一
﹁さて何どうも一方かたならぬ御ごこ厚うじ情やうに預あづかり、少すくなからぬ御ごく苦ら労うを掛かけました。道だう中ちうにも旅はた店ごにも、我わが儘まゝばかり申まをして、今いま更さらお恥はづかしう存ぞんじます、しかし俥くるま、駕か籠ご……また夏なつ座ざし敷きだと申まをすのに、火ひば鉢ちに火ひをかんかん……で、鉄てつ瓶びんの湯ゆを噴ふき立たたせるなど、私わたしとしましては、心こゝろならずも止やむことを得えませんので、決けつして我が意いを募つのらせた不ふと届ゞきな次しだ第いではありません。――これは幾いく重へにも御ごり諒やう察さつを願ねがはしう存ぞんじます。 ――古こ間ま木き︵東とう北ほく本ほん線せん︶へお出でむ迎かひ下くだすつた以いら来い、子ねの口くち、休やす屋みやに掛かけて、三泊とまり。今いままた雑ざつと一日にち、五日かばかり、私わたしども一行かうに対たいし……申まを尽しつくせませんまで、種しゆ々〴〵お心こゝろづかひを下くださいましたのも、たゞ御おれ礼いを申まを上しあげるだけでは済すみません。御ごこ懇んじ情やうはもとよりでございますが、あなたは保ほし勝よう会くわいを代だい表へうなすつて、湖みづうみの景けい勝しよう顕けん揚ようのために、御ごじ尽んり力よくをなすつたので、私わたしが、日にち日にち社しやより旅りよ費ひを頂ちや戴うだいに及およんで、遥はる々〴〵と出で向むきましたのも、又またそのために外ほかなりませんのでございますから、見みき聞ゝのまゝを、やがて、と存ぞんじます。けれども、果はたして御ごき期た待いにかなひますか、如ど何うか、その辺へんの処ところは御ごく寛わん容ようを願ねがひたう存ぞんじます。たゞしかし、湖こは畔ん五里りあ余まり、沿えん道だう十四里りの間あひだ、路ろば傍うの花はなを損そこなはず、樹きの枝えだを折をらず、霊れい地ちに入いりました節せつは、巻まき莨たばこの吸すい殻がらは取とつて懐くわ紙いしへ――マツチの燃もえさしは吹ふき消けして、もとの箱はこへ納をさめましたことを憚はゞかりながら申まをし出いでます。何なには行ゆき届とゞきませんでも、こればかりは、御おん地ちに対たいする礼れい儀ぎと真まご情ゝろでございます。﹂ ﹁はあ――﹂ ……はあ、とそつ気けはないが、日ひ焼やけのした毛けだらけの胸むねへ、ドンと打ぶつ撞かりさうに受うけ容いれらるる、保ほし勝よう会くわいの小をが笠さは原ら氏しの――八月ぐわつ四日か午ご後ご三時じ、古こ間ま木きで会あうてより、自じど動うし車やに揺ゆられ、舟ふねに揉もまれ、大おほ降ぶり小こぶ降り幾いく度どか雨あめに濡ぬれ、おまけに地ぢし震んにあつた、裾すそ短みじかな白しろ絣がすりの赤あかくなるまで、苦くら労うによれ〳〵の形かたちで、黒くろの信しん玄げん袋ぶくろを緊しつ乎かりと、柄えの巌がん丈ぢやうな蝙かう蝠もり傘がさ。麦むぎ稈わら帽ぼうを鷲わし掴づかみに持もち添そへて、膝ひざまでの靴くつ足た袋びに、革かは紐ひもを堅かたくかゞつて、赤あか靴ぐつで、少せう々〳〵抜ぬき衣えも紋んに背せす筋ぢを膨ふくらまして――別わかれとなればお互たがひに、峠たふげの岐えだ路みちに悄しよ乎んぼりと立たつたのには――汽きし車やから溢こぼれて、風かぜに吹ふかれて来きた、木この葉はのやうな旅たび人びとも、おのづから哀あはれを催もよほし、挨あい拶さつを申まをすうちに、つい其その誘さそはれて。……図づに乗のつたのでは決けつしてない。…… ﹁十和わ田だの神かみも照せう覧らんあれ。﹂ と言いはうとして、ふと己おのれを顧かへりみて呆あきれ返かへつた。這こ個の髯ひげ斑まだらに眼まなこ円つぶらにして面おも赤あかき辺へん塞さいの驍げう将しやうに対たいして、爾しかき言ことを出ださむには、当たう時じ流りう行かうの剣けん劇げきの朱しゆ鞘ざやで不いけ可ず、講かう談だんものゝ鉄てつ扇せんでも不いけ可ない。せめては狩かり衣ぎぬか、相あひ成なるべくは、緋ひを縅どしの鎧よろひ……と気きがつくと、暑しよ中ちう伺うかゞひに到たう来らいの染そめ浴ゆか衣たに、羽はお織りも着きず、貝かひの口くちも横よこつちよに駕か籠ごすれして、もの欲ほしさうに白しろ足た袋びを穿はいた奴やつが、道だう中ちうつかひ古ふるしの蟹かに目めのゆるんだ扇あふ子ぎでは峠たふ下げしたの木き戸どへ踞しやがんで、秋あき田たぐ口ちの観くわ光んく客わうきやくを――入いらはい、と口こう上じやうを言いひさうで、照せう覧らんあれは事ことをかしい。 ﹁はあ。……﹂ ﹁えゝ、しかし何なには御ごふ不そ足くでも医いが学くは博か士せ、三みす角みか康うせ正いさんが、この一行かうにお加くははり下くだすつて、篤とく志しとまでも恩おんに着きせず、少すくない徳とく本ごうの膝ひざ栗くり毛げま漫んい遊うの趣おもむきで、村むら々〳〵で御ごし診んさ察つをなすつたのは、御おん地ちに取とつて、何なによりの事ことと存ぞんじます。﹂ ﹁はあ、勿もち論ろんであります。﹂ ﹁それに、洋やう画ぐわ家かの梶かぢ原はらさんが、雨あめを凌しのぎ、波なみを浴あびて、船ふねでも、巌いはでも、名めい勝しようの実じつ写しやをなすつたのも、御ごそ双うは方う、御ごく会わい心しんの事ことと存ぞんじます。尚なほ、社しやの写しや真しん班はんの英えい雄ゆう、三浦うらさんが、自じこ籠もり巌いはを駆かけ上のぼり、御おう占らな場ひばの鉄てつ階はし子ごを飛とび下おり、到いたる処ところ、手しゆ練れんのシヤターを絞しぼつたのも、保ほし勝よう会くわいの皆みな様さまはじめ、……十和わ田だの神かみ……﹂ と言いひかけて、ぐつとつまると、白しろのづぼん、おなじ胴どう衣ぎ、身みのたけ此これにかなつて風ふう采さいの揚あがつた、社しやを代だい表へうの高たか信のぶさん、傍かたはらより進すゝみ出いでゝ、 ﹁では此これで、……おわかれをいたします。﹂ 小をが笠さは原ら氏しは、くるり向むき直なほつて、挙きよ手しゆをしさうな勢いきほひで、 ﹁はあ。﹂ これは、八月ぐわつ七日かの午ご後ご、秋あき田たけ県ん鹿かつ角のぐ郡ん、生おひ出でを駕か籠ごで上のぼつて……これから三瀧たき街かい道だうを大おほ湯ゆを温んせ泉んまで、自じど動うし車やで一気きに衝つかうとする、発はつ荷かた峠ふげ、見みか返へり茶ちや屋やを、……なごりの湖うみから、向むかつて右みぎに見みた、三みつ岐またの一場ばめ面んである。 時ときに画ぐわ工こう――画ぐわ家か、画ぐわ伯はくには違ちがひないが、何どうも、画ゑか工きさんの方はうが、分わけて旅たびには親した味しみがある︵以い下か、時ときに諸しよ氏しに敬けい語ごを略りやくする事ことを恕ゆるされたし。︶貫くわん五さんは、この峠たふげを、もとへ二町ちやうばかり、樹きぶり、枝えだぶり山ぶ毛な欅の老らう樹じゆの、水みづを空そらにして、湖みづうみの雲くもに浮ういた、断きり崖ぎしの景けし色きがある。﹁いゝなあ、この山ぶ毛な欅一本ぽんが、こゝで湖みづうみを支さゝへる柱はしらだ。﹂そこへ画ぐわ架かを立たてた――その時とき、この峠たふげを導みちびいて、羽はお織りは袴かまで、阪さかへ掛かかると股もゝ立だちを取とつた観くわ湖んこ楼ろう、和わゐ井な内いホテルの御ごし主ゆじ人んが、﹁あ、然さやうで。樹じゆ木もくは一枝えだも大たい切せつにいたさなければ成なりませんな。素しろ人うと目めにも、この上のぼり十五町ちやう、五十六曲まがり十六景けいと申まをして岩いは端ばな、山やま口ぐちの処とこ々ろ〴〵、いづれも交かはる〴〵、湖みづうみの景けし色きが変かはりますうちにも、こゝは一段だんと存ぞんじました。さいはひ峠たふ上げうへの茶ちや屋やが、こゝへ新しん築ちくをいたすのでございます。﹂背はい後ごの山やま懐ふところに、小こ屋やを掛かけて材ざい木もくを組くみ、手てう斧なが聞きこえる。画ゑか工きさんは立たち処どころにコバルトの絵ゑの具ぐを溶といたし、博はか士せは紫むらさきの蝶てふを追おつて、小こ屋やうらの間かん道だうを裏うらの林はやしに入はいつたので。――あと四人にんは本ほん道だうを休やす茶みち屋ややへ着つくと、和わゐ井な内いの主しゆ人じんは股もゝ立だちを解といて、別わかれを告つげたのであつた。︵註ちう。観くわ湖んこ楼ろうの羽はお織りは袴かまは、特とくに私わたしたちの為ためではない、折をりから地ちは方うの顕けん官くわんの巡じゆ遊んいうがあつた、その送そう迎げいの次つい手でである。︶ 写しや真しん班はんの英えい雄ゆうは、乃すなはちこの三みつ岐またで一度ど自じど動うし車やを飛とび下おりて、林りん間かんの蝶てふに逍せう遥えうする博はか士せを迎むかふるために、馳はせて後あと戻もどりをした処ところである。―― 方かた々〴〵の様やう子すは皆みな略ほゞ分わかつた、いづれも、それ〴〵お役やく者しやである。が、白しろ足た袋びだつたり、浴ゆた衣かでしよたれたり、貝かひの口くちが横よこつちよだつたり、口こう上じやうを述のべ損そこなつたり……一体たいそれは何なにものだい。