﹁やい亀井、何しおる？ 何ぢや、懸賞小説ぢや――ふッふッ、﹂と宛さも馬鹿にしたやうに冷せゝ笑らわらつたはズングリと肥つた二十四五の鬚ひげ
々の書生で、垢染みて膩あぶ光らびかりのする綿の喰はみ出だした褞どて袍らに纏くるまつてゴロリと肱枕をしつゝ、板のやうな掛蒲団を袷あはせの上に被かぶつて禿ちび筆ふでを噛みつゝ原稿紙に対むかふ日に焼けて銅あかゞね色をしたる頬の痩やつれて顴くわ骨んこつの高く現れた神経質らしい仝おなじ年とし輩ごろの男を冷やかに見て、﹁汝きさまも懸賞小説なんぞと吝けちな所ま為ねをするない。三文小説家になつて奈ど何うする気ぢや。﹂
﹁先まア黙つてろよ。﹂と亀井と呼ばれた男は顧ふり盻かへつて較やや得意らしき微笑を浮べつ、﹁之でも懸賞小説の方ぢやア亀之屋万年と云つて鑑きは定めふ証だの付いた新進作家だ。今度当あ選たつたら君が一夜の愉快費位は寄附する。﹂
﹁はッはッ、減らず口を叩きくさる。汝の懸賞小説も久しいもんぢや。一度当選つたといふ事ぢやが、俺と交つき際あつてからは猶まだ当選らんぞ。第一小説が上手になつたら奈何するのぢや。文士ぢやの詩人ぢやの大家ぢやの云ふが女の生れ損ひぢや、幇たい間こもちの成り損ひぢや、芸人の出来損ひぢや。苟くも気骨のある丈をと夫この風上に置くもんぢやないぞ。汝も尚まだ隠居して腐つて了ふ齢ぢやなし。王侯将相何ぞ種しゆあらんや。平民から一躍して大臣の印綬を握つかむ事の出来る今日ぢやぞ。なア亀井、筆なんぞは折つぺしッて焼いて了へ。恋ぢやの人情ぢやのと腐つた女郎の言草は止めて了つて、平へ凡ぼ小説を捻くる間ひまに少ちつと政治運動をやつて見い。﹂
﹁はッはッ、僕は大に君と説が異ちがう。君は小説を能よく知らんから一と口に戯作と言消して了うが、小説は科学と共に併行して人生の運命を……﹂
﹁措おいて呉れ、措いて呉れ、小説の講釈は聞飽きた、﹂と肱枕の書生は大欠あく伸びをしつゝ上うは目めで眤じつと瞻みつめつ、﹁第一、汝、美が如ど何うぢやの人生が如何ぢやのと堕落坊主の説教染みた事を言ひくさるが一向銭ぜににならんぢやないか？﹂
﹁今度は当選る、﹂と懸賞小説家は得意な微笑を口くち辺もとに湛へつ断乎たる語気で、﹁三みつ月き以この来かた思想を錬上げたのだから確に当選る。之が当選らぬといふ理由は無い……﹂
﹁汝は自慢ばかりしおるが一度も当選つた事は無いぞ。併し当選つた処で奈何する、一年に二度や三度、十円や十五円の懸賞小説が取れたッて飯は食へんぞ。﹂
﹁勿論僕は筆で飯を喰ふ考は無い。﹂
﹁筆で飯を喰ふ考は無い？ ふゥむ、夫それぢやア汝は一生涯新聞配達をする気か。跣はだ足しで号外を飛んで売つた処で一夜の豪遊の足たしにならぬヮ。﹂
﹁僕は豪遊なんぞしたくない。斯かうして新聞配達をしながら傍かたはら文学を研究してゐるが、志す所は一生に一度不朽の大作を残したいのだ。飯めし喰くひの種たねは新聞配達でも人力車夫でも立ちん坊でも何でも厭はないのだ。﹂
