俳諧師

岡本綺堂




  登場人物
俳諧師鬼貫おにつら
路通ろつう
鬼貫の娘おたへ
左官の女房おとめ
[#改ページ]

祿()()()

しもかたより近所の女房お留、竹の子笠をかぶりて出づ。)
  
お妙  はい、はい。
(奧より鬼貫の娘お妙、十七八歳の美しき娘、やつれたる姿にて、煤けたる行燈を點して出づ。)
お妙  おや、おかみさん。まあ、どうぞおあがり下さい。
  
  
お留  二日も降りつゞいた上に、まだ積られてはまつたく遣切れませんね。年の暮に斯う毎日降られては、どこでも隨分困ることでせうよ。
お妙  なにしろ、おあがりなさいませんか。そこはお寒うございますから。
(云ひながら下の方の爐を見かへれば、爐には火の氣がないので、お妙は困つた顏をしてゐる。)
  ()()()()()
お妙  この降るのに、まあ。
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お妙  (身にしみるやうに。)そりや全くでございますわねえ。
お留  さう云つても、我慢して稼いで貰はなければ、今日こんにちが過されませんからねえ。こちらのおとつさんは今日はお休みですか。
  
お留  このお天氣ではほんたうにお困りでせうねえ。その代りにこちらの御商賣なぞは、かういふ日の方が却つて可いかもしれませんよ。
お妙  (愁はしげに。)どうでございませうか。
お留  なにしろ、もう歸つてお出でなさるだらうから、早く火でもおこして置いてあげたら何うです。外は隨分寒うござんすよ。
お妙  さうでございませうねえ。(再び爐の方を見かへる。)
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お妙  あすこへ……。(伸上りてのぞく。)
お留  あのお墓の古い塔婆を少し貰はうと思つてね。
お妙  お寺で呉れますかしら。
  
お妙  まあ。
  
お妙  でも、まさかそんなことは……。
お留  まあ、默つておいでなさい。こゝの家へも持つて來てあげますから。
  ()
(お留は塔婆の雪を拂ひながら、その幾本かを縁に置く。お妙はやはり不安らしく眺めてゐる。)
お留  こちらなんぞはすぐ隣なんだから、焚物に困つたらいつでも斯うなさいよ。
お妙  でも、おかみさん。
  ()()
(笠を持ちて起ち上る。)
お妙  氣をつけておいでなさい。
  
(お留は笠をかぶりて塔婆をかゝへ、挨拶してゆきかゝる時、上の方の竹藪の竹が二三本、凄まじい音して折れる。)
お留  (驚いて見かへる。)おや、竹が折れましたよ。
お妙  さつきからたわんで居りましたが、たうとう折れたとみえます。
  ()
(お留は笠を傾けて去る。ゆふぐれの鐘きこゆ。)
  ()
()()※(「風にょう+昜」、第3水準1-94-7)()()
  
鬼貫  どうもよく降ることだな。
お妙  さぞお寒かつたでございませう。
(お妙は手つだひて、鬼貫は傘をすぼめ、頭巾をぬぎ、からだの雪を拂ひて内にあがる。)
お妙[#「お妙」は底本では「お留」]  朝から少しも止まないので、お寒くもあらうし、お困りでもあらうと、案じ暮してをりました。
  
  ()()
鬼貫  内に火のあるのは不思議だと思つてゐたが……。あゝ、これは塔婆ではないか。
お妙  はい。(もじ/\してゐる。)
鬼貫  (急に顏をくもらせる。)これを左官のおかみさんがくれたのか。
お妙  はい。
鬼貫  おまへが自分で取つて來たのではあるまいな。
  
鬼貫  さうか。(歎息する。)
お妙  どうぞ御勘辨なすつて下さいまし。(手をつく。)
  
お妙  はい。恐れ入りました。
(お妙は眼をふいて、湯を沸かす支度をする。鬼貫はしばらく爐の火を眺めてゐる。)
鬼貫  お妙。
お妙  はい。
鬼貫  米はなかつたな。
お妙  (澁りながら。)はい。
  
