1 父は風琴を鳴らすことが上じょ手うずであった。
音楽に対する私の記きお憶くは、この父の風琴から始まる。
私達たちは長い間、汽車に揺ゆられて退たい屈くつしていた、母は、私がバナナを食はんでいる傍で経文を誦ずしながら、泪なみだしていた。﹁あなたに身を託たくしたばかりに、私はこの様ように苦労しなければならない﹂と、あるいはそう話しかけていたのかも知れない。父は、白い風ふろ呂しき敷づ包つみの中の風琴を、時々尻しりで押おしながら、粉ばかりになった刻み煙たば草こを吸っていた。
私達は、この様な一家を挙げての遠い旅は一再ならずあった。
父は目まぶ蓋たをとじて母へ何か優やさし気げに語っていた。﹁今に見いよ﹂とでも云いっているのであろう。
蜒えん々えんとした汀なぎさを汽車は這はっている。動かない海と、屹きつ立りつした雲の景けし色きは十四歳さいの私の眼めに壁かべのように照り輝かがやいて写った。その春の海を囲んで、たくさん、日の丸の旗をかかげた町があった。目蓋をとじていた父は、朱あかい日の丸の旗を見ると、せわしく立ちあがって汽車の窓から首を出した。
﹁この町は、祭でもあるらしい、降りてみんかやのう﹂
母も経文を合がっ財さい袋ぶくろにしまいながら、立ちあがった。
﹁ほんとに、綺きれ麗いな町じゃ、まだ陽ひが高いけに、降りて弁当の代でも稼かせぎまっせ﹂
で、私達三人は、おのおのの荷物を肩かたに背負って、日の丸の旗のヒラヒラした海辺の町へ降りた。
駅の前には、白く芽立った大きな柳やなぎの木があった。柳の木の向うに、煤すすで汚よごれた旅館が二三軒げん並ならんでいた。町の上には大きい綿雲が飛んで、看板に魚の絵が多かった。
浜はま通りを歩いていると、ある一軒の魚の看板の出た家から、ヒュッ、ヒュッ、と口くち笛ぶえが流れて来た。父はその口笛を聞くと、背負った風琴を思い出したのであろうか、風呂敷包みから風琴を出して肩にかけた。父の風琴は、おそろしく古風で、大きくて、肩に掛かけられるべく、皮のベルトがついていた。
﹁まだ鳴らしなさるな﹂
母は、新しい町であったので、恥はずかしかったのであろう、ちょっと父の腕うでをつかんだ。
口笛の流れて来る家の前まで来ると、鱗うろこまびれになった若い男達が、ヒュッ、ヒュッ、と口笛に合せて魚の骨を叩たたいていた。
看板の魚は、青あお笹ざさの葉を鰓あぎとにはさんだ鯛たいであった。私達は、しばらく、その男達が面白い身ぶりでかまぼこをこさえている手つきに見とれていた。
﹁あにさん! 日の丸の旗が出ちょるが、何事ばしあるとな﹂
骨を叩く手を止めて、眼玉の赤い男がものうげに振ふり向いて口を開けた。
﹁市長さんが来たんじゃ﹂
﹁ホウ! たまげたさわぎだな﹂
私達はまた歩調をあわせて歩きだした。
浜には小さい船着場がたくさんあった。河のようにぬめぬめした海の向うには、柔やわらかい島があった。島の上には白い花を飛ばしたような木がたくさん見えた。その木の下を牛のようなものがのろのろ歩いていた。
2 ひどく爽さわやかな風景である。
私は、蓮れん根こんの穴の中に辛から子しをうんと詰つめて揚あげた天てん麩ぷ羅らを一つ買った。そうして私は、母とその島を見ながら、一つの天麩羅を分けあって食べた。
﹁はようもどんなはいよ、売れな、売れんでもええとじゃけに……﹂
母は仄ほのかな侘わびしさを感じたのか、私の手を強く握にぎりながら私を引っぱって波は止と場ばの方へ歩いて行った。
