稲生播磨守

林不忘





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 ()()()殿
森 しっ! 人に聞かれたらどうする。税所の迷惑を考えろ。
奥に何か催しがあるらしく、羽織袴の藩士たちが続々門をはいって来て、声高に談笑しながら、三人の横を通り過ぎて行く。
 殿()()
森 税所! 貴公の心中は察するぞ。いったいいつこんなことになったのだ。
 
池田 (森と顔を見合わせて)もっともだ。そう思うのも無理はない――が、おれたちは貴公に同情して、友人として君を慰めようと――。
郁之進 その友情があったら、何も言わんでくれと頼んでおるのだ。
森 しかし、黙視するに忍びんから――。
郁之進 黙視できぬ? では、森に訊こう。どうしたらよいというのだ。
池田と森は無言に落ちる。
 ()()殿()()
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郁之進も森も、考えこむ。
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森 (恐しそうに)おれたち武士さむらいの先祖たちは、ほんとうに、主君に対して文字どおり絶対服従だったのだろうか。
 
 ()
 
森 うむ、切る――つもりで、今日まできたが、すこしどうも変だな。
池田 そちの妻を夜伽よとぎに――と言われたら?
郁之進 (狂的に両手で耳を抑さえて)またそれをいう。またそれを言う。
森 そうだ! 長続きせんぞ、こういう君臣の関係は。
 
  鹿() 
森 貴公ほんとうにそう思うのか。
郁之進 そう思うかとは情ない奴だ。そう思わんでどうする。
池田 そうかなあ。この、遠くから近づいて来る世の大変革の跫音あしおとが、君にはすこしも聞こえんのかなあ。
郁之進 (色をして)いかなる大変革があろうとも、君臣の大義が崩れてたまるものか。
池田 新妻を召し上げられても、君は今でもそう思っているのか。
森 本心を聞かしてくれ、本心を。
 
森と池田は、ちらと顔を見合わせる。
池田 そうだろうとも。いや、人情そうあるべきところだ。
郁之進 お恥かしい次第だが、当座は、あの加世かよの面影が、眼前にちらついて――。
 ()()()殿
池田 (そっと森を小突いて)それを税所が、めでたく中原の鹿を射て、この春いよいよ華燭かしょくの典を挙げた時には、なあ森、白状するが、少々けたなあ。
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池田 (うな垂れている郁之進を覗いて)それほど藩中の羨まれものだった貴公が、あんなに美しい掌中の玉、恋女房のお加世どのを殿に召し上げられたのだ。すこしは口惜しいと思わんか。
郁之進 それは人間自然の情で、口惜しいと思ったこともあるさ。
池田 (森に眼配せして)なに、口惜しいと?
 殿()()()殿
突如池田が足を揚げて、郁之進を蹴倒す。
   殿()()()()
郁之進 (地面に転がりながら、冷静に)殿に恨みを報いる? なんでおれがそのような――考えるだにもったいない!
池田 貴様は、人間としてなっておらん。うぬ! こうしてくれる!
ぺっと唾を吐きかけて、池田は立ち去る。
郁之進 (倒れたまま、その唾を拭いもせず夢みるような独り言に)あの日、先殿様の御命日に、殿が随福寺へお成りのみぎり、選ばれてお茶を献じた加世めが、おそれ多くもお眼に触れて召し上げられた――。
 殿()()()殿殿
  殿
森 しかし、人倫じんりんの大道に反く以上、殿といえども、そのままには――。
  ()() 殿
森 (じっと相手の表情を注視して)聞くところによれば、お加世どのは君を慕って、泣いてばかりおるということだ。
  
森 さあ、起てるか。
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森 (植込みの奥を見こんで)おう、もうお歌の会がはじまりそうだ。さ、行こう。
郁之進 おれはこの衣紋の崩れを直してから行く。貴公、構わず先に行ってくれ。
森 そうか。では、待っているぞ。(去る)
 姿殿()




坊主 (三人へ)ただいま殿には、お歌の会を御中座なされて、ほどなくこれへお渡りになります。
 使
 
池田 たといいくら気の強い男でも、相手が藩公ではなあ、はっはっは。
 
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 ()
池田 事に托して、あいつを蹴倒してやった時には、春以来のこの胸が、どうやらすうっといたしたよ、あはははは。
森 しかし、貴公のあの過激な議論には、ちょっと驚いたぞ。
 ()殿
 
殿
稲生播磨守 (廊下を近づく声)ああもう歌などどうでもよい。飽きた、飽きたぞ。

播磨 (平伏した三人へ)どうだ、税所の気が知れたかな。(と大欠伸をする)
お加世はうつ向く。
池田 恐れながら、かねての殿のお命令いいつけに従い、きやつの胸に探りを入れてみましたところ、まったく異心は無いものと見受けましてござります。
 
