友人の書家の家で、私は経きょ師うじ屋やの恒さんと相しり識あいになったが、恒さんの祖父なる人がまだ生きていて、湘しょ南うなんのある町の寺に間借りの楽隠居をしていると知ったので、だんだん聞いてみると、このお爺さんこそ安あん政せいの末から万まん延えん、文ぶん久きゅう、元がん治じ、慶応へかけて江戸花はな川かわ戸どで早耳の三次と謳われた捕物の名人であることがわかった。ここに書くこれらの物語は、古い帳面と記憶を頼りに老人が思い出しながら話してくれたところを私がそのままに聞書したものである。乙きの未とひつじだというから天てん保ぽう六年の生れだろうと思う。すると数え年九十四になるわけで、何分年と齢しが年と齢しだから脚腰が立たなくて床についてはいるが耳も眼も達者である。ただ弱じゃ小くしょう不わた忘くしごときの筆に当時の模様を巨細に写す力のないことを、私は初めから読者と老人とにお詫びしておきたい。
一
松の内も明けた十五日朝のことだった。起抜けに今こん日にち様さまを拝んだ早耳三次が、花川戸の住居でこれから小あず豆きが粥ゆの膳に向おうとしているところへ、茶屋町の自身番の老爺があわただしく飛込んで来た。吃どもりながら話すのを聞くと、甚じん右えも衛ん門だ店な裏うら手ての井戸に若い女が身を投げているのを今顔を洗いに行って発みつ見けたが、長屋じゅうまだ寝ているからとりあえず迎えに来たのだという。正月早々朝っぱらから縁起でもないとは思ったが御用筋とあっては仕方がない。嫌な顔をする女房を一つ白に睨らんでおいて、三次は老爺について家を出た。泣出しそうな空の下に八百八町は今し眠りから覚めようとして、川向うの松平越前や細川能の登との屋敷の杉が一本二本と算かぞえられるほど近く見えていた。
東仲町が大川橋にかかろうとするその袂たもとを突っ切ると材木町、それを小一町も行った右手茶屋町の裏側に、四軒長屋が二棟掘抜井戸を中にして面むかい合っている。それが甚右衛門店であった。
自身番の老爺が途中で若い者を二人ほど根引にして、一行急ぎ足に現場へ着いた時には界隈は寂ひっ然そりとして人影もなかった。三次が井戸を覗いて見ると、藻の花が咲いたように派手な衣きも服のと白い二の腕とが桶に載って暗い水面近く浮んでいた。それっというので若い者が釣つる瓶べを手た繰ぐって苦もなく引揚げたが、井戸の縁まで上って来た女の屍骸を一眼見て、三次初め一同声も出ないほど愕おどろいてしまった。
女は身投げしたのではない。誰かが斬殺してぶち込んだのである。しかもその切り口、よく俗に袈け裟さがけということを言うがまさにそれで、右の肩から左乳下へかけてばらりずんとただの一太刀に斬り下げて見事二つになった胴体は左傍わき腹ばらの皮か肌わ一枚でかろうじて継がっていた。石切梶原ではないが刀も刀斬手も斬手といいたいところ、ううむと唸ると三次は腕を組んで考えこんだ。
三次が考えこんだのも無理はない。過ぐる年の秋の暮れから正月へかけて、ひときわ眼立った辻斬がたださえ寒々しい府内の人心を盛んに脅かしていた。当時のことだから新あら刀もの試だめし腕試し、辻斬は珍しくなかったが、そのなかに一つ、右肩から左乳下へかけての袈裟がけ斜はす一文字の遣やり口くちだけは、業わざ物ものと斬手の冴えを偲しのばせて江戸中に有名になっていた。殺される者には武士もあった、町人もあった、女子供さえあった。