恨めしと人を目におくこともこそ身の
おとろへにほかならぬかな ︵晶子︶
天子が新しくお立ちになり、時代の空気が変わってから、源氏は何にも興味が持てなくなっていた。官位の昇進した窮きゅ屈うくつさもあって、忍び歩きももう軽々しくできないのである。あちらにもこちらにも待って訪とわれぬ恋人の悩みを作らせていた。そんな恨みの報いなのか源氏自身は中ちゅ宮うぐうの御冷淡さを歎なげく苦しい涙ばかりを流していた。位をお退ひきになった院と中宮は普通の家の夫婦のように暮らしておいでになるのである。前さきの弘こき徽で殿んの女にょ御ごである新皇太后はねたましく思おぼ召しめすのか、院へはおいでにならずに当帝の御所にばかり行っておいでになったから、いどみかかる競争者もなくて中宮はお気楽に見えた。おりおりは音楽の会などを世間の評判になるほど派は手でにあそばして、院の陛下の御生活はきわめて御幸福なものであった。ただ恋しく思召すのは内だい裏りにおいでになる東宮だけである。御後見をする人のないことを御心配になって、源氏へそれをお命じになった。源氏はやましく思いながらもうれしかった。
あの六条の御みや息すど所ころの生んだ前皇太子の忘れ形見の女王が斎さい宮ぐうに選定された。源氏の愛のたよりなさを感じている御息所は、斎宮の年少なのに托たくして自分も伊い勢せへ下ってしまおうかとその時から思っていた。この噂うわさを院がお聞きになって、
﹁私の弟の東宮が非常に愛していた人を、おまえが何でもなく扱うのを見て、私はかわいそうでならない。斎宮なども姪めいでなく自分の内親王と同じように思っているのだから、どちらからいっても御息所を尊重すべきである。多情な心から、熱したり、冷たくなったりしてみせては世間がおまえを批難する﹂
と源氏へお小こご言とをお言いになった。源氏自身の心にもそう思われることであったから、ただ恐縮しているばかりであった。
﹁相手の名誉をよく考えてやって、どの人をも公平に愛して、女の恨みを買わないようにするがいいよ﹂
御忠告を承りながらも、中宮を恋するあるまじい心が、こんなふうにお耳へはいったらどうしようと恐ろしくなって、かしこまりながら院を退出したのである。院までも御息所との関係を認めての仰せがあるまでになっているのであるから、女の名誉のためにも、自分のためにも軽率なことはできないと思って、以前よりもいっそうその恋人を尊重する傾向にはなっているが、源氏はまだ公然に妻である待遇はしないのである。女も年長である点を恥じて、しいて夫人の地位を要求しない。源氏はいくぶんそれをよいことにしている形で、院も御承知になり、世間でも知らぬ人がないまでになってなお今も誠意を見せないと女は深く恨んでいた。この噂うわさが世間から伝わってきた時、式しき部ぶき卿ょうの宮の朝顔の姫君は、自分だけは源氏の甘いささやきに酔って、やがては苦にがい悔いの中に自己を見いだす愚を学ぶまいと心に思うところがあって、源氏の手紙に時には短い返事を書くことも以前はあったが、それももう多くの場合書かぬことになった。そうといっても露骨に反感を見せたり、軽けい蔑べつ的な態度をとったりすることのないのを源氏はうれしく思った。こんな人であるから長い年月の間忘れることもなく恋しいのであると思っていた。左大臣家にいる葵あおい夫人︵この人のことを主おもにして書かれた巻の名を用いて書く︶はこんなふうに源氏の心が幾つにも分かれているのを憎みながらも、たいしてほかの恋愛を隠そうともしない人には、恨みを言っても言いがいがないと思っていた。夫人は妊娠していて気分が悪く心細い気になっていた。源氏はわが子の母になろうとする葵夫人にまた新しい愛を感じ始めた。そしてこれも喜びながら不安でならなく思う舅しゅうと夫婦とともに妊婦の加護を神仏へ祈ることにつとめていた。こうしたことのある間は源氏も心に余裕が少なくて、愛してはいながらも訪たずねて行けない恋人の家が多かったであろうと思われる。
そのころ前代の加か茂もの斎さい院いんがおやめになって皇太后腹の院の女三の宮が新しく斎院に定まった。院も太后もことに愛しておいでになった内親王であるから、神の奉仕者として常人と違った生活へおはいりになることを御親心に苦しく思おぼ召しめしたが、ほかに適当な方がなかったのである。斎院就任の初めの儀式は古くから決まった神事の一つで簡単に行なわれる時もあるが、今度はきわめて派は手でなふうに行なわれるらしい。斎院の御勢力の多少にこんなこともよるらしいのである。御ごけ禊いの日に供ぐ奉ぶする大臣は定員のほかに特に宣せん旨じがあって源氏の右大将をも加えられた。物見車で出ようとする人たちは、その日を楽しみに思い晴れがましくも思っていた。
二条の大通りは物見の車と人とで隙すきもない。あちこちにできた桟さじ敷きは、しつらいの趣味のよさを競って、御み簾すの下から出された女の袖そで口ぐちにも特色がそれぞれあった。祭りも祭りであるがこれらは見物する価値を十分に持っている。左大臣家にいる葵夫人はそうした所へ出かけるようなことはあまり好まない上に、生理的に悩ましいころであったから、見物のことを、念頭に置いていなかったが、
﹁それではつまりません。私たちどうしで見物に出ますのではみじめで張り合いがございません、今日はただ大将様をお見上げすることに興味が集まっておりまして、労働者も遠い地方の人までも、はるばると妻や子をつれて京へ上って来たりしておりますのに奥様がお出かけにならないのはあまりでございます﹂
と女房たちの言うのを母君の宮様がお聞きになって、
﹁今日はちょうどあなたの気分もよくなっていることだから。出ないことは女房たちが物足りなく思うことだし、行っていらっしゃい﹂
こうお言いになった。それでにわかに供とも廻まわりを作らせて、葵夫人は御みそ禊ぎの行列の物見車の人となったのである。邸やしきを出たのはずっと朝もおそくなってからだった。この一行はそれほどたいそうにも見せないふうで出た。車のこみ合う中へ幾つかの左大臣家の車が続いて出て来たので、どこへ見物の場所を取ろうかと迷うばかりであった。貴族の女の乗用らしい車が多くとまっていて、つまらぬ物の少ない所を選んで、じゃまになる車は皆除のけさせた。その中に外そと見みは網あじ代ろぐ車るまの少し古くなった物にすぎぬが、御簾の下のとばりの好みもきわめて上品で、ずっと奥のほうへ寄って乗った人々の服装の優美な色も童女の上着の汗かざ袗みの端の少しずつ洩もれて見える様子にも、わざわざ目立たぬふうにして貴きじ女ょの来ていることが思われるような車が二台あった。
﹁このお車はほかのとは違う。除のけられてよいようなものじゃない﹂
と言ってその車の者は手を触れさせない。双方に若い従者があって、祭りの酒に酔って気の立った時にすることははなはだしく手荒いのである。馬に乗った大臣家の老家従などが、
﹁そんなにするものじゃない﹂
と止めているが、勢い立った暴力を止めることは不可能である。斎さい宮ぐうの母君の御みや息すど所ころが物思いの慰めになろうかと、これは微行で来ていた物見車であった。素知らぬ顔をしていても左大臣家の者は皆それを心では知っていた。
﹁それくらいのことでいばらせないぞ、大将さんの引きがあると思うのかい﹂
などと言うのを、供の中には源氏の召使も混じっているのであるから、抗議をすれば、いっそう面めん倒どうになることを恐れて、だれも知らない顔を作っているのである。とうとう前へ大臣家の車を立て並べられて、御息所の車は葵夫人の女房が乗った幾台かの車の奥へ押し込まれて、何も見えないことになった。それを残念に思うよりも、こんな忍び姿の自身のだれであるかを見現わしてののしられていることが口くち惜おしくてならなかった。車の轅ながえを据すえる台なども脚あしは皆折られてしまって、ほかの車の胴へ先を引き掛けてようやく中心を保たせてあるのであるから、体裁の悪さもはなはだしい。どうしてこんな所へ出かけて来たのかと御息所は思うのであるが今さらしかたもないのである。見物するのをやめて帰ろうとしたが、他の車を避よけて出て行くことは困難でできそうもない。そのうちに、
﹁見えて来た﹂
と言う声がした。行列をいうのである。それを聞くと、さすがに恨めしい人の姿が待たれるというのも恋する人の弱さではなかろうか。
源氏は御息所の来ていることなどは少しも気がつかないのであるから、振り返ってみるはずもない。気の毒な御息所である。前から評判のあったとおりに、風流を尽くした物見車にたくさんの女の乗り込んでいる中には、素知らぬ顔は作りながらも源氏の好奇心を惹ひくのもあった。微ほほ笑えみを見せて行くあたりには恋人たちの車があったことと思われる。左大臣家の車は一目で知れて、ここは源氏もきわめてまじめな顔をして通ったのである。行列の中の源氏の従者がこの一団の車には敬意を表して通った。侮辱されていることをまたこれによっても御息所はいたましいほど感じた。