森 身にあまる光栄だと申して、よろこんでおりまする。
 
吾孫子 (ひれ伏して)なにとぞ、末始終お眼をおかけ下されまして――。
お坊主 (次の間の敷居ぎわへ来て)申し上げます。皆様彼室あちらでお待ちかねでいらっしゃいますが、お歌のほうは、もはや――。
播磨 歌はもうよしたぞ。重立った者だけ、こちらへ話しにでも来いと申せ。
池田 では、われわれは――。(と森へ眼まぜして、退さがろうとする)
播磨 いや、苦しゅうない。そこにおれ。

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その一人 おっと! これはこれは、とんだ粗相そそうを。なにとぞ御容赦のほどを――。
 ()調
両士は慇懃いんぎんに挨拶して、坐る。
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 殿
たがいに会釈して笑う。
座の一人 いや、文字どおりの鞘当てでござりましたて。一時はどうなることかと、はっはっは。
その二 はらはらいたしました。まさか、ははははは。
一同爆笑する。
 
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と人手をとおして、その刀を順送りに渡す。
受け継ぐ人々 ほほう、小柄こづか祐乗ゆうじょうですな。
おなじく二 糸輪覗き桔梗ききょうの御紋は、これは御家紋で?
同三 彫りは、肥後の林重長とましたが。
四 いや、お眼がお高い。
五 この鍔は、明珍の誰でござりますな?
所有主 義房作とか、伝えられておりますが、いや、お恥かしいもので。
 ()()() 姿 ()()
所有主 いや、つまらぬもので。会津でござる。
座の一人 会津と申しますと、兼定かねさだ? それとも、三善か若狭守か――。
所有主 兼定でございます。
播磨 初代か。
所有主 はっ。いえ、五代目でござりまする。
刀相家久保奎堂 すると、近江大掾おうみたいじょうとなった元禄の兼定ですな。
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一、二寸抜きかける。
 
抜きかけた侍 (はっと気づいて)見たい一心に駆られて、つい心づきませんでした。粗忽のほどは、御前よしなにお取りなしを。
ぱちんと鞘へ返して、手を突く。
  
矢沢 それでは、お許しが出ましたによって、御自由に。
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隣の侍 やっ、斬れそうですなあ。
と覗き込む。刀は転々と座をめぐって、人々のあいだに感嘆の呟き起る。
 
鞘を触れられた侍 一つ、その兼定に鞘当てされたそれがしの刀も、御列座の高覧に預かりたいもので、ははははは。
座の一人 御佩刀ごはいとうは?
鞘を触れられた侍 国綱くにつなです。
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 殿
奎堂 いや、これは御家老、よしなきことをお耳にたっしては、拙者が困ります。
播磨 久保うじのことは聞いておるとも。うむ、刀にも相があるということだな。
奎堂 おそれながら、人相家相等と同じく、刀剣にも刀相、剣相というものがござりまして――。
 
奎堂 いえ、それは過褒かほうと申すもの――。
播磨 一段と興を覚えたぞ。その剣相の達人が幸い一座におるとは面白い。
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播磨 奎堂足下、皆の刀を一見して、吉凶禍福を申されよ。
奎堂 それでは、未熟ながら仰せにしたがいまして――。
と座を改めて、まず播磨守の佩刀を小姓に乞い受け、うやうやしく一覧する。
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次ぎに家老矢沢の刀を観相し、同じくめる。それより席順に諸士の刀を受けては、相を案ずる。
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奎堂 (驚愕狼狽の表情で呻く)ううむ!
矢沢 (愕いて)いかが召された。何かその刀に、御不審の点でも――。
奎堂 (はっと心づきたる態)いや、なに――ははははは、何でもござらぬ、ははははは。
いて笑いにまぎらそうとしながら、しきりに首を捻る。
   
恐しそうにその刀を下へ置き、次ぎを取り上げる。
奎堂 (虚ろな声で)これは吉相――。
言いかけてまた前の一刀を手にとる。
     
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 ()
矢沢 久保氏、其許そこもとの挙動は、合点がいきませぬ。何かはばかりのあることですか。
 
播磨 (じっと奎堂を見つめていたが)奎堂足下、いかなることか、その刀相を述べてみるがよい。
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矢沢 お声掛りじゃ、久保殿。
奎堂 しかし、余のこととちがって、このことばかりは――。
播磨 (気を焦って)言えぬ? どうあっても言えぬか。
矢沢 他言をはばからば、拙者の内聞にまで、さ!
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 殿()()
播磨 (脇息を打つ)ええいっ! ごまかそうとするかっ! いま奎堂の言ったことを申せ。余はその刀相が聞きたいのだ。
仕方がないと、矢沢と奎堂は二、三低声に相談して。
矢沢 しからば、お人払いを願いまする。
播磨 なにを大仰な! ならぬ! この、一同みなのおるところで言えっ。
矢沢 (奎堂へ)御貴殿から言上――。
奎堂 いや、あなたよりよしなに――。
矢沢 しかし、観相なされたのは、貴殿ゆえ、貴殿より申し上ぐるが順当です。
播磨 早く言えっ! 聞こう。
奎堂 (観念して)では、その前にちょっと諸士に伺いますが、このお刀は、どなたの――?
一同顔を見合わす時、人々のうしろからぱっと税所郁之進が飛び出して、呼吸を弾ませて奎堂の前に手を突く。
郁之進 (臆病に)わ、わたくしの帯刀でござります。
奎堂 たしかめますが、この多門三郎景光でござるぞ。しかとお手前のものに相違ありませぬな。
播磨 郁之進の刀か。それがどうした。
 
