が喜ぶものだそうだ。いや、これは串じょ戯うだんよ。船はちゃんころでも炭すみ薪まきゃ積まぬというのが唄にもある。こんな小さな家うちだって、これは譬たとえば、電気の釦ぼたんだ。捻ひねる、押すか、一たび指が動けば、横浜、神戸から大船が一いっ艘ぱい、波を切って煙を噴はくんだ。喝!﹂ と大きな口をあけながら、目を細く、頻しきりに次の間を頤あごで教えて、目顔で知らせて、 ﹁お茶を早くよ。﹂ 貧しい盆に茶碗をのせて、気候は、そんなだのに、もう白地の浴衣です。髪だけは艶つや々つやと島田に結っていました。色の白い吃びっ驚くりするほど人柄な、その若いのが、ぽッと色を染めて、黙って手をついた頸えり脚あしが美しい。 ﹁きみ、小山、今度の妻だよ。﹂ その時、ついた手が白く震えた。 ﹁冬というよ、お冬です。こりゃ親しい同県人だ。――お初に、といわないかね。﹂ ﹁お初に。﹂ といった時、耳まで紅あかく染まった。それなり襖の影へ消えました。私は一息に空すき腹っぱらへ飲んだのですが、それは茶ではないのです。冷水に、ちらちらと白いものが浮かしてある、香こう煎せんは色がありましょう、あられか、菓子種か、と思ったのが、何と、志は甘うまかった、が、卯の花が浮かしてあったんです。毒にはなりますまい、何事もなかった処を見ると、枸く杞この花だったかも知れません、白く、細かくて、枸杞は薬だといいますから。 そうと知ったら、言いますまいものを。……水は、実は途中で、三度ぐらい飲んでいましたから、東海会社社長の顔を見ると斉ひとしく、息が切れる、茶を一杯、といって、それから焼芋、蕎麦、大福の謎を掛けた。申すまでもなく煙草入をなくした顛てん末まつを饒しゃ舌べってからですが、これに対する社長の応対は、ただ今お聞かせ申した通り。 湯を沸わかす炭もなく、茶も切れていたのです。年も二十以上違っている。どうしてこんな細君を。いや、あの、片へん時じも手離さない﹁魔道伝書﹂を見るがいい。お冬さん、上品な、妍かお美よい娘は、魔法に、掛けられたものでしょう。 千駄木へ帰ってから、師匠に鉄道馬車の監督の話をすると、気に入った。その寛容と深切に対しても、等なお閑ざりに棄てては置けない、料金は翌日にも持参しなさい。で、二日ばかりおいて、両国まで、その持参です。……なくなしたお小遣の分まで恵与に預る。……余よっ程ぽど曳船へ廻りたかった。堅豌豆ぬきの精進揚か、いや、そんなものは東海会社社長の船には積むまい。豆大福、金きん鍔つばか。それは新夫人の、あの縹きり緻ょうに憚はばかる……麻地野、鹿の子は独り合点か、しぐれといえば、五月頃。さて幾いく代よも餅ちはどこにあろう。卯の花の礼心には、砧きぬたまき、紅梅餅、と思っただけで、広小路へさえ急いそ足ぎあし、そんな暇は貰えなかったから訪ねる事が出来なかった。 盆やすみに、今日こそと、曳船へ参りましたが、心当りの卯の花垣は取払われて、窪んだ空地に、氷屋の店が出ていました。……水溜りに早咲の萩が二つ三つ。 そういったわけで、それきりになったのですが、あと十何年、不意に、また間淵洞斎に出会って、悪わる酒ざけにあてられた事を申しました。―― それは、白山の家うちを出て、入費のかからない点、屈くっ竟きょうばかりでなく、間近な遊ゆさ山んといってもいい、植物園へ行って、あれから戸崎町の有名な豆とう府ふじ地ぞ蔵うへ参ろうと、御ごて殿んま町ちへ上ると、樹林一ひと構かまえ、奥深い邸の門に貼はり札ふだが見えたのです――鷺流狂言、開かい興こう。入場歓迎。――日づけが当日、その日です。時間もちょうどでありました。 舞台では、もう﹁宗八﹂というのがはじまっていたのですが、広書院の一方を青竹で劃くぎっただけが、その舞台で、見物席は三十畳ばかりに、さあ十四五人も居ましたか、野分のあとの庭の飛石といった形で、ひっそり、気の抜けたように、わるく寂しい。 例の、坊さんが、出来心で料理人になって、角すみ頭ずき巾ん、黒くろ長なが衣ごろも。と、俎まないたに向った処――鮒ふなと鯛たいのつくりものに庖丁を構えたばかりで、鱗うろこを、ふき、魚頭を、がりり、というだけを、吶どもる、あせる、狼うろ狽たえる、胴忘れをしてとぼん、としている。 海いる豚かが陸おかへ上った恰かっ好こうです。 仕切の竹で、これと向合い、まばらな見物の先まえ頭がわに、ぐんなりした懐手で、悄しおれた鰭ひれのように袖をすぼめていた、唐とう桟ざん柄がらの羽織で、黒い前まえ垂だれをした、ぶくりとした男が、舞台で目を白くする絶句に後あと退ずさりをしながら振返ったのが、私に気がつくと、そのまま……熟じっと視みた。 開演中です。居い膝ざるように、密そっと傍そばへ寄って来て、 ﹁小山じゃないか。﹂ ﹁おお。﹂ ﹁出ようよ、静しずかに。﹂ 気のどくらしくて、見ていられない舞台だから、誘い手のある引ひき汐しおに会場を出たのです。 ﹁――何、植物園から豆府地蔵、不しか如ず、菎こん蒻にゃ閻くえ魔んまにさ。煮込んでも、味噌をつけても、浮世はその事だよ。俺もこの頃じゃ、大船一いっ艘ぱい、綾あや錦にしきでないまでも、加賀絹、能登羽二重という処を、船も、びいどろにして、金魚じゃないが、紅あか、白、ひらひらとした処を、上シャ海ンハイあたりへ積出すほどの決心だ。一船のせよう。あいかわらず女の出来ない精進男に、すじか、竹輪か、こってりとした処を食わせたい。いや串じょ戯うだんはよして、内は柳やな町ぎちょう、菎蒻閻魔のすぐ傍わきだ。﹂ 魚頭をつぎ、鱗をふく︵宗八の言にありますね。︶私じ窩ご子くでもやってるのじゃないか、と思った。