肋ろっ骨こつのように、胸に黄色い筋のついた憲兵の服を着た父が、風琴を鳴らしながら﹁オイチニイ、オイチニイ﹂と坂になった町の方へ上って行った。母は父の鳴らす風琴の音を聞くとうつむいてシュンと鼻をかんだ。私は呆ぼんやり油のついた掌てのひらを嘗なめていた。
﹁どら、鼻をこっちい、やってみい﹂
母は衿えりにかけていた手てぬ拭ぐいを小指の先きに巻いて、私の鼻の穴につっこんだ。
﹁ほら、こぎゃん、黒うなっとるが﹂
母の、手拭を巻いた小指の先きが、椎しい茸たけのように黒くなった。
町の上には小学校があった。小麦臭くさい風が流れていた。
﹁こりゃ、まあ、景色のよかとこじゃ﹂
手拭でハタハタと髷まげの上の薄うすい埃ほこりを払はらいながら、眼を細めて、母は海を見た。
私は蓮根の天麩羅を食うてしまって、雁がん木ぎの上の露ろて店んで、プチプチ章た魚この足を揚げている、揚物屋の婆ばあさんの手元を見ていた。
﹁いやしかのう、この子は……腹がばりさけても知らんぞ﹂
﹁章魚の足が食いたかなア﹂
﹁何云いなはると! お父とうさんやおッ母かさんが、こぎゃん貧びん乏ぼうしよるとが判わからんとな!﹂
遠いところで、父の風琴が風に吹ふかれている。
﹁汽車へ乗ったら、またよかもの食わしてやるけに……﹂
﹁いんにゃ、章魚が食いたか!﹂
﹁さっち、そぎゃん、困らせよっとか?﹂
母は房ふさのついた縞しまの財さい布ふを出して私の鼻の上で振って見せた。
﹁ほら、これでも得心のいかぬか!﹂
薄い母の掌に、緑の粉こを吹いた大きい弐に銭銅貨が二三枚こぼれた。
﹁白か銭ぜには無かろうが? 白かとがないと、章魚の足は買えんとぞ﹂
﹁あかか銭じゃ買えんとな?﹂
﹁この子は! さっち、あげんこツウ、お父さんや、おッ母さんが食えんでも、めんめが腹ばい肥やしたかなア﹂
﹁食いたかもの、仕様がなかじゃなっか!﹂
母はピシッと私のビンタを打った。学校帰りの子供達が、渡わたし船を待っていた。私が殴なぐられるのを見ると、子供達はドッと笑った。鼻血が咽のどへ流れて来た。私は青い海の照り返りを見ながら、塩しょっぱい涙なみだを啜すすった。
﹁どこさか行ってしまいたい﹂
﹁どこさか行く云うても、お前がとのような意地っぱりは、人が相手にせんと……﹂
﹁相手にせんちゃよか! 遠いとこさ、一人で行ってしまいたか﹂
﹁お前は、めんめさえよければ、ええとじゃけに、バナナも食うつろが、蓮根も食いよって、富ふげ限んし者ゃの子供でも、そげんな食わんぞな!﹂
﹁富限者の子供は、いつも甘う美まかもの食いよっとじゃもの、あぎゃん腐くさったバナナば、恩にきせよる……﹂
﹁この子は、嫁よめ様にもなる年とし頃ごろで、食うこツばかり云いよる﹂
﹁ぴんたば殴るけん、ほら、鼻血が出つろうが……﹂
母は合財袋の中からセルロイドの櫛くしを出して、私の髪かみをなでつけた。私の房々した髪は櫛の歯があたるたびに、パラパラ音をたてて空へ舞まい上った。
﹁わんわんして、火がつきゃ燃えつきそうな頭じゃ﹂
櫛の歯をハーモニカのように口にこすって、唾つばをつけると、母は私の額の上の捲まき毛げをなでつけて云った。
﹁お父さんが商売があってみい、何でも買こうてやるがの……﹂
3 私は背中の荷物を降ろしてもらった。
紫むらさきの風呂敷包みの中には、絵本や、水すい彩さい絵具や、運針縫ぬいがはいっていた。
﹁風琴ばかり鳴らしよるが、商いがあったとじゃろか、行ってみい!﹂
私は桟さん橋ばしを駆かけ上って、坂になった町の方へ行った。
町が狭せ隘まいせいか、犬まで大きく見える。町の屋根の上には、天幕がゆれていて、桜さくらの簪かんざしを差した娘むすめ達がゾロゾロ歩いていた。
