……垣 の卯 の花 、さみだれの、ふる屋 の軒 におとづれて、朝顏 の苗 や、夕顏 の苗 ……
またうたに、
……田舍 づくりの、かご花活 に、づツぷりぬれし水色 の、たつたを活 けし樂 しさは、心 の憂 さもどこへやら……
小こうたの寄よせ本ぼんで讀よんだだけでも一ちよ寸つと意い氣きだ、どうして惡わるくない。が、四よで疊ふは半んでも六ろく疊でふでも、琵びは琶だ棚なつきの廣ひろ間までも、そこは仁にん體てい相さう應おうとして、これに調てう子しがついて、別べつ嬪ぴんの聲こゑで聞きかうとすると、三さみ味せ線んの損そん料れうだけでもお安やすくない。白しろい手ての指ゆび環わの税ぜいがかゝる。それに、われら式しきが、一いち念ねん發ほつ起きに及およんだほどお小こづ遣かひを拂はたいて、羅うすものの褄つまに、すツと長ながじゆばんの模もや樣うが透すく、……水みづ色いろの、色いろ氣けは︵たつた︶で……斜なゝめに座すわらせたとした所ところで、歌うた澤ざはが何なんとかで、あのはにあるの、このはにないのと、淺あさ間まの灰はひでも降ふつたやうに、その取とり引ひきたるや、なか〳〵むづかしいさうである。
先せん哲てついはく……君くん子しはあやふきに近ちかよらず、いや頬ほゝ杖づゑで讀よむに限かぎる。……垣かきの卯うの花はな、さみだれの、ふる屋やの軒のきにおとづれて……か。
惡わるいことは申まをさぬ。これに御ごど同うか感んの方かた々〴〵は、三さみ味せ線んでお聞ききになるより、字じでお讀よみになる方はうが無ぶ事じである。――
下した町まちの方はうは知しらない。江え戸どのむかしよりして、これを東とう京きやうの晝ひるの時ほと鳥ゝぎすともいひたい、その苗なへ賣うりの聲こゑは、近ちか頃ごろ聞きくことが少すくなくなつた。偶たまにはくるが、もう以いぜ前んのやうに山やまの手ての邸やし町きまち、土どべい、黒くろべい、幾いく曲まがりを一ひと聲こゑにめぐつて、透とほつて、山さん王わう樣さまの森もりに響ひゞくやうなのは聞きかれない。
久ひさしい以いぜ前んだけれども、今いまも覺おぼえて居ゐる。一いち度どは本ほん郷がう龍たつ岡をか町ちやうの、あの入いり組くんだ、深ふかい小こう路ぢの眞まん中なかであつた。一いち度どは芝しばの、あれは三み田た四しこ國くま町ちか、慶けい應おう大だい學がくの裏うらと思おもふ高たか臺だいであつた。いづれも小をが笠さのひさしをすゑ、脚きや半はんを輕かるく、しつとりと、拍ひや子うしをふむやうにしつゝ聲こゑにあやを打うつてうたつたが……うたつたといひたい。私わたしは上じや手うずの名めい曲きよくを聞きいたと同おなじに、十じふ年ねん、十じふ五ごね年んの今いまも忘わすれないからである。
この朝あさ顏がほ、夕ゆふ顏がほに續つゞいて、藤ふぢ豆まめ、隱いん元げん、なす、さゝげ、唐たうもろこしの苗なへ、また胡きう瓜り、糸へち瓜ま――令れい孃ぢや方うがたへ愛あい相さうに︵お︶の字じをつけて――お南たう瓜なすの苗なへ、……と、砂すな村むらで勢せいぞろひに及およんだ、一いつ騎きた當うせ千ん、前せん栽ざいの強つは物ものの、花はなを頂いたゞき、蔓つる手たづ綱な、威をど毛しげをさばき、裝よそほひに濃こい紫むらさきを染そめなどしたのが、夏なつの陽かげ炎ろふに幻まぼ影ろしを顯あらはすばかり、聲こゑで活いかして、大おほ路ぢ小こう路ぢを縫ぬつたのも中なか頃ごろで、やがて月つき見みさ草う、待まつよひ草ぐさ、くじやく草さうなどから、ヒヤシンス、アネモネ、チウリツプ、シクラメン、スヰートピイ。笛ふえを吹ふいたら踊をどれ、何なんでも舶はく來らいものの苗なへを並ならべること、尖モダ端ン新しん語ごじ辭て典んのやうになつたのは最さい近きんで、いつか雜ざつ曲きよくに亂みだれて來きた。
決けつして惡わるくいふのではない、聲こゑはどうでも、商しや賣うばいは道みちによつて賢かしこくなつたので、この初しよ夏かも、二ふた人りづれ、苗なへ賣うりの一ひと組くみが、下しも六ろく番ばん町ちやうを通とほつて、角かどの有あり馬ま家けの黒くろ塀べいに、雁がんが歸かへるやうに小をが笠さを浮うかして顯あらはれた。
――紅べに花ばなの苗なへや、おしろいの苗なへ――特とくに註ちうするに及およぶまい、苗なへ賣うりの聲こゑだけは、草くさ、花はなの名ながそのまゝでうたになること、波なみの鼓つゞみ、松まつの調しらべに相あひひとしい。床とこの間まものの、ぼたん、ばらよりして、缺かけ摺すり鉢ばち、たどんの空あき箱ばこの割わり長なが屋や、松まつ葉ばぼたん、唐たう辛がら子しに至いたるまで聲こゑを出だせば節ふしになる。むかし、下しもの句くに︵それにつけても金かねの欲ほしさよ︶と吟ぎんずれば、前まへ句くはどんなでもぴつたりつく。︵ほとゝぎすなきつるかたをながむれば︶――︵それにつけてもかねのほしさよ、︶――一ちよ寸つと見みほ本んがこんなところ。古ふる池いけや、でも何なんでも構かまはぬ、といつた話はなしがある。もつともだ。うら盆ぼんで餘よけ計い身みにしみて聞きこえるのと、卑さもしいけれども、同おなじであらう。