風ようがまた似ていました。柳町の裏長屋で……魚頭も鱗もない、黄き肌は鮪だに弱った事は、――前さ刻きに言った通りです。 その黄肌鮪だか、鬢びん長な鮪がだかと一緒に、悪酒を、なめ、なめ、 ﹁あいかわらず、この体ていだ、といううちにも、一さき昨おと々と年しまでは、台湾に一いっ艘ぱい帆を揚げていたんだよ。ところが土地の大有力者が、妻に横恋慕をしたと思いたまえ。それのかなわない腹はら癒いせに、商会に対する非常な妨害から蹉さて跌つ没落さ。ただ妻の容きり色ょうを、台北の雪だ、﹁雪﹂だと称となえられたのを思出にして落城さ。﹂ と、羽織を脱ぐと、縞しまの女おん衣なものの、振ふりが紅あかい。ニヤリとしながら、 ﹁お冬、お冬、珍らしい男を連れて来たぞ。誰だ分るか、分るまい。﹂ 薄暗そうな次の間で、人むかえの起たち居いの気配が、と寂ひっ然そりやむと、 ﹁お声で分りました。いらっしゃるなり。……小山さんです。﹂ 間淵が菎蒻のような色をして、懐手の貧乏ゆすりで、 ﹁酒だ、酒だ、酒を早く。﹂ 人間どう間違えても、自うぬ惚ぼれのないものはないとか言います……少くとも私は……人として、一生に一度ぐらいは惚れられる。 無理な酒もすごしました。しかし、帰るまで、それっきり、お冬さんは、顔も姿も見せなかった。 ――先に曳船通、のちに柳町の、そのお冬さん、今は二の橋辺の待合雪の家に居るらしい――白山を訪ねた尼の帰ったあとで、私は、庭の卯の花を見ながら、江戸の名画の雪景色を可なつ懐かしく思ったことは、いうまでもありません。 ――お聞き下さるようだから続を話しましょう。―― ところで、その雪の家の胡きゅ瓜うり形がたの磨すり硝がら子すの掛かかった土間に立ってから、久しくお待たせいたしました。 が、しかし待っていたのは、お聞き下さる、あなたではない、私です。南かぼ瓜ちゃです。は、は、は。 が、待つ間はなかったのです。小女がすぐに引返し、取次いで二階の六畳――八畳づまりですか……それへ通した。 真まん中なかに例の卓ちゃ子ぶだ台い。で欄間に三枚つづきの錦にし画きえが額にして掛けてある。優ゆう婉えん、娜だれ麗い、白はく膩じ、皓こう体たい、乳も胸も、滑かに濡々として、まつわる緋ひぢ縮りめ緬ん、流れる水浅黄、誰も知った――歌麿の蜑あ女ま一集の姿。ふと、びいどろの船に、紅あかだの白だのひらひらするのを積むといった、間淵洞斎の言を思い出した。……いっては、あれだけの絵えか師きに相済まないが、かかげてあるのは第何板、幾度かえして刷ったものだか、線も太ければ、勿論厚肉で、絵具も際どいのをお察し下さるように。いずれ二三人よんでお附合に一杯、という心づもり。もっとも家内の心づけ、出ず入いらずに、なにがしの商品切手というのを、水引で袱ふく紗さで懐ふと中ころにして、まじまじ、そこに控えている年配の男をついでにお察し下さるように―― で、酌人は酌人、ひらひらか、ちらちら、として、さてお肴さかな、が、何分刺身はあやまる。……菎蒻、菎蒻がいい。おでんとしようと、柳町の事を思いながら一方を見ると、歌麿の蜑女と向合って﹁発ほつ菩ぼだ提いし心ん。﹂という横額が掛かかっている。 亡くなった洞斎が遣りそうな好みだ、と思うと、床の間の置物が鼻の穴の目立って大きい、真黒な土の達だる磨ま。 花はな活いけに……菖あや蒲めにしては葉が細い。優しい白い杜かき若つばた、それに姫百合、その床の掛物に払ほっ子すを描いた、楽らく書がき同然の、また悪く筆意を見せて毛を刎はねた上に、﹁喝。﹂と太筆が一字睨にらんでいる。杜若、姫百合の、およそ花にも恥じよ、﹁喝。﹂何たるものぞ、これだから、私は禅が。…… はてな、雪の家の、ここの旦那なるものが変に﹁喝。﹂がった難物かも計られぬ。…… ﹁ああ、はじめまして、あなたが間淵さんの、お娘ご。﹂ そこへ、一枚着換えた風ふ俗うで、きちんとして、茶を持ってきたのが、むかし、曳船で見たお冬さんに肖そっ如くり……といううちにも、家業柄に似ず顔を紅うした。そうして私の顔を視みると、ちょっと曇らせたような眉が、お冬さんより、顰ひそんだ形なりに迫っています。お母っかさんは、目鼻だちがぱらりとしていたのです。 時宜挨拶がちょっと交されました。 ﹁お父さんは、﹂ 中気、とも言いかねて、 ﹁久しくお煩いだったそうですね。﹂ ﹁ええ、四年越……﹂ ﹁それはそれは、何よりご看病が大変でしたね。で、甚だ何ですが、おなくなりになすったのは、此こち家らで。﹂ ﹁はあ、あの病気の発おこりましたのは内だったんですけれど、こんな稼業でしょう、少しは身から体だを動かしてもいいと、お医いし師ゃがおっしゃいましてから、すぐ川崎の方へ……あの、知合の家うちが広うございますもんですから、その離はな室れのような処へ移しましたんですの。﹂ ――喝旦那の住すま居いらしい……とするとお冬さんは、そっちで暮していはしないか。逢えない仕儀であろうも知れない。――またお察しを願うとして――実は逢いたかった。もっとも白山へ来訪をうけた尼刀と自じへ返礼に出でむ向かいたいのに、いつわりはないのですが、そんな事はどうでもいい。また妙に、その尼にも、いま差当って娘にも、お冬さんの消息が、さそくに口へ出なかった、そのわけは、前述の﹁魔道伝書﹂を見ない方には、お解りになりますまい。怪しからん事であります。 ﹁何にしましても病気が病気だもんですから、あせりにあせり抜いて、気ばかり荒くなりましてね、傍はたを困らせ抜きますうちにも、あの病気に限って、食べものの難題ですの。