影をのみみたらし川のつれなさに身のうきほどぞいとど知らるる
こんなことを思って、涙のこぼれるのを、同車する人々に見られることを御息所は恥じながらも、また常よりもいっそうきれいだった源氏の馬上の姿を見なかったならとも思われる心があった。行列に参加した人々は皆分ぶん相応に美しい装いで身を飾っている中でも高官は高官らしい光を負っていると見えたが、源氏に比べるとだれも見み栄ばえがなかったようである。大将の臨時の随身を、殿上にも勤める近この衛えの尉じょうがするようなことは例の少ないことで、何かの晴れの行幸などばかりに許されることであったが、今日は蔵くろ人うどを兼ねた右うこ近ん衛えの尉が源氏に従っていた。そのほかの随身も顔姿ともによい者ばかりが選ばれてあって、源氏が世の中で重んぜられていることは、こんな時にもよく見えた。この人にはなびかぬ草木もないこの世であった。壺つぼ装しょ束うぞくといって頭の髪の上から上着をつけた、相当な身分の女たちや尼さんなども、群集の中に倒れかかるようになって見物していた。平生こんな場合に尼などを見ると、世捨て人がどうしてあんなことをするかと醜く思われるのであるが、今日だけは道理である。光源氏を見ようとするのだからと同情を引いた。着物の背中を髪でふくらませた、卑しい女とか、労働者階級の者までも皆手を額に当てて源氏を仰いで見て、自身が笑えばどんなおかしい顔になるかも知らずに喜んでいた。また源氏の注意を惹ひくはずもないちょっとした地方官の娘なども、せいいっぱいに装った車に乗って、気どったふうで見物しているとか、こんないろいろな物で一条の大おお路じはうずまっていた。源氏の情人である人たちは、恋人のすばらしさを眼前に見て、今さら自身の価値に反省をしいられた気がした。だれもそうであった。式部卿の宮は桟さじ敷きで見物しておいでになった。まぶしい気がするほどきれいになっていく人である。あの美に神が心を惹ひかれそうな気がすると宮は不安をさえお感じになった。宮の朝顔の姫君はよほど以前から今日までも忘れずに愛を求めてくる源氏には普通の男性に見られない誠実さがあるのであるから、それほどの志を持った人は少々欠点があっても好意が持たれるのに、ましてこれほどの美びぼ貌うの主であったかと思うと一種の感激を覚えた。けれどもそれは結婚をしてもよい、愛に報いようとまでする心の動きではなかった。宮の若い女房たちは聞き苦しいまでに源氏をほめた。
翌日の加茂祭りの日に左大臣家の人々は見物に出なかった。源氏に御みそ禊ぎの日の車の場所争いを詳しく告げた人があったので、源氏は御みや息すど所ころに同情して葵夫人の態度を飽き足らず思った。貴婦人としての資格を十分に備えながら、情味に欠けた強い性格から、自身はそれほどに憎んではいなかったであろうが、そうした一人の男を巡って愛の生活をしている人たちの間はまた一種の愛で他を見るものであることを知らない女主人の意志に習って付き添った人間が御息所を侮辱したに違いない、見識のある上品な貴女である御息所はどんなにいやな気がさせられたであろうと、気の毒に思ってすぐに訪問したが、斎宮がまだ邸やしきにおいでになるから、神への遠慮という口実で逢あってくれなかった。源氏には自身までもが恨めしくてならない、現在の御息所の心理はわかっていながらも、どちらもこんなに自己を主張するようなことがなくて柔らかに心が持てないのであろうかと歎たん息そくされるのであった。
祭りの日の源氏は左大臣家へ行かずに二条の院にいた。そして町へ見物に出て見る気になっていたのである。西の対へ行って、惟これ光みつに車の用意を命じた。
﹁女連も見物に出ますか﹂
と言いながら、源氏は美しく装うた紫の姫君の姿を笑えが顔おでながめていた。
﹁あなたはぜひおいでなさい。私がいっしょにつれて行きましょうね﹂
平生よりも美しく見える少女の髪を手でなでて、
﹁先を久しく切らなかったね。今日は髪そぎによい日だろう﹂
源氏はこう言って、陰おん陽みょ道うどうの調べ役を呼んでよい時間を聞いたりしながら、
﹁女房たちは先に出かけるといい﹂
と言っていた。きれいに装った童女たちを点見したが、少女らしくかわいくそろえて切られた髪の裾すそが紋織の派は手でな袴はかまにかかっているあたりがことに目を惹ひいた。
﹁女にょ王おうさんの髪は私が切ってあげよう﹂
と言った源氏も、
﹁あまりたくさんで困るね。大おと人なになったらしまいにはどんなになろうと髪は思っているのだろう。﹂
と困っていた。
﹁長い髪の人といっても前の髪は少し短いものなのだけれど、あまりそろい過ぎているのはかえって悪いかもしれない﹂
こんなことも言いながら源氏の仕事は終わりになった。
﹁千ちひ尋ろ﹂
と、これは髪そぎの祝い言葉である。少納言は感激していた。
はかりなき千尋の底の海みる松ぶ房さの生おひ行く末はわれのみぞ見ん
源氏がこう告げた時に、女王は、
千尋ともいかでか知らん定めなく満ち干ひる潮ののどけからぬに
と紙に書いていた。貴女らしくてしかも若やかに美しい人に源氏は満足を感じていた。
今日も町には隙すき間まなく車が出ていた。馬場殿あたりで祭りの行列を見ようとするのであったが、都合のよい場所がない。
﹁大官連がこの辺にはたくさん来ていて面めん倒どうな所だ﹂
源氏は言って、車をやるのでなく、停とめるのでもなく、躊ちゅ躇うちょしている時に、よい女車で人がいっぱいに乗りこぼれたのから、扇を出して源氏の供を呼ぶ者があった。
﹁ここへおいでになりませんか。こちらの場所をお譲りしてもよろしいのですよ﹂
という挨あい拶さつである。どこの風流女のすることであろうと思いながら、そこは実際よい場所でもあったから、その車に並べて源氏は車を据すえさせた。
﹁どうしてこんなよい場所をお取りになったかとうらやましく思いました﹂
と言うと、品のよい扇の端を折って、それに書いてよこした。
はかなしや人のかざせるあふひ故 神のしるしの今日を待ちける
源げん典てん侍じの字であることを源氏は思い出したのである。どこまで若返りたいのであろうと醜く思った源氏は皮肉に、
かざしける心ぞ仇あだに思ほゆる八やそ十う氏ぢ人になべてあふひを
と書いてやると、恥ずかしく思った女からまた歌が来た。
くやしくも挿かざしけるかな名のみして人だのめなる草葉ばかりを
今日の源氏が女の同乗者を持っていて、簾みすさえ上げずに来ているのをねたましく思う人が多かった。御禊の日の端麗だった源氏が今日はくつろいだふうに物見車の主になっている、並んで乗っているほどの人は並み並みの女ではないはずであるとこんなことを皆想像したものである。源典侍では競争者と名のって出られても問題にはならないと思うと、源氏は少しの物足りなさを感じたが、源氏の愛人がいると思うと晴れがましくて、源典侍のようなあつかましい老女でもさすがに困らせるような戯じょ談うだんもあまり言い出せないのである。
御みや息すど所ころの煩はん悶もんはもう過去何年かの物思いとは比較にならないほどのものになっていた。信頼のできるだけの愛を持っていない人と源氏を決めてしまいながらも、断然別れて斎宮について伊勢へ行ってしまうことは心細いことのようにも思われたし、捨てられた女と見られたくない世間体も気になった。そうかと言って安心して京にいることも、全然無視された車争いの日の記憶がある限り可能なことではなかった。自身の心を定めかねて、寝てもさめても煩悶をするせいか、次第に心がからだから離れて行き、自身は空虚なものになっているという気分を味わうようになって、病気らしくなった。源氏は初めから伊勢へ行くことに断然不賛成であるとも言い切らずに、
﹁私のようなつまらぬ男を愛してくだすったあなたが、いやにおなりになって、遠くへ行ってしまうという気になられるのはもっともですが、寛大な心になってくだすって変わらぬ恋を続けてくださることで前ぜん生しょうの因縁を全まったくしたいと私は願っている﹂
こんなふうにだけ言って留めているのであったから、そうした物思いも慰むかと思って出た御みそ禊ぎが川わに荒い瀬が立って不幸を見たのである。