﹁ええ――ご当地へ参りましたのは初めてでござりますが、当商会はビンツケをもって蟇がまの膏こう薬やくかなんぞのようなまやかしものはお売り致いたしませぬ。ええ――おそれおおくも、××宮様お買い上げの光栄を有しますところの、当商会の薬品は、そこにもある、ここにもあると云う風なものとは違ちがいまして……﹂
蟻ありのような人だかりの中に、父の声が非常に汗あせばんで聞えた。
漁師の女が胎たい毒どく下くだしを買った。桜の簪を差した娘が貝かい殻がらへはいった目薬を買った。荷揚げの男が打ち身の膏薬を買った。ピカピカ手ずれのした黒い鞄かばんの中から、まるで手品のように、色んな変った薬を出して、父は、輪をつくった群集の眼の前を近々と見せびらかして歩いた。
風琴は材木の上に転がっている。
子供達は、不思議な風琴の鍵キイをいじくっていた。ヴウ! ヴウ! この様に、時々風琴は、突とっ拍ぴょ子うしな音を立てて肩をゆする。すると、子供達は豆まめのように弾はじけて笑った。私は占せん領りょうされた風琴の音を聞くと、たまらなくなって、群集の足をかきわけた。
﹁ええ――子宮、血の道には、このオイチニイの薬ほど効くものはござりませぬ﹂
私は材木の上に群れた子供達を押しのけると、風琴を引き寄せて肩に掛けた。
﹁何しよっと! わしがとじゃけに……﹂
子供達は、断だん髪ぱつにしている私の男の子のような姿を見ると、
﹁散ざん剪ぎり、散剪り、男おなごやアい!﹂と囃はやしたてた。
父は古ぼけた軍人帽ぼう子しを、ちょいとなおして、振りかえって私を見た。
﹁邪じゃ魔ましよっとじゃなか! 早はよウおッ母さんのところへ、いんじょれ!﹂
父の眼が悲しげであった。
子供達は、また蠅はえのように風琴のそばに群れて白い鍵キイを押した。私は材木の上を縄なわ渡わたりのようにタッタッと走ると、どこかの町で見た曲芸の娘のような手振りで腰こしを揉もんだ。
﹁帯がとけとるどウ﹂
竹馬を肩にかついだ男の子が私を指差した。
﹁ほんま?﹂
私はほどけた帯を腹の上で結ぶと、裾すそを股またにはさんで、キュッと後にまわして見せた。
男の子は笑っていた。
白壁の並んだ肥料倉庫の広場には針のように光った干魚が山のように盛もり上げてあった。
その広場を囲んで、露店のうどん屋が鳥のように並んで、仲士達が立ったまま、つるつるとうどんを啜っていた。
露店の硝ガラ子スば箱こには、煎せん餅べいや、天麩羅がうまそうであった。私は硝子箱に凭もたれて、煎餅と天麩羅をじっと覗のぞいた。硝子箱の肌はだには霧がかかっていた。
﹁どこの子なア、そこへ凭れちゃいけんがのう!﹂
乳ちぶ房さを出した女が赤あかん坊ぼうの鼻はな汁じるを啜りながら私を叱しかった。
4 山の朱い寺の塔とうに灯がとぼった。島の背中から鰯いわ雲しぐもが湧わいて、私は唄うたをうたいながら、波止場の方へ歩いた。
桟橋には灯がついたのか、長い竿さおの先きに籠かごをつけた物売りが、白い汽船の船腹をかこんで声高く叫さけんでいた。
母は待合所の方を見上げながら、桟橋の荷物の上に凭れていた。
﹁何ばしよったと、お父さん見て来たとか?﹂
﹁うん、見て来た! 山のごツ売れよった﹂
﹁ほんまな?﹂
﹁ほんま!﹂
私の腰に、また紫の包みをくくりつけてくれながら、母の眼は嬉うれし気げであった。
﹁ぬくうなった、風がぬるぬるしよる﹂
﹁小こよ便うがしたか﹂
﹁かまうこたなか、そこへせいよ﹂
桟橋の下にはたくさん藻もや塵じん芥かいが浮ういていた。その藻や塵芥の下を潜くぐって影かげのような魚がヒラヒラ動いている。帰って来た船が鳩はとのように胸をふくらませた。その船の吃きっ水すい線せんに潮が盛り上ると、空には薄い月が出た。