ええ、一番困りましたのは毎日見ます新聞の料理案内と、それにラジオのご馳走の放送ですのよ。鴨かも、鳥はいいとして、山鳥、雉き子じ、豚でも牛でも、野菜よし、魚よし、料理に手のかかったものを、見ると、聞くと、そのまんま、すぐ食わせろ、目の前へ並べろでもって、口が利けましただけになお不い可けません、少しも堪忍をする気はなし、その場即座にって、間に合わないと、殺すか、ほし殺せなんですもの……どんなに母を泣かせたでしょう、小おじ父さ様ま。﹂…… 私は吐とむ胸ねをつきました。どんな意味でも、この場合の﹁おじさま。﹂は身に応えた。今度はこっちが赤面して汗になった。 ﹁魔法でもつかわないじゃ、そんな事は出来ません。﹂ その際、秘伝書を手に入れようという、深き慮おもんぱかりがあるものなら、もっと辛抱をしたでしょう。せき心で、お母っかさんはと、初めて聞くと、少々加減が悪くって、というんです。川崎とすればもとよりの事、この家やに居た処で、病気だといえば……と思うも遅い。既に﹁おじさま。﹂と聞いた時、もう私は居たたまらなくなったのです。 発菩提心!……向むか合いあった欄干の硝ビイ子ドロの船に乗った美女の中には、当世に仕立てたらば、そのお冬さんに似たのがたしかに。ああ発菩提心!……額の下へ、もそもそ不手際に、件くだんの紅白水引を、端づくろいに、ぴんと反そらして差置いて、すぐに座を開くと、 ﹁まあ、おじさま。﹂ いかにも案外と、本ほ意いない様子で、近所へ療治を頼まれて行っている、いまにも帰るでしょう。姨おばがという。尼刀自の事です。お顔を見たら、どんなに喜ぶか知れません。女中も迎いに出しました。ちょっと様子を、と襖ふすまを抜けるように、白足袋で、裾すそを紅べに入いりに二階を下りた。 間数もなさそうですが、居い馴な染じまない場所は、東西、見当が分らない。十番はどっちへあたるか、二の橋の方は、と思うと、すぐ前を通るらしい豆府屋の声も間遠に聞え、窓の障子に、日が映さすともなく、翳かげるともなく、漠ぼうとして、妙に内うち外そとが寂ひっ然そりする。ジインと鉄瓶の湯の沸く音がどこか下の方に静しずかに聞え、ざぶんと下げ屋やの縁側らしい処で、手ちょ水うず鉢ばちの水をかえす音が聞える。いい年増、もう三十七八になろうかしら、お冬さんが寝床を起きて出たのではないか、こんな時、厠かわやのあたりに、けはいがするというものは、何だか、人影が幻に立つような気がするものです。 喝! ああ驚いた。掛けものめ。 ﹁あっ! ははは。﹂ いきなり、男のように笑いかけて、 ﹁驚おどかそう思うて、わざと、こっそりと上って来たぞに。心易立てや。ようこそに、ようこそに、こんな処まで、嬉しいこっちゃ。や、もう洞斎兄の事や、何の事や、すぎ去った。そんな挨拶はさらりとおくこっちゃ、にい。縁あればこそ、生あればこそ、北と南と、何十年分れたものが訪といつ訪われつ、やぞに。それに、そういう行儀は何じゃ、袴はかまはいたり、膝にお手々をちゃんとついたり、早や、その手をぬいと伸ばいて、盃を持つ格好に、のう。﹂ 人に口は利かせない。被布から皺しなびた腕を伸ばして、目八分に、猪ちょ口こをあげる指形で、 ﹁何とかいうたに、それ、それ、乾盃、あれに限るぞに、いい事じゃ。洞斎兄は沢たん山とは飲まなんだけれど、島田髷の妹は少し飲やるがやぞ。これでもに、古馴染や、遠慮はない。それにどこへ来なされた思うて、そのように堅うして。……花柳界、看板を出した待合や。さ膝を崩いて、楽にござって、尼かてこの年、男も同然、胡あぐ坐らを掻いても人は沙汰せん。それに袴はいとるぞに。﹂ また高笑いで、 ﹁……そこで念のため云うておくがですが、内証話をあけすけなが、あんたも世間が解っておいでや。寸法とかいうもんで、ここへ来ての以上、一口、酒となれば、芸げい妓しゃも呼んでやろう、それ、ちゃんとその了りょ簡うけんは見えてある。なれど、それはさせんぞ。今日だけは、こちらへ万事まかせてくんされ、別懇のお附合や。そのかわり、わざと芸妓は呼ばん。尼がお対あい手てして、姪めいがお酌やて、辛抱ものや。その辛抱ついでにな、お肴さかなもありあわせやぞに。惣菜さながらの。﹂ いよいよ口を利かせません。立つにも立たれはしないから、しばらく腰を据える覚悟をしました。が、何分にも、餒あざれた黄き肌は鮪だ鬢びん長な鮪がが可おそ恐ろしい。 ﹁菎こん蒻にゃく。﹂ ﹁こんにゃく。﹂ 口の裡うちでむぐむぐ言ったのが耳へ入ったか、聞返されて、驚いて、 ﹁卯の花なぞが結構です。﹂ また、うっかり、下の縁側を卯の花が、葉を搦からんだ白い脚が、寝ねま衣きの裳すそを曳ひいて寝みだれ姿で寝床からと……その様子が、自分勝手の胸にあった。ただし、他よそ家さ様まのお惣菜を、豆うの府は殻な、は失礼だ。 ﹁たとえばです。﹂ ﹁お好きか、なんぼなと、内で間に合う、言いつけようでに。さ、もう、用意はしておったが、お燗かんの望みは熱いのか、ぬるいのか、何せい、程のいい処。……もう出来たろうに、何しとるぞ。﹂ と、手をたたく。 ﹁はいい。﹂ 返事は下でお極きまりの、それは小女か女中かで、銚ちょ子うし、盃さかずき、添えものは、襖が開いて、姪――間淵の娘の手で、もう卓ちゃ子ぶだ台いに並んだのでありました。 さて、お盃。なかなか飲める。……柳町で悩まされた孑ぼう孑ふらが酔いそうなものではなかった。 ﹁お孝こう、お孝。﹂ と若いかみさんの、姪を呼んで、 ﹁重ねて、それ、お酌をせんかの。……何をぼんやり……あんたの顔を見とるがや。……電燈もつけて。