﹁吝けちな野郎ぢやナ。一生に一度の大作を残して書しよ籍じや館くゝわんに御厄介を掛けて奈何する気ぢや。五体満足な男一匹が女や腰抜の所ま為ねをして筆屋の御奉公をして腐れ死をして了つては国家に対する義務が済むまい。なッ亀井。俺の忠告に従つて文学三昧も好い加減に止めにして政治運動をやつて見い。奈何ぢや、牛飼君の許とこから大に我々有為の青年の士を養うと云ふて遣よこしたが、汝、行つて見る気は無いか。牛飼君は士を待たいするの道を知りおる。殊に今度の次の内閣には国務大臣にならるゝ筈ぢやから牛飼君の客かくとなるは将に大いに驥きそ足くを伸ぶべき道ぢや。﹂
﹁僕は政治家は嫌ひぢや。﹂
﹁なにッ、政治家は嫌ひぢや、﹂と呆れたやうに眼を
つて、﹁汝は能く〳〵な腰抜けぢやナ。天下の権を握つて四海に号令するは男子の大愉快ぢやないか……﹂
﹁それはナ天下の権を握つたら愉快だらうが、﹂と懸賞小説家は流なが盻しめに冷笑しつ。﹁君きみ等たちのやうな壮士の仲間入りは感服しないナ。﹂
﹁何ぢや、失敬な事吐ぬかす、﹂と肱枕君は勃むつくと起直りて故わざとらしく拳を固め、﹁伊勢武熊は壮士の腐つたのぢやないぞ。青年団体の牛耳を握りおる当今の国士ぢや、﹂と言掛けたが俄に張合抜けしたやうに拳を緩めて、﹁そぢやが汝のやうな腰抜には我々燕えん趙てう悲ひ歌かの士の心事が解りおるまい。斯うして汝等と同じ安やす泊どまりに煤くすぶりおるが、伊勢武熊は牛飼君の股ここ肱うぢやぞ。牛飼君が内閣を組織した暁は伊勢武熊も一足飛に青雲に攀ぢて駟し馬ばに鞭むちうつ事が出来る身ぢや。白はく竜りゆう魚ぎよ服ふくすれば予よし且よに苦めらる。暫らく、志を得ないで汝のやうな小説家志願の新聞配達と膝ひざ組ぐみで交際ひおるが……﹂
﹁ふッふッふッ。﹂
﹁何笑ひおる、﹂と伊勢武熊は真まじ摯めに力りき味み返つて、﹁功こう名みやう咄ばなしをするやうぢやがナ、此この前ぜん牛飼君が内閣の椅子を占められた時、警部長の内命を受けたが、大丈夫豈あに田舎侍を甘んぜんや。己おれは首を掉ふつて受けなかつた。牛飼君も大いに心配してナ、それから警保局長ならと略ほぼ相談が纏まつた処が、内閣は俄然瓦解しおつた……﹂
﹁呀おや〳〵ッ！﹂
﹁機一髪を仕損じたが、区々たる俗吏は丈夫の望む処で無い。官を棄つる事弊履の如しで……﹂
﹁尚だ官に就かんのぢやないか。﹂
﹁能く交まぜ返す奴ぢや。小説家志願だけに口の減らぬ男ぢやナ。併し汝が瘠肱を張つて力んでも小説家ぢやア銭が儲からんぞ。﹂
﹁政治家でも銭が儲からんぞ。﹂
﹁馬鹿を云へ。衆議院議員は追おつ付ゝけ歳費三千円になる、大臣の年俸は一万二千円になる筈ぢや。﹂
﹁其時は小説の原稿料が一部一万円位になる。﹂
﹁懸賞小説は矢張十円ぢやらう。﹂
﹁壮士の日当は一円だ。﹂
﹁はッはッはッ、新聞配達が何云ひくさる……﹂
﹁ごろつき壮士が……。﹂
﹁何ぢやと……。﹂
と鉄拳将に飛ばんとする時、隅の方に蹌うづくまつた抱かひ巻まきがムク〳〵と持上つて、面長な薄髯の生へた愛嬌のある顔が大欠伸をした。
﹁両君、相変らず詰らない喧嘩をしますナ……﹂