その……
――紅花 の苗 や、おしろいの苗 ――
小こうたなるかな。ふる屋やの軒のきにおとづれた。何なに、座すわつて居ゐても、苗なへ屋やの笠かさは見みえるのだが、そこは凡ぼん夫ぷだ、おしろいと聞きいたばかりで、破やれすだれ越ごしに乘のりだして見みたのであるが、續つゞいて、
――紅鷄頭 、黄鷄頭 、雁來紅 の苗 。……とさか鷄頭 、やり鷄頭 の苗 ――
と呼よんだ。繪ゑで見みせないと、手てつきや口くちの説せつ明めいでは、なか〳〵形かたが見みせられないのに、この、とさか鷄けい頭とう、やり鷄けい頭とうは、いひ得えてうまい。……學がく者しやの術じゆ語つごばなれがして、商しや賣うばいによつて賢かしこしである、と思おもつたばかりは二ふた人りぐ組みかけ合あひの呼よび聲ごゑも、實じつは玄げん米まいパンと、ちんどん屋や、また一いつ所しよになつた……どぢやう、どぢやう、どぢやう――に紛まぎれたのであつた。
こちらで氣きをつけて、聞きゝ迎むかへるのでなくつては、苗なへ賣うりは、雜ざつ音おんのために、どなたも、一ちよ寸つと氣きがつかないかも知しれぬと思おもふ。
まして深しん夜やの鳥とりの聲こゑ。
俳はい諧かいには、冬ふゆの季きになつて居ゐたはずだが、みゝづくは、春はるの末すゑから、眞まな夏つ、秋あきも鳴なく。……ともすると梅つ雨ゆうちの今いま頃ごろが、あの、忍にん術じゆつつかひ得とく意いの時ときであらうも知しれぬ。魔まは法ふ、妖えう術じゆつ、五さつ月きや暗みにふさはしい。……よひの間まのホウ、ホウは、あれは、夜よた鷹かだと思おもはれよ。のツホウホー、人ひと魂だまが息いぶ吹きをするとかいふ聲こゑに、藍らん暗あん、紫しし色よくを帶たいして、のりすれ、のりほせのないのは木みゝ菟づくで。……大たい抵てい眞まよ夜な中かの二に時じ過すぎから、一ひと時ときほどの間あひだを遠とほく、近ちかく、一いち羽はだか、二に羽はだか、毎まい夜よのやうに鳴なくのを聞きく。寢いねがての夜よるの慰なぐさみにならないでもない。
陽やう氣きの加かげ減んか、よひまどひをして、直ぢき町ちや内うないの大おほ銀いて杏ふ、ポプラの古ふる樹きなどで鳴なく事ことがあると、梟ふくろだよ、あゝ可こ恐はい。……私わたしの身しん邊ぺんには、生あいにくそんな新しん造ぞは居ゐないが、とに角かく、ふくろにして不ぶ氣き味みがる。がふくろの聲こゑは、そんな生なま優やさしいものではない。――相さう州しう逗づ子しに住すまつた時とき、秋あきもややたけた頃ころ、雨あめはなかつたが、あれじみた風かぜの夜よな中かに、破あば屋らやの二にか階いのすぐその欄らん干かんと思おもふ所ところで、化ばけた禪ぜん坊ばう主ずのやうに、喝どうかつをくはしたが、思おもはず、引ひき息いきで身みぶ震るひした。唐だし突ぬけに犬いぬがほえたやうな凄すさまじいものであつた。
だから、ふくろの聲こゑは、話はなしに聞きく狼おほかみがうなるのに紛まぎれよう。……みゝづくの方はうは、木こだ精まが戀こひをする調てう子しだと思おもへば可いい。が、いづれ魔まものに近ちかいのであるから、又またばける、といはれるのを慮おもんぱかつて、内ない々〳〵遠ゑん慮りよがちに話はなしたけれども、實じつは、みゝづくは好すきである。第だい一いち形かたちが意い氣きだ。――閨ねや、いや、寢ねど床この友ともの、――源げん語ごでも、勢せい語ごでもない、道だう中ちう膝ひざ栗くり毛げを枕まくらに伏ふせて、どたりとなつて、もう鳴なきさうなものだと思おもふのに、どこかの樹きの茂しげりへ顯あらはれない時ときは、出で來きるものなら、内うち懷ぶところに隻せき手しゆの印いんを結むすんで、屋やの棟むねに呼よびたい、と思おもふくらゐである。
旅りよ行かうをしても、この里さと、この森もり、この祠ほこら――どうも、みゝづくがゐさうだ、と直ちよ感くかんすると、果はたして深しん更かうに及およんで、ぽツと、顯あらはれ出いづるから則すなはち話はなせる。――のツほーほう、ほツほウ。
﹁おいでなさい、今こん晩ばんは。……﹂
つい先せん月げつの中ちう旬じゆんである。はじめて外そと房ばう州しうの方はうへ、まことに緊きん縮しゆくな旅りよ行かうをした、その時とき――