﹂ その燈あかりに、お孝が、……若いかみさんの飲まない顔が、何故か、耳元まで紅かったのです。 ﹁これがほんの水入らず、にい。そういえば、お対あい手ては、姪、尼でもや、酒だけは黒松の、それも生一本やで、何と、この上の町、ここでの名所、一本松というてもいいやろ。﹂ と尼刀自が洒し落ゃれた。が、この洒落は悪にくくない。 ﹁ああ、そうじゃ……あんたの故く郷ににもおなじ名の名所があったに――一本松―― ……忘れもせんぞに、私わしが十三か四の頃や、洞斎兄さえ、まだ、尾山︵金沢を云う。近国近郷の称呼。︶の、あんたの家うちへ寄宿せぬさき、親どもに手を曳ひかれて、お城下の本願寺、お末寺へ参詣した時、橋の上からも、宿の二階からも、いい姿に、一目に見はらされて今でも忘れはせんのじゃが、その昔、あすこに心中があったそうやに。﹂ ﹁……聞いています。﹂ ﹁その心中に、くどき、くどきや、唄があって、あわれなものやが、ご存じですやろ。﹂ ﹁いや、いいえ知りませんよ。﹂ 私はまるっきり知らなかった。﹇#﹁知らなかった。﹂は底本では﹁知らなかった。﹂﹂﹈ 小山直槙は、時に盃をあらためて、 ﹁私は、まるで知らなかった――同郷です、あなたは大方、ご存じでしょう。﹂と云った。 筆わた者しも更に知らなかった。 ﹁ちっとも知りません。聞いたこともありません。﹂ ﹁妙ですな、お国ものが誰も知らないで、隣りの能登の田舎の方で知っている。もっとも、その時、間淵の尼の話した処では、加賀の安あた宅かの方から、きまって、尼さんが二人づれ、毎年のように盂うら蘭ぼ盆んの頃になると行脚をして来て、村里を流しながら唄ったので、ふしといい、唄といい、里人は皆涙をそそられた。娘たちは、袖を絞ったために今もなお、よくその説もん句くを覚えていると、云って聞かせました。心中の命は卯辰山に消えたが、はかない魂は浮名とともに、城下の町を憚はばかって、海づたいに波に流れたのかも知れません。――土地に縁のある事は、能登屋仁にへ平い、というのです。いや、不義ゆえの心中の、それは年とった本夫で、その若い女房と、対あい手てが若年の侍です―― ――是非と望んで、これは私が聞きました。尼婆さんの他ほかの饒おし舌ゃべりには弱らされたが、これだけは、もう一度、また一度と、きかせて貰った。調子に乗ると、手拍子が張はり扇おう子ぎになって、しかも自己流の手ごしらえ。それでもお惣菜の卯の花だ、とお孝の言訳も憎くない。句切だけぐらいだけれども、娘の鼓の手が入ったのです。が説くぞ、説きます、という尼婆さんの口くど説きぶ節しが、あわれに、うらがなしく、昔なつかしく、胸にしみて、ぞくぞく心を揺ゆすって、その癖、一本松が、かっと血を湧わかして、火のように酔って行ゆく。 さんざ浮かれた折ばかり、酔いしれるとは限りません。はかない、悲しい、あるいは床しい、上品な唄、踊、舞を見て、魂とともに、とろとろに酔って行く。……あの体かたちで。……あでやかな鬼の舞を視みながら、英雄が酔っぱらった例もあります。いや、いつかの間淵の話じゃないが、蟻の細工までにも到らない、箸けずりの木彫屋が、余五将軍をのみなかまに引込んだ処は、私も余よっ程ぽど酔いました。――ま、ま、あなたへ、一ひと杯つ。﹂ 閑静な席で、対坐に人まぜせぬ酒の中に、話がここへ来たころは、その杯を受けた筆わた者しも酔えいが廻った。この筆者の私と、談者の私と、酔った同士は、こんがらかっても、修す理じを捌さばくお手際は、謹んで、読者の賢明に仰ぐのである。七
﹁何、唄をお聞きになる、よろしい、やッつけましょう。節なしに……もっとも、節をつけては大変だ。……繰返して、聞いたから、そこ、ここうろぬきながら覚えています。――恋とサア、というくどきです。
恋とサア情なさけのその二道は、やまと、唐もろ土こし、夷えびすの国の、おろしゃ、いぎりす、あめりか国も、どこのいずくも、かわりはしない。さても今度の心中話。それをくわしくたずねて見れば、加賀の城下のその片かた畔ほとり、能登屋仁平が、
いつの頃から夫に忍び、その名岩島友吉こそは、年も二十六、やさがた生れ、きりょう好 いのについ誘 かされて、人目忍びて逢う瀬の数も、……
――
夫仁平は穏厚 な生れ、かっと燃立つ胸なでおろし、それが素振 は顔へも出さず……
いいか、悪いか、分りませんが、金沢ものだ、仕方がない、とにかく杯を合せましょう。で、何しろ、かように親類縁者までの耳へ入るようになっては、世間へ済まぬ。今はこれまで、暇いとまをくれよう、どんな夫を持とうとも、そうなれば仔しさ細いはないと、穏おん厚とじ人ん、出方がまことにおとなしい。……もっとも、
そちがこの家 へ来たそのはじめ、わずか年さえ二七の春よ、思いまわせば七年以来……
というのです。二七の春――私はまた……曳船で見た、お冬さんのそのころの年を思った、十五六――
いえばおとせは顔赤らめて、何もいわずに恥し姿。五年六年、年つき日ごろ、かわい、かわいと、撫なでさするまで、情なさけわすれた不義いたずらを、ぶつか叩くか、しもしょうことを、すいた男を添わせてやろと、かかる実意な夫をすてる、冥みょ利うりすぎます、もったいなさに、天の冥みょ加うがも、いと可おそ恐ろしい。せめて夫へ言訳のため、死んでおわびは草葉の蔭と、雨に出て行ゆく夜空の涙……
それから屋敷町の暗や夜みへ忍んだ、勿論、小禄らしい。約束の礫つぶてを当てると、男が切戸から引込んで、すぐ膝に抱く、泣伏す場面で、