と伸のびをした手で腕を撫さずりながら、﹁銭が儲かるの儲からんのと政治家や文学者を気取る先生方が俗な事を仰おつしやる。銭が儲けたいなら僕の所ま為ねをし給へ。君達は理窟を云ふが失敬ながら猶だ社会を知つておらんやうだ。先ア僕の説を聞給へ。斯う見えて僕は故く郷にに在ゐた時分は秀才と云はれて度々新聞雑誌に投書をして褒美を貰つた事もある。四五年前の雑誌を見給へ、駿州有うど渡ごほ郡り田子の浦在ざい駿河不二郎の名がチヨク〳〵見えるよ。それだから故郷を出る時は矢やつ張ぱり人並に学若し成らずんば死すとも帰らずと力んだが、さア東京へ来て見ると迚とても満足な学費が無くては碌な学問は出来ない。新聞や牛乳の配達をして相あひ間まに勉強しやうてのは、︵亀井君は現にやつておるが子︶、実は中々忙がしくて、片手間の勉強で成効しやうてのは百年黄河の澄むを待まつやうなもんだ。所で僕は発ほつ身しんして商あき人んどと宗旨を換え、初めは資もと本でが無いから河渫ひの人足に傭はれた事もある。点灯会社に住込んで脚きや達たつを担かついで飛んだ事もある、一杯五厘のアイスクリームを売つた事もある。西瓜の切売をした事もある、とゞの結つま局りが縁日商人となつて九きう星せい独ひとり判はん断だん、英語独稽古から初めて此頃では瞞まや着かしの化粧品と小間物を売つてマゴ〳〵しておるが君、金を儲けるのは商人だよ。殊に縁日商人位泡あぶ沫く銭の儲かる者は無い。僅か二両か三両の資も本とで十両位浮く事がある。尤も雨降のアブレもある。品物のロウズも出るから儲かるほどに金は残らんが子、なにしろ独立の商人でお客様の外は頭を下げずに太平楽を云つて、定きまつた給金と違つて不意の所まう得けの入る処が面白い。君だから内幕を話すが二銭に三みつ箇ゝの石シヤ鹸ボンナ。あれは一いつ百そく一貫の品だ。一と晩に一百売ると五貫余儲かる、夏向になると二百や三百は瞬く間に売れる。一番高い六銭の石鹸ナ、あれは一グロス二両と四貫だ。あの品が躰裁が妙おつに出来てるんで素しろ人うとが惚込んで三ダースや四ダースは直ぐ売れる。それから歯磨ナ、あれは子コになつてる歯磨を升ますで買つて来て竜りゆ脳うなうを些ちつとばかり交ぜて箱詰にして一と晩置くとプンと好い香がする、そいつをオンタケ散とか豚印とか好い加減な名を付けた袋へ入れて一と袋一銭五厘に売るんだ。奈何だい、商人の楽屋は驚いたもんだらう。尤も僕の商売は夏向で冬は閑な方だが、こゝ君達に一つ秘策を授けやうかナ。懸賞小説を書いたり政治家の尻馬に乗るより余よつ程ぽど気楽に儲けることが出来る。斯ういふ商売だ。牛込や神田には向かんが本所、下谷、小石川の場末、千せん住じゆ、板橋辺あたりで滅法売れる、胼ひゞあかぎれ霜しも傷やけの妙薬鶴の脂、膃おつ肭とせ臍いの脂、此こい奴つが馬鹿に儲かるんだ。なアに鶴や膃肭臍が滅多に取れるものか。豚の脂や仙台鮪まぐらの脂あぶ肪ら肉みで好いのだ。脂でさへあれば胼あかぎれには確に効く。此奴を一ひと貝かひ一銭に売るんだが二貫か三貫か資も本とで一晩二両三両の商あき売なひになる。