女めが神みの死し
一
世界ができたそもそものはじめ。まず天と地とができあがりますと、それといっしょにわれわれ日本人のいちばんご先祖の、天あめ御のみ中なか主ぬし神のかみとおっしゃる神さまが、天の上の高たか天まの原はらというところへお生まれになりました。そのつぎには高たか皇みむ産すび霊のか神み、神かみ産むす霊びの神かみのお二ふた方かたがお生まれになりました。 そのときには、天も地もまだしっかり固かたまりきらないで、両方とも、ただ油を浮うかしたように、とろとろになって、くらげのように、ふわりふわりと浮かんでおりました。その中へ、ちょうどあしの芽めがはえ出るように、二人の神さまがお生まれになりました。 それからまたお二人、そのつぎには男おが神み女めが神みとお二人ずつ、八人の神さまが、つぎつぎにお生まれになった後に、伊いざ弉なぎ諾のか神みと伊いざ弉なみ冉のか神みとおっしゃる男神女神がお生まれになりました。 天あめ御のみ中なか主ぬし神のかみはこのお二方の神さまをお召めしになって、 ﹁あの、ふわふわしている地を固めて、日本の国を作りあげよ﹂ とおっしゃって、りっぱな矛ほこを一ふりお授さずけになりました。 それでお二人は、さっそく、天あめの浮うき橋はしという、雲の中に浮かんでいる橋の上へお出ましになって、いただいた矛ほこでもって、下のとろとろしているところをかきまわして、さっとお引きあげになりますと、その矛の刃はさ先きについた潮しお水みずが、ぽたぽたと下へおちて、それが固かたまって一つの小さな島になりました。 お二人はその島へおりていらしって、そこへ御ごて殿んをたててお住まいになりました。そして、まずいちばんさきに淡あわ路じし島まをおこしらえになり、それから伊い予よ、讃さぬ岐き、阿あ波わ、土と佐さとつづいた四国の島と、そのつぎには隠お岐きの島、それから、そのじぶん筑つく紫しといった今の九州と、壱い岐き、対つし島ま、佐さ渡どの三つの島をお作りになりました。そして、いちばんしまいに、とかげの形をした、いちばん大きな本州をおこしらえになって、それに大おお日やま本とと豊よあ秋きつ津し島まというお名まえをおつけになりました。 これで、淡路の島からかぞえて、すっかりで八つの島ができました。ですからいちばんはじめには、日本のことを、大おお八やし島まぐ国にと呼よび、またの名を豊とよ葦あし原はら水のみ穂ずほ国のくにとも称となえていました。 こうして、いよいよ国ができあがったので、お二人は、こんどはおおぜいの神さまをお生みになりました。それといっしょに、風の神や、海の神や、山の神や、野の神、川の神、火の神をもお生みになりました。ところがおいたわしいことには、伊いざ弉なみ冉のか神みは、そのおしまいの火の神をお生みになるときに、おからだにおやけどをなすって、そのためにとうとうおかくれになりました。 伊いざ弉なぎ諾のか神みは、 ﹁ああ、わが妻の神よ、あの一人の子ゆえに、大事なおまえをなくするとは﹂とおっしゃって、それはそれはたいそうお嘆なげきになりました。そして、お涙なみだのうちに、やっと、女神のおなきがらを、出いず雲もの国と伯ほう耆きの国とのさかいにある比ひ婆ばの山にお葬ほうむりになりました。 女神は、そこから、黄よ泉みの国という、死んだ人の行くまっくらな国へたっておしまいになりました。 伊いざ弉なぎ諾のか神みは、そのあとで、さっそく十とつ拳かの剣つるぎという長い剣を引きぬいて、女神の災わざわいのもとになった火の神を、一うちに斬きり殺してしまいになりました。 しかし、神のおくやしみは、そんなことではお癒いえになるはずもありませんでした。神は、どうかしてもう一度、女神に会いたくおぼしめして、とうとうそのあとを追って、まっくらな黄よ泉みの国までお出かけになりました。二
女めが神みはむろん、もうとっくに、黄よ泉みの神の御ごて殿んに着いていらっしゃいました。 すると、そこへ、夫の神が、はるばるたずねておいでになったので、女神は急いで戸口へお出迎えになりました。 伊いざ弉なぎ諾のか神みは、まっくらな中から、女神をお呼よびかけになって、 ﹁いとしきわが妻の女神よ。おまえといっしょに作る国が、まだできあがらないでいる。どうぞもう一度帰ってくれ﹂とおっしゃいました。すると女神は、残念そうに、 ﹁それならば、もっと早く迎えにいらしってくださいませばよいものを。私はもはや、この国のけがれた火で炊たいたものを食べましたから、もう二度とあちらへ帰ることはできますまい。しかし、せっかくおいでくださいましたのですから、ともかくいちおう黄よ泉みの神たちに相談をしてみましょう。どうぞその間は、どんなことがありましても、けっして私の姿すがたをご覧らんにならないでくださいましな。後ごし生ょうでございますから﹂と、女神はかたくそう申しあげておいて、御ごて殿んの奥おくへおはいりになりました。 伊いざ弉なぎ諾のか神みは永ながい間戸口にじっと待っていらっしゃいました。しかし、女神は、それなり、いつまでたっても出ていらっしゃいません。伊いざ弉なぎ諾のか神みはしまいには、もう待ちどおしくてたまらなくなって、とうとう、左のびんのくしをおぬきになり、その片かたはしの、大おお歯はを一本欠かき取って、それへ火をともして、わずかにやみの中をてらしながら、足さぐりに、御殿の中深くはいっておいでになりました。 そうすると、御殿のいちばん奥に、女神は寝ていらっしゃいました。そのお姿をあかりでご覧になりますと、おからだじゅうは、もうすっかりべとべとに腐くさりくずれていて、臭くさい臭いいやなにおいが、ぷんぷん鼻へきました。そして、そのべとべとに腐ったからだじゅうには、うじがうようよとたかっておりました。それから、頭と、胸と、お腹なかと、両ももと、両手両足のところには、そのけがれから生まれた雷らい神じんが一人ずつ、すべてで八人で、怖おそろしい顔をしてうずくまっておりました。 伊いざ弉なぎ諾のか神みは、そのありさまをご覧になると、びっくりなすって、怖ろしさのあまりに、急いで遁にげ出しておしまいになりました。 女神はむっくりと起きあがって、 ﹁おや、あれほどお止め申しておいたのに、とうとう私のこの姿すがたをご覧になりましたね。まあ、なんという憎にくいお方かたでしょう。人にひどい恥はじをおかかせになった。ああ、くやしい﹂と、それはそれはひどくお怒りになって、さっそく女の悪わる鬼おにたちを呼よんで、 ﹁さあ、早く、あの神をつかまえておいで﹂と歯がみをしながらお言いつけになりました。 女の悪鬼たちは、 ﹁おのれ、待て﹂と言いながら、どんどん追っかけて行きました。 伊いざ弉なぎ諾のか神みは、その鬼どもにつかまってはたいへんだとおぼしめして、走りながら髪かみの飾かざりにさしてある黒いかつらの葉を抜ぬき取っては、どんどんうしろへお投げつけになりました。 そうすると、見る見るうちに、そのかつらの葉の落ちたところへ、ぶどうの実がふさふさとなりました。女鬼どもは、いきなりそのぶどうを取って食べはじめました。 神はその間に、いっしょうけんめいにかけだして、やっと少しばかり遁にげのびたとお思いになりますと、女鬼どもは、まもなく、またじきうしろまで追いつめて来ました。 神は、 ﹁おや、これはいけない﹂とお思いになって、こんどは、右のびんのくしをぬいて、その歯をひっ欠いては投げつけ、ひっ欠いては投げつけなさいました。そうすると、そのくしの歯が片かたはしからたけのこになってゆきました。 女おん鬼なおにたちは、そのたけのこを見ると、またさっそく引き抜いて、もぐもぐ食べだしました。 伊いざ弉なぎ諾のか神みは、そのすきをねらって、こんどこそは、だいぶ向こうまでお遁にげになりました。そしてもうこれならだいじょうぶだろうとおぼしめして、ひょいとうしろをふりむいてご覧になりますと、意外にも、こんどはさっきの女神のまわりにいた八人の雷らい人じんどもが、千五百人の鬼の軍勢をひきつれて、死にものぐるいでおっかけて来るではありませんか。 神はそれをご覧になると、あわてて十とつ拳かの剣つるぎを抜きはなして、それでもってうしろをぐんぐん切りまわしながら、それこそいっしょうけんめいにお遁げになりました。そして、ようよう、この世界と黄よ泉みの国との境さかいになっている、黄よも泉つひ比ら良ざ坂かという坂の下まで遁げのびていらっしゃいました。三
すると、その坂の下には、ももの木が一本ありました。 神はそのももの実を三つ取って、鬼どもが近づいて来るのを待ち受けていらしって、その三つのももを力いっぱいお投げつけになりました。そうすると、雷神たちはびっくりして、みんなちりぢりばらばらに遁にげてしまいました。 神はそのももに向かって、 ﹁おまえは、これから先も、日本じゅうの者がだれでも苦しい目に会っているときには、今わしを助けてくれたとおりに、みんな助けてやってくれ﹂とおっしゃって、わざわざ大おお神かん実つみ命のみことというお名まえをおやりになりました。 そこへ、女神は、とうとうじれったくおぼしめして、こんどはご自分で追っかけていらっしゃいました。神はそれをご覧になると、急いでそこにあった大きな大岩をひっかかえていらしって、それを押おしつけて、坂の口をふさいでおしまいになりました。 女神は、その岩にさえぎられて、それより先へは一足も踏ふみ出すことができないものですから、恨うらめしそうに岩をにらみつけながら、 ﹁わが夫の神よ、それではこのしかえしに、日本じゅうの人を一日に千人ずつ絞しめ殺してゆきますから、そう思っていらっしゃいまし﹂とおっしゃいました。神は、 ﹁わが妻の神よ、おまえがそんなひどいことをするなら、わしは日本じゅうに一日に千五百人の子供を生ませるから、いっこうかまわない﹂とおっしゃって、そのまま、どんどんこちらへお帰りになりました。 神は、 ﹁ああ、きたないところへ行った。急いでからだを洗ってけがれを払はらおう﹂とおっしゃって、日ひゅ向うがの国の阿あわ波き岐は原らというところへお出かけになりました。 そこにはきれいな川が流れていました。 神はその川の岸へつえをお投げすてになり、それからお帯やお下ばかまや、お上うわ衣ぎや、お冠かんむりや、右左のお腕うでにはまった腕うで輪わなどを、すっかりお取りはずしになりました。そうすると、それだけの物を一つ一つお取りになるたんびに、ひょいひょいと一人ずつ、すべてで十二人の神さまがお生まれになりました。 神は、川の流れをご覧になりながら、 上かみの瀬せは瀬が早い、 下しもの瀬は瀬が弱い。 とおっしゃって、ちょうどいいころあいの、中ほどの瀬におおりになり、水をかぶって、おからだじゅうをお洗いになりました。すると、おからだについたけがれのために、二人の禍わざわいの神が生まれました。それで伊いざ弉なぎ諾のか神みは、その神がつくりだす禍をおとりになるために、こんどは三人のよい神さまをお生みになりました。 それから水の底へもぐって、おからだをお清めになるときに、また二人の神さまがお生まれになり、そのつぎに、水の中にこごんでお洗いになるときにもお二人、それから水の上へ出ておすすぎになるときにもお二人の神さまがお生まれになりました。そしてしまいに、左の目をお洗いになると、それといっしょに、それはそれは美しい、貴とうとい女めが神みがお生まれになりました。 伊いざ弉なぎ諾のか神みは、この女神さまに天あま照てら大すお神おかみというお名前をおつけになりました。そのつぎに右のお目をお洗いになりますと、月つき読よみ命のみことという神さまがお生まれになり、いちばんしまいにお鼻をお洗いになるときに、建たけ速はや須すさ佐のお之のみ男こ命とという神さまがお生まれになりました。 伊いざ弉なぎ諾のか神みはこのお三さん方かたをご覧になって、 ﹁わしもこれまでいくたりも子供を生んだが、とうとうしまいに、一等よい子供を生んだ﹂と、それはそれは大喜びををなさいまして、さっそく玉の首くび飾かざりをおはずしになって、それをさらさらとゆり鳴らしながら、天あま照てら大すお神おかみにおあげになりました。そして、 ﹁おまえは天へのぼって高たか天まの原はらを治めよ﹂とおっしゃいました。それから月つき読よみ命のみことには、 ﹁おまえは夜の国を治めよ﹂とお言いつけになり、三ばんめの須すさ佐のお之のみ男こ命とには、 ﹁おまえは大おお海うみの上を治めよ﹂とお言いわたしになりました。 ﹇#改ページ﹈天あめの岩いわ屋や
一
天あま照てら大すお神おかみと、二番目の弟さまの月つき読よみ命のみこととは、おとうさまのご命令に従って、それぞれ大空と夜の国とをお治めになりました。 ところが末のお子さまの須すさ佐のお之のみ男こ命とだけは、おとうさまのお言いつけをお聞きにならないで、いつまでたっても大おお海うみを治めようとなさらないばかりか、りっぱな長いおひげが胸むねの上までたれさがるほどの、大きなおとなにおなりになっても、やっぱり、赤んぼうのように、絶えまもなくわんわんわんわんお泣なき狂いになって、どうにもこうにも手のつけようがありませんでした。そのひどいお泣き方といったら、それこそ、青い山々の草木も、やかましい泣き声で泣き枯からされてしまい、川や海の水も、その火のつくような泣き声のために、すっかり干ひあがったほどでした。 すると、いろんな悪い神々たちが、そのさわぎにつけこんで、わいわいとうるさくさわぎまわりました。そのおかげで、地の上にはありとあらゆる災わざわいが一どきに起こってきました。 伊いざ弉なぎ諾のみ命ことは、それをご覧らんになると、びっくりなすって、さっそく須すさ佐のお之のみ男こ命とをお呼よびになって、 ﹁いったい、おまえは、わしの言うことも聞かないで、何をそんなに泣き狂ってばかりいるのか﹂ときびしくおとがめになりました。 すると須すさ佐のお之のみ男こ命とはむきになって、 ﹁私わたしはおかあさまのおそばへ行きたいから泣なくのです﹂とおっしゃいました。 伊いざ弉なぎ諾のみ命ことはそれをお聞きになると、たいそうお腹はら立だちになって、 ﹁そんなかってな子は、この国へおくわけにゆかない。どこへなりと出て行け﹂とおっしゃいました。﹇#﹁とおっしゃいました。﹂は底本では﹁とおっしゃいました﹂﹂﹈ 命みことは平気で、 ﹁それでは、お姉上さまにおいとま乞ごいをしてこよう﹂とおっしゃりながら、そのまま大空の上の、高たか天まの原はらをめざして、どんどんのぼっていらっしゃいました。 すると、力の強い、大男の命みことですから、力いっぱいずしんずしんと乱らん暴ぼうにお歩きになると、山も川もめりめりとゆるぎだし、世界じゅうがみしみしと震ふるい動きました。 天あま照てら大すお神おかみは、その響ひびきにびっくりなすって、 ﹁弟があんな勢いでのぼって来るのは、必ずただごとではない。きっと私わたしの国を奪うばい取ろうと思って出て来たに相そう違いない﹂ こうおっしゃって、さっそく、お身じたくをなさいました。女神はまず急いで髪かみをといて、男まげにおゆいになり、両方のびんと両方の腕うでとに、八やさ尺かの曲まが玉たまというりっぱな玉の飾かざりをおつけになりました。そして、お背中には、五百本、千本というたいそうな矢をお負おいになり、右手に弓を取ってお突きたてになりながら、勢いこんで足を踏ふみならして待ちかまえていらっしゃいました。そのきついお力ぶみで、お庭の堅かたい土が、まるで粉こな雪ゆきのようにもうもうと飛びちりました。二
まもなく須すさ佐のお之のみ男こ命とは大空へお着きになりました。 女神はそのお姿すがたをご覧らんになると、声を張りあげて、 ﹁命みこと、そちは何をしに来た﹂と、いきなりおしかりつけになりました。すると命は、 ﹁いえ、私はけっして悪いことをしにまいったのではございません。おとうさまが、私の泣いているのをご覧らんになって、なぜ泣くかとおとがめになったので、お母上のいらっしゃるところへ行きたいからですと申しあげると、たいそうお怒おこりになって、いきなり、出て行ってしまえとおっしゃるので、あなたにお別れをしにまいったのです﹂とお言いわけをなさいました。 でも女神はすぐにはご信用にならないで、 ﹁それではおまえに悪い心のない証しょ拠うこを見せよ﹂とおっしゃいました。命みことは、 ﹁ではお互たが﹇#ルビの﹁たが﹂は底本では﹁たがい﹂﹈いに子を生んであかしを立てましょう。生まれた子によって、二人の心のよしあしがわかります﹂とおっしゃいました。 そこでごきょうだいは、天あめ安のや河すのかわという河かわの両方の岸に分かれてお立ちになりました。そしてまず女めが神みが、いちばん先に、命みことの十とつ拳かの剣つるぎをお取りになって、それを三つに折って、天あめ真のま名な井いという井戸で洗って、がりがりとおかみになり、ふっと霧きりをお吹きになりますと、そのお息の中から、三人の女神がお生まれになりました。 そのつぎには命みことが、女神の左のびんにおかけになっている、八やさ尺かの曲まが玉たまの飾かざりをいただいて、玉の音をからからいわせながら、天あめ真のま名な井いという井戸で洗いすすいで、それをがりがりかんで霧をお吹き出しになりますと、それといっしょに一人の男の神さまがお生まれになりました。その神さまが、天あめ忍のお穂しほ耳みみ命のみことです。 それからつぎには、女神の右のびんの玉たま飾かざりをお取りになって、先せんと同じようにして息をお吹きになりますと、その中からまた男の神が一人お生まれになりました。 つづいてこんどは、おかずらの玉飾りを受け取って、やはり真ま名な井いで洗って、がりがりかんで息をお吹きになりますと、その中から、また男の神が一人お生まれになり、いちばんしまいに、女神の右と左のお腕うでの玉飾りをかんで、息をお吹きになりますと、そのたんびに、同じ男神が一人ずつ――これですべてで五人の男神がお生まれになりました。 天あま照てら大すお神おかみは、 ﹁はじめに生まれた三人の女神は、おまえの剣つるぎからできたのだから、おまえの子だ。あとの五人の男神は私わたしの玉飾りからできたのだから、私の子だ﹂とおっしゃいました。 命は、 ﹁そうら、私が勝った。私になんの悪あく心しんもない印しるしには、私の子は、みんなおとなしい女神ではありませんか。どうです、それでも私は悪人ですか﹂と、それはそれは大いばりにおいばりになりました。そして、その勢いに乗ってお暴あばれだしになって、女神がお作らせになっている田の畔あぜをこわしたり、みぞを埋うめたり、しまいには女神がお初はつ穂ほを召めしあがる御ごて殿んへ、うんこをひりちらすというような、ひどい乱らん暴ぼうをなさいました。 ほかの神々は、それを見てあきれてしまって、女神に言いつけにまいりました。 しかし女神はちっともお怒おこりにならないで、 ﹁何、ほっておけ。けっして悪い気でするのではない。きたないものは、酔よったまぎれに吐はいたのであろう。畔あぜやみぞをこわしたのは、せっかくの地面を、そんなみぞなぞにしておくのが惜おしいからであろう﹂ こうおっしゃって、かえって命みことをかばっておあげになりました。 すると命は、ますます図ずに乗って、しまいには、女たちが女神のお召めし物ものを織っている、機はた織おり場ばの屋根を破って、その穴あなから、ぶちのうまの皮をはいで、血まぶれにしたのを、どしんと投げこんだりなさいました。機はた織おり女おんなは、びっくりして遁にげ惑まどうはずみに、おさで下した腹はらを突ついて死んでしまいました。 女神は、命のあまりの乱暴さにとうとういたたまれなくおなりになって、天あめの岩いわ屋やという石いし室むろの中へお隠かくれになりました。そして入口の岩の戸をぴっしりとおしめになったきり、そのままひきこもっていらっしゃいました。 すると女神は日の神さまでいらっしゃるので、そのお方がお姿すがたをお隠かくしになるといっしょに、高たか天まの原はらも下界の地の上も、一度にみんなまっ暗くらがりになって、それこそ、昼と夜との区別もない、長い長いやみの世界になってしまいました。 そうすると、いろいろの悪い神たちが、その暗がりにつけこんで、わいわいとさわぎだしました。そのために、世界じゅうにはありとあらゆる禍わざわいが、一度にわきあがって来ました。 そんなわけで、大空の神々たちは、たいそうお困こまりになりまして、みんなで安やす河のか原わらという、空の上の河かわ原らに集まって、どうかして、天照大神に岩屋からお出ましになっていただく方法はあるまいかといっしょうけんめいに、相談をなさいました。 そうすると、思おも金いか神ねのかみという、いちばんかしこい神さまが、いいことをお考えつきになりました。 みんなはその神のさしずで、さっそく、にわとりをどっさり集めて来て、岩屋の前で、ひっきりなしに鳴かせました。 それから一方では、安やす河のかわの河上から固かたい岩をはこんで来て、それを鉄てつ床どこ﹇#ルビの﹁てつどこ﹂はママ﹈にして、八や咫たの鏡かがみというりっぱな鏡を作らせ、八やさ尺かの曲まが玉たまというりっぱな玉で胸むな飾かざりを作らせました。そして、天あめ香のか具ぐや山まという山からさかきを根抜ぬきにして来て、その上の方の枝えだへ、八やさ尺かの曲まが玉たまをつけ、中ほどの枝へ八や咫たの鏡かがみをかけ、下の枝へは、白や青のきれをつりさげました。そしてある一人の神さまが、そのさかきを持って天の岩屋に立ち、ほかの一人の神さまが、そのそばでのりとをあげました。 それからやはり岩屋の前へ、あきだるを伏ふせて、天あめ宇のう受ずめ女のみ命ことという女神に、天あめ香のか具ぐや山まのかつらのつるをたすきにかけさせ、かつらの葉を髪かみ飾かざりにさせて、そのおけの上へあがって踊りを踊らせました。 宇うず受めの女みこ命とは、お乳ちちもお腹なかも、もももまるだしにして、足をとんとん踏ふみならしながら、まるでつきものでもしたように、くるくるくるくると踊おどり狂くるいました。 するとそのようすがいかにもおかしいので、何千人という神たちが、一度にどっとふきだして、みんなでころがりまわって笑いました。そこへにわとりは声をそろえて、コッケコー、コッケコーと鳴きたてるので、そのさわぎといったら、まったく耳もつぶれるほどでした。 天照大神は、そのたいそうなさわぎの声をお聞きになると、何ごとが起こったのかとおぼしめして、岩屋の戸を細めにあけて、そっとのぞいてご覧らんになりました。そして宇うず受めの女みこ命とに向かって、 ﹁これこれ私わたしがここに、隠れていれば、空の上もまっくらなはずだのに、おまえはなにをおもしろがって踊っているのか。ほかの神々たちも、なんであんなに笑いくずれているのか﹂とおたずねになりました。 すると宇受女命は、 ﹁それは、あなたよりも、もっと貴とうとい神さまが出ていらっしゃいましたので、みんなが喜んでさわいでおりますのでございます﹂と申しあげました。 それと同時に一人の神さまは、例の、八や咫たの鏡かがみをつけたさかきを、ふいに大神の前へ突き出しました。鏡には、さっと、大神のお顔がうつりました。大神はそのうつった顔をご覧になると、 ﹁おや、これはだれであろう﹂とおっしゃりながら、もっとよく見ようとおぼしめして、少しばかり戸の外へお出ましになりました。 すると、さっきから、岩屋のそばに隠かくれて待ちかまえていた、手たぢ力から男おの命みことという大力の神さまが、いきなり、女神のお手を取って、すっかり外へお引き出し申しました。それといっしょに、一人の神さまは、女神のおうしろへまわって、 ﹁どうぞ、もうこれからうちへはおはいりくださいませんように﹂と申しあげて、そこへしめなわを張りわたしてしまいました。 それで世界じゅうは、やっと長い夜があけて、再び明るい昼が来ました。 神々たちは、それでようやく安心なさいました。そこでさっそく、みんなで相談して、須すさ佐のお之のみ男こ命とには、あんなひどい乱らん暴ぼうをなすった罰ばつとして、ご身代をすっかりさし出させ、そのうえに、りっぱなおひげも切りとり、手足の爪つめまではぎとって、下界へ追いくだしてしまいました。 そのとき須すさ佐のお之のみ男こ命とは、大おお気けつ都ひめ比のみ売こ命とという女神に、何か物を食べさせよとおおせになりました。大おお気けつ都ひめ比のみ売こ命とは、おことばに従って、さっそく、鼻の穴あなや口の中からいろいろの食べものを出して、それをいろいろにお料理してさしあげました。 すると須すさ佐のお之のみ男こ命とは大おお気けつ都ひめ比のみ売こ命とのすることを見ていらしって、 ﹁こら、そんな、お前の口や鼻から出したものがおれに食えるか。無礼なやつだ﹂と、たいそうお腹はら立だちになって、いきなり剣を抜ぬいて、大おお気けつ都ひめ比のみ売こ命とを一うちに切り殺しておしまいになりました。 そうすると、その死がいの頭から、かいこが生まれ、両方の目にいねがなり、二つの耳にあわがなりました。それから鼻にはあずきがなり、おなかに、むぎとだいずがなりました。 それを神かみ産むす霊びの神かみがお取り集めになって、日本じゅうの穀こく物もつの種になさいました。 須すさ佐のお之のみ男こ命とは、そのまま下界へおりておいでになりました。 ﹇#改ページ﹈八やま俣たの大おろ蛇ち
一
須すさ佐のお之のみ男こ命とは、大空から追いおろされて、出いず雲もの国の、肥ひの河かわの河かわ上かみの、鳥とり髪かみというところへおくだりになりました。 すると、その河かわの中にはしが流れて来ました。命みことは、それをご覧らんになって、 ﹁では、この河の上の方には人が住んでいるな﹂とお察しになり、さっそくそちらの方へ向かって探さがし探しおいでになりました。そうすると、あるおじいさんとおばあさんとが、まん中に一人の娘むすめをすわらせて三人でおんおん泣ないておりました。 命は、おまえたちは何者かとおたずねになりました。 おじいさんは、 ﹁私は、この国の大おお山やま津つ見みと申します神の子で、足あし名なず椎ちと申します者でございます。妻の名は手てな名ず椎ち、この娘の名は櫛くし名なだ田ひ媛めと申します﹂とお答えいたしました。 命は、 ﹁それで三人ともどうして泣いているのか﹂と、かさねてお聞きになりました。 おじいさんは涙をふいて、 ﹁私たち二人には、もとは八人の娘むすめがおりましたのでございますが、その娘たちを、八やま俣たの大おろ蛇ちと申します怖おそろしい大じゃが、毎年出てきて、一人ずつ食べて行ってしまいまして、とうとうこの子一人だけになりました。そういうこの子も、今にその大じゃが食べにまいりますのでございます﹂ こう言って、みんなが泣いているわけをお話しいたしました。 ﹁いったいその大じゃはどんな形をしている﹂と、命みことはお聞きになりました。 ﹁その大じゃと申しますのは、からだは一つでございますが、頭と尾おは八つにわかれておりまして、その八つの頭には、赤ほおずきのようなまっかな目が、燃えるように光っております。それからからだじゅうには、こけや、ひのきやすぎの木などがはえ茂しげっております。そのからだのすっかりの長さが、八つの谷と八つの山のすそをとりまくほどの、大きな大きな大じゃでございます。その腹はらはいつも血にただれてまっかになっております﹂と怖ろしそうにお話しいたしました。命は、 ﹁ふん、よしよし﹂とおうなずきになりました。そして改めておじいさんに向かって、 ﹁その娘はおまえの子ならば、わしのお嫁よめにくれないか﹂とおっしゃいました。 ﹁おことばではございますが、あなたさまはどこのどなただか存じませんので﹂とおじいさんは危あやぶんで怖る怖るこう申しました。命は、 ﹁じつはおれは天あま照てら大すお神おかみの同じ腹はらの弟で、たった今、大空からおりて来たばかりだ﹂と、うちあけてお名まえをおっしゃいました。すると、足あし名なず椎ちも手てな名ず椎ちも、 ﹁さようでございますか。これはこれはおそれおおい。それでは、おおせのままさしあげますでございます﹂と、両手をついて申しあげました。 命は、櫛くし名なだ田ひ媛めをおもらいになると、たちまち媛をくしに化けさせておしまいになりました。そして、そのくしをすぐにご自分のびんの巻まき髪がみにおさしになって、足あし名なず椎ちと手てな名ず椎ちに向かっておっしゃいました。 ﹁おまえたちは、これからこめをかんで、よい酒をどっさり作れ。それから、ここへぐるりとかきをこしらえて、そのかきへ、八やところに門をあけよ。そしてその門のうちへ、一つずつさじきをこしらえて、そのさじきの上に、大おけを一つずつおいて、その中へ、二人でこしらえたよい酒を一ぱい入れて待っておれ﹂とお言いつけになりました。 二人は、おおせのとおりに、すっかり準備をととのえて、待っておりました。そのうちに、そろそろ大じゃの出て来る時間が近づいて来ました。 命は、それを聞いて、じっと待ちかまえていらっしゃいますと、まもなく、二人が言ったように、大きな大きな八やま俣たの大おろ蛇ちが、大きなまっかな目をぎらぎら光らして、のそのそと出て来ました。 大じゃは、目の前に八つの酒さかおけが並ならんでいるのを見ると、いきなり八つの頭を一つずつその中へつっこんで、そのたいそうなお酒を、がぶがぶがぶがぶとまたたくまに飲み干ほしてしまいました。そうするとまもなくからだじゅうによいがまわって、その場へ倒れたなり、ぐうぐう寝ねいってしまいました。 須すさ佐のお之のみ男こ命とは、そっとその寝ねい息きをうかがっていらっしゃいましたが、やがて、さあ今だとお思いになって、十とつ拳かの剣つるぎを引き抜ぬくが早いか、おのれ、おのれと、つづけさまにお切りつけになりました。そのうちに八つの尾おの中の、中ほどの尾をお切りつけになりますと、その尾の中に何か固かたい物があって、剣の刃はさ先きが、少しばかりほろりと欠けました。 命みことは、 ﹁おや、変だな﹂とおぼしめして、そのところを切り裂さいてご覧になりますと、中から、それはそれは刃の鋭い、りっぱな剣が出て来ました。命は、これはふしぎなものが手にはいったとお思いになりました。その剣はのちに天あま照てら大すお神おかみへご献けん上じょうになりました。 命はとうとう、大きな大きな大じゃの胴体をずたずたに切り刻きざんでおしまいになりました。そして、 ﹁足あし名なず椎ち、手てな名ず椎ち、来て見よ。このとおりだ﹂とお呼よびになりました。 二人はがたがたふるえながら出て来ますと、そこいら一面は、きれぎれになった大じゃの胴体から吹き出る血でいっぱいになっておりました。その血がどんどん肥ひの河かわへ流れこんで、河の水もまっかになって落ちて行きました。 命はそれから、櫛くし名なだ田ひ媛めとお二人で、そのまま出いず雲もの国にお住まいになるおつもりで、御ごて殿んをおたてになるところを、そちこちと、探さがしてお歩きになりました。そして、しまいに、須す加かというところまでおいでになると、 ﹁ああ、ここへ来たら、心持がせいせいしてきた。これはよいところだ﹂とおっしゃって、そこへ御殿をおたてになりました。そして、足あし名なず椎ちの神かみをそのお宮の役人の頭かしらになさいました。 命にはつぎつぎにお子さまお孫さまがどんどんおできになりました。その八代目のお孫さまのお子さまに、大おお国くに主ぬし神のかみ、またの名を大おお穴なむ牟ちの遅か神みとおっしゃるりっぱな神さまがお生まれになりました。 ﹇#改ページ﹈むかでの室むろ、へびの室むろ
一