そなた一人をあの世へやろか、二人ならでは死なせはしない、何の浮世はただ仮の宿、どうで一度は死なねばならぬ、死んで未来で添遂げようと、いえば嬉しやなおさら涙。さらば最期とかねての用意、女肌には緋ひの帷かた巾びらに、上は単ひと衣えの藍あい紺こん縞じまよ、当とう世せはやりの……
その頃の派手らしい藍紺縞――これを最初に唄った時、尼婆さんは、当世はやりの何とか、と高々とやりながら忘れていた。ちょうど、お孝が銚子のかわりめに立った時だったのです。が、尼婆さんの首を捻ひねる処へ上って来て、
当世はやりの黒繻子 の帯……
と言継いだ。ちょいちょい唄うらしい、尼婆さんの方で忘れた処を、きき覚えのお孝が続けたのですが、はて、……呉ごろ絽ふく服り綸んではなかったか、と尼婆さんはもう一度考えましたが、
……黒繻子の帯、二重 まわして、すらりと結び、髪は島田の笄 長く、そこで男の衣裳と見れば、下に白地の能登おり縮 、上は紋つき薄色一重、のぞき浅黄のぶッ裂 羽織 、胸は覚悟の打紐 ぞとよ、しゃんと袴の股立 とりて……大小すっきり落しにさして……
――飛んでもない、いや、串じょ戯うだんじゃない、何がしゃんと、股立です。のぞき浅黄のぶッ裂羽織が事おかしい。熱くて脱いだ黒無地のべんべら絽ろが畳んであった、それなり懐ふと中ころへ捻ねじ込こんだ、大小すっきり落しにさすと云うのが、洋ステ杖ッキ、洋杖です。あいつを左腰から帯へ突出してぶら下げた形といっては――千駄木の大師匠に十幾年、年期を入れた、自分免許の木彫の手練でも、洋杖は刀になりません。竹たけ箆べらにも杓しゃ子くしにもならない。蟻にはもとより、蕪かぶにならず、大根にならず、人参にならず、黒いから、大まけにまけた処が牛ごぼ蒡うです。すなわち、牛蒡丸抜ぬき安やすの細身の一刀、これをぶら下げた図というものは、尻しっ尾ぽじゃないが、十番越に狸まみ穴あなから狸に化かされた同様な形です。
ああ、しかし、こういっても――不思議ともいうべき、めぐり合せで、その時、一つ傘からかさで連立っていた――お冬さんを、おなじ化され夥なか間まだと思われては情なさけない。申訳がないのです。
酔っています。だしぬけにこんな事をいって、確たしかに酔っている。私は息が忙せき込こみますが、あなたはどうぞ静しずかにお聞き下さい……﹂
――ちょっと呆あっ気けに取られたが、この言葉で、筆者は静に聞いていた。
﹁話は前後しました、が、この既にお冬さんの一つ傘に肩を並べた時は、何だか、それなり一本松へ心中に出掛けるような気がしたんですから――この面つらや格好を見ては不い可けません。﹂
直槙は寂しく笑った。
﹁まあ、しかし忘れぬうちに、唄のあとを続けてからにしましょう。――大小すらりと落しにさして、――という処で、前後しました……
ここで死んでは憚はばかる人目。死出の山辺に燈ひ一つ見える、一つ灯ともしにただ松一つ、一本松こそ場所屈くっ竟きょうと、頃は五月の日も十四日、月はあれども心の闇やみに、迷う手と手の相合傘よ、すぐに柄もりに袖絞るらむ。心細道岩坂辿たどり、辿りついたはその松の蔭。かげの夫婦は手で抱合うて、かくす死恥旗天てん蓋がいと、蛇じゃ目の傘め開いて肩身をすぼめ、おとせ、あれあれ草葉の露に、青い幽かすかな蛍火一つ、二つないのは心にかかる。されど露には影さすものを、わたしゃ影でも厭いといはせぬと、縋すがるおとせをまた抱きしめて、女にょ房うぼ過分な、こうなる身にも、露の影とは、そなたの卑下よ、消ゆるわれらに永えい劫ごう未来、たった一つの光はそなた。さらば最期ぞ、覚悟はよいか、いえばおとせは顔ふりあげて、なんの今さら未練があろう、早う早うと両りょ掌うてを合わす、松もかつ散る氷の刃やいば……
つらつら思うに、心中なぞするもんじゃありません、後世には酒の肴になる。いや怪しからない、いつまで聞いていようというんだ。私は心で叱りました。﹂――
﹁――ありがとう……厚くお礼を申上げる……唄と、馳走のお厚ここ情ろざし、かさねて、ご挨拶を。これで、失礼――心なく、思わず長座をいたしました。何だか帰かえ途りに一本松が見たくなりました。﹂と、機しほに﹇#ルビの﹁しほ﹂はママ﹈起たつと、
﹁わけないぞに、一緒に行こうかに。﹂
慄ぞ悚っとした、玉露を飲んで、中気薬ぐすりを舐なめさせられた。その厭いやな心持。酔えいも醒さめたといううちにも、エイと掛声で、上あが框りがまちに腰を落して、直してあった下駄を突っかける時、
﹁ああ月が出た。﹂
と壁の胡瓜を見たんですから、ちらつくどころか、目も磨すり硝がら子すで、ゆがんでいた。
処へ、ざっと雨が来ました。土間の鉢植が、土と一所に湿っぽく濡々と香におう。
﹁お孝や、いいんだよ。私がお送り申すから。﹂
すぐ傍わきで――いま、つい近い自動車まで、と傘を手にして三た和た土きへ出た娘を留めて――優しい声がすると、酒の勢いきおいで素早く格子戸を出た、そのすぐ傍です。切戸が一枚、片暗がりにツイと開く。鉢植でもあろうと思う、細い柳の雨に搦からんで、細い青々とした、黒塀へ、雪が浮いたように出たんです。袖に添えた紺蛇じゃ目の傘めがさっと涼しい、ろくろの音で、
﹁さあ、どうぞ。﹂
一かげり翳かげった下へ、私は頭は光らないが、小さな蛍のようにもう吸込まれた。送って出たお孝が紛れ込むように、降り来る雨に、一騒ぎ。そこらがざわめく人の足音、潮時の往ゆき来きの影。その賑にぎやかな明るい燈ひの町へ向わずに、黒塀添いを傘で導く。
死出の山辺の灯一つ見える、一つ灯 に松ただ一つ、一本松こそ、場所屈竟と、頃は五月の日も十四日、月はあれども心の闇に、迷う手と手の相合傘よ、すぐに柄もりの袖絞るらむ……