昨ゆう夜べはあそこ、今朝はここといった具合に、ほとんど一夜明けるたびに生々しい袈裟斬りの屍体が江戸のどこかに転がっているというありさまだった。誰も姿を見た者はないがもちろん侍、しかも剣の道に秀でた者の仕業であることは何人も認めざるを得なかった。死骸はいつも一太刀深く浴びて胸から腹へ大きな口を開いていたが、けっして切って落した例ためしはなく皮一重というところで刀を留めて危なく胴をつないでおくのがこの辻斬の特徴であった。これはとうてい凡手の好くするところではない。必ずや一流に徹した剣客の狂刃であろうと、町奉行配下の与より力き同どう心しんを始め町方の御用聞きに到るまで、言い合わしたように町道場の主とその高弟たち、さては諸国から上って来た浪人の溜りなどへしきりに眼を光らせてきたが、袈裟がけの辻斬りは一向に熄やまないうちに、年がかわった。さすがに松の内だけは血ちな腥まぐさい噂もないと思っていると、春の初めの斬初めでもあるまいが、またしてもここに甚右衛門井戸の女殺しとなったのである。
二
殺された女は、井戸のすぐ前の家に父親の七兵衛と一緒に住んでいるお菊という娘であった。三次たちの気けは勢いを聞きつけて起きて来た長屋の者が消けた魂たましく戸を叩いたので、七兵衛も寝巻姿で飛出して来たが井戸端の洗場に横たわっている娘の死骸を見ると、駈寄って折重なったまま一声名を呼んだのを最後にそれきり動かなくなってしまった。狼あ狽わてて抱起すとがっくり首が前へのめって、七兵衛はすでに息を引取っていた。現い代まの言葉でいうと心しん臓ぞう痲ま痺ひであろう、あまりな不意の驚きに逆上したとたん、あえなくなったものらしいが、引続いたこの二つの凶事に長屋じゅうはたちまち上を下への騒ぎになった。
七兵衛は町内の走使いをしていたから三次も識っていたし、独り娘のあったことも聞いてはいたが、この二人家内が二人ともこうなったのだから、三次は集って来た長屋の衆の口を合わせてそこから何か掘出すよりほか探索の踏出し方がなくなった。お菊は稀に見る孝行娘で近所のお針などをして貧しい父を助け、傍の見る眼も羨ましいほど父娘仲もよかったとのこと。死顔を見てもわかるとおり十人並以上の器量だから若い者の口の端に上らぬではなかったが、十八にはなっていたものの色気付きが遅いのか、その方の噂はついぞなかった。昨十四日は年越しの祝いでお菊は型ばかりの松飾注しめ連な繩わを自分で外した後、遅れた年賀の義理を済ませに小梅の伯母のところへ行くとか言って、賑やかに笑いながら正午少し過ぎに家を出て行った。これは同じ長屋のお神の一人が見て、現に会はな話しを交したというのだから間違いはあるまい。
お菊の死骸に跨がって切口を睨んでいた三次は、崩れた島田に引っ掛っている櫛を見付けると、手早く抜取って懐中へ納めた後、父娘の仏をひとまず世話人の家へ引取らせた。あとで井戸の周まわ囲りを見ると、土に血の跡が滲み込んで、洗場の石の角々にも流れ残った血糊が赤黒く付くっ着ついている。言うまでもなく犯ほ人しはここでお菊を殺して、音のしないようにと水桶に縛りつけて井戸へ下ろしてから、血刀や返り血を洗って行ったものであろうが、そうとすれば少しは物音もしたはずだと思って、三次が傍の人々に訊いてみると、そのなかでこういう申立てをした者があった。
﹁へえ、わっちが眠りについて少しばかりとろとろとしたかと思うころ、井戸端で人の呻きと水を流す音が聞えましたが、きっとまた蜻とん蛉ぼ野郎が食い酔って来やあがって水でも呑んでいるんだろうと、わっちは別に気にも懸けずにね、へえ、そのまま眠ってしまいましたよ。﹂