この大おお国くに主ぬし神のかみには、八やそ十が神みといって、何十人というほどの、おおぜいのごきょうだいがおありになりました。 その八やそ十が神みたちは、因いな幡ばの国に、八やが上みひ媛めという美しい女の人がいると聞き、みんなてんでんに、自分のお嫁よめにもらおうと思って、一同でつれだって、はるばる因幡へ出かけて行きました。 みんなは、大国主神が、おとなしいかたなのをよいことにして、このかたをお供ともの代わりに使って、袋ふくろを背おわせてついて来させました。そして、因幡の気け多たという海岸まで来ますと、そこに毛のないあか裸はだかのうさぎが、地べたにころがって、苦しそうにからだじゅうで息をしておりました。 八やそ十が神みたちはそれを見ると、 ﹁おいうさぎよ。おまえからだに毛がはやしたければ、この海の潮しおにつかって、高い山の上で風に吹かれて寝ねておれ。そうすれば、すぐに毛がいっぱいはえるよ﹂とからかいました。うさぎはそれをほんとうにして、さっそく海につかって、ずぶぬれになって、よちよちと山へのぼって、そのまま寝ころんでおりました。 するとその潮しお水みずがかわくにつれて、からだじゅうの皮がひきつれて、びりびり裂さけ破れました。うさぎはそのひりひりする、ひどい痛いたみにたまりかねて、おんおん泣き伏ふしておりました。そうすると、いちばんあとからお通りかかりになった、お供の大国主神がそれをご覧らんになって、 ﹁おいおいうさぎさん、どうしてそんなに泣いているの﹂とやさしく聞いてくださいました。 うさぎは泣き泣き、 ﹁私は、もと隠お岐きの島におりましたうさぎでございますが、この本土へ渡わたろうと思いましても、渡るてだてがございませんものですから、海の中のわにをだまして、いったい、おまえとわしとどっちがみうちが多いだろう、ひとつくらべてみようじゃないか、おまえはいるだけのけん族をすっかりつれて来て、ここから、あの向こうのはての、気け多たのみさきまでずっと並ならんでみよ、そうすればおれがその背せ中の上をつたわって、かぞえてやろうと申しました。 すると、わにはすっかりだまされまして、出てまいりますもまいりますも、それはそれは、うようよと、まっくろに集まってまいりました。そして、私の申しましたとおりに、この海ばたまでずらりと一列に﹇#﹁一列に﹂は底本では﹁一別に﹂﹈並びました。 私は五十八十と数をよみながら、その背なかの上をどんどん渡って、もう一足でこの海ばたへ上がろうといたしますときに、やあいまぬけのわにめ、うまくおれにだまされたァいとはやしたてますと、いちばんしまいにおりましたわにが、むっと怒おこって、いきなり私をつかまえまして、このとおりにすっかりきものをひっぺがしてしまいました。 そこであすこのところへ伏ふしころんで泣ないておりましたら、さきほどここをお通りになりました八やそ十が神みたちが、いいことを教えてやろう、これこれこうしてみろとおっしゃいましたので、そのとおりに潮しお水みずを浴びて風に吹かれておりますと、からだじゅうの皮がこわばって、こんなにびりびり裂さけてしまいました﹂ こう言って、うさぎはおんおん泣きだしました。 大おお国くに主ぬし神のかみは、話を聞いてかわいそうだとおぼしめして、 ﹁それでは早くあすこの川口へ行って、ま水でからだじゅうをよく洗って、そこいらにあるかばの花をむしって、それを下に敷いて寝ねころんでいてごらん。そうすれば、ちゃんともとのとおりになおるから﹂ こう言って、教えておやりになりました。うさぎはそれを聞くとたいそう喜んでお礼を申しました。そしてそのあとで言いました。 ﹁あんなお人の悪い八やそ十が神みたちは、けっして八やが上みひ媛めをご自分のものになさることはできません。あなたは袋ふくろなどをおしょいになって、お供ともについていらっしゃいますけれど、八上媛はきっと、あなたのお嫁よめさまになると申します。みていてごらんなさいまし﹂と申しました。 まもなく、八十神たちは八上媛のところへ着きました。そして、代わる代わる、自分のお嫁になれなれと言いましたが、媛ひめはそれをいちいちはねつけて、 ﹁いえいえ、いくらお言いになりましても、あなたがたのご自由にはなりません。私は、あそこにいらっしゃる大国主神のお嫁にしていただくのです﹂と申しました。 八十神たちはそれを聞くとたいそう怒おこって、みんなで大国主神を殺してしまおうという相談をきめました。 みんなは、大国主神を、伯ほう耆きの国の手て間まの山という山の下へつれて行って、 ﹁この山には赤いいのししがいる。これからわしたちが山の上からそのいのししを追いおろすから、おまえは下にいてつかまえろ。へたをして遁にがしたらおまえを殺してしまうぞ﹂と、言いわたしました。そして急いで、山の上へかけあがって、さかんにたき火をこしらえて、その火の中で、いのししのようなかっこうをしている大きな石をまっかに焼いて、 ﹁そうら、つかまえろ﹂と言いながら、どしんと、転ころがし落としました。 ふもとで待ち受けていらしった大国主神は、それをご覧になるなり、大急ぎでかけ寄って、力まかせにお組みつきになったと思いますと、からだはたちまちそのあか焼けの石の膚はだにこびりついて、 ﹁あッ﹂とお言いになったきり、そのままただれ死にに死んでおしまいになりました。二
大国主神の生みのおかあさまは、それをお聞きになると、たいそうお嘆なげきになって、泣なき泣き大空へかけのぼって、高たか天まの原はらにおいでになる、高たか皇みむ産すび霊のか神みにお助けをお願いになりました。 すると、高たか皇みむ産すび霊のか神みは、蚶きさ貝がい媛ひめ、蛤うむ貝がい媛ひめと名のついた、あかがいとはまぐりの二人の貝を、すぐに下界へおくだしになりました。 二人は大急ぎでおりて見ますと、大おお国くに主ぬし神のかみはまっくろこげになって、山のすそに倒たおれていらっしゃいました。あかがいはさっそく自分のからを削けずって、それを焼いて黒い粉をこしらえました。はまぐりは急いで水を出して、その黒い粉をこねて、おちちのようにどろどろにして、二人で大国主神のからだじゅうへ塗ぬりつけました。 そうすると大国主神は、それほどの大やけどもたちまちなおって、もとのとおりの、きれいな若い神になってお起きあがりになりました。そしてどんどん歩いてお家うちへ帰っていらっしゃいました。 八やそ十が神みたちは、それを見ると、びっくりして、もう一度みんなでひそひそ相談をはじめました。そしてまたじょうずに大国主神をだまして、こんどは別の山の中へつれこみました。そしてみんなで寄ってたかって、ある大きなたち木を根もとから切りまげて、その切れ目へくさびをうちこんで、その間へ大国主神をはいらせました。そうしておいて、ふいにポンとくさびを打ちはなして、はさみ殺しに殺してしまいました。 大国主神のおかあさまは、若い子の神がまたいなくなったので、おどろいて方々さがしておまわりになりました。そして、しまいにまた殺されていらっしゃるところをおみつけになると、大急ぎで木の幹を切り開いて、子の神のお死がいをお引き出しに﹇#﹁お引き出しに﹂は底本では﹁お引出きしに﹂﹈なりました。そしていっしょうけんめいに介かい抱ほうして、ようようのことで再びお生きかえらせになりました。おかあさまは、 ﹁もうおまえはうかうかこの土地においてはおかれない。どうぞこれからすぐに、須すさ佐のお之のみ男こ命とのおいでになる、根ねの堅かた国すくにへ遁にげておくれ、そうすれば命みことが必ずいいようにはからってくださるから﹂ こう言って、若わかい子の神を、そのままそちらへ立ってお行かせになりました。 大国主神は、言われたとおりに、命のおいでになるところへお着きになりました。すると、命のお娘むすめごの須すぜ勢り理ひ媛めがお取次をなすって、 ﹁お父上さま、きれいな神がいらっしゃいました﹂とお言いになりました。 お父上の大おお神かみは、それをお聞きになると、急いでご自分で出てご覧になって、 ﹁ああ、あれは、大国主という神だ﹂とおっしゃいました。そして、さっそくお呼よびいれになりました。 媛ひめは大国主神のことをほんとに美しいよい方だとすぐに大すきにお思いになりました。大神には、第一それがお気にめしませんでした。それで、ひとつこの若い神を困こまらせてやろうとお思いになって、その晩、大国主神を、へびの室むろといって、大へび小へびがいっぱいたかっているきみの悪いおへやへお寝ねかせになりました。 そうすると、やさしい須すぜ勢り理ひ媛めは、たいそう気の毒にお思いになりました。それでご自分の、比ひ礼れといって、肩かたかけのように使うきれを、そっと大国主神におわたしになって、 ﹁もしへびがくいつきにまいりましたら、このきれを三度振ふって追いのけておしまいなさい﹂とおっしゃいました。 まもなく、へびはみんなでかま首を立ててぞろぞろとむかって来ました。大おお国くに主ぬし神のかみはさっそく言われたとおりに、飾かざりのきれを三度お振ふりになりました。するとふしぎにも、へびはひとりでにひきかえして、そのままじっとかたまったなり、一晩じゅう、なんにも害をしませんでした。若わかい神はおかげで、気らくにぐっすりおよって、朝になると、あたりまえの顔をして、大おお神かみの前に出ていらっしゃいました。 すると大神は、その晩はむかでとはちのいっぱいはいっているおへやへお寝ねかせになりました。しかし媛ひめが、またこっそりと、ほかの首飾りのきれをわたしてくだすったので、大国主神は、その晩もそれでむかでやはちを追いはらって、また一晩じゅうらくらくとおやすみになりました。 大神は、大国主神がふた晩とも、平気で切りぬけてきたので、よし、それではこんどこそは見ておれと、心の中でおっしゃりながら、かぶら矢やと言って、矢じりに穴あながあいていて、射いるとびゅんびゅんと鳴る、こわい大きな矢を、草のぼうぼうとはえのびた、広い野原のまん中にお射こみになりました。そして、大国主神に向かって、 ﹁さあ、今飛んだ矢を拾って来い﹂とおおせつけになりました。 若い神は、正しょ直うじきにご命令を聞いて、すぐに草をかき分けてどんどんはいっておいでになりました。大神はそれを見すまして、ふいに、その野のまわりへぐるりと火をつけて、どんどんお焼きたてになりました。大国主神は、おやと思うまに、たちまち四方から火の手におかこまれになって、すっかり遁げ場を失っておしまいになりました。それで、どうしたらいいかとびっくりして、とまどいをしていらっしゃいますと、そこへ一ぴきのねずみが出て来まして、 ﹁うちはほらほら、そとはすぶすぶ﹂と言いました。それは、中は、がらんどうで、外はすぼまっている、という意味でした。 若い神は、すぐそのわけをおさとりになって、足の下を、とんときつく踏ふんでごらんになりますと、そこは、ちゃんと下が大きな穴になっていたので、からだごとすっぽりとその中へ落ちこみました。それで、じっとそのままこごまって隠れていらっしゃいますと、やがてま近まで燃えて来た火の手は、その穴の上を走って、向こうへ遠のいてしまいました。 そのうちに、さっきのねずみが大神のお射になったかぶら矢をちゃんとさがし出して、口にくわえて持って来てくれました。見るとその矢の羽根のところは、いつのまにかねずみの子供たちがかじってすっかり食べてしまっておりました。三
須すぜ勢り理ひ媛めは、そんなことはちっともご存じないものですから、美しい若い神は、きっと焼け死んだものとお思いになって、ひとりで嘆なげき悲しんでいらっしゃいました。そして火が消えるとすぐに、急いでお弔とむらいの道具を持って、泣なき泣なきさがしにいらっしゃいました。 お父上の大神の﹇#﹁大神の﹂はママ﹈、こんどこそはだいじょうぶ死んだろうとお思いになって、媛のあとからいらしってごらんになりました。 すると大おお国くに主ぬし神のかみは、もとのお姿すがたのままで、焼けあとのなかから出ていらっしゃいました。そしてさっきのかぶら矢をちゃんとお手におわたしになりました。 大おお神かみもこれには内ない々ないびっくりしておしまいになりまして、しかたなくいっしょに御ごて殿んへおかえりになりました。そして大きな広間へつれておはいりになって、そこへごろりと横におなりになったと思うと、 ﹁おい、おれの頭のしらみを取れ﹂と、いきなりおっしゃいました。 大国主神はかしこまって、その長い長いお髪ぐしの毛をかき分けてご覧になりますと、その中には、しらみでなくて、たくさんなむかでが、うようよたかっておりました。 すると、須すぜ勢り理ひ媛めがそばへ来て、こっそりとむくの実と赤土とをわたしてお行きになりました。 大国主神は、そのむくの実を一ひと粒つぶずつかみくだき、赤土を少しずつかみとかしては、いっしょにぷいぷいお吐はき出しになりました。大神はそれをご覧になると、 ﹁ほほう、むかでをいちいちかみつぶしているな。これは感心なやつだ﹂とお思いになりながら、安心して、すやすやと寝いっておしまいになりました。 大国主神は、この上ここにぐずぐずしていると、まだまだどんなめに会うかわからないとお思いになって、命みことがちょうどぐうぐうおやすみになっているのをさいわいに、その長いお髪ぐしをいく束たばにも分けて、それを四方のたる木というたる木へ一束ずつ縛しばりつけておいたうえ、五百人もかからねば動かせないような、大きな大きな大岩を、そっと戸口に立てかけて、中から出られないようにしておいて、大おお神かみの太た刀ちと弓ゆみ矢やと、玉の飾りのついた貴とうとい琴こととをひっ抱かかえるなり、急いで須すぜ勢り理ひ媛めを背なかにおぶって、そっと御殿をお逃にげ出しになりました。 するとまの悪いことに、抱えていらっしゃる琴が、樹きの幹にぶつかって、じゃらじゃらじゃらんとたいそうなひびきを立てて鳴りました。 大神はその音におどろいて、むっくりとお立ちあがりになりました。すると、おぐしがたる木じゅうへ縛りつけてあったのですから、大おお力ぢからのある大神がふいにお立ちになるといっしょに、そのおへやはいきなりめりめりと倒たおれつぶれてしまいました。 大神は、 ﹁おのれ、あの小こぞ僧うッ神め﹂と、それはそれはお怒いかりになって、髪かみの毛をひと束ずつ、もどかしく解きはなしていらっしゃるまに、こちらの大国主神はいっしょうけんめいにかけつづけて、すばやく遠くまで逃げのびていらっしゃいました。 すると大神は、まもなくそのあとを追っかけて、とうとう黄よも泉つひ比ら良ざ坂かという坂の上までかけつけていらっしゃいました。そしてそこから、はるかに大国主神を呼びかけて、大声をしぼってこうおっしゃいました。 ﹁おおいおおい、小僧ッ神。その太刀と弓矢をもって、そちのきょうだいの八やそ十が神みどもを、山の下、川の中と、逃げるところへ追いつめ切り払はらい、そちが国の神の頭かしらになって、宇う迦かの山のふもとに御殿を立てて住め。わしのその娘むすめはおまえのお嫁よめにくれてやる。わかったか﹂とおどなりになりました。 大おお国くに主ぬし神のかみはおおせのとおりに、改めていただいた、大おお神かみの太た刀ちと弓ゆみ矢やを持って、八やそ十が神みたちを討うちにいらっしゃいました。そして、みんながちりぢりに逃にげまわるのを追っかけて、そこいらじゅうの坂の下や川の中へ、切り倒たおし突つき落として、とうとう一人ももらさず亡ほろぼしておしまいになりました。そして、国の神の頭かしらになって、宇う迦かの山の下に御ごて殿んをおたてになり、須すぜ勢り理ひ媛めと二人で楽しくおくらしになりました。四
そのうちに例の八やが上みひ媛めは、大国主神をしたって、はるばるたずねて来ましたが、その大国主神には、もう須すぜ勢り理ひ媛めというりっぱなお嫁よめさまができていたので、しおしおと、またおうちへ帰って行きました。 大国主神はそれからなお順々に四方を平らげて、だんだんと国を広げておゆきになりました。そうしているうちに、ある日、出いず雲もの国の御み大おの崎さきという海ばたにいっていらっしゃいますと、はるか向こうの海の上から、一人の小さな小さな神が、お供の者たちといっしょに、どんどんこちらへ向かって船をこぎよせて来ました。その乗っている船は、ががいもという、小さな草の実で、着ている着物は、ひとりむしの皮を丸はぎにしたものでした。 大国主神は、その神に向かって、 ﹁あなたはどなたですか﹂とおたずねになりました。しかし、その神は口を閉とじたまま名まえをあかしてくれませんでした。大国主神はご自分のお供の神たちに聞いてご覧になりましたが、みんなその神がだれだかけんとうがつきませんでした。 するとそこへひきがえるがのこのこ出て来まして、 ﹁あの神のことは久くえ延び彦こならきっと存じておりますでしょう﹂と言いました。久延彦というのは山の田に立っているかかしでした。久くえ延び彦こは足がきかないので、ひと足も歩くことはできませんでしたけれど、それでいて、この下界のことはなんでもすっかり知っておりました。 それで大国主神は急いでその久くえ延び彦こにお聞きになりますと、 ﹁ああ、あの神は大空においでになる神かみ産むす霊びの神かみのお子さまで、少すく名なび毘こな古の那か神みとおっしゃる方でございます﹂と答えました。大国主神はそれでさっそく、神かみ産むす霊びの神かみにお伺うかがいになりますと、神も、 ﹁あれはたしかにわしの子だ﹂とおっしゃいました。そして改めて少名毘古那神に向かって、 ﹁おまえは大国主神ときょうだいになって二人で国々を開き固かためて行け﹂とおおせつけになりました。 大国主神は、そのお言葉に従って、少すく名なび毘こな古の那か神みとお二人で、だんだんに国を作り開いておゆきになりました。ところが、少すく名なび毘こな古の那か神みは、あとになると、急に常とこ世よの国くにという、海の向こうの遠い国へ行っておしまいになりました。 大おお国くに主ぬし神のかみはがっかりなすって、私わたし一人では、とても思いどおりに国を開いてゆくことはできない、だれか力を添そえてくれる神はいないものかと言って、たいそうしおれていらっしゃいました。 するとちょうどそのとき、一人の神さまが、海の上一面にきらきらと光を放はなちながら、こちらへ向かって近づいていらっしゃいました。それは須すさ佐のお之のみ男こ命とのお子の大おお年とし神のかみというお方でした。その神が、大国主神に向かって、 ﹁私をよく大事にまつっておくれなら、いっしょになって国を作りかためてあげよう。おまえさん一人ではとてもできはしない﹂と、こう言ってくださいました。 ﹁それではどんなふうにおまつり申せばいいのでございますか﹂とお聞きになりますと、 ﹁大やま和との御みも諸ろの山の上にまつってくれればよい﹂とおっしゃいました。 大国主神はお言こと葉ばのとおりに、そこへおまつりして、その神さまと二人でまただんだんに国を広げておゆきになりました。 ﹇#改ページ﹈きじのお使つかい
一
そのうちに大空の天あま照てら大すお神おかみは、お子さまの天あめ忍のお穂しほ耳みみ命のみことに向かって、 ﹁下界に見える、あの豊とよ葦あし原はら水のみ穂ずほ国のくには、おまえが治めるべき国である﹂とおっしゃって、すぐにくだって行くように、お言いつけになりました。命みことはかしこまっておりていらっしゃいました。しかし天あめの浮うき橋はしの上までおいでになって、そこからお見おろしになりますと、下では勢いの強い神たちが、てんでんに暴あばれまわって、大さわぎをしているのが見えました。命は急いでひきかえしていらしって、そのことを大神にお話しになりました。 それで大神と高たか皇みむ産すび霊のか神みとは、さっそく天あめ安のや河すのかわの河原に、おおぜいの神々をすっかりお召めし集めになって、 ﹁あの水みず穂ほの国くには、私たちの子しそ孫んが治めるはずの国であるのに、今あすこには、悪強い神たちが勢い鋭く荒れまわっている。あの神たちを、おとなしくこちらの言うとおりにさせるには、いったいだれを使いにやったものであろう﹂とこうおっしゃって、みんなにご相談をなさいました。 すると例のいちばん考え深い思おも金いか神ねのかみが、みんなと会議をして、 ﹁それには天あめ菩のほ比ひの神かみをおつかわしになりますがよろしゅうございましょう﹂と申しあげました。そこで大神は、さっそくその菩ほひ比のか神みをおくだしになりました。 ところが菩ほひ比のか神みは、下界へつくと、それなり大おお国くに主ぬし神のかみの手下になってしまって、三年たっても、大空へはなんのご返事もいたしませんでした。 それで大神と高たか皇みむ産すび霊のか神みとは、またおおぜいの神々をお召めしになって、 ﹁菩ほひ比のか神みがまだ帰ってこないが、こんどはだれをやったらよいであろう﹂と、おたずねになりました。 思おも金いか神ねのかみは、 ﹁それでは、天あま津つく国にた玉まの神かみの子の、天あめ若のわ日かひ子こがよろしゅうございましょう﹂と、お答え申しました。 大神はその言こと葉ばに従って、天あめ若のわ日かひ子こにりっぱな弓ゆみと矢やをお授けになって、それを持たせて下界へおくだしになりました。 するとその若日子は大空にちゃんとほんとうのお嫁よめがあるのに、下へおり着くといっしょに、大おお国くに主ぬし神のかみの娘むすめの下した照てる比ひ売めをまたお嫁にもらったばかりか、ゆくゆくは水みず穂ほの国くにを自分が取ってしまおうという腹はらで、とうとう八年たっても大神の方へはてんでご返事にも帰りませんでした。 大神と高たか皇みむ産すび霊のか神みとは、また神々をお集めになって、 ﹁二度めにつかわした天若日子もまたとうとう帰ってこない。いったいどうしてこんなにいつまでも下界にいるのか、それを責せめただしてこさせたいと思うが、だれをやったものであろう﹂とお聞きになりました。 思おも金いか神ねのかみは、 ﹁それでは名なな鳴き女めというきじがよろしゅうございましょう﹂と申しあげました。大神たちお二人はそのきじをお召めしになって、 ﹁おまえはこれから行って天あめ若のわ日かひ子こを責めてこい。そちを水みず穂ほの国くにへおくりだしになったのは、この国の神どもを説き伏せるためではないか、それだのに、なぜ八年たってもご返事をしないのか、と言って、そのわけを聞きただしてこい﹂とお言いつけになりました。 名鳴女は、はるばると大空からおりて、天若日子のうちの門のそばの、かえでの木の上にとまって、大神からおおせつかったとおりをすっかり言いました。 すると若日子のところに使われている、天あめ佐のさ具く売めという女が、その言葉を聞いて、 ﹁あすこに、いやな鳴き声を出す鳥がおります。早く射いておしまいなさいまし﹂と若日子にすすめました。 若日子は、 ﹁ようし﹂と言いながら、かねて大神からいただいて来た弓ゆみと矢やを取り出して、いきなりそのきじを射殺してしまいました。すると、その当たった矢が名鳴女の胸むねを突つき通して、さかさまに大空の上まではねあがって、天あめ安のや河すのかわの河かわ原らにおいでになる、天あま照てら大すお神おかみと高たか皇みむ産すび霊のか神みとのおそばへ落ちました。 高たか皇みむ産すび霊のか神みはその矢を手に取ってご覧らんになりますと、矢の羽根に血がついておりました。 高皇産霊神は、 ﹁この矢は天あめ若のわ日かひ子こにつかわした矢だが﹂とおっしゃって、みんなの神々にお見せになった後、 ﹁もしこの矢が、若日子が悪い神たちを射たのが飛んで来たのならば、若日子にはあたるな。もし若日子が悪い心をいだいているなら、かれを射殺せよ﹂とおっしゃりながら、さきほどの矢が通って来た空の穴あなから、力いっぱいにお突きおろしになりました。 そうするとその矢は、若日子がちょうど下界であおむきに寝ねていた胸のまん中を、ぷすりと突き刺さして一ぺんで殺してしまいました。 若日子のお嫁よめの下した照てる比ひ売めは、びっくりして、大声をあげて泣なきさわぎました。 その泣く声が風にはこばれて、大空まで聞こえて来ますと、若日子の父の天あま津つく国にた玉まの神かみと、若日子のほんとうのお嫁と子供たちがそれを聞きつけて、びっくりして、下界へおりて来ました、﹇#﹁おりて来ました、﹂はママ﹈そして泣き泣きそこへ喪も屋やといって、死人を寝かせておく小屋をこしらえて、がんを供くも物つをささげる役に、さぎをほうき持ちに、かわせみをお供そなえの魚さかな取りにやとい、すずめをお供えのこめつきに呼よび、きじを泣き役につれて来て、八よう日か八よば晩んの間、若日子の死がいのそばで楽器をならして、死んだ魂たましいを慰なぐさめておりました。 そうしているところへ、大おお国くに主ぬし神のかみの子で、下した照てる比ひ売めのおあにいさまの高たか日ひこ子ねの根か神みがお悔くやみに来ました。そうすると若わか日ひ子この父と妻つま子こたちは、 ﹁おや﹂とびっくりして、その神の手足にとりすがりながら、 ﹁まあまあおまえは生きていたのか﹂ ﹁まあ、あなたは死なないでいてくださいましたか﹂と言って、みんなでおんおんと嬉うれし泣なきに泣きだしました。それは高たか日ひこ子ねの根か神みの顔や姿すがたが天あめ若のわ日かひ子こにそっくりだったので、みんなは一も二もなく若日子だとばかり思ってしまったのでした。 すると高日子根神は、 ﹁何をふざけるのだ﹂とまっかになって怒おこりだして、 ﹁人がわざわざ悔くやみに来たのに、それをきたない死人などといっしょにするやつがどこにある﹂とどなりつけながら、長い剣つるぎを抜ぬきはなすといっしょに、その喪も屋やをめちゃめちゃに切り倒し、足でぽんぽんけりちらかして、ぷんぷん怒って行ってしまいました。 そのとき妹の下した照てる比ひ売めは、あの美しい若い神は私のおあにいさまの、これこれこういう方だということを、歌に歌って、誇ほこりがおに若日子の父や妻子に知らせました。二
天あま照てら大すお神おかみは、そんなわけで、また神々に向かって、こんどというこんどはだれを遣つかわしたらよいかとご相談をなさいました。 思おも金いか神ねのかみとすべての神々は、 ﹁それではいよいよ、天あめ安のや河すのかわの河かわ上かみの、天あめの岩いわ屋やにおります尾おは羽ばり張のか神みか、それでなければ、その神の子の建たけ御みか雷ずち神のかみか、二人のうちどちらかをお遣つかわしになるほかはございません。しかし尾羽張神は、天安河の水をせきあげて、道を通れないようにしておりますから、めったな神では、ちょっと呼よびにもまいれません。これはひとつ天あめ迦のか久くの神かみをおさしむけになりまして、尾羽張神がなんと申しますか聞かせてご覧になるがようございましょう﹂と申しあげました。 大神はそれをお聞きになると、急いで天あめ迦のか久くの神かみをおやりになってお聞かせになりました。 そうすると尾おは羽ばり張のか神みは﹇#﹁尾羽張神は﹂は底本では﹁屋羽張神は﹂﹈、 ﹁これは、わざわざもったいない。その使いには私でもすぐにまいりますが、それよりも、こんなことにかけましては、私の子の建たけ御みか雷ずち神のかみがいっとうお役に立ちますかと存じます﹂ こう言って、さっそくその神を大神のご前ぜんへうかがわせました。 大神はその建御雷神に、天あめ鳥のと船りふ神ねのかみという神をつけておくだしになりました。 二人の神はまもなく出いず雲もの国くにの伊い那な佐さという浜にくだりつきました。そしてお互たがいに長い剣つるぎをずらりと抜ぬき放はなして、それを海の上にあおむけに突つき立てて、そのきっさきの上にあぐらをかきながら、大おお国くに主ぬし神のかみに談判をしました。 ﹁わしたちは天あま照てら大すお神おかみと高たか皇みむ産すび霊のか神みとのご命令で、わざわざお使いにまいったのである。大神はおまえが治めているこの葦あし原はらの中なかつ国くには、大神のお子さまのお治めになる国だとおっしゃっている。そのおおせに従って大神のお子さまにこの国をすっかりお譲ゆずりなさるか。それともいやだとお言いか﹂と聞きますと、大おお国くに主ぬし神のかみは、 ﹁これは私からはなんともお答え申しかねます。私よりも、むすこの八やえ重こと事しろ代ぬし主のか神みが、とかくのご返事を申しあげますでございましょうが、あいにくただいま御み大おの崎さきへりょうにまいっておりますので﹂とおっしゃいました。 建たけ御みか雷ずち神のかみはそれを聞くと、すぐに天あめ鳥のと船りふ神ねのかみを御み大おの崎さきへやって、事こと代しろ主ぬし神のかみを呼よんで来させました。そして大国主神に言ったとおりのことを話しました。 すると事代主神は、父の神に向かって、 ﹁まことにもったいないおおせです。お言こと葉ばのとおり、この国は大空の神さまのお子さまにおあげなさいまし﹂と言いながら、自分の乗って帰った船を踏ふみ傾かたむけて、おまじないの手打ちをしますと、その船はたちまち、青いいけがきに変わってしまいました。事代主神はそのいけがきの中へ急いでからだをかくしてしまいました。 建たけ御みか雷ずち神のかみは大国主神に向かって、 ﹁ただ今事代主神はあのとおりに申したが、このほかには、もうちがった意見を持っている子はいないか﹂とたずねました。 大国主神は、 ﹁私の子は事代主神のほかに、もう一人、建たけ御みな名かた方のか神みというものがおります。もうそれきりでございます﹂とお答えになりました。 そうしているところへ、ちょうどこの建たけ御みな名かた方のか神みが、千人もかからねば動かせないような大きな大きな大岩を両手でさしあげて出て来まして、 ﹁やい、おれの国へ来て、そんなひそひそ話をしているのはだれだ。さあ来い、力くらべをしよう。まずおれがおまえの手をつかんでみよう﹂と言いながら、大岩を投げだしてそばへ来て、いきなり建たけ御みか雷ずち神のかみの手をひっつかみますと、御みか雷ずち神のかみの手は、たちまち氷の柱になってしまいました。御みな名かた方のか神みがおやとおどろいているまに、その手はまたひょいと剣つるぎの刃はになってしまいました。 御名方神はすっかりこわくなっておずおずとしりごみをしかけますと、御みか雷ずち神のかみは、 ﹁さあ、こんどはおれの番だ﹂と言いながら、御名方神の手くびをぐいとひっつかむが早いか、まるではえたてのあしをでも扱うように、たちまち一握にぎりに握りつぶして、ちぎれ取れた手先を、ぽうんと向こうへ投げつけました。 御名方神は、まっさおになって、いっしょうけんめいに逃にげだしました。御みか雷ずち神のかみは、 ﹁こら待て﹂と言いながら、どこまでもどんどんどんどん追っかけて行きました。そしてとうとう信しな濃のの諏す訪わ湖このそばで追いつめて、いきなり、一ひねりにひねり殺そうとしますと、建たけ御みな名かた方のか神みはぶるぶるふるえながら、 ﹁もういよいよおそれいりました。どうぞ命ばかりはお助けくださいまし。私はこれなりこの信しな濃のより外へはひと足も踏ふみ出しはいたしません。また、父や兄の申しあげましたとおりに、この葦あし原はらの中つ国は、大空の神のお子さまにさしあげますでございます﹂と、平たくなっておわびしました。 そこで建たけ御みか雷ずち神のかみはまた出いず雲もへ帰って来て、大おお国くに主ぬし神のかみに問いつめました。 ﹁おまえの子は二人とも、大神のおおせにはそむかないと申したが、おまえもこれでいよいよ言うことはあるまいな、どうだ﹂と言いますと、大国主神は、 ﹁私にはもう何も異存はございません。この中つ国はおおせのとおり、すっかり、大神のお子さまにさしあげます。その上でただ一つのおねがいは、どうぞ私の社やしろとして、大空の神の御ごて殿んのような、りっぱな、しっかりした御殿をたてていただきとうございます。そうしてくださいませば私は遠い世界から、いつまでも大神のご子孫にお仕え申します。じつは私の子は、ほかに、まだまだいくたりもありますが、しかし、事こと代しろ主ぬし神のかみさえ神妙にご奉公いたします上は、あとの子たちは一人も不平を申しはいたしません﹂ こう言って、いさぎよくその場で死んでおしまいになりました。 それで建たけ御みか雷ずち神のかみは、さっそく、出いず雲もの国くにの多た芸ぎ志しという浜にりっぱな大きなお社やしろをたてて、ちゃんと望みのとおりにまつりました。そして櫛くし八やた玉まの神かみという神を、お供そなえものを料理する料理人にしてつけ添そえました。 すると八やた玉まの神かみは、うになって、海の底そこの土をくわえて来て、それで、いろんなお供えものをあげるかわらけをこしらえました。 それからある海草の茎くきで火ひき切りう臼すと火ひき切りぎ杵ねという物をこしらえて、それをすり合わせて火を切り出して、建たけ御みか雷ずち神のかみに向かってこう言いました。 ﹁私が切ったこの火で、そこいらが、大空の神の御殿のお料理場のように、すすでいっぱいになるまで欠かさず火をたき、かまどの下が地の底の岩のように固かたくなるまで絶えず火をもやして、りょうしたちの取って来る大すずきをたくさんに料理して、大空の神の召しあがるようなりっぱなごちそうを、いつもいつもお供えいたします﹂と言いました。 建たけ御みか雷ずち神のかみはそれでひとまず安心して、大空へ帰りのぼりました。そして天あま照てら大すお神おかみと高たか皇みむ産すび霊のか神みに、すっかりこのことを、くわしく奏そう上じょういたしました。 ﹇#改ページ﹈笠かさ沙さのお宮
一