待まて、旅たびといへば、内うちにゐて、哲てつ理りと岡をかぼれの事ことにばかり凝こつてゐないで、偶たまには外そとへ出でて見みたがよい。よしきり︵よし原はらすゞめ、行ぎや々う/子\し︶は、麥むぎの蒼おほ空ぞらの雲ひば雀りより、野やし趣ゆ横わう溢いつして親したしみがある。前まへにいつたその逗づ子しの時じぶ分んは、裏うらの農のう家かのやぶを出でると、すぐ田たご越えが川はの流ながれの續つゞきで、一いつ本ぽん橋ばしを渡わたる所ところは、たゞ一いち面めんの蘆あし原はら。滿まん潮てうの時ときは、さつと潮さしてくる浪なみがしらに、虎とら斑ふの海くら月げが乘のつて、あしの葉はの上うへを泳およいだほどの水みづ場ばだつたが、三さん年ねんあまり一いち度どもよしきりを聞きいた事こと……無むろ論ん見みた事こともない。
後のちに、奧あう州しうの平ひら泉いづみ中ちう尊そん寺じへ詣まうでたかへりに、松まつ島しまへ行ゆく途とち中う、海うみの底そこを見みるやうな岩いはの根ねを拔ぬける道みち々〳〵、傍かたはらの小こぬ沼まの蘆あしに、くわらくわいち、くわらくわいち、ぎやう、ぎやう、ぎやう、ちよツ、ちよツ、ちよツ……を初はつ音ねに聞きいた。
まあ、そんなに念ねんいりにいはないでも、凡およそ烏からすの勘かん左ざゑ衞も門ん、雀すゞめの忠ちう三ざぶ郎らうなどより、鳥とりでこのくらゐ、名なと聲こゑの合がつ致ちしたものは少すくなからう、一いち度どもまだ見み聞ききした覺おぼえのないものも、聲こゑを聞きけば、すぐ分わかる……
ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。
もし〳〵、久く保ぼ田たさん、と呼よんで、こゝで傘さん雨うさんにお目めにかゝりたい。これでは句くになりますまいか。
ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。
顏かほと腹はらを横よこに搖ゆすつて、万まんちやんの﹁折をり合あへません﹂が目めに見みえる。
加か賀がの大おほ野の、根ね生ぶの濱はまを歩あ行るいた時ときは、川かは口ぐちの洲すの至いたる所ところ、蘆あし一ひとむらさへあれば、行ぎや々う/子\しの聲こゑが渦うづを立たてた、蜷になの居ゐる渚なぎさに寄よれば、さら〳〵と袖そでずれの、あしのもとに、幾いく十じつ羽ぱともない、くわらくわいち、くわらくわいち、ちよツ、ちよツで。ぬれ色いろの、うす紅あからんだ莖くきを傳つたひ、水みづをはねて、羽はねの生はえた鮒ふなで飛とび囘まはる。はら〳〵と立たつて、うしろの藁わら屋やの梅うめに五ごろ六つ羽ぱ、椿つばきに四し五ご羽は、ちよツちよツと、旅たび人びとを珍めづらしさうに、くちばしを向むけて共とも音ねにさへづつたのである。――なじみに成なると、町まち中なかの小をが川はを前まへにした、旅やど宿やの背せ戸ど、その水みづのめぐる柳やなぎの下もとにも來きて、朝あさはやくから音おと信づれた。
……次つい手でに、おなじ金かな澤ざはの町まちの旅りよ宿しゆくの、料れう理りに人んに聞きいたのであるが、河かは蝉せみは黐もちを恐おそれない。寧むしろ知しらないといつても可いい。庭にはの池いけの鯉こひを、大だい小せう計はかつてねらひにくるが、仕しかけさへすれば、すぐにかゝる。また、同どう國こくで、特とく産さんとして諸しよ國こくに貨くわする、鮎あゆ釣つりの、あの蚊かば針りは、すごいほど彩さい色しきを巧たくみに昆こん蟲ちうを模もして造つくる。針はりの稱なに、青あを柳やぎ、女をみ郎なへ花し、松まつ風かぜ、羽はご衣ろも、夕ゆふ顏がほ、日ひな中か、日ひぐ暮れ、螢ほたるは光ひかる。︵太たい公こう望ばう︶は諷ふうする如ごとくで、殺せつ生しや道うだ具うぐに阿あ彌み陀だは奇きなり。……黒くろ海え老び、むかで、暗やみがらす、と不ぶ氣き味みになり、黒くろ虎とら、青あを蜘ぐ蛛もとすごくなる。就なか中んづく、ねうちものは、毛けま卷きにおしどりの羽うま毛うを加かこ工うするが、河かは蝉せみの羽はねは、職しよ人くにんのもつとも欲ほつするところ、特とくに、あの胸むな毛げの火ひの燃もゆる緋ひは、魔まの如ごとく魚うをを寄よせる、といつて價あたひを選えらばないさうである。たゞ斷ことわつて置おくが、その搖ゆるる篝かゞ火りびの如ごとき、大だい紅こう玉ぎよくを抱いだいた彼かのをんなは、四し時じともに殺せつ生しや禁うき斷んだんのはずである。
