美代子さんは綺麗な可愛らしい児でしたが、ひとの口真似をするので皆から嫌われていました。
或る日の事、美代子さんはお家うちの前でたった一人で羽は子ねをついていますと、一人の支那人が反物を担いで遣って来て、美代子さんのお家うちの門口で、
﹁奥さん、旦那さん、反物入いりまションか﹂
と言いました。美代子さんはカチリカチリと羽子をつきながら、
﹁入りまショんよ﹂
と云いました。
支那人はニヤニヤ笑って美代子さんを見ておりましたが又、
﹁けんとんけんちゅう︵支那の織物の名︶入りまションか﹂
と云いました。
﹁てんどんけんちん入りまションよ﹂
と美代子さんは矢や張はり羽は子ねをつきながら、又口真似をしました。
支那人はこの時大変こわい顔をしましたが、何も知らずに羽子をついている美代子さんのすぐうしろに来て、小さな金きん襴らんの巾きん着ちゃくをポケットから出してその口を拡げながら、
﹁オーチンパイパイ﹂
と云いました。美代子さんは矢張り何気なく羽子をつきながら口真似をしました。
﹁オーチンパイパイ﹂
﹁ハッ﹂
と支那人が大きなかけ声をしますと、美代子さんは羽子と羽子板ごと影も形も見えなくなってしまいました。
支那人は又ニヤリと笑ってあたりを見まわしましたが、そのまま巾着の口を閉じて懐中へしまって、反物を担いで今度は隣とな家りの門口へ行って知らぬ顔で、
﹁けんとんけんちゅう入りまションか﹂
と呼びました。
美代子さんのおうちの玄関で勉強をしていたお兄さんの春夫さんは、支那人が妙なかけ声をすると一いち時どきに羽子板の音が聞こえなくなりましたので、変に思って障子を開けて見ますとコハ如い何かに、たった今までいた美代子さんが影も形も見えません。いよいよ変に思って表へ駆け出して見ると、お天気の良い往来に人通りも無く、二三軒先で支那人が、
﹁反物入りまションか﹂
と云っているだけです。
春夫さんはあの支那人が誘かど拐わかしたに違いないと思いました。
どこに美代子さんを隠したのだろうと思いながら、見えかくれにあとからついて行きますと、支那人は二三軒門口から呼び歩きましたが、間もなく真直ぐに街を出てだんだん賑にぎやかな処へ来ました。そうしてこの街で一番繁華な狭い通りへ来ると、そこの暗い横露地へズンズン曲り込んで、黒い掃はき溜だめの横にある小さな入口へ腰をかがめて這入ると、アトをピシャンと閉めてしまいました。
春夫さんは、この支那人が美代子さんを誘かど拐わかしているのじゃないのか知らんと思って、あたりを見まわしましたが、念のため横にある黒い箱にのぼって、その上にある小窓からガラス越しに中をのぞいて見ると、中は真っ暗で何も見えません。只直すぐ眼の前に大きな階段が見えるだけです。そうしてその上の方から聞こえるか聞こえぬ位、かすかに女の子の泣き声が聞えて来るようです。
春夫さんは試しに窓を押して見ると、都合よくスッと開あきました。占めたと思って、そこから機械体操の尻上りを応用して梯はし子ごだ段んの上に出て、あとの硝ガラ子ス窓をソッと閉めました。すると疑いもない女の児の泣き声が、上の方から今度ははっきり聞えて来るではありませんか。
春夫さんは胸を躍らせながら、足音を忍ばせて真暗な梯子段を声のする方へ近寄りました。その突当りの真暗な廊下に一つの扉があります。声はその中から聞えて来るようです。
春夫さんはその扉の鍵穴にそっと眼をつけて見ましたが、思わず声を立てるところでした。
中には、青い洋燈が真昼のように点ともれている下に、大きな大理石の机があります。その前に最前の支那人が汚いシャツ一枚になって腕まくりをして、巾着の口を開いて中をのぞきながら、
﹁メーチュンライライ﹂
と云いますと、一人の女の児が見事な洋服を来たままヒョイと机の上に飛び出しました。
女の児は机の上に立つと、暫くは眩まぶしそうにキョロキョロあたりを見まわしておりましたが、支那人の顔を見ると、かどわかされた事に気が付いたと見えて、ワッとばかりに泣き出しました。
支那人はニヤニヤ笑って巾着の口を閉じながら、
﹁お嬢さん。あなた、私の口真似をしたでしョ。だから私が罰をするのです。さあ、あなたの持っていらっしゃるものを皆下さい。着物も帽子も靴もお金も﹂
