饑餓陣営

一幕

宮沢賢治




 
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幕あく。
砲弾ほうだんにて破損せる古き穀倉の内部、からくも全滅ぜんめつまぬかれしバナナン軍団、マルトン原の臨時幕営ばくえい
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曹長「一時半なのにどうしたのだろう。
バナナン大将はまだやってこない
胃時計ストマクウオッチはもう十時なのに
バナナン大将は帰らない。」
沿()()
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特務曹長「もう二時なのにどうしたのだろう、
バナナン大将はまだ来ていない
ストマクウオッチはもう十時なのに
バナナン大将は帰らない。」
左隊右壁に沿い足踏み(銅鑼)
曹長特務曹長(たがいに進み寄り足踏みつつうたう)
糧食りょうしょくはなし 四月の寒さ
ストマクウオッチももうめちゃめちゃだ。」
合唱「どうしたのだろう、バナナン大将
もう一遍いっぺんだけ 見て来よう。」別々に退場
銅鑼どら
右隊登場、すべて始めのごとし。可成かなりつかれたり。
曹長「もう四時なのにどうしたのだろう、
バナナン大将はまだ来ていない
もう四時なのにどうしたのだろう。
バナナン大将は帰らない。」
左隊登場
「もう四時半なのにどうしたのだろう、
バナナン大将はまだ来ていない
もう五時なのにどうしたのだろう
バナナン大将は 帰らない。」
(銅鑼)
曹長特務曹長
「大将ひとりでどこかの並木なみき
苹果りんごたたいているかもしれない
大将いまごろどこかのはたけで
人蔘にんじんガリガリ んでるぞ。」
(銅鑼)
右隊入場、いちじるしく疲れかろうじて歩行す。
曹長「七時半なのにどうしたのだろう
バナナン大将はまだ来ていない
七時半なのにどうしたのだろう
バナナン大将は 帰らない。」
左隊登場 最つかれたり。
曹長特務曹長
「もう八時なのにどうしたのだろう
バナナン大将は まだ来ていない。
もう八時なのにどうしたのだろう
バナナン大将は 帰らない。」
(銅鑼)
立てるもの合唱(きれぎれに)
「いくさで死ぬならあきらめもするが
いまごろえて死にたくはない
ああただひときれこの世のなごりに
バナナかなにかを 食いたいな。」
(共にたおる)(銅鑼どら
バナナン大将登場。バナナのエボレットをかざ菓子かし勲章くんしょうを胸にみたせり。
バナナン大将
「つかれたつかれたすっかりつかれた
あしはまるっきり 二本のステッキ
いったいすこぅし飲み過ぎたのだし
馬肉もあんまり食いすぎた。」
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大将「あかりをつけろ、間抜まぬけめ。」
曹長点燈す。兵士等大将のエボレット勲章等を見て食せんとするの衝動しょうどうはなはだし。
大将「間抜けめ、どれもみんなまるでどろ人形だ。」
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曹長(低く。)「大将の勲章は実にうまそうだなあ。」
特務曹長「それは甘そうだ。」
曹長「食べるというわけには行かないものでありますか。」
特務曹長「それはけだしいかない。軍人が名誉めいよある勲章を食ってしまうという前例はない。」
曹長「食ったらどうなるのでありますか。」
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兵士「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、」
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曹長(一足進む。)
特務曹長バナナン大将の前に進み直立す。曹長以下これに従い一列にならぶ。
特務曹長(挙手、叫ぶ。)「閣下!」
バナナン大将(おもむろを開く。)「何じゃ、そうぞうしい。」
特務曹長「閣下の御勲功は実に四海を照すのであります。」
大将「ふん、それはよろしい。」
特務曹長「閣下の御名誉はすなわち私共の名誉であります。」
大将「うん。それはよろしい。」
特務曹長「閣下の勲章はみな実に立派であります。私共は閣下の勲章をあおぎますごとに実に感激かんげきしてなみだがでたりのどが鳴ったりするのであります。」
大将「ふん、それはそうじゃろう。」
特務曹長「しかるに私共はいまだ不幸にしてその機会を得ず充分じゅうぶん適格に閣下の勲章を拝見するの光栄を所有しなかったのであります。」
大将「それはそうじゃ、今まではいそがしかったじゃからな。」
特務曹長「閣下。この機会をもちまして私共一同にとくとお示しを得たいものであります。」
大将「それはよろしい。どの勲章を見たいのだ。」
特務曹長「一番大きなやつから。」
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特務曹長「これはどの戦役せんえきでご受領なされたのでありますか。」
大将「印度インド戦争だ。」
特務曹長「このまん中の青い所はほんもののザラメでありますか。」
大将「ほんとうのザラメとも。」
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特務曹長「次のは何でありますか。」
大将「ファンテプラーク章じゃ。」外す。
特務曹長「あまり光って眼がくらむようであります。」
大将「そうじゃ。それは支那しな戦のニコチン戦役にもらったのじゃ。」
特務曹長「立派であります。」
大将「それはそうじゃろう」(兵卒二これを嚥下す。)
大将「どうじゃ、これはチベット戦争じゃ。」
特務曹長「なるほど西蔵チベット馬のしるしがついてります。」(兵卒三これを嚥下す。)
大将「これは普仏ふふつ戦争じゃ、」
特務曹長「なるほどナポレオンポナパルドの首のしるしがついて居ります。しかし閣下は普仏戦争に御参加になりましたのでありますか。」
大将「いいや、六十銭で買ったよ。」
特務曹長「なるほど、実に立派であります。六十銭では安すぎます。」
大将「うん、」(兵卒四これを嚥下す。)
特務曹長「その次の勲章はどれでありますか。」
大将「これじゃ、」
特務曹長「これはどちらからおくられたのでありますか。」
大将「それはアメリカだ。ニュウヨウクのメリケン粉株式会社から贈られたのだ。」
特務曹長「そうでありますか。おどろくべきであります。」
(兵卒五これを嚥下す。)
特務曹長「次はどれでありますか。」
大将「これじゃ、」
特務曹長「実にめずらしくあります。やはり支那戦争でありますか。」
大将「いいや。支那の大将とぶたを五ひきでとりかえたのじゃ。」
特務曹長「なるほど、ハムサンドウィッチですな。」(兵卒六これを嚥下す。)
大将「これはどうじゃ。」
特務曹長「立派であります。何勲章でありますか。」
大将「むすこからとりかえしたのじゃ。」(兵卒七嚥下。)
特務曹長「その次は、」
大将「これはモナコ王国においてばくちの番をしたときもらったのじゃ。」
特務曹長「はあ実におそれ入ります。」(兵卒八嚥下。)
大将「これはどうじゃ。」
特務曹長「どこの勲章でありますか。」
大将「手製じゃ手製じゃ。わしがこさえたのじゃ。」
大将「これはなアフガニスタンでマラソン競争をやってとったのじゃ。」(兵卒十嚥下。)
特務曹長「なるほど次はどれでありますか。」
大将「もう二つしかないぞ。」
特務曹長(兵卒を検して)「もう二つで丁度いいようであります。」
大将「何が。」
特務曹長(はげしくごまかす。)「そうであります。」
特務曹長「これはどちらから贈られましたのでありますか。」
大将「イタリヤごろつき組合だ。」
特務曹長「実に立派であります。」
大将「これはもっと立派だぞ。」
特務曹長「これはどちらからお受けになりましたのでありますか。」
大将「ベルギ戦役マイナス十五里進軍の際スレンジングトンの街道で拾ったよ。」
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大将「どうじゃ、どれもみんな立派じゃろう。」
一同「実に結構でありました。」
 