さて、よしきりだが、あのおしやべりの中なかに、得えもいはれない、さびしい情じやうの籠こもつたのがうれしい。いふまでもなく番ばん町ちや邊うあたりでは、あこがれる蛙かへるさへ聞きかれない。どこか近きん郊こうへ出でたら、と近ちかまはりで尋たづねても、湯ゆ屋やも床とこ屋やも、釣つりの話はなしで、行ぎや々う/子\しなどは對あひ手てにしない。ひばり、こま鳥どり、うぐひすを飼かふ町ちや内うない名なだ代いの小こと鳥りずきも、一いつ向かう他たに人んあつかひで對あひ手てにせぬ。まさか自じど動うし車やで、ドライブして、搜さがして囘まはるほどの金かねはなし……縁えんの切きれめか、よし原はらすゞめ、當たう分ぶんせかれたと斷あき念らめて居ゐると、當たう年ねん五ごぐ月わつ――房ばう州しうへ行いつた以いぜ前んである。
馬ば鹿かの一ひと覺つおぼえ、といふのだらう。あやめは五ごぐ月わつと心こゝ得ろえた。一いち度ど行いつて見みよう見みようで、まだ出でかけた事ことのない堀ほり切きりへ……急いそぎ候さふらふほどに、やがて着つくと、引ひきぞ煩わづらはぬいづれあやめが、憚はゞかりながら葉はばかりで伸のびて居ゐた。半はん出で來きの藝げい妓しや――淺あさ草くさのなにがしと札ふだを建たてた――活いき人にん形ぎやうをのぞくところを、唐だし突ぬけに、くわら〳〵、くわら、と蛙かへるに高たか笑わらひをされたのである。よしよしそれも面おも白しろい。あれから柴しば又またへお詣まゐりしたが、河かは甚じんの鰻うなぎ……などと、贅ぜいは言いはない。名めい物ぶつと聞きく切きり干ぼし大だい根こんの甘あまいにほひをなつかしんで、手てせ製いののり卷まき、然しかも稚ち氣き愛あいすべきことは、あの渦うづ卷まきを頬ほゝ張ばつたところは、飮のみ友とも達だちは笑わらはば笑わらへ、なくなつた親おやどもには褒はう美びに預あづからうといふ、しをらしさのおかげかして、鴻こうの臺だいを向むかうに見みる、土ど手てへ上あがると、鳴なく、鳴なく、鳴なくぞ、そこに、よしきり。
巣す立だちの頃ころか、羽はお音とが立たつて、ひら〳〵と飛とび交かはす。
あしの根ねに近ちかづくと、またこの長ちや汀うてい、風かぜさわやかに吹ふき通とほして、人ひと影かげのないもの閑しづかさ。足あし音おとも立たつたのに、子こど供もだらう、恐おそれ氣げもなく、葉はさ先きへ浮うきだし、くちばしを、ちよんと黒くろく、顏かほをだして、ちよ、ちよツ、とやる。根ねに潛ひそんで、親おや鳥どりが、けたゝましく呼よぶのに、親おやの心こゝろ、子こ知しらずで、きよろりとしてゐる。
﹁おつかさんが呼よんでるぢやないか。葉はの中なかへ早はやくお入はひり――人にん間げんが居ゐて可こ恐はいよ。﹂
﹁人にん間げんは飛とべませんよ、ちよツ、ちよツ、ちよツちよツ。﹂
﹁犬いぬがくるぞ。﹂
﹁をぢちやんぢやあるまいし……﹂
やゝ長ながめな尾ををぴよんと刎はねた――こいつ知しつて居ゐやあがる。前ぜん後ごさ左い右う、たゞ犬いぬは出ではしまいかと、内ない々〳〵びく〳〵もので居ゐる事ことを。
﹁犬いぬなんか可こ恐はくないよ。ちツちツちツ。﹂
畜ちく生しやうめ。
﹁これ〳〵一いち坊ばうや、一いち坊ばうや、くわらかいち、くわらかいち。﹂
それお母つかさんが叱しかつて居ゐる。
可かは愛いいこの一いち族ぞくは、土ど手ての續つゞくところ、二に里り三さん里り、蘆あしとともに榮さかえて居ゐる喜よろこぶべきことを、日ひならず、やがて發はつ見けんした。――房ばう州しうへ行ゆく時ときである。汽きし車やが龜かめ戸ゐどを過すぎて――あゝ、このあひだの堤どての續つゞきだ、すぐに新しん小こい岩はへ近ちかづくと、窓まどの下したに、小こど兒もが溝どぶ板いたを驅かけだす路みち傍ばたのあしの中なかに、居ゐる、居ゐる。ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。
﹁をぢさんどこへ。……﹂
と鳴ないて居ゐた。
白しら鷺さぎが――私わたしはこれには、目め覺ざむるばかり、使つかつて居ゐた安やす扇せん子すの折をり目めをたゝむまで、えりの涼すゞしい思おもひがした。嘗かつて、ものに記しるして、東とう海かい道だう中ちう、品しな川がはのはじめより、大おほ阪さかまはり、山さん陰いん道だうを通つうじて、汽きし車やから、婀あ娜だと、しかして、窈えう窕てうと、野やに、禽きん類るゐの佳かじ人んを見みるのは、蒲かま田たの白しら鷺さぎと、但たじ馬ま豐とよ岡をかの鶴つるばかりである、と知しつたかぶりして、水みな上かみさんに笑わらはれた。
﹁少すこしお歩あ行るきなさい、白しら鷺さぎは、白しろ金かね︵本ほん家け、芝しば︶の庭にはへも來きますよ。﹂つい小こい岩はから市いち川かはの間あひだ、左ひだりの水すゐ田でんに、すら〳〵と三さん羽ば、白しろい褄つまを取とつて、雪ゆきのうなじを細ほつそりとたゝずんで居ゐたではないか。