﹁馬の小こよ便うのごつある﹂
﹁ほんでも、長いこと、きばっとったとじゃもの﹂
私は、あんまり長い小便にあいそをつかしながら、うんと力んで自分の股こか間んを覗いてみた。白いプクプクした小山の向うに、空と船が逆さかさに写っていた。私は首筋が痛くなるほど身を曲かがめた。白い小山の向うから霧を散らした尿いばりが、キラキラ光って桟橋をぬらしている。
﹁何しよるとじゃろ、墜おちたら知らんぞ、ほら、お父さんが戻もどって来よるが﹂
﹁ほんまか?﹂
﹁ほんまよ﹂
股間を心ここ地ちよく海風が吹いた。
﹁くたびれなはったろう?﹂
母がこう叫ぶと、父は手拭で頭をふきながら、雁木の上の方から、私達を呼んだ。
﹁うどんでも食わんか?﹂
私は母の両手を握って振った。
﹁嬉しか! お父さん、山のごつ売ったとじゃろなア…………﹂
私達三人は、露店のバンコに腰をかけて、うどんを食べた。私の丼どんぶりの中には三角の油揚が這入っていた。
﹁どうしてお父さんのも、おッ母さんのも、狐きつねがはいっとらんと?﹂
﹁やかましいか! 子供は黙だまって食うがまし……﹂
私は一片の油揚を父の丼の中へ投げ入れてニヤッと笑った。父は甘う美まそうにそれを食った。
﹁珍めずらしかとじゃろな、二三日泊とまって見たらどうかな﹂
﹁初め、癈はい兵へいじゃろう云いよったが、風琴を鳴らして、ハイカラじゃ云う者もあった﹂
﹁ほうな、勇ましか曲をひとつふたつ、聴きかしてやるとよかったに……﹂
私は、残ったうどんの汁に、湯をゆらゆらついで長いこと乳のように吸った。
町には輪のように灯がついた。市場が近いのか、頭の上に平たい桶おけを乗せた魚売りの女達が、﹁ばんより! ばんよりはいりゃんせんか﹂と呼び売りしながら通って行く。
﹁こりゃ、まあ、面白かところじゃ、汽車で見たりゃ、寺がおそろしく多かったが、漁師も多かもん、薬も売れようたい﹂
﹁ほんに、おかしか﹂
父は、白い銭をたくさん数えて母に渡した。
﹁のう……章魚の足が食いたかア﹂
﹁また、あげんこツ! お父さんな、怒おこんなさって、風琴ば海さ捨てる云いなはるばい﹂
﹁また、何、ぐずっちょるとか!﹂
父は、豆手帳の背中から鉛えん筆ぴつを抜ぬいて、薬箱の中と照し合せていた。
5 夜になると、夜桜を見る人で山の上は群った蛾がのように賑にぎわった。私達は、駅に近い線路ぎわのはたごに落ちついて、汗ばんだまま腹這っていた。
﹁こりゃもう、働きどうの多い町らしいぞ、桜を見ようとてお前、どこの町であぎゃん賑おうとったか?﹂
﹁狂人どうが、何が桜かの、たまげたものじゃ﹂
別に気も浮かぬと云った風に、風呂敷包みをときながら、母はフンと鼻で笑った。
﹁ほう、お前も立って、ここへ来てみいや、綺麗かぞ﹂
煤すすけた低い障しょ子うじを開けて、父は汚れたメリヤスのパッチをぬぎながら、私を呼んだ。
﹁寿す司しば食いとうなるけに、見とうはなか……﹂
私は立とうともしなかった。母はクックッと笑っていた。腫はれ物もののようにぶわぶわした畳たたみの上に腹這って、母から読とく本ほんを出してもらうと、私は大きい声を張りあげて、﹁ほごしょく﹂の一部を朗読し始めた。母は、私が大きい声で、すらすらと本を読む事が、自じま慢んででもあるのであろう。﹁ふん、そうかや﹂と、度々優しく返事をした。
﹁百ひゃ姓くしょうは馬ば鹿かだな、尺しゃ取くと虫りむしに土どび瓶んを引っかけるてかい?﹂
﹁尺取虫が木の枝えだのごつあるからじゃろ﹂
﹁どぎゃん虫かなア﹂