天あま照てら大すお神おかみと高たか皇みむ産すび霊のか神みとは、あれほど乱みだれさわいでいた下界を、建たけ御みか雷ずち神のかみたちが、ちゃんとこちらのものにして帰りましたので、さっそく天あめ忍のお穂しほ耳みみ命のみことをお召めしになって、 ﹁葦あし原はらの中つ国はもはやすっかり平たいらいだ。おまえはこれからすぐにくだって、さいしょ申しつけたように、あの国を治めてゆけ﹂とおっしゃいました。 命みことはおおせに従って、すぐに出発の用意におとりかかりになりました。するとちょうどそのときに、お妃きさきの秋あき津つし師ひめ毘のみ売こ命とが男のお子さまをお生みになりました。 忍おし穂ほみ耳みの命みことは大神のご前ぜんへおいでになって、 ﹁私たち二人に、世よつ嗣ぎの子供が生まれました。名前は日ひこ子ほの番にに能ぎ邇の邇み芸こ命ととつけました。中つ国へくだしますには、この子がいちばんよいかと存じます﹂とおっしゃいました。 それで大神は、そのお孫さまの命みことが大きくおなりになりますと、改めておそばへ召して、 ﹁下界に見えるあの中つ国は、おまえの治める国であるぞ﹂とおっしゃいました。命は、かしこまって、 ﹁それでは、これからすぐにくだってまいります﹂とおっしゃって、急いでそのお手はずをなさいました。そしてまもなく、いよいよお立ちになろうとなさいますと、ちょうど、大空のお通り道のある四つじに、だれだか一人の神が立ちはだかって、まぶしい光をきらきらと放ちながら、上は高たか天まの原はらまでもあかあかと照らし、下は中つ国までいちめんに照り輝かがやかせておりました。 天あま照てら大すお神おかみと高たか皇みむ産すび霊のか神みとはそれをご覧になりますと、急いで天あめ宇のう受ずめ女のみ命ことをお呼びになって、 ﹁そちは女でこそあれ、どんな荒あらくれた神に向かいあっても、びくともしない神だから、だれをもおいておまえを遣つかわすのである。あの、道をふさいでいる神のところへ行ってそう言って来い。大空の神のお子がおくだりになろうとするのに、そのお通り道を妨さまたげているおまえは何者かと、しっかり責せめただして来い﹂とお言いつけになりました。 宇うず受めの女みこ命とはさっそくかけつけて、きびしくとがめたてました。すると、その神は言こと葉ばをひくくして、 ﹁私は下界の神で名は猿さる田たひ彦この神かみと申します者でございます。ただいまここまで出てまいりましたのは、大空の神のお子さまがまもなくおくだりになると承りましたので、及およばずながら私がお道筋すじをご案内申しあげたいと存じまして、お迎えにまいりましたのでございます﹂とお答え申しました。 大神はそれをお聞きになりましてご安心なさいました。そして天あめ児のこ屋やね根のみ命こと、太ふと玉だま命のみこと、天あめ宇のう受ずめ女のみ命こと、石いし許こり理どめ度のみ売こ命と、玉たま祖のお命やのみことの五人を、お孫さまの命みことのお供の頭かしらとしておつけ添そえになりました。そしておしまいにお別れになるときに、八やさ尺かの曲まが玉たまという、それはそれはごりっぱなお首くび飾かざりの玉と、八や咫たの鏡かがみという神こう々ごうしいお鏡と、かねて須すさ佐のお之のみ男こ命とが大じゃの尾の中からお拾いになった、鋭い御みつ剣るぎと、この三つの貴とうといご自分のお持物を、お手ずから命みことにお授けになって、 ﹁この鏡は私の魂たましいだと思って、これまで私に仕えてきたとおりに、たいせつに崇あがめ祀まつるがよい﹂とおっしゃいました。それから大空の神々の中でいちばんちえの深い思おも金いか神ねのかみと、いちばんすぐれて力の強い手たぢ力から男おの神かみとをさらにおつけ添そえになったうえ、 ﹁思おも金いか神ねのかみよ、そちはあの鏡の祀まつりをひき受けて、よくとり行なえよ﹂とおおせつけになりました。 邇にに邇ぎの芸みこ命とはそれらの神々をはじめ、おおぜいのお供の神をひきつれて、いよいよ大空のお住まいをおたちになり、いく重えともなくはるばるとわき重なっている、深い雲の峰みねをどんどんおし分けて、ご威いこ光うりりしくお進みになり、やがて天あめ浮のう橋きはしをもおし渡わたって、どうどうと下界に向かってくだっておいでになりました。そのまっさきには、天あめ忍のお日しひ命のみことと、天あま津つく久めの米みこ命とという、よりすぐった二人の強い神さまが、大きな剣つるぎをつるし、大きな弓と強い矢とを負おい抱かかえて、勇ましくお先払いをして行きました。 命たちはしまいに、日ひゅ向うがの国の高たか千ち穂ほの山の、串くし触ふる嶽だけという険けわしい峰の上にお着きになりました。そしてさらに韓から国くに嶽だけという峰へおわたりになり、そこからだんだんと、ひら地へおくだりになって、お住まいをお定めになる場所を探し探し、海の方へ向かって出ておいでになりました。 そのうちに同じ日ひゅ向うがの笠かさ沙さの岬みさきへお着きになりました。 邇にに邇ぎの芸みこ命とは、 ﹁ここは朝日もま向きに射さし、夕日もよく照って、じつにすがすがしいよいところだ﹂とおっしゃって、すっかりお気にめしました。それでとうとう最後にそこへお住まいになることにおきめになりました。そしてさっそく、地面のしっかりしたところへ、大きな広い御ごて殿んをおたてになりました。 命みことは、それから例の宇うず受めの女みこ命とをお召めしになって、 ﹁そちは、われわれの道案内をしてくれた、あの猿さる田たひ彦この神かみとは、さいしょからの知り合いである。それでそちがつき添って、あの神が帰るところまで送って行っておくれ。それから、あの神のてがらを記念してやる印に、猿さる田たひ彦こという名まえをおまえが継ついで、あの神と二人のつもりで私わたしに仕えよ﹂とおっしゃいました。宇うず受めの女みこ命とはかしこまって、猿田彦神を送ってまいりました。 猿田彦神は、その後、伊い勢せの阿あざ坂かというところに住んでいましたが、あるときりょうに出て、ひらふがいという大きな貝に手をはさまれ、とうとうそれなり海の中へ引き入れられて、おぼれ死にに死んでしまいました。 宇うず受めの女みこ命とはその神を送り届とどけて帰って来ますと、笠かさ沙さの海ばたへ、大小さまざまの魚さかなをすっかり追い集めて、 ﹁おまえたちは大空の神のお子さまにお仕え申すか﹂と聞きました。そうすると、どの魚も一ぴき残らず、 ﹁はいはい、ちゃんとご奉公申しあげます﹂とご返事をしましたが、中でなまこがたった一人、お答えをしないで黙だまっておりました。 すると宇うず受めの女みこ命とは怒って、 ﹁こゥれ、返事をしない口はその口か﹂と言いざま、手早く懐かい剣けんを抜ぬきはなって、そのなまこの口をぐいとひとえぐり切り裂さきました。ですからなまこの口はいまだに裂けております。二
そのうちに邇にに邇ぎの芸みこ命とは、ある日、同じみさきできれいな若い女の人にお出会いになりました。 ﹁おまえはだれの娘むすめか﹂とおたずねになりますと、その女の人は、 ﹁私は大おお山やま津つみ見のか神みの娘の木この色はな咲さく耶やひ媛めと申す者でございます﹂とお答え申しました。 ﹁そちにはきょうだいがあるか﹂とかさねてお聞きになりますと、 ﹁私には石いわ長なが媛ひめと申します一人の姉がございます﹂と申しました。命みことは、 ﹁わたしはおまえをお嫁よめにもらいたいと思うが、来るか﹂とお聞きになりました。すると咲さく耶やひ媛めは、 ﹁それは私からはなんとも申しあげかねます。どうぞ父の大おお山やま津つみ見のか神みにおたずねくださいまし﹂と申しあげました。 命みことはさっそくお使いをお出しになって、大おお山やま津つみ見のか神みに咲さく耶やひ媛めをお嫁にもらいたいとお申しこみになりました。 大おお山やま津つみ見のか神みはたいそう喜んで、すぐにその咲さく耶やひ媛めに、姉の石いわ長なが媛ひめをつき添そいにつけて、いろいろのお祝いの品をどっさり持たせてさしあげました。 命みことは非常にお喜びになって、すぐ咲耶媛とご婚礼をなさいました。しかし姉の石長媛は、それはそれはひどい顔をした、みにくい女でしたので、同じ御ごて殿んでいっしょにおくらしになるのがおいやだものですから、そのまますぐに、父の神の方へお送りかえしになりました。 大おお山やま津つ見みは恥はじ入って、使いをもってこう申しあげました。 ﹁私が木この色はな咲さく耶やひ媛めに、わざわざ石いわ長なが媛ひめをつき添いにつけましたわけは、あなたが咲さく耶やひ媛めをお嫁になすって、その名のとおり、花が咲さき誇ほこるように、いつまでもお栄えになりますばかりでなく、石いわ長なが媛ひめを同じ御殿にお使いになりませば、あの子の名まえについておりますとおり、岩が雨に打たれ風にさらされても、ちっとも変わらずにがっしりしているのと同じように、あなたのおからだもいつまでもお変わりなくいらっしゃいますようにと、それをお祈り申してつけ添えたのでございます。それだのに、咲さく耶やひ媛めだけをおとめになつて﹇#﹁おとめになつて﹂はママ﹈、石いわ長なが媛ひめをおかえしになったうえは、あなたも、あなたのご子孫のつぎつぎのご寿じゅ命みょうも、ちょうど咲いた花がいくほどもなく散りはてるのと同じで、けっして永ながくは続きませんよ﹂と、こんなことを申し送りました。 そのうちに咲さく耶やひ媛めは、まもなくお子さまが生まれそうになりました。 それで命にそのことをお話しになりますと、命はあんまり早く生まれるので変だとおぼしめして、 ﹁それはわしたち二人の子であろうか﹂とお聞きになりました。咲さく耶やひ媛めは、そうおっしゃられて、 ﹁どうしてこれが二人よりほかの者の子でございましょう。もし私たち二人の子でございませんでしたら、けっして無事にお産はできますまい。ほんとうに二人の子である印しるしには、どんなことをして生みましても、必ず無事に生まれるに相違ございません﹂ こう言ってわざと出入口のないお家をこしらえて、その中におはいりになり、すきまというすきまをぴっしり土で塗ぬりつぶしておしまいになりました。そしていざお産をなさるというときに、そのお家へ火をつけてお燃もやしになりました。 しかしそんな乱らん暴ぼうな生み方をなすっても、お子さまは、ちゃんとご無事に三人もお生まれになりました。媛ひめは、はじめ、うちじゅうに火が燃え広がって、どんどん炎ほのおをあげているときにお生まれになった方を火ほて照りの命みことというお名まえになさいました。それから、つぎつぎに、火ほす須せり勢のみ理こ命と、火ほお遠りの理みこ命とというお二ふた方かたがお生まれになりました。火ほお遠りの理みこ命とはまたの名を日ひこ子ほほ穂でみ穂の出み見こ命とともお呼よび申しました。 ﹇#改ページ﹈満みち潮しおの玉、干ひし潮おの玉
一
三人のごきょうだいは、まもなく大きな若わかい人におなりになりました。その中でおあにいさまの火ほて照りの命みことは、海でりょうをなさるのがたいへんおじょうずで、いつもいろんな大きな魚さかなや小さな魚をたくさんつってお帰りになりました。末の弟さまの火ほお遠りの理みこ命とは、これはまた、山でりょうをなさるのがそれはそれはお得意で、しじゅういろんな鳥や獣をどっさりとってお帰りになりました。 あるとき弟の命みことは、おあにいさまに向かって、 ﹁ひとつためしに二人で道具を取りかえて、互たがいに持ち場をかえて、りょうをしてみようではありませんか﹂とおっしゃいました。 おあにいさまは、弟さまがそう言って三度もお頼たのみになっても、そのたんびにいやだと言ってお聞き入れになりませんでした。しかし弟さまが、あんまりうるさくおっしゃるものですから、とうとうしまいに、いやいやながらお取りかえになりました。 弟さまは、さっそくつり道具を持って海ばたへお出かけになりました。しかし、つりのほうはまるでおかってがちがうので、いくらおあせりになっても一ぴきもおつれになれないばかりか、しまいにはつり針ばりを海の中へなくしておしまいになりました。 おあにいさまの命みことも、山のりょうにはおなれにならないものですから、いっこうに獲えも物のがないので、がっかりなすって、弟さまに向かって、 ﹁わしのつり道具を返してくれ、海のりょうも山のりょうも、お互たがいになれたものでなくてはだめだ。さあこの弓矢を返そう﹂とおっしゃいました。 弟さまは、 ﹁私はとんだことをいたしました。とうとう魚を一ぴきもつらないうちに、針を海へ落としてしまいました﹂とおっしゃいました。するとおあにいさまはたいへんにお怒おこりになって、無理にもその針をさがして来いとおっしゃいました。弟さまはしかたなしに、身につるしておいでになる長い剣つるぎを打ちこわして、それでつり針を五百本こしらえて、それを代わりにおさしあげになりました。 しかし、おあにいさまは、もとの針でなければいやだとおっしゃって、どうしてもお聞きいれになりませんでした。それで弟さまはまた千本の針をこしらえて、どうぞこれでかんべんしてくださいましと、お頼みになりましたが、おあにいさまは、どこまでも、もとの針でなければいやだとお言いはりになりました。 ですから弟さまは、困こまっておしまいになりまして、ひとりで海ばたに立って、おいおい泣ないておいでになりました。そうすると、そこへ塩しお椎つち神のかみという神が出てまいりました。 ﹁もしもし、あなたはどうしてそんなに泣いておいでになるのでございます﹂と聞いてくれました。弟さまは、 ﹁私わたしはおあにいさまのつり針を借りてりょうをして、その針を海の中へなくしてしまったのです。だから代わりの針をたくさんこしらえて、それをお返しすると、おあにいさまは、どうしてももとの針を返せとおっしゃってお聞きにならないのです﹂ こう言って、わけをお話しになりました。 塩しお椎つち神のかみはそれを聞くと、たいそうお気の毒に思いまして、 ﹁それでは私がちゃんとよくしてさしあげましょう﹂と言いながら、大急ぎで、水あかが少しもはいらないように、かたく編んだ、かごの小こぶ船ねをこしらえて、その中へ火ほお遠りの理みこ命とをお乗せ申しました。 ﹁それでは私が押おし出しておあげ申しますから、そのままどんどん海のまんなかへ出ていらっしゃいまし。そしてしばらくお行きになりますと、向こうの波の間によい道がついておりますから、それについてどこもでも流れておいでになると、しまいにたくさんのむねが魚のうろこのように立ち並ならんだ、大きな大きなお宮へお着きになります。それは綿わた津つ見みの神という海の神の御ごて殿んでございます。そのお宮の門のわきに井い戸どがあります。井戸の上にかつらの木がおいかぶさっておりますから、その木の上にのぼって待っていらっしゃいまし。そうすると海の神の娘むすめが見つけて、ちゃんといいようにとりはからってくれますから﹂と言って、力いっぱいその船を押し出してくれました。二
命みことはそのままずんずん流れてお行きになりました。そうするとまったく塩しお椎つち神のかみが言ったように、しばらくして大きな大きなお宮へお着きになりました。 命はさっそくその門のそばのかつらの木にのぼって待っておいでになりました。そうすると、まもなく、綿わた津つみ見のか神みの娘むすめの豊とよ玉たま媛ひめのおつきの女が、玉の器うつわを持って、かつらの木の下の井い戸どへ水をくみに来ました。 女は井戸の中を見ますと、人の姿すがたがうつっているので、ふしぎに思って上を向いて見ますと、かつらの木にきれいな男の方がいらっしゃいました。 命は、その女に水をくれとお言いになりました。女は急いで玉の器にくみ入れてさしあげました。 しかし命はその水をお飲みにならないで、首にかけておいでになる飾かざりの玉をおほどきになって、それを口にふくんで、その玉の器の中へ吐はき入れて、女にお渡しになりました。女は器を受け取って、その玉をとり出そうとしますと、玉は器の底に固かたくくっついてしまって、どんなにしても離はなれませんでした。それで、そのままうちの中へ持ってはいって、豊玉媛にその器ごとさし出しました。 豊とよ玉たま媛ひめは、その玉を見て、 ﹁門かど口ぐちにだれかおいでになっているのか﹂と聞きました。 女は、 ﹁井戸のそばのかつらの木の上にきれいな男の方がおいでになっています。それこそは、こちらの王さまにもまさって、それはそれはけだかい貴とうとい方でございます。その方が水をくれとおっしゃいましたから、すぐに、この器へくんでさしあげますと、水はおあがりにならないで、お首飾りの玉を中へお吐き入れになりました。そういたしますと、その玉が、ご覧らんのように、どうしても底から離れないのでございます﹂と言いました。 媛ひめは命みことのお姿を見ますと、すぐにおとうさまの海の神のところへ行って、 ﹁門口にきれいな方がいらしっています﹂と言いました。 海の神は、わざわざ自分で出て見て、 ﹁おや、あのお方は、大空からおくだりになった、貴い神さまのお子さまだ﹂と言いながら、急いでお宮へお通し申しました。そしてあしかの毛皮を八枚まい重かさねて敷しき、その上へまた絹の畳たたみを八枚重ねて、それへすわっていただいて、いろいろごちそうをどっさり並ならべて、それはそれはていねいにおもてなしをしました。そして豊玉媛をお嫁よめにさしあげました。 それで命みことはそのまま媛ひめといっしょにそこにお住まいになりました。そのうちに、いつのまにか三年という月日がたちました。 すると命はある晩、ふと例の針はりのことをお思い出しになって、深いため息をなさいました。 豊とよ玉たま媛ひめはあくる朝、そっと父の神のそばへ行って、 ﹁おとうさま、命みことはこのお宮に三年もお住まいになっていても、これまでただの一度もめいったお顔をなさったことがないのに、ゆうべにかぎって深いため息をなさいました。なにか急にご心配なことがおできになったのでしょうか﹂と言いました。 海の神はそれを聞くと、あとで命に向かって、 ﹁さきほど娘むすめが申しますには、あなたは三年の間こんなところにおいでになりましても、ふだんはただの一度も、ものをお嘆なげきになったことがないのに、ゆうべはじめてため息をなさいましたと申します。何かわけがおありになるのでございますか。いったいいちばんはじめ、どうしてこの海の中なぞへおいでになったのでございます﹂こう言っておたずね申しました。 命はこれこれこういうわけで、つり針ばりをさがしに来たのですとおっしゃいました。 海の神はそれを聞くと、すぐに海じゅうの大きな魚さかなや小さな魚を一ぴき残さず呼よび集めて、 ﹁この中にだれか命の針をお取り申した者はいないか﹂と聞きました。すると魚たちは、 ﹁こないだから雌めだいがのどにとげを立てて物が食べられないで困こまっておりますが、ではきっとお話のつり針をのんでいるに相違ございません﹂と言いました。 海の神はさっそくそのたいを呼んで、のどの中をさぐって見ますと、なるほど、大きなつり針を一本のんでおりました。 海の神はそれを取り出して、きれいに洗って命にさしあげました。すると、それがまさしく命のおなくしになったあの針でした。海の神は、 ﹁それではお帰りになって、おあにいさまにお返しになりますときには、 いやなつり針、 わるいつり針、 ばかなつり針。 とおっしゃりながら、必ずうしろ向きになってお渡しなさいまし。それから、こんどからはおあにいさまが高いところへ田をお作りになりましたら、あなたは低いところへお作りなさいまし。そのあべこべに、おあにいさまが低いところへお作りになりましたら、あなたは高いところへお作りになることです。すべて世の中の水という水は私が自由に出し入れするのでございます。おあにいさまは針のことでずいぶんあなたをおいじめになりましたから、これからはおあにいさまの田へはちっとも水をあげないで、あなたの田にばかりどっさり入れておあげ申します。ですから、おあにいさまは三年のうちに必ず貧びん乏ぼうになっておしまいになります。そうすると、きっとあなたをねたんで殺しにおいでになるに相違ございません。そのときには、この満みち潮しおの玉を取り出して、おぼらしておあげなさい。この中から水がいくらでもわいて出ます。しかし、おあにいさまが助けてくれとおっしゃられておわびをなさるなら、こちらのこの干ひし潮おの玉を出して、水をひかせておあげなさいまし。ともかく、そうして少しこらしめておあげになるがようございます﹂ こう言って、そのたいせつな二つの玉を命みことにさしあげました。それからけらいのわにをすっかり呼よび集めて、 ﹁これから大空の神のお子さまが陸の世界へお帰りになるのだが、おまえたちはいく日あったら命をお送りして帰ってくるか﹂と聞きました。 わにたちは、お互いにからだの大きさにつれてそれぞれかんじょうして、めいめいにお返事をしました。その中で六尺しゃくばかりある大わには、 ﹁私は一日あれば行ってまいります﹂と言いました。海の神は、 ﹁それではおまえお送り申してくれ。しかし海を渡るときに、けっしてこわい思いをおさせ申してはならないぞ﹂とよく言い聞かせた上、その首のところへ命をお乗せ申して、はるばるとお送り申して行かせました。すると、わにはうけあったとおりに、一日のうちに命をもとの浜までおつれ申しました。 命はご自分のつるしておいでになる小さな刀をおほどきになって、それをごほうびにわにの首へくくりつけておかえしになりました。 命はそれからすぐに、おあにいさまのところへいらしって、海の神が教えてくれたとおりに、 いやなつり針ばり、 悪いつり針、 ばかなつり針。 と言い言い、例のつり針を、うしろ向きになってお返しになりました。それから田を作るにも海の神が言ったとおりになさいました。 そうすると、命の田からは、毎年どんどんおこめが取れるのに、おあにいさまの田には、水がちっとも来ないものですから、おあにいさまは、三年の間にすっかり貧びん乏ぼうになっておしまいになりました。 するとおあにいさまは、あんのじょう、命のことをねたんで、いくどとなく殺しにおいでになりました。命はそのときにはさっそく満みち潮しおの玉を出して、大水をわかせてお防ぎになりました。おあにいさまは、たんびにおぼれそうになって、助けてくれ、助けてくれ、とおっしゃいました。命はそのときには干ひし潮おの玉を出してたちまち水をおひかせになりました。そんなわけで、おあにいさまも、しまいには弟さまの命にはとてもかなわないとお思いになり、とうとう頭をさげて、 ﹁どうかこれまでのことは許しておくれ。私はこれからしょうがい、夜昼おまえのうちの番をして、おまえに奉公するから﹂と、かたくお誓ちかいになりました。 ですから、このおあにいさまの命のご子孫は、後の代よまで、命が水におぼれかけてお苦しみになったときの身み振ぶりをまねた、さまざまなおかしな踊おどりを踊るのが、代々きまりになっておりました。三
そのうちに、火ほお遠りの理みこ命とが海のお宮へ残しておかえりになった、お嫁よめさまの豊とよ玉たま媛ひめが、ある日ふいに海の中から出ていらしって、 ﹁私はかねて身みお重もになっておりましたが、もうお産をいたしますときがまいりました。しかし大空の神さまのお子さまを海の中へお生み申してはおそれ多いと存じまして、はるばるこちらまで出てまいりました﹂とおっしゃいました。 それで命みことは急いで、うぶやという、お産をするおうちを、海ばたへおたてになりました。その屋根はかやの代わりに、うの羽根を集めておふかせになりました。 するとその屋根がまだできあがらないうちに、豊玉媛は、もう産けがおつきになって、急いでそのうちへおはいりになりました。 そのとき媛ひめは命に向かって、 ﹁すべての人がお産をいたしますには、みんな自分の国のならわしがありまして、それぞれへんなかっこうをして生みますものでございます。それですから、どうぞ私がお産をいたしますところも、けっしてご覧らんにならないでくださいましな﹂と、かたくお願いしておきました。命は媛ひめがわざわざそんなことをおっしゃるので、かえって変だとおぼしめして、あとでそっと行ってのぞいてご覧になりました。 そうすると、たった今まで美しい女であった豊玉媛が、いつのまにか八ひろもあるような恐ろしい大わにになって、うんうんうなりながらはいまわっていました。命はびっくりして、どんどん逃にげ出しておしまいになりました。 豊玉媛はそれを感づいて、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないものですから、お子さまをお生み申すと、命に向かって、 ﹁私はこれから、しじゅう海を往来して、お目にかかりにまいりますつもりでおりましたが、あんな、私の姿をご覧になりましたので、ほんとうにお恥ずかしくて、もうこれきりおうかがいもできません﹂こう言って、そのお子さまをあとにお残し申したまま、海の中の通り道をすっかりふさいでしまって、どんどん海の底へ帰っておしまいになりました。そしてそれなりとうとう一生、二度と出ていらっしゃいませんでした。 お二人の中のお子さまは、うの羽根の屋根がふきおえないうちにお生まれになったので、それから取って、鵜うが茅やふ草きあ葺えず不のみ合こ命ととお呼よびになりました。 媛ひめは海のお宮にいらしっても、このお子さまのことが心配でならないものですから、お妹さまの玉たま依より媛ひめをこちらへよこして、その方の手で育てておもらいになりました。媛は夫の命が自分のひどい姿をおのぞきになったことは、いつまでたっても恨うらめしくてたまりませんでしたけれど、それでも命のことはやっぱり恋しくおしたわしくて、かたときもお忘わすれになることができませんでした。それで玉依媛にことづけて、 赤玉は、 緒おさえ光れど、 白しら玉たまの、 君が装よそおし、 貴とうとくありけり。 という歌をお送りになりました。これは、 ﹁赤い玉はたいへんにりっぱなもので、それをひもに通して飾かざりにすると、そのひもまで光って見えるくらいですが、その赤玉にもまさった、白玉のようにうるわしいあなたの貴いお姿すがたを、私はしじゅうお慕したわしく思っております﹂という意味でした。 命みことはたいそうあわれにおぼしめして、私もおまえのことはけっして忘わすれはしないという意味の、お情けのこもったお歌をお返しになりました。 命は高たか千ち穂ほの宮というお宮に、とうとう五百八十のお年までお住まいになりました。 ﹇#改ページ﹈八やた咫がら烏す
一
鵜うが茅やふ草きあ葺えず不のみ合こ命とは、ご成人の後、玉たま依より媛ひめを改めてお妃きさきにお立てになって、四人の男のお子をおもうけになりました。 この四人のごきょうだいのうち、二番めの稲いな氷ひの命みことは、海をこえてはるばると、常とこ世よの国くにという遠い国へお渡りになりました。ついで三番めの若わか御みけ毛ぬの沼みこ命とも、お母上のお国の、海の国へ行っておしまいになり、いちばん末の弟さまの神かん倭やま伊とい波われ礼ひこ毘のみ古こ命とが、高たか千ち穂ほの宮にいらしって、天下をお治めになりました。しかし、日ひゅ向うがはたいへんにへんぴで、政まつりごとをお聞きめすのにひどくご不便でしたので、命みことはいちばん上のおあにいさまの五いつ瀬せの命みこととお二人でご相談のうえ、 ﹁これは、もっと東の方へ移ったほうがよいであろう﹂とおっしゃって、軍勢を残らずめしつれて、まず筑ちく前ぜん国のくにに向かっておたちになりました。その途中、豊ぶぜ前んの宇う佐さにお着きになりますと、その土地の宇う佐さ都つ比ひ古こ、宇う佐さ都つ比ひ売めという二人の者が、御ごて殿んをつくってお迎え申し、てあつくおもてなしをしました。 命はそこから筑ちく前ぜんへおはいりになりました。そして岡おか田だの宮みやというお宮に一年の間ご滞在になった後、さらに安あ芸きの国へおのぼりになって、多たけ家りの理み宮やに七年間おとどまりになり、ついで備びぜ前んへお進みになって、八年の間高たか島しま宮のみやにお住まいになりました。そしてそこからお船をつらねて、波の上を東に向かっておのぼりになりました。 そのうちに速はや吸すい門のかど﹇#ルビの﹁はやすいのかど﹂はママ﹈というところまでおいでになりますと、向こうから一人の者が、かめの背なかに乗って、魚さかなをつりながら出て来まして、命みことのお船を見るなり、両手をあげてしきりに手てま招ねきをいたしました。命はその者を呼よびよせて、 ﹁おまえは何者か﹂とお聞きになりますと、 ﹁私はこの地方の神で宇うず豆ひ彦こと申します﹂とお答えいたしました。 ﹁そちはそのへんの﹇#﹁そのへんの﹂はママ﹈海路を存じているか﹂とおたずねになりますと、 ﹁よく存じております﹂と申しました。 ﹁それではおれのお供につくか﹂とおっしゃいますと、 ﹁かしこまりました。ご奉公申しあげます﹂とお答え申しましたので、命はすぐにおそばの者に命じて、さおをさし出させてお船へ引きあげておやりになりました。 みんなは、そこから、なお東へ東へとかじを取って、やがて摂せっ津つの浪なみ速はやの海を乗り切って、河かわ内ちの国くにの、青あを雲ぐもの白しら肩かた津のつという浜へ着きました。 するとそこには、大やま和との鳥と見みというところの長なが髄すね彦ひこという者が、兵をひきつれて待ちかまえておりました。命は、いざ船からおおりになろうとしますと、かれらが急にどっと矢を射い向けて来ましたので、お船の中から盾たてを取り出して、ひゅうひゅう飛んで来る矢の中をくぐりながらご上陸なさいました。そしてすぐにどんどん戦いくさをなさいました。 そのうちに五いつ瀬せの命みことが、長なが髄すね彦ひこの鋭い矢のために大きずをお受けになりました。命みことはその傷をおおさえになりながら、 ﹁おれたちは日の神の子孫でありながら、お日さまの方に向かって攻めかかったのがまちがいである。だからかれらの矢にあたったのだ。これから東の方へ遠まわりをして、お日さまを背なかに受けて戦おう﹂とおっしゃって、みんなをめし集めて、弟さまの命といっしょにもう一度お船におめしになり、大急ぎで海のまん中へお出ましになりました。 その途中で、命はお手についた傷の血をお洗いになりました。 しかしそこから南の方へまわって、紀きい伊のく国にの男おの水みな門とまでおいでになりますと、お傷の痛いたみがいよいよ激しくなりました。命は、 ﹁ああ、くやしい。かれらから負わされた手傷で死ぬるのか﹂と残念そうなお声でお叫びになりながら、とうとうそれなりおかくれになりました。二