詐偽も糞もあるもんか。商人は儲けさへすりやア些と位人に迷惑を掛けても関かまはんのだ。今の大あほ頭あた株まかぶを見給へ、紳商面をして澄ましてやがるが、成なり立たちは悉みん皆な僕等と仝じ事だ。今でも猶だ其根性が失せないから大きな詐偽や賭ばく博ちの欺いか瞞さまをやつて実業家だと仰しやいますヮ……﹂と滔たう々〳〵と縁日の口上口調で饒しや舌べり立てる大気焔に政治家君も文学者君も呆あつ気けに取られて眼ばかりパチクリさせてゐた。処へ案内もなく障子をガラリと開けて、方はう面めん無むぜ髯んの毬いが栗ぐり頭がぬうッと顔を出した。
﹁やア、片岡、奈ど何ちじやい？﹂と政治家は第一に口を切つた。
﹁ふゥむ、﹂と得意らしく小鼻を揺うごめかしながら毬栗頭は褪はげチヨロケた黒木綿の紋付羽織をリウとしごいて無む図づと座つた。
﹁首尾よく落第かナ？﹂
﹁勿論及第しおつた、﹂と毬栗君は大得意で有つた。
﹁君、及第しましたか？﹂と新聞配達の小説家は眼をつた。
﹁諸君、最もう馬鹿にし給ふな、片岡禅吉は最早托鉢坊主ぢやないよ、明日辞令を請うけ取とれば台湾総督府の巡査片岡禅吉ぢや。大いに新領土の経営をして日本国家に報ゆる覚悟ぢや。﹂
﹁壮快々々。一番片岡君の為ため祝宴を開いて万まん歳ざいを称へやう、﹂と伊勢武熊は傲然として命令するやうに、﹁そこで会場は横町の牛店として駿河君は実業家ぢやから会費の半分を負担し、亀井君は懸賞小説が当選るさうぢやから登用人材の片岡君と共に残る半額を負担すべし。処で俺は当分志を得んから諸君の御馳走になるのぢや。あッはッはッ……。﹂
々の書生で、垢染みて膩あぶ光らびかりのする綿の喰はみ出だした褞どて袍らに纏くるまつてゴロリと肱枕をしつゝ、板のやうな掛蒲団を袷あはせの上に被かぶつて禿ちび筆ふでを噛みつゝ原稿紙に対むかふ日に焼けて銅あかゞね色をしたる頬の痩やつれて顴くわ骨んこつの高く現れた神経質らしい仝おなじ年とし輩ごろの男を冷やかに見て、﹁汝きさまも懸賞小説なんぞと吝けちな所ま為ねをするない。三文小説家になつて奈ど何うする気ぢや。﹂
﹁先まア黙つてろよ。﹂と亀井と呼ばれた男は顧ふり盻かへつて較やや得意らしき微笑を浮べつ、﹁之でも懸賞小説の方ぢやア亀之屋万年と云つて鑑きは定めふ証だの付いた新進作家だ。今度当あ選たつたら君が一夜の愉快費位は寄附する。﹂
﹁はッはッ、減らず口を叩きくさる。汝の懸賞小説も久しいもんぢや。一度当選つたといふ事ぢやが、俺と交つき際あつてからは猶まだ当選らんぞ。第一小説が上手になつたら奈何するのぢや。文士ぢやの詩人ぢやの大家ぢやの云ふが女の生れ損ひぢや、幇たい間こもちの成り損ひぢや、芸人の出来損ひぢや。苟くも気骨のある丈をと夫この風上に置くもんぢやないぞ。汝も尚まだ隠居して腐つて了ふ齢ぢやなし。王侯将相何ぞ種しゆあらんや。平民から一躍して大臣の印綬を握つかむ事の出来る今日ぢやぞ。なア亀井、筆なんぞは折つぺしッて焼いて了へ。恋ぢやの人情ぢやのと腐つた女郎の言草は止めて了つて、平へ凡ぼ小説を捻くる間ひまに少ちつと政治運動をやつて見い。﹂