﹁何なん時どきでした。﹂
﹁さあ、かれこれあれで四つでしたかしら。﹂
これを聞いて思い出したものか、同じことを言う者が二、三人出て来たので、三次は懐中から今の櫛を出して一同に見せた。玳たい瑁まいの地に金きん蒔まき絵えで丸にいの字の田た之ゆ助うの紋が打ってあるという豪勢な物、これが、その日暮しのお菊の髪に差さっていたのがこの際不審の種であった。すると、背後の方から伸び上って見ていた一人が、それはたしか蜻蛉が持っていた櫛で、歳く末れに、安く売るから買わないかと言って見せられたことがあると証言した。
﹁先刻から蜻蛉蜻蛉って言いなさるがそのとんぼってなあいったい何ですい。﹂
三次が訊いた。人々の答えによると、井戸を隔ててお菊方と向いあって、眼玉の大きいところから蜻蛉の辰たつと呼ばれている中年者が住んでいるが、去年の夏、女郎上りの嬶かかあに死なれてからは、昼は家にごろごろして日暮れから夜よな鳴きう饂ど飩んを売りに出ているとのこと。
﹁おうっ、辰がいねえぞ。﹂
誰かがこう言って辺りを見廻した。それにつれて皆が騒ぎだした。
﹁このどさくさに寝ている者は辰でもなけりゃありゃしねえ――辰やあい。﹂
﹁蜻蛉うっ。﹂
﹁辰うっ!﹂
﹁とんぼ、つんぼ!﹂
長屋の衆が口々に喚わめくのを三次は鋭く押さえておいて、つと足許の水桶に眼を落した。
釣瓶繩のさきについている井戸の水汲桶である。これにお菊の死骸を結んで沈めたのだから、桶一杯の水が紫色に濁っていたが、三次が足を掛けて水を溢すと、底から、お菊の黒塗の日ひよ和り下げ駄たが片方だけ出て来た。
誰もお菊の帰って来たのを見た者はなかった。留守をしていた父親七兵衛は、あまり帰かえ宅りが遅いのでてっきり小梅に泊ることと思い、昨ゆう夜べは寒さも格別だったから早く締りをして先に寝たものらしいが、年ごろの娘がそう更けてから夜道を帰って来るとも思われないから、まず七兵衛初め長屋の者の寝ねい入りば初な、この井戸端で水音がしたという亥いの上刻は四つごろの出来事であろうと、三次はその日和下駄を凝み視つめながら考えた。
井戸にでも落ちたか、片っぽの下駄はどこを探してもない。二つ折れに屈んで地面を検しらべると、井戸の縁に片足かけて刀に滴る血潮を振り裁さばいたものとみえて、どす黒い点が土の上を一列に走ってもよりの油障子の腰板へ跳ねて、障子の把手にも歴はっ然きりと血の手形が付いていた。三次は振向いた。
﹁誰の家ですい、ここあ?﹂
﹁へえ、そこがその、蜻蛉の辰の――。﹂
という声を皆まで聞かずに、三次が障子に手を掛けるとさらりと開いた。素早くはいり込んで後を閉めながら見ると、障子の内側にもおびただしい血の痕がある。しかも黒塗りのお菊の日和が片方、血にまみれて土間に転がっていた。
﹁辰さん!﹂
狭い暗い家に三次の声が響いた。と、すぐに人の起きて来るようすに、三次は思わず懐に十手の柄を握り締めた。
三
長屋の連中が蜻蛉の辰の軒下に立って呼吸を凝こらしていると、なかでは長いこと話が続いたのち、やがて、三次ひとり狐きつ憑ねつきのような顔をしてぼんやり出て来た。
﹁蜻蛉はいましたか。どうしました?﹂
待ちあぐんでいた人々はいっせいに三次を取り巻いた。
﹁いましたよ。いますよ。﹂
と三次はなぜか溜息を吐いた。