のみならず、汽きし車やが千ち葉ばまはりに譽ほん田だ……を過すぎ、大おほ網あみを本ほん納なふに近ちかづいた時ときは、目めの前まへの苗なは代しろ田だを、二に羽は銀ぎん翼よくを張はつて、田たご毎との三みか日づ月きのやうに飛とぶと、山やま際ぎはには、つら〳〵と立たち並ならんで、白しろい燈ひのやうに、青あを葉ばの茂しげみを照てらすのをさへ視みたのである。
目めあ的ての海かい岸がん――某ぼう地ちに着つくと、海うみを三さん方ぱう――見みは晴らして、旅りよ館くわんの背うし後ろに山やまがある。上うへに庚かう申しんのほこらがあると聞きく。……町まち並なみ、また漁ぎよ村そんの屋や根ねを、隨ずゐ處しよに包つゝんだ波はじ状やうの樹こだ立ちのたゝずまひ。あの奧おく遙はるかに燈とう明みや臺うだいがあるといふ。丘をかひとつ、高たかき森もりは、御みだ堂うがあつて、姫ひめ神がみのお庭にはといふ。丘をかの根ねについて三みと所ころばかり、寺じゐ院んの棟むねと、ともにそびえた茂しげりは、いづれも銀いて杏ふのこずゑらしい。
……と表おも二てに階かい、三さん十じふ室まばかり、かぎの手てにづらりと並ならんだ、いぬゐの角すみの欄らん干かんにもたれて見みまはした所ところ、私わたしの乏とぼしい經けい驗けんによれば、確たしかにみゝづくが鳴なきさうである。思おもつたばかりで、その晩ばんは疲つかれて寢ねた。が次つぎの夜よは、もう例れいによつて寢ねられない。刻きざみと、卷まきたばこを枕まく元らもとの左さい右うに、二にけ嬌うの如ごとく侍はべらせつゝも、この煙けむりは、反はん魂ごん香かうにも、夢ゆめにもならない。とぼけて輪わになれ、その輪わに耳みゝが立たつてみゝづくの影かげになれ、と吹ふかしてゐると、五さつ月きやみが屋やを壓あつし、波なみの音おとも途と絶だゆるか、鐘かねの音ねも聞きこえず、しんとする。
刻こく限げん、到こく限げん。
――のツ、ほツほウ――
﹁あゝ、おいでなさい。……今こん晩ばんは。﹂
隣となりの間まの八はち疊でふに、家かな内いとその遠とほ縁えんにあたる娘むすめを、遊あそびに一ひと人り預あづかつたのと、ふすまを並ならべてゐる。兩りや人うにんの裾すその所ところが、床とこの間ま横よこ、一いつ間けんに三さん尺じやく、張はりだしの半はん戸とだな、下したが床ゆか張ばり、突つき當あたりがガラス戸どの掃はきだし窓まどで、そこが裏うら山やまに向むかつたから、丁ちやうどその窓まどへ、松まつの立たち樹きの――二にか階いだから――幹みきがすく〳〵と並ならんでゐる。枝えだの間あひだを白はく砂さのきれいな坂さかが畝うねつて拔ぬけて、その丘をかの上うへに小せう學がく校かうがある。ほんの拔ぬけ裏うらで、ほとんど學がく校かうがよひのほか、用ようのない路みちらしいが、それでも時とき々〴〵人ひと通どほりがある。――寢ねしなに女をん連なれんのこれが問もん題だいになつた。ガラスを通とほして、ふすまが松まつ葉ば越ごしに外そとから見みえよう。友いう禪ぜんを敷しいた鳥とりの巣すのやうだ。あら、裾すその方はうがくすぐつたいとか、何なんとかで、娘むすめが騷さわいで、まづ二にま枚いを折りの屏びや風うぶで圍かこつたが、尚なほ隙すきがあいて、燈ひが漏もれさうだから、淡とき紅い色ろの長ながじゆばんを衣いか桁うからはづして、鹿かの子この扱しご帶きと一いつ所しよに、押おしつくねるやうに引ひつかけて塞ふさいだのが、とに角かく一ちよ寸つと媚なまめかしい。
魔まものの鳥とりが、そこを、窓まどをのぞくやうに鳴ないたのである。――晝ひる見みた、坂さかの砂すな道みちには、青あをすすき、蚊か帳やつり草ぐさに、白しろい顏かほの、はま晝ひる顏がほ、目まぶたを薄うす紅べにに染そめたのなどが、松まつをたよりに、ちらちらと、幾いく人たりも花はなをそろへて咲さいた。いまその露つゆを含ふくんで、寢ねが顏ほの唇くちびるのやうにつぼんだのを、金こん色じきのひとみに且かつ青あをく宿やどして……木みゝ菟づくよ、鳴なく。