﹁田いな舎かへ行くとよくある虫じゃ﹂
﹁ふん、長いとじゃろ?﹂
﹁蚕かいこのごつある﹂
﹁お父さん、ほんまに見たとか?﹂
﹁ほんまよ﹂
汚し点みだらけな壁に童子のような私の影が黒く写った。風が吹き込こむたび、洋ラン燈プのホヤの先きが燃え上って、誰だれか﹁雨が近い﹂と云いながら町を通っている。
﹁まあ、こんな臭か部へ屋や、なんぼうにきめなはった?﹂
﹁泊るだけでよかもの、六拾銭たい﹂
﹁たまげたなア、旅はむごいものじゃ﹂
あんまり静かなので、波の音が腹に這入って来るようだ。蒲ふと団んは一組で三枚、私はいつものように、読本を持ったまま、沈だ黙まって裾へはいって横になった。
﹁おッ母さん! もう晩な、何も食わんとかい?﹂
﹁もう、何ちゃいらんとッ、蒲団にはいったら、寝ねないかんとッ﹂
﹁うどんば、食べたじゃろが? 白か銭ばたくさん持っちょって、何も買うてやらんげに思うちょるが、宿屋も払うし、薬の問とん屋やへも払うてしまえば、あの白か銭は、のうなってしまうがの、早よ寝て、早よ起きい、朝いなったら、白かまんまいっぱい食べさすッでなア﹂
座蒲団を二つに折って私の裾にさしあってはいると、父はこう云った。私は、白かまんまと云う言葉を聞くと、ポロポロと涙があふれた。
﹁背せた丈けが伸のびる頃ころちうて、あぎゃん食いたかものじゃろうかなア﹂
﹁早よウ、きまって飯が食えるようにならな、何か、よか仕事はなかじゃろか﹂
父も母も、裾に寝ている私が、泪なみだを流していると云う事は知らぬ気であった。
﹁あれも、本ばよう読みよるで、どこかきまったりゃ、学校さあげてやりたか﹂
﹁明日、もう一日売れたりゃ、ここへ坐すわってもええが……﹂
﹁ここはええところじゃ、駅へ降りた時から、気持ちが、ほんまによかった。ここは何ちうてな?﹂
﹁尾おの道みちよ、云うてみい﹂
﹁おのみち、か?﹂
﹁海も山も近い、ええところじゃ﹂
母は立って洋燈を消した。
6 この家の庭には、石ざく榴ろの木が四五本あった。その石榴の木の下に、大きい囲いの浅い井い戸どがあった。二階の縁えんの障子をあけると、その石榴の木と井戸が真下に見えた。井戸水は塩分を多分に含ふくんで、顔を洗うと、ちょっと舌が塩っぱかった。水は二階のはんど甕がめの中へ、二日分位汲くみ入れた。縁側には、七輪や、馬バケ穴ツや、ゆきひらや、鮑あわびの植うえ木きば鉢ちや、座ざし敷きは六畳じょうで、押入れもなければ床とこの間まもない。これが私達三人の落ちついた二階借りの部屋の風景である。
朝になると、借りた蒲団の上に白い風呂敷を掛けた。
階下は、五十位の夫ふう婦ふも者ので、古ぼけた俥くるまをいつも二台ほど土間に置いていた。おじさんが、俥をひっぱった姿は見た事はないが、誰かに貸すのででもあろう、時々、一台の俥が消える時がある。おばさんは毎日、石榴の木の見える縁側で、白い昆こん布ぶに辻つじ占うらを巻いて、帯を結ぶ内職をしていた。
ここの台所は、いつも落らく莫ばくとして食物らしい匂においをかいだ事がない。井戸は、囲いが浅いので、よく猫ねこや犬が墜おちた。そのたび、おばさんは、禿はげの多い鏡を上から照らして、深い井戸の中を覗いた。
﹁尾の道の町に、何か力があっとじゃろ、大おお阪さかまでも行かいでよかった﹂
﹁大阪まで行っとれば、ほんのこて今頃は苦労しよっとじゃろ﹂
この頃、父も母も、少し肥えたかのように、私の眼にうつった。
私は毎日いっぱい飯を食った。嬉しい日が続いた。
﹁腹が固うなるほど、食うちょれ、まんまさえ食うちょりゃ、心配なか﹂