﹁はッはッ、僕は大に君と説が異ちがう。君は小説を能よく知らんから一と口に戯作と言消して了うが、小説は科学と共に併行して人生の運命を……﹂
﹁措おいて呉れ、措いて呉れ、小説の講釈は聞飽きた、﹂と肱枕の書生は大欠あく伸びをしつゝ上うは目めで眤じつと瞻みつめつ、﹁第一、汝、美が如ど何うぢやの人生が如何ぢやのと堕落坊主の説教染みた事を言ひくさるが一向銭ぜににならんぢやないか？﹂
﹁今度は当選る、﹂と懸賞小説家は得意な微笑を口くち辺もとに湛へつ断乎たる語気で、﹁三みつ月き以この来かた思想を錬上げたのだから確に当選る。之が当選らぬといふ理由は無い……﹂
﹁汝は自慢ばかりしおるが一度も当選つた事は無いぞ。併し当選つた処で奈何する、一年に二度や三度、十円や十五円の懸賞小説が取れたッて飯は食へんぞ。﹂
﹁勿論僕は筆で飯を喰ふ考は無い。﹂
﹁筆で飯を喰ふ考は無い？ ふゥむ、夫それぢやア汝は一生涯新聞配達をする気か。跣はだ足しで号外を飛んで売つた処で一夜の豪遊の足たしにならぬヮ。﹂
﹁僕は豪遊なんぞしたくない。斯かうして新聞配達をしながら傍かたはら文学を研究してゐるが、志す所は一生に一度不朽の大作を残したいのだ。飯めし喰くひの種たねは新聞配達でも人力車夫でも立ちん坊でも何でも厭はないのだ。﹂
﹁吝けちな野郎ぢやナ。一生に一度の大作を残して書しよ籍じや館くゝわんに御厄介を掛けて奈何する気ぢや。五体満足な男一匹が女や腰抜の所ま為ねをして筆屋の御奉公をして腐れ死をして了つては国家に対する義務が済むまい。なッ亀井。俺の忠告に従つて文学三昧も好い加減に止めにして政治運動をやつて見い。奈何ぢや、牛飼君の許とこから大に我々有為の青年の士を養うと云ふて遣よこしたが、汝、行つて見る気は無いか。牛飼君は士を待たいするの道を知りおる。殊に今度の次の内閣には国務大臣にならるゝ筈ぢやから牛飼君の客かくとなるは将に大いに驥きそ足くを伸ぶべき道ぢや。﹂
﹁僕は政治家は嫌ひぢや。﹂
﹁なにッ、政治家は嫌ひぢや、﹂と呆れたやうに眼をつて、﹁汝は能く〳〵な腰抜けぢやナ。天下の権を握つて四海に号令するは男子の大愉快ぢやないか……﹂
﹁それはナ天下の権を握つたら愉快だらうが、﹂と懸賞小説家は流なが盻しめに冷笑しつ。﹁君きみ等たちのやうな壮士の仲間入りは感服しないナ。﹂
﹁何ぢや、失敬な事吐ぬかす、﹂と肱枕君は勃むつくと起直りて故わざとらしく拳を固め、﹁伊勢武熊は壮士の腐つたのぢやないぞ。青年団体の牛耳を握りおる当今の国士ぢや、﹂と言掛けたが俄に張合抜けしたやうに拳を緩めて、﹁そぢやが汝のやうな腰抜には我々燕えん趙てう悲ひ歌かの士の心事が解りおるまい。斯うして汝等と同じ安やす泊どまりに煤くすぶりおるが、伊勢武熊は牛飼君の股ここ肱うぢやぞ。牛飼君が内閣を組織した暁は伊勢武熊も一足飛に青雲に攀ぢて駟し馬ばに鞭むちうつ事が出来る身ぢや。白はく竜りゆう魚ぎよ服ふくすれば予よし且よに苦めらる。暫らく、志を得ないで汝のやうな小説家志願の新聞配達と膝ひざ組ぐみで交際ひおるが……﹂