﹁何せこっちあ早耳の親分だ。野郎、おそれいりやしたろう?﹂
﹁誰がですい?﹂
﹁誰がって親分、呆とぼけちゃいけねえ、犯ほ人しさあね、辰さ。とんぼの畜生、おいらがお菊坊をばっさりやったに違えねえと、ねえ親分、即そくに口を割りやしたろう、え?﹂
﹁やかましいやい!﹂
急に三次が呶鳴りだした。探索に推あ量てが付いて頭あた脳まの働きが忙しくなると、まるで別人のように人間が荒っぽくなるのが三次の癖だった。これを早耳三次の伝でん法ぽう風かぜといって、八丁堀御役向でさえ一目置いていたほど、当時江戸御用聞のあいだに有名な天下御免の八つ当りであった。今の三次がそれである。長屋の衆は呆気にとられてしまった。
﹁えこう、皆聞けよ。﹂と三次は辺りを睨めつけて、﹁蜻蛉蜻蛉ってそうがらに言うねえ。蜻蛉はな、大事な蜻蛉なんだ。手前ら何だぞ、蜻蛉の辰に指一本差そうもんならこの三次が承服しねえからそう思え、いいか、月番が来ても旦那衆が見えても辰のことだけあ気おくびにも出すな。下手な真似して蜻蛉に手出ししてみろ、片っ端から三次が相手だ――退け、俺あ帰る。思おも惑わくがあるんだ。﹂
呶鳴るだけどなってしまうと、三次は人を分けて飄ひょ然うぜんと帰って行った。
間もなく、申訳なさそうに血だらけの日和下駄を提げて蜻蛉の辰公が飛出して来て、先に立ってあれこれと世話を焼き始めた。みんなさすがに白い眼を向けたが、辰は一こう平気だった。
渡世人と岡っ引は人柄を読むことと場の臭いを嗅ぐことが大切である。ことに剣術の使手は眼の配りと面めん擦ずれでわかるものだが、蜻蛉の辰が寝呆け眼をこすりながら出て来た時、三次は一眼見てこれは大きに違うと思った。
辰はいかさま眼の大きな、愚鈍というよりは白痴に近そうな男だった。夜饂うど飩んを売りに出るので帰りは早朝になる。したがってこの時刻は辰にとっては白河夜船の真夜中だから、戸外の騒ぎを知らずに熟睡していたというのもけっして不自然なことはない。障子の血形や血まみれのお菊の下駄を突きつけられても、辰はぬうと立ったまんま、どうしてそんな物がそこにあったのか少しも解らないと申述べた。
むしろ融通のきかない方かもしれないが白を切りえる質たちではない、三次は辰をこう踏んだ。だいたいこんな、鰹かつお一匹満足に料れそうもないぶきらしい男に、ああも鮮かに生胴を斬る隠し芸があろうとも思われないし、それに、いくら少したりないとはいえ、自分の家の入口に血を付けたり仏の下足を片っ方持込んで見てくれがしにそこらに抛っておいたりするような、そんな間抜けたことはよもやすまい。この男にあの袈裟がけ斬りの疑いを懸けたことが三次は自分ながらおかしくなった。が、何はともあれ念のためと、玳たい瑁まいの櫛を出して問い詰めると、辰はすぐさま頭を掻いて、じつは誠に申訳ないが、年の暮れのある晩稼しょ業うばいの帰かえ途りに、筋すじ交かい御門の青山下しも野つけ守のかみ様の邸横で拾ったのだが、そのまま着服していて先この日あいだ父親に内証でお菊に与やったものだと言った。嘘をついているものとも見えないので三次はすっかりあて外れの形だったが、それでも一応昨夜の動きを訊いてみると、いつものとおり饂飩の屋台車を押して歩いて明方に帰ったと答えた。
﹁帰った時に戸口の血やこの下駄に気がつかなかったかえ。﹂
﹁暗え中を手探りで上ってすぐと床に潜込みやしたから、何にも気が付きませんでした、へえ。﹂
