若き日の成吉思汗

――市川猿之助氏のために――

林不忘




      三幕六場


    
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()()()沿()()()()()()()()()()()()()竿()()()
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従者 まったくでございます。あの時、和林カラコルムから別の道をとって、まっすぐお故郷くにへお帰りになればよかったものを。
 ()()鹿調
 ()()()()()()()()()()()
()()()()()()
 殿
雄叫びの音、弓矢の唸りいっそう迫る。
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()鹿
 ()()
 
 ()()()
従者 大きな声では言えませんが、兵隊どもは戦死した仲間の肉を食っておるそうでござりますな。
商人 あっ、また軍が激しくなった。
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()()() ()()()() ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
下手、要塞の端れへ走り行く時、僧侶ら三人を認めて、
()()()  ()退
()()
()()() 
避難民中の女 (嬰児を庇いながら狂的に)御城主の弟様、軍はどうなるでございましょう。私どもはもう、好皮子ナイビイズ一つ口にせず、敵に殺されるより先に、飢え死にしそうでございます。
 ()()()()()()()
()()()   ()()()
と避難民の群れへ弓をさし向けて、威嚇のために空弦からつるを放つ。城中から軍卒一人走り出て叫ぶ。
軍卒 札木合ジャムカの殿様が、ただいまこれへおいでになります。
四五名の参謀を従え、長刀を抜き放った城主札木合ジャムカが、急ぎはいって来る。
()()() ()()() 
()()() 
()()() ()
雨と降る矢の中を、台察児タイチャルは駈け寄って、兄札木合ジャムカの手を握る。
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()()() ()()()()西()()()()()()()()()()()() 
台察児タイチャル 兄上!

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暗然と城寨の端へ歩み寄って、堡塁から下を覗き、
札木合ジャムカ ううむ、さすがは名にし負う成吉思汗ジンギスカンの大軍。お! もう斡児桓オルコン河を渡ったな。
参謀一 あれあれ、先陣はすでに、塔米児タミイルの川岸まで進んでおります。
札木合ジャムカ (小手をかざして)あの、成吉思汗ジンギスカン軍の先頭に立って進んで来る、あの四人の者は誰だ。
 ()()()()()()()()()()()()()()()
札木合ジャムカ (どきっとして)して、あの第二陣に駒を進めて来るのは?
 ()()()()()()退
札木合ジャムカ (募り来る不安を隠し)なに、荒鷲だと?――それから、あの、それそれ、第三陣に、灰色の狼のごとく、砂煙りを上げて馬を駆って来るのは?
 ()()()()()()()()()()()
札木合ジャムカ (遂に恐怖を押さえきれず)大海の捨て小舟のようなこの山寨だ。逃げようにも逃げられぬ。
()()()   () ()()()()()()
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砦の下から伝令一人、石垣をつたわって上ってくる。
 ()()()()
札木合ジャムカ (蒼白になって)なに、もう銀砂の河原に――誰か城を駈け出て一騎打ちを挑み、巧名を立てる者はないか。
このころから、空に紺いろが流れ、暮色が漂ってくる。
  
札木合ジャムカ (こわごわ覗いて)吊り橋を早く、三の吊橋を上げろ。
参謀一 もはやその暇もありませぬ。
台察児タイチャル 誰か行って、綱を切って橋を落してしまえ。
()()()
()()()  
()()() ()()()()竿()()()() 
札木合ジャムカ なに、降伏の勧告? 誰が!――ええい――。

()()() ()()  
これより先、伝令一は裸体になり、急ぎ軍服を引き裂き、その布切れで、肩、肘、手首、股のつけ根、膝、足首など、両の手足の関節を伝令二に緊縛してもらって、抜刀を口にくわえ、素早く砦を下りかける。
伝令一 私が行って来ます。
()()() 
 
札木合ジャムカ うむ、行けっ!
()()()()()()
衛兵 (今下りて行った伝令の裸体を担いで、堡塁を上って来る)惜しい勇者でしたが、三の濠へ行き着かぬうちに、たちまち敵の矢を浴びてこの有様です。
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 ()()()()使
()()() ()()()()()使 
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()()()()使()()()