被布の抜ぬき衣えも紋んで、ぐたりとなった、尼婆さんの形が、散らかった杯盤の中に目に見えるようで、……二階でまだ唄っている。
﹁お危うございますよ、敷石に高たか低ひくがありますから。﹂
﹁つんっても構やしません。﹂
﹁あんなこと。﹂
﹁そうすれば、お縋すがり申す。﹂
﹁おほほ。﹂
﹁しかし、いいんですか。……失礼ですが、お冬さん……ですね。﹂
横顔で莞にっ爾こりしたようで、唇が動いたが、そのまま艶つや々つやとした円まる髷まげの、手てが柄らの浅黄を薄く、すんなりとした頸えり脚あしで、うつむいたのがうなずいた返事らしい。
﹁……ほんとうにいいんですか、病気だっていうじゃありませんか。﹂
﹁ぶらぶらしてはいましたけれど、よもや、こんな処へなぞおいでなさりはしなかろうと思っておりましたのに、真しん実そこ嬉しゅうございますわ。﹂
﹁私も嬉しいんです。﹂
何だか声が掠かすれている。
﹁まあ、お世辞のいいこと。でも、いま、名をおっしゃられて震えましたよ。とても覚えてなぞお在いでなさらないと存じました。けれど、それでもお目にかかりますのに、余り取乱していたもんですから、急にあの髪結さんを呼んで、それから湯へ入ったりなんかして……ついお座敷へ伺いますのが。﹂
夜目にも湯上りの薄化粧と、見れば一層鬢びんが濡れて、ほんのりした耳元の清らかさ。それに人肌といいますか、なつかしい香が、傘を打つしとしと雨に、音もなく揺れるんです。
﹁卯の花。﹂
慌てて、言いそらして、
﹁曳船を、柳町を思い出します。﹂
﹁ねえ、お久しい……二十……何年ぶりですか。私は口不ぶち重ょう宝ほうで、口に出しては何にもいえはいたしません。﹂
﹁何をです。﹂
﹁いいえ、いいんです。﹂
﹁おっしゃい、云って下さい、そうでないと、狸になって、あなたの傘を持った手に、もじゃ、もじゃ。﹂
﹁あれ。﹂
﹁触りやしない。触りやしないが、ぶら下りかねないというんです。いって下さいよ。﹂
﹁ただね、あつかましいんですけど、片時も忘れはしませんと申す事。﹂
﹁ご同然……﹂
﹁……﹂
﹁以上です。﹂
﹁……﹂
﹁お冬さん﹂
﹁……﹂
﹁口をおききなさらなければ毛だらけの手が。﹂
﹁それこそ、狸たぬちゃんでいらっしゃる。﹂
﹁ええ、狸。﹂
﹁私をおだましなさいます。﹂
﹁はぐらかしちゃ不い可けないなあ、時に、路地を出ましたね。﹂
下駄がしとって、燈ひが流れる。
﹁構いませんか、こんな事をして歩あ行るいていて。﹂
﹁里うちですもの、お互に廊下で行逢うもおなじですわ。﹂
私は酒の胸がわくわくした。
﹁ところで、自動車の、あります処は。﹂
﹁手前どもの、つい傍そばだったんでございますけれど、少し廻まわ道りみちをしたんですよ。大それた……お連れ申して歩あ行るいて済みません。もう直きそこにございますから。﹂
﹁そりゃ、そりゃ困る、直きそこじゃ困るんだ。是非大廻りに、堂々めぐり、五百羅漢、卍まん巴じどもえに廻って下さい。唐から天てん竺じくか、いや違った、やまと、もろこしですか、いぎりす、あめりかか、そんな、まだるっこしいことはおいて、お願いです、二の橋か、一本松へ連れてって頂きたい。﹂
﹁いらっしゃる。﹂
お冬は軽く佇たたずみました。
﹁ほんとうに。﹂
﹁勿論、一緒に行って下さるんなら。ご迷惑?﹂
﹁いいえ、嬉しいんです。でも、まだお目にかかりませんけれど、奥様にお悪くはないでしょうか。﹂
﹁名所古跡を尋ねるのは、堂寺まいり同然です、構やしない。後ごし生ょうのためです、順礼に報謝のつもりで――ああ、そうだ亀井戸だ。――お酌というのが贅ぜい沢たくなら、あなたの手から煙たば草こをのまないじゃ帰らない、いっそお宅へ引ひっ返かえすか。﹂
﹁それは、でもあの尼が、あなたのお座敷へ出ますのを喜びませんような様子が見えます。﹂
これはそうらしい。でなくっても、あの顔は見たくない。またいかに何でも、ほかの待合なぞへとは言いかねました。もっともそのまま別れる気はない。処へ自く動る車まが見つかった。
弱った、一応は声をかけなければ済まない。
﹁ああ、柳町へ来ましたね。﹂
ちょうど人丈三つばかりなのが、雨に青い蓑みので立っていて、その傍わきに空地を控え、おでん屋が出ていました。
﹁またおもい出します、難あり有がたい。﹂
傘の中から面つらと肩を斜はすっかいに、つっかかるように暖のれ簾んの中へ突出して、
﹁や、お閻えん魔ま殿、ご機嫌よう。﹂
﹁一口にがアぶり、えヘッ、ヘッヘッ、頭から塩という処を……味噌にしますか。﹂
﹁味噌は、あやまる。からしにしてくれ、菎こん蒻にゃくだ。﹂
﹁掛声はありがたいが閻魔はひどうがす。旦那、辻の地蔵といわれます、石で刻んで、重こ味くがあっても、のっぺりと柔い。﹂
﹁なるほど。﹂
﹁はんぺんのような男で。﹂
﹁はんぺんは不いけ可ない、菎蒻だ。からしを。﹂
﹁ご酒は……酒はそれこそ、黒松の生一本です。﹂
﹁私は、何だったって、一本松だよ。﹂
傘に葉ずれの音がします。うしろから柳の寝ン寝子を着せ掛けられるような気がして振向くと、一つに包くるまったほど、小雨もほの暖く湯上りの白い膚はだが、単ひと衣えを透通るばかり、立っている。
﹁おお、こりゃ、雪の家の、ご新しん姐ぞ。﹂
待合の女にょ房うぼを、ご新姐という。娘のおかみさんがあるのに対してだ、と思われた。
あとで解った事ですが。――