神かん倭やま伊とい波われ礼ひこ毘のみ古こ命とは、そこからぐるりとおまわりになり、同じ紀き伊いの熊くま野のという村にお着きになりました。するとふいに大きな大ぐまが現われて、あっというまにまたすぐ消えさってしまいました。ところが、命みこともお供の軍勢もこの大ぐまの毒気にあたって、たちまちぐらぐらと目がくらみ、一人のこらず、その場に気絶してしまいました。 そうすると、そこへ熊くま野のの高たか倉くら下じという者が、一ふりの太た刀ちを持って出て来まして、伏ふし倒たおれておいでになる伊いわ波れひ礼この毘み古こ命とに、その太刀をさしだしました。命はそれといっしょに、ふと正しょ気うきにおかえりになって、 ﹁おや、おれはずいぶん長なが寝ねをしたね﹂とおっしゃりながら、高たか倉くら下じがささげた太た刀ちをお受けとりになりますと、その太刀に備わっている威光でもって、さっきのくまをさし向けた熊野の山の荒くれた悪わる神がみどもは、ひとりでにばたばたと倒たおれて死にました。それといっしょに命の軍勢は、まわった毒から一度にさめて、むくむくと元気よく起きあがりました。 命はふしぎにおぼしめして、高たか倉くら下じに向かって、この貴とうとい剣つるぎのいわれをおたずねになりました。 高たか倉くら下じは、うやうやしく、 ﹁実はゆうべふと夢を見ましたのでございます。その夢の中で、天あま照てら大すお神おかみと高たか皇みむ産すび霊のか神みのお二ふた方かたが、建たけ御みか雷ずち神のかみをおめしになりまして、葦あし原はら中のな国かつくには、今しきりに乱みだれ騒さわいでいる。われわれの子孫たちはそれを平らげようとして、悪わる神がみどもから苦しめられている。あの国は、いちばんはじめそちが従えて来た国だから、おまえもう一度くだって平らげてまいれとおっしゃいますと、建たけ御みか雷ずち神のかみは、それならば、私がまいりませんでも、ここにこの前あすこを平らげてまいりましたときの太た刀ちがございますから、この太刀をくだしましょう。それには、高たか倉くら下じの倉くらのむねを突きやぶって落としましょうと、こうお答えになりました。 それからその建たけ御みか雷ずち神のかみは、私に向かって、おまえの倉くらのむねを突きとおしてこの刀を落とすから、あすの朝すぐに、大空の神のご子孫にさしあげよとお教えくださいました。目がさめまして、倉へまいって見ますと、おおせのとおりに、ちゃんとただいまのその太た刀ちがございましたので、急いでさしあげにまいりましたのでございます﹂ こう言って、わけをお話し申しました。 そのうちに、高たか皇みむ産すび霊のか神みは、雲の上から伊いわ波れひ礼この毘み古こ命とに向かって、 ﹁大空の神のお子よ、ここから奥おくへはけっしてはいってはいけませんよ。この向こうには荒あらくれた神たちがどっさりいます。今これから私が八やた咫がら烏すをさしくだすから、そのからすの飛んで行く方へついておいでなさい﹂とおさとしになりました。 まもなくおおせのとおり、そのからすがおりて来ました。命みことはそのからすがつれて行くとおりに、あとについてお進みになりますと、やがて大やま和との吉よし野のが河わの河かわ口ぐちへお着きになりました。そうするとそこにやなをかけて魚さかなをとっているものがおりました。 ﹁おまえはだれだ﹂とおたずねになりますと、 ﹁私はこの国の神で、名は贄にえ持もちの子と申します﹂とお答え申しました。 それから、なお進んでおいでになりますと、今度はおしりにしっぽのついている人間が、井い戸どの中から出て来ました。そしてその井戸がぴかぴか光りました。 ﹁おまえは何者か﹂とおたずねになりますと、 ﹁私はこの国の神で井い冰ひ鹿かと申すものでございます﹂とお答えいたしました。 命みことはそれらの者を、いちいちお供ともにおつれになって、そこから山の中を分けていらっしゃいますと、またしっぽのある人にお会いになりました。この者は岩をおし分けて出て来たのでした。 ﹁おまえはだれか﹂とお聞きになりますと、 ﹁わたしはこの国の神で、名は石いわ押おし分わけの子と申します、﹇#﹁申します、﹂はママ﹈ただいま、大空の神のご子孫がおいでになると承りまして、お供に加えていただきにあがりましたのでございます﹂と申しあげました。命は、そこから、いよいよ険けわしい深い山を踏ふみ分けて、大やま和との宇う陀だというところへおでましになりました。 この宇陀には、兄え宇う迦か斯し、弟おと宇う迦か斯しというきょうだいの荒あらくれ者がおりました。命はその二人のところへ八やた咫がら烏すを使いにお出しになって、 ﹁今、大空の神のご子孫がおこしになった。おまえたちはご奉公申しあげるか﹂とお聞かせになりました。 すると、兄の兄え宇う迦か斯しはいきなりかぶら矢を射いかけて、お使いのからすを追いかえしてしまいました。兄え宇う迦か斯しは命がおいでになるのを待ち受けて討うってかかろうと思いまして、急いで兵たいを集めにかかりましたが、とうとう人にん数ずうがそろわなかったものですから、いっそのこと、命をだまし討ちにしようと思いまして、うわべではご奉公申しあげますと言いこしらえて、命をお迎え申すために、大きな御ごて殿んをたてました。そして、その中に、つり天じょうをしかけて、待ち受けておりました。 すると弟の弟おと宇う迦か斯しが、こっそりと命みことのところへ出て来まして、命を伏ふし拝みながら、 ﹁私の兄の兄え宇う迦か斯しは、あなたさまを攻せめ亡ほろぼそうとたくらみまして、兵を集めにかかりましたが、思うように集まらないものですから、とうとう御殿の中につり天じょうをこしらえて待ち受けております。それで急いでおしらせ申しにあがりました﹂と申しました。そこで道みち臣おみ命のみことと大おお久くめ米のみ命ことの二人の大将が、兄え宇う迦か斯しを呼よびよせて、 ﹁こりゃ兄え宇う迦か斯し、おのれの作った御殿にはおのれがまずはいって、こちらの命みことをおもてなしする、そのもてなしのしかたを見せろ﹂とどなりつけながら、太た刀ちのえをつかみ、矢をつがえて、無理やりにその御殿の中へ追いこみました。兄え宇う迦か斯しは追いまくられて逃げこむはずみに、自分のしかけたつり天じょうがどしんと落ちて、たちまち押おし殺されてしまいました。 二人の大将は、その死がいを引き出して、ずたずたに切り刻きざんで投げ捨すてました。 命は弟おと宇う迦か斯しが献けん上じょうしたごちそうを、けらい一同におくだしになって、お祝いの大宴えん会かいをお開きになりました。命はそのとき、 ﹁宇う陀だの城しろにしぎなわをかけて待っていたら、しぎはかからないで大くじらがかかり、わなはめちゃめちゃにこわれた。ははは、おかしや﹂という意味を、歌にお歌いになって、兄え宇う迦か斯しのはかりごとの破れたことを、喜びお笑わらいになりました。 それからまたその宇う陀だをおたちになって、忍おざ坂かというところにお着きになりますと、そこには八やそ十たけ建るといって、穴あなの中に住んでいる、しっぽのはえた、おおぜいの荒あらくれた悪者どもが、命みことの軍勢を討うち破ろうとして、大きな岩屋の中に待ち受けておりました。 命はごちそうをして、その悪者たちをお呼びになりました。そして前もって、相手の一人に一人ずつ、お給仕につくものをきめておき、その一人一人に太た刀ちを隠かくしもたせて、合い図の歌を聞いたら一度に切ってかかれと言い含ふくめておおきになりました。 みんなは、命が、 ﹁さあ、今だ、うて﹂とお歌いになると、たちまち一度に太刀を抜ぬき放って、建たけるどもをひとり残さず切り殺してしまいました。 しかし命は、それらの賊たちよりも、もっともっとにくいのはおあにいさまの命みことのお命を奪うばった、あの鳥と見みの長なが髄すね彦ひこでした。命はかれらに対しては、ちょうどしょうがを食べたあと、口がひりひりするように、いつまでも恨うらみをお忘わすれになることができませんでした。命は、畑のにらを、根も芽めもいっしょに引き抜くように、かれらを根こそぎに討ち亡ぼしてしまいたい、海の中の大きな石に、きしゃごがまっくろに取りついているように、かれらをひしひしと取りまいて、一人残さず討ち取らなければおかないという意味を、勇ましい歌にしてお歌いになりました。そして、とうとうかれらを攻め亡ぼしておしまいになりました。 そのとき、長なが髄すね彦ひこの方に、やはり大空の神のお血すじの、邇にぎ芸はや速ひの日みこ命とという神がいました。 その神が命みことのほうへまいって、 ﹁私は大空の神の御子がおいでになったと承りまして、ご奉公に出ましてございます﹂と申しあげました。そして大空の神の血ちす筋じだという印しるしの宝物を、命に献けん上じょうしました。 命はそれから兄え師し木き、弟おと師し木きというきょうだいのものをご征伐になりました。その戦いくさで、命の軍勢は伊い那な佐さという山の林の中に盾たてを並ならべて戦っているうちに、中途でひょうろうがなくなって、少し弱りかけて来ました。命はそのとき、 ﹁おお、私わしも飢うえ疲つかれた。このあたりのうを使う者たちよ。早くたべ物を持って助けに来い﹂という意味のお歌をお歌いになりました。 命みことはなおひきつづいて、そのほかさまざまの荒あらびる神どもをなつけて従わせ、刃は向かうものをどんどん攻せめ亡ほろぼして、とうとう天下をお平らげになりました。それでいよいよ大やま和との橿かし原はら宮のみやで、われわれの一番最初の天皇のお位におつきになりました。神じん武むて天んの皇うとはすなわち、この貴とうとい伊いわ波れひ礼この毘み古こ命とのことを申しあげるのです。三
天皇は、はじめ日ひゅ向うがにおいでになりますときに、阿あひ比ら良ひ媛めという方をお妃きさきに召めして、多たぎ芸しみ志みの耳みこ命とと、もう一ひと方かた男のお子をおもうけになっていましたが、お位におつきになってから、改めて、皇后としてお立てになる、美しい方をおもとめになりました。 すると大おお久くめ米のみ命ことが、 ﹁それには、やはり、大空の神のお血をお分けになった、伊いす須けよ気り依ひ媛めと申す美しい方がおいでになります。これは三み輪わの社やしろの大おお物もの主ぬし神のかみが、勢せや夜だ陀た多ら良ひ媛めという女の方のおそばへ、朱しゅ塗ぬりの矢に化けておいでになり、媛ひめがその矢を持っておへやにおはいりになりますと、矢はたちまちもとのりっぱな男の神さまになって、媛のお婿むこさまにおなりになりました。伊いす須けよ気り依ひ媛めはそのお二人の中にお生まれになったお媛さまでございます﹂と申しあげました。 そこで天皇は、大久米命をおつれになって、その伊いす須けよ気り依ひ媛めを見においでになりました。すると同じ大やま和との、高たか佐さ士じ野のという野で、七人の若い女の人が野遊びをしているのにお出会いになりました。するとちょうど伊いす須けよ気り依ひ媛めがその七人の中にいらっしゃいました。 大久米命はそれを見つけて、天皇に、このなかのどの方をおもらいになりますかということを、歌に歌ってお聞き申しますと、天皇はいちばん前にいる方を伊いす須けよ気り依ひ媛めだとすぐにおさとりになりまして、 ﹁あのいちばん前にいる人をもらおう﹂と、やはり歌でお答えになりました。大久米命は、その方のおそばへ行って、天皇のおおせをお伝えしようとしますと、媛は、大久米命が大きな目をぎろぎろさせながら来たので、変だとおぼしめして、 あめ、つつ、 ちどり、ましとと、 など裂さける利と目め。 とお歌いになりました。それは、 ﹁あめという鳥、つつという鳥、ましととという鳥やちどりの目のように、どうしてあんな大きな、鋭い目を光らせているのであろう﹂という意味でした。 大久米命は、すぐに、 ﹁それはあなたを見つけ出そうとして、さがしていた目でございます﹂と歌いました。 媛ひめのおうちは、狹さい井が川わという川のそばにありました。そこの川かわ原らには、やまゆりがどっさり咲いていました。天皇は、媛のおうちへいらしって、ひと晩とまってお帰りになりました。媛はまもなく宮中におあがりになって、貴とうとい皇后におなりになりました。お二人の中には、日ひこ子やい八のみ井こ命と、神かん八やい井みみ耳のみ命こと、神かん沼ぬか河わみ耳みの命みことと申す三人の男のお子がお生まれになりました。 天皇は、後におん年百三十七でおかくれになりました。おなきがらは畝うね火びや山まにお葬ほうむり申しあげました。 するとまもなく、さきに日ひゅ向うがでお生まれになった多たぎ芸しみ志みの耳みこ命とが、お腹はらちがいの弟さまの日ひこ子やい八のみ井こ命とたち三人をお殺し申して、自分ひとりがかってなことをしようとお企くわだてになりました。 お母上の皇后はそのはかりごとをお見ぬきになって、 ﹁畝うね火びや山まに昼はただの雲らしく、静かに雲がかかっているけれど、夕方になれば荒あれが来て、ひどい風が吹き出すらしい。木の葉がそのさきぶれのように、ざわざわさわいでいる﹂という意味の歌をお歌いになり、多たぎ芸しみ志みの耳みこ命とが、いまに、おまえたちを殺しにかかるぞということを、それとなくおさとしになりました。 三人のお子たちは、それを聞いてびっくりなさいまして、それでは、こっちから先に命みことを殺してしまおうとご相談なさいました。 そのときいちばん下の神かん沼ぬか河わみ耳みの命みことは、中のおあにいさまの神かん八やい井みみ耳のみ命ことに向かって、 ﹁では、あなた、命みことのところへ押おしいって、お殺しなさい﹂とおっしゃいました。 それで神かん八やい井みみ耳のみ命ことは刀かたなを持ってお出かけになりましたが、いざとなるとぶるぶるふるえ出して、どうしても手出しをなさることができませんでした。そこで弟さまの神かん沼ぬか河わみ耳みの命みことがその刀をとってお進みになり、ひといきに命を殺しておしまいになりました。 神かん八やい井みみ耳のみ命ことはあとで弟さまに向かって、 ﹁私はあのかたきを殺せなかったけれど、そなたはみごとに殺してしまった。だから、私は兄だけれど、人のかみに立つことはできない。どうぞそなたが天皇の位について天下を治めてくれ、私は神々をまつる役目をひき受けて、そなたに奉公をしよう﹂とおっしゃいました。それで、弟の命はお二人のおあにいさまをおいてお位におつきになり、大やま和との葛かつ城らぎ宮のみやにお移りになって、天下をお治めになりました。すなわち第二代、綏すい靖ぜい天てん皇のうさまでいらっしゃいます。 天皇はご短命で、おん年四十五でお隠かくれになりました。 ﹇#改ページ﹈赤い盾たて、黒い盾たて
一
綏すい靖ぜい天てん皇のうから御おん七代をへだてて、第十代目に崇すじ神んて天んの皇う﹇#ルビの﹁すじんてんのう﹂は底本では﹁すいじんてんのう﹂﹈がお位におつきになりました。 天皇にはお子さまが十二人おありになりました。その中で皇女、豊とよ入すき媛いりひめが、はじめて伊い勢せの天あま照てら大すお神おかみのお社やしろに仕えて、そのお祭りをお司つかさどりになりました。また、皇おう子じ倭やま日とひ子この命みことがおなくなりになったときに、人がきといって、お墓のまわりへ人を生きながら埋うめてお供ともをさせるならわしがはじまりました。 この天皇の御み代よには、はやり病やまいがひどくはびこって、人民という人民はほとんど死に絶えそうになりました。 天皇は非常にお嘆なげきになって、どうしたらよいか、神のお告げをいただこうとおぼしめして、御おん身みを潔きよめて、慎つつしんでお寝ねど床この上にすわっておいでになりました。そうするとその夜のお夢に、三み輪わの社やしろの大おお物もの主ぬし神のかみが現われていらしって、 ﹁こんどのやく病はこのわしがはやらせたのである。これをすっかり亡ほろぼしたいと思うならば、大おお多た根ね子こというものにわしの社やしろを祀まつらせよ﹂とお告げになりました。天皇はすぐに四方へはやうまのお使いをお出しになって、そういう名まえの人をおさがしになりますと、一人の使いが、河かわ内ちの美みぬ努む村らというところでその人を見つけてつれてまいりました。 天皇はさっそくご前にお召めしになって、 ﹁そちはだれの子か﹂とおたずねになりました。 すると大おお多た根ね子こは、 ﹁私は大おお物もの主ぬし神のかみのお血ちす筋じをひいた、建たけ甕みか槌づち命のみことと申します者の子でございます﹂とお答えいたしました。 それというわけは、大おお多た根ね子こから五代だいもまえの世に、陶すえ都つみ耳みの命みことという人の娘むすめで活いく玉たま依より媛ひめというたいそう美しい人がおりました。 この依より媛ひめがあるとき、一人の若い人をお婿むこさまにしました。その人は、顔かたちから、いずまいの美しいけだかいことといったら、世の中にくらべるものもないくらい、りっぱな、りりしい人でした。 媛ひめはまもなく子供が生まれそうになりました。しかしそのお婿さんは、はじめから、ただ夜だけ媛のそばにいるきりで、あけがたになると、いつのまにかどこかへ行ってしまって、けっしてだれにも顔を見せませんし、お嫁さんの媛にさえ、どこのだれかということすらも、うちあけませんでした。 媛のおとうさまとおかあさまとは、どうかして、そのお婿さんを、どこの何びとか突きとめたいと思いまして、ある日、媛ひめに向かって、 ﹁今夜は、おへやへ赤土をまいておおき、それからあさ糸のまりを針はりにとおして用意しておいて、お婿むこさんが出て来たら、そっと着物のすそにその針をさしておおき﹂と言いました。 媛はその晩、言われたとおりに、お婿さんの着物のすそへあさ糸をつけた針をつきさしておきました。 あくる朝になって見ますと、針についているあさ糸は、戸のかぎ穴あなから外へ伝わっていました。そして糸のたまは、すっかり繰りほどけて、おへやの中には、わずか三まわり輪わに巻けた長さしか残っておりませんでした。 それで、ともかくお婿さんは、戸のかぎ穴から出はいりしていたことがわかりました。媛はその糸の伝わっている方へずんずん行って見ますと、糸はしまいに、三みわ輪や山まのお社やしろにはいって止まっていました。それで、はじめて、お婿さんは大おお物もの主ぬし神のかみでいらしったことがわかりました。 大おお多た根ね子こはこのお二人の間に生まれた子の四代目の孫でした。 天皇は、さっそくこの大多根子を三輪の社の神かん主ぬしにして、大物主神のお祭りをおさせになりました。それといっしょに、お供えものを入れるかわらけをどっさり作らせて、大空の神々や下界の多くの神々をおまつりになりました。その中のある神さまには、とくに赤色の盾たてや黒くろ塗ぬりの盾をおあげになりました。 そのほか、山の神さまや川の瀬せの神さまにいたるまで、いちいちもれなくお供えものをおあげになって、ていちょうにお祭りをなさいました。そのために、やく病はやがてすっかりとまって、天下はやっと安らかになりました。二
天皇はついで大おお毘ひこ古のみ命ことを北ほく陸ろく道どうへ、その子の建たけ沼ぬか河わわ別けの命みことを東とう山さん道どうへ、そのほか強い人を方々へお遣つかわしになって、ご命令に従わない、多くの悪者どもをご征伐になりました。
大おお毘ひこ古のみ命ことはおおせをかしこまって出て行きましたが、途中で、山やま城しろの幣へら羅ざ坂かというところへさしかかりますと、その坂の上に腰こしぬのばかりを身につけた小こむ娘すめが立っていて、
これこれ申し天子さま、
あなたをお殺し申そうと、
前の戸に、
裏うらの戸に、
行ったり来たり、
すきを狙ねらっている者が、
そこにいるとも知らないで、
これこれ申し天子さま。
と、こんなことを歌いました。
大おお毘ひこ古のみ命ことは変だと思いまして、わざわざうまをひきかえして、
﹁今言ったのはなんのことだ﹂とたずねました。
すると小こむ娘すめは、
﹁私はなんにも言いはいたしません。ただ歌を歌っただけでございます﹂と答えるなり、もうどこへ行ったのか、ふいに姿すがたが見えなくなってしまいました。
大おお毘ひこ古のみ命ことは、その歌の言こと葉ばがしきりに気になってならないものですから、とうとうそこからひきかえしてきて、天皇にそのことを申しあげました。すると天皇は、
﹁それは、きっと、山やま城しろにいる、私わしの腹はらちがいの兄、建たけ波はに邇やす安のみ王こが、悪だくみをしている知らせに相違あるまい。そなたはこれから軍勢をひきつれて、すぐに討うちとりに行ってくれ﹂とおっしゃって、彦ひこ国くに夫ぶく玖のみ命ことという方を添そえて、いっしょにお遣つかわしになりました。
二人は、神々のお祭りをして、勝利を祈って出かけました。そして、山やま城しろの木きつ津が川わまで行きますと、建たけ波はに邇やす安のみ王こは案のじょう、天皇におそむき申して、兵を集めて待ち受けていらっしゃいました。両方の軍勢は川を挟はさんで向かい合いに陣じん取どりました、﹇#﹁陣取りました、﹂はママ﹈彦ひこ国くに夫ぶく玖のみ命ことは、敵に向かって、
﹁おおい、そちらのやつ、まずかわきりに一矢や射いてみよ﹂とどなりました。敵の大将の建たけ波はに邇やす安のみ王こは、すぐにそれに応じて、大きな矢をひゅうッと射放しましたが、その矢はだれにもあたらないで、わきへそれてしまいました。それでこんどはこちらから国くに夫ぶく玖のみ命ことが射かけますと、その矢はねらいたがわず建たけ波はに邇やす安のみ王こを刺さし殺してしまいました。
敵の軍勢は、王みこが倒れておしまいになると、たちまち総くずれになって、どんどん逃にげだしてしまいました。国くに夫ぶく玖のみ命ことの兵はどんどんそれを追っかけて、河かわ内ちの国のある川の渡しのところまで追いつめて行きました。
すると賊兵のあるものは、苦しまぎれにうんこが出て下ばかまを汚よごしました。
こちらの軍勢はそいつらの逃げ道をくいとめて、かたっぱしからどんどん切り殺してしまいました。そのたいそうな死がいが川に浮かんで、ちょうど、うのように流れくだって行きました。
大おお毘ひこ古のみ命ことは天皇にそのしだいをすっかり申しあげて、改めて北ほく陸ろく道どうへ出発しました。
そのうちに大おお毘ひこ古のみ命ことの親子をはじめ、そのほか方々へお遣つかわしになった人々が、みんなおおせつかった地方を平らげて帰りました。そんなわけで、もういよいよどこにも天皇におさからいする者がなくなって、天下は平らかに治まり、人民もどんどん裕ゆう福ふくになりました。それで天皇ははじめて人民たちから、男から弓ゆは端ずの調みつぎといって、弓矢でとった獲えも物のの中のいくぶんを、女からは手たな末すえの調みつぎといって、紡つむいだり、織ったりして得たもののいくぶんを、それぞれ貢みつ物ぎものとしておめしになりました。
天皇はまた、人民のために方々へ耕作用の池をお作りになりました。天皇の高いお徳は、後の代よからも、いついつまでも永ながくおほめ申しあげました。
﹇#改ページ﹈
おしの皇おう子じ
一
崇すじ神んて天んの皇う﹇#ルビの﹁すじんてんのう﹂は底本では﹁すいじんてんのう﹂﹈のおあとには、お子さまの垂すい仁にん天てん皇のうがお位をお継つぎになりました。天皇は、沙さほ本ひこ毘の古み王こという方のお妹さまで沙さほ本ひ媛めとおっしゃる方を皇后にお召めしになって、大やま和との玉たま垣がきの宮にお移りになりました。 その沙さほ本ひこ毘の古み王こが、あるとき皇后に向かって、 ﹁あなたは夫と兄とはどちらがかわいいか﹂と聞きました。皇后は、 ﹁それはおあにいさまのほうがかわゆうございます﹂とお答えになりました。すると王みこは、用意していた鋭い短刀をそっと皇后にわたして、 ﹁もしおまえが、ほんとうに私わしをかわいいと思うなら、どうぞ、この刀で天皇がおよっていらっしゃるところを刺さし殺しておくれ。そして二人でいつまでも天下を治めようではないか﹂と言って、無理やりに皇后を説き伏ふせてしまいました。 天皇は二人がそんな怖おそろしいたくらみをしているとはご存じないものですから、ある晩、なんのお気もなく、皇后のおひざをまくらにしてお眠ねむりになりました。 皇后はこのときだとお思いになって、いきなり短刀を抜ぬき放して、天皇のお首をま下にねらって、三度までお振ふりかざしになりましたが、いよいよとなると、さすがにおいたわしくて、どうしてもお手をおくだしになることができませんでした。そしてとうとう悲しさに堪たえきれないで、おんおんお泣なきだしになりました。 その涙なみだが天皇のお顔にかかって流れ落ちました。天皇はそれといっしょに、ひょいとお目ざめになって、 ﹁おれは今きたいな夢を見た。沙さ本ほの村の方からにわかに大雨が降って来て、おれの顔にぬれかかった。それから、にしき色の小さなへびがおれの首へ巻きついた。いったいこんな夢はなんの兆しるしであろう﹂と、皇后に向かっておたずねになりました。皇后はそうおっしゃられると、ぎくりとなすって、これはとても隠かくしきれないとお思いになったので、おあにいさまとお二人のおそれ多いたくらみをすっかり白状しておしまいになりました。 天皇はそれをお聞きになると、びっくりなすって、 ﹁いやそれは危くばかな目を見るところであった﹂とおっしゃりながら、すぐに軍勢をお集めになって、沙さ本ほ毘ひ古こを討うちとりにおつかわしになりました。 すると沙さ本ほ毘ひ古このほうでは、いねたばをぐるりと積みあげて、それでとりでをこしらえて、ちゃんと待ち受けておりました。天皇の軍勢はそれをめがけて撃ってかかりました。 皇后はそうなると、こんどはまたおあにいさまのことがおいたわしくおなりになって、じっとしておいでになることができなくなりました。それで、とうとうこっそり裏うら口ぐちのご門から抜ぬけ出して、沙さ本ほ毘ひ古このとりでの中へかけつけておしまいになりました。 皇后はそのときちょうど、お腹なかにお子さまをお持ちになっていらっしゃいました。 天皇は、もはや三年もごちょう愛になっていた皇后でおありになるうえに、たまたまお身持ちでいらっしゃるものですから、いっそうおかわいそうにおぼしめして、どうか皇后のお身におけががないようにと、それからは、とりでもただ遠まきにして、むやみに攻め落とさないように、とくにご命令をおくだしになりました。二
そんなことで、かれこれ戦いくさも長びくうちに、皇后はおあにいさまのとりでの中で皇子をお生みおとしになりました。 皇后はそのお子さまをとりでのそとへ出させて、天皇の軍勢の者にお見せになり、 ﹁この御み子こをあなたのお子さまとおぼしめしてくださるならば、どうぞひきとってご養育なすってくださいまし﹂と、天皇にお伝えさせになりました。 天皇はそのことをお聞きになりますと、ついでにどうかして皇后をもいっしょに取りかえしたいとお思いになりました。それは、兄の沙さ本ほ毘ひ古こに対しては、刻きざみ殺してもたりないくらい、お憤いきどおりになっておりますが、皇后のことだけは、どこまでもおいたわしくおぼしめしていらっしゃるからでした。 それで味方の兵士の中で、いちばん力の強い、そしていちばんすばしっこい者をいく人かお選びになって、 ﹁そちたちはあの皇子を受け取るときに、必ず母の后きさきをもひきさらってかえれ。髪でも手でも、つかまりしだいに取りつかまえて、無理にもつれ出して来い﹂とお言いつけになりました。 しかし皇后のほうでも、天皇がきっとそんなお企くわだてをなさるに違いないと、ちゃんとお感づきになっていましたので、そのときの用意に、前もってお髪ぐしをすっかりおそり落としになって、そのお毛をそのままそっとお被かぶりになり、それからお腕うで先さきのお玉たま飾かざりも、わざと、つなぎの緒ひもを腐くさらして、お腕へ三み重えにお巻きつけになり、お召めし物ものもわざわざ酒で腐らしたのをおめしになって、それともなげに皇子を抱かかえて、とりでの外へお出ましになりました。 待ちかまえていた勇士たちは、そのお子さまをお受け取り申すといっしょに、皇后をも奪い取ろうとして、すばやく飛びかかってお髪ぐしをひっつかみますと、髪はたちまちすらりとぬげ落ちてしまいました。 ﹁おや、しまった﹂と、こんどはお手をつかみますと、そのお手の玉飾りの緒ひももぷつりと切れたので、難なんなくお手をすり抜ぬいてお逃にげになりました。こちらはまたあわてて追いすがりながら、ぐいとお召物をつかまえました。すると、それもたちまちぼろりとちぎれてしまいました。その間に皇后は、さっと中へ逃げこんでおしまいになりました。 勇士どもはしかたなしに、皇子一人をお抱かかえ申して、しおしおと帰ってまいりました。 天皇はそれらの者たちから、 ﹁お髪ぐしをつかめばお髪がはなれ、玉の緒ひももお召めし物ものも、みんなぷすぷす切れて、とうとうおとりにがし申しました﹂とお聞きになりますと、それはそれはたいそうお悔くやみになりました。 天皇はそのために、宮中の玉飾りの細さい工くに人んたちまでお憎にくみになって、それらの人々が知ちぎ行ょうにいただいていた土地を、いきなり残らず取りあげておしまいになりました。 それから改めて皇后の方へお使いをお出しになって、 ﹁すべて子供の名は母がつけるものときまっているが、あの皇子は、なんという名前にしようか﹂とお聞きかせになりました。 皇后はそれに答えて、 ﹁あの御み子こは、ちょうどとりでが火をかけられて焼けるさいちゅうに、その火の中でお生まれになったのでございますから、本ほむ牟ちわ智けの別み王ことお呼び申したらよろしゅうございましょう﹂とおっしゃいました。そのほむちというのは火のことでした。 天皇はそのつぎには、 ﹁あの子には母がないが、これからどうして育てたらいいか﹂とおたずねになりますと、 ﹁ではうばをお召めし抱かかえになり、お湯をおつかわせ申す女たちをもおおきになって、それらの者にお任まかせになればよろしゅうございます﹂とお答えになりました。 天皇は最後に、 ﹁そちがいなくなっては、おれの世話はだれがするのだ﹂とお聞きになりました。すると皇后は、 ﹁それには、丹たん波ばの道みち能のう宇しの斯み王この子に、兄えひ媛め、弟おと媛ひめ﹇#ルビの﹁おとひめ﹂は底本では﹁おひめ﹂﹈というきょうだいの娘むすめがございます。これならば家いえ柄がらも正しい女たちでございますから、どうかその二人をお召めしなさいまし﹂とおっしゃいました。 天皇はもういよいよしかたなしに、一気にとりでを攻め落として、沙さ本ほ毘ひ古こを殺させておしまいになりました。 皇后も、それといっしょに、えんえんと燃えあがる火の中に飛びこんでおしまいになりました。三
お母上のない本ほむ牟ちわ智けの別み王こは、それでもおしあわせに、ずんずんじょうぶにご成長になりました。 天皇はこの皇子のために、わざわざ尾おわ張りの相あい津ずというところにある、二またになった大きなすぎの木をお切らせになって、それをそのままくって二またの丸まる木きぶ船ねをお作らせになりました。そして、はるばると大やま和とまで運ばせて、市いち師しの池という池にお浮うかべになり、その中へごいっしょにお乗りになって、皇子をお遊ばせになりました。 しかしこの皇子は、後にすっかりご成せい人じんになって、長いお下ひげがお胸むね先さきにたれかかるほどにおなりになっても、お口がちっともおきけになりませんでした。 ところがあるとき、こうの鳥が、空を鳴いて飛んで行くのをご覧らんになって、お生まれになってからはじめて、 ﹁あわわ、あわわ﹂とおおせになりました。 天皇は、さっそく、山やま辺べの大おお鷹たかという者に、 ﹁あの鳥をとって来てみよ﹂とおいいつけになりました。 大おお鷹たかはかしこまって、その鳥のあとをどこまでも追っかけて、紀きい伊のく国に、播はり磨まの国くにへとくだって行き、そこから因いな幡ば、丹たん波ば、但たじ馬まをかけまわった後、こんどは東の方へまわって、近おう江みから美み濃の、尾おわ張りをかけぬけて信しな濃のにはいり、とうとう越えち後ごのあたりまでつけて行きました。そして、やっとのことで和わ那な美みという港でわな網あみを張って、ようやく、そのこうの鳥をつかまえました。そして大急ぎで都みやこへ帰って、天皇におさし出し申しました。 天皇は、その鳥を皇子にお見せになったら、おものがおっしゃれるようにおなりになりはしないかとおぼしめして、わざわざとりにおつかわしになったのでした。しかし皇子は、やはりそのまま一ひと言こともおものをおっしゃいませんでした。 天皇はそのために、いつもどんなにお心をおいためになっていたかしれませんでした。 そのうちに、ある晩、ふと夢の中で、 ﹁私わしのお社やしろを天皇のお宮のとおりにりっぱに作り直して下さるなら王みこは必ず口がきけるようにおなりになる﹂と、こういうお告げをお聞きになりました。 天皇は、どの神さまのお告げであろうかと急いで占うらないの役人に言いつけて占わせてごらんになりますと、それは出いず雲もの大おお神かみのお告げで、皇子はその神のおたたりでおしにお生まれになったのだとわかりました。 それで天皇は、すぐに皇子を出雲へおまいりにお出しになることになさいました。 それにはだれをつけてやったらよかろうと、また占わせてごらんになりますと、曙けた立つの王みこという方が占いにおあたりになりました。 天皇は、その曙けた立つの王みこにお言いつけになって、なお念のために、うかがいのお祈りを立てさせてごらんになりました。 王みこはおおせによって、さぎの巣すの池のそばへ行って、 ﹁あの夢のお告げのとおり、出雲の大神を拝おがんでおしるしがあるならば、その証しょ拠うこにこの池のさぎどもを死なせて見せてくださるように﹂とお祈りをしますと、そのまわりの木の上にとまっていた池じゅうのさぎが、いっせいにぱたぱたと池に落ちて死んでしまいました。そこでこんどは祈りを返して、 ﹁あのさぎがことごとく生きかえりますように﹂と言いますと、いったん死んだそれらのさぎが、またたちまちもとのとおりに生きかえりました。そのつぎには古ふる樫がしの岡おかという岡の上に茂しげっている、葉の大きなかしの木も、曙けた立つの王みこの祈りによって、同じように枯かれたりまた生きかえったりしました。 そんなわけで、お夢のこともまったく出雲の大おお神かみのお告げだということがいよいよたしかになりました。 天皇はすぐに曙けた立つの王みこと兎うが上みの王みことの二人を本ほむ牟ちわ智けの別み王こ﹇#ルビの﹁ほむちわけのみこ﹂は底本では﹁はむちわけのみこ﹂﹈につけて、出雲へおつかわしになりました。 そのご出しゅ立ったつのときにも、どちらの道を選べばよいかとお占うらなわせになりました。すると、奈なら良かい街ど道うからでは、途中でいざりやめくらに会うし、大おお阪さか口ぐちから行っても、やはりめくらやいざりに会うので、どちらとも旅立ちには不ふき吉つである、脇わき道みちの紀きい井かい街ど道うをとおって行けば、必ずさい先さきがよいと、こう占いに出ました。一同はそのとおりにして立っておいでになりました。 天皇は皇子のお名前を永ながく後の世までお伝えになるために、その途中のいたるところに、本ほ牟む智ち部べという部族をおこしらえさせになりました。 皇子は、いよいよ出雲にお着きになって、大おお神かみのお社やしろにおまいりになりました。 そしてまた都みやこへお帰りになろうとなさいますと、その出雲の国をおあずかりしている、国くに造のみやつこという、いちばん上の役人が、肥ひの河かわの中へ仮かりのお宮をつくり、それへ、細ほそ木きを編あんだ橋を渡して、その宮で、皇子を、ごちそうしておもてなし申しあげました。 そのとき川下の方には、皇子のお目を慰なぐさめるために、青葉で、作りものの山がこしらえてありました。 皇子はそれをご覧らんになって、 ﹁あの川下に、山のように見えている青葉は、あれはほんとうの山ではないだろう。神かん主ぬしたちが大おお国くに主ぬし神のかみのお祭りをする場所ででもあるのか﹂と突然こうお聞きになりました。 お供の曙けた立つの王みこや兎うが上みの王みこたちは、皇子がふいにおものをおっしゃれるようになったので、びっくりして喜んで、すぐに早うまのお使いを立てて、そのことを天皇にお知らせ申しました。 皇子はそれからほかのお宮へお移りになって、肥ひな長がひ媛めという人をお妃きさきにおもらいになりました。 ところがあとでご覧らんになりますと、それはへびが女になって出て来たのだとわかりました。皇子はびっくりなすって、みんなとごいっしょに船に乗ってお逃にげになりました。 するとへびの媛ひめは、皇子のおあとを慕したって、急いで別の船をしたてて、海の上をきらきらと照らしながら、どんどん追っかけて来ました。皇子はいよいよ気き味みが悪くおなりになって、あわてて船をひきあげさせて、それをひっぱらせて山の間をお越こえになり、またその船をおろして海をお渡わたりになったりなすって、やっと無事に都みやこへ逃げておかえりになりました。 曙けた立つの王みこは天皇におめみえをして、 ﹁おおせのとおりに大神をお拝おがみになりますと、まもなく、急にお口がおきけになるようになりましたので、一同でお供をして帰ってまいりました﹂と申しあげました。 天皇は、それはそれは言うに言われないほどお喜びになりました。そしてすぐに兎うが上みの王みこをまた再ふたたび出いず雲もへおくだしになって、大神のお社やしろをりっぱにご造ぞう営えいになりました。四