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()()()  ()()()使使
()()()  使使()
台察児タイチャル 兄上、繩を解いてやりましょうか。
()()()  
城兵二三人、木華里ムカリの肩から腹へかけてぎりぎりに縛り上げる。
台察児タイチャル (抜刀を振りかぶってその後ろに立ち)気をつけて口をきけ。一太刀だぞ!
()()() ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()殿()()()()()()()
()
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避難民達、中仕切りの陰から口々に叫んで、札木合ジャムカに降伏をすすめる。兵士ら叱りつけて制する。
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円柱の陰で合爾合カルカ姫はひそかに驚く。
札木合ジャムカ (愕然と顔色を変えて)なに、奥を、合爾合カルカ姫を、今宵一夜、ただひとり成吉思汗ジンギスカンの許へよこせと?
台察児タイチャル (気色ばんで)うむ! 嫂上あねうえ合爾合カルカ姫の、一夜の身体からだが所望だというのだな。
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()()() ()()()()()()  使()()()()()
避難民ら号叫する。合爾合カルカは茫然と円柱のかげに立ったまま沈思する。
()()()  ()()()()() ()()()()()()鹿 
()()()  使 ()()()() 
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言い捨てて、露台へ出ようとすると、合爾合カルカ姫が侍女二三を従えて円柱の陰から現れる。
合爾合カルカ姫 殿――! (泣き崩れる)
札木合ジャムカ (支えて)おお、お前はそこにいたのか。して、今の話を聞いたのか。
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 ()()()殿
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  ()()()() 使 
露台の向うから、紫いろの油の煙りが濛々と立ち昇る。合爾合カルカ姫と侍女らは、凝然と露台の外を見守る。
合爾合カルカ姫 (ひとり言のように)昔の成吉思汗ジンギスカンの恋が、ここへ来て、こんな恐しい仕返しをしようとは――。(泣く)
侍女二 お察し申し上げます。
侍女一 でも、殿様のあのお言葉、ほんとうに女冥利、嬉し涙がこぼれてなりませぬ。
この時、血染れの将校一人、露台上手から走り込んで来て、叫ぶ。
 ()()() 使

()()() 
侍女一二 でも、この恐しげな男と、奥方様を置きざりにして――。
合爾合カルカ姫 いや、大事ない。ここより表門の備えが肝心です。早くあちらへ!
侍女たちは心を残しつつ、合点うなずき合って兵士らの後を追い、露台上手へ馳せ入る。
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木華里ムカリ (驚いて立ち上り)奥方、私を逃がして下さるのですか。
()()() 殿()()()()() 
()()() ()()()
()()() ()()() 
と薄暗い中に木華里ムカリをさし招き、下手の小さな戸口ドアから出しやる。
()()() 
()()()()()()鹿()()()
()()() ()()()輿()()()()()()()()()()()
鹿()()()
侍女一 おや! 奥方様はどこに? あら、あの軍使もいない――奥方さま、奥方様!
侍女二 ああ、奥方様のお身に、変り事がなければよいが――。
二人そそくさと室内を捜し廻る。舞台刻々暗くなり、露台の外、月の出はいよいよ迫る。

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()()()()()()()()()()()()竿()()()