葵あおい夫人は物もの怪のけがついたふうの容体で非常に悩んでいた。父母たちが心配するので、源氏もほかへ行くことが遠慮される状態なのである。二条の院などへもほんの時々帰るだけであった。夫婦の中は睦むつまじいものではなかったが、妻としてどの女性よりも尊重する心は十分源氏にあって、しかも妊娠しての煩いであったから憐あわれみの情も多く加わって、修しゅ法ほうや祈きと祷うも大臣家でする以外にいろいろとさせていた。物もの怪のけ、生いき霊りょうというようなものがたくさん出て来て、いろいろな名乗りをする中に、仮に人へ移そうとしても、少しも移らずにただじっと病む夫人にばかり添っていて、そして何もはげしく病人を悩まそうとするのでもなく、また片時も離れない物もの怪のけが一つあった。どんな修しゅ験げん僧そうの技術ででも自由にすることのできない執念のあるのは、並み並みのものであるとは思われなかった。左大臣家の人たちは、源氏の愛人をだれかれと数えて、それらしいのを求めると、結局六条の御息所と二条の院の女は源氏のことに愛している人であるだけ夫人に恨みを持つことも多いわけであると、こう言って、物怪に言わせる言葉からその主を知ろうとしても、何の得るところもなかった。物怪といっても、育てた姫君に愛を残した乳めの母とというような人、もしくはこの家を代々敵視して来た亡魂とかが弱り目につけこんでくるような、そんなのは決して今度の物怪の主たるものではないらしい。夫人は泣いてばかりいて、おりおり胸がせき上がってくるようにして苦しがるのである。どうなることかとだれもだれも不安でならなかった。院の御所からも始終お見舞いの使いが来る上に祈祷までも別にさせておいでになった。こんな光栄を持つ夫人に万一のことがなければよいとだれも思った。世間じゅうが惜しんだり歎なげいたりしているこの噂うわさも御息所を不快な気分にした。これまでは決してこうではなかったのである。競争心を刺しげ戟きしたのは車争いという小さいことにすぎないが、それがどれほど大きな恨みになっているかを左大臣家の人は想像もしなかった。
物思いは御息所の病をますます昂こうじさせた。斎宮をはばかって、他の家へ行って修法などをさせていた。源氏はそれを聞いてどんなふうに悪いのかと哀れに思って訪ねて行った。自邸でない人の家であったから、人目を避けてこの人たちは逢った。本意ではなくて長く逢いに来なかったことを御息所の気も済むほどこまごまと源氏は語っていた。妻の病状も心配げに話すのである。
﹁私はそれほど心配しているのではないのですが、親たちがたいへんな騒ぎ方をしていますから、気の毒で、少し容体がよくなるまでは謹慎を表していようと思うだけなのです。あなたが心を大きく持って見ていてくだすったら私は幸福です﹂
などと言う。女に平生よりも弱々しいふうの見えるのを、もっともなことに思って源氏は同情していた。疑いも恨みも氷解したわけでもなく源氏が帰って行く朝の姿の美しいのを見て、自分はとうていこの人を離れて行きうるものではないと御息所は思った。正夫人である上に子供が生まれるとなれば、その人以外の女性に持っている愛などはさめて淡うすいものになっていくであろう時、今のように毎日待ち暮らすことも、その辛しん抱ぼうに命の続かなくなることであろうと、それでいてまた思われもして、たまたま逢って物思いの決して少なくはならない御息所へ、次の日は手紙だけが暮れてから送られた。
この間うち少し癒 くなっていたようでした病人にまたにわかに悪い様子が見えてきて苦しんでいるのを見ながら出られないのです。
とあるのを、例の
古い歌にも「悔 しくぞ汲 みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」とございます。
というのである。幾人かの恋人の中でもすぐれた字を書く人であると、源氏は御息所の返事をながめて思いながらも、理想どおりにこの世はならないものである。性質にも容よう貌ぼうにも教養にもとりどりの長所があって、捨てることができず、ある一人に愛を集めてしまうこともできないことを苦しく思った。そのまた返事を、もう暗くなっていたが書いた。
袖が濡れるとお言いになるのは、深い恋を持ってくださらない方の恨みだと思います。
あさみにや人は下 り立つわが方 は身もそぼつまで深きこひぢを
この返事を口ずから申さないで、筆をかりてしますことはどれほど苦痛なことだかしれません。
などと言ってあった。
葵の君の容体はますます悪い。六条の御息所の生霊であるとも、その父である故人の大臣の亡霊が憑ついているとも言われる噂うわさの聞こえて来た時、御息所は自分自身の薄命を歎なげくほかに人を咀のろう心などはないが、物思いがつのればからだから離れることのあるという魂はあるいはそんな恨みを告げに源氏の夫人の病床へ出没するかもしれないと、こんなふうに悟られることもあるのであった。物思いの連続といってよい自分の生しょ涯うがいの中に、いまだ今度ほど苦しく思ったことはなかった。御みそ禊ぎの日の屈辱感から燃え立った恨みは自分でももう抑制のできない火になってしまったと思っている御息所は、ちょっとでも眠ると見る夢は、姫君らしい人が美しい姿ですわっている所へ行って、その人の前では乱暴な自分になって、武者ぶりついたり撲なぐったり、現実の自分がなしうることでない荒々しい力が添う、こんな夢で、幾度となく同じ筋を見る、情けないことである、魂がからだを離れて行ったのであろうかと思われる。失神状態に御息所がなっている時もあった。ないことも悪くいうのが世間である、ましてこの際の自分は彼らの慢まん罵ばよ欲くを満足させるのによい人物であろうと思うと、御息所は名誉の傷つけられることが苦しくてならないのである。死んだあとにこの世の人へ恨みの残った霊魂が現われるのはありふれた事実であるが、それさえも罪の深さの思われる悲しむべきことであるのに、生きている自分がそうした悪名を負うというのも、皆源氏の君と恋する心がもたらした罪である、その人への愛を今自分は根こん柢ていから捨てねばならぬと御息所は考えた。努めてそうしようとしても実現性のないむずかしいことに違いない。
斎宮は去年にもう御所の中へお移りになるはずであったが、いろいろな障さわりがあって、この秋いよいよ潔斎生活の第一歩をお踏み出しになることとなった。そしてもう九月からは嵯さ峨がの野の宮へおはいりになるのである。それとこれと二度ある御禊の日の仕した度くに邸やしきの人々は忙殺されているのであるが御息所は頭をぼんやりとさせて、寝て暮らすことが多かった。邸の男女はまたこのことを心配して祈祷を頼んだりしていた。何病というほどのことはなくて、ぶらぶらと病んでいるのである。源氏からも始終見舞いの手紙は来るが、愛する妻の容体の悪さは、自分でこの人を訪ねて来ることなどをできなくしているようであった。
まだ産期には早いように思って一家の人々が油断しているうちに葵の君はにわかに生みの苦しみにもだえ始めた。病気の祈祷のほかに安産の祈りも数多く始められたが、例の執念深い一つの物もの怪のけだけはどうしても夫人から離れない。名高い僧たちもこれほどの物怪には出あった経験がないと言って困っていた。さすがに法力におさえられて、哀れに泣いている。
﹁少しゆるめてくださいな、大将さんにお話しすることがあります﹂
そう夫人の口から言うのである。
﹁あんなこと。わけがありますよ。私たちの想像が当たりますよ﹂
女房はこんなことも言って、病床に添え立てた几きち帳ょうの前へ源氏を導いた。父母たちは頼み少なくなった娘は、良おっ人とに何か言い置くことがあるのかもしれないと思って座を避けた。この時に加持をする僧が声を低くして法ほけ華きょ経うを読み出したのが非常にありがたい気のすることであった。几帳の垂たれ絹ぎぬを引き上げて源氏が中を見ると、夫人は美しい顔をして、そして腹部だけが盛り上がった形で寝ていた。他人でも涙なしには見られないのを、まして良人である源氏が見て惜しく悲しく思うのは道理である。白い着物を着ていて、顔色は病熱ではなやかになっている。たくさんな長い髪は中ほどで束ねられて、枕まくらに添えてある。美女がこんなふうでいることは最も魅惑的なものであると見えた。源氏は妻の手を取って、
﹁悲しいじゃありませんか。私にこんな苦しい思いをおさせになる﹂
多くものが言われなかった。ただ泣くばかりである。平生は源氏に真正面から見られるととてもきまりわるそうにして、横へそらすその目でじっと良人を見上げているうちに涙がそこから流れて出るのであった。それを見て源氏が深い憐あわれみを覚えたことはいうまでもない。あまりに泣くのを見て、残して行く親たちのことを考えたり、また自分を見て、別れの堪えがたい悲しみを覚えるのであろうと源氏は思った。
﹁そんなに悲しまないでいらっしゃい。それほど危険な状態でないと私は思う。またたとえどうなっても夫婦は来世でも逢えるのだからね。御両親も親子の縁の結ばれた間柄はまた特別な縁で来世で再会ができるのだと信じていらっしゃい﹂
と源氏が慰めると、
﹁そうじゃありません。私は苦しくてなりませんからしばらく法力をゆるめていただきたいとあなたにお願いしようとしたのです。私はこんなふうにしてこちらへ出て来ようなどとは思わないのですが、物思いをする人の魂というものはほんとうに自分から離れて行くものなのです﹂
なつかしい調子でそう言ったあとで、
歎なげきわび空に乱るるわが魂たまを結びとめてよ下がひの褄つま