天皇はそれですっかりご安心になったので、こんどはご不自由がちな、おそばのご用をおいいつけになるために、かねて皇后がおっしゃってお置きになったように、丹たん波ばから兄えひ媛めたちのきょうだい四人をおめしよせになりました。 しかし下の二人はたいそうみにくい子でしたので、天皇は兄えひ媛めとそのつぎの弟おと媛ひめとだけをお抱かかえになって、あとの二人はそのまま家へかえしておしまいになりました。 すると、いちばん下の円まど野のひ媛めは、四人がいっしょにおめしに会って伺うかがいながら、二人だけは顔が汚きたないためにご奉公ができないでかえされたと言えば、近所の村々への聞こえも恥ずかしく、とても生きてはいられないと言って、途中の山やま城しろの乙おと訓くにというところまでかえりますと、あわれにも、そこの深いふちに身を投げて死んでしまいました。 それから天皇はある年、多た遅じ摩ま毛も理りという者に、常とこ世よの国くにへ行って、香かおりの高いたちばなの実みを取って来いとおおせつけになりました。 多た遅じ摩ま毛も理りはかしこまって、長い年とし月つきの間いっしょうけんめいに苦心して、はてしもない大おお海うみの向こうの、遠い遠いその国へやっとたどり着きました。そしておおせのたちばなの実の、枝えだ葉はのままついたのを八つ、実ばかりのを八つもぎ取って、また長い間かかって、ようよう都へ帰って来ました。しかし天皇はその前に、もうとっくにおかくれになっていました。 多た遅じ摩ま毛も理りはそのことを承ると、それはそれはがっかりして、葉つきの実を四つと、葉のないのを四つとを、天皇のおそばにお仕え申していた兄えひ媛めにさしあげたうえ、あとの四つずつを天皇のお墓にお供え申しました。そして泣なき泣き大声を張りあげて、 ﹁ご覧らんくださいまし。このとおりおおせの実を取ってまいりました。どうぞご覧くださいまし﹂とそのたちばなを両手にさしあげて、繰くりかえし繰りかえし、いつまでもそのお墓の前で叫び続けて、とうとうそれなり叫び死にに死んでしまいました。 ﹇#改ページ﹈白い鳥
一
第十二代景けい行こう天てん皇のうは、お身の丈たけが一丈じょう二寸すん、おひざから下が四尺しゃく一寸もおありになるほどの、偉大なお体格でいらっしゃいました。それからお子さまも、すべてで八十人もお生まれになりました。 天皇はその中で、後におあとをお継つぎになった若わか帯たら日しひ子この命みことと、小おう碓すの命みこととおっしゃる皇おう子じと、ほかにもう一ひと方かたとだけをおそばにお止めになり、あとの七十七人の方かた々がたをことごとく、地方地方の国くに造のみやつこ、別わけ稲いな置ぎ、県あが主たぬしという、それぞれの役におつけになりました。 あるとき天皇は、美み濃のの、神かん大おお根ねの王みこという方の娘むすめで、兄えひ媛め弟おと媛ひめという姉きょ妹うだいが、二人ともたいそうきりょうがよい子だという評判をお聞きになって、それをじっさいにお確たしかめになったうえ、さっそく御ごて殿んにお召めし使つかいになるおつもりで、皇子の大おお碓うす命のみことにお言いつけになって、二人を召めしのぼせにお遣つかわしになりました。 すると、大おお碓うす命のみことは、その二人の者をご自分のお召使いに取っておしまいになり、別に二人の姉きょ妹うだいの女を探さがし出して、それを兄えひ媛め、弟おと媛ひめだといつわって、天皇にお目通りをおさせになりました。 天皇はそれがほかの女であるということを、ちゃんとお見抜きになりました。しかしうわべでは、あくまでだまされていらっしゃるようにお見せかけになって、二人をそのまま御ごて殿んにお置きになりました。その代わりお手てぢ近かのご用は、わざとほかの者にお言いつけになって、それとなく二人をおこらしめになりました。 大おお碓うす命のみことはそんな悪いことをなすってからは、天皇の御ごぜ前んへお出ましになるのをうしろぐらくおぼしめして、さっぱりお顔をお見せになりませんでした。 天皇はある日、弟さまの皇おう子じの小おう碓すの命みことに向かって、 ﹁そちが兄は、どういうわけで、このせつ朝夕の食事のときにも出て来ないのであろう。おまえ行って、よく申し聞かせよ﹂とおっしゃいました。 しかし、それから五日もたっても、大おお碓うす命のみことは、やっぱりそのままお顔出しをなさらないものですから、天皇は小おう碓すの命みことを召めして、 ﹁兄はどうして、いつまでも食しょ事くじに出て来ないのか。おまえはまだ言わないのではないか﹂とお聞きになりました。 ﹁いいえ、申し聞かせました﹂と命みことはお答えになりました。 ﹁では、どういうふうに話したのか﹂ ﹁ただ朝早く、おあにいさまがかわやにはいりますところを待ち受けて、つかみくじき、手足をむしりとって、死体をこもにくるんでうッちゃりました﹂と、命みことはまるでむぞうさにこう言って、すましていらっしゃいました。 天皇はそれ以来、小おう碓すの命みことのきつい荒あらいご気きし性ょうを怖おそろしくおぼしめして、どうかしてそれとなく命をおそばから遠ざけようとお考えになりました。それでまもなく命を召めして、 ﹁実は西の方に熊くま襲そた建けるという者のきょうだいがいる。二人とも私の命令に従わない無礼なやつである。そちはこれから行って、かれらを打ちとってまいれ﹂とおおせになりました。それで命は、急いで伊い勢せにおくだりになって、大だい神じん宮ぐうにお仕えになっている、おんおば上の倭やま媛とひめにお別れをなさいました。 するとおば上からは、ご料りょうのお上うわ着ぎと、おはかま着ぎと、懐かい剣けんとを、お別れのお印しるしにおくだしになりました。 命はそれからすぐに、今の日ひゅ向うが、大おお隅すみ、薩さつ摩まの地方へ向かっておくだりになりました。そのとき命は、まだお髪ぐしをお額ひたいにお結ゆいになっている、ただほんの一少年でいらっしゃいました。二
命は、その土地にお着きになり、熊くま襲そた建けるのうちへ近づいて、ようすをおうかがいになりますと、建たけるらは、うちのまわりへ軍勢をぐるりと三重じゅうに立て囲かこわせて、その中に住まっておりました。そして、たまたまちょうどその家ができあがったばかりで、近々にそのお祝いの宴えん会かいをするというので、大さわぎでしたくをしているところでした。 命みことはそのあたりをぶらぶら歩きまわって、その宴えん会かいの日が来るのを待ちかまえていらっしゃいました。そして、いよいよその日になりますと、今までお結ゆいになっていたお髪ぐしを、少女のようにすきさげになさり、おんおば上からおさずかりになったご衣いし裳ょうを召めして、すっかり小こお女んなの姿すがたにおなりになりました。そして、ほかの女たちの中にまじって、建たけるどもの宴えん会かいのへやへはいっておいでになりました。 すると熊くま襲そた建けるきょうだいは、命をほんとうの女だとばかり思いこんでしまいまして、その姿のきれいなのがたいそう気にいったので、とくに自分たち二人の間にすわらせて、大喜びで飲みさわぎました。 命は、みんながすっかり興きょうに入ったころを見はからって、そっと懐ふところから剣つるぎをお取り出しになったと思いますと、いきなり片手で兄の建たけるのえり首をつかんで、胸むねのところをひと突つきに突き通しておしまいになりました。 弟の建たけるはそれを見ると、あわててへやの外へ逃げ出そうとしました。 命みことは、それをもすかさず、階かい段だんの下に追いつめて、手早く背せな中かをひっつかみ、ずぶりとおしりをお突き刺さしになりました。 建たけるはそれなりじたばたしようともしないで、 ﹁どうぞその刀をしばらく動かさないでくださいまし。一ひと言こと申しあげたいことがございます﹂と、言いました。それで命みことは刀をお刺さしになったなり、しばらく押おし伏ふせたままにしていらっしゃいますと、建たけるは、 ﹁いったいあなたはどなたでございます﹂と聞きました。 ﹁おれは、大やま和との日ひし代ろの宮みやに天てん下かを治めておいでになる、大おお帯たら日しひ子こて天んの皇うの皇おう子じ、名は倭やま童とお男ぐな王のみこという者だ。なんじら二人とも天皇のおおせに従わず、無礼なふるまいばかりしているので、勅ちょ命くめいによって、ちゅう伐ばつにまいったのだ﹂と、命みことはおおしくお名乗りになりました。 建たけるはそれを聞いて、 ﹁なるほど、そういうお方に相違ございますまい。この西の国じゅうには、私ども二人より強い者は一人もおりません。それにひきかえ大やま和とには、われわれにもまして、すばらしいお方がいられたものだ。おそれながら私がお名まえをさしあげます。これからあなたのお名まえは倭やま建とた命けるのみこととお呼よび申したい﹂と言いました。 命は建たけるがそう言いおわるといっしょに、その荒あらくれ者を、まるで熟じゅくしたまくわうりを切るように、ずぶずぶと切りほうっておしまいになりました。 それ以来、だれもかれも命のご武勇をおほめ申して、お名まえを倭やま建とた命けるのみことと申しあげるようになりました。 命は、それから大やま和とへおひきかえしになる途中で、いろんな山の神や川の神や、穴あな戸どの神と称となえて、方々の険けん阻そなところにたてこもっている悪わる神がみどもを、片かたはしからお従えになった後、出いず雲もの国へおまわりになって、そのあたりで幅はばをきかせている、出いず雲もた建けるという悪者をお退たい治じになりました。 命みことはまずその建たけるの家へたずねておいでになって、その悪者とごこうさいをお結びになりました。そして、そのあとで、こっそりとあかひのきという木を刀のようにお削けずりになり、それをりっぱな太た刀ちのように飾かざりをつけておつるしになって、建たけるをさそい出して、二人で肥ひの河かわの水を浴びにいらっしゃいました。そして、いいかげんなころを見はからって、ご自分の方が先におあがりになり、ごじょうだんのように建たけるの太刀をお身におつけになりながら、 ﹁どうだ、二人でこの刀のとりかえっこをしようか﹂とおっしゃいました。建たけるはあとからのそのそあがって来て、 ﹁よろしい取りかえよう﹂と言いながら、うまくだまされて命のにせの刀をつるしました。命は、 ﹁さあ、ひとつ二人で試合をしよう﹂とお言いになりました。そして二人とも刀を抜ぬき放すだんになりますと、建たけるのはにせの刀ですから、いくら力を入れても抜けようはずがありません。命は建たけるがそれでまごまごしているうちに、すばやくほんものの刀を引き抜いて、たちまちその悪者を切り殺しておしまいになりました。そして、そのあとで、建たけるが抜けない刀を抜こうとして、まごまごとあわてたおかしさを、歌につくってお笑わらいになりました。三
命みことはこんなにして、お道みち筋すじの賊ぞくどもをすっかり平たいらげて、大やま和とへおかえりになり、天皇にすべてをご奏そう上じょうなさいました。 すると天皇は、またすぐにひき続いて、命に、東の方の十二か国の悪い神々や、おおせに従わない悪者どもを説とき従えてまいれとおおせになって、ひいらぎの矛ほこをお授さずけになり、御みす友きと耳もみ建みた日けひ子こという者をおつけ添そえになりました。 命はお言いつけを奉じて、またすぐにおでかけになりました。そして途中で伊い勢せのお宮におまいりになって、おんおば上の倭やま媛とひめに再さい度どのお別れをなさいました。そのとき命はおんおば上に向かっておっしゃいました。 ﹁天皇は私を早くなくならせようとでもおぼしめすのでしょう。でも、こないだまで西の方の賊を討うちにまいっておりまして、やっと、たった今かえったと思いますと、またすぐに、こんどは東の方の悪者どもを討ちとりにお出しになるのはどういうわけでございましょう。それもほとんど軍ぐん勢ぜいというほどのものもくださらないのです。こんなことからおして考えてみますと、どうしても私を早く死なせようというお心持としか思われません﹂命はこうおっしゃって涙なみだながらにお立ちになろうとしました。 おんおば上は、命のそのお恨うらみをおやさしくおなだめになったうえ、もと神かみ代よのときに、須すさ佐のお之のみ男こ命とが大だいじゃの尾の中からお拾いになった、あの貴とうといお宝たか物らものの御みつ剣るぎと、ほかに袋ふくろを一つお授けになり、まん一、急なことが起こったら、この袋ふくろの口をお解ときなさい、とおおせになりました。 命はそれから尾おわ張りへおはいりになって、そこの国くに造のみやつこの娘むすめの美みや夜ず受ひ媛めのおうちにおとまりになりました。そして、かえりにはまた必かならず立ち寄よるからとお言いのこしになって、さらに東の国へお進みになり、山や川に住んでいる、荒あらくれ神や、そのほか天皇にお仕えしない悪者どもをいちいちお説とき従えになりました。そしてまもなく相さが模みの国へお着きになりました。 するとそこの国くに造のみやつこが、命をお殺し申そうとたくらんで、 ﹁あすこの野中に大きな沼ぬまがございます。その沼の中に住んでおります神が、まことに乱らん暴ぼうなやつで、みんな困こまっております﹂と、おだまし申しました。 命はそれをまにお受けになって、その野原の中へはいっておいでになりますと、国くに造のみやつこは、ふいにその野へ火をつけて、どんどん四方から焼きたてました。 命ははじめて、あいつにだまされたかとお気づきになりました。その間まにも火はどんどんま近に迫せまって来て、お身が危あやうくなりました。 命はおんおば上のおおせを思い出して、急いで、例の袋のひもをといてご覧らんになりますと、中には火ひう打ちがはいっておりました。 命はそれで、急いでお宝たか物らものの御みつ剣るぎを抜ぬいて、あたりの草をどんどんおなぎ払いになり、今の火ひう打ちでもって、その草へ向かい火をつけて、あべこべに向こうへ向かってお焼きたてになりました。命はそれでようやく、その野原からのがれ出ていらっしゃいました。そしていきなり、その悪い国くに造のみやつこと、手てし下たの者どもを、ことごとく切り殺して、火をつけて焼いておしまいになりました。 それ以来そのところを焼やい津ずと呼びました。それから、命みことが草をお切りはらいになった御みつ剣るぎを草くさ薙なぎの剣つるぎと申しあげるようになりました。 命はその相さが模みの半はん島とうをおたちになって、お船で上かず総さへ向かってお渡わたりになろうとしました。すると途中で、そこの海の神がふいに大おお波なみを巻まきあげて、海一面を大おお荒あれに荒れさせました。命の船はたちまちくるくるまわり流されて、それこそ進むこともひきかえすこともできなくなってしまいました。 そのとき命がおつれになっていたお召めし使つかいの弟おと橘たち媛ばなひめは、 ﹁これはきっと海の神のたたりに相違ございません。私があなたのお身代わりになりまして、海の神をなだめましょう。あなたはどうぞ天皇のお言いつけをおしとげくださいまして、めでたくあちらへおかえりくださいまし﹂と言いながら、すげの畳たたみを八枚まい、皮かわ畳だたみを六枚に、絹きぬ畳だたみを八枚重かさねて、波の上に投げおろさせるやいなや、身をひるがえして、その上へ飛びおりました。 大おお波なみは見るまに、たちまち媛ひめを巻まきこんでしまいました。するとそれといっしょに、今まで荒れ狂っていた海が、ふいにぱったりと静まって、急に穏おだやかななぎになってきました。 命はそのおかげでようやく船を進めて、上かず総さの岸へ無事にお着きになることができました。 それから七日目に、橘たち媛ばなひめのくしがこちらの浜へうちあげられました。命はそのくしを拾わせて、あわれな媛ひめのためにお墓をお作らせになりました。 橘たち媛ばなひめが生前に歌った歌に、 さねさし、 さがむの小お野ぬに、 もゆる火の、 火ほな中かに立ちて、 問いしきみはも。 これは、相さが模みの野原で火攻めにお会いになったときに、その燃える火の中にお立ちになっていた、あの危急なときにも、命みことは私のことをご心配くだすって、いろいろに慰なぐさめ問うてくだすった、ほんとに、お情け深い方よと、そのもったいないお心持を忘わすれない印しるしに歌ったのでした。 命はそこから、なおどんどんお進みになって、いたるところで手におえない悪者どもをご平へい定ていになり、山や川の荒あらくれ神をもお従えになりました。 それでいよいよ、再ふたたび大やま和とへおかえりになることになりました。 そのお途中で、足あし柄がら山やまの坂の下で、お食事をなすっておいでになりますと、その坂の神が、白いしかに姿をかえて現われて、命を見つめてつっ立っておりました。 命みことは、それをご覧らんになると、お食べ残しのにらの切きれはしをお取りになって、そのしかをめがけてお投げつけになりました。すると、それがちょうど目にあたって、しかはばたりと倒たおれてしまいました。 命はそれから坂の頂上へおあがりになり、そこから東の海をおながめになって、あの哀あわれな橘たち媛ばなひめのことを、つくづくとお思いかえしになりながら、 ﹁あずまはや﹂︵ああ、わが女よ︶とお嘆なげきになりました。それ以来そのあたりの国々をあずまと呼よぶようになりました。四
命は、そこから甲か斐いの国へお越こえになりました。そして酒さか折おり宮のみやという御ごて殿んにおとまりになったときに、 にいばり、つくばを過ぎて、 いく夜よか寝ねつる。 とお歌いになりますと、あかりのたき火についていた一人の老人が、すぐにそのおあとを受けて、 かかなべて、 夜よには九ここ夜のよ、 日には十とお日かを。 と歌いました。それは、 ﹁蝦えび夷すどもをたいらげながら、常ひた陸ちの新にい治ばりや筑つく波ばを通りすぎて、ここまで来るのに、いく夜寝たであろう﹂とおっしゃるのに対して、 ﹁かぞえて見ますと、九ここ夜のよ寝て十とお日か目めを迎えましたのでございます﹂という意味でした。 命はその答えの歌をおほめになって、そのごほうびに、老人を東あず国まの造くにのみやつこという役におつけになりました。 それから信しな濃のへおはいりになり、そこの国くに境ざかいの地の神を討うち従えて、ひとまずもとの尾おわ張りまでお帰りになりました。 命はお行きがけにお約束をなすったとおり、美みや夜ず受ひ媛めのおうちへおとまりになりました。そして草くさ薙なぎの宝ほう剣けんを媛ひめにおあずけになって近おう江みの伊いぶ吹きや山まの、山の神を征せい伐ばつにおいでになりました。 命はこの山の神ぐらいは、す手でも殺すとおっしゃって、どんどんのぼって﹇#﹁のぼって﹂は底本では﹁のばって﹂﹈おいでになりました。すると途中で、うしほどもあるような、大きな白いいのししが現われました。命は、 ﹁このいのししに化ばけて出たのは、まさか山の神ではあるまい。神の召めし使つかいの者であろう。こんなやつは今殺さなくとも、かえりにしとめてやればたくさんである﹂とおいばりになって、そのままのぼっておいでになりました。 そうすると、ふいに大きなひょうがどッと降りだしました。命みことはそのひょうにお襲おそわれになるといっしょに、ふらふらとお目まいがして、ちょうどものにお酔よいになったように、お気分が遠くおなりになりました。 それというのは、さきほどの白いいのししは、山の神の召使ではなくて、山の神自身が化けて出たのでした。それを命があんなにけいべつして広こう言げんをお吐はきになったので、山の神はひどく怒おこって、たちまち毒どく気きを含ふくんだひょうを降らして、命をおいじめ申したのでした。 命は、ほとんどとほうにくれておしまいになりましたが、ともかく、ようやくのことで山をおくだりになって、玉たま倉くら部べというところにわき出ている清しみ水ずのそばでご休息をなさいました。そして、そのときはじめて、いくらかご気分がたしかにおなりになりました。しかし命はとうとうその毒気のために、すっかりおからだをこわしておしまいになりました。 やがて、そこをお立ちになって、美み濃のの当た芸ぎ野のという野中までおいでになりますと、 ﹁ああ、おれは、いつもは空でも飛んで行けそうに思っていたのに、今はもう歩くこともできなくなった。足はちょうど船のかじのように曲がってしまった﹂とおっしゃって、お嘆なげきになりました。そしてそのまままた少しお歩きになりましたが、まもなくひどく疲つかれておしまいになったので、とうとうつえにすがって一ひと足あし一ひと足あしお進みになりました。 そんなにして、やっと伊い勢せの尾お津つの崎さきという海ばたの、一本まつのところまでおかえりになりますと、この前お行きがけのときに、そのまつの下でお食事をお取りになって、つい置おき忘わすれていらしった太た刀ちが、そのままなくならないで、ちゃんと残っておりました。 命みことは、 ﹁おお一つまつよ、よくわしのこの太た刀ちの番をしていてくれた。おまえが人間であったら、ほうびに太刀をさげてやり、着物を着せてやるのだけれど﹂と、こういう意味の歌を歌ってお喜びになりました。それからなおお歩きになって、ある村までいらっしゃいました。 命は、そのとき、 ﹁わしの足はこんなに三み重えに曲がってしまった。どうもひどく疲つかれて歩けない﹂とおっしゃいました。しかしそれでも無理にお歩きになって、能の褒ぼ野のという野へお着きになりました。 命は、その野の中でつくづくと、おうちのことをお思いになり、 あの青あお山やまにとりかこまれた、 美しい大やま和とが恋しい。 しかし、ああ私わたしは、 その恋しい土地へも、 帰りつくことはできない。 命いのちあるものは、 これからがいせんして、 あの平へぐ群りの山の、 くまがしの葉を、 髪かみに飾かざって祝い楽しめよ。 という意味をお歌いになり、 はしけやし、 わぎへの方かたよ、 雲いたち来くも。 ︵おおなつかしや、 わが家やのある、 はるかな大やま和との方から、 雲が出て来るよ。︶ と、お歌いになりました。 そして、それといっしょにご病びょ勢うせいもどっとご危きと篤くになってきました。 命みことは、ついに、 おとめの、 床とこのべに、 わがおきし、 剣つるきの太た刀ち。 その太刀はや。 と、あの美みや夜ず受ひ媛めのおうちにおいていらしった宝ほう剣けんも、とうとう再ふたたび手にとることもできないかとお歌いになり、そのお歌の終わるのとともに、この世をお去りになりました。 早うまのお使いは、このことを天皇に申しあげにかけつけました。 大やま和とからは、命のお妃きさきやお子さまたちが、びっくりしてくだっておいでになりました。そして、命のご陵りょうをお作りになって、そのぐるりの田の中に伏ふしまろんで、おんおんおんおんと泣いていらっしゃいました。 するとおなくなりになった命は、大きな白い鳥になって、お墓の中からお出ましになり、空へ高くかけのぼって、浜はま辺べの方へ向かって飛んでおいでになりました。 お妃きさきやお子さまたちは、それをご覧らんになると、すぐに泣き泣きそのあとを追いしたって、ささの切り株かぶにお足を傷つけて血だらけにおなりになっても、痛いたさを忘わすれて、いっしょうけんめいにかけておいでになりました。 そしてしまいには、海の中にまではいって、ざぶざぶと追っかけていらっしゃいました。 白い鳥はその人々をあとにおいて、海の中のいそからいそにと伝わって飛んで行きました。 お妃きさきは潮しおの中を歩きなやみながら、おんおんお泣きになりました。 その鳥は、とうとう伊い勢せから河かわ内ちの志し紀きというところへ来てとまりました。それで、そこへお墓を作って、いったんそこへお鎮しずめ申しましたが、しかし鳥は、あとにまた飛び出して、どんどん空をかけて、どこへともなく逃にげ去ってしまいました。五
命みことには、お子さまが男のお子ばかり六人おいでになりました。その中の、帯たら中しな津かつ日ひこ子のみ命こととおっしゃる方は、後にお祖そふ父う上えの天皇のおつぎの成せい務むて天んの皇うのおあとをお継つぎになりました。すなわち仲ちゅ哀うあ天いて皇んのうでいらっしゃいます。 命が諸方を征せい伐ばつしておまわりになる間は、七なな拳つか脛はぎ﹇#ルビの﹁ななつかはぎ﹂は底本では﹁なかつかはぎ﹂﹈という者が、いつもご料理番としてお供について行きました。 御おん父ちち上うえの景けい行こう天てん皇のうは、おん年百三十七でおかくれになりました。 ﹇#改ページ﹈朝ちょ鮮うせ征んせ伐いばつ
一
仲ちゅ哀うあ天いて皇んのうは、ある年、ご自身で熊くま襲そをお征せい伐ばつにおくだりになり、筑ちく前ぜんの香かし椎いの宮というお宮におとどまりになっていらっしゃいました。 そのとき天皇は、ある夜、戦いくさのお手だてについて、神さまのお告げをいただこうとおぼしめして、大臣の武たけ内のう宿ちの禰すくねをお祭まつ場りばへお坐すわらせになり、御自分はお琴ことをおひきになりながら、お二人でお祈いのりをなさいました。そうすると、どなたか一人の神さまが、皇后の息おき長なが帯たら媛しひめのおからだにお乗りうつりになり、皇后のお口をお借りになって、 ﹁これから西の方にあるひとつの国がある、そこには金銀をはじめ、目もまぶしいばかりの、さまざまの珍めずらしい宝たからがどっさりある。つまらぬ熊くま襲その土地よりも、まずその国をあなたのものにしてあげよう﹂とおっしゃいました。 ﹁しかし、高いところへ登って西の方を見ましても、そちらの方はどこまでも大おお海うみばかりで、国などはちっとも見えないではありませんか﹂と、天皇はお答えになりました。そしてお心のうちでは、 ﹁これはほんとうの神さまではあるまい。きっといつわりを言う神が乗りうつったにちがいない﹂とおぼしめして、それなりお琴ことをおしのけて、だまっておすわりになっていました。 すると神さまはたいそうお怒いかりになって、 ﹁そんな、わしの言こと葉ばをうたぐったりするものには、この国も任まかせてはおかれない。あなたはもう、さっさと死んでおしまいなさるがよい﹂と、おおせになりました。 宿すく禰ねはその言葉を聞くと、びっくりして、 ﹁これはたいへんでございます。陛下よ、どうぞもっとお琴をおひきあそばしませ﹂と、あわててご注意申しあげました。 天皇は仕方なしに、しぶしぶお琴をおひき寄せになって、しばらくの間、申しわけばかりにぽつぽつひいておいでになりましたが、そのうちにまもなく、ふッつりとお琴の音ねがとだえてしまいました。 宿すく禰ねはへんだと思って、灯ひをさし上げて見ますと、天皇はもはやいつのまにかお息が絶えて、その場にお倒たおれになっていらっしゃいました。 皇后も宿すく禰ねも、神さまのお罰ばつに驚おどろき怖おそれて、急いでそのお空なき骸がらを仮のお宮へお移し申しました。そしてまず第一番に、神さまのお怒りをおなだめ申すために、そのあたりの国じゅうで生きた獣けものの皮を剥はいだり、獣を逆さかはぎにしたものをはじめとして、田の畔くろをこわしたもの、溝みぞをうめたもの、汚きたないものをひりちらしたもの、そのほか言うも穢けがらわしいような、さまざまの汚ない罪を犯したものたちをいちいちさがし出させて、御ごへ幣いをとって、はらい清めて、国じゅうのけがれをすっかりなくしておしまいになりました。そして、宿すく禰ねが再ふたたびお祭場に坐すわって、改めて神さまのお告げをお祈り申しました。 すると神さまからは、この前おっしゃった西の国のことについて、同じようなおおせがありました。 ﹁それからこの日本の国は、今、皇后のお腹なかにいらっしゃるお子がお治めになるべきものだ﹂とおっしゃいました。 皇后は、そのときちょうどお身みお重もでいらっしゃいました。宿すく禰ねはそのおおせを聞いて、 ﹁では、恐おそれながら、今、皇后のお腹においでになりますお子さまは、男のお子さまと女のお子さまと、どちらでいらっしゃりましょう﹂とうかがいますと、 ﹁お子はご男なん子しである﹂とお告げになりました。 宿すく禰ねはなお、すべてのことをうかがっておこうと思いまして、 ﹁まことにおそれいりますが、かようにいちいちお告げを下さいますあなたさまは、どなたさまでいらっしゃいますか。どうぞお名まえをおあかしくださいまし﹂と申しあげました。神さまは、やはり皇后のお口を通して、 ﹁これはすべて天あま照てら大すお神おかみのおぼしめしである。また、底そこ筒つつ男おの命みこと、中なか筒つつ男おの命みこと、上うわ筒つつ男おの命みことの三人の神も、いっしょに申し下くだしているのだ﹂と、そこではじめてお名まえをお告げになりました。 神さまはなお改めて、 ﹁もしそなたたちが、ほんとうにあの西の国を得ようと思うならば、まず大空の神々、地上の神々、また、山の神、海の神、海と河かわとの神々に﹇#﹁山の神、海の神、海と河との神々に﹂はママ﹈ことごとくお供えを奉たてまつり、それから私たち三人の神の御みた魂まを船のうえに祀まつったうえ、まきの灰はいを瓠ひさごに入れ、また箸はしと盆ぼんとをたくさんこしらえてそれらのものを、みんな海の上に散らし浮かべて、その中を渡わたって行くがよい﹂とおっしゃって、くわしく征せい伐ばつの手てじ順ゅんをおしえてくださいました。 それで、皇后はすぐ軍勢をお集めになり、神々のお言こと葉ばのとおりに、すべてご用意をお整ととのえになって、仰ぎょ山うさんなお船をめしつらねて、勇ましく大海のまん中へお乗り出でになりました. そうすると海じゅうの、あらゆる大小の魚が、のこらず駈かけよって来て、すっかりのお船をみんなで背せな中かにお担かつぎ申しあげて、わッしょいわッしょいと、威いせ勢いよく押おしはこんで行きました。そこへ、ちょうどつごうよく、追い手の風がどんどん吹き募つのって来ました。ですから、それだけのお船がみんな、かけ飛ぶように走って行きました。 そのうちに、そのたいそうな大船に押しまくられた大おお浪なみが、しまいには大きな、すさまじい大おお海つな嘯みとなって、これから皇后がご征伐になろうとする、今の朝ちょ鮮うせんの一部分の新しら羅ぎの国へ、ふいにどどんと打うち上げました。そして、あっという間まに、国じゅうを半分までも巻まき込こんでしまいました。 皇后の軍勢は、その大海嘯と入れちがいに、息もつかせずうわあッと攻せめこみました。すると新しら羅ぎの王はすっかり怖おそれちぢこまって、すぐに降こう参さんしてしまいました。 国王は、 ﹁私どもはこれからいついつまでも、天皇のおおせのままに、おうま飼かいの下げろ郎うとなりまして、いっしょうけんめいにご奉公申しあげます。そして毎まい年とし船をどっさり仕立てまして、その船ふな底ぞこの乾かわくときもなく、棹さおや櫂かいの乾くまもなもないほどおうかがわせ申しまして、絶えず貢みつ物ぎものを奉たてまつり天地が亡ほろびますまで無むき久ゅうにお仕え申しあげます﹂と、平ひら蜘ぐ蛛ものようになっておちかいをいたしました。 それで皇后はさつそく﹇#﹁さつそく﹂はママ﹈お聞き届とどけになりまして、新しら羅ぎの王をおうま飼かいということにおきめになり、その隣となりの百くだ済らをもご領りょ地うちにお定めになりました。そしてそのお印しるしに、お杖つえを、新しら羅ぎの王おう宮きゅうの門のところに突つき刺さしてお置おきになりました。 それから最後に、お社やしろをお作りになって、今度のご征せい伐ばつについていちいちお指さし図ずをしてくださった、底そこ筒つつ男おの命みこと以下三人の神さまを、この国の氏うじ神がみさまにお祀まつりになった後、ご威いふ風う堂々と新しら羅ぎをおひき上げになりました。二