あゝそつと〳〵私わたし……です、拙せつ者しや、拙せつ者しや。 英えい雄ゆう三浦うらの洋やう装さうの、横よこ肥ぶとりにがツしりしたのが、見みよ、眉まゆの上うへの山やまの端はに顕あらはれた。三みつ岐またを目めの下したにして、例れいの間かん道だうらしいのを抜ぬけたと思おもふが、横よこ状ざまに無む理りな崖がけをするりと辷すべつて、自じど動うし車やの屋や根ねを踏ふみ跨またぐか、とドシンと下おりた。汗あせひとつかいて居ゐない。尤もつとも、つい此この頃ごろ、飛ひか行う機きで、八景けいの中うちの上かみ高かう地ちの空そらを飛とんだと言いふから、船ふねに乗のつても、羽はねが生はえて、ひら〳〵と、周しう囲ゐ十五里りの湖みづうみの上うへを高たかく飛とびさうでならなかつた。闊くわ歩つぽ横わう行かう、登とう攀はん、跋ばつ渉せふ、そんな事ことはお茶ちやの子こで。―― 思おもへば昨きの日ふの暮くれ前まへであつた。休やす屋みやの山やまに一座ざ且かつ聳そびえて巌いは山やまに鎮ちん座ざする十和わ田だ神じん社じやに詣まうで、裏うら岨そばになほ累かさなり累かさなる嶮けはしい巌いはを爪つま立だつて上のぼつた時ときなどは……同どう行かうした画ゑか工きさんが、信しんの槍やりも、越えつの剣つるぎも、此これを延えん長ちやうしたものだと思おもへ、といつたほどであるから、お恥はづかしいが、私わたしにしては生うまれてはじめての冒ぼう険けんで、足あし萎なえ、肝きも消きえて、中ちう途とで思おもはず、――絶ぜつ頂ちやうの石いしの祠ほこらは八幡まん宮ぐうにてましますのに、――不ふど動うみ明やう王わう、と念ねんずると、やあ、といふ掛かけ声ごゑとゝもに、制せい迦たかの如ごとく顕あらはれて、写しや真しん機きと附ふぞ属くひ品んを、三鈷こと金こん剛がう杵しよの如ごとく片かた手てにしながら、片かた手てで、帯おびを掴つかんで、短たん躯くせ小うし身んの見けん物ぶつを宙ちうに釣つつて泳およがして引ひき上あげた英えい雄ゆうである。岩いは魚なの大だいを三匹びき食くつて咽の喉どを渇かはかすやうな尋じん常じやうなのではない。和わゐ井な内い自じま慢んのカバチエツポの肥ふとつた処ところを、二ふた尾つ塩しほ焼やきでぺろりと平たひらげて、あとをお茶ちや漬づけさら〳〵で小こよ楊う子じを使つかふ。…… いや爰こゝでこそ、呑のん気きらしい事ことをいふものゝ、磊らい々〳〵たる巉ざん巌がんの尖せん頂ちやうへ攀よぢて、大だい菩ぼさ薩つの小ちひさな祠ほこらの、たゞ掌てのひらに乗のるばかり……といつた処ところで、人にん間げんのではない、毘びし沙やも門んて天んの掌てのひらに据すゑ給たまふ。宝ほう塔たふの如ごときに接せつした時ときは、邪じや気きある凡ぼん夫ぷは、手てあ足しもすくんでそのまゝに踞しやがんだ石いし猿ざるに化ならうかとした。……巌いはほの層そうは一枚まいづゝ、厳おごそかなる、神しん将しやうの鎧よろひであつた、謹つゝしんで思おもふに、色いろ気けある女によ人にんにして、悪わるく絹きぬ手はん巾かちでも捻ねぢらうものなら、たゞ飜ほん々〳〵と木きの葉はに化けして飛とぶであらう。それから跣はだ足しになつて、抱かゝへられるやうにして下くだつて、また、老らう樹じゆの根ね、大おほ巌いはの挟さ間まを左ひだりに五段だん、白しら樺かばの巨きよ木ぼくの下したに南なん祖そば坊うの堂だうがあつた。右みぎに三段だん、白しら樺かばの巨きよ木ぼくの下したに、一龍りう神じんの祠ほこらがあつた。……扉とびら浅あさうして、然しかも暗くらき奥おくに、一個こ人にん面めん蛇じや体たいの神かみの、躯からだを三畝うねり、尾をと共ともに一口ふりの剣つるぎを絡まとうたのが陰いん影えいに立たつて、面おもては剣つるぎとゝもに真まつ青あをなのを見みた時ときよ。二
この祠ほこらを頂いたゞく、鬱うつ樹じゆの梢こずゑさがりに、瀧たき窟むろに似にた径こみちが通とほつて、断きり崖ぎしの中ちう腹ふくに石いし溜だまりの巌いはほ僅わづかに拓ひらけ、直たゞちに、鉄くろがねの階はし子ごが架かゝる、陰いん々〳〵たる汀みぎはこそ御おう占らな場ひばと称しようするので――︵小こぶ船ねは通とほるさうである︶――画ゑか工きさんと英えい雄ゆうとは、そこへ――おのおの……畠はた山けやまの馬うまではない、……猪しゝを抱いだき、鹿しかをかつぐが如ごとき大おほ荷にのまゝ、ずる〳〵と梢こずゑを沈しづんだ。高たか信のぶさんは、南なん祖そば坊うの壇だんの端はしに一息いきして向むかうむきに煙たば草こを吸すつた。私わたしは、龍りう神じんに謝しやしつゝも、大おほ白しら樺かばの幹みきに縋すがつて、東ひがしが恋こひしい、東ひがしに湖みづうみを差さし覗のぞいた。
