佛法僧

今井邦子




 最近佛法僧の事が流行の状態となり、その正體が明らかにされて來た爲か、昔「佛法僧」といふ名を聞いただけで一種の神祕的な幻影を心に投げた時代は過ぎたといふ感がある。
 私が佛法僧といふ鳥の事を初めて讀んだのは今から二十幾年の以前、上田秋成の「雨月物語」の中で讀んだ卷之三「佛法僧」の一文の中であつた。拜志氏の人夢然といふ老人が季の子作之治といふを連れて高野山に詣で、その靈廟の片隅に宿り夜を明した御廟の後林にと覺えて「佛法々々」と鳴く鳥の聲が山彦に答へて近く聞えるのを夢然が
 
と感嘆し、佛法僧は清淨の地を選んで棲める由なるを書いてある。秋成の清澄の文章と内容とが合致して、得も云はれぬ神祕感に打たれた。その時を初めに戀ひ浸つてゐた鳥であつた。その文に引いてある僧の空海著「性靈集」にあると云ふ
寒林獨座草堂曉  三寳之聲聞一鳥
一鳥有聲人有心  性心雲水倶了々
彿
 
 cha-cha cha-cha-cha 
 然し私はこの cha-cha がどうしても腑に落ちないのである。一つ/\音についていつてみるけれど、それがどういふ樣に鳴くのか皆目解らない。ただ茂吉氏の聲を寫してゆくくだりは夢然よりもづつと具象的現實的で
「どうも澄んで明らかである。私は心中ひそかに少し美し過ぎるやうに思つて聽いてゐたが、その時すでに心中に疑惑が根ざしてゐた。」
とも書かれてあり、又
「何か生物の聲帶の所を絞る樣な肉聲を交へてゐる。」
とも寫してある。そしてこの聲が美しすぎるために、また絞る樣な肉聲を交へてゐるために、同行のT氏はこれは人工假鳥の聲であらうといふ説を出してゐるのである。
「あれくらゐの聲は練習さへすれば人工でも出來る。それに高い月給を拂ひ、一家相傳の技術として稽古させてゐるのかも知れないなどといふ説をも建てた。」
 
 滿
 






   1946211215
 

201257

http://www.aozora.gr.jp/




●表記について


●図書カード