おん母上の皇后はその前に、まだご征伐のお途中でお腹なかのお子さまがお生まれになろうとしました。それで、どうぞ今しばらくの間はご出産にならないようにとお祈りになって、そのお呪まじないに、お下着のお腰こしのところへ石ころをおつるしになり、それでもって当分お腹をしずめておおきになりました。 するとお子さまは、ちゃんと筑つく紫しへお凱がい旋せんになってからご無事にお生まれになりました。それはかねて神さまのお告げのとおりりっぱな男のお子さまでいらっしゃいました。この小さな天皇には、ご誕たん生じょうのときに、ちょうど、鞆ともといって弓ゆみを射いるときに左の臂ひじにつける革かわ具ぐのとおりの形をしたお盛もり肉にくが、お腕うでに盛りあがっておりました。皇后はこれをお名まえにお取りになって、大おお鞆とも命のみこととお名づけになりました。すなわち後にお呼よび申す応おう神じん天てん皇のうさまです。その鞆とものお肉のことをうけたまわったものたちは、天皇がお母上のお腹なかのうちから、すでに天下をお治めになっていたということは、これでもわかると言って、みんな畏おそれ入りました。 また、皇后はご出征のまえに、肥ひぜ前んの玉たま島しまというところにおいでになって、そこの川のほとりでお食事をなさったことがありました。 それがちょうど四月で、あゆが取れるころでした。皇后はためしにその川中の石の上にお下りになって、お下した袴ばかまの糸をぬいて釣つり糸いとになされ、お食事のおあとのご飯はん粒つぶを餌えさにして、ただでも決して釣つることができないあゆをちゃんとおつり上げになりました。 ですからこの地方では、その後いつも四月のはじめになりますと、女たちがみんな下した袴ばかまの糸をぬいて、飯めし粒つぶを餌にしてあゆを釣り、ながく皇后のお徳をかたりつたえる印しるしにしておりました。三
おん母上の皇后は、ついで熊くま襲そをも難なくご平定になって、いよいよ大やま和とにおかえりになることになりました。 しかし、大和には、香かご坂さか王のみこ、忍おし熊くま王のみことおっしゃる、お二人のお腹はらちがいの皇子などがおいでになるので、うっかりしていると、天皇がお小さいのにつけ入ってどんな悪い事をお企たくらみになるかわからないとお気づかいになりました。 それで皇后は、ちゃんとお策さく略りゃくをお立てになって、喪もふ船ねを一そうお仕立てになり、お小さな天皇をその中へお乗せになりました。 そして天皇はもはやとくにお亡なくなりになったとお言いふらしになり、そのお空なき骸がらをつれておかえりになるていにして、筑つく紫しをお立ちになりました。 こちらは香かご坂さか、忍おし熊くまの二皇子は、それをお聞きになりますと、案のとおり、ご自分たちがあとを取ろうとおかかりになりました。それでまず第一番に皇后の軍勢を待ちうけて討うち亡ほろぼそうとおぼしめして、にわかに兵を集めて、摂せっ津つの斗と賀が野のというところまでご進軍になりました。 皇子たちは、その野原でためしに猟りょうをして、その獲えも物のによって、さいさきを占うらなってみようとなさいました。 香かご坂さか皇のお子うじは、くぬぎの木に上って、その猟の有あり様さまを見ていらっしゃいました。すると、ふいにそこへ、手てき傷ずを負おった大きないのししがあらわれて、そのくぬぎの木の根もとをどんどん掘ほりにかかりました。そしてまもなくすとんと掘り倒たおしたと思いますと、いきなり香かご坂さか皇のお子うじに飛びかかって、がつがつ皇子を食べてしまいました。 しかし、弟さまの忍おし熊くま皇のお子うじは、そんな悪い前ぜん兆ちょうにもとんじゃくなしに、そのまま軍勢をおひきつれになり、海ばたまで押しかけて、待ちかまえていらっしゃいました。 そのうちに、皇后がたのお船が見えて来ました。忍おし熊くま王のみこは、その中の喪もふ船ねには、兵たいたちが乗っていないはずなので、まずまっ先にその船を目がけてお討うちかからせになりました。 ところがその船の中には、前もってちゃんとよりすぐりの兵が忍しのばせてありました。その兵士たちは船がつくなり、ふいに、うわッと飛び下りて、たちまち、はげしい戦いくさをはじめました。 そのとき忍おし熊くま王のみこの軍ぐん勢ぜいには、伊いさ佐ひの比す宿く禰ねというものが総そう大たい将しょうになっていました。それに対して皇后方からは建たけ振ふる熊くま命のみことという強い人が将軍となって攻せめかけました。 建たけ振ふる熊くま命のみことは見る見るうちに宿すく禰ねの軍勢を負かし崩くずして、ぐんぐんと、どこまでも追っかけて行きました。すると敵は山やま城しろでふみ止とどまって、頑がん固こに防ふせぎ戦いくさをしだしました。 建たけ振ふる熊くま命のみことは、何をと言いながら、死にもの狂ぐるいで攻めかけ攻めかけしました。しかし、どんなにあせっても敵はそれなりひと足も退ひこうとはしませんでした。 建たけ振ふる熊くま命のみことは、しまいには、これでは果はてしがないと思い直して、急に味方の兵をひきまとめるといっしょに、向こうの軍勢に向かって、 ﹁実は皇后が急におなくなりになったので、われわれはもう戦いくさをする気はない﹂と申し入れながら、その目の前で全ぜん軍ぐんの兵へい士したちに弓ゆみの弦つるをことごとく断たち切き﹇#ルビの﹁き﹂は底本では﹁きら﹂﹈らせて、さもほんとうのように、伊いさ佐ひの比す宿く禰ねに降こう参さんをしました。 すると伊いさ佐ひの比す宿く禰ねはそれですっかり気をゆるして、自分のほうもひとまずみんなに弓の弦つるをはずさせ、いっさいの戦いくさ道具をも片かたづけさせてしまいました。 建たけ振ふる熊くま命のみことはそれを見すまして、 ﹁それッ﹂と合い図をしますと、部下の兵たちは、髪かみの中に隠かくしていた、かけがえの弦を取り出して瞬またたくまに弓を張って、 ﹁うわッ﹂と、哄ときを上げて攻めかかりました。 敵はまんまと不意を討うたれて、総くずれになってにげ出しました。建たけ振ふる熊くま命のみことは勝に乗じてどんどんと﹇#﹁どんどんと﹂は底本では﹁どんどんど﹂﹈追いまくって行きました。 すると敵てき勢ぜいは近おう江みの逢おう坂さかというところまでにげのびて、そこでいったん踏ふみ止とどまって戦いましたが、また攻めくずされて、ちりぢりににげて行きました。 建たけ振ふる熊くま命のみことは、とうとうそれを同じ近おう江みの篠ささ波なみというところで追いつめて、敵の兵たいという兵たいを一人ものこさず斬きり殺してしまいました。 そのとき忍おし熊くま王のみこと伊いさ佐ひの比す宿く禰ねとは、危あやうく船に飛び乗って、湖水の中へにげ出しました。 しかしぐずぐずしていると今につかまってしまうのが目に見えていましたので、皇おう子じは宿すく禰ねに向かって、 さあ、おまえ、 振ふる熊くまに殺されるよりも、 鳰かい鳥つぶりのように、 この湖水にもぐってしまおうよ。 とお歌いになり、二人でざんぶと飛び込こんで、それなり溺おぼれ死にに死んでおしまいになりました。四
皇后はそれでいよいよめでたく大やま和とへおかえりになりました。 しかし武たけ内のう宿ちの禰すくねだけは、お小さな天皇をおつれ申して、穢けがれ払はらいの禊みそぎということをしに、近おう江みや若わか狹さをまわって、越えち前ぜんの鹿つぬ角がというところに仮のお宮を作り、しばらくの間そこに滞たい在ざいしておりました。 するとその土地に祀まつられておいでになる伊いさ奢さわ沙けの和お気お大か神みという神さまが、あるばん宿すく禰ねの夢に現われていらしって、 ﹁わしの名を、お小さい天皇のお名と取りかえてくれぬか﹂とおっしゃいました。 宿すく禰ねは、 ﹁それはもったいないおおせでございます。どうもありがとう存じます﹂とお答え申しました。大おお神かみは、﹁それでは、明あ日すお供をして海ばたへ来るがよい。名を取りかえてくださったお礼を上げようから﹂とおっしゃいました。 それであくる朝早く、天皇をおつれ申して海岸へ出て見ますと、みんな鼻の先に傷きずをうけた、それはそれはたいそうな海いる豚かが、浜じゅうへいっぱいうち上げられておりました。 宿すく禰ねはさっそくお社やしろへお使いをたてて、 ﹁食べ料のお魚さかなをどっさりありがとう存じます﹂とお礼を申しあげました。 天皇はそれから大やま和とへおかえりになりました。 お待ち受けになっていたお母上の皇后は、それはそれは大喜びをなすって、さっそくご用意のお酒を出させて、お祝いのおさかもりをなさいました。 皇后は、 このお酒は、私わたしがかもした酒ではない。 薬の神の少すく名なひ彦こな名のか神みがあなたのご運をお祝いして、 喜びさわいでつくってくだされたお酒だから、 のこさず、すっかりめし上がってください。 さあさあどうぞ。 という意味をお歌いになりました。 宿すく禰ねは天皇に代わって、 このお酒をつくった人は、 鼓つづみを臼うすの上に立てて、 歌いながら、舞まいながら、 喜び喜びつくったせいでございますか、 それはそれはたいそうよいお酒で、 いただきますとひとりでに歌いたく、 舞いたくなってまいります。 ああ楽しや。 とお答えの歌を歌いながら、ともどもお喜び申しました。 後の世の人は、この母上の皇后の、いろんな雄お々おしい大きなお手てが柄らをおほめ申しあげて、お名まえを特に神じん功ぐう皇こう后ごうとおよび申しております。 ﹇#改ページ﹈赤い玉
一
神じん功ぐう皇こう后ごうのお母はは方かたのご先祖については、こういうお話が伝わっています。 それは、この時分からも、もっともっと昔むかし、新しら羅ぎの国の阿あぐ具ぬ沼まという沼ぬまのほとりで、ある日一人の女が昼ひる寝ねをしておりました。すると、ふしぎなことには、日の光がにじのようになって、さっと、その女のお腹なかへ射さしました。 それをちょうど通りかかった一人の農夫が見て、へんなこともあるものだと思いながら、それからは、いつもその女のそぶりに目をつけていますと、女はまもなくお腹が大きくなって、一つの赤い玉を生み落としました。農夫はその玉を女からもらって、物につつんで、いつも腰こしにつけていました。 この農夫は谷たに間まに田を作っておりました。ある日農夫は、その田で働いている人たちのたべ物を、うしに負わせて運んで行きますと、その谷間で、天あめ日のひ矛ほこという、この国の王子に出会いました。 王子は農夫がへんなところへうしを引いて行くのを見て、 ﹁これこれ、そちはどうしてそのうしへたべ物などを乗せてこんなところへはいって来たのだ。きっと人に隠かくれてそのうしも殺して食おうというのであろう﹂と言いながら、いきなり農夫をつかまえてろうやへつれて行こうとしました。農夫は、 ﹁いえいえ私はけっしてこのうしを殺そうなどとするのではございません。ただこうして百ひゃ姓くしょうたちのたべ物を運んでまいりますだけでございます﹂と、ほんとうのままを話しました。それでも王子は、 ﹁いやいや、うそだ﹂と言って、なかなかゆるしてくれないので、農夫は腰こしにつけている例の赤い玉を出して、それを王子にあげて、やっとのことで放してもらいました。 王子はその玉をおうちへ持って帰って、床とこの間に置いておきました。すると赤い玉が、ふいに一人の美しい娘になりました。王子はその娘を自分のお嫁よめにもらいました。 そのお嫁は、いつもいろいろの珍めずらしいお料理をこしらえて、王子に食べさせていましたが、王子はだんだんにわがままを出して、しまいにはお嫁をひどくののしりとばすようになりました。 するとお嫁のほうではとうとうたまりかねて、 ﹁私わたしはもうこれぎり親たちの国へ帰ってしまいます。もともと私は、あなたのような方のお嫁になってばかにされるような女ではありません﹂と言いながら、そのうちを抜ぬけ出して、小船に乗って、はるばると摂せっ津つの難なに波わの津つまで逃げて来ました。この女の人は後に阿あか加る流ひ媛めという神さまとしてその土地にまつられました。 王子の天あめ日のひ矛ほこは、そのお嫁のあとを追っかけて、とうとう難なに波わの海まで出て来ましたが、そこの海の神がさえぎって、どうしても入れてくれないものですから、しかたなしにひきかえして、但たじ馬まの方へまわって、そこへ上陸しました。そして、しばらくそこに暮らしているうちに、後にはとうとうその土地の人をお嫁にもらって、そのままそこへいつくことにしました。 この天あめ日のひ矛ほこの七代目の孫にあたる高たか額ぬひ媛めという人がお生み申したのが、すなわち神じん功ぐう皇こう后ごうのお母上でいらっしゃいました。例の垂すい仁にん天てん皇のうのお言いつけによって、常とこ世よの国くにへたちばなの実を取りに行ったあの多た遅じ摩ま毛も理りは、日ひほ矛この五代目の孫の一人でした。 日ひほ矛こはこちらへ渡わたって来るときに、りっぱな玉や鏡なぞの宝ほう物もつを八やし品な持って来ました。その宝物は、伊い豆ず志しの大おお神かみという名まえの神さまにしてまつられることになりました。二
この宝物をまつった神さまに、伊いず豆し志お乙と女めという女めが神みが生まれました。この女神を、いろんな神々たちがお嫁にもらおうとなさいましたが、女神はいやがって、だれのところへも行こうとはしませんでした。 その神たちの中に、秋山の下した冰びお男とこという神がいました。その神が弟の春はる山やまの霞かす男みおとこという神に向かって、 ﹁私わたしはあの女神をお嫁にしようと思っても、どうしても来てくれない。どうだ、おまえならもらってみせるか﹂と聞きました。 ﹁私わたしならわけなくもらって来ます﹂と弟の神は言いました。 ﹁ふふん、きっとか。よし、それではおまえがりっぱにあの女めが神みをもらって見せたら、そのお祝いに、わしの着物をやろう。それからわしの身の丈たけほどの大がめに酒を盛もって、海山の珍めずらしいごちそうをそろえて呼よんでやろう、しかし、もしもらいそこねたら、あんな広こう言げんを吐はいた罰ばつに、今わしがしてやろうと言ったとおりをわしにしてくれるか﹂と言いました。 弟の神は、おお、よろしい、それではかけをしようと誓ちかいました。そして、おうちへ帰って、そのことをおかあさまにお話しますと、おかあさまの女神は、一ひと晩ばんのうちに、ふじのつるで、着物からはかまから、くつからくつ下まで織ったり、こしらえたりした上に、やはり同じふじのつるで弓ゆみをこしらえてくれました。 弟の神はその着物やくつをすっかり身につけて、その弓ゆみ矢やを持って、例の女神のおうちへ出かけて行きました。すると、たちまち、その着物やくつや弓矢にまで、残らず、一度にぱっとふじの花が咲さきそろいました。 弟の神はその弓矢を便所のところへかけておきますと、女神はそれを見つけて、ふしぎに思いながら取りはずして持って行きました。弟の神は、すかさず、そのあとについて女神のへやにはいって、どうぞ私わたしのお嫁になってくださいと言いました。そして、とうとうその女神をもらってしまいました。 二人の間には一人子供までできました。 弟の神は、それで兄の神に向かって、 ﹁私わたしはあのとおり、ちゃんと女めが神みをもらいました。だから約束のとおり、あなたの着物をください。それからごちそうもどっさりしてください﹂と言いました。すると兄の神は、弟の神のことをたいそうねたんで、てんで着物もやらないし、ごちそうもしませんでした。 弟の神は、そのことを母上の女神に言いつけました。すると女神は、兄の神を呼よんで、 ﹁おまえはなぜそんなに人をだますのです。この世の中に住んでいる間は、すべてりっぱな神々のなさるとおりをしなければいけません。おまえのように、いやしい人間のまねをする者はそのままにしてはおかれない﹂と、ひどく怒おこりつけました。それから、そこいらの川の中の島にはえているたけを伐きって来て、それで目の荒あらいあらかごを作り、その中へ、川の石に塩をふりかけて、それをたけの葉につつんだのを入れて、 ﹁この兄の神のようなうそつきは、このたけの葉がしおれるようにしおれてしまえ。この塩がひるようにひからびてしまえ。そして、この石が沈しずむように沈み倒たおれてしまえ﹂とのろって、そのかごをかまどの上に置かせました。 すると兄の神は、そのたたりで、まる八年の間、ひからびしおれ、病やみつかれて、それはそれは苦しい目を見ました。それでとうとう弱り果はてて泣なく泣く母上の女神におわびをしました。 女神はそのときやっとのろいをといてやりました。そのおかげで兄の神は、またもとのとおりのじょうぶなからだにかえりました。 ﹇#改ページ﹈宇う治じの渡わたし
一
お小さな応おう仁じん天てん皇のうも、そのうちにすっかりご成人になって、大やま和との明あきらの宮で、ご自身に政まつりごとをお聞きになりました。 あるとき、天皇は近おう江みへご巡じゅ幸んこうになりました。そのお途中で、山やま城しろの宇う治じ野のにお立ちになって、葛かづ野のの方をご覧らんになりますと、そちらには家々も多く見え、よい土地もどっさりあるのがお目にとまりました。 天皇はそのながめを歌にお歌いになりながら﹇#﹁なりながら﹂は底本では﹁なりまがら﹂﹈、まもなく木こば幡たというところまでおいでになりますと、その村のお道筋で、それはそれは美しい一人の少女にお出会いになりました。 天皇は、 ﹁そちはだれの娘むすめか﹂とおたずねになりました。 ﹁私は比ひ布ふ礼れ能の意お富お美みと申します者の子で、宮みや主ぬし矢やか河わえ枝ひ媛めと申します者でございます﹂と、その娘はお答え申しました。 すると、天皇は ﹁ではあす帰りにそちのうちへ行くぞ﹂とおっしゃいました。 媛ひめはおうちへ帰って、すべてのことをくわしくおとうさまに話しました。 おとうさまの意お富お美みは、 ﹁それではそのお方は天子さまだ。これはこれはもったいない。そちも十分気をつけて失礼のないようによくおもてなし申しあげよ﹂と言いきかせました。そしてさっそくうちじゅうを、すみずみまですっかり飾かざりつけて、ちゃんとお待ち申しておりました。 天皇のおおせのとおり﹇#﹁天皇のおおせのとおり﹂はママ﹈、あくる日お立ちよりになりました。意お富お美みらは怖おそれかしこみながら、ごちそうを運んでおもてなしをしました。 天皇は矢やか河わえ枝ひ媛めが奉たてまつるさかずきをお取りになって、 この料理のかには、 越えち前ぜん敦つる賀がのかにが、 横ざまにはって、 近おう江みを越こえて来たものか。 わしもその近おう江みから来て、 木こば幡たの村でおまえに会った。 おまえの後うし姿ろすがたは、 盾たてのようにすらりとしている。 おまえのきれいな歯はな並みは、 しいの実みのように白く光っている。 顔には九わに邇ざ坂かの土を、 そこの土は、 上うわ土つちは赤く、 底そこ土つちは赤黒いけれど、 中なか土つちの、 ちょうど色のよいのを 眉まゆ墨ずみにして、 色濃こく眉まゆをかいている。 おまえはほんとうにきれいな子だ。 とこういう意味のお歌を歌っておほめになりました。 天皇は、この美しい矢やか河わえ枝ひ媛めを、後にお妃きさきにお召めしになりました。このお妃から、宇うじ治のわ若かい郎らつ子ことおっしゃる皇子がお生まれになりました。 天皇には、すべてで、皇子が十一人、皇女が十五人おありになりました。 その中で、天皇は、矢やか河わえ枝ひ媛めのお生み申した若わか郎いら子つこ皇おう子じを、いちばんかわいくおぼしめしていらっしゃいました。 あるとき天皇は、その若わか郎いら子つこ皇おう子じとはそれぞれお腹はらちがいのお兄上でいらっしゃる大おお山やま守もり命のみことと大おお雀ささ命ぎのみことのお二人をお召めしになって、 ﹁おまえたちは、子供は兄と弟とどちらがかわいいものと思うか﹂とお聞きになりました。 大おお山やま守もり命のみことは、 ﹁それはだれでも兄のほうをかわいくおもいます﹂と、ぞうさもなくお答えになりました。 しかしお年下の大おお雀ささ命ぎのみことは、お父上がこんなお問いをおかけになるのは、わたしたち二人をおいて、弟の若わか郎いら子つこにお位をお譲ゆずりになりたいというおぼしめしに相そう違いないと、ちゃんと、天皇のお心持をおさとりになりました。それでそのおぼしめしに添そうように、 ﹁私は弟のほうがかわいいだろうと思います。兄のほうは、もはや成人しておりますので、何の心配もございませんが、弟となりますと、まだ子供でございますから、かわいそうでございます﹂とお答えになりました。 天皇は、 ﹁それは雀ささぎの言うとおりである。わしもそう思っている﹂とおおせになり、なお改めて、 ﹁ではこれから、そちら二人と若わか郎いら子つこと三人のうち、大おお山やま守もりは海と山とのことを司つかさどれ、雀ささぎはわしを助けて、そのほかのすべての政まつりごとをとり行なえよ。それから若わか郎いら子つこには、後にわしのあとを継ついで天皇の位につかせることにしよう﹂と、こうおっしゃって、ちゃんと、お三人のお役わりをお定めになりました。 大おお山やま守もり命のみことは、後に、このお言いつけにおそむきになって、若わか郎いら子つこ皇おう子じを殺そうとさえなさいましたが、ひとり大おお雀ささ命ぎのみことだけは、しまいまで天皇のご命令のとおりにおつくしになりました。二
天皇は日ひゅ向うがの諸もろ県あが君たぎみという者の子に、髪かみ長なが媛ひめという、たいそうきりょうのよい娘むすめがあるとお聞きになりまして、それを御ごて殿んへお召めし使いになるつもりで、はるばるとお召しのぼせになりました。 皇おう子じの大おお雀ささ命ぎのみことは、その髪かみ長なが媛ひめが船で難なに波わの津つへ着いたところをご覧らんになり、その美しいのに感心しておしまいになりました。それで武たけ内のう宿ちの禰すくねに向かって、 ﹁こんど日ひゅ向うがからお召しよせになったあの髪かみ長なが媛ひめを、お父上にお願いして、私わたしのお嫁よめにもらってくれないか﹂とお頼たのみになりました。 宿すく禰ねはかしこまって、すぐにそのことを天皇に申しあげました。 すると天皇は、まもなくお酒さか盛もりのお席へ大おお雀ささ命ぎのみことをお召しになりました。そして、美しい髪かみ長なが媛ひめにお酒をつぐかしわの葉をお持たせになって、そのまま命みことにおくだしになりました。 天皇はそれといっしょに、 わしが、子どもたちをつれて、 のびるをつみに通り通りする、 あの道ばたのたちばなの木は、 上の枝えだ々えだは鳥に荒あらされ、 下の枝々は人にむしられて、 中の枝にばかり花がさいている。 そのひそかな花の中に、 小さくかくれている実のような、 しとやかなこの乙おと女めなら、 ちょうどおまえに似にあっている。 さあつれて行け。 という意味をお歌に歌ってお祝いになりました。 皇おう子じはとうから評判にも聞いていた、このきれいな人を、天皇のお許しでお妃きさきにおもらいになったお嬉うれしさを、同じく歌にお歌いになって、大喜びで御ごぜ前んをおさがりになりました。三
この天皇の御み代よには、新しら羅ぎの国の人がどっさり渡わたって来ました。武たけ内のう宿ちの禰すくねはその人々を使って、方々に田へ水を取る池などを掘ほりました。 それから百くだ済らの国の王からは、おうま一頭とう、めうま一頭に阿あ知ち吉き師しという者をつけて献けん上じょうし、また刀や大きな鏡なぞをも献けんじました。 天皇は百くだ済らの王に向かって、おまえのところに賢かしこい人があるならばよこすようにとおおせになりました。王はそれでさっそく和わ邇に吉き師しという学者をよこしてまいりました。 そのとき和わ邇には、十巻かんの論ろん語ごという本と、千せん字じも文んという一巻の本とを持って来て献上しました。また、いろいろの職工や、かじ屋の卓たく素そという者や、機はた織おりの西さい素そという者や、そのほか、酒を造ることのじょうずな仁に番ほという者もいっしょに渡って来ました。 天皇はその仁に番ほ、またの名、須す須ず許こ理りのこしらえたお酒をめしあがりました。そして、 ﹁ああ酔よった、須す須ず許こ理りがかもした酒に心持よく酔った。おもしろく酔った﹂ という意味の歌をお歌いになりながら、お宮の外へおでましになって、河かわ内ちの方へ行く道のまん中にあった大きな石を、おつえをあげてお打ちになりますと、その石がびっくりして飛びのきました。四
天てん皇のうは後にとうとうおん年百三十でおかくれになりました。 それで大おお雀ささ命ぎのみことは、かねておおせつかっていらっしゃるとおり、若わか郎いら子つこをお位におつけしようとなさいました。 ところがお兄上の大おお山やま守もり命のみことは、天皇のおおせ残しにそむいて、若わか郎いら子つこを殺して自分で天下を取ろうとおかかりになり、ひそかに兵をお集めになりだしました。 大おお雀ささ命ぎのみことは、そのことを早くもお聞きつけになったので、すぐに使いを出して、若わか郎いら子つこにお知らせになりました。 若わか郎いら子つこはそれを聞くとびっくりなすって、大急ぎでいろいろの手はずをなさいました。 皇おう子じはまず第一に、宇うじ治が川わのほとりへ、こっそりと兵をしのばせておおきになりました。それから、宇う治じの山の上に絹の幕を張り、とばりを立てまわして、一人のご家けら来いを、りっぱな皇子のようにしたてて、その姿すがたが山の下からよく見えるように、とばりの一方をあけて、その中のいすにかけさせておおきになりました。そして、そこへいろいろの家来たちを、うやうやしく出たりはいったりおさせになりました。 ですから、遠くから見ると、だれの目にも、そこには若わか郎いら子つこご自身がお出むきになっているように見えました。 皇子はそれといっしょに、大おお山やま守もり命のみことが下の川をおわたりになるときに、うまくお乗せするように、船をわざとたった一そうおそなえつけになり、その船の中のすのこには、さなかつらというつる草をついてべとべとの汁しるにしたものをいちめんに塗りつけて、人が足を踏ふみこむとたちまち滑すべりころぶようなしかけをさせてお置きになりました。 そしてご自分自身は、粗そま末つなぬのの着物をめし、いやしい船頭のようにじょうずにお姿すがたをお変えになって、かじを握にぎって、その船の中に待ち受けておいでになりました。 すると大おお山やま守もり命のみことは、おひきつれになった兵士を、こっそりそこいらへ隠かくれさせておおきになり、ご自分は、よろいの上へ、さりげなく、ただのお召めし物ものをめして、お一人で川の岸へ出ておいでになりました。 するとそちらの山の上にりっぱな絹のとばりなどが張りつらねてあるのがすぐにお目にとまりました。 命みことはそのとばりの中にいかめしくいすにかけている人を、若わか郎いら子つこだと思いこんでおしまいになりました。それでさっそくその船にお乗りになって、向こうへおわたりになりかけました。 命は船頭に向かって、 ﹁おい、あすこの山に大きなておいじしがいるという話だが、ひとつそのししをとりたいものだね。どうだ、おまえとってくれぬか﹂とお言いになりました。 船頭の皇子は、 ﹁いえ、それはとてもだめでございます﹂とお答えになりました。 ﹁なぜだめだ﹂ ﹁あのししは、これまでいろんな人がとろうとしましたが、どうしてもとれません。ですから、いくらあなたが欲ほしいとおぼしめしても、とてもだめでございます﹂ こうお答えになるうちに、船はもはやちょうど川のまん中あたりへ来ました。すると皇おう子じはいきなり、そこでどしんと船を傾かたむけて、命みことをざんぶと川の中へ落としこんでおしまいになりました。 命はまもなく水の上へ浮き出て、顔だけ出して流され流されなさりながら、 ああわしは押おし流される。 だれかすばやく船を出して、 助けに来てくれよ。 という意味をお歌いになりました。 するとそれといっしょに、さきに若わか郎いら子つこが隠かくしておおきになった兵士たちが、わあッと一度に、そちこちからかけだして来て、命を岸へ取りつかせないように、みんなで矢やをつがえ構かまえて、追い流し追い流ししました。 ですから命はどうすることもおできにならないで、そのまま訶かわ和らの羅さ前きというところまで流れていらしって、とうとうそこでおぼれ死にに死んでおしまいになりました。 若わか郎いら子つこの兵士たちは、ぶくぶくと沈しずんだ命みことのお死がいを、かぎで探さぐりあててひきあげました。 若わか郎いら子つこはそれをご覧になりながら、 ﹁わしは伏ふせ勢ぜいの兵たちに、もう矢を射い放はなさせようか、もう射殺させようかと、いくども思い思いしたけれど、一つにはお父上のことを思いかえし、つぎには妹たちのことを思い出して、同じお一人のお父上の子、同じあの妹たちの兄でありながら、それをむざむざ殺すのはいたわしいので、とうとう矢一本射放すこともできないでしまった﹂ という意味をお歌いになり、そのまま大やま和とへおひきあげになりました。 そしてお兄上のお死がいを奈な良らの山にお葬ほうむりになりました。五
大おお雀ささ命ぎのみことは、それでいよいよお父上のおおせのとおりに、若わか郎いら子つこ皇おう子じにお位におつきになることをおすすめになりました。 しかし皇子は、お父上のおあとはおあにいさまがお継つぎになるのがほんとうです。おあにいさまをさしおいてお位にのぼるなぞということは、私にはとてもできません。どうぞお許しくださいとおっしゃって、どこまでもお兄上の命みことのお顔をお立てになろうとなさいました。 しかし命は命で、いかなることがあっても、お父上のお言いつけにそむくことはできないとお言いとおしになり、長い間お二人でお互たがいに譲ゆずり合っていらっしゃいました。 そのときある海あ人まが、天皇へ献けん上じょうする物を持ってのぼって来ました。 その海人が、大おお雀ささ命ぎのみこと﹇#ルビの﹁おおささぎのみこと﹂は底本では﹁おおささきのみこと﹂﹈のところへ伺うかがいますと、命みことは、それは若わか郎いら子つこ皇おう子じに奉たてまつれ、あの方が天皇でいらっしゃるとおっしゃって、お受けつけになりませんし、それではと言って皇子の方へうかがえば、それはお兄上の方へ献けんぜよとおおせになりました。 海あ人まはあっちへ行ったり、こっちへ来たり、それが二度や三度ではなかったので、とうとう行ったり来たりにくたびれて、しまいにはおんおん泣なきだしてしまいました。そのために、﹁海人ではないが、自分のものをもてあまして泣く﹂ということわざさえできました。 お二人はそれほどまでになすって、ごめいめいにお義理をつくしていらっしゃいましたが、そのうちに、若わか郎いら子つこ皇おう子じがふいにお若わか死じにをなすったので、大おお雀ささ命ぎのみこともやむをえず、ついにお位におつきになりました。後の代から仁にん徳とく天てん皇のうとお呼よび申すのがすなわちこの天皇でいらっしゃいます。 ﹇#改ページ﹈難なに波わのお宮
一
仁にん徳とく天てん皇のうはお位におのぼりになりますと、難なに波わの高たか津つの宮みやを皇居にお定めになり、葛かつ城らぎの曽そつ都ひ彦こという人の娘むすめの岩いわ野のひ媛めという方を改めて皇后にお立てになりました。 天皇がまだ皇おう子じ大おお雀ささ命ぎのみことでいらっしゃるとき、ある年摂せっ津つの日ひめ女じ島まという島へおいでになって、そこでお酒さか盛もりをなすったことがありました。すると、たまたまその島にがんが卵たまごをうんでおりました。皇子は、日本でがんが卵をうんだということは、これまで一度もお聞きになったことがないものですから、たいそうふしぎにおぼしめして、あとで武たけ内のう宿ちの禰すくねを召めして、 ﹁そちは世の中にまれな長命の人であるが、いったい日本でがんが卵をうんだという話を聞いたことがあるか﹂とこういう意味を歌に歌っておたずねになりました。 宿すく禰ねは、 ﹁なるほど、それはごもっとものおたずねでございます。私もこれほど長生きをいたしておりますが、今日まで、かつてそういうためしを聞きましたことがございません﹂と、同じように歌に歌って、こうお答え申しあげた後、おそばにあったお琴ことをお借り申して、 ﹁これはきっと、あなたさまがついに天下をお治めになるというめでたい先ぶれに相そう違いございません﹂と、こういう意味の歌をお琴ことをひいて歌いました。皇おう子じはそのとおり、十五人もいらしったごきょうだいの中から、しまいにお父上の天皇のおあとをお継つぎになりました。 ご即そく位いになった後、天皇は、あるとき、高い山におのぼりになって四方の村々をお見しらべになりました。そしてうちしおれておおせになりました。 ﹁見わたすところ、どの村々もただひっそりして、家々からちっとも煙があがっていない。これではいたるところ、人民たちが炊たいて食べる物がないほど貧ひん窮きゅうしているらしい。どうかこれから三年の間は、しもじもから、いっさい租そぜ税いをとるな。またすべての働きに使うのを許してやれ﹂とおおせになりました。 それでそのまる三年の間というものは、宮きゅ中うちゅうへはどこからも何一つお納おさ物めものをしないので、天皇もそれはそれはひどいご不自由をなさいました。たとえばお宮が破れこわれても、お手もとにはそれをおつくろいになるご費用もおありになりませんでした。しかし天皇はそれでも寸すん分ぶんもおいといにならないで、雨がひどく降るたんびには、おへやの中へおけをひき入れて、ざあざあと漏もり入る雨あまもれをお受けになり、ご自分自身はしずくのおちないところをお見つけになって、御ござ座し所ょを移し移ししておしのぎになりました。 それから三年の後に、再び山にのぼってご覧らんになりますと、こんどはせんとはすっかりうって変わって、お目の及およぶ限かぎり、どの村々にも煙がいっぱい、勢いよく立ちのぼっておりました。天皇はそれをご覧になって、みなの者も、もうすっかりゆたかになったとおっしゃって、ようやくご安心なさいました。そして、そこではじめて租そぜ税いや夫ふえ役きをおおせつけになりました。 すると人民は、もう十分にたくわえもできていましたので、お納おさ物めものをするにも、使い働きにあがるのにも、それこそ楽々とご用を承うけたまわることができました。 天皇はしもじもに対して、これほどまでに思いやりの深い方でいらっしゃいました。ですから後の代よからも永ながくお慕したい申しあげてそのご一いち代だいを聖せい帝ていの御み代よとお呼よび申しております。二