場ばし所よは、立たち出いでた休やす屋みやの宿やどを、さながら谷たにの小こい屋へにした、中なか山やま半はん島たう――此この半はん島たうは、恰あたかも龍りうの、頭かうべを大おほ空ぞらに反そらした形かたちで、居ゐる処ところは其その腮あぎとである。立たてる絶ぜつ壁ぺきの下したには、御おう占らな場ひばの崖がけに添そつて業なり平ひら岩いは、小こま町ちい岩は、千ちづ鶴るヶ崎さき、蝋らふ燭そく岩いは、鼓つゞみヶ浦うらと詠よみ続つゞいて中なか山やま崎さきの尖とつ端さきが牙きばである。
相あひ対たち向むかふものは、御おく倉らは半んた島う。また其その岬みさきを大おろ蛇ちな灘だが巻まいて、めぐつて、八雲くも崎さき、日くれ暮のさ崎き、鴨かも崎さき、御みむ室ろ、烏えぼ帽し子い岩は、屏べう風ぶい岩は、剣つる岩ぎいは、一つ一つ、神かみが斧おのを打うち、鬼おにが、鉞まさかりを下おろした如ごとく、やがては、巨きよ匠しやう、名めい工こうの、鑿のみ鏨たがねの手ての冴さえに、波なみの珠しゆ玉ぎよくを鏤ちりばめ、白しろ銀がねの雲くもの浮うき彫ぼりを装よそほひ、緑りよ金くきんの象ぞう嵌がんに好かう木ぼく奇きじ樹ゆの姿すがたを凝こらして、粧しや壁うへ彩きさ巌いがんを刻きざんだのが、一目めである。
折をりから雨あめのあとの面おもて打うち沈しづめる蒼さう々〳〵漫まん々〳〵たる湖みづうみは、水みな底そこに月つきの影かげを吸すはうとして、薄うすく輝かゞやき渡わたつて、沖おきの大おろ蛇ちな灘だを夕ゆふ日ひか影げが馳はしつた。
再ふたゝび云いふ、東ひが向しむかうに、其その八雲くも、日くれ暮のさ崎き、御みむ室ろの勝しように並ならんで半はん島たうの真まん中なか一処ところ、雲くもより辷すべつて湖みづうみに浸ひたる巌がん壁ぺき一千丈ぢやう、頂いたゞきの松まつは紅こう日じつを染そめ、夏なつ霧ぎりを籠こめて紫むらさきに、半なかば山やま肌はだの土つち赭あかく、汀みぎはは密みつ樹じゆ緑りよ林くりんの影かげ濃こまやかに、此この色いろ三つを重かさねて、ひた〳〵と映うつつて、藍あゐを浮うかべ、緑みどりを潜ひそめ、紅くれなゐを溶とかして、寄よる波なみや、返かへす風かぜに、紅こう紫し千輪りんの花はな忽たちまち敷しき、藍らん碧ぺき万ばん顆くわの星ほしち開ひらいて、颯さつと流ながるゝ七彩さいの虹にじの末すゑを湖こし心ん最もつとも深ふかき処ところ、水すゐ深しん一千二百尺しやくの青せい龍りうの偉おほいなる暗くらき口くちに呑のむ。
それが、それが、目めの下したにちら〳〵と、揺ゆれに、揺ゆれる。……夜よるの帳とばりはやゝ迫せまる。……あゝ、美うつくしさに気き味みが悪わるい。
そこに、白はく鳥てうの抜ぬけ羽は一枚ひら、白しら帆ほの船ふねありとせよ。蝸まい牛〳〵つぶろの角つのを出だして、櫓ろを操あやつるものありとせよ、青あを螽いなごの流ながるゝ如ごとき発はつ動どう汽きて艇いの泳およぐとせよ。
私わたしは何なんとなく慄ぞ然つとした。
湖みづうみばかり、わればかり、船ふねは一艘そうの影かげもなかつた。またいつも影かげの形かたちに添そふやうな小をが笠さは原ら氏しのゐなかつたのは、土と地ちの名めい物ぶつとて、蕎そば麦き切りを夕ゆふ餉げの振ふる舞まひに、その用よう意いに出で向むいたので、今いま頃ごろは、手てを貸かして麺めん棒ぼうに腕うでまくりをしてゐやうも知しれない。三角すみさんは、休やす屋みやの浜はまぞひに、恵ゑび比す寿じ島ま、弁べん天てん島じま、兜かぶ島とじまを、自じご籠もりの岩いは――︵御おう占らな場ひばの真まうしろに当あたる︶――掛かけて、ひとりで舟ふねを漕こぎ出だした。その間あひだに、千年ねんの杉すぎの並なみ木きを深ふかく、私わたしたちは参さん詣けいしたので。……
乃すなはち山やまの背はい面めんには、岸きしに沿そふ三角すみさんの小こぶ船ねがある。たゞその人ひとが頼たよりであつた。少せう々〳〵怪け我がぐらゐはする覚かく悟ごで、幻げん覚かく、錯さく視しかと自みづから怪あやしむ、その水みづの彩いろどりに、一段だんと、枝えだにのびて乗のり出だすと、余あまり奇きれ麗いさに、目めが眩くらんだのであらう。此この、中なかの湖みづうみの一面めんが雨あめを呼よぶやうに半なかばスツと薄うす暗ぐらい。