﹁ふッふッふッ。﹂
﹁何笑ひおる、﹂と伊勢武熊は真まじ摯めに力りき味み返つて、﹁功こう名みやう咄ばなしをするやうぢやがナ、此この前ぜん牛飼君が内閣の椅子を占められた時、警部長の内命を受けたが、大丈夫豈あに田舎侍を甘んぜんや。己おれは首を掉ふつて受けなかつた。牛飼君も大いに心配してナ、それから警保局長ならと略ほぼ相談が纏まつた処が、内閣は俄然瓦解しおつた……﹂
﹁呀おや〳〵ッ！﹂
﹁機一髪を仕損じたが、区々たる俗吏は丈夫の望む処で無い。官を棄つる事弊履の如しで……﹂
﹁尚だ官に就かんのぢやないか。﹂
﹁能く交まぜ返す奴ぢや。小説家志願だけに口の減らぬ男ぢやナ。併し汝が瘠肱を張つて力んでも小説家ぢやア銭が儲からんぞ。﹂
﹁政治家でも銭が儲からんぞ。﹂
﹁馬鹿を云へ。衆議院議員は追おつ付ゝけ歳費三千円になる、大臣の年俸は一万二千円になる筈ぢや。﹂
﹁其時は小説の原稿料が一部一万円位になる。﹂
﹁懸賞小説は矢張十円ぢやらう。﹂
﹁壮士の日当は一円だ。﹂
﹁はッはッはッ、新聞配達が何云ひくさる……﹂
﹁ごろつき壮士が……。﹂
﹁何ぢやと……。﹂
と鉄拳将に飛ばんとする時、隅の方に蹌うづくまつた抱かひ巻まきがムク〳〵と持上つて、面長な薄髯の生へた愛嬌のある顔が大欠伸をした。
﹁両君、相変らず詰らない喧嘩をしますナ……﹂
と伸のびをした手で腕を撫さずりながら、﹁銭が儲かるの儲からんのと政治家や文学者を気取る先生方が俗な事を仰おつしやる。銭が儲けたいなら僕の所ま為ねをし給へ。君達は理窟を云ふが失敬ながら猶だ社会を知つておらんやうだ。先ア僕の説を聞給へ。斯う見えて僕は故く郷にに在ゐた時分は秀才と云はれて度々新聞雑誌に投書をして褒美を貰つた事もある。四五年前の雑誌を見給へ、駿州有うど渡ごほ郡り田子の浦在ざい駿河不二郎の名がチヨク〳〵見えるよ。それだから故郷を出る時は矢やつ張ぱり人並に学若し成らずんば死すとも帰らずと力んだが、さア東京へ来て見ると迚とても満足な学費が無くては碌な学問は出来ない。新聞や牛乳の配達をして相あひ間まに勉強しやうてのは、︵亀井君は現にやつておるが子︶、実は中々忙がしくて、片手間の勉強で成効しやうてのは百年黄河の澄むを待まつやうなもんだ。所で僕は発ほつ身しんして商あき人んどと宗旨を換え、初めは資もと本でが無いから河渫ひの人足に傭はれた事もある。点灯会社に住込んで脚きや達たつを担かついで飛んだ事もある、一杯五厘のアイスクリームを売つた事もある。西瓜の切売をした事もある、とゞの結つま局りが縁日商人となつて九きう星せい独ひとり判はん断だん、英語独稽古から初めて此頃では瞞まや着かしの化粧品と小間物を売つてマゴ〳〵しておるが君、金を儲けるのは商人だよ。殊に縁日商人位泡あぶ沫く銭の儲かる者は無い。僅か二両か三両の資も本とで十両位浮く事がある。尤も雨降のアブレもある。