﹁のう――おッ母さん! 階下のおばさんたち、飯食うちょるじゃろか?﹂
﹁どうして? 食うちょらな動けんがの﹂
﹁ほんでも、昨夜な、便所へはいっちょったら、おじさんが、おばさんに、俥も持って行かせ、俺おれはこのまま死んだ方がまし、云うてな、泣きよんなはった﹂
﹁ほうかや! あの俥も金貸しにばし、取られなはったとじゃろ﹂
﹁親類は、あっとじゃろか、飯食いなはるとこ、見たことなか﹂
﹁そぎゃんこツ云うもんじゃなかッ、階下のおじさんな、若い時船へ乗りよんなはって、機械で足ば折んなはったとオ、誰っちゃ見てくれんけん、おばさんが昆布巻きするきりで、食うて行きなはるとだい、可かわ哀いそうだろうがや﹂
﹁警察へ行っても駄だ目めかや?﹂
﹁誰もそんな事知らんと云うて、皆みな、笑いまくるぞ﹂
﹁そんでも、悪いこつすれば怒るだろう?﹂
﹁誰がや?﹂
﹁人の足折って、知らん顔しちょるもんがよオ﹂
﹁金を持っちょるけに、かなわんたい﹂
﹁階下のおじさんな、馬鹿たれか?﹂
﹁何ば云よっとか!﹂
父は風琴と弁当を持って、一日中、﹁オイチニイ オイチニイ﹂と、町を流して薬を売って歩いた。
﹁漁師町に行ってみい、オイチニイの薬が来たいうて、皆出て来るけに﹂
﹁風ふう体ていが珍しかけにな﹂
長いこと晴れた日が続いた。
山では桜の花が散って、いっせいに四あた囲りが青ばんで来た。
遠くで初はつ蛙がえるも啼ないた。白い除じょ虫ちゅ菊うぎくの花も咲さいた。
7 ﹁学校へ行かんか?﹂
ある日、山の茶園で、薔ば薇らの花を折って来て石榴の根元に植えていたら、商売から帰った父が、井いど戸ば端たで顔を洗いながら、私にこう云った。
﹁学校か? 十三にもなって、五年生にはいるものはなかもの、行かぬ﹂
﹁学校へ行っとりゃ、ええことがあるに﹂
﹁六年生に入れてくれるかな?﹂
﹁沈だ黙まっとりゃ、六年生でも入れようたい、よう読めるとじゃもの……﹂
﹁そんでも、算術はむずかしかろな?﹂
﹁ま、勉強せい、明日は連れて行ってやる﹂
学校に行けることは、不安なようで嬉しい事であった。その晩、胸がドキドキして、私は子供らしく、いつまでも瞼まぶたの裏に浮んで来る白い数字を数えていた。
十二時頃ででもあったであろうか、ウトウトしかけていると、裏の井戸で、重おも石しか何か墜ちたように凄すさまじい水音がした。犬も猫も、井戸が深いので今までは墜ちこんでも嘗めるような水音しかしないのに、それは、聞き馴なれない大きい水音であった。
﹁おッ母さん! 何じゃろか?﹂
﹁起きとったか、何じゃろかのう……﹂
そう話しあっている時、また水をはねて、何か悲しげな叫び声があがった。階下のおじさんが、わめきながら座敷を這っている。
﹁あんた! 起きまっせ! 井戸ん中へ誰か墜ちたらしかッ﹂
﹁誰が?﹂
﹁起きて、早よう行ってくれまっせ、おばさんかも判らんけに……﹂
私は体がガタガタ震ふるえて、もう、ものが云えなかった。
﹁どぎゃんしたとじゃろか?﹂
﹁お前も一いっ緒しょに来いや、こまい者は寝とらんかッ!﹂
父は呶ど鳴なりながら梯はし子ごだ段んを破るようにドンドン降りて行った。
私一人になると、周囲から空気が圧して来た。私はたまらなくなって、雨戸を開き、障子を開けた。
石榴の葉が、ツンツン豆の葉のように光って、山の上に盆ぼんのような朱い月が出ている。肌の上を何かついと走った。
﹁どぎゃん、したかアい!﹂
思わず私は声をあげて下へ叫んでみた。
母が、鏡と洋燈を持っているのが見えた。
﹁ハイ! この縄を一いっ生しょ懸うけ命んめい握っとんなはい﹂