ために黒くろさに艶つやを増ました烏えぼ帽し子い岩はを頭あたまに、尾をを、いまの其その色いろの波なみにして、一筋すぢ。御おう占らな場ひばの方はうを尾をに、烏えぼ帽し子い岩はに向むかつて、一筋すぢ。うね〳〵と薄うすく光ひかる水みづ二条すぢ、影かげも見みえない船ふな脚あしの波なみに引ひき残のこされたやうなのが、頭あたま丸まるく尖とがり胴どう長ながくうねり、脚あし二つに分わかれて、たとへば︵号これ︶が横よこの︵八はち︶の字じに向むか合ひあつて、湖みづうみの半なかばを領りやうして浮うかび出でた、ものゝ形かたちを見みよ。――前ぜん日じつ、子ねの口くちの朝あさの汀みぎはに打うち群むるゝ飴あめ色いろの小こえ蝦びの下したを、ちよろ〳〵と走はしつた――真まつ黒くろな蠑ゐもに似にて双ふたつながら、こゝに其その丈たけ十丈ぢやうに余あまんぬる。
見みる〳〵、其その尾を震ふるひ、脚あし蠢うごめき、頭あたま動うごく。……驚すは破や、相あひ噛かまば、戦たゝかはゞ、此この波なみ湧わき、此この巌いは崩くづれ、われ怪けし飛とぶ、と声こゑを揚あげて﹁康かう正せいさーん。﹂博はか士せたすけよ、と呼よばむとする時とき、何なんと、……頸うなじ寄より、頬ほゝ重おもり、脚あし抱いだくと視みるや、尾をを閃ひらめかして接キツ吻スをした。風かぜとゝもに黒くろい漣さゞなみが立たち蔽おほつた。
﹁――占うらなひは……占うらなひは――﹂
谺こだまに曳ひいて、崖がけ下したの樹きの中なか、深ふかく、画ゑか工きさんの呼よぶのが聞きこえて、
﹁……凄すごいぞう。﹂
と、穴あなに籠こもつたやうな英えい雄ゆうの声こゑが暗くらい水みづに響ひゞいた。
﹁やあ、これは。﹂
高たか信のぶさんが、そこへ、ひよつくり顕あらはれた、神かん職ぬしらしいのに挨あい拶さつすると、附つき添そつて来きた宿やど屋やの番ばん頭とうらしいのが、づうと出でて、
﹁今いまこれへ、おいでの皆みな様さまは博はか士せの方かた々〴〵でおいでなさりまするぞ。﹂
十四五人にん、仙せん台だいの学がく校かうからと聞きく、洋やう服ふくの紳しん士しが、ぞろ〳〵と続つゞいて見みえた。……
――のであつた。――
時ときに英えい雄ゆうが発はつ荷かた峠ふげで……
﹁博はか士せは、一車くるまあとへ残のこらるゝさうです。紅あか立たて羽は、烏から羽すは揚あげ羽は、黄きと白しろの名なからして、おつにん蝶てふ、就なか中んづく、︵小こむ紫らさき︶などといふのが周まは囲りについてゐますから、一ちよ寸つと山やまから出でさうにもありませんな。﹂
――この言ことばは讖しんをなした。翌よく々〳〵夜やの秋あき田た市しでは、博はか士せを蝶てふの取とり巻まくこと、大おほ略よそ斯かくの通とほりであつた。もとより後のちの話はなしである。
私わたしはいつた。
﹁蝶てふ々〳〵の診しん断だんをしてゐるんだ。大おほ湯ゆで落おち合あひましやうよ、一足あしさきへ……﹂
……実じつは三日か余あまり、仙せん境きや霊うれ地いちに心しん身しん共ともに澄すみ切きつて、澄すみ切きつた胸むなさきへ凡ぼん俗ぞくの気きが見みえ透すくばかり。そんなその、紅あか立たて羽はだの、小こむ紫らさきだの、高かう原げんの佳かじ人ん、お安やすくないのにはおよばない、西せい洋やう化けし粧やうの化ばけ紫むらさき、ござんなれ、白おし粉ろいの花はなありがたい……早はやく下げか界いへ遁にげたいから、真まつ先さきに自じど動うし車やへ。
駕か籠ごを一挺ちやう、駕か籠ご屋やが四人にん、峠たふげの茶ちや屋やで休やすんだのが、てく〳〵と帰かへつて来きた。
﹁いや、取とり紛まぎれて失しつ念ねんをしようとした。ほんの寸すん志しだよ。﹂
高たか信のぶさんが、銀ぎん貨くわを若なに干がし、先さき棒ばうの掌てのひらへポンと握にぎらせると、にこりと額ひたいをうつむけた処ところを、
﹁いくら貰もらうたかい。﹂
小をが笠さは原ら氏しが、真まが顔ほで、胡ごま麻ひ髯げの頬ほゝを寄よせた。
﹁へい。﹂と巌がん丈ぢやうに引ひん握にぎつた大おほきな掌てのひらをもつさりと開あける、と光ひかる。
﹁多おほからうが。多おほいぞ。お返かへし申まをせ。――折せつ角かくですが、かやうな事ことは癖くせになりますで、以いら来い悪あく例れいになりますでな。﹂