が、鳥とりの事ことはいはれない。今け朝さ、その朝あさ、顏かほを洗あらつたばかりの所ところ、横よこ縁えんに立たつた娘むすめが、﹁まあ容よう子すのいゝ、あら、すてきにシヤンよ、をぢさん、幼えう稚ちゑ園んの教けう員ゐんさんらしいわ。﹂﹁おつと來きたり。﹂﹁お前まへさんお茶ちやがこぼれますよ。﹂﹁知しつてる。﹂と下したに置おけばいゝものを、滿まん々〳〵とあるのを持もちかへようとして沸わき立たつて居ゐるから振ふりこぼして、あつゝ。﹁もうそつちへ行ゆくわ、靴くつだから足あしが早はやい。﹂﹁心こゝ得ろえた。﹂下したのさか道みちの曲まがれるを、二にか階いから突つき切きるのは河かせ川んの彎わん曲きよくを直ちよ角くかくに、港みなとで船ふねを扼やくするが如ごとし、諸しよ葛かつ孔こう明めいを知しらないか、とひよいと立たつて件くだんの袋ふく戸ろとだなの下したへ潛もぐ込りこむ。﹁それ、頭あたまが危あぶないわ。﹂﹁合がつ點てんだ。﹂といふ下したから、コツン。おほゝゝほ。﹁あゝ殘ざん念ねんだ、後うし姿ろすがただ。いや、えり脚あしが白しろい。﹂といふ所ところを、シヤンに振ふり向むかれて、南なむ無さん三ば寶う。向むき直なほらうとして、又またゴツン。おほほほゝ。……で、戸とだなを落おとした喜きた多は八ちといふ身みではひだすと、﹁あの方かた、ね、友いう禪ぜんのふろ敷しき包づつみを。……かうやつて、少すこし斜なゝめにうつむき加かげ減んに、﹂とおなじ容よう子すで、ひぢへ扇せん子すの、扇せん子すはなしに、手てつきで袖そでへ一ちよ寸つと舞まひ振ぶり。……娘むすめの舞まひ振ぶりは、然さることだが、たれかの男をと振こぶりは、みゝづくより苦にが々〳〵しい。はツはツはツはツ。
叱しつ!……これ丑うし滿みつ時どきと思おもへ。ひとり笑わらひは怪ばけものじみると、獨ひとりでたしなんで肩かたをすくめる。と、またしんとなる。
――のツほツほ――五いつ聲こゑばかり窓まどで鳴ないて、しばらくすると、山やまさがりに、ずつと離はなれて、第だい一いちの寺てらの銀いて杏ふの樹きと思おもふあたりで、聲こゑがする。第だい二にの銀いて杏ふ――第だい三さんへ。――やがて、もつとも遠とほくかすかになるのが――峰みねの明みや神うじんの森もりであつた。
東とう京きやう――番ばん町ちやう――では、周しう圍ゐの廣ひろさに、みゝづくの聲こゑは南なん北ぼくにかはつても、その場ばし所よの東とう西ざいをさへわきまへにくい。……こゝでは町まちも、森もりも、ほとんど一ひと浦うらのなぎさの盤ばんにもるが如ごとく、全ぜん幅ぷくの展てん望ばうが自じい由うだから、瀬せも、流ながれも、風かぜの路みちも、鳥とりの行ゆく方へも知しれるのである。又また禽きん類るゐの習しふ性せいとして、毎まい夜よ、おなじ場ばし處よ、おなじ樹きに、枝えだに、かつ飛とび、かつ留とまるものださうである。心こゝ得ろえて置おく事ことで……はさんでは棄すてる蛇へびの、おなじ場ばし所よに、おなじかま首くびをもたげるのも、敢あへて、咒じゆ詛そ、怨をん靈りやう、執しふ念ねんのためばかりではない事ことを。
……こゝに、をかしな事ことがある。みゝづくのあとへ鼠ねずみが出でる。蛇へびのあとでさへなければ可いい。何なんのあとへ鼠ねずみが出でても、ちつとも差さし支つかへはないのであるが、そのみゝづくが窓まどを離はなれて、第だい一いちのいてふへ飛とび移うつつたと思おもふ頃ころ、おなじガラス窓まどの上うへの、眞まか片たす隅み、ほとんど鋭えい角かくをなした所ところで、トン、と音おとがする。……續つゞいて、トン、と音おとがする。女をんな二ふた人りの眠ねむつた天てん井じや裏ううらを、トコ、トン、トコ、トン、トコ、トン、トコ、トン。はゝあ鼠ねずみだ。が、大おほげさではない、妙めうな歩あ行るきかただ、と、誰どな方たも思おもはれようと考かんがへる。
お互たがひに――お互たがひは失しつ禮れいだけれど、破あば屋らやの天てん井じやうを出でてくる鼠ねずみは、忍しのぶにしろ、荒あれるにしろ、音おとを引ひきずつて囘まはるのであるが、こゝのは――立たつて後あと脚あしで歩あ行るくらしい。はてな、じつと聞きくと、小ちひさな麻あさがみしもでも着きて居ゐさうだ、と思おもふうち、八はち疊でふに、私わたしの寢ねた上うへあたりで、ひつそりとなる。一ひと呼い吸き拔ぬいて置おいて、唐だし突ぬけに、ばり〳〵ばり〳〵、びしり、どゞん、廊らう下かの雨あま戸どそ外とのトタン屋や根ねがすさまじく鳴なり響ひゞく。ハツと起おきて、廊らう下かへ出でた。退たい治ぢる氣きではない、逃にげ路みちを搜さがしたのである。
屋や根ねに、忍にん術じゆつつかひが立たつたのでも何なんでもない。それ切きりで、第だい二にの銀いて杏ふにみゝづくの聲こゑが冴さえた。
更さらに人にん間げんに別べつ條でうはない。しかし、おなじ事ことが三みば晩ん續つゞいた。刻こく限げんといひ、みゝづくの窓まどをのぞくのから、飛とび移うつるあとをためて、天てん井じやうの隅すみへトン、トコ、トン、トコ、トン――三みば晩んめは、娘むすめも家かな内いも三さん人にん起おき直なほつて聞きいたのである。が、びり〳〵、がらん、どゞん、としても、もう驚おどろかない。何なに事ごともないとすると、寢ね覺ざめのつれ〴〵には面おも白しろし、化ばけ鼠ねずみ。