播磨 ほほう、どう悪い?
奎堂 必ずお気に留められませぬよう――主君に崇りをなす相が、ありありと浮かんでおりまする。(座中愕然とざわめき立つ)
 () 
お加世は殿のかげに、いっそう身を縮める。
 殿  殿  
矢沢 他藩の高名なる大先生なるぞ。取り逆上のぼせるな、郁之進! 言葉を謹しめっ!
 ()() 殿
播磨 なに、余に対して害心とな――?
  殿 
奎堂 私心はござらぬ。刀相に現れしところを、そのまま申し述べたまで。
  ()()殿()()
 
矢沢 (あわてて)久保氏! あなたもまた、何もそんな不吉なことをそう言い張らんでも――。
 
郁之進 ええ! まださようなことを! (掴みかかろうとする)
 
 殿
播磨 何を下らぬことを! 郁之進ごときが十人掛かっても、後退たじろぐ余か。
矢沢 しかし、郁之進の刀は魔物と申すことですから、充分に御注意を。
播磨 みな退れ。加世、そちだけはここにおれ。
退()
郁之進 (問題の多門景光を、どさりと殿の前へ差し出して)この一刀は、なにとぞお手許に――。
  
郁之進 (はっとして)男と男――?
 
 殿 ()殿
播磨 (にこにこして)わかっておる。余も刀相などは信ぜぬよ。
 
 ()()() 
この時庭からの風で、ふっと燭台の灯一つ二つ消えて、あたり薄暗くなる。
郁之進 (独り言のように、陰々と)持ち主にして邪念無道なれば、刀もまた悪しき方へ役立つものと、愚考いたします。
    
 殿
播磨 ええい、解っておるというに!
  
播磨 (上機嫌に)よくぞ申した。そうだとも、そうだとも! そちの言うとおり。
起って、ぴたりと郁之進の前へ来て坐る。
播磨 刀を見せい。ささその主殺しの相あるという景光を、余は見たい。
郁之進 (恐懼して)いえ! とんでもござりませぬ。さような悪剣と観相されました以上、なにとぞ御免を――。
播磨 大事ない。これ、見せろというに!

播磨 (ぎょっと身を押し反らして)やっ! 抜いたな!
  
   
郁之進 いえ、いえ――。(逃げようとする)
播磨 かまわぬ見せろというに!
と刀を取ろうとする途端、不意に、何ものか乗り移ったごとき郁之進、すらりと右手に景光を抜き放つ。
加世 あれ!
 殿 
きものでもしたように、抜刀を提げたまま、よろよろと廊下へ出ようとする。
播磨 待て! (追いすがって留める)
 ()() 殿
刀を振りかぶって行かんとする。立ち塞がる播磨守を払い退けようとして、その拍子に、まるでひとりでに手が動いて、横殴りに一刀深く斬りつける。
播磨 (脇腹を押さえて、後退たじろぐ)や! き、斬ったな――。
加世 (転び寄って郁之進に縋りつく)あなた! ま、そのお刀を――。
郁之進 (呆然と驚きあわてて)ややっ! こりゃ殿を――しまった! あ、ああどうしたらよいやら。
と刀を凝視みつめると、またふらふらっとなって、真っ向から播磨守に二の太刀を浴びせる。薄く小鬢を掠める。
   殿殿 
  ()() 
 殿殿殿  
どっかと坐り、手早く腹をくつろげて突き立てようとする。
 
郁之進 えっ! (茫然たることしばし、ふたたび腹を切ろうとする)
 
郁之進と加世は、苦しげな播磨守のようすにおどろいて、あわてて左右から支える。
 ()()姿鹿  鹿 ()()  
郁之進 (狂乱して)殿! お気を確かに――私はこの場に屠腹とふくして、お詫びつかまつります。
播磨 ええいっ、馬鹿め! わからぬか。それでは余の念が届かぬ。
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播磨 (すっくと起って、大手を拡げて郁之進と加世をうしろにかばう)何をするかっ! 郁之進に斬られて、余は今、生まれて初めて、日本晴れの気もちが致しておるところだ。うういや、郁之進が斬ったのではない。多門三郎が余を斬ったのだ。者ども、郁之進に手をつけることはならん! (矢沢へ)爺い! いかさまあの久保奎堂は、刀相の名人だて。当ったぞ、適中いたした、ははははは。(よろばいながら、笑う)郁之進は腹を切るには及ばぬ。禄を召上げるにも、閉門を命ずるにも及ばぬ。追って加増の沙汰をいたす。が、憎くき下手人はその刀じゃ。多門三郎景光を、獄門にかけい、はははははは。






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2008520

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