お律りち義ぎお律りち義ぎ、いつもその思おぼ召しめしで願ねがひたい、と何どの道みち此こ処こは自じば腹らでないから、私わたしは一ひと人りで褒ほめてゐる。
﹁いや〳〵、それはそれ、これはこれ、たゞ些ほ少んの志こゝろざしですから。……さあ〳〵若わかい衆しう、軽かるく納をさめて。﹂
馴なれて如じよ才さいない扱あつかひに、苦にがつた顔かほしてうなづいて、
﹁戴いたゞいて置おけ。礼れいを言いへい。﹂
﹁それ、急いそげ。﹂
英えい雄ゆうは、面めん倒だうくさい座ざせ席きになど片かたづくのでない。自じど動うし車やも免めん許きよ取とりだから、運うん転てん手しゆ台だいへ、ポイと飛とび上あがると、﹁急いそげ。﹂――背せな中かを一つ引ひつ撲ぱたく勢いきほひだから、いや、運うん転てん手しゆの飛とばした事こと。峠たふげから下おろす風かぜは、此この俗ぞく客きやくを吹ふきまくつた。
﹁や、お精せいが出でますなあ。﹂
坂さかの見みは霽らしで、駕か籠ごが返かへる、と思おもひながら、傍わき目めも触ふらなかつた梶かぢ原はらさんは、――その声こゑに振ふり返かへると、小をが笠さは原ら氏しが、諸もろ肌はだぬぎになつて、肥ふと腹つぱらの毛けをそよがせ、腰こしに離はなさなかつた古ふる手てぬ拭ぐひを頸くびに巻まいた。が、一役やく済すまして、ほつと寛くつろいだ状さまだつたさうである。﹁さすがに日ひあ当たりは暑あついですわい。﹂﹁これから何どち方らまでお帰かへりです。﹂法はふ奥おく沢さは村むらの名めい望ばう家かが、﹁船ふねさ出でれば乗のるのですがな、都つが合ふさ悪わるければ休やす屋みやまで歩あ行るきますかな。月つきがありますで、或あるひは陸りく路ろを子ねの口くちへ帰かへるですわい。﹂合あはせて六里り余よ、あの磽げうたる樵きこ路りぢを、連つれもなく、と思おもふと、三角すみ先せん生せいに宜よろしく、と挨あい拶さつして、ひとり煢けい然ぜんとして峠たふげを下くだる後うし態ろつきの、湖みづうみは広くわ大うだい、山ぶ毛な欅は高たかし、遠とほ見みの魯ろち智し深んに似にたのが、且かつ軍いくさ敗やぶれて、鎧よろひを棄すて、雑ざう兵ひやうに紛まぎれて落おちて行ゆく宗むね任たふのあはれがあつた。……とその夜よ、大おほ湯ゆの温をん泉せんで、おしろひの花はなにも似にない菜なつ葉ぱのやうなのに酌しやくをされつゝ、画ゑか家きさんが私わたしたちに話はなしたのであつた。
――却さ説て前ぜん段だんに言いつた。――海かい岸がん線せんまはりの急きふ行かう列れつ車しやが古こ間ま木きへ︵此この駅えきへは十和わ田だ繁はん昌じやうのために今こと年しから急きふ行かうがはじめて停てい車しやするのださうで。︶――着ついた時とき、旅た行びに経けい験けんの少すくない内うち気きものゝあはれさは、手てぢ近かな所ところを引ひき較くらべる……一ちよ寸つと伊い豆づの大おほ仁ひとと言いつた気きがしたのである。が、菜なの花はなや薄すゝきの上うへをすらすらと、すぐに修しゆ善ぜん寺じへついて、菖あや蒲めの湯ゆに抱だかれるやうな、優やさしいのではない。駅えきを右みぎに出でると、もう心こゝ細ろぼそいほど、原げん野や荒こう漠ばくとして、何なんとも見み馴なれない、断ちぎれ雲ぐもが、大だい円ゑんの空そらを飛とぶ。八方ぱう草くさばかりで、遮さへぎるものはないから、自じど動うし車やは波なみを立たてゝ砂すなに馳はしり、小こじ砂や利りは面おもてを打うつ凄すさまじさで、帽ぼう子しなどは被かぶつて居をられぬ。何なに、脱ぬげば可よさゝうなものだけれど、屋や根ね一つ遠とほくに見みえず、枝えださす立たち樹きもなし、あの大おほ空ぞらから、遮さへぎるものは唯たゞ麦むぎ藁わら一重へで、赫かつと照てつては急きふに曇くもる……何どうも雲くも脚あしが気きに入いらない。初しよ見けんの土と地ちへ対たいしても、すつとこ被かぶりもなるまいし……コツツンと音おとのするまで、帽ぼう子しの頂てつ辺ぺんを敲たゝいて、嵌はめて、﹁天てん気きも模や様うは如いか何ゞでせうな。﹂﹁さあ――﹂﹁降ふるのは構かまひませんがね、その雷かみ様なりさまは――﹂小をが笠さは原ら氏しは、幌ほろなしの車くるまに、横よこざまに背せす筋ぢを捻ねぢて、窓まどに腰こしを掛かけたやうな形かたちで飛とび飛とび、﹁昨きの日ふ一おと昨ゝ日ひと三日か続つゞけて鳴なつたですで、まんづ、今け日ふは大だい丈ぢや夫うぶでがせうかな。﹂一行かう五人にんと、運うん転てん手しゆ、助じよ手しゆを合あはせて八人にん犇ひしと揉もんで乗のつた、真まん中なかに小ちひさくなつた、それがしの顔がん色しよく少すくなからず憂いう鬱うつになつたと見みえて、博はか士せが、肩かたへ軽かるく手てを掛かけるやうにして、﹁大だい丈ぢや夫うぶですよ、ついて居ゐますよ。﹂熟つら々〳〵案あんずれば、狂きや言うげんではあるまいし、如い何かに名めい医いといつても、雷らい神じんを何どうしようがあるものではない。が、面めん食くらつて居ゐるから、この声こゑに、ほつとして、少すこしばかり心こゝろが落おち着ついた。