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馬は後脚を上げて汪克児オングルを蹴る。
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一同はどっと笑う。
()()  殿()()()
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忽必来クビライ 合撒児カッサルさま、殿はまだお昼寝のつづきです。
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() ()()()穿()()()
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遠く近く、屯ろする軍馬のいななき。
合撒児カッサル 忽必来クビライ、進撃の前だ。点呼はまだか。
()()() 
()() ()()()()()()殿
汪克児オングル (跳び撥ねながら)月夜に釜を抜くというが、こちとら、月夜に城を抜く。
()()() ()()()
哲別ジェベ じゃが、殿の御心中をお察しすると、木華里ムカリのやつめ、うまく合爾合カルカ姫を引っ張ってくるとよいのじゃがなあ。
()()() ()()()
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速不台スブタイ 馬鹿っ! 殿に聞えたらどうする。
下手の立樹の間から、侍衛長馳せ来る。
  ()
忽必来クビライ よし。箭筒兵せんとうへい一千のうち――?
侍衛長 はっ。今日までの攻城戦に、ただ八十人の戦死者あるのみでございます。
忽必来クビライ うむ、宿衛兵一千。
侍衛長 はっ、今日の死者は、わずかに六人。傷つくもの十七名。
忽必来クビライ 侍衛兵、一千――。
侍衛長 はっ、死者はございません。
忽必来クビライ よろしい。命令を待て。
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()()() 
合撒児カッサル こら、豚め! 何を感心しているのだ。
()()() ()()()()
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速不台スブタイ ほんとだ。その献上品を殿のおん前に捧げて、お慰め申したいものだなあ。
()() ()()()()()()()()()殿
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()()()  ()()()
()()()  ()()()殿()()()
()()() 殿()()()()()()
忽必来クビライ 冗談でしょう。吾輩はにわかに頭痛がして――。
合撒児カッサル 頭痛がしたって歩けるだろう。
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一同は天幕の入口に集まり、心配そうに聞き耳を立てる。
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成吉思汗ジンギスカン (愉快そうに)太陽汗タヤンカン! (虎を鎮める)
武将達の間を昂奮してのそのそ歩き廻っていた虎は、猫のごとく従順に、成吉思汗ジンギスカンの側へ帰ってぴたりと坐る。
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皆笑い崩れる。
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成吉思汗ジンギスカン (伝法に)そんな物を貰っても食えねえからいらねえや、なあ太陽汗タヤンカン。(大きな欠伸あくびをする)木華里ムカリがどうしたと?
忽必来クビライ まだ木華里ムカリが帰ってまいりませぬ。
成吉思汗ジンギスカン (淋しさを隠して)心配するな。あの木華里ムカリの身体に刃を当てることのできる奴が、札荅蘭ジャダランの城中に一人でもいるなら、おれたちあこんな面白くもねえ戦争をしなくってもよかったんだ。
哲別ジェベ (思いきって)殿、降伏の条件は拒絶したものと見えます。合爾合カルカ姫はお見えになりません。
皆心苦しそうに眼を外らす。
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哲別ジェベ 殿!
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一同はいろめき立って出陣の支度にかかる。
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成吉思汗ジンギスカンは寂しそうに、ぼんやり立って考え込んでいる。小姓巴剌帖木パラテムの捧げる兜を、無意識にかぶりながら、
成吉思汗ジンギスカン 巴剌帖木パラテム
巴剌帖木パラテム (前に片膝ついて)はっ。
成吉思汗ジンギスカン お前は、十四だったな。
巴剌帖木パラテム (不思議そうに)は?
成吉思汗ジンギスカン (優しく)いや、年齢としは十四だったなと言うんだ。
巴剌帖木パラテム はい。
()()()() ()()鹿 
巴剌帖木パラテムはびっくりして後ろに退る。忽必来クビライは銅鑼を持って下手に進み、まさに一打ち打とうとする時、
木華里ムカリの声 (下手遠くより)しばらく、しばらくお待ちを――。
忽必来クビライ おお、木華里ムカリだ、木華里ムカリが帰って来た――!
木華里ムカリ (一同驚喜する中を駈け込んで来て)殿! およろこび下さい。ほどなくこれへ、合爾合カルカ様がお見えになります。
みな歓声を揚げる。
()()()() ()()()()()()()()()()()()()() ()()()()()()()()婿()()
一同は右往左往して準備にかかる。篝火かがりびは一度に燃え盛る。
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皆浮きうきしながら、焚火のまわりに獣皮を敷き、酒宴さかもりの座を設ける。
成吉思汗ジンギスカン (焦いらして)兵卒一同にも、今宵は振舞い酒だ。たんまり飲ましてやれ。
消魂けたたましい野犬の吠え声起る。歩哨一人、鹿の皮を被った合爾合カルカ姫の前に立ち、二名の兵士、姫の左右から抜身の槍を突きつけて、下手からはいって来る。
  鹿
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木華里ムカリ いえ、どうぞそのお盃は、まず合爾合カルカさまへ。
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汪克児オングル 姫一人を思って、今まで独身ひとりみをお守りなされた大王様のおさかずきじゃ。めでたい、めでたい!
合爾合カルカ姫 (覚悟を決めた態)はい。それでは、頂戴いたします。
小姓巴剌帖木パラテムが酌しようとする。
木華里ムカリ 今日第一の殊勲者というお言葉に甘えて、お酌は、かくいう私が――。
一同爆笑する中に、姫は、止むなく涙とともに盃を受けて、返す。
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哲別ジェベ お祝いのおしるしに、また一つには、姫のお心をお慰め申すために、わが陣中の狂乱楽をお聞きに入れたいと存じますが――。
成吉思汗ジンギスカン 思いつきだ。すぐ始めろ。
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()()()() ()()()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()()
者勒瑪ジェルメ さ、羊がまいりました。
()
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汪克児オングルはここを先途せんどとおかし味たっぷりに、踊ったり跳ねたりする。
成吉思汗ジンギスカン (汪克児オングルきりきり舞いをすればするほど、ますます憂鬱になる。突然怒りを含んで)えいっ、止めいっ!
汪克児オングルはぺたんと尻餅をついて、肩で呼吸いきをする。
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汪克児オングル 巴剌帖木パラテム! これ――!