お冬は武家の出で、本所に落おち魄ぶれた旗本か、ごけにんの血を引いている。煮豆屋の婆ばばあが口を利いて、築地辺の大会社の社長が、事務繁雑の気保養に、曳船の仮の一人ずみ、ほんの当座の手伝いと、頼まれた。手廻り調度は、隅田川を、やがて、大船で四五日の中うちに裏木戸へ積込むというので、間に合せの小こな鍋べ、碗わん家具、古ふる脇きょ息うそくの類まで、当座お冬の家から持運んでいた、といいます。その折に、雲原明流先生の内弟子、けずり小僧が訪ねたのです。
それこそ、徳川の末の末の細流は、淀よどみつ、濁りつ、消えつつも、風うわ説さは二の橋あたりへまで伝わり流れて、土地のおでん屋の耳から口へ、ご新姐であったとも思われる。
ついでに、
――曳船の時、お十九でいらっしゃいましたね、そのあんたの前で、間淵洞斎が頬ほお杖づえをつきながら、十五の私を、おれの女房だと、申しました。それッきり、私は世の中を断あき念らめました――
肌身は、茶碗の水と一緒に、その夜よ、卯の花のように、こなごなに散った、と言うのを、やがて聞くことになりました。
それも、これも、私が魅ばかされたのかも知れない。間淵に、例の﹁魔道伝書﹂がありましょう。女房に相伝していないと言われますか――お聞きになれば分るんですが。
﹁何を差上げます。ご新姐さん。﹂
うしろの空地に、つめ襟の服と、印しる半しば纏んてん、人影が二つ三つさして来た。
﹁私は。……﹂
﹁しばらく、お見かけ申しません。﹂
﹁ご病気だった。それだもの、湯ざめをなさると不いけ可ない。猪ちょ口こでなんぞ、硝コ子ッ盃プだ、硝子盃。しかし、一口いかがです。﹂
﹁では。わざと一つだけ。﹂
で、硝子盃から猪口へ通わせる。何を通わせるんだか、さながら手品の前芸です。酔方をお察し下さい。
﹁ご勘定、いいんですよ。﹂
﹁よくはありません。﹂
﹁私におまかせなさいまし。﹂
﹁実はおまかせ申したいんです。溝どぶへ打うっ棄ちゃらないで、一本松へ。﹂
﹁はあ、それはご趣向。あとで、お駕か籠ごでお迎いに参りましょう。﹂
﹁棺かん桶おけといえ、お閻魔殿。――ご馳走でした。……お冬さん、そこで、一本松までは遥はる々ばるですか。﹂
﹁ええ、ええ、遥々……ここから小石川柳町もっと、本所ほどもありましょうか、ほほほ――そこの︵ぞうしき︶から直ぐですわ。﹂
﹁そいつは、心中を済ましたあとです。﹂
﹁まあ、︵ぞうしき︶という町の名。﹂
﹁これは失礼。﹂
と、明あかるい町に、お辞儀をして、あの板の並んだ道を、船に乗ったように蹌よろ踉よろした。酔っています。
﹁交番がありますから、裏路地を。﹂
﹁的実、ごもっともです。﹂
﹁ね、暗うございますから、お気をつけなさいましよ。﹂
﹁おお、冷い。……おん手を給たまわる、……しかし冷いお手だ。﹂
﹁済みません。冬も寒の中うち、指は霜の柱ですわ、こんな身から体だで。﹂……
﹁飛んでもない、私から見ると︵二十一︶だ。何でしたっけ、何だっけ……︵年と紀しは二十一愛嬌盛り。︶……﹂
﹁あれ、危い、路が悪いんですから、そんなにお離れなすっては濡れますよ。﹂
﹁心得た、︵しゃんと袴はかまの股もも立だちとりて。大小すらりと落しにさして。︶……﹂
――ここです。濡れに寄るにも、袖によるにも、洋ステ杖ッキは溢はみ出だしますから、件くだんの牛ごぼ蒡うま丸るぬ抜きや安すです。それ、ばかされていましょう。ばかされながらもその頃までは、まだ前後を忘却していなかった筈ですが、路地を出ると、すぐ近く、高い石いし磴だんが、くらがりに仄ほの白じろい。深々とした夜気に包まれて階はし子ごのように見えるのが、――ご存じと思います。――故く郷にの一本松の上あがり口にそっくりです。
段の数はあるが、一も二もなく踏掛けた。
あたりに人ッ子一人なし、雨はしきる、相合傘で。
﹁――いよいよ道行です、何でしたっけ……
さらば最期のかねての覚悟。
女肌には緋 のかたびらに、上は単衣 の藍紺縞 よ………………
女肌には
でしたかね。﹂
という時、ふと見ると、おでん屋の燈ひでも、町通りでも気がつかなかった。暗や夜みの幻まぼ影ろし、麻布銀座のあかりがさすか、その藍と紺の横縞の、お召めし……ですか、その単衣に、繻しゅ子すではないでしょうが、黒の織物に、さつきの柳の葉が絡まつわったような織出しの優しい帯をしめている。
――生霊か、死霊か、ここでその姿が消えるのではないかと、聞いている筆わた者しは思った。さきに﹁近世怪談録﹂を見ているほどだから、その浅草新堀の西福寺うらの若侍とおなじく、横路地で冷たい手、といった時、もう片手きかないほどに氷ったのではないか、と危あやぶんだくらいであった。
﹁……やさしい、すずしい帯でした。
女肌には緋のかたびらに……
が、それが、なよなよとした白しろ縮ちり緬めん、青味がかった水浅黄の蹴出しが見える、緋ひが鹿の子こで年が少わかいと――お七の処、磴だんが急で、ちらりと搦からむのが、目につくと、踵かかとをくびった白足袋で、庭下駄を穿はいていました。﹂
――筆わた者しはその時、二人の酒席の艶つややかな卓ちゃ子ぶだ台いの上に、水浅黄の褄つまを雪なす足袋に掛けて、片裾庭下駄を揚げた姿を見、且つ傘の雫しずくの杯洗にこぼるる音を聞いた。熟じっと、ともに天井を仰いだ直槙は、その丸まる髷まげの白い顔に、鮮あで麗やかな眉を、面影に見たらしい。――熟じっと、しばらくして、まうつむけのように俯うつ向むいた。酔っている。
﹁や、あなたは庭下駄を穿いていますね。﹂
吃びっ驚くりして私が云った。
﹁いっそ脱ぎましょうか。﹂
﹁跣はだ足しになる……﹂
﹁ええ。﹂
﹁覚悟はいいんですか。﹂
﹁本望ですわ。﹂
﹁一本松へ着いてから。﹂
﹁ええ一本松へついてから。﹂
﹁一緒に草葉の蛍を見ましょう。﹂
﹁是非どうぞ。﹂