三次は家のなかを見渡した。なるほど男おと鰥こや夫もめの住居らしく散らかってはいたが、さして困っている生くら計しとも思われない。女にょ房うぼを失くした淋しさから櫛をやったりしてお菊の歓心を買うに努めていたものとみえる。小道具といい身のまわりといい饂飩屋風ふぜ情いにしてはちょっと小ざっぱりしすぎているような気がしないでもなかった。
﹁のう辰さん。﹂三次が言った。﹁饂飩もなかなか上あが金りが大でっけえもんと見えますのう。﹂
﹁へ? へえ、おかげさまで、へえ。﹂
﹁車はどこにありますい。﹂
﹁仕込問屋に預けてありやす。﹂
﹁その問屋ってなあどこですい。﹂
﹁その問屋は――。﹂
﹁うんその問屋は?﹂
﹁へえ、蔵前の――。﹂
﹁うん。蔵前の何屋何兵衛だ。﹂
とこう突っ込まれて、辰はぐっと詰ってしまった。それを見ると、三次は脅し半分に腕を伸ばして辰の肩口を掴んだのだが、掴まれた辰よりもかえって掴んだ三次のほうが吃びっ驚くりした。蜻蛉の辰の肩は、板のように固く、瘤のように胼た胝こができていたのである。
﹁おうっ、辰っ。﹂三次の調子ががらりと変ったのはこの時だった。﹁お前なんだな、駕か籠ごを担かつぐな。﹂
辰は両手を突いて黙っていた。
﹁辻か、いやさ、辻駕籠かよ。﹂
辰は返事をしない。三次はたたみかけた。
﹁相棒は誰だ。出場はどこだ。﹂
辰は無言だった。三次はかっとして、この野郎っ、直ちょくに申上げねえかっ、と呶鳴ろうとしたが、何思ったかにこりと笑って、
﹁辰さんや、何をしても商売だ。のう、駕籠かきだとて恥じる節はねえわさ。まあま、男は身の動くうちが花だってことよ。精々稼ぎなせえ。﹂
と言ったなり、頭を下げている辰公を残してぶらりとその家を出たのだった。
﹁ふうん、こりゃあちょっと大物だぞ――。﹂
生酔いのように道み路ちの真中を一文字に、見れども見えず聞けども聞かざるごとく、思案にわれを忘れて花はな川かわ戸どの自宅に帰り着いた早耳三次は、呆れる女房を叱りとばして昼の内から酒にして、炬こた燵つに横になるが早いか、そのまま馬のように高鼾をかいて睡ってしまった。
四
音も月も凍いてついた深夜の衢まち、湯島切通しの坂を掛声もなく上って行く四手駕籠一梃、見えがくれに後を慕って黒い影が尾つけていた。
蜻蛉の辰が饂飩屋なぞと嘘を言って人にかくれて駕籠を担いでいる夜の稼ぎを怪しいと見た早耳三次が、半日ぐっすり寝込んで気を養い、暮るに早い冬の陽が上野の山に落ちたころ、腹はら掛がけ法はっ被ぴに※ぱっ襠ち﹇#﹁ころもへん+昆﹂、172-下-14﹈という鳶とびまがいの忍び装束で茶屋町近くに張込んでいるとこれも身軽に扮つくった蜻蛉の辰が人目を憚るように出て来て、東仲町を突き当った誓願寺の裏へ抜けた。あの辺いったいは東とう光こう院いん称しょ往うお院ういん天てん岳がく院いん、左右が海全寺に日林寺、そのまたうしろは幸こう竜りゅ寺うじ万ばん祷とう寺じ知ちこ光うい院んなどとやたらに寺が多かった。辰が天岳院前の樹この下した闇やみに立停まると、そこに男が一人駕籠を下ろして待っていた。三次が遠くから透かし見たところでは、痩やせ形がたの、身せ長いの高い若い駕籠屋であった。二人は別に挨拶もせずに、そのまま駕籠を上げて安部川町の方へ辻待に出向いて行った。空駕籠の揺れぐあいから後棒の辰はもちろん、先棒の男もまだ腰ができていないのを、三次は背うし後ろから見ながら随いて行った。お書しょ院いん組ぐみの前まで来ると客がついた。それから二人は本式に息杖を振って、角かどごとに肩をかえながら、下谷の屋敷町を真直に小普請手代を通り過ぎて、日光御門跡から湯島の切きり通どおしを今は春木町の方へ急いでいるのだった。