この天皇の皇后でいらしった岩いわ野のひ媛めは、それはそれは、たいへんにごしっとのはげしいお方で、ちょっとのことにも、じきに足ずりをして、火がついたようにお騒ぎたてになりました。それですから、宮きゅ中うちゅうに召めし使われている婦人たちは、天皇のおへやなぞへは、うっかりはいることもできませんでした。 あるとき天皇はそのころ吉き備びといっていた、今の備びぜ前ん、備びっ中ちゅう地ちほ方うの、黒くろ崎さきというところに、海あま部のあ直たえという者の子で、黒くろ媛ひめというたいそうきりょうのよい娘むすめがいるとお聞きになり、すぐに召めしのぼせて宮中でお召し使いになりました。 ところが皇后がことごとにつけて、あまりにねたみおいじめになるものですから、黒くろ媛ひめはたまりかねてとうとうお宮を逃にげ出しておうちへ帰ってしまいました。 そのとき天皇は、高たか殿どのにお上りになって、その黒くろ媛ひめの乗っている船が難なに波わの港を出て行くのをご覧らんになりながら、 かわいそうに、あそこに黒くろ媛ひめがかえって行く。 あの沖おきに、たくさんの小こぶ船ねにまじって、あの女の船が出て行くよ。 とこういう意味のお歌をお歌いになりました。 すると皇后は、そのことをお聞きになって、ひどく怒おこっておしまいになり、すぐに人をやって、黒くろ媛ひめをむりやりに船からひきおろさせて、はるかな吉き備びの国まで、わざと歩いておかえしになりました。 天皇はその後も、黒くろ媛ひめのことをしじゅうあわれに思い思いお暮らしになっていました。そんなわけで、天皇はついにある日、淡あわ路じし島まを見に行くとおっしゃって皇后のお手前をおつくろいになり、いったんその島へいらしったうえ、そこから、黒くろ媛ひめをたずねて、こっそり吉き備びまで、おくだりになりました。 黒くろ媛ひめは天皇を山やま方かたというところへおつれ申しました。そして、召めし上がり物にあつものをこしらえてさしあげようと思いまして、あおなをつみに出ました。すると天皇もいっしょに出てご覧になり、たいそうお興きょう深くおぼしめして、そのお心持をお歌にお歌いになりました。 天皇がいよいよお立ちになるときには、黒くろ媛ひめもお別れの歌を歌いました。媛ひめは天皇がわざわざそんなになすって、隠かくれ隠れてまでおたずねくだすったもったいなさを、一生お忘わすれ申すことができませんでした。三
皇后はその後、ある宴えん会かいをおもよおしになるについて、そのお酒をおつぎになる御みつ綱なが柏しわというかしわの葉をとりに、わざわざ紀きい伊のく国にまでお出かけになったことがありました。 そのおるすの間、天皇のおそばには八やた田のわ若かい郎らつ女めという女じょ官かんがお仕え申しておりました。 皇后はまもなく御みつ綱なが柏しわの葉をお船につんで、難なに波わへ向かって帰っていらっしゃいました。そのお途中で、お供の中のある女たちの乗っている船が、皇后のお船におくれて行き行きするうちに、難なに波わの大おお渡わたり﹇#ルビの﹁おおわたり﹂は底本では﹁ねおわたり﹂﹈という海まで来ますと、向こうから一そうの船が来かかりました。その中には、高たか津つのお宮のお飲み水を取る役所で働いていた、吉き備びの生まれの、ある身みぶ分んの低い仕よぼ丁ろで、おいとまをいただいておうちへ帰るのが、乗り合わせておりました。その者が船のすれちがいに、 ﹁天皇さまは、このごろ八やた田のわ若かい郎らつ女めがすっかりお気に入りで、それはそれはたいそうごちょう愛になっているよ﹂としゃべって行きました。それを聞いた女どもはわざわざ大急ぎで皇后のお船に追いついて、そのことを皇后のお耳に入れました。 そうすると、例のご気きし性ょうの皇后は、たちまちじりじりなすって、せっかくそこまで持っておかえりになった御みつ綱なが柏しわの葉を、すっかり海へ投げすてておしまいになりました。それからまもなく船はこちらへ帰りつきましたが、皇后は若わか郎いら女つめのことをお考えになればなるほどおくやしくて、そのお腹はら立だちまぎれに、港へおつけにならないで、ずんずん船を堀ほり江えへお入れになり、そこから淀よど川がわをのぼって山やま城しろまで行っておしまいになりました。 その時皇后は、 ﹁私はあんまりにくらしくてたまらないので、こんなにあてもなく山やま城しろの川をのぼって来たものの、思えばやっぱり天皇のおそばがなつかしい。今この目の前の川べりには、鳥さし葉ぶの樹きがはえている。その木の下には、茂しげった、広ひろ葉はのつばきがてかてかとまっかに咲さいている。ああ、あの花のように輝かがやきに充みち、あの広葉のようにお心広く、おやさしくいらっしゃる天皇を、どうして私はおしたわしく思わないでいられよう﹂とこういう意味のお歌をお歌いになりました。 しかしそれかといってこのまま急にお宮へお帰りになるのも少しいまいましくおぼしめすので、とうとう船からおあがりになって、大やま和との方へおまわりになりました。 そのときにも皇后は、 ﹁私わたしはとうとう山やま城しろ川がわをのぼり、奈な良らや小おだ楯てをも通りすぎて、こんなにあちこちさまよってはいるけれど、それもどこをひとつ見たいのでもない。見たいのは高たか津つのお宮よりほかにはなんにもない﹂という意味をお歌いになりました。 それからまた山やま城しろへひきかえして、筒つつ木きというところへおいでになり、そこに住まっている朝ちょ鮮うせんの帰きか化じ人んの奴ぬ里り能の美みという者のおうちへおとどまりになりました。 天皇はすべてのことをお聞きになりますと、鳥とり山やまという舎とね人りに向かって、 ﹁おまえ早く行って会ってこい﹂という意味をお歌でおっしゃって、皇后のところへおつかわしになりました。そのつぎには、丸わに邇のお臣みく口ち子こという者をお召めしになって、 ﹁皇后はあんなにいつまでもすねて、お宮へもかえって来ないけれど、しかし心の中ではわしのことを思っているに相そう違いない。二人の間であるものを、そんなに意い地じを張らないでもよいであろうに﹂という意味を二つのお歌にお歌いになって、また改めて口くち子こをお迎えにおやりになりました。 お使いの口くち子こは、奴ぬ里り能の美みのおうちへ着きますと、天皇のそのお歌をかたときも早く皇后に申しあげようと思いまして、御ござ座し所ょのお庭にわ先さきへうかがいました。 そのときにちょうどひどい大雨がざあざあ降っておりました。口くち子こはその雨の中をもいとわず、皇后のおへやの前の地じびたへ平へい伏ふくしますと、皇后は、つんとして、いきなり後ろの戸口の方へ立って行っておしまいになりました。口くち子こは怖おそる怖るそちらがわにまわって平伏しました。そうすると皇后はまたついと前の方の戸口へ来ておしまいになりました。口くち子こはあっちへ行ったりこっちへ来たりして土の上にひざまずいているうちに、雨はいよいよどしゃぶりに降りつのって、そのたまり水が腰こしまで浸ひたすほどになりました。口くち子こは赤いひものついた、あい染ぞめの上うわ着ぎを着ておりましたが、そのひもがびしょびしょになって赤い色がすっかり流れ出したので、しまいには青い着物もまっかに染まってしまいました。 そのとき皇后のおそばには、口くち子この妹の口くち媛ひめという者がお仕つかえ申しておりました。口くち媛ひめはおにいさまのそのありさまを見て、 ﹁まあおかわいそうに、あんなにまでしておものを申しあげようとしているのに、見ている私には涙なみだがこぼれてくる﹂ という意味を歌に歌いました。 皇后はそれをお聞きになって、 ﹁兄とはだれのことか﹂とおたずねになりました。 ﹁さっきから、あすこに、水の中にひれ伏ふしておりますのが私の兄の口くち子こでございます﹂と、口くち媛ひめは涙をおさえてお答え申しました。 口くち子こはそのあとで、口くち媛ひめと奴ぬ里り能の美みの二人に相談して、これはどうしても天皇にこちらへいらしっていただくよりほかには手だてがあるまいと、こう話を決めました。そこで口くち子こは急いでお宮へかえって申しあげました。 ﹁まいりまして、すっかりわけをお聞き申しますと、皇后さまがあちらへお出向きになりましたのは、奴ぬ里り能の美みのうちに珍めずらしい虫を飼かっておりますので、ただそれをご覧らんになるためにおでかけになりましたのでございます。そのほかにはけっしてなんのわけもおありにはなりません。その虫と申しますのは、はじめははう虫でいますのが、つぎには卵たまごになり、またそのつぎには飛ぶ虫になりまして、順々に三度姿すがたをかえる、きたいな虫だそうでございます﹂と、口くち子こは子供でも心得ているかいこのことを、わざと珍めずらしそうに、じょうずにこう申しあげました。 すると天皇は、 ﹁そうか、そんなおもしろい虫がいるなら、わしも見に行こう﹂とおっしゃって、すぐにお宮をお出ましになり、奴ぬ里り能の美みのおうちへ行ぎょ幸うこうになりました。 奴ぬ里り能の美みは、口くち子こが申しあげたとおりの三みとおりの虫を、前もって皇后に献けん上じょうしておきました。 天皇は皇后のおへやの戸の前にお立ちになって、 ﹁そなたがいつまでも怒おこったりしているので、とうとうみんながここまで出て来なければならなくなった。もうたいていにしてお帰りなさい﹂とお歌いになり、まもなくおともどもに難なに波わのお宮へご還かん幸こうになりました。 天皇はそれといっしょに、八やた田のわ若かい郎らつ女めにおいとまをおつかわしになりました。しかしそのかわりには、郎いら女つめの名まえをいつまでも伝え残すために、八や田た部べという部族をおこしらえになりました。四
それからあるとき天皇は、女めと鳥りの王みこという、あるお血ちす筋じの近い方を宮きゅ中うちゅうにお召めしかかえになろうとして、弟さまの速はや総ぶさ別わけ王のみこをお使いにお立てになりました。 王みこはさっそくいらしって、そのおぼしめしをお伝えになりますと、女めと鳥りの王みこはかぶりをふって、 ﹁いえいえ私は宮きゅ中うちゅうへはお仕え申したくございません。皇后さまがあんなにごしっと深くいらっしゃるので、八やた田のわ若かい郎らつ女めだってご奉公ができないでさがってしまいましたではございませんか。それよりもこんな私でございますが、どうぞあなたのお嫁よめにしてくださいまし﹂とお頼たのみになりました。 それで王みこはその女めと鳥りの王みこをお嫁になさいました。そして天皇に対しては、いつまでもご返事を申しあげないままでいらっしゃいました。 すると天皇は、しまいにご自分で女めと鳥りの王みこのおうちへお出かけになり、戸口のしきいの上にお立ちになってのぞいてご覧になりますと、王みこはちょうど中でお機はたを織っていらっしゃいました。 天皇は、 ﹁それはだれの着物を織っているのか﹂とお歌に歌ってお聞きになりました。すると女めと鳥りの王みこもやはりお歌で、 ﹁これは速はや総ぶさ別わけ王のみこにお着せ申しますのでございます﹂とお答えになりました。 天皇はそれをお聞きになって、二人のことをすっかりおさとりになり、そのままお宮へおかえりになりました。 女めと鳥りの王みこはそのあとで、まもなく速はや総ぶさ別わけ王のみこが出ていらっしゃいますと、 ﹁もし。あなたさまよ。ひばりでさえもどんどん大空へかけのぼるではございませんか。あなたはお名まえもたかの中のはやぶさと同じでいらっしゃるのに、さあ早くささぎをとり殺しておしまいなさい﹂とこういう意味をお歌いになりました。それはいうまでもなく、天皇のお名が大おお雀ささ命ぎのみことなので、それをささぎにかよわせて、一ときも早く天皇をお殺し申してご自分でお位におつきになるようにと、怖おそろしい入れぢえをなすったのでした。 そうすると、そのお歌のことが、いつのまにか天皇のお耳にはいりました。天皇はすぐに兵をあつめて速はや総ぶさ別わけ王のみこを殺しにおつかわしになりました。 速はや総ぶさ別わけ王のみこはそれと感づくと、びっくりして、女めと鳥りの王みこといっしょにすばやく大やま和とへ逃げ出しておしまいになりました。そのお途中、倉くら橋はし山やまという険けわしい山をお越こえになるときに、かよわい女めと鳥りの王みこはたいそうご難なん渋じゅうをなすって、夫の王みこのお手にすがりすがりして、やっと上までお上りになりました。 お二人はそこからさらに同じ大やま和との曾そ爾にというところまでいらっしゃいますと、天皇の兵がそこまで追いついて、お二人を刺さし殺してしまいました。 そのとき軍勢を率ひきいて来たのは山やま辺べの大おお楯だて連のむらじというつわものでした。連むらじは女めと鳥りの王みこのお死がいのお手首に、りっぱなお腕うで飾かざりがついているのを見て、さっそくそれをはぎ取って、自分の家かな内いに持ってかえってやりました。 そのうちに宮中にあるご宴えん会かいがあって、臣下の者の妻女たちが、おおぜいお召めしにあずかりました。すると大おお楯だて連のむらじの妻は、女めと鳥りの王みこのお腕飾りを得とく意いらしく手首に飾かざってまいりました。皇后はそれらの女たちへ、お手ずから、お酒を盛もるかしわの葉をおくだしになりました。みんなはかわるがわる御ごぜ前んへ出て、それをいただいてさがりました。 皇后はそのときに、ふと、連むらじの妻の腕飾りにお目がとまりました。するとそれはかねてお見みお覚ぼえのある女めと鳥りの王みこのお持もち物ものでしたので皇后はにわかにお顔色をお変えになり、この女にばかりはかしわの葉をおくだしにならないで、そのまますぐにご宴えん席せきから追い出しておしまいになりました。そしてさっそく夫の連むらじをお呼よびつけになって、 ﹁そちは人の腕飾りをぬすんで来て家内にやったろう。あの速はや総ぶさ別わけと女めと鳥りの二人は、天皇に対して怖おそろしい大罪を犯そうとしたのだから、かれたちが殺されたのはもとよりあたりまえである。しかしそちなぞからいえば、二人とも目上の王みこたちではないか。その人が身につけている物を、死んでまだ膚はだのあたたかいうちにはぎとって、それをおのれの妻に与あたえるなぞと、まあ、よくもそんなひどいことができたね﹂とおっしゃって、ぐんぐんおいじめつけになったうえ、ようしゃなくすぐ死しけ刑いに行なわせておしまいになりました。五
この天皇の御み代よに、兎とさ寸が川わというある川の西に、大きな大きな大木が一本立っておりました。いつも朝日がさすたんびに、その木の影かげが淡あわ路じの島までとどき、夕ゆう日ひが当たると、河かわ内ちの高たか安やす山やま﹇#ルビの﹁たかやすやま﹂は底本では﹁むかやすやま﹂﹈よりももっと上まで影がさしました。 土地の者はその木を切って船をこしらえました。するとそれはそれはたいそう早く走れる船ができました。みんなその船に﹁枯から野ぬ﹂という名前をつけました。そして朝晩それに乗って、淡あわ路じし島まのわき出るきれいな水をくんで来ては、それを宮きゅ中うちゅうのお召めし料にさしあげておりました。 後にみんなは、その船が古びこわれたのを燃やして塩を焼き、その焼け残った木で琴ことを作りました。その琴をひきますと、音が遠く七つの村々まで響ひびいたということです。 天皇はついにおん年八十三でおかくれになりました。 ﹇#改ページ﹈大おお鈴すず小こす鈴ず
一
仁にん徳とく天てん皇のうには皇おう子じが五人、皇おう女じょが一人おありになりました。その中で伊いざ邪ほ本わ別け、水みず歯はわ別け、若わく子ごの宿すく禰ねのお三さん方かたがつぎつぎに天皇のお位におのぼりになりました。 いちばんのお兄上の伊いざ邪ほわ本けの別お皇う子じは、お父上の亡なきおあとをおつぎになって、同じ難なに波わのお宮で、履りち仲ゅう天てん皇のうとしてお位におつきになりました。 そのご即そく位いのお祝いのときに、天皇はお酒をどっさり召めしあがって、ひどくお酔よいになったままおやすみになりました。 すると、じき下の弟さまの中なか津つの王みこが、それをしおに天皇をお殺し申してお位を取ろうとおぼしめして、いきなりお宮へ火をおつけになりました。火の手は、たちまちぼうぼうと四方へ燃え広がりました。お宮じゅうの者はふいをくって大あわてにあわて騒さわぎました。 天皇は、それでもまだ前後もなくおよっていらっしゃいました。それを阿あち知のあ直たえという者が、すばやくお抱かかえ申しあげ、むりやりにうまにお乗せ申して、大やま和とへ向かって逃にげ出して行きました。 お酔いつぶれになっていた天皇は、河かわ内ちの多た遅じ比ひ野のというところまでいらしったとき、やっとおうまの上でお目ざめになり、 ﹁ここはどこか﹂とおたずねになりました。阿あち知のあ直たえは、 ﹁中なか津つの王みこがお宮へ火をお放ちになりましたので、ひとまず大やま和との方へお供ともをしてまいりますところでございます﹂とお答え申しました。 天皇はそれをお聞きになって、はじめてびっくりなさり、 ﹁ああ、こんな多た遅じ比ひの野の中に寝ねるのだとわかっていたら、夜よか風ぜを防ぐたてごもなりと持って来ようものを﹂ と、こういう意味のお歌をお歌いになりました。 それから埴はに生うざ坂かという坂までおいでになりまして、そこから、はるかに難なに波わの方をふりかえってご覧らんになりますと、お宮の火はまだ炎えん々えんとまっかに燃え立っておりました。天皇は、 ﹁ああ、あんなに多くの家が燃えている。わが妃きさきのいるお宮も、あの中に焼けているのか﹂という意味をお歌いになりました。 それから同じ河かわ内ちの大おお坂さかという山の下へおつきになりますと、向こうから一人の女が通りかかりました。その女に道をおたずねになりますと、女は、 ﹁この山の上には、戦いく道さど具うぐを持った人たちがおおぜいで道をふさいでおります。大やま和との方へおいでになりますのなら、当たじ麻ま道じからおまわりになりましたほうがよろしゅうございましょう﹂と申しあげました。 天皇はその女の言うとおりになすって、ご無事に大やま和とへおはいりになり、石いそ上のかみの神じん宮ぐうへお着きになって、仮にそこへおとどまりになりました。 すると二ばんめの弟さまの水みず歯はわ別けの王みこが、その神宮へおうかがいになって、天皇におめみえをしようとなさいました。天皇はおそばの者をもって、 ﹁そちもきっと中なか津つの王みこと腹はらを合わせているのであろう。目どおりは許されない﹂とおおせになりました。王みこは、 ﹁いえいえ私はそんなまちがった心は持っておりません。けっして中なか津つの王みこなぞと同どう腹ふくではございません﹂とお言いになりました。天皇は、 ﹁それならば、これから難なに波わへかえって、中なか津つの王みこを討うちとってまいれ。その上で対面しよう﹂とおっしゃいました。二
水みず歯はわ別けの王みこは、大急ぎでこちらへおかえりになりました。そして中なか津つの王みこのおそばに仕えている、曾そ婆ば加か里りというつわものをお召めしになって、 ﹁もしそちがわしの言うことを聞いてくれるなら、わしはまもなく天皇になって、そちを大臣にひきあげてやる。どうだ、そうして二人で天下を治めようではないか﹂とじょうずにおだましかけになりました。すると曾そ婆ば加か里りは大喜びで、 ﹁あなたのおおせなら、どんなことでもいたします﹂ と申しあげました。皇おう子じはその曾そ婆ば加か里りにさまざまのお品物をおくだしになったうえ、 ﹁それでは、そちが仕えているあの中なか津つの王みこを殺してまいれ﹂とお言いつけになりました。曾そ婆ば加か里りは、 ﹁かしこまりました﹂と、ぞうさもなくおひき受けして飛んでかえり、王みこがかわやにおはいりになろうとするところを待ち受けて、一ひと刺さしに刺さし殺してしまいました。 水みず歯はわ別けの王みこは、曾そ婆ば加か里りとごいっしょに、すぐに大やま和とへ向かってお立ちになりました。その途中、例の大おお坂さかの山の下までおいでになったとき、命みことはつくづくお考えになりました。 ﹁この曾そ婆ば加か里りめは、私わしのためには大きな手てが柄らを立てたやつではあるが、かれ一人からいえば、主人を殺した大悪人である。こんなやつをこのままおくと、さきざきどんな怖おそろしいことをしだすかわからない。今のうちに手早くかたづけてしまってやろう。しかし、手てが柄らだけはどこまでも賞ほめておいてやらないと、これから後、人が私わしを信じてくれなくなる﹂ こうお思いになって急にその手だてをお考えさだめになりました。それで曾そ婆ば加か里りに向かって、 ﹁今こん晩ばんはこの村へとまることにしよう。そしてそちに大臣の位をさずけたうえ、あすあちらへおうかがいをしよう﹂とおっしゃって、にわかにそこへ仮のお宮をおつくりになりました。そしてさかんなご宴えん会かいをお開きになって、そのお席で曾そ婆ば加か里りを大臣の位におつけになり、すべての役人たちに言いつけて礼拝をおさせになりました。 曾そ婆ば加か里りはこれでいよいよ思いがかなったと言って大だい得とく意いになって喜びました。水みず歯はわ別けの王みこは、 ﹁それでは改めて、大臣のおまえと同じさかずきで飲み合おう﹂とおっしゃりながら、わざと人の顔よりも大きなさかずきへなみなみとおつがせになりました。そして、まずご自分で一口めしあがった後、曾そ婆ば加か里りにおくだしになりました。曾そ婆ば加か里りはそれをいただいて、がぶがぶと飲みはじめました。 王みこは曾そ婆ば加か里りの目めが顔おがそのさかずきで隠かくれるといっしょに、かねてむしろの下にかくしておおきになった剣つるぎを抜ぬき放して、あッというまに曾そ婆ば加か里りの首を切り落としておしまいになりました。 それからあくる日そこをお立ちになり、大やま和との遠とお飛あす鳥かという村までおいでになって、そこへまた一晩ばんおとまりになったうえ、けがれ払ばらいのお祈りをなすって、そのあくる日石いそ上のかみの神宮へおうかがいになりました。そしておおせつけのとおり、中なか津つの王みこを平たいらげてまいりましたとご奏そう上じょうになりました。 天皇はそれではじめて王みこを御ごぜ前んへお通しになりました。それから阿あち知のあ直たえに対しても、ごほうびに蔵くらの司つかさという役におつけになり、たいそうな田でん地ぢをもおくだしになりました。三
天皇は後に大やま和との若わか桜ざく宮らのみやにお移りになり、しまいにおん年六十四でおかくれになりました。そのおあとは、弟さまの水みず歯はわ別けの王みこがお継つぎになりました。後に反はん正しょ天うて皇んのうとお呼よび申すのがこの天皇のおんことです。 天皇はお身のたけが九尺しゃく二寸五分ぶ、お歯の長ながさが一寸すん、幅はばが二分ぶおありになりました。そのお歯は上下とも同じようによくおそろいになって、ちょうど玉をつないだようにおきれいでした。河かわ内ちの多た遅じ比ひの柴しば垣がき宮のみやで、政まつりごとをおとりになり、おん年六十でおかくれになりました。四
反はん正しょ天うて皇んのうのおあとには、弟さまの若わく子ごの宿すく禰ねの王みこが允いん恭きょ天うて皇んのうとしてお位におつきになり、大やま和との遠とお飛あす鳥かの宮みやへお移りになりました。 天皇は、もとからある不治のご病気がおありになりましたので、このからだでは位にのぼることはできないとおっしゃって、はじめには固かたくご辞じた退いになりました。しかし、皇后やすべての役人がしいておねがい申すので、やむなくご即そく位いになったのでした。 するとまもなく新しら羅ぎの国くにから、八十一そうの船で貢みつ物ぎものを献けんじて来ました。そのお使いにわたって来た金こん波ばち鎮ん、漢かん起き武むという二人の者が、どちらともたいそう医薬のことに通じておりまして、天皇の永ながい間のご病気を、たちまちおなおし申しあげました。そのために天皇はついにおん年七十八までお生きのびになりました。 天皇は日本じゅうの多くの部族の中で、めいめいいいかげんなかってな姓せいを名のっているものが多いのをお嘆なげきになり、大やま和とのある村へ玖く訂か瓮えといって、にえ湯のたぎっているかまをおすえになって、日本じゅうのすべての氏しせ姓いを正しくお定めになりました。そのにえ湯の中へ一人一人手を入れさせますと、正しょ直うじきにほんとうの姓せいを名のっている者は、その手がどうにもなりませんが、偽いつわりを申し立てているものは、たちまち手が焼けただれてしまうので、いちいちうそとほんとうとを見わけることができました。五
天皇がおかくれになったあとにはいちばん上の皇おう子じの、木きな梨しの軽かる皇のお子うじがお位におつきになることにきまっておりました。ところが皇子はご即そく位いになるまえに、お身持ちの上について、ある言うに言われないまちがいごとをなすったので、朝ちょ廷うていのすべての役人やしもじもの人民たちがみんな皇子をおいとい申して、弟さまの穴あな穂ほの王みこのほうへついてしまいました。 軽かる皇のお子うじはこれでは、うっかりしていると、穴あな穂ほの王みこ方がたからどんなことをしむけるかもわからないとお怖おそれになり、大おお前まえ宿のす禰くね、小こま前えの宿すく禰ねという、きょうだい二人の大臣のうちへお逃にげこみになりました。そしてさっそくいくさ道具をおととのえになり、軽かる矢やといって、矢やの根を銅でこしらえた矢などをも、どっさりこしらえて、待ちかまえていらっしゃいました。 それに対して、穴あな穂ほの王みこのほうでもぬからず戦いくさの手てく配ばりをなさいました。こちらでも穴あな穂ほ矢やといって、後の代よの矢と同じように鉄の矢じりのついた矢を、どんどんおこしらえになりました。そしてまもなく王みこご自身が軍務をおひきつれになって、大おお前まえ、小こま前えの家をお攻せめ囲かこみになりました。 王みこはちょうどそのとき急に降り出したひょうの中を、まっ先に突とっ進しんして、門前へ押おしよせていらっしゃいました。 ﹁さあ、みんなもわしのとおり進んで来い。ひょうの雨は今にやむ。そのひょうのやむように、すべてを片づけてしまうのだ。さあ来い来い﹂という意味をお歌いになって、味方の兵をお招きになりました。 すると大おお前まえ、小こま前えの宿すく禰ねは、手をあげひざをたたいて、歌い踊おどりながら出て来ました。 ﹁何をそんなにお騒さわぎになる。宮みや人びとのはかまのすそのひもについた小さな鈴すず、たとえばその鈴が落ちたほどの小さなことに、宮人も村の人も、そんなに騒ぐにはおよびますまい﹂ こういう意味の歌を歌いながら穴あな穂ほの王みこのご前ぜんに出て来て、 ﹁もしあなたさま、軽かる皇のお子うじさまならわざわざお攻めになりますには及びません。ご同どう腹ふくのお兄上をお攻めになっては人が笑わらいます。皇子さまは私がめしとってさし出します﹂と申しあげました。 それで穴あな穂ほの王みこは囲みを解といて、ひきあげて待っておいでになりますと、二人の宿すく禰ねは、ちゃんと軽かる皇のお子うじをおひきたて申してまいりました。六
軽かる皇のお子うじには、軽かる大のお郎おい女らつめとおっしゃるたいそう仲なかのよいご同どう腹ふくのお妹さまがおありになりました。大おお郎いら女つめは世よにまれなお美しい方で、そのきれいなおからだの光がお召めし物ものまでも通して光っていたほどでしたので、またの名を衣そと通おし郎のい女らつめと呼よばれていらっしゃいました。 穴あな穂ほの王みこの手てにお渡わたされになった軽かる皇のお子うじは、その仲のよい大おお郎いら女つめのお嘆なげきを思いやって、 ﹁ああ郎いら女つめよ。ひどく泣なくと人が聞いて笑わらいそしる。羽は狹さの山のやまばとのように、こっそりと忍しのび泣きに泣くがよい﹂という意味の歌をお歌いになりました。 穴あな穂ほの王みこは、軽かる皇のお子うじを、そのまま伊い予よへ島流しにしておしまいになりました。そのとき大おお郎いら女つめは、 ﹁どうぞ浜べをお通りになっても、かきがらをお踏ふみになって、けがをなさらないように、よく気をつけてお歩きくださいまし﹂という意味の歌を、泣き泣きお兄上にお捧ささげになりました。 大おお郎いら女つめはそのおあとでも、お兄上のことばかり案じつづけていらっしゃいましたが、ついにたまりかねてはるばる伊い予よまでおあとを追っていらっしゃいました。 軽かる皇のお子うじはそれはそれはお喜びになって、大おお郎いら女つめのお手をとりながら、 ﹁ほんとうによく来てくれた。鏡のように輝き、玉のように光っている、きれいなおまえがいればこそ、大やま和とへも帰りたいともだえていたけれど、おまえがここにいてくれれば、大やま和ともうちもなんであろう﹂とこういう意味のお歌をお歌いになりました。 まもなくお二人は、その土地で自殺しておしまいになりました。 ﹇#改ページ﹈しかの群むれ、ししの群むれ
一
穴あな穂ほの王みこは、おあにいさまの軽かる皇のお子うじを島流しにおしになった後、第二十代の安あん康こう天てん皇のうとしてお立ちになり、大やま和との石いそ上のかみの穴あな穂ほの宮みやへおひき移りになりました。 天皇は弟さまの大おお長はつ谷せの皇おう子じのために、仁にん徳とく天てん皇のうの皇おう子じで、ちょうど大おじさまにおあたりになる大おお日くさ下かの王みことおっしゃる方のお妹さまの、若わか日くさ下かの王みこという方を、お嫁よめにもらおうとお思いになりました。 それで根ねの臣おみという者を大おお日くさ下かの王みこのところへおつかわしになって、そのおぼしめしをお伝えになりました。大おお日くさ下かの王みこはそれをお聞きになりますと、四たび礼拝をなすったうえ、 ﹁実は私も、万一そういうご大たい命めいがくだるかもわからないと思いましたので、妹は、ふだん、外へも出さないようにしていました。まことにおそれ多いことながら、それではおおせのままにさしあげますでございましょう﹂とたいそう喜んでお受けをなさいました。しかしただ言こと葉ばだけでご返事を申しあげたのでは失礼だとお考えになって、天皇へお礼のお印しるしに、押おし木ぎの玉かずらというりっぱな髪かみ飾かざりを、若わか日くさ下かの王みこから献けん上じょ品うひんとしておことづけになりました。 するとお使いの根ねの臣おみは、乱らん暴ぼうにも、その玉かずらを途中で自分が盗ぬすみ取ったうえ、天皇に向かっては、 ﹁おおせをお伝えいたしましたが、王みこはお聞き入れがございません。おれの妹ともあるものを、あんなやつの敷しき物ものにやれるかとおっしゃって、それはそれは、刀の柄つかに手をかけてご立腹になりました﹂ こう言って、まるで根のないことをこしらえて、ひどいざん言げんをしました。 天皇は非常にお怒いかりになって、すぐに人を派はせて大おお日くさ下かの王みこを殺しておしまいになりました。そして王みこのお妃きさきの長なが田たの大おお郎いら女つめをめしいれて自分の皇后になさいました。 あるとき天皇は、お昼ひる寝ねをなさろうとして、お寝ねど床こにおよこたわりになりながら、おそばにいらしった皇后に、 ﹁そちはなにか心の中に思っていることはないか﹂とおたずねになりました。皇后は、 ﹁いいえけっしてそんなはずはございません。これほどおてあついお情けをいただいておりますのに、このうえ何を思いましょう﹂とお答えになりました。 そのとき、ちょうど御ごて殿んの下には、皇后が先の大おお日くさ下かの王みことの間におもうけになった、目まよ弱わの王みことおっしゃる、七つにおなりになるお子さまが、ひとりで遊んでおいでになりました。 天皇はそれとはご存じないものですから、ついうっかりと、 ﹁わしはただ一つ、いつも気になってならないことがある。それは目まよ弱わが大きくなった後に、あれの父はわしが殺したのだと聞くと、わしに復しゅうをしはしないだろうかと、それが心配である﹂とこうおおせになりました。 目まよ弱わの王みこは下でそれをお聞きになって、それではお父上を殺したのは天皇であったのかとびっくりなさいました。 そのうちに、まもなく天皇はぐっすりお眠ねむりになりました。目まよ弱わの王みこはそこをねらってそっと御ごて殿んへおあがりになり、おまくらもとにあった太た刀ちを抜ぬき放して、いきなり天皇のお首をお切りになりました。そしてすぐにお宮を抜け出して、都つ夫ぶ良ら意お富お美みという者のうちへ逃にげこんでおしまいになりました。 天皇はそのままお息がお絶えになりました。お年は五十六歳でいらっしゃいました。 そのときには、弟さまの大おお長はつ谷せの皇おう子じは、まだ童どう髪はつをおゆいになっている一少年でおいでになりましたが、目まよ弱わの王みこが天皇をお殺し申したとお聞きになりますと、それはそれはお憤いきどおりになって、すぐにお兄上の黒くろ日ひこ子のみ王このところへかけつけておいでになり、 ﹁おあにいさま、たいへんです。天皇をお殺し申したやつがいます。どういたしましょう﹂とご相談をなさいました。すると、黒くろ日ひこ子のみ王こは天皇のご同どう腹ふくのおあにいさまでおありになりながら、てんで、びっくりなさらないで平気にかまえていらっしゃいました。大おお長はつ谷せの皇おう子じはそれをご覧らんになりますと、くわッとお怒いかりになり、 ﹁あなたはなんという頼たのもしげもない人でしょう。われわれの天皇がお殺されになったのじゃありませんか。そして、それは、またあなたのおあにいさまじゃありませんか。それを平気で聞いているとは何ごとです﹂とおっしゃりながら、いきなりえりもとをひッつかんでひきずり出し、刀を抜くなり、一ひと打うちに打ち殺しておしまいになりました。 皇おう子じはそれからまたつぎのおあにいさまの白しら日ひこ子のみ王このところへおいでになって、同じように、天皇がお殺されになったことをお告げになりました。白しろ日ひこ子のみ王こは天皇のご同どう腹ふくの弟さまでいらっしゃいました。それだのに、この方も同じく平気な顔をして、すましておいでになりました。皇子はまたそのおあにいさまのえり首をつかんでひきずり出して、小おは治り田だという村まで引っぱっていらっしゃいました。そしてそこへ穴あなを掘ほって、その中へまっすぐに立たせたまま、生き埋うめに埋うめておしまいになりました。 王みこはどんどん土をかけられて、腰こしまでお埋められになったとき両りょ方うほうのお目の玉が飛び出して、それなり死んでおしまいになりました。二