お妙  (歎息する。)さうでございませうねえ。
鬼貫  それでも一軒の小さい米屋でよんでくれたので、隱居らしい老人の腰を揉んで、二十文の錢を貰つて來た。
お妙  (ほつとして。)それはよろしうございました。
鬼貫  それからもう一軒、質屋に呼び込まれて二十文、あはせて四十文がけふ一日の稼ぎだ。
(財布よりぜにを出してみせる。)
お妙  それでもまあ結構でございました。
  ()()
お妙  まつたく尊いのでございます。(錢を財布に入れて押しいたゞく。)
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お妙  (慰めるやうに。)その不足勝のあひだにも、俳諧の道に心をかたむけて、月雪花を樂むのが風流の極意ではございませんか。
鬼貫  (うなづく。)それはおれも知つてゐる。
お妙  清貧を樂むとか、ふだんから仰しやるのは、こゝのことではございませんか。
  祿()()
(お妙はうつむきて悲しげに聽きゐたるが、やがて湯の沸きたるに心づきて、茶碗につぎて父にすゝめる。鬼貫はしづかに湯をのみて又考へる。)
  
お妙  え。
鬼貫  竹が折れたな。
お妙  さつきからたび/\折れるやうでございます。
  ()
お妙  ほんにさうでございます。これからすぐに行つてまゐりませう。
  ()
お妙  はい、はい。
(お妙は財布を帶にはさみて起ち上り、奧より風呂敷を持ちて出づ。)
  
お妙  はい。氣をつけてまゐります。
(お妙は父の破れ傘を持ち、着物の褄をからげて、素足にて雪のなかを行きかゝる。)
鬼貫  これ、素足では冷たからう。穿きにくからうが、おれの足駄を穿いてゆけ。
お妙  (少し躊躇して。)何、すぐそこでございますから……。
鬼貫  すぐそこでも素足では堪るまい。構はずに穿いてゆけ。
お妙  では、拜借してまゐります。
()()姿
  ()
  ()()
()
お妙  (聲をふるはせる。)お父さま、どうなさるのでございます。
鬼貫  お妙、もう歸つたのか。
お妙  こんな刃物を持つて、お前はどうなさるのでございます。
鬼貫  譯はそこに書いてある。それを讀めば判ることだ。
  
鬼貫  叱つ、靜にしろ。
お妙  いゝえ、靜には出來ません。まあ、兎も角もその刃物をお渡しください。
(たがひに爭ふひまに、下の方より路通は再び出で來り、門口よりうかゞひゐる。お妙は一生懸命に父の手より刃物を奪ひとりて泣く。)
  ()()滿
  
  
  
鬼貫  馬鹿なことを……。お前を殺してどうなるものか。
  
鬼貫  奉公にゆく……。
  
  ()()()
  
鬼貫  むゝ。
(鬼貫は腑に落ちぬやうに考へながら、娘の顏をぢつと視る。お妙の眼からは涙が流れる。)
鬼貫  (俄に思ひ付いて。)あ、おまへは勤め奉公にでもゆく氣か。
お妙  はい。(父の膝に泣き伏す。)
  ()()鹿
  
鬼貫  何日いつそんなことを考へたのだ。
  
  ()()
お妙  お許しはございませんか。
  
お妙  それはよく判つて居りますけれども、わたくしはどうしてもお父樣を見殺しにすることは出來ません。
鬼貫  どうしても身賣をするといふのか。(詰めよる。)
お妙  (恐れるやうに。)では、わたくしは思ひ切つて身賣を止めませう。
鬼貫  むゝ、止めるか。それが當りまへだ。
お妙  その代りお父さまも……。死ぬのを止めて下さいまし。
(鬼貫は默つてゐる。)
お妙  もし、この通りでございます。(手をあはせる。)
(鬼貫は矢はり考へてゐる。)
お妙  これほどに申しても聽いてくださらなければ、お父樣よりも先に、わたくしがいつそ死んでしまひます。
(お妙はそこにある脇差を取りて、縁先へ走り出る。鬼貫はおどろいて押へる。)
鬼貫  これ、飛んでもないことをするな。
お妙  いゝえ、死なせて下さいまし。
鬼貫  はて、判らない奴だ。
(二人はたがひに爭ふところへ、路通は枝折戸より入り來りて聲をかける。)
路通  あ、待つてくれ、待つてくれ。
(鬼貫とお炒はおどろいて見かへる。)
  
路通  (笑ふ。)さつき來た物貰ひだよ。
鬼貫  物貰ひ……。
(路通は頬冠りを取る。)
鬼貫  (透して視る。)や、路通か。
路通  久振りだな。
鬼貫  まつたく久振りだ。
路通  その久振りのお客樣が來たのだ。まあ、おちついて話さうではないか。
()()
  
