東奥異聞

佐々木喜善
























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(4)この口碑のある金山およびその跡について私の手帳に控えた一端を申しますと、
陸前国気仙郡竹駒村、玉山金山、ウソイト、ウソトキ  同郡唐丹村今手山金山、三郎  陸中国和賀郡田瀬村、黄金こがね沢、ウソトキ  稗貫郡湯本村字日影坂万人沢、ウソトキ  江刺郡米里村字古歌葉、千人沢、ウソトキ  上閉伊郡上郷村字左比内、千人沢、オトタツ  同郡同村仙人峠の長者洞、ウソトキ  同郡土淵村字恩徳金山、ウソトキ  同郡栗橋村字青木金山、オソトキ  同郡甲子村字大橋日影沢(?)ウソトキ  同郡小友村日石金山跡、オソトキ  紫波郡佐比内村銅ヶ沢金山、ウソトキ(?)  同郡彦部星山赤坂金山、ウソトキ(?)  陸奥岩木山麓百人沢、ウソトキ  羽後国鉱山地方某所、ウソトキ
など親金が黄金のウシであることは、いずれも同様であります。



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 西()※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)
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(3)この寺男となったというは、木下良安という者か(加藤咄堂氏著『日本風俗誌』上巻四九五ページまで参照)。しかしこれは当の本誓寺の墓にでもいってみたらすぐわかることと思うが、私はいまだいってみないからなんともいわれない。
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(6)このことは福島県会津だという、御神楽師の宮沢という老人から大正十年五月二十四日拙宅で聞いた話である。
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10)タケ切れで作ったオシラサマは旧仙台領に多くある。
11)この話はおもに土地の口碑と、それから東奥古伝という本で見た。この本は写本だがなかなかおもしろい話ばかりを集めている。
12)『遠野古事記』という写本の第三巻、社寺縁起の巻にでもある話だろう。自分は古老から聞いた。
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14)奥州の文福茶釜は、江戸近くのものとは違って綱渡りなどの芸当はできなかったが、ばか正直に小僧たちなどの悪戯をしたから金綱で縛られた。こういう稚気満々なところを買ってください。
15)この話は、江刺郡米里村の浅倉利蔵という人の話である。このほか本誌中にある江刺郡に関係したことはすべてこの人から聞いたものだ。








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(1)この口碑は閉伊郡金沢村地方に残っているので、同村出身の角城栄三という男から筆者が町へゆく途中で聞いた話である。
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(6)(3)の話の怪物を老婆に置き替えただけの話。あとは同じすじの口碑である。
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(8)右の浅倉君が附馬牛青台という所で聞いてきてくれた話である。



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(1)この話は村の狩人菊地栄作という青年が、先年小国村で聞いてきたというもの。また自分も他の小国村の人摺石某から聞いた。
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(2)アラミと陸中の和賀稗貫江刺の郡々の一部地方を遠野郷の人がこう呼ぶ。花若話はつぎの嫁子ネズミの話の後段を参照せられたい。
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(1)この話は江刺郡米里村字中沢、浅倉某女という老婆の話。なお同郡伊手村にても同様の話を聞いた。
(2)(3)柳田國男著『海南小記』「蘆刈と竈神」というに詳しい。



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 この話は一見ヒョットコの話とは縁も由縁もないようではあるが、よく考えると非常におもしろい話である。ヒョットコが一面、福神であるから、これも似ている話くらいのところで引いてきたくらいの程度の問題ではなく、この話には他面の童形の福神性のもの、ザシキワラシの秘密を開く鍵をその懐中ふところにそっと入れてあるようにも思われる。江戸のほうへは遠慮しても、奥州のヒョットコはこんなような種々くさぐさの表情を投げている。
(2)ウントク童の話は、江刺郡では梁川村の某川の淵、紫波郡では南昌山の麓の笊淵からもらってきた童だというように話している。


嫁子ネズミの話



 



 
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(1)岩手県稗貫郡矢沢村字高松、いまその跡に一祠堂あり。
(2)この京都の画家、奥州花巻城の松の間、葉の間の絵を書きしをもって有名なる人。
(3)宮城県の磐城国の苅田郡ならん、槻郡というはいまその類書もたぬから自分にはわからず。



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(1)折合滝は上閉伊郡金沢村字折合にあり。
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(3)村の老人は誰彼となくそういうが、いまはこの焼伐りのかわりにダイナマイトを用いて巨木を伐り倒している。
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* 前掲「千曳石の話」について、その後、『奥々風土記』という写本をみるとその由来が、加藤咄堂氏の『日本風俗志』とは別な話に書かれてあるから追補しておく。
文曰、野辺地村に千曳神社あり、古老伝云往古此辺に碑あり甚だ大なる石なりければ、土人新墾に不便とて、かの石碑を引退かむとするに多人して引たれども得動ざりき。然るを坪村なる壺子と云へる女出て只一人して引きたりしかば、いと心よく思ふままに引かれたりしとなん。如此奇霊事ありしによりて、其石碑を土中に埋めて、其上に宮を立て則ち千曳神と称奉るとなん。世に壺の碑とて歌にも古書にも見えたるは則是なり云々。
それから千曳きの考証としては、この筆者のいわく、
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 私考えるに、千曳石は鬼との境石といわれるよりも、壺子に引かせたりするほうが同意であって『日本風俗志』の引例よりはこのほうがすきである。
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