という声も様子も夫人ではなかった。まったく変わってしまっているのである。怪しいと思って考えてみると、夫人はすっかり六条の御息所になっていた。源氏はあさましかった。人がいろいろな噂うわさをしても、くだらぬ人が言い出したこととして、これまで源氏の否定してきたことが眼前に事実となって現われているのであった。こんなことがこの世にありもするのだと思うと、人生がいやなものに思われ出した。
﹁そんなことをお言いになっても、あなたがだれであるか私は知らない。確かに名を言ってごらんなさい﹂
源氏がこう言ったのちのその人はますます御息所そっくりに見えた。あさましいなどという言葉では言い足りない悪おか感んを源氏は覚えた。女房たちが近く寄って来る気けは配いにも、源氏はそれを見現わされはせぬかと胸がとどろいた。病苦にもだえる声が少し静まったのは、ちょっと楽になったのではないかと宮様が飲み湯を持たせておよこしになった時、その女房に抱き起こされて間もなく子が生まれた。源氏が非常にうれしく思った時、他の人間に移してあったのが皆口くち惜おしがって物怪は騒ぎ立った。それにまだ後あと産ざんも済まぬのであるから少なからぬ不安があった。良人と両親が神仏に大願を立てたのはこの時である。そのせいであったかすべてが無事に済んだので、叡えい山ざんの座ざ主すをはじめ高僧たちが、だれも皆誇らかに汗を拭ぬぐい拭い帰って行った。これまで心配をし続けていた人はほっとして、危険もこれで去ったという安心を覚えて恢かい復ふくの曙しょ光こうも現われたとだれもが思った。修法などはまた改めて行なわせていたが、今目前に新しい命が一つ出現したことに対する歓喜が大きくて、左大臣家は昨日に変わる幸福に満たされた形である。院をはじめとして親王方、高官たちから派は手でな産うぶ養やしないの賀宴が毎夜持ち込まれた。出生したのは男子でさえもあったからそれらの儀式がことさらはなやかであった。
六条の御みや息すど所ころはそういう取り沙ざ汰たを聞いても不快でならなかった。夫人はもう危あぶないと聞いていたのに、どうして子供が安産できたのであろうと、こんなことを思って、自身が失神したようにしていた幾日かのことを、静かに考えてみると、着た衣服などにも祈りの僧が焚たく護ご摩まの香かが沁しんでいた。不思議に思って、髪を洗ったり、着物を変えたりしても、やはり改まらない。御息所は世間で言う生いき霊りょうの説の否認しがたいことを悲しんで、人がどう批評するであろうかと、だれに話してみることでもないだけに心一つで苦しんでいた。いよいよ自分の恋愛を清算してしまわないではならないと、それによってまた強く思うようになった。
少し安心を得た源氏は、生霊をまざまざと目で見、御息所の言葉を聞いた時のことを思い出しながらも、長く訪たずねて行かない心苦しさを感じたり、また今後御息所に接近してもあの醜い記憶が心にある間は、以前の感情でその人が見られるかということは自身の心ながらも疑わしくて、苦くも悶んをしたりしながら、御息所の体面を傷つけまいために手紙だけは書いて送った。産前の重かった容体から、油断のできないように両親たちは今も見て、心配しているのが道理なことに思えて、源氏はまだ恋人などの家を微行で訪うようなことをしないのである。夫人はまだ衰弱がはなはだしくて、病気から離れたとは見えなかったから、夫婦らしく同室で暮らすことはなくて、源氏は小さいながらもまばゆいほど美しい若君の愛に没頭していた。非常に大事がっているのである。自家の娘から源氏の子が生まれて、すべてのことが理想的になっていくと、大臣は喜んでいるのであるが、葵あおい夫人の恢かい復ふくが遅々としているのだけを気がかりに思っていた。しかしあんなに重体でいたあとはこれを普通としなければならないと思ってもいるであろうから、大臣の幸福感はたいして割引きしたものではないのである。若君の目つきの美しさなどが東宮と非常によく似ているのを見ても、何よりも恋しく幼い皇太弟をお思いする源氏は、御所のそちらへ上がらないでいることに堪えられなくなって、出かけようとした。
﹁御所などへあまり長く上がらないで気が済みませんから、今日私ははじめてあなたから離れて行こうとするのですが、せめて近い所に行って話をしてからにしたい。あまりよそよそし過ぎます。こんなのでは﹂
と源氏は夫人へ取り次がせた。
﹁ほんとうにそうでございますよ。体裁を気にあそばすあなた様がたのお間柄ではないのでございますから。あなた様が御衰弱していらっしゃいましても、物越しなどでお話しになればいかがでしょう﹂
こう女房が夫人に忠告をして、病床の近くへ座を作ったので、源氏は病室へはいって行って話をした。夫人は時々返辞もするがまだずいぶん様子が弱々しい。それでも絶望状態になっていたころのことを思うと、夢のような幸福にいると源氏は思わずにはいられないのである。不安に堪えられなかったころのことを話しているうちに、あの呼吸も絶えたように見えた人が、にわかにいろんなことを言い出した光景が目に浮かんできて、たまらずいやな気がするので源氏は話を打ち切ろうとした。
﹁まああまり長話はよしましょう。いろいろと聞いてほしいこともありますがね。まだまだあなたはだるそうで気の毒だから﹂
こう言ったあとで、
﹁お湯をお上げするがいい﹂
と女房に命じた。病妻の良おっ人とらしいこんな気のつかい方をする源氏に女房たちは同情した。非常な美人である夫人が、衰弱しきって、あるかないかのようになって寝ているのは痛々しく可かれ憐んであった。少しの乱れもなくはらはらと枕まくらにかかった髪の美しさは男の魂を奪うだけの魅力があった。なぜ自分は長い間この人を飽き足らない感情を持って見ていたのであろうかと、不思議なほど長くじっと源氏は妻を見つめていた。
﹁院の御所などへ伺って、早く帰って来ましょう。こんなふうにして始終逢うことができればうれしいでしょうが、宮様がじっと付いていらっしゃるから、ぶしつけにならないかと思って御遠慮しながら蔭かげで煩はん悶もんをしていた私にも同情ができるでしょう。だから自分でも早くよくなろうと努めるようにしてね、これまでのように私たちでいっしょにいられるようになってください。あまりお母様にあなたが甘えるものだから、あちらでもいつまでも子供のようにお扱いになるのですよ﹂
などと言い置いてきれいに装束した源氏の出かけるのを病床の夫人は平生よりも熱心にながめていた。
秋の官吏の昇任の決まる日であったから、大臣も参内したので、子息たちもそれぞれの希望があってこのごろは大臣のそばを離れまいとしているのであるから皆続いてそのあとから出て行った。いる人数が少なくなって、邸内が静かになったころに、葵の君はにわかに胸がせきあげるようにして苦しみ出したのである。御所へ迎えの使いを出す間もなく夫人の息は絶えてしまった。左大臣も源氏もあわてて退出して来たので、除じも目くの夜であったが、この障さわりで官吏の任免は決まらずに終わった形である。若い夫人の突然の死に左大臣邸は混乱するばかりで、夜中のことであったから叡えい山ざんの座ざ主すも他の僧たちも招く間がなかった。もう危篤な状態から脱したものとして、だれの心にも油断のあった隙すきに、死が忍び寄ったのであるから、皆呆ぼう然ぜんとしている。所々の慰問使が集まって来ていても、挨あい拶さつの取り次ぎを託されるような人もなく、泣き声ばかりが邸内に満ちていた。大臣夫婦、故人の良おっ人とである源氏の歎なげきは極度のものであった。これまで物もの怪のけのために一時的な仮死状態になったこともたびたびあったのを思って、死者として枕を直すこともなく、二、三日はなお病夫人として寝させて、蘇そせ生いを待っていたが、時間はすでに亡なき骸がらであることを証明するばかりであった。もう死を否定してみる理由は何一つないことをだれも認めたのである。源氏は妻の死を悲しむとともに、人生の厭いとわしさが深く思われて、所々から寄せてくる弔問の言葉も、どれもうれしく思われなかった。院もお悲しみになってお使いをくだされた。大臣は娘の死後の光栄に感激する涙も流しているのである。人の忠告に従い蘇生の術として、それは遺いが骸いに対して傷いたましい残酷な方法で行なわれることまでも大臣はさせて、娘の息の出てくることを待っていたが皆だめであった。もう幾日かになるのである。いよいよ夫人を鳥とり辺べ野のの火葬場へ送ることになった。こうしてまた人々は悲しんだのである。左大臣の愛嬢として、源氏の夫人として葬送の式に列つらなる人、念仏のために集められた寺々の僧、そんな人たちで鳥辺野がうずめられた。院はもとよりのこと、お后方、東宮から賜わった御使いが次々に葬場へ参着して弔詞を読んだ。悲しみにくれた大臣は立ち上がる力も失っていた。
﹁こんな老人になってから、若盛りの娘に死なれて無力に私は泣いているじゃないか﹂