一同「結構であります。」
特務曹長「ええ、只今ただいまのは実は現在完了かんりょうのつもりであります。ところで閣下、この好機会をもちましてさらに閣下の燦爛さんらんたるエボレットを拝見いたしたいものであります。」
大将「ふん、よかろう。」
(エボレットを渡す。)
特務曹長「実にはなはだしくあります。」
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大将「いかん、いかん、エボレットをこわしちゃいかん。」
特務曹長「いいえ、すぐ組み立てます。もう片っ方拝見いたしたいものであります。」
大将「ふん、あとですっかり組み立てるならまあよかろう。」
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特務曹長「急ぎみ下せいおいっ。」(一同嚥下えんか。)
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兵卒三「おれたちは恐ろしいことをしてしまったなあ。」
兵卒十「全く夢中むちゅうでやってしまったなあ。」
兵卒一「勲章と胃袋いぶくろにゴム糸がついていたようだったなあ」
兵卒九「将軍と国家とにどうおわびをしたらいいかなあ。」
兵卒七「おわびの方法が無い。」
兵卒五「死ぬより仕方ない。」
兵卒三「みんな死のう、自殺しよう。」
曹長「いいや、みんなおれが悪いんだ。おれがこんなことを発案したのだ。」
特務曹長「いいや、おれが責任者だ。おれは死ななければならない。」
曹長「上官、私共二人はじめの約束やくそくの通りに死にましょう。」
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兵卒一同「いいえ、だめであります。だめであります。」
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特務曹長「饑餓陣営のたそがれの中
おかせる罪はいとも深し
ああ夜のそらの青き火もて
われらがつみをきよめたまえ。」
曹長「マルトン原のかなしみのなか
ひかりはつちにうずもれぬ
ああみめぐみのあめを下し
われらがつみをゆるしたまえ。」
合唱「ああ、みめぐみの雨をくだし
われらがつみをゆるしたまえ。」
(特務曹長ピストルをまさに自殺せんとす。)
(バナナン大将この時まで瞑目めいもくしたるもたちまちにして立ちあがりさけぶ。)
大将「止まれ、やめぃ。」
(特務曹長ピストルを擬したるまま呆然ぼうぜんとして佇立ちょりつす。大将ピストルをうばう。)
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おお神はほめられよ。実におんからみそなわすならば勲章やエボレットなどは瓦礫がれきにもひとしいじゃ。」
特務曹長「将軍、お申し訳けのないことをいたしました。」
曹長「将軍、私に死を下されませ。」
バナナン大将「いいや、ならん。」
特務曹長「けれどもこれから私共は毎日将軍の軍装ぐんそう拝しますごとにはげしく良心に責められなければなりません。」
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特務曹長「閣下、何とぞその訓練をいただきたくあります。」
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兵士「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、」
兵士を組む。
大将「前列二歩前へおいっ。偶数ぐうすう一歩前へおいっ。」
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兵卒三「わかりました。果樹整枝法であります。」
大将両腕りょううでを上げ整枝法のピラミッド形をつくる。
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大将「よろしい。果樹整枝法その二、ベース一。」
兵卒「一、」
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兵卒六「わかりました。カンデラーブル、U字形であります。」
兵卒八「直立コルドンであります。」
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兵士九「はいっ。果樹整枝法その五、エーベンタールであります。」
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兵士十「果樹整枝法第六、棚仕立であります。」
大将「よろしい。果樹整枝法第六棚仕立、はじめっ。一」
(兵士ら腕を組み棚をつくる。バナナン大将手籠てかごを持ちてその下をくぐりしきりに果実を収む。)
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合唱「いさおかがやく バナナン軍
  
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幕。






 
   1989615
   199466513


noriko saito
2005126

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●表記について