月が隠れたから、五つ半の闇や黒みは前ま方えを行く駕籠をともすれば呑みそうになる。三次は足を早めた。ひやりと何か冷たいものが頬に当った。霙みぞれになったのである。
三丁目を越えて富坂へかかったところで、駕籠が止まった。客は降りて駕籠賃を払い、左の横町へはいって行った。すると、黒法師が一つ駕籠を離れてするすると後を追った。三次の立っているところは表通りだから何も見えないし何も聞えない。そのうちに黒法師が駕籠へ戻って、どうやらこっちへ引っ返して来るらしいから三次は急いで物蔭に身を隠すと、蜻蛉の辰と若い駕籠かきが無言のままで前を過ぎた。肩にした丸太に駕籠の屋根を支える竹が触ってぎっ、ぎっと軋きしむ音を耳近く聞いた時、三次は何となく背中に水を浴びたように全身惣そう毛け立だつのを感じたという。
駕籠も遠ざかって行くが横町が気になるので、三次は小走りにそのほうへ進んだ。暗いから足許が見えない。重い大きな物に蹴けつ躓まずいてあっと思うと諸に転んだ、町の真中に寝ているやつがある。起上りざま鼻を摺すりつけんばかりにして見ると、武家屋敷出入の骨董屋の手代とでも言いたいお店たな者ものが朱あけに染んで倒れていて、初めは二人かと思ったほど、上半身が物の見事に割さかれていた。
さすが鉄火な早耳三次、血泥を掴んだまましばらくそこにへたばっていたが、やがてふらふらと立上ると、
﹁どこのどなた様か存じませんがあっしは少し急ぎます。成じょ仏うぶつなすって下せえやし――南無阿弥陀仏。﹂
も口の中、耳も早けりゃ脚も早い、おりから風さえ加わって横ざまに降りしきる霙を衝いて、三次は驀まっ地しぐらに駕籠を追って走った。
定じょ火うび消けしを右に見てあれから湯島四丁目へかかると藤堂様のお邸がある。追いついたのは聖堂裏であった。そのころは杉の大木が繁っていてあそこらは昼でも薄気味の悪いところ、ましてや夜。人通りはない、先へ行く駕籠のぴしゃ、ぴしゃという草わら鞋じの音を頼りに、駕籠に道の左側を往かしておいて三次は右側を擦り抜けたが、五、六間前へ出るあいだまったく生きた心地はしなかった。と、何者かがすがり寄る気を感じて、三次は足をとめた。その瞬間、一陣の寒さが首筋を撫でた。三次は背後へ飛び退すさった。見ると、すぐ前に、黒の着流しに宗そう十じゅ郎うろ頭うず巾きんで顔を包んだ侍が、片手に細長い白い棒のような抜身を下げて、片手で霙を除けながら煙のように立っている。駕籠は遙か向うに下りて、草鞋の音も聞えなかった。
三次は剣術なぞは真似すらもできない。しかも自ら招いたこの窮きゅ場うば、ええ、ままよとどっかりそこへ胡あぐ坐らをかくと、気のせいか侍の顔に微笑が浮んだようだったが、
﹁町人、斬ろうかの。﹂
と言った声は、手の白しら刃はのように冷たかった。口が乾いて三次はものが言えなかった。
﹁商売は何だ。﹂
刀の尖を振わしながら侍が聞いた。
﹁大でえ工く。﹂
﹁なに、でえく? うん。大工か。﹂
言いつつすうっと刀を振りかぶって、
﹁斬らしてくれ。﹂
三次は坐ったまま乗り出した。
﹁お殺やんなせえ。右の肩から左乳下へざんぐり一太刀、ようがす。立派に斬られやしょう。だがねお侍さむれえさん、皮一枚だきゃあ残しておいて下せえよ。﹂