どれ、これを手てづるに、鼠ねずみをゑさに、きつね、たぬき、大おほきくいへば、千ちく倉らヶ沖おきの海うみ坊ばう主ず、幽いう靈れい船ぶねでも釣つりださう。
如い何かに、所ところの人ひとはわたり候さふらふか。――番ばん頭とうを呼よびだすも氣きの毒どくだ。手てぢ近かなのは――閑かん靜せい期きとかで客きやくがないので、私わたしどもが一いち番ばんの座ざし敷きだから――一いち番ばんさん、受うけ持もちの女ぢよ中ちうだが、……そも〳〵これには弱よわつた。
旅や宿どに着ついて、晩ばん飯めしと……お魚さかなは何どういふものか、と聞きいた、のつけから、﹁銀ぎん座ざのバーから來きたばかりですからねえ。﹂――﹁姉ねえさん、向むかうに見みえる、あの森もりは。﹂﹁銀ぎん座ざのバーから來きたばかりですからねえ。﹂うつかりして﹁海うみへは何なん町ちやうばかりだえ。﹂﹁さあ、銀ぎん座ざのバーから來きたばかりですからねえ。﹂あゝ、修しゆ業げふはして置おく事ことだ。人ひとの教をしへを聞きかないで、銀ぎん座ざにも、新しん宿じゆくにも、バーの勝かつ手てを知しらないから、旅たびさきで不ふじ自い由うする。もつとも、後のちに番ばん頭とうの陳ちんじたところでは、他たの女ぢよ中ちうとの詮せん衡かう上じやう、花はな番ばんとかに當あたつたからださうである。が、ぶくりとして、あだ白じろい、でぶ〳〵と肥ふとつた肉にく貫かん――︵間まち違がへるな、めかたでない、︶――肉にく感かんの第だい一いち人にん者しやが、地ぢひ響ゞきを打うつて、外そと房ばう州しうへ入はひつた女ぢよ中ちうだから、事ことが起おこる。
たしか、三みつ日か目めが土どえ曜うに當あたつたと思おもふ。ばら〳〵と客きやくが入はひつた。中なかに十じふ人にんばかりの一ひと組くみが、晩ばんに藝げい者しやを呼よんで、箱はこが入はひつた。申まを兼しかねるが、廊らう下かでのぞいた。田ゐな舍かづくりの籠かご花はな活いけに、一いつ寸すん︵たつた︶も見みえる。内ない々〳〵一ひと聲こゑほとゝぎすでも聞きけようと思おもふと、何どうして……いとが鳴なると立たち所どころに銀ぎん座ざの柳やなぎである。道だう頓とん堀ぼりから糸いと屋やの娘むすめ……女をん朝なあ日さひ奈なの島しまめぐりで、わしが、ラバさん酋しう長ちやうの娘むすめ、と南なん洋やうで大だい氣きえ焔ん。踊をどれ、踊をどれ、と踊をどり囘まはつて、水み戸との大おほ洗あら節ひぶしで荒あれるのが、殘のこらず、銀ぎん座ざのバーから來きた、大おほ女をんなの一ひと人りげ藝いで。……醉よつた、食くつた、うたつた、踊をどつた。宴えん席せきどなりの空あき部べ屋やへ轉ころげ込こむと、ぐたりと寢ねたが、したゝか反へ吐どをついて、お冷ひ水やを五ごは杯い飮のんだとやらで、ウイーと受うけ持もちの、一いち番ばんさんへ床とこを取とりに來きて、おや、旦だん那なは醉よつて轉ころげてるね、おかみさん、つまんで布ふと團んへ載のつけなさいよ。枕まくらもとの煙たば草こぼ盆んなんか、娘むすめさんが手てつ傳だつてと、……あゝ、私わたしは大たい儀ぎだ。﹂﹁はい。﹂﹁はい。﹂と女をんなどもが、畏かしこまると、﹁翌あし日たは又またおみおつけか。オムレツか、オートミルでも取とればいゝのに。ウイ……﹂廊らう下かを、づし〳〵歩あ行るきかけて、よた〳〵と引ひき返かへし﹁おつけの實みは何なんとかいつたね。さう、大だい根こんか。大だい根こん、大だい根こん、大だい根こんでセー﹂と鼻はなうたで、一ひとつおいた隣とな座りざ敷しきの、男をとこの一ひと人りき客やくの所ところへ、どしどしどしん、座すわり込こんだ。﹁何なにをのんびりしてるのよ、あはゝゝは、ビールでも飮のまんかねえ。﹂前ぜん代だい未みも聞んといツつべし。
宴えん會くわ客いきやくから第だい一いちに故こし障やうが出でた、藝げい者しやの聲こゑを聞きかないさきに線せん香かうが切きれたのである。女ぢよ中ちうなかまが異い議ぎをだして、番ばん頭とうが腕うでをこまぬき、かみさんが分ふん別べつした。翌よく日じつ、鴨かも川がはとか、千ちく倉らとか、停てい車しや場ぢや前うまへのカフエーへ退たい身しん、いや、榮えい轉てんしたさうである。寧むしろ痛つう快くわいである。東とう京きやううちなら、郡ぐん部ぶでも、私わたしは訪たづねて行いつて、飮のまうと思おもふ。
といつたわけで……さしあたり、たぬきの釣つりだしに間まに合あはず、とすると、こゝに當たう朝あさ日ひし新んぶ聞んのお客きや分くぶん、郷きや土うど學がくの總そう本ほん山ざん、内ない々〳〵ばけものの監かん査さと取りしまり、柳やな田ぎださん直ぢき傳でんの手しゆ段だんがある。直ぢき傳でんが行いきすぎならば、模もは倣うがある。