恥じてこう言って泣く大臣を悲しんで見ぬ人もなかった。夜通しかかったほどの大がかりな儀式であったが、終局は煙にすべく遺骸を広い野に置いて来るだけの寂しいことになって皆早暁に帰って行った。死はそうしたものであるが、前さきに一人の愛人を死なせただけの経験よりない源氏は今また非常な哀感を得たのである。八月の二十日過ぎの有あり明あけ月づきのあるころで、空の色も身にしむのである。亡なき子を思って泣く大臣の悲歎に同情しながらも見るに忍びなくて、源氏は車中から空ばかりを見ることになった。
昇のぼりぬる煙はそれと分わかねどもなべて雲井の哀れなるかな
源氏はこう思ったのである。家へ帰っても少しも眠れない。故人と二人の長い間の夫婦生活を思い出して、なぜ自分は妻に十分の愛を示さなかったのであろう、信頼していてさえもらえば、異性に対する自分の愛は妻に帰るよりほかはないのだと暢のん気きに思って、一時的な衝動を受けては恨めしく思わせるような罪をなぜ自分は作ったのであろう。そんなことで妻は生しょ涯うがい心から打ち解けてくれなかったのだなどと、源氏は悔やむのであるが今はもう何のかいのある時でもなかった。淡うす鈍にび色の喪服を着るのも夢のような気がした。もし自分が先に死んでいたら、妻はこれよりも濃い色の喪服を着て歎いているであろうと思ってもまた源氏の悲しみは湧わき上がってくるのであった。
限りあればうす墨衣浅けれど涙ぞ袖そでを淵ふちとなしける
と歌ったあとでは念ねん誦ずをしている源氏の様子は限りもなく艶えんであった。経を小声で読んで﹁法界三ざん昧まい普賢大士﹂と言っている源氏は、仏勤めをし馴なれた僧よりもかえって尊く思われた。若君を見ても﹁結び置くかたみの子だになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし﹂こんな古歌が思われていっそう悲しくなったが、この形見だけでも残して行ってくれたことに慰んでいなければならないとも源氏は思った。左大臣の夫人の宮様は、悲しみに沈んでお寝やすみになったきりである。お命も危あぶなく見えることにまた家の人々はあわてて祈きと祷うなどをさせていた。寂しい日がずんずん立っていって、もう四十九日の法ほう会えの仕した度くをするにも、宮はまったく予期あそばさないことであったからお悲しかった。欠点の多い娘でも死んだあとでの親の悲しみはどれほど深いものかしれない、まして母君のお失いになったのは、貴きじ女ょとして完全に近いほどの姫君なのであるから、このお歎きは至極道理なことと申さねばならない。ただ姫君が一人であるということも寂しくお思いになった宮であったから、その唯一の姫君をお失いになったお心は、袖そでの上に置いた玉の砕けたよりももっと惜しく残念なことでおありになったに違いない。
源氏は二条の院へさえもまったく行かないのである。専念に仏勤めをして暮らしているのであった。恋人たちの所へ手紙だけは送っていた。六条の御みや息すど所ころは左さえ衛も門んの庁舎へ斎宮がおはいりになったので、いっそう厳重になった潔斎的な生活に喪中の人の交渉を遠慮する意味に託たくしてその人へだけは消息もしないのである。早くから悲観的に見ていた人生がいっそうこのごろいとわしくなって、将来のことまでも考えてやらねばならぬ幾人かの情人たち、そんなものがなければ僧になってしまうがと思う時に、源氏の目に真まっ先さきに見えるものは西の対の姫君の寂しがっている面影であった。夜は帳台の中へ一人で寝た。侍女たちが夜の宿との直いにおおぜいでそれを巡ってすわっていても、夫人のそばにいないことは限りもない寂しいことであった。﹁時しもあれ秋やは人の別るべき有るを見るだに恋しきものを﹂こんな思いで源氏は寝ざめがちであった。声のよい僧を選んで念仏をさせておく、こんな夜の明け方などの心持ちは堪えられないものであった。秋が深くなったこのごろの風の音ねが身にしむのを感じる、そうしたある夜明けに、白菊が淡うす色いろを染めだした花の枝に、青がかった灰色の紙に書いた手紙を付けて、置いて行った使いがあった。
﹁気どったことをだれがするのだろう﹂
と源氏は言って、手紙をあけて見ると御息所の字であった。
今まで御遠慮してお尋ねもしないでおりました私の心持ちはおわかりになっていらっしゃることでしょうか。
人の世を哀れときくも露けきにおくるる露を思ひこそやれ
あまりに身にしむ今朝 の空の色を見ていまして、つい書きたくなってしまったのです。
平生よりもいっそうみごとに書かれた字であると源氏はさすがにすぐに下へも置かれずにながめながらも、素知らぬふりの慰問状であると思うと恨めしかった。たとえあのことがあったとしても絶交するのは残酷である、そしてまた名誉を傷つけることになってはならないと思って源氏は煩はん悶もんした。死んだ人はとにかくあれだけの寿命だったに違いない。なぜ自分の目はああした明らかな御息所の生いき霊りょうを見たのであろうとこんなことを源氏は思った。源氏の恋が再び帰りがたいことがうかがわれるのである。斎宮の御潔斎中の迷惑にならないであろうかとも久しく考えていたが、わざわざ送って来た手紙に返事をしないのは無情過ぎるとも思って、紫の灰色がかった紙にこう書いた。
ずいぶん長くお目にかかりませんが、心で始終思っているのです。謹慎中のこうした私に同情はしてくださるでしょうと思いました。
とまる身も消えしも同じ露の世に心置くらんほどぞはかなき
ですから憎いとお思いになることなどもいっさい忘れておしまいなさい。忌中の者の手紙などは御覧にならないかと思いまして私も御無沙汰 をしていたのです。
御息所は自宅のほうにいた時であったから、そっと源氏の手紙を読んで、文意にほのめかしてあることを、心にとがめられていないのでもない御息所はすぐに悟ったのである。これも皆自分の薄命からだと悲しんだ。こんな生霊の噂うわさが伝わって行った時に院はどう思おぼ召しめすだろう。前皇太弟とは御同胞といっても取り分けお睦むつまじかった、斎宮の将来のことも院へお頼みになって東宮はお薨かくれになったので、その時代には第二の父になってやろうという仰せがたびたびあって、そのまままた御所で後宮生活をするようにとまで仰せになった時も、あるまじいこととして自分は御辞退をした。それであるのに若い源氏と恋をして、しまいには悪名を取ることになるのかと御息所は重苦しい悩みを心にして健康もすぐれなかった。この人は昔から、教養があって見識の高い、趣味の洗練された貴婦人として、ずいぶん名高い人になっていたので、斎宮が野の宮へいよいよおはいりになると、そこを風流な遊び場として、殿上役人などの文学好きな青年などは、はるばる嵯さ峨がへまで訪問に出かけるのをこのごろの仕事にしているという噂が源氏の耳にはいると、もっともなことであると思った。すぐれた芸術的な存在であることは否定できない人である。悲観してしまって伊い勢せへでも行かれたらずいぶん寂しいことであろうと、さすがに源氏は思ったのである。
日を取り越した法ほう会えはもう済んだが、正しく四十九日まではこの家で暮らそうと源氏はしていた。過去に経験のない独ひとり棲ずみをする源氏に同情して、現在の三さん位み中将は始終訪たずねて来て、世間話も多くこの人から源氏に伝わった。まじめな問題も、恋愛事件もある。滑こっ稽けいな話題にはよく源げん典てん侍じがなった。源氏は、
﹁かわいそうに、お祖ば母あ様を安っぽく言っちゃいけないね﹂
と言いながらも、典侍のことは自身にもおかしくてならないふうであった。常ひた陸ちの宮の春の月の暗かった夜の話も、そのほかの互いの情事の素すっ破ぱ抜きもした。長く語っているうちにそうした話は皆影をひそめてしまって、人生の寂しさを言う源氏は泣きなどもした。
さっと通り雨がした後の物の身にしむ夕方に中将は鈍にび色の喪服の直のう衣し指さし貫ぬきを今までのよりは淡うすい色のに着かえて、力強い若さにあふれた、公子らしい風ふう采さいで出て来た。源氏は西側の妻戸の前の高欄にからだを寄せて、霜枯れの庭をながめている時であった。荒い風が吹いて、時しぐ雨れもばらばらと散るのを見ると、源氏は自分の涙と競うもののように思った。﹁相あひ逢あひ相あひ失うし両なふ如ふた夢つながらゆめのごとし、為あめ雨とや為なる雲くも今とや不なる知いまはしらず﹂と口ずさみながら頬ほお杖づえをついた源氏を、女であれば先だって死んだ場合に魂は必ず離れて行くまいと好色な心に中将を思って、じっとながめながら近づいて来て一礼してすわった。源氏は打ち解けた姿でいたのであるが、客に敬意を表するために、直衣の紐ひもだけは掛けた。源氏のほうは中将よりも少し濃い鈍色にきれいな色の紅の単ひと衣えを重ねていた。こうした喪服姿はきわめて艶えんである。中将も悲しい目つきで庭のほうをながめていた。