と云ううちに、女の児を捕えて下着一枚にしてしまいました。そうして巾着の口を開きながらこう云いました。
﹁さあお嬢さん、私の口真似をなさい。そうすれば命だけは助けて上げます。オーチンパイパイ﹂
女の児が泣く泣く口真似をすると思うと、見る間に巾着の中に消え込みました。
﹁メーチュンライライ﹂
と、支那人はまた一人女の児を呼び出しました。
こうして支那人は次から次へと女の児の着物を剥はいで行きましたが、その度に﹁口真似をした罰だ﹂と云い聞かせました。
春夫さんは、今にも美代子が出て来るか出て来るかと待ちましたが、巾着の中の女の児の数が多いと見えてなかなか出て来ません。その中うちに机の上は女の児の洋服や和服で山のようになりました。
支那人は、その山を見ながらさもうれしそうにニコニコしておりましたが、やがて長い長い煙きせ管るを出して煙草を吸おうとしましたが、燐マッ寸チがないのに気が付いて、鍵で扉を開けて廊下へ出て、梯子段を駆け降りて行きました。
急いで物蔭に隠れた春夫さんは、その間に中に飛び込むと、金襴の巾着を掴むが早いか梯子段を駆け降りて、窓から露地に飛び降りました。
それと同時に、
﹁アッ、泥棒﹂
と言う支那人の声がうしろから聞こえました。
春夫さんは一目散に繁華な往来を駆け出しました。そのあとから支那人が、
﹁泥棒、泥棒﹂
と叫びながら追っかけて来ました。往来の人々は何事だろうと驚きましたが、間もなく春夫さんは通りかかったお巡まわ査りさんに巾着ごと押えられてしまいました。
﹁その巾着返せ﹂
と追っかけて来た支那人が春夫さんに飛び付きましたが、春夫さんはしっかり両手で掴んで、
﹁嫌だ嫌だ。この支那人は人買いです。お巡査さん、捕つかまえて下さい﹂
と泣きわめいてどうしても離しませんでした。
ジロジロ二人の様子を見ていたお巡まわ査りさんは、
﹁一度調べねばならぬから二人とも警察に来い﹂
と云って、支那人も一緒に連れて行きました。
警察へ行くと、二人は警察の大広間で一人の警部さんに調べられました。春夫さんはその時に今迄の事をすっかり話して、
﹁この支那人は人買いの追い剥ぎです。うちの美代さんもこの中にいるのです﹂
と言って金襴の袋を出して見ました。鬚をひねって聞いていた警部さんはこれを聞くと笑い出して、
﹁フム、面白い話だ。どうだ支那人、その通りか﹂
と尋ねますと、支那人は手と頭を一時に振って、
﹁違います違います。この袋は私の大切な袋です。この小供はうそ云います。こんな小さい袋の中に女の子が大勢いる事ありません。嘘ならあけて御覧なさい﹂
﹁フム。おい、春夫とやら。その袋をあけて見ろ﹂
春夫さんが机の上に袋をあけると、中から青だの赤だの白だの紫だの金だの銀だの、数限り無い南京玉が机上一面にバラバラと散らばって床の上にこぼれました。
﹁これ欲しいからこの小供泥棒したのです。そうして嘘云うのです﹂
﹁どうだ、それに違いなかろう。貴様、今の中うちに本当の事を云えば許してやる﹂
と警部さんは怖こわい顔をして申しました。そうして支那人に、
﹁お前はもういい。その袋を持って帰れ﹂
と云いました。支那人は喜んでピョコピョコ頭を下げて、散らばった南京玉を拾い集めて巾着に入れかけました。
泣くにも泣かれぬ絶体絶命になった春夫さんは、この時思い切って高らかに叫びました。
﹁メーチュンライライ﹂
するとどうでしょう。数限りない南京玉が一つ残らず消えてしまうと一所に、警察の大広間には這入り切れぬ程大勢の女の児が机の上や床の上から一時に現われて、警部さんも巡査さんも春夫さんも支那人も身動き出来ぬ位になりました。その中に、
﹁アッ、お兄様﹂
と言って嬉し泣きに泣きながら春夫さんに縋すがり付いた女の児がありました。
﹁アッ、美代ちゃん﹂
と云うと、春夫さんも嬉し泣きに泣きました。
魔法使いの支那人はすぐに捕まりました。
春夫さんは許されて、美代子さんを連れて大喜びでおうちへ帰りました。
他の女の児は皆警察からお家うちへ知らして迎いに来てもらいました。
魔法の巾着は警察で焼いてしまいましたから、もう誘かど拐わかされるものは無くなりました。
美代子さんはそれから決してひとの口真似をしませんでした。他の女の児もきっとそうでしょう。