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姫の首筋をじっと見つめて、うしろから抱きすくめようとするが、はっと自らを制する。
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合爾合カルカ姫 いえ、それは違います。妾はあの人に隠れて、そっと忍び出て来たのです。
成吉思汗ジンギスカン (おもてを輝かして)おお、それではあなたも、この長の歳月、この成吉思汗ジンギスカンを想っていて下されたのか。
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成吉思汗ジンギスカン なにを――。
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()()()()  ()()()()  辿()()()()()()()()()()()()()()()()()禿()()()()()() ()()()()()()()()() 
おのが気を紛らせようと、全身の力をめて、剣舞のように合戦の仕草をして見せる。合爾合カルカ姫は呆然と見守っている。
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子供のように快活に、下手、天幕の出口に坐り、膝を抱く。
成吉思汗ジンギスカン ああ好い月だ。砂漠に照る月の美しさは、旅行者の話に聞いた、遠い東の海とかいうものを思わせる。(長い間)
合爾合カルカ姫 (寝台から成吉思汗を見つめながら、半身を起して)成吉思汗ジンギスカン! なにしに妾をここへ呼んだのです。
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寝台の傍の猛虎が、いきなり凄い唸り声を発する。
()()() () ()()()()
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天幕の入口に、巨漢木華里ムカリが現れる。
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木華里ムカリは、長い鞭をふるって虎に近づき、大きく床を打つ。
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成吉思汗ジンギスカン (静かに起って行って)太陽汗タヤンカン! (一白睨ひとにらみで、虎は穏和しく立ち上り、木華里ムカリに続いて天幕の外に去る。月いよいよ照り返る)
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()()()()()()()調
()()()() ()()()()()()()禿()()
姫は意外な面持ちで聞き入っている。
成吉思汗ジンギスカン ええと、あの森は何てったっけな――何といったっけね、あの森は?
合爾合カルカはつんと横を向いて、答えない。
()()()() 
合爾合カルカ姫 (素っ気なく)存じません。
()()()() 
合爾合カルカ姫 (うっかり釣り込まれて、低声こごえに)黒雲の森――。
成吉思汗ジンギスカン (膝を打って)そうそう! 黒雲の森、黒雲の森! あの森の端れに、小川のあったのを思い出さないかい?
寝台に突っ伏して、姫は無言。
()()()() 
合爾合カルカ姫は冷い沈黙をつづける。
()()()() 
合爾合カルカ姫 (相手になるまいとつとめながら、つい引き込まれて)桶じゃありませんわ。羊の皮袋でしたわ。
成吉思汗ジンギスカン いや、桶だよ。
合爾合カルカ姫 いいえ、羊の皮ぶくろですわ。
()()()() ()()
姫はかすかに涕泣すすりなきを洩らす。長い間。
成吉思汗ジンギスカン 思い出したぞ。僕はあの時、川へ飛び込んで、流れてゆく皮袋を拾い上げた――。
合爾合カルカ姫 (顔を上げる。頬に涙が光っている)ええ、靴をお穿きになったまんまで――。
()()()()  ()
合爾合カルカ姫 (いつしか全的に引き入れられて)烏といえば、いつか、妾の家の裏の丘へ、烏の巣を取りに行ったことを覚えてらしって?
成吉思汗ジンギスカン 烏の巣? いや、あれは雀の巣だよ。
()()() 
()()()() 
合爾合カルカ姫 (すっかり追憶的に)あれから随分になりますわねえ――こんなこともありましたわ。覚えてらしって? そら、あなたが狩猟かりにおいでになって、弟の合撒児カッサルさまと御一緒に、妾の父の家へ水を飲みにお寄りになったことがありましたわね。
成吉思汗ジンギスカン そんなことがあった? いつごろだったかしらん。
合爾合カルカ姫 あの、ほら、はじめて沙摩魯格土サマルカンドから、隊商の着いた年ですわ。
()()()() ()()()
合爾合カルカ姫 ええ、そう――あの時あなたったら、妾に白樺の杖を作って下さるとおっしゃって――。
()()()()  ()()()
合爾合カルカ姫 ええ、妾が大騒ぎして、母から針を借りて取ってさし上げましたわ。
成吉思汗ジンギスカン その傷あとをなめてくれたじゃあないですか。
合爾合カルカ姫 記憶えてらっしゃる?
()()()() 
断続する胡弓の音。間。
()()()() ()()()()()禿()()()()()()
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木華里ムカリ はっ。
()()() ()()
と会釈し、悄然と木華里ムカリに伴われて去る。
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哲別ジェベ おお、太陽汗タヤンカンはここに――。
()()()() () 
哲別ジェベ 合爾合カルカ姫は?
成吉思汗ジンギスカン もう帰ったよ。
哲別ジェベ それでは、いよいよ乃蛮ナイマン国へ――。
成吉思汗ジンギスカン (がばと撥ね起る)うむ、進発だ!
哲別ジェベ はっ。
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()()()() ()()()()()()()()()()()鹿
汪克児オングル (人の脚の間から顔を出して)大将! あっしを忘れるってのあねえぜ。
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成吉思汗ジンギスカン (馬上に剣を引き抜き進軍!)