大おお長はつ谷せの皇おう子じはそれから軍勢をひきつれて、目まよ弱わの王みこをかくまっている都つ夫ぶ良ら意お富お美みの邸やしきをおとり囲みになりました。すると、こちらでもちゃんと手くばりをして待ちかまえておりまして、それッというなり、ちょうどあしの花が飛び散ちるように、もうもうと矢やを射い出だしました。 大おお長はつ谷せの皇おう子じは、その前から、この都つ夫ぶ良らの娘むすめの訶から良ひ媛めという人をお嫁よめにおもらいになることにしていらっしゃいました。皇おう子じは今どんどん射い向ける矢の中に、矛ほこを突ついてお突ッ立ちになりながら、 ﹁都つ夫ぶ良らよ、訶から良ひ媛めはこのうちにいるか﹂と大声でおどなりになりました。 都つ夫ぶ良らはそれを聞くと、急いで武器を投げすてて、皇おう子じの御ごぜ前んへ出て来ました。そして八やた度び伏ふし拝おがんで申しあげました。 ﹁娘むすめの訶から良ひ媛めはお約束のとおり必かならずあなたにさしあげます。また五か村そんの私の領地も、娘に添そえて献けん上じょういたします。ただどうぞ、今しばらくお待ちくださいまし。私がただ今すぐに娘をさしあげかねますわけは、昔むかしから臣下の者が皇子さま方のお宮へ逃にげかくれたことは聞いておりますが、貴とうとい皇子さまがしもじもの者のところへお逃のがれになったためしはかつて聞きません。私はいかに力いっぱい戦いましても、あなたにお勝ち申すことができないのは十分わきまえております。しかし、目まよ弱わの王みこは、私ごとき者をも頼たよりにしてくださって、いやしい私のうちへおはいりくださっているのでございますから、私といたしましては、たとえ死んでもお見み捨すて申すことはできません。娘はどうぞ私が討うち死じにをいたしましたあとで、おめしつれくださいまし﹂ こう申しあげて御前をさがり、再び戦いくさ道具を取って邸やしきにはいって、いっしょうけんめいに戦いくさをいたしました。 そのうちに都つ夫ぶ良らはとうとうひどい手てき傷ずを負いました。みんなも矢だねがすっかり尽つきてしまいました。それで都つ夫ぶ良らは目まよ弱わの王みこに向かって、 ﹁私もこのとおりで、もはや戦いくさを続けることができません。いかがいたしましょう﹂と申しあげました。 お小さな目まよ弱わの王みこは、 ﹁それではもうしかたがない。早く私わたしを殺してくれ﹂とおっしゃいました。都つ夫ぶ良らはおおせに従ってすぐに王みこをお刺さし申した上、その刀で自分の首を切って死んでしまいました。三
このさわぎが片かたづくとまもなく、ある日、大おお長はつ谷せの皇おう子じのところへ、近おう江みの韓から袋ぶくろという者が、そちらの蚊か屋や野のというところに、ししやしかがひじょうにたくさんおりますと申し出ました。 ﹁そのどっさりおりますことと申しますと、群がり集まった足はちょうどすすきの原のすすきのようでございますし、群がった角つのは、ちょうど枯かれ木きの林のようでございます﹂と韓から袋ぶくろは申しあげました。 皇おう子じは、ようし、とおっしゃって、履りち仲ゅう天てん皇のうの皇子で、ちょうどおいとこにおあたりになる、忍おし歯はの王みことおっしゃるお方とお二人で、すぐに近おう江みへおくだりになりました。お二人は蚊か屋や野のにお着きになりますと、ごめいめいに別々の仮かり屋やをお立てになって、その中へおとまりになりました。 そのあくる朝、忍おし歯はの王みこは、まだ日も上らないうちにお目ざめになりました。それでまったくなんのお気もなく、すぐにおうまにめして、大おお長はつ谷せの皇おう子じのお仮屋へ出かけておいでになりました。こちらでは、皇おう子じはまだよくおよっていらっしゃいました。王みこは、皇子のおつきの者に向かって、 ﹁まだお目ざめでないようだね。もう夜よも明けたのだから、早くお出かけになるように申しあげよ﹂とおっしゃって、そのままおうまをすすめて、りょう場へお出かけになりました。 皇子のおつきの者は、皇子に向かって、 ﹁ただ今忍おし歯はの王みこがおいでになりまして、これこれとおっしゃいました。なんだかおっしゃることが変ではございませんか。けっしてごゆだんをなさいますな。お身固かためも十分になすってお出かけなさいますように﹂と悪く疑うたがってこう申しあげました。それで皇子も、わざわざお召めし物ものの下へよろいをお着こみになりました。そして弓ゆみ矢やを取っておうまを召めすなり、大急ぎで王みこのあとを追ってお出かけになりました。 皇子はまもなく王に追いついて、お二人でうまを並ならべてお進みになりました。そのうちに皇子はすきまをねらって、さっと矢をおつがえになり、罪もない忍おし歯はの王みこを、だしぬけに射い落としておしまいになりました。そして、なお飽あき足たらずに、そのおからだをずたずたに切り刻きざんで、それをうまの飼かい葉ばを入れるおけの中へ投げ入れて、土の中へ埋うめておしまいになりました。四
忍おし歯はの王みこには意おお富けの祁み王こ、袁おけ祁のみ王こというお二人のお子さまがいらっしゃいました。 お二人はお父上がお殺されになったとお聞きになりまして、それでは自分たちも、うかうかしてはいられないとおぼしめして、急いで大やま和とをお逃にげになりました。 そのお途中でお二人が、山やま城しろの苅かり羽は井いというところでおべんとうをめしあがっておりますと、そこへ、ちょう役えきあがりの印しるしに、顔かおへ入いれ墨ずみをされている、一人の老ろう人じんが出て来て、お二人が食べかけていらっしゃるおべんとうを奪うばい取りました。お二人は、 ﹁そんなものは惜おしくもないけれど、いったいおまえは何者だ﹂とおたしなめになりました。 ﹁おれは山やま城しろでお上かみのししを飼かっているしし飼かいだ﹂とその悪わる者ものの老人は言いました。 お二人は、それから河かわ内ちの玖くす須ば婆が川わという川をお渡わたりになり、とうとう播はり磨ままで逃げのびていらっしゃいました。そして固くご身分をかくして、志し自じ牟むという者のうちへ下男におやとわれになり、いやしいうし飼、うま飼の仕しご事とをして、お命をつないでいらっしゃいました。 ﹇#改ページ﹈とんぼのお歌
一
大おお長はつ谷せの皇おう子じは、まもなく雄ゆう略りゃ天くて皇んのうとしてご即そく位いになり、大やま和との朝あさ倉くら宮のみやにお移うつりになりました。皇后には、例れいの大おお日くさ下かの王みこのお妹さまの若わか日くさ下かの王みこをお立てになりました。 その若わか日くさ下かの王みこが、まだ河かわ内ちの日くさ下かというところにいらしったときに、ある日天皇は、大やま和とからお近ちか道みちをおとりになり、日くさ下かの直ただ越ごえという峠とうげをお越こえになって、王みこのところへおいでになったことがありました。 そのとき天皇は、山の上から四方の村々をお見わたしになりますと、向こうの方に、一軒けん、むねにかつお木をとりつけているうちがありました。かつお木というのは、天皇のお宮か、神さまのお社やしろかでなければつけないはずの、かつおのような形をした、むねの飾かざりです。 天皇はそれをご覧らんになって、 ﹁あの家はだれの家か﹂とおたずねになりました。 ﹁あれは志し幾きの大おお県あが主たぬしのうちでございます﹂と、お供の者がお答え申しました。天皇は、 ﹁無礼なやつめ。おのれが家をわしのお宮に似にせて作っている﹂とお怒いかりになり、 ﹁行ってあの家を焼きはらって来い﹂とおっしゃって、すぐに人をおつかわしになりました。 すると大おお県あが主たぬしはすっかりおそれいってしまいました。 ﹁実は、おろかな私どものことでございますので、ついなんにも存じませんで、うっかりこしらえましたものでございます﹂と言って、縮ちじ﹇#ルビの﹁ちじ﹂はママ﹈みあがってお申しわけをしました。そして、そのおわびの印しるしに、一ぴきの白いぬにぬのを着せ、鈴すずの飾かざりをつけて、それを身みう内ちの者の一人の、腰こし佩はきという者に綱つなで引かせて、天皇に献けん上じょういたしました。 それで天皇も、そのうちをお焼きはらいになることだけは許しておやりになり、そのまま若わか日くさ下かの王みこのおうちへお着きになりました。 天皇はお供ともの者をもって、 ﹁これはただいま途中で手に入れたいぬだ。珍めずらしいものだから進しん物もつにする﹂とおっしゃって、さっきの白いぬを若わか日くさ下かの王みこにおくだしになりました。しかし王みこは、 ﹁きょう天皇は、お日さまをお背せな中かになすっておこしになりました。これではお日さまに対しておそれおおうございますので、きょうはお目にかかりません。そのうち、私のほうからすぐにまかり出まして、お宮へお仕え申しあげます﹂ こう言って、おことわりをなさいました。 天皇はお帰りのお途中、山の上にお立ちになって、若わか日くさ下かの王みこのことをお慕したいになるお歌をおよみになり、それを王みこへお送りになりました。王みこはそれからまもなくお宮へおあがりになりました。二
天皇はあるとき、大やま和との美みわ和が川わのほとりへお出ましになりました。そうすると、一人の娘むすめが、その川で着物を洗っておりました。それはほんとうに美しい、かわいらしい娘でした。天皇は、 ﹁そちはだれの子か﹂とおたずねになりました。 ﹁私わたくしは引ひけ田た郎べの赤あか猪いの子こと申します者でございます﹂と娘はお答え申しました。天皇は、 ﹁それでは、いずれわしのお宮へ召めし使ってやるから待っていよ﹂とおっしゃって、そのままお通りすぎになりました。 赤あか猪いの子こはたいそう喜んで、それなりお嫁よめにも行かないで、一心にご奉ほう公こうを待っておりました。しかし宮きゅ中うちゅうからは、何十年たっても、とうとうお召めしがありませんでした。そのうちに、もうひどいおばあさんになってしまいました。赤あか猪いの子こは、 ﹁これではいよいよお宮へご奉公にあがることはできなくなった。しかしこんなになるまで、いっしょうけんめいにおめしを待っていたことだけは、いちおう申しあげて来たい﹂こう思って、ある日、いろいろの鳥やお魚さかなや野菜ものをおみやげに持って、お宮へおうかがいいたしました。すると天皇は、 ﹁そちはなんという老ろう婆ばだ。どういうことでまいったのか﹂とおたずねになりました。赤あか猪いの子こは、 ﹁私は、いついつの年のこれこれの月に、これこれこういうおおせをこうむりましたものでございます。こんにちまでお召めしをお待ち申してとうとう何十年という年を過すごしました。もはやこんな老ろう婆ばになりましたので、もとよりご奉ほう公こうには堪たえられませんが、ただ私がどこまでもおおせを守まもっておりましたことだけを申しあげたいと存じましてわざわざおうかがいいたしました﹂と申しあげました。天てん皇のうはそれをお聞きになって、びっくりなさいました。 ﹁私わしはそのことは、もうとっくに忘わすれてしまっていた。これはこれはすまないことをした。かわいそうに﹂とおっしゃって、二つのお歌をお歌いになり、それでもって、赤あか猪いの子このどこまでも正しょ直うじきな心ここ根ろねをおほめになり、ご自分のために、とうとう一生お嫁よめにも行かないで過ごしたことをしみじみおあわれみになりました。赤あか猪いの子こは、そのお歌を聞いて、たまりかねて泣なきだしました。その涙なみだで、赤色にすりそめた着物の袖そでがじとじとにぬれました。そして泣き泣き歌って、 ﹁ああああ、これから先はだれにすがって生きて行こう。若わかい女の人たちは、ちょうど日くさ下かの入いり江えのはすの花のように輝かがやき誇ほこっている。私わたしもそのとおりの若さでいたら、すぐにもお宮で召めし使っていただけようものを﹂と、こういう意味をお答え申しあげました。 天皇はかずかずのお品物をおくだしになり、そのままおうちへおかえしになりました。三
またあるとき天皇は、大やま和との阿あ岐き豆つ野のという野へご猟りょうにおいでになりました。そして猟りょ場うばでおいすにおかけになっておりますと、一ぴきのあぶが飛とんで来て、お腕うでにくいつきました。すると一ぴきのとんぼが出て来て、たちまちそのあぶを食くい殺ころして飛とんで行きました。 天皇はこれをご覧らんになって、たいそうお喜びになり、 ﹁なるほどこんなふうに天皇のことを思う虫だから、それでこの日本のことをあきつ島というのであろう﹂という意味をお歌に歌っておほめになりました。とんぼのことを昔むかしの言こと葉ばではあきつと呼よんでおりました。 そのつぎにはまた別のときに、大やま和との葛かつ城らぎ山やまへお上りになりました。そうすると、ふいに大きな大いのししが飛び出して来ました。天皇はすぐにかぶら矢やをおつがえになって、ねらいをたがえず、ぴゅうとお射いあてになりました。すると、ししはおそろしく怒いかり狂くるって、ううううとうなりながら飛びかかって来ました。それには、さすがの天皇もこわくおなりになって、おそばに立っていたはんのきへ、大急ぎでお逃にげのぼりになり、それでもって、やっと危あぶないところをお助かりになりました。 天皇はそのはんのきの上で、 ﹁ああ、この木のおかげで命びろいをした。ありがたいありがたい﹂とおっしゃる意味を、お歌にお歌いになりました。四
天皇はその後、また葛かつ城らぎ山やまにおのぼりになりました。そのときお供の人々は、みんな、赤いひものついた、青ずりのしょうぞくをいただいて着ておりました。 すると、向こうの山を、一人のりっぱな人がのぼって行くのがお目にとまりました。その人のお供の者たちも、やはりみんな、赤ひものついた、青ずりの着物を着ていまして、だれが見ても天皇のお行列と寸すん分ぶんも違ちがいませんでした。 天皇はおどろいて、すぐに人をおつかわしになり、 ﹁日本にはわしを除いて二人の天皇は﹇#﹁二人の天皇は﹂はママ﹈いないはずだ。それだのに、わしと同じお供を従えて行くそちは、いったい何者だ﹂と、きびしくお問いつめになりました。すると向こうからも、そのおたずねと同じようなことを問いかえしました。 天皇はくわッとお怒いかりになり、まっ先に矢をぬいておつがえになりました。お供の者も残らず一度に矢をつがえました。そうすると、向こうでも負けていないで、みんなそろって矢をつがえました。天皇は、 ﹁さあ、それでは名を名乗れ。お互たがいに名乗り合ったうえで矢を放とう﹂とお言い送りになりました。向こうからは、 ﹁それではこちらの名まえもあかそう。私わたしは悪いことにもただ一ひと言こと、いいことにも一言だけお告げをくだす、葛かつ城らぎ山やまの一ひと言こと主ぬし神のかみだ﹂とお答えがありました。天皇はそれをお聞きになると、びっくりなすって、 ﹁これはこれはおそれおおい、大おお神かみがご神体をお現わしになったとは思いもかけなかった﹂とおっしゃって、大急ぎで太た刀ちや弓ゆみ矢やをはじめ、お供ともの者一同の青ずりの着物をもすっかりおぬがせになり、それをみんな、伏ふし拝おがんで、大おお神かみへご献けん上じょうになりました。 すると大おお神かみは手を打ってお喜びになり、その献けん上じょ物うものをすっかりお受けいれになりました。それから天皇がご還かん幸こうになるときには、大おお神かみはわざわざ山をおりて、遠く長はつ谷せの山の口までお見送りになりました。五
天皇はつぎにはまたあるとき、その長はつ谷せにあるももえつきという大きな、大けやきの木の下でお酒さか宴もりをお催もよおしになりました。 そのとき伊い勢せの生まれの三みえ重のう采ね女めという女じょ官かんが、天皇におさかずきを捧ささげて、お酒をおつぎ申しました。すると、あいにく、けやきの葉が一つ、そのさかずきの中へ落ちこみました。采うね女めはそれとも気がつかないで、なおどんどんおつぎ申しました。天皇はふと、その木の葉をご覧らんになりますと、たちまちむッとお怒いかりになって、いきなり采うね女めをつかみ伏ふせておしまいになり、お刀をおぬきになって、首を切ろうとなさいました。采うね女めは、 ﹁あッ﹂と怖おそれちぢかんで、 ﹁どうぞ命いのちだけはお許しくださいまし。申しあげたいことがございます﹂と言いながら、つぎのような意味の、長い歌を歌いました。 ﹁このお宮は、朝日も夕日もよくさし入る、はればれとしたよいお宮である。堅かたい地ぢふ伏くの上に立てられた、がっしりした大きなお宮である。お宮のそとには大きなけやきの木がそびえたっている。その大たい木ぼくの上の枝えだは天をおおっている。中ほどの枝は東の国においかぶさり、下の枝はそのあとの地方をすっかりおおっている。上の枝のこずえの葉は、落ちて中の枝にかかり、中の枝の落ちた葉は下の枝にふりかかる。下の枝の葉は采うね女めが捧ささげたおさかずきの中へ落ち浮うかんだ。 それを見ると、大おお昔むかし、天地がはじめてできたときに、この世界が浮き油のように浮かんでいたときのありさまが思い出される。また、神さまが、大たい海かいのまん中へこの日本の島を作りお浮かべになった、そのときのありさまにもよく似にている。ほんとは尊とうとくもめでたいことである。これはきっと、後の世までも話し伝えるに相そう違いない﹂ 采うね女めはこう言って、昔むかしからの言い伝えを引いておもしろく歌いあげました。天皇はこの歌に免めんじて、采うね女めの罪を許しておやりになりました。すると皇后もたいそうお喜びになって、 ﹁この大やま和との高たか市いち郡ごおりの高いところに、大きく茂しげった広ひろ葉はのつばきが咲さいている。今、天皇は、そのつばきの葉と同じように、大きなお寛ひろい、そして、その花と同じように美しくおやさしいお心で、采うね女めをお許しくだすった。さあ、この貴とうとい天皇にお酒をおつぎ申しあげよ。このありがたいお情けは、みんなが後の世まで永ながく語り伝えるであろう﹂と、こういう意味のお歌をお歌いになりました。 それについで天皇も楽しくお歌をお歌いになり、みんなでにぎやかにお酒さか盛もりをなさいました。 采うね女めは罪を許されたばかりでなく、そのうえに、さまざまのおくだし物をいただいて、大喜びに喜びました。 天皇はしまいに、おん年百二十四歳でおかくれになりました。 ﹇#改ページ﹈うし飼かい、うま飼かい
一
雄ゆう略りゃ天くて皇んのうのおあとには、お子さまの清せい寧ねい天てん皇のうがお立ちになりました。天皇はしまいまで皇后をお迎えにならず、お子さまもお一人もいらっしゃいませんでした。 ですから天皇がおかくれになると、おあとをお継つぎになるお方がいらっしゃらないので、みんなはたいそう当とう惑わくして、これまでのどの天皇かのお血ちす筋じの方をいっしょうけんめいにお探さがし申しました。すると、さきに大おお長はつ谷せの皇おう子じにお殺されになった、忍おし歯はの王みこのお妹さまで忍おし海ぬみ郎のい女らつめ、またのお名まえを飯いい豊とよ王のみことおっしゃる方が、大やま和との葛かつ城らぎの角つの刺さし宮のみやというお宮においでになりました。それで、このお方にともかく一時じ政まつりごとをおとりになっていただきました。みんなは、例の忍おし歯はの王みこのお子さまの意お富お祁け、袁お祁けのお二人が、播はり磨まの国でうし飼かい、うま飼かいになって、生きながらえておいでになるということはちっとも知らないでいました。 その後まもなく、その播はり磨まの国へ、山やま部べの連むら小じお楯だてという人が国くに造のみやつこになって行きました。するとその地方の志し自じ牟むという者が新しん築ちくしたおうちでお酒さか盛もりをしました。そのとき小おだ楯てをはじめ、よばれた人たちも、お酒がまわるにつれて、みんなで代わる代わる立って舞まいを舞いました。しまいにはかまどのそばで火をたいていたきょうだい二人の火たきの子供にも舞えと言いました。 すると弟のほうの子は、兄の子に向かって、おまえさきにお舞いと言いました。兄は弟に向かって、おまえから舞えと言いました。みんなは、そんないやしい小やっこどもが、人なみに、もっともらしくゆずり合うのをおもしろがって、やんやと笑わらいました。 そのうちに、とうとう兄のほうがさきに舞いました。弟はそのあとに舞い出そうとするときに、まず大声でつぎのような歌を歌って自分たちきょうだいの身の上をうちあけました。 ﹁男らしい大きな男が、太た刀ちのつかに赤い飾かざりをつけ、太刀のおには赤いきれをつけて、いかにも人目を引く姿すがたをしていても、深くおい茂しげったたけやぶの後ろにはいれば、隠かくれて目にも見えない﹂と、こう歌いだして、たけやぶという言こと葉ばを引き出した後、 ﹁そんなたけやぶの大きなたけを割って、それを並ならべてこしらえた、八はち絃げん琴きんは、それはそれは調子がよく整ととのって申し分がない。今から五代だい前まえの履りち仲ゅう天てん皇のうは、ちょうどその琴ことのしらべと同じように、どこまでもりっぱに天下をお治めになったお方である。その皇おう子じに忍おし歯はの王みことおっしゃる方がいらしった。みんなの人々よ、われわれ二人は、その忍おし歯はの王みこの子であるぞ﹂と歌いました。 小おだ楯てはそれを聞くとびっくりして、床ゆかからころがり落ちてしまいました。そして大あわてにあわてて、さっそくみんなを残らず追い出したうえ、意外なところでお見出し申した、意お富お祁け、袁お祁けのお二人を左右のおひざにお抱かかえ申しながら、お二人の今こん日にちまでのご辛しん苦くをお察し申しあげて、ほろほろと涙なみだを流して泣なきました。 小おだ楯てはそれから急いでみんなを集めて、仮のお宮をつくり、お二人をその中にお移し申しました。そして、すぐに大やま和とへ早うまの使いを立てて、おんおば上の飯いい豊とよ王のみこにご注ちゅ進うしん申しあげました。飯いい豊とよ王のみこはそれをお聞きになると、大喜びにお喜びになり、すぐにお二人をお呼よびのぼせになりました。二
お二人は、角つの刺さしのお宮でだんだんにご成せい人じんになりました。 あるとき袁おけ祁のみ王こは、歌がきといって、男や女がおおぜいいっしょに集まって、歌を歌いかわす催もよおしへおでかけになりました。 そのとき菟うた田のお首びとという人の娘むすめで、王みこがかねがねお嫁よめにもらおうと思っておいでになる、大おう魚おという美しい女の人も来あわせておりました。するとそのころ、臣下の中でおそろしく幅はばをきかせていた志しび毘のお臣みというものが、その大おう魚おの手を取りながら、袁おけ祁のみ王こにあてつけて、 ﹁ああ、おかしやおかしや、お宮の屋根がゆがんでしまった﹂と歌いだし、そのあとの歌のむすびを王みこにさし向けました。王みこは、すぐにそれをお受けになって、 ﹁それは大だい工くがへただからゆがんだのだ﹂とお歌いになりました。すると志し毘びは重かさねて、 ﹁いや、どんなに王みこがあせられても、わしがゆいめぐらした、八や重えのしばがきの中へははいれまい。大おう魚おとわしとの仲なかをじゃますることはできまい﹂と歌いかけました。王みこはすかさず、 ﹁潮しおの流れの上の、波の荒あらいところにしびが泳いでいる。しびのそばにはしびの妻がついている。ばかなしびよ﹂とお歌いになりました。 そうすると志し毘びはむっと怒おこって、 ﹁王みこのゆったしばがきなぞは、いかに堅けん固ごにゆいまわしてあろうとも、おれがたちまち切り破って見せる。焼き払はらって見せてやる﹂と歌いました。王みこはどこまでも負けないで、 ﹁あはは、しびよ。そちは魚さかなだ。いかにいばっても、そちを突つきに来る海あ人まにはかなうまい。そんなにこわいものがいては悲しかろう﹂とお歌いになりました。 王みこは、そんなにして、とうとう夜があけるまで歌い争っておひきあげになりました。そして、お宮へお帰りになるとすぐに、お兄上の意おお富けの祁み王ことご相談なさいました。志し毘びはひとりでつけあがって、われわれをもまるで踏ふみつけている。われわれのお宮に仕えている者も、朝はお宮へ来るけれど、それからさきは昼じゅう志し毘びの家に集まってこびいっている。あんなやつは後々のために早く討うち亡ほろぼしてしまわなければいけない。志し毘びは今ごろは疲つかれて寝ね入いっているにちがいない。門には番人もいまい、襲おそうのは今だとお二人でご決心になりました。そしてすぐに軍勢を集めて志し毘びの家をお取り囲みになり、目あての志し毘びを難なく切り殺しておしまいになりました。三
お二人はもはや、お年の上でも十分おひとり立ちで天下をお治めになることがおできになるので、順じゅ序んじょからいって、お兄上の意おお富けの祁み王こが、まず第一にご即そく位いになるのがほんとうでした。しかし、命みことは弟さまに向かって、 ﹁二人が志し自じ牟むのうちにいたときに、もしそなたが名まえを名乗らなかったら、二人ともあのままあそこに埋うずもれていなければならなかったはずであった。お互たがいにこんなになったのもみんなそなたのお手てが柄らである。それで、私は兄に生まれてはいるけれど﹇#﹁私は兄に生まれてはいるけれど﹂は底本では﹁私に兄に生まれてはいるけれど﹂﹈、どうかそなたからさきに天下を治めておくれ﹂とおっしゃいました。袁おけ祁のみ王こ﹇#ルビの﹁おけのみこ﹂は底本では﹁おおけのみこ﹂﹈はそのことだけはどこまでもご辞じた退いになりましたが、お兄上がどうしてもお聞きいれにならないので、とうとうしかたなしに、第一にお位におつきになりました。後に顕けん宗そう天てん皇のうと申しあげるのがすなわちこの天皇でいらっしゃいます。 天皇はそれといっしょに大やま和との近ちか飛あす鳥かの宮みやへお移りになり、石いし木きの王みこという方のお子さまの難なに波わの王みことおっしゃる方を、皇后にお迎えになりました。 天皇は、お父上の忍おし歯はの王みこのご遺いこ骨つをおさがし申そうとおぼしめして、いろいろ、ご苦心をなさいました。すると、近おう江みから一人の卑いやしい老ろう婆ばがのぼって来て、 ﹁王みこのお骨こつをお埋うめ申したところは私がちゃんと存じております。おそれながら、王みこには、ゆりの根のようにお重かさなりになったお歯がおありになりました。そのお歯をご覧らんになりませば、王みこのお骨こつということはすぐにお見分けがつきます﹂と申しあげました。天皇はさっそく近おう江みの蚊か屋や野のへおくだりになって、土地の人民におおせつけになって、老ろう婆ばの指さす場所をお掘ほらせになり、たしかにお父上のご遺骨をお見出しになりました。それで蚊か屋や野のの東の山にみささぎを作ってお葬ほうむりになり、さきに、お父上たちに猟をおすすめ申しあげた、あの韓から袋ぶくろの子孫をお墓はか守もりにご任命になりました。 天皇はそれからご還かん御ぎょの後、さきの老ろう婆ばをおめしのぼせになりまして、 ﹁そちは大事な場所をよく見みと届どけておいてくれた﹂とおほめになり、置おき目めの老おみ媼なという名をおくだしになりました。そして、とうぶんそのまま宮きゅ中うちゅうへおとどめになって、おてあつくおもてなしになった後、改めてお宮の近くの村へお住ませになり、毎日一度はかならずおそばへめして、やさしくお言こと葉ばをかけておやりになりました。天皇はそのためにわざわざお宮の戸のところへ大きな鈴すずをおかけになり、置おき目めをおめしになるときは、その鈴をお鳴らしになりました。 後には置おき目めは、 ﹁私もたいそう年をとりましたので、生まれた村へ帰りたくなりました﹂と申しあげました。 天皇は置おき目めのおねがいをお許しになり、それではもうあすからそなたを見ることもできないのかとおっしゃる意味の、お別れの歌をお歌いになりながら、わざわざ見送りまでしておやりになりました。 つぎに天皇は、昔むかしお兄上とお二人で大やま和とからお逃にげになる途中で、おべんとうを奪うばい取った、あのしし飼かいの老人をおさがし出しになって大やま和との飛あす鳥かが川わの川かわ原らで死しけ刑いにお行ないになりました。その悪者の老人は志し米め須すというところに住んでおりました。天皇はなおその上の刑けい罰ばつとして、その老人の一族の者たちのひざの筋すじを断たち切らせておしまいになりました。これらの者たちは、その後大やま和とへのぼるのに、いつもびっこを引いて出て来ました。四
天皇は、お父上をお殺しになった雄ゆう略りゃ天くて皇んのうを、深くお恨うらみになりまして、せめてそのみ霊たまに向かって復しゅうをしようというおぼしめしから、人をやって、河かわ内ちの多た治じ比ひというところにある、天皇のみささぎをこわさせようとなさいました。
するとお兄上の意おお富けの祁み王こが、
﹁天皇のみささぎをこわすためなら、ほかのものをやってはいけません。私わたしが自分で行っておぼしめしどおりこわして来ます﹂とご奏そう上じょうになりました。天皇は、
﹁それではあなたがおいでになるがよい﹂とお許しになりました。意おお富けの祁み王こは急いでお出かけになりました。そしてまもなくお帰りになって、
﹁ちゃんとこわしてまいりました﹂とおっしゃいました。
しかし、そのお帰りがあんまりお早いので、天皇は変だとおぼしめし、
﹁いったいどんなふうにおこわしになったのです﹂とおたずねになりました。するとお兄上は、
﹁実はみささぎの土を少しだけ掘ほりかえしてまいりました﹂とお答えになりました。天皇は、それをお聞きになって、
﹁それはまたどういうわけでしょう。お父上の復しゅうをするのに、土を少し掘って帰られただけでは飽あきたりないではありませんか。なぜみささぎをすっかりこわして来てくださらないのです﹂とおっしゃいました。お兄上は、
﹁そのおおせはいちおうごもっともです。しかし、相手の方はいくら父上のかたきとはいえ、一方は﹇#﹁一方は﹂はママ﹈われわれのおじであり、またわれわれの天皇のお一人でいらっしゃるお方です。私たちがただ父上のかたきということだけ考えて天皇ともある方のみささぎをこわしたとなりますと、後の世の人から必ずそしりを受けます。ただかたきはどこまでも報いねばならないので、その印しるしに土を少し掘ほって来たのです。このくらいの恥はじを与えたのならば、後こう世せいだれにもはばかることはありますまいから﹂
こう言って、そのわけをお話しになりました。すると天皇も、
﹁なるほどそれは道理である。あなたのなさったとおりでよろしい﹂とおっしゃってご満足になりました。
天皇は八年の間天下をお治めになった後、おん年三十八歳でおかくれになりました。天皇はお子さまが一人もおありになりませんでした。それでおあとにはお兄上の意おお富けの祁み王こが仁にん賢けん天てん皇のうとしてご即そく位いになりました。
天皇は大やま和との石いそ上のかみの広ひろ高たか宮のみやへお移りになり、皇后には雄ゆう略りゃ天くて皇んのう﹇#ルビの﹁ゆうりゃくてんのう﹂は底本では﹁ゆうりょくてんのう﹂﹈のお子さまの春かす日がの大おお郎いら女つめとおっしゃる方をお立てになりました。
天皇のおつぎには、皇おう子じ小こは長つせ谷のわ若かさ雀さぎ命のみことが武ぶれ烈つて天んの皇うとしてお位におつきになりました。そのおあとには、継けい体たい、安あん閑かん、宣せん化か、欽きん明めい、敏びた達つ、用よう明めい、崇すし峻ゅん、推すい古この諸しょ天てん皇のうがつぎつぎにお位におのぼりになりました。