侍はぎょっとしたらしかった。刀持つ手が見るみる下った。弛ゆるんだ鍔つばががちゃりと音を立てた。
﹁許す。﹂
とひとこと、大刀の刃を袖で覆って、侍はもと来た闇や黒みへ消えて行った。その跫あし音おとは水を含んだ草鞋の音だった。その後姿は丸腰だった。鞘を差していなかった。三次は這うように駕籠へ近づいた。若い駕籠屋がちょうど提灯に灯を入れ終って、辰を促うながして肩を差すところだった。駕籠の底が土を離れると、三次は猫のように音もなく二人の跡を踏んだ。
同どう朋ぼう町ちょうから金沢町、夜眼にも光る霙のなかを駕籠は御おな成りか街いど道うへさしかかった。
五
堀ほり丹たん波ばの土塀に沿うてみぞれ橋という小橋があった。そのすこし手前でまたもや駕籠が停まったところを、三次は闇や黒みに紛まぎれて追い越した。橋の上を老人らしい侍が行く。その影のように、別の侍が後から刻きざみ足に吸い寄ったと思う間に、先なる老人の頭上高く白い光りが閃めいた。が、この時、三次は夢中で長身痩躯の侍の背中に抱きついていた。
三次と老人を相手に侍はかなり暴れたけれども、橋の上だから霙で辷すべって足場が悪い。そのうちに悪運つきたか、不覚にも刀を取り落した。そこへ蜻蛉の辰が息杖を持って駈け付けて、
﹁こん畜生、さんぴん奴め!﹂
と侍を打据えにかかると、うるさくなったものか侍は大手を拡げて闘意のないことを示したが、それも一瞬、いきなり脱だっ兎とのように遁にげだした。足を狙って辰が杖を投げた。それが絡んでと倒れた。三次が飛んで行って押さえ込んだ。
老人の提灯を突きつけて頭巾を剥はいだ時、驚いたのは三次でなくて辰だった。この、袈裟がけ斬りの侍こそ、相棒の若い駕籠屋であったのである。しかも、泥だらけな法被を着た捕親が今朝の花川戸であったから、辰は、それこそ蜻蛉のように大きな眼玉をぱちくりさせて空から唾つばを呑んだ。
老人は町奉行池田播磨守手付の用人伴市太郎という人で、堀家の夜明しの碁会から独り早帰りする途中だったから、さっそく堀邸内の一間を借りて侍を入れておき、審しらべの順序だから取急ぎ吟ぎん味みよ与り力きの出張を求めた。
元治元年三月二十七日筑波山に立籠った武たけ田だこ耕うう雲んさ斎いの天てん狗ぐと党うが同年四月三日日光に向う砌みぎり、途中から脱走して江戸へ紛れ込んだのが、この袈裟がけの辻斬人水戸浪士の伊丹大之進であった。世に在るうちは国許藩中において中小姓まで勤め上げて五人扶ぶ持ちを食んでいたが、女色のことで主家を浪々して早くから江えど戸ほん本じょ所わり割げ下す水いに住んでいた。前髪が取れるか取れないに女出入で飛び出すくらいだから、この大之進性来無頼の質たちだったに相違ない。これが、御老中お声掛り武ぶし州ゅう清きよ久くの人戸崎熊太郎、当時俗に駿河台の老先生と呼ばれていた大師匠について神道無念流の奥儀をきわめたのだからたまらない。無念流は神道流の別派で正流を天心正伝神道流と言い、下しも総うさ香かと取りぐ郡ん飯いい篠しの村むらの飯いい篠しの山やま城しろ守のかみ家いえ直なお入にゅ道うど長うち威ょう斎いさいが開いたもの、﹁此この流りゅう勝負を以もっ仕てし立たつ教るお也しえなり﹂とその道の本にさえあるところを見ると、よほど攻めを急いだ実用一方の太刀筋であったらしい。自暴自棄な年若の大之進が腕ができるにしたがい人斬り病に罹かかったのも、狂きち人がいに刃物の喩たとえ、無理からぬ次第であったとも言える。