お妙  むさ苦しうございますが、どうぞお通り下さいまし。
  
(お妙は立寄つて路通の菰をぬがせ、その雪を拂つて遣る。)
  宿
(傘と包みとを拾ひて縁に置く。お妙は會釋して受取る。)
鬼貫  (お妙に。)米を買つて來たのか。
お妙  はい。
鬼貫  丁度よい。青菜の粥でも焚いて、お客さまに御馳走しろよ。
お妙  はい、はい。
路通  それは何よりありがたい。久振りで御馳走にならうかな。
お妙  唯今すぐに支度を致します。(包みを持ちて奧に入る。)
(鬼貫は茶碗に湯を汲んで來て、路通のまへに置く。)
鬼貫  郡山で別れて以來だから、もう足かけ六年になる。そのあとはどうした。
路通  この通りだ。はゝゝゝゝゝ。
鬼貫  再び昔の姿になつたか。
  姿()()()宿
  
  
鬼貫  (感心したやうに。)さうかも知れない。
路通  おまへは斯うして湯をくれたが、おれは滅多にこんなものを飮んだことはない。喉が渇けばすぐにこれだ。
(路通は庭の雪を手に掬つて飮む。)
鬼貫  腹の減ることはないか。
  ()()
鬼貫  それはお前と知らなかつたからだ。堪忍してくれ。
  
鬼貫  無分別と云はれても仕方がない。おれはもう切端詰つたのだ。
  ()
鬼貫  (少しく激して。)おれは自分の娘を賣つても生きてゐようとは思はないのだ。
  
鬼貫  おまへも察してくれるか。
  
  
路通  あるから教へて遣らうといふのだ。一體おまへたち親子が死ぬるとか生きるとか騷いでゐるのも、つまりは食へないからのことだらう。
  
  滿()()()滿
  耀
路通  それには斯うするのだ。よく見ろ。
(路通は庭の雪の上に指にて書く。鬼貫は行燈を持ち出して、縁の上から覗く。)
  鹿
路通  (平氣で。)それが惡いか。
  
路通  (再び縁に腰をかける。)なにをそんなに怒るのだ。
鬼貫  えゝ、なんでもいゝから早く出て行け。さあ、出てゆけ。
(鬼貫は路通の腕をつかんで、縁より引卸ひきおろさうとする。)
路通  まあ、待つてくれ、待つてくれ。
(鬼貫は縁より下りて路通を引出さうとする。路通は雪のなかに倒れる。)
鬼貫  早くゆけ。宿無しの乞食野郎め。
(菰を取つて路通に投げつける。路通は頭から菰をすつぽりと被せられて倒れながらに高く笑ふ。)
  鹿
鬼貫  なんだ。(縁にある傘を把つて振りあげる。)
  
  
  
鬼貫  それは俺も知つてゐる。
  
鬼貫  たとひ幾らにならうとも、人の僞筆をかいて金儲けをする。そんな曲つたことが出來ると思ふか。
路通  それではおまへはやつぱり飢死をする積りか。それとも可愛い娘を賣るつもりか。
(鬼貫は默つてゐる。)
路通  それともむざ/\娘を殺して、おまへも一緒に死ぬ積りか。
(鬼貫は矢はり默つてゐる。)
  
  
  宿
  
  ()()姿
鬼貫  おれはあんまり好きではないが、江戸の其角はまつたく器用だな。
路通  些と小細工をするが、彼奴なか/\うまいことを云ふよ。
鬼貫  (釣り込まれて起つ。)おまへは此頃一句もないのか。
  ()
鬼貫  なんといふ句だ。(縁を降りる。)
路通  「隱れや寢覺めさらりと笹の霜」
  
路通  やつぱり長柄の堤で出來たのか。して、その句は……。
鬼貫  「川越えて赤き足ゆく枯柳」
  
鬼貫  面白いか。
  
鬼貫  死にたくないな。
  
鬼貫  もう歸るか。(これも起ち上る。)
路通  好鹽梅に雪も止んで、薄月が出たやうだ。
鬼貫  おれは一圖に怒つたが、彼奴はやつぱり好いことを教へてくれたのかしら。
(鬼貫はぢつと考へてゐる。ばさ/\と雪の落ちる音して、竹藪の撓みし竹は雪をはね返して立つ。)
鬼貫  (見かへる。)おれも生きることを考へなければならないなあ。
(奧よりお妙出づ。)
お妙  (そこらを見て。)おや、お客樣は……。
鬼貫  お客はもう歸つた。
お妙  お粥がやうやく出來ましたのに、もうお歸りになりましたか。
  
お妙  はい、はい。
(お妙はすぐ庭に降りて行きかゝる。)
  
お妙  お話のこと……。
  
お妙  (不安らしく。)お父さま。
鬼貫  いゝから早く行つて來い。
お妙  はい、はい。

――幕――






  
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   2008202217

   19211010

noriko saito
2010531

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