品物のロウズも出るから儲かるほどに金は残らんが子、なにしろ独立の商人でお客様の外は頭を下げずに太平楽を云つて、定きまつた給金と違つて不意の所まう得けの入る処が面白い。君だから内幕を話すが二銭に三みつ箇ゝの石シヤ鹸ボンナ。あれは一いつ百そく一貫の品だ。一と晩に一百売ると五貫余儲かる、夏向になると二百や三百は瞬く間に売れる。一番高い六銭の石鹸ナ、あれは一グロス二両と四貫だ。あの品が躰裁が妙おつに出来てるんで素しろ人うとが惚込んで三ダースや四ダースは直ぐ売れる。それから歯磨ナ、あれは子コになつてる歯磨を升ますで買つて来て竜りゆ脳うなうを些ちつとばかり交ぜて箱詰にして一と晩置くとプンと好い香がする、そいつをオンタケ散とか豚印とか好い加減な名を付けた袋へ入れて一と袋一銭五厘に売るんだ。奈何だい、商人の楽屋は驚いたもんだらう。尤も僕の商売は夏向で冬は閑な方だが、こゝ君達に一つ秘策を授けやうかナ。懸賞小説を書いたり政治家の尻馬に乗るより余よつ程ぽど気楽に儲けることが出来る。斯ういふ商売だ。牛込や神田には向かんが本所、下谷、小石川の場末、千せん住じゆ、板橋辺あたりで滅法売れる、胼ひゞあかぎれ霜しも傷やけの妙薬鶴の脂、膃おつ肭とせ臍いの脂、此こい奴つが馬鹿に儲かるんだ。なアに鶴や膃肭臍が滅多に取れるものか。豚の脂や仙台鮪まぐらの脂あぶ肪ら肉みで好いのだ。脂でさへあれば胼あかぎれには確に効く。此奴を一ひと貝かひ一銭に売るんだが二貫か三貫か資も本とで一晩二両三両の商あき売なひになる。詐偽も糞もあるもんか。商人は儲けさへすりやア些と位人に迷惑を掛けても関かまはんのだ。今の大あほ頭あた株まかぶを見給へ、紳商面をして澄ましてやがるが、成なり立たちは悉みん皆な僕等と仝じ事だ。今でも猶だ其根性が失せないから大きな詐偽や賭ばく博ちの欺いか瞞さまをやつて実業家だと仰しやいますヮ……﹂と滔たう々〳〵と縁日の口上口調で饒しや舌べり立てる大気焔に政治家君も文学者君も呆あつ気けに取られて眼ばかりパチクリさせてゐた。処へ案内もなく障子をガラリと開けて、方はう面めん無むぜ髯んの毬いが栗ぐり頭がぬうッと顔を出した。
﹁やア、片岡、奈ど何ちじやい？﹂と政治家は第一に口を切つた。
﹁ふゥむ、﹂と得意らしく小鼻を揺うごめかしながら毬栗頭は褪はげチヨロケた黒木綿の紋付羽織をリウとしごいて無む図づと座つた。
﹁首尾よく落第かナ？﹂
﹁勿論及第しおつた、﹂と毬栗君は大得意で有つた。
﹁君、及第しましたか？﹂と新聞配達の小説家は眼をつた。
﹁諸君、最もう馬鹿にし給ふな、片岡禅吉は最早托鉢坊主ぢやないよ、明日辞令を請うけ取とれば台湾総督府の巡査片岡禅吉ぢや。大いに新領土の経営をして日本国家に報ゆる覚悟ぢや。﹂
﹁壮快々々。一番片岡君の為ため祝宴を開いて万まん歳ざいを称へやう、﹂と伊勢武熊は傲然として命令するやうに、﹁そこで会場は横町の牛店として駿河君は実業家ぢやから会費の半分を負担し、亀井君は懸賞小説が当選るさうぢやから登用人材の片岡君と共に残る半額を負担すべし。処で俺は当分志を得んから諸君の御馳走になるのぢや。あッはッはッ……。﹂