落おち着ついて見みると……﹁あゝ、この野のな中かに、優いうにやさしい七たな夕ばたが……。﹂又また慌あわてた。丈たけより高たかい一面めんの雑ざつ草さうの中なかに、三みも本と、五いつ本もとまた七なゝ本もと、淡あはい紫むらさきの露つゆの流ながるゝばかり、且かつ飛とぶ処ところに、茎くきの高たかい見みご事とな桔きき梗やうが、――まことに、桔きき梗やう色いろに咲さいたのであつた。
去さんぬる年とし、中なか泉いづみから中ちう尊そん寺じに詣まうでた六月ぐわつのはじめには、細さい流りうに影かげを宿やどして、山やま吹ぶきの花はなの、堅かたく貝かひを刻きざめるが如ごとく咲さいたのを見みた。彼かれは冷つめたき黄わう金ごんである。此これは温あたゝかき瑠る璃りである。此この日ひ、本ほん線せんに合がつして仙せん台だいをすぐる頃ころから、町まちはもとより、野のの末すゑの一軒けん家や、麓ふもとの孤ひと屋つやの軒のきに背せ戸どに、垣かきに今こと年し竹たけの真まつ青さをなのに、五色しきの短たん冊ざく、七彩いろの糸いとを結むすんで掛かけたのを沁しみ々〴〵と床ゆかしく見みた、前さつ刻きの今いまで、桔きき梗やうは星ほしの紫むらさきの由ゆか縁りであらう。……時ときに靡なびきかゝる雲くもの幽いうなるさへ、一天てんの銀ぎん河がに髣はう髴ふつとして、然しかも、八甲かふ田ださ山んを打うち蔽おほふ、陸みち奥のくの空そらは寂さびしかつた。
われらは、ともすると、雲くもに入いつて雲くもを忘わするゝ……三本ぼん木ぎは、柳やな田ぎだ国くに男をさんの雑ざつ誌し――︵郷きや土うど研けん究きう︶と、近ちかくまた︵郷きや土うど会くわ記いき録ろく︶とに教をしへられた、伝でん説せつをさながら事じじ実つに殆ほとんど奇きせ蹟きて的きの開かい墾こん地ちである。石せき沙さむ無に人んの境きやうの、家いへとなり、水みづとなり、田たとなり、村むらとなつた、いま不ふ思し議ぎな境きやうにのぞみながら、古こ間ま木きよりして僅わづかに五里り、あとなほ十里りをひかへた――前ゆく途ての天てん候こうのみ憂きづ慮かはれて、同つ伴れに、孫まご引ひきのもの知しり顔がほの出で来きなかつたのを遺ゐか憾んとする。
八人にんでは第だい一乗のり溢こぼれる。飛とぶ輻やの、あの勢いきほひで溢こぼれた日ひには、魔まふ夫じ人んの扇あふぎを以もつて煽あふがれた如ごとく、漂へう々〳〵蕩とう々〳〵として、虚こく空うに漂たゞよはねばなるまい。それに各おの〳〵荷にが随ずゐ分ぶんある。恁かくいふ私わたしにもある。……大おほきなバスケツトがある。読どく者しや知しるや、さんと芥あく川たがは︵故こ……あゝ、面おも影かげが目めに見みえる︶さんが、然しかも今こと年し五月ぐわつ、東とう北ほくを旅たびした時とき、海うみを渡わたつて、函はこ館だての貧まづしい洋やう食しよ店くてんで、さんが、オムレツを啣ふくんで、あゝ、うまい、と嘆たんじ、
と、芥あく川たがはさんが詠えいじて以いら来い、――東とう京きや府うふの心こゝろある女をん連なれんは、東とう北ほくへ旅りよ行かうする亭てい主しゆの為ために鰹おかゝのでんぶと、焼やき海の苔りと、梅うめ干ぼしと、氷こほ砂りざ糖たうを調とゝのへることを、陰かげ膳ぜんとゝもに忘わすれない事ことに成なつた。女をんなに心こゝろがあつてもなくても、私わたしも亭てい主しゆの一ひと人りである。そのでんぶ、焼やき海の苔りなど称となふるものをしたゝか入いれた大おほバスケツトがあるゆゑんである。また不ふだ断んと違ちがふ。短たん躯くせ小うし身んなりと雖いへども、かうして新しん聞ぶんから出で向むく上うへは、紋もん着つきと袴はかまのたしなみはなくてなるまいが、酔よつ払ぱらつた年ねん賀がでなし、風ふろ呂しき敷つゝ包みで背し負よひもならずと、……友ともだちは持もつべきもの、緑ろく蝶てふ夫ふじ人んといふ艶あで麗やかなのが、麹かう町じま通ちどほり電でん車しや道みちを向むかうへ、つい近きん所じよに、家かな内いの友ともだちがあるのに――開あけないと芬ぷんとしないが、香かう水すゐの薫かをりゆかしき鬢びんの毛けならぬ、衣いし裳やう鞄かばんを借かりて持もつた。