﹁そこまでは脱がせません、玉散る刃やいばを抜く時に。﹂
が、例の牛蒡丸の洋ステ杖ッキで、そいつを捻ひねくった処は、いよいよもって魅つままれものです。
――さて、その一本松です。夜目に見て、前申した故く郷にの松にそのままです。一体、名所の松といえば、それが二本松、三本松でも、実際また絵で見なくても、いい姿はわかるものです、暗や夜みの遠とお燈びの、ほの影に、それに靄もやをかけた小雨なんです。
――ああ、まだあすこをごらんにならない。――実は私もその夜がはじめてで。
事情あって、その後も、あの一本松、また寺の石磴のあたりまでは参りましたけれども、石磴を上ったって松も何もありはしません。磴は横です。真向うに、その夜、真まっ暗くらな上り道がありました。一本松はその上なんです。石磴は、のぼると、……寺なのを、まつたく﹇#﹁まつたく﹂はママ﹈その時は知らなかった。のみならず、お目にかけたいくらい、あの石磴は妙です。あたりに何にもない中に立っているから、仄ほの白じろい空の階はし子ごのようで、故く郷にの山道に似た処から、ひとりぎめに、私が先へ踏掛けた。ついて上ったのは、お冬さんなんですが、どうでしょう。庭下駄で捌さばく褄つまの媚なまめかしさが、一段、一段、肩にも、腰にも、裳すそにも添って、上り切ると、一本松が見えたから不思議なんです。
﹁風はないのに、松の匂においが襲うと一緒に、弱い女の肌の香が消えそうで。……実際身でしめ、袖で抱きたかった。
心細道、岩坂辿 り、辿りついたはその松の蔭、
……その一本松よき死場所と、
かげの夫婦は手で抱合うて……
……その一本松よき死場所と、
かげの夫婦は手で抱合うて……
それから何でしたっけ。﹂
お冬が、
﹁……かくす死恥……ですわ、そんな、唄、うたってかまいませんか。
かくす死恥旗天蓋 に、蛇目傘 開いて肩身をすぼめ……
あれ、お
おとせあれ見よ、草葉の露に、青い幽迷 な蛍火一つ……
蛍のようですわね。﹂
﹁お燈明。﹂
﹁ええ、ねえ、ごらんなさい、この松には女の乳を供えるんです。﹂
﹁飛んでもない、あなたの乳なぞ。……妬やける、妬けます。﹂
と云った。……乳とただ言われただけで、お冬さんの胸が雪白に見えるほど、私の目が、いいえ、お冬さんのいう言葉が、乳にかぎらず、草といえば、草、葉といえば、葉、露は、露、蛍は、蛍、燈明が燈明に見えたんです。何よりも一本松が一本松に、ありありと夜中に見えたんですから化ばかされていたに違いない。いやそれ以上、魔法にやられていたのです、――﹁伝書﹂をお忘れになりますまい。ところで、唄の忘れた処は、その胸に手をあてて、お冬さんが思い出しては、つけてうたって、聞かせました。
﹁あの、……︵わたしゃ蔭でもいといはせぬと、縋すがるおとせ︶……何ですか、もんくでも私の口からだとあつかましい。﹂
﹁それはこっちでいう事ですが、何でしたっけな……縋るおとせをまた抱きしめて……
……縋るおとせをまた抱きしめて、女房過分な、こうなる身にも、露の影とは女の卑下よ、消ゆるわが身に永劫未来、たった一つの光はそなた。
あ、お燈明が、蛍が消えた。﹂
手を取りました。
﹁私も消えとうございますわ。﹂というのです。
――︵同好の怪談は、ここでお冬さんが幽霊になって消えるのか、と筆わた者しはまた思った、が、そうではなかった。︶――
﹁私も消えとうございますわ。﹂
と、お冬さんがいった時です。松をしぶいて、ざっと大降りになった。単ひと衣えの藍あい、帯の柳、うす青い褄つま、白い足袋まで、雨あま明あかりというのに、濡々と鮮くっ明きりした。
﹁傘では凌しのげません、雨宿りに、この中へ消えましょう。﹂
と、その姿で……ここは暗くら闇やみだ。お聞きになるあなたの目に、もう一度故く郷にの一本松を思い浮べて頂きたい。あの松の幹をです。立上りはしないで、傘なりに少し屈かが腰みごしになって、その白い手で、トンと敲たたいたと思うと、蘭らん燈とうといいますか、かさなり咲いた芍しゃ薬くやくの花に、電燈を包んだような光明がさして、金きん襴らんの衾ふすま、錦にしきの褥しとね、珊さん瑚ごの枕、瑠る璃りの床、瑪めの瑙うの柱、螺らで鈿んの衣いこ桁うが燎りょ爛うらんと輝いた。
覚悟をしました。たしかに伝来の魔法にかかった。下げ司すと、鈍痴と、劣情を兼ね備えた奴やっことして、この魔法にかからずにいられますか。
その上に大酔悩乱です。――一度はいつか、二日酔の朝、胸が上うえ下したに跳はね上あがり動どう悸きをうつと、仰あお向むけに寝ていて、茶の間の、めくり暦の赤い処が血を噴いた女の切首になって飛上り飛下りしたのを忘れない。それにもました惑乱です。
のめり込んで、錦爛の裡なかにぽかんとすると、
﹁一口、めしあがりますか。﹂
﹁何の事です、それじゃ狒ひ々ひの老おい耄ぼれか、仙人の化物になる。﹂
と言ったんだから可おそ恐ろしい。
狸まみ穴あなの狸じゃないが、一本松の幹の中へ入った気で居て、それに供えるという処から、入りしなに壜びんに詰めた白いのを、鼻はな頭さきで掻分けたつもりで居る。それが朦もう朧ろうとして、何だかお冬さんの懐の中へ、つまみ込まれたようだったものですから。……何にしろ魔法にかかった、いよいよ魔法に掛かかったに相違ない。一口、というのさえ酒でなしに、魔法に限ります、かかり切りになっていりゃ申分はありません。﹂
といって、肩のめりに、ぐったりと手を支ついた。
この獅し子し屋やさん、名も直槙が、くなくなになったから、余よっ程ぽどおかしい。
いや、話は可お笑かしいのではないのである。