雨となりしぐるる空の浮き雲をいづれの方と分 きてながめん
どこだかわからない。
と独ひと言りごとのように言っているのに源氏は答えて、
見し人の雨となりにし雲井さへいとど時しぐ雨れに掻かきくらす頃ころ
というのに、故人を悲しむ心の深さが見えるのである。中将はこれまで、院の思おぼ召しめしと、父の大臣の好意、母宮の叔お母ば君である関係、そんなものが源氏をここに引き止めているだけで、妹を熱愛するとは見えなかった、自分はそれに同情も表していたつもりであるが、表面とは違った動かぬ愛を妻に持っていた源氏であったのだとこの時はじめて気がついた。それによってまた妹の死が惜しまれた。ただ一人の人がいなくなっただけであるが、家の中の光明をことごとく失ったようにだれもこのごろは思っているのである。源氏は枯れた植え込みの草の中に竜りん胆どうや撫なで子しこの咲いているのを見て、折らせたのを、中将が帰ったあとで、若君の乳めの母との宰相の君を使いにして、宮様のお居間へ持たせてやった。
草枯れの籬 に残る撫子を別れし秋の形見とぞ見る
この花は比較にならないものとあなた様のお目には見えるでございましょう。
こう挨あい拶さつをさせたのである。撫子にたとえられた幼児はほんとうに花のようであった。宮様の涙は風の音にも木の葉より早く散るころであるから、まして源氏の歌はお心を動かした。
今も見てなかなか袖そでを濡ぬらすかな垣かきほあれにしやまと撫子
というお返辞があった。
源氏はまだつれづれさを紛らすことができなくて、朝顔の女にょ王おうへ、情味のある性質の人は今日の自分を哀れに思ってくれるであろうという頼みがあって手紙を書いた。もう暗かったが使いを出したのである。親しい交際はないが、こんなふうに時たま手紙の来ることはもう古くからのことで馴なれている女房はすぐに女王へ見せた。秋の夕べの空の色と同じ唐とう紙しに、
わきてこの暮 こそ袖 は露けけれ物思ふ秋はあまた経ぬれど
「神無月いつも時雨は降りしかど」というように。
と書いてあった。ことに注意して書いたらしい源氏の字は美しかった。これに対してもと女房たちが言い、女王自身もそう思ったので返事は書いて出すことになった。
このごろのお寂しい御起居は想像いたしながら、お尋ねすることもまた御遠慮されたのでございます。
秋霧に立ちおくれぬと聞きしより時し雨ぐるる空もいかがとぞ思ふ
とだけであった。ほのかな書きようで、心憎さの覚えられる手紙であった。結婚したあとに以前恋人であった時よりも相手がよく思われることは稀まれなことであるが、源氏の性癖からもまだ得られない恋人のすることは何一つ心を惹ひかないものはないのである。冷静は冷静でもその場合場合に同情を惜しまない朝顔の女王とは永久に友愛をかわしていく可能性があるとも源氏は思った。あまりに非凡な女は自身の持つ才識がかえって禍わざわいにもなるものであるから、西の対の姫君をそうは教育したくないとも思っていた。自分が帰らないことでどんなに寂しがっていることであろうと、紫の女王のあたりが恋しかったが、それはちょうど母親を亡なくした娘を家に置いておく父親に似た感情で思うのであって、恨まれはしないか、疑ってはいないだろうかと不安なようなことはなかった。
すっかり夜になったので、源氏は灯ひを近くへ置かせてよい女房たちだけを皆居間へ呼んで話し合うのであった。中納言の君というのはずっと前から情人関係になっている人であったが、この忌中はかえってそうした人として源氏が取り扱わないのを、中納言の君は夫人への源氏の志としてそれをうれしく思った。ただ主従としてこの人ともきわめて睦むつまじく語っているのである。
﹁このごろはだれとも毎日こうしていっしょに暮らしているのだから、もうすっかりこの生活に馴なれてしまった私は、皆といっしょにいられなくなったら、寂しくないだろうか。奥さんの亡なくなったことは別として、ちょっと考えてみても人生にはいろいろな悲しいことが多いね﹂
と源氏が言うと、初めから泣いているものもあった女房たちは、皆泣いてしまって、
﹁奥様のことは思い出しますだけで世界が暗くなるほど悲しゅうございますが、今度またあなた様がこちらから行っておしまいになって、すっかりよその方におなりあそばすことを思いますと﹂
言う言葉が終わりまで続かない。源氏はだれにも同情の目を向けながら、
﹁すっかりよその人になるようなことがどうしてあるものか。私をそんな軽薄なものと見ているのだね。気長に見ていてくれる人があればわかるだろうがね。しかしまた私の命がどうなるだろう、その自信はない﹂
と言って、灯ひを見つめている源氏の目に涙が光っていた。特別に夫人がかわいがっていた親もない童女が、心細そうな顔をしているのを、もっともであると源氏は哀れに思った。
﹁あてきはもう私にだけしかかわいがってもらえない人になったのだね﹂
源氏がこう言うと、その子は声を立てて泣くのである。からだ相応な短い袙あこめを黒い色にして、黒い汗かざ袗みに樺かば色の袴はかまという姿も可かれ憐んであった。
﹁奥さんのことを忘れない人は、つまらなくても我慢して、私の小さい子供といっしょに暮らしていてください。皆が散り散りになってしまってはいっそう昔が影も形もなくなってしまうからね。心細いよそんなことは﹂
源氏が互いに長く愛を持っていこうと行っても、女房たちはそうだろうか、昔以上に待ち遠しい日が重なるのではないかと不安でならなかった。
大臣は女房たちに、身分や年功で差をつけて、故人の愛した手まわりの品、それから衣類などを、目に立つほどにはしないで上品に分けてやった。
源氏はこうした籠こも居りいを続けていられないことを思って、院の御所へ今日は伺うことにした。車の用意がされて、前駆の者が集まって来た時分に、この家の人々と源氏の別れを同情してこぼす涙のような時しぐ雨れが降りそそいだ。木の葉をさっと散らす風も吹いていた。源氏の居間にいた女房は非常に皆心細く思って、夫人の死から日がたって、少し忘れていた涙をまた滝のように流していた。今夜から二条の院に源氏の泊まることを予期して、家従や侍はそちらで主人を迎えようと、だれも皆仕した度くをととのえて帰ろうとしているのである。今日ですべてのことが終わるのではないが非常に悲しい光景である。大臣も宮もまた新しい悲しみを感じておいでになった。宮へ源氏は手紙で御挨あい拶さつをした。
院が非常に逢あいたく思おぼ召しめすようですから、今日はこれからそちらへ伺うつもりでございます。かりそめにもせよ私がこうして外へ出かけたりいたすようになってみますと、あれほどの悲しみをしながらよくも生きていたというような不思議な気がいたします。お目にかかりましてはいっそう悲しみに取り乱しそうな不安がございますから上がりません。
というのである。宮様のお心に悲しみがつのって涙で目もお見えにならない。お返事はなかった。しばらくして源氏の居間へ大臣が出て来た。非常に悲しんで、袖そでを涙の流れる顔に当てたままである。それを見る女房たちも悲しかった。人生の悲哀の中に包まれて泣く源氏の姿は、そんな時も艶えんであった。大臣はやっとものを言い出した。
﹁年を取りますと、何でもないことにもよく涙が出るものですが、ああした打撃がやって来たのですから、もう私は涙から解放される時間といってはございません。私がこんな弱い人間であることを人に見せたくないものですから、院の御所へも伺候しないのでございます。お話のついでにあなたからよろしくお取りなしになっておいてください。もう余命いくばくもない時になって、子に捨てられましたことが恨めしゅうございます﹂
一所懸命に悲しみをおさえながら言うことはこれであった。源氏も幾度か涙を飲みながら言った。
﹁いつだれが死に取られるかしれないのが人生の相であると承知しておりましても、目前にそれを体験しましたわれわれの悲しみは理りく窟つで説明も何もできません。院にもあなたの御様子をよく申し上げます。必ず御同情をあそばすでしょう﹂
﹁それではもうお出かけなさいませ。時しぐ雨れがあとからあとから追っかけて来るようですから、せめて暮れないうちにおいでになるがよい﹂
と大臣は勧めた。源氏が座敷の中を見まわすと几きち帳ょうの後ろとか、襖から子かみの向こうとか、ずっと見える所に女房の三十人ほどが幾つものかたまりを作っていた。濃い喪服も淡うす鈍にび色も混じっているのである。皆心細そうにめいったふうであるのを源氏は哀れに思った。
﹁御愛子もここにいられるのだから、今後この邸やしきへお立ち寄りになることも決してないわけでないと私どもはみずから慰めておりますが、単純な女たちは、今日限りこの家はあなた様の故郷にだけなってしまうのだと悲観しておりまして、生死の別れをした時よりも、時々おいでの節御用を奉仕させていただきました幸福が失われたようにお別れを悲しがっておりますのももっともに思われます。長くずっと来てくださるようなことはございませんでしたが、そのころ私はいつかはこうでない幸いが私の家へまわって来るものと信じたり、その反対な寂しさを思ってみたりしたものですが、とにかく今日の夕方ほど寂しいことはございません﹂