次つい手でに、御ごあ挨いさ拶つを申まをしたい。此この三本ぼん木ぎの有いう志しの方かた々〴〵から、こゝで一泊ぱくして晩ば餐んと一所しよに、一席せきの講かう話わを、とあつたのを、平ひらにおわびをしたのは、……かるがゆゑに袴はかまがなかつた為ためではない。講かう話わなど思おもひも寄よらなかつたからである。しかし惜をしい事ことをした。いま思おもへば、予かねて一本ぽんを用よう意いして、前ぜん記き︵郷きや土うど会くわ記いき録ろく︶載のする処ところの新にと渡べ戸は博か士せの三本ぼん木ぎ開かい墾こんの講かう話わを朗らう読どくすれば可よかつた。土と地ちに住すんで、もう町まちの成せい立りつを忘わすれ、開かい墾こん当たう時じの測そく量りや器うき具ぐなどの納をさめた、由ゆい緒しよある稲いな荷りの社やしろさへ知しらぬ人ひとが多おほからうか、と思おもふにつけても。――
人ひとと荷にを分わけけて積つむため、自じど動うし車やをもう一台だいたのむ事ことにして、幅はゞ十間けんと称となふる、規き模ぼの大おほきい、寂さびた町まちの新あたらしい旅りよ館くわんの玄げん関くわ前んまへ、広ひろ土ど間まの卓テー子ブルに向むかつて、一休やすみして巻まき莨たばこを吹ふかしながら、ふと足あし元もとを見みると、真まし下たの土ど間まに金きん魚ぎよがひらひらと群むれて泳およぐ。寒かん国ごくでは、恁かうして炉ろを切きつた処ところがある。これは夏なつの待もて遇なしに違ちがひない。贅ぜい沢たくなものだ。昔むかし僭せん上じやうな役やく者しやが硝がら子すば張りの天てん井じやうに泳およがせて、仰あふ向むいて見みたのでさへ、欠けつ所しよ、所とこ払ろばらひを申まをしつかつた。上うへからなぞは、と思おもひながら、止よせばいゝのに、――それでも草ざう履りは遠ゑん慮りよしたが、雪ゆき靴ぐつを穿はいた奥おく山やま家がの旅たび人びとの気きで、ぐい、と踏ふみ込こむと、おゝ冷つめたい。ばちやんと刎はねて、足た袋びはびつしより、わアと椅い子すを傾かたむけて飛とび上あがると、真まつ赤かになつて金きん魚ぎよが笑わらつた。あはは、あはは。
いや、笑わら事ひごとではない。しばらくして――東ひがしは海うみを限かぎり、北きたは野の辺へ地ぢに至いたるまで、東とう西ざい九里り、南なん北ぼく十三里り、周しう囲ゐ十六里り。十里りまはりに笠かさ三蓋がいと諺ことわざにも言いふ、その笠かさ三蓋がいとても、夏なつは水みづのない草くさいきれ、冬ふゆは草くさも見みぬ吹ふぶ雪きのために、倒たふれたり、埋うもれたり、行ゆく方へも知しれなくなつたと聞きく。……三本ぼん木ぎは原らの真まん中なかへ、向むか風ひかぜと、轍わだちの風かぜに吹ふき放はなされた時ときは、沖おきへ漂たゞよつたやうな心こゝ細ろぼそさ。
早はやく、町まちを放はなれて辻つじを折をれると、高たか草くさに遥はる々〴〵と道みち一筋すぢ、十和わ田だに通かよふと聞きいた頃ころから、同つ伴れの自じど動うし車やが続つゞかない。私わたしのは先さきへ立たつたが、――説せつ明めいを聞きくと、砂すな煙けぶりがすさまじいので、少すくなくとも十町ちやうあまりは間かん隔かくを置おかないと、前まへへ進すゝむのはまだしも、後あとの車くるまは目めも口くちも開あかないのださうである。――この見み果はてぬ曠あら野のに。
果はたせるかな。左さい右う見みわ渡たす限かぎり苜うま蓿ごやしの下した臥ふす野のは、南なん部ぶう馬まの牧ぼく場ぢやうと聞きくに、時じせ節つとて一頭とうの駒こまもなく、雲くもの影かげのみその幻まぼろしを飛とばして一層そう寂さびしさを増ました……茫ぼう々〳〵たる牧ぼく場ぢやうをやゝ過すぎて、道みちの弧こを描ゑがく処ところで、遠とほく後あとを見みか返へれば、風かぜに乗のつた友とも船ぶねは、千筋すぢの砂すな煙けぶりをかぶつて、乱みだれて背うし状ろさまに吹ふきしなつて、恰あたかも赤せき髪はつ藍らん面めんの夜やし叉やの、一個こ水すゐ牛ぎうに化くわして、苜うま蓿ごやしの上うへを転ころげ来きたる如ごとく、もの凄すさまじく望のぞまれた。