人が斬りたいばかりに天狗へ走った大之進も理窟が嫌いなところからまた江戸へ舞い戻ってみると、天下は浪人の天下、攘夷の冥みょ加うが金きんを名として斬きり奪とり群ぐん盗とうが横行している始末に、大之進つくづく考えると徳川三百年の余よめ命い幾いく何ばくとも思われない。なんらかの形で近く御治世に変革があるものと観なければならないが、そうなった暁先立つものは商法の金きん子すであろう。その資金の調達には夜盗が一番捷ちか径みちだが、押込みの方は浪士が隊を組んでいるから自分は一つ単独行動に辻斬と出かけてやれ、それも盗賊改めが厳しいので、駕籠でも担いで夜の街を歩きまわり、斬る時だけ侍の服こし装らえをして疑いを浪人の群へ嫁かし、己れは下げ素すの駕籠屋になりきって行こうと思いついた。そこで四手駕籠の前棒に細工をして一貫かん子しお近うみ江のか守みの一刀を抜身のままで填はめ込み、侍支度を小さな風呂敷包にして棒根へくくりつけ、誓願寺裏へ駕籠を置きざりにしておいては蜻蛉の辰を後棒にして、侍になったり駕籠かきに返ったり、電でん光こう石せっ火かの早変り、袈裟がけの覚えの一太刀に江戸の町を荒し廻っているのだった。
前年の晩秋どこかへ用よう達たしに行った帰り、夏嚊かかあに死なれて悄しょ気げきっていた辰は途上で未知の大之進に掴まって片棒かつぐことになったのだが、名も言わず聞かず、ほとんど口もきかずに、ただ一晩駕籠を担いで歩きさえすれば客があってもなくても朝別れる時には大之進が相当の鳥ちょ目うもくを渡してくれるので、怪しいとは思いながら毎夜約束の刻限には誓願寺裏へ出かけて行った。大之進は必ず先に来て待っていた。こうしてどこの誰とも互いに識らない二人が、一つ駕籠をかついでいたのである。時々暗い個とこ所ろで駕籠を停めて前棒が闇や黒みに隠れることがあったが、酒さか代てでも強ね請だりに客を追うのだろうくらいに考えて、辰は別に気にもとめなかったというが、迂うか濶つといえばこれ以上迂濶な話はないけれど、蜻蛉の辰という人物にはありそうなことだった。が、自分でもいくらか臭いにおいを嗅いだかして、饂うど飩んを売りに出るなどと辰は世間体を誤魔化していたのである。
早耳三次が白に眼らんだとおり、甚右衛門店のお菊殺しは大之進の仕しわ業ざであった。十四日夜の四つ時、例によって二人が悪業の駕籠を肩に天王町の通りを材木町へ差しかかると、向側から来た人影が茶屋町のとある路地へ切れた。それを見ると久方ぶりに殺心むらむらと燃え立った大之進は、駕籠を捨てて追い縋り井戸端で二つに斬って水へ沈めた。その間、すこし離れたところに駕籠を守って辰が放ぼん心やり待っていたというから、こいつの眼玉は大きいだけでよくよく役に立たなかったものとみえる。ふとした悪いた戯ずら気げから辰の家とは知らずにお菊の下駄を抛り込んだり、障子に血の痕を付けて置いたりしたのが、大之進の運の尽きであった。玳瑁の櫛も三次の推量どおり、大之進が辰に与えたものであった。
お白しら洲すに出ても大之進は口を緘とざして語らなかった。
﹁この者をお咎めあるな。不浄人に力を藉して拙者を絡めたくらい、下郎は何事も存じ申さぬ。あくまでも伊丹大之進ただ一人の所存でござる。﹂
何を訊かれてもかく言うだけだった。早耳三次は家主甚右衛門ならびに茶屋町町年寄一統とともに、改めて辰のために何分のお慈悲を願い出たという。