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男一 とうとう昨夜ゆうべ合爾合カルカさまはお帰りにならなかったようだな。
男二 おれたち部落の者の身代りになって下すったのだ。お痛わしいことだ。
女一 あのお優しい奥方様が、恐しい成吉思汗ジンギスカンの陣屋で、どんな目にお遭いなされたかと思うと――。
 ()()()殿殿
男四 しかし、殿様の御心中を察すると、それも無理がないなあ。
男五 軍には負ける。奥方まで奪られるじゃあ、まったく、浮かぶ瀬がないよ。
女二 (遠くを指さして)あれあれ! 成吉思汗ジンギスカン軍では、にわかに天幕を取り毀しましたわ。急に出発するんでしょうか。
男六 おお、ほんとだ! いよいよこの城の囲みを解いて、乃蛮ナイマンへ攻め入るものとみえる。
男一 おう! するとわれわれは助かった!
女三 え? ほんとに助かりましたのでございますか。ああありがたい! ありがたい――!

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退


    


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札木合ジャムカ (合爾合カルカを白睨みながら)台察児タイチャル、お前はあっちへ行っておれ。
()()()()()()
()()() 退()()()()()()()()()()  
合爾合カルカの肩を掴んで揺すぶるが、はっと気づいてその手を放す。
札木合ジャムカ (ヒステリックに)えいっ、汚らわしい! そ、その肩を成吉思汗ジンギスカンめが抱いたのか――ああ、おれは――妻の身体で敵に許しを乞うた、こ、このおれの苦しさは、ど、どこへ持って行けばいいのだっ!
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()()()   ()()() 
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札木合ジャムカ (合爾合カルカを突き退けて)姦婦!
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発作的に、長剣を抜き放つ。
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合爾合カルカ姫 (深傷を押さえてよろめきながら、夢みるような顔。間)――成吉思汗ジンギスカン
札木合ジャムカ 何いっ――!
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()()()  ()()()()()()()  
札木合ジャムカ なに? 成吉思汗ジンギスカンが? (と勢い込んで)この上おれを嘲弄しようというのか。よし!
台察児タイチャル 兄上、嫂上の仇です。畜生! なますに刻んでやる!
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台察児タイチャルは刀の鯉口を切り、隙あらば斬りつけんと身構える。
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札木合ジャムカ台察児タイチャルは、うなだれて聴き入っている。
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札木合ジャムカ兄弟は、呆然と佇立している。
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少年のように、気軽に行こうとする。札木合ジャムカの手から、ばたんと抜刀ぬきみが落ちる。
札木合ジャムカ (喘いで)成吉思汗ジンギスカン! 待ってくれ!
成吉思汗ジンギスカン 何だ。何か用かい? (軽く引っ返して来る)
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札木合ジャムカ 成吉思汗ジンギスカン! 見てやってくれ!
成吉思汗ジンギスカンひざまずいて、静かに旗を取る。愕く。
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2008520

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