と大臣は言ってもまた泣くのである。
﹁つまらない忖そん度たくをして悲しがる女房たちですね。ただ今のお言葉のように、私はどんなことも自分の信頼する妻は許してくれるものと暢のん気きに思っておりまして、わがままに外を遊びまわりまして御ご無ぶ沙さ汰たをするようなこともありましたが、もう私をかばってくれる妻がいなくなったのですから私は暢気な心などを持っていられるわけもありません。すぐにまた御訪問をしましょう﹂
と言って、出て行く源氏を見送ったあとで、大臣は今日まで源氏の住んでいた座敷、かつては娘夫婦の暮らした所へはいって行った。物の置き所も、してある室内の装飾も、以前と何一つ変わっていないが、はなはだしく空虚なものに思われた。帳台の前には硯すずりなどが出ていて、むだ書きをした紙などもあった。涙をしいて払って、目をみはるようにして大臣はそれを取って読んでいた。若い女房たちは悲しんでいながらもおかしがった。古い詩歌がたくさん書かれてある。草そう書しょもある、楷かい書しょもある。
﹁上じょ手うずな字だ﹂
歎たん息そくをしたあとで、大臣はじっと空間をながめて物思わしいふうをしていた。源氏が婿でなくなったことが老大臣には惜しんでも惜しんでも足りなく思えるらしい。﹁旧きう枕ちん故こき衾んた誰れと与とも共にせん﹂という詩の句の書かれた横に、
亡なき魂たまぞいとど悲しき寝し床とこのあくがれがたき心ならひに
と書いてある。﹁鴛ゑん鴦あう瓦かは冷らに霜ひえ花てさ重うくわおもし﹂と書いた所にはこう書かれてある。
君なくて塵ちり積もりぬる床なつの露うち払ひいく夜寝いぬらん
ここにはいつか庭から折らせて源氏が宮様へ贈ったのと同じ時の物らしい撫なで子しこの花の枯れたのがはさまれていた。大臣は宮にそれらをお見せした。
﹁私がこれほどかわいい子供というものがあるだろうかと思うほどかわいかった子は、私と長く親子の縁を続けて行くことのできない因縁の子だったかと思うと、かえってなまじい親子でありえたことが恨めしいと、こんなふうにしいて思って忘れようとするのですが、日がたつにしたがって堪えられなく恋しくなるのをどうすればいいかと困っている。それに大将さんが他人になっておしまいになることがどうしても悲しくてならない。一日二日と中があき、またずっとおいでにならない日のあったりした時でさえも、私はあの方にお目にかかれないことで胸が痛かったのです。もう大将を一家の人と見られなくなって、どうして私は生きていられるか﹂
とうとう声を惜しまずに大臣は泣き出したのである。部屋にいた少し年配な女房たちが皆同時に声を放って泣いた。この夕方の家の中の光景は寒さむ気けがするほど悲しいものであった。若い女房たちはあちらこちらにかたまって、それはまた自身たちの悲しみを語り合っていた。
﹁殿様がおっしゃいますようにして、若君にお仕えして、私はそれを悲しい慰めにしようと思っていますけれど、あまりにお形見は小さい公子様ですわね﹂
と言う者もあった。
﹁しばらく実家へ行っていて、また来るつもりです﹂
こんなふうに希望している者もあった。自分らどうしの別れも相当に深刻に名なご残り惜しがった。
院では源氏を御覧になって、
﹁たいへん痩やせた。毎日精進をしていたせいかもしれない﹂
と御心配をあそばして、お居間で食事をおさせになったりした。いろいろとおいたわりになる御親心を源氏はもったいなく思った。中ちゅ宮うぐうの御殿へ行くと、女房たちは久しぶりの源氏の伺候を珍しがって、皆集まって来た。中宮も命みょ婦うぶを取り次ぎにしてお言葉があった。
﹁大きな打撃をお受けになったあなたですから、時がたちましてもなかなかお悲しみはゆるくなるようなこともないでしょう﹂
﹁人生の無常はもうこれまでにいろいろなことで教訓されて参った私でございますが、目前にそれが証明されてみますと、厭えん世せい的にならざるをえませんで、いろいろと煩はん悶もんをいたしましたが、たびたびかたじけないお言葉をいただきましたことによりまして、今日までこうしていることができたのでございます﹂
と源氏は挨あい拶さつをした。こんな時でなくても心の湿ったふうのよく見える人が、今日はまたそのほかの寂しい影も添って人々の同情を惹ひいた。無紋の袍ほうに灰色の下した襲がさねで、冠かむりは喪中の人の用いる巻けん纓えいであった。こうした姿は美しい人に落ち着きを加えるもので艶えんな趣が見えた。東宮へも久しく御ご無ぶ沙さ汰た申し上げていることが心苦しくてならぬというような話を源氏は命婦にして夜ふけになってから退出した。
二条の院はどの御殿もきれいに掃そう除じができていて、男女が主人の帰りを待ちうけていた。身分のある女房も今日は皆そろって出ていた。はなやかな服装をしてきれいに粧よそおっているこの女房たちを見た瞬間に源氏は、気をめいらせはてた女房が肩を連ねていた、左大臣家を出た時の光景が目に浮かんで、あの人たちが哀れに思われてならなかった。源氏は着がえをしてから西の対たいへ行った。残らず冬期の装飾に変えた座敷の中がはなやかに見渡された。若い女房や童女たちの服装も皆きれいにさせてあって、少納言の計らいに敬意が表されるのであった。紫の女にょ王おうは美しいふうをしてすわっていた。
﹁長くお逢あいしなかったうちに、とても大人になりましたね﹂
几きち帳ょうの垂たれ絹を引き上げて顔を見ようとすると、少しからだを小さくして恥ずかしそうにする様子に一点の非も打たれぬ美しさが備わっていた。灯ひに照らされた側面、頭の形などは初恋の日から今まで胸の中へ最もたいせつなものとしてしまってある人の面影と、これとは少しの違ったものでもなくなったと知ると源氏はうれしかった。そばへ寄って逢えなかった間の話など少ししてから、
﹁たくさん話はたまっていますから、ゆっくりと聞かせてあげたいのだけれど、私は今日まで忌いみにこもっていた人なのだから、気味が悪いでしょう。あちらで休息することにしてまた来ましょう。もうこれからはあなたとばかりいるのだから、しまいにはあなたからうるさがられるかもしれませんよ﹂
立ちぎわにこんなことを源氏が言っていたのを、少納言は聞いてうれしく思ったが、全然安心したのではない、りっぱな愛人の多い源氏であるから、また姫君にとっては面めん倒どうな夫人が代わりに出現するのではないかと疑っていたのである。
源氏は東の対へ行って、中将という女房に足などを撫なでさせながら寝たのである。翌朝はすぐにまた大臣家にいる子供の乳めの母とへ手紙を書いた。あちらからは哀れな返事が来て、しばらく源氏を悲しませた。つれづれな独居生活であるが源氏は恋人たちの所へ通って行くことも気が進まなかった。女王がもうりっぱな一人前の貴きじ女ょに完成されているのを見ると、もう実質的に結婚をしてもよい時期に達しているように思えた。おりおり過去の二人の間でかわしたことのないような戯じょ談うだんを言いかけても紫の君にはその意が通じなかった。つれづれな源氏は西の対にばかりいて、姫君と扁へん隠かくしの遊びなどをして日を暮らした。相手の姫君のすぐれた芸術的な素質と、頭のよさは源氏を多く喜ばせた。ただ肉親のように愛あい撫ぶして満足ができた過去とは違って、愛すれば愛するほど加わってくる悩ましさは堪えられないものになって、心苦しい処置を源氏は取った。そうしたことの前もあとも女房たちの目には違って見えることもなかったのであるが、源氏だけは早く起きて、姫君が床を離れない朝があった。女房たちは、
﹁どうしてお寝やすみになったままなのでしょう。御気分がお悪いのじゃないかしら﹂
とも言って心配していた。源氏は東の対へ行く時に硯すずりの箱を帳台の中へそっと入れて行ったのである。だれもそばへ出て来そうでない時に若紫は頭を上げて見ると、結んだ手紙が一つ枕まくらの横にあった。なにげなしにあけて見ると、
あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴なれし中の衣を
と書いてあるようであった。源氏にそんな心のあることを紫の君は想像もして見なかったのである。なぜ自分はあの無法な人を信頼してきたのであろうと思うと情けなくてならなかった。昼ごろに源氏が来て、
﹁気分がお悪いって、どんなふうなのですか。今日は碁もいっしょに打たないで寂しいじゃありませんか﹂
のぞきながら言うとますます姫君は夜着を深く被かずいてしまうのである。女房が少し遠慮をして遠くへ退のいて行った時に、源氏は寄り添って言った。