土と地ちの按あん摩まに、土とこ地ろの話はなしを聞きくのである。
﹁――木みゝ菟づく……木みゝ菟づくなんか、あんなものは……﹂
いきなり麻あさがみしもの鼠ねずみでは、いくら盲まう人じんでも付つき合あふまい。そこで、寢ねころんで居ゐて、まづみゝづくの目めが金ねをさしむけると、のつけから、ものにしない。
﹁直ねになりませんな、つかまへたつて食くへはせずぢや。﹂
あつ氣けに取とられたが、しかし悟さとつた。……嘗かつて相さう州しうの某ぼう温をん泉せんで、朝あさ夕ゆふちつともすゞめが居ゐないのを、夜やぶ分ん按あん摩まに聞きいて、歎たん息そくした事ことがある。みんな食くつてしまつたさうだ。﹁すゞめ三さん羽ばに鳩はと一いち羽はといつてね。﹂と丁ちやんと格かく言げんまで出で來きて居ゐた。それから思おもふと、みゝづくを以もつて、忽たちまち食しよ料くれ問うも題んだいにする土と地ちは人にん氣きが穩おだやかである。
﹁からすの方はうがましぢやね、無むだ駄ど鳥りだといつても、からすの方はうがね、あけの鐘かねのかはりになるです、はあ、あけがらすといつてね。時ときにあんた方がたはどこですか。東とう京きやうかね――番ばん町ちやう――海かい水すゐ浴よく、避ひし暑よにくる人ひとはありませんかな。……この景けい氣きだから、今こと年しは勉べん強きやうぢやよ。八はち疊でふに十じふ疊でふ、眞まあ新たらしいので、百ひや五くご十じふ圓ゑんの所ところを百ひやくに勉べん強きやうするですわい。﹂
大おほきな口くちをあけて、仰あふ向むいて、
﹁七八九、三みつ月きですが、どだい、安やすいもんぢやあろ。﹂
家かな内いが氣きの毒どくがつて、
﹁たんと山やまがありますが、たぬきや、きつねは。﹂
﹁じよ、じようだんばかり、直ねが安やすいたつて、化ばけ物もの屋やし敷き……飛とんでもない、はあ、えゝ、たぬき、きつね、そんなものは鯨くぢらが飮のんでしまうた、はゝは。いかゞぢや、それで居ゐて、二にか階いで、臺だい所どころ一いつ切さいつき、洗せん面めん所じよも……﹂
喟きぜ然んとして私わたしは歎たんじた。人にん間げんは斯その徳とくによる。むかし、路ろじ次う裏らのいかさま宗そう匠しやうが、芭ばせ蕉をの奧おくの細ほそ道みちの眞ま似ねをして、南なん部ぶのおそれ山やまで、おほかみにおどされた話はなしがある。柳やな田ぎださんは、旅はた籠ごのあんまに、加か賀がの金かな澤ざはでは天てん狗ぐの話はなしを聞きくし、奧あう州しう飯いひ野のが川はの町まちで呼よんだのは、期きせずして、同どう氏しが研けん究きうさるゝ、おかみん、いたこの亭てい主しゆであつた。第だい一いち儼げん然ぜんとして絽ろの紋もん付つきを着きたあんまだといふ、天てんの授さづくるところである。
みゝづくで食しよくを論ろんずるあんまは、容よう體だい倨きよ然ぜんとして、金かね貸かしに類るゐして、借しや家くやの周しう旋せんを強きや要うえうする……どうやら小こが金ねでその新しん築ちくをしたらしい。
女ぢよ教けう員ゐんさんのシヤンを覗のぞいて、戸とだなで、ゴツンの量りや見うけんだから、これ、天てんの戒いましむる所ところであらう。
但たゞ、いさゝか自みづから安やすんずる所ところがないでもないのは、柳やな田ぎださんは、身みを以もつてその衝しように當あたるのだが、私わたしの方はうは間かん接せつで、よりに立たつた格かくで、按あん摩まに上かみをもませて居ゐるのは家かな内いで、私わたしは寢ねころんで聞きくのである。ご存ぞんじの通とほり、品ひん行かう方はう正せいの點てんは、友ともだちが受うけ合あふが、按あん摩まに至いたつては、然しかも斷だんじて處しよ女ぢよである。錢せん湯たうでながしを取とつても、ばんとうに肩かたを觸さはらせた事ことさへない。揉もむほどの手てつきをされても、一ひとちゞみに縮ちゞみ上あがる……といつただけでもくすぐつたい。このくすぐつたさを處しよ女ぢよだとすると、つら〳〵惟おもんみるに、媒なか灼う人どをいれた新にひ枕まくらが、一いつ種しゆの……などは、だれも聞きかないであらうか、なあ、みゝづく。……
鳴ないて居ゐる……二にじ時は半んだ。……やがて、里さと見みさんの眞まむ向かうの大おほ銀いて杏ふへ來くるだらう。
みゝづく、みゝづく。苗なへ屋やが賣うつた朝あさ顏がほも、もう咲さくよ。
夕ゆふ顏がほには、豆とう府ふかな――茄なす子びの苗なへや、胡きう瓜りの苗なへ、藤ふぢ豆まめ、いんげん、さゝげの苗なへ――あしたのおつけの實みは……
昭和六年八月