父はこうわめきながら、縄の先を、真まん中なかの石榴の幹へ結んでいた。
﹁いま、うちで、はいりますにな、辛しん抱ぼうして、縄へさばっといて下さいや﹂
おろおろした母の声も聞えた。
﹁まさこ! 降りてこいよッ﹂
父は覗いている私を見上げて呶鳴った。私は寒いので、父の、黄色い筋のはいった服を背中にひっかけると、転げるように井戸端へ降りて行った。縁側ではおじさんが﹁うはははははうはははははは﹂と、泡あわを食ったような声で呶鳴っていた。
﹁ええ子じゃけに、医者へ走って行け、おとなしう云うて来るんぞ﹂
石畳の上は、淡あわい燈のあかりでぬるぬる光っていた。温い夜風が、皆の裾を吹いて行く。井戸の中には、幾いく本ほんも縄がさがって﹁ううん、ううん﹂唸うなり声が湧いていた。
﹁早よう行って来ぬか! 何しよっとか?﹂
私は、見当もつかない夜よ更ふけの町へ出た。波と風の音がして、町中、腥なまぐさい臭においが流れていた。小しょ満うまんの季節らしく、三しゃ味みせ線んの音のようなものが遠くから聞えて来る。
いつから、手を通していたのであろうか、首のところで、釦ボタンをとめて、私は父の道どう化けた憲兵の服を着ていた。そのためだろうか、街角の医者の家を叩くと、俥しゃ夫ふは寝ね呆ぼけて私がいまだかつて、聞いた事がないほどな丁てい寧ねいな物言いで、いんぎんに小腰を曲めた。
﹁よろしうござりますとも、一時でありましょうとも、二時でありましょうとも、医者の役目でござります故、私さえ走るならば、先生も起きましょうし、じき、上りまするでござります﹂
8 井戸へ墜ちたおばさんは、片手にびしょびしょの風呂敷包みを抱だいて上って来た。その黒い風呂敷包みの中には繻しゅ子すの鯨くじ帯らおびと、おじさんが船乗り時代に買ったという、ラッコの毛皮の帽子がはいっていた。おばさんは、夜更けを待って、裏口から質屋へ行く途とち中ゅうででもあったのであろう。おばさんの帯の間から質屋の通いがおちた。母は﹁このひとも苦労しなはる﹂と、思ったのか、その通いを、医者の見ぬように隠かくした。
﹁あぶないところであった﹂
﹁よかりましょうか?﹂
﹁打身をしとらぬから、血の道さえおこらねば、このままでよろしかろ﹂
一度は食べてみたいと思ったおばさんの、内職の昆布が、部屋の隅に散乱していた。五ツ六ツ私は口に入れた。山さん椒しょうがヒリッと舌をさした。
﹁生きてあがったとじゃから、井戸浚さらえもせんでよかろ﹂
朝、その水で私達は口をガラガラ嗽すすいだ。井戸の中には、おばさんの下げ駄たが浮いていた。私は禿はげた鏡を借りて来て、井戸の中を照らしながら、下駄を笊ざるで引きあげた。母は、石囲いの四ツ角に、小さい盛もり塩じおをして﹁オンバラジャア、ユウセイソワカ﹂と掌を合しておがんだ。
曇くもり日で、雨らしい風が吹いている。
父は、着物の上から、下のおじさんの汚れた小こく倉らの袴はかまをはいて、私を連れて、山の小学校へ行った。
小学校へ行く途中、神武天皇を祭った神社があった。その神社の裏に陸橋があって、下を汽車が走っていた。
﹁これへ乗って行きゃア、東京まで、沈だ黙まっちょっても行けるんぞ﹂
﹁東京から、先の方は行けんか?﹂
﹁夷えびすの住んどるけに、女子供は行けぬ﹂
﹁東京から先は海か?﹂
﹁ハテ、お父さんも行ったこたなかよ﹂
随ずい分ぶん、石段の多い学校であった。父は石段の途中で何度も休んだ。学校の庭は沙さば漠くのように広かった。四よす隅みに花かだ壇んがあって、ゆすらうめ、鉄てっ線せん蓮れん、おんじ、薊あざみ、ルピナス、躑つつ躅じ、いちはつ、などのようなものが植