﹁なぜ私に心配をおさせになる。あなたは私を愛していてくれるのだと信じていたのにそうじゃなかったのですね。さあ機きげ嫌んをお直しなさい、皆が不審がりますよ﹂
夜着をめくると、女王は汗をかいて、額髪もぐっしょりと濡ぬれていた。
﹁どうしたのですか、これは。たいへんだ﹂
いろいろと機嫌をとっても、紫の君は心から源氏を恨めしくなっているふうで、一言もものを言わない。
﹁私はもうあなたの所へは来ない。こんなに恥ずかしい目にあわせるのだから﹂
源氏は恨みを言いながら硯箱をあけて見たが歌ははいっていなかった。あまりに少おと女めらしい人だと可かれ憐んに思って、一日じゅうそばについていて慰めたが、打ち解けようともしない様子がいっそうこの人をかわゆく思わせた。
その晩は亥いの子の餠もちを食べる日であった。不幸のあったあとの源氏に遠慮をして、たいそうにはせず、西の対へだけ美しい檜ひわ破り子ご詰づめの物をいろいろに作って持って来てあった。それらを見た源氏が、南側の座敷へ来て、そこへ惟これ光みつを呼んで命じた。
﹁餠をね、今晩のようにたいそうにしないでね、明日の日暮れごろに持って来てほしい。今日は吉日じゃないのだよ﹂
微笑しながら言っている様子で、利りこ巧うな惟光はすべてを察してしまった。
﹁そうでございますとも、おめでたい初めのお式は吉日を選びませんでは。それにいたしましても、今晩の亥の子でない明晩の子ねの子餠はどれほど作ってまいったものでございましょう﹂
まじめな顔で聞く。
﹁今夜の三分の一くらい﹂
と源氏は答えた。心得たふうで惟光は立って行った。きまりを悪がらせない世よ馴なれた態度が取れるものだと源氏は思った。だれにも言わずに、惟光はほとんど手ずからといってもよいほどにして、主人の結婚の三日の夜の餠の調製を家でした。源氏は新夫人の機きげ嫌んを直させるのに困って、今度はじめて盗み出して来た人を扱うほどの苦心を要すると感じることによっても源氏は興味を覚えずにいられない。人間はあさましいものである、もう自分は一夜だってこの人と別れていられようとも思えないと源氏は思うのであった。命ぜられた餠を惟光はわざわざ夜ふけになるのを待って持って来た。少納言のような年配な人に頼んではきまり悪くお思いになるだろうと、そんな思いやりもして、惟光は少納言の娘の弁という女房を呼び出した。
﹁これはまちがいなく御寝室のお枕まくらもとへ差し上げなければならない物なのですよ。お頼みします。たしかに﹂
弁はちょっと不思議な気はしたが、
﹁私はまだ、いいかげんなごまかしの必要なような交渉をだれともしたことがありませんわ﹂
と言いながら受け取った。
﹁そうですよ、今日はそんな不誠実とか何とかいう言葉を慎まなければならなかったのですよ。私ももう縁起のいい言葉だけを選よって使います﹂
と惟光は言った。若い弁は理由のわからぬ気持ちのままで、主人の寝室の枕まくらもとの几きち帳ょうの下から、三日の夜の餠のはいった器を中へ入れて行った。この餠の説明も新夫人に源氏が自身でしたに違いない。だれも何の気もつかなかったが、翌朝その餠の箱が寝室から下げられた時に、側近している女房たちにだけはうなずかれることがあった。皿などもいつ用意したかと思うほど見事な華けそ足く付きであった。餠もことにきれいに作られてあった。少納言は感激して泣いていた。結婚の形式を正しく踏んだ源氏の好意がうれしかったのである。
﹁それにしても私たちへそっとお言いつけになればよろしいのにね。あの人が不思議に思わなかったでしょうかね﹂
とささやいていた。
若紫と新婚後は宮中へ出たり、院へ伺候していたりする間も絶えず源氏は可かれ憐んな妻の面影を心に浮かべていた。恋しくてならないのである。不思議な変化が自分の心に現われてきたと思っていた。恋人たちの所からは長い途絶えを恨めしがった手紙も来るのであるが、無関心ではいられないものもそれらの中にはあっても、新婚の快い酔いに身を置いている源氏に及ぼす力はきわめて微弱なものであったに違いない。厭えん世せい的になっているというふうを源氏は表面に作っていた。いつまでこんな気持ちが続くかしらぬが、今とはすっかり別人になりえた時に逢あいたいと思うと、こんな返事ばかりを源氏は恋人にしていたのである。
皇太后は妹の六の君がこのごろもまだ源氏の君を思っていることから父の右大臣が、
﹁それもいい縁のようだ、正夫人が亡なくなられたのだから、あの方も改めて婿にすることは家の不名誉では決してない﹂
と言っているのに憤慨しておいでになった。
﹁宮仕えだって、だんだん地位が上がっていけば悪いことは少しもないのです﹂
こう言って宮廷入りをしきりに促しておいでになった。その噂うわさの耳にはいる源氏は、並み並みの恋愛以上のものをその人に持っていたのであるから、残念な気もしたが、現在では紫の女王のほかに分ける心が見いだせない源氏であって、六の君が運命に従って行くのもしかたがない。短い人生なのだから、最も愛する一人を妻に定めて満足すべきである。恨みを買うような原因を少しでも作らないでおきたいと、こう思っていた。六条の御みや息すど所ころと先夫人の葛かっ藤とうが源氏を懲りさせたともいえることであった。御息所の立場には同情されるが、同どう棲せいして精神的の融和がそこに見いだせるかは疑問である。これまでのような関係に満足していてくれれば、高等な趣味の友として自分は愛することができるであろうと源氏は思っているのである。これきり別れてしまう心はさすがになかった。
二条の院の姫君が何なに人びとであるかを世間がまだ知らないことは、実質を疑わせることであるから、父宮への発表を急がなければならないと源氏は思って、裳も着ぎの式の用意を自身の従属関係になっている役人たちにも命じてさせていた。こうした好意も紫の君はうれしくなかった。純粋な信頼を裏切られたのは自分の認識が不足だったのであると悔やんでいるのである。目も見合わないようにして源氏を避けていた。戯じょ談うだんを言いかけられたりすることは苦しくてならぬふうである。鬱うつ々うつと物思わしそうにばかりして以前とはすっかり変わった夫人の様子を源氏は美しいこととも、可憐なこととも思っていた。
﹁長い間どんなにあなたを愛して来たかもしれないのに、あなたのほうはもう私がきらいになったというようにしますね。それでは私がかわいそうじゃありませんか﹂
恨みらしく言ってみることもあった。
こうして今年が暮れ、新しい春になった。元日には院の御所へ先に伺候してから参内をして、東宮の御殿へも参賀にまわった。そして御所からすぐに左大臣家へ源氏は行った。大臣は元日も家にこもっていて、家族と故人の話をし出しては寂しがるばかりであったが、源氏の訪問にあって、しいて、悲しみをおさえようとするのがさも堪えがたそうに見えた。重ねた一歳は源氏の美に重々しさを添えたと大臣家の人は見た。以前にもまさってきれいでもあった。大臣の前を辞して昔の住すま居いのほうへ行くと、女房たちは珍しがって皆源氏を見に集まって来たが、だれも皆つい涙をこぼしてしまうのであった。若君を見るとしばらくのうちに驚くほど大きくなっていて、よく笑うのも哀れであった。目つき口もとが東宮にそっくりであるから、これを人が怪しまないであろうかと源氏は見入っていた。夫人のいたころと同じように初春の部屋が装飾してあった。衣服掛けの棹さおに新調された源氏の春着が掛けられてあったが、女の服が並んで掛けられてないことは見た目だけにも寂しい。
宮様の挨あい拶さつを女房が取り次いで来た。
﹁今日だけはどうしても昔を忘れていなければならないと辛しん抱ぼうしているのですが、御訪問くださいましたことでかえってその努力がむだになってしまいました﹂
それから、また、
﹁昔からこちらで作らせますお召し物も、あれからのちは涙で私の視力も曖あい昧まいなんですから不出来にばかりなりましたが、今日だけはこんなものでもお着かえくださいませ﹂
と言って、掛けてある物のほかに、非常に凝った美しい衣いし裳ょう一揃そろいが贈られた。当然今日の着料になる物としてお作らせになった下した襲がさねは、色も織り方も普通の品ではなかった。着ねば力をお落としになるであろうと思って源氏はすぐに下襲をそれに変えた。もし自分が来なかったら失望あそばしたであろうと思うと心苦しくてならないものがあった。お返辞の挨拶は、
﹁春の参りましたしるしに、当然参るべき私がお目にかかりに出たのですが、あまりにいろいろなことが思い出されまして、お話を伺いに上がれません。
あまたとし今日改めし色ごろもきては涙ぞ降るここちする
自分をおさえる力もないのでございます﹂
と取り次がせた。宮から、
新しき年ともいはず降るものはふりぬる人の涙なりけり
という御返歌があった。どんなにお悲しかったことであろう。
︵訳注︶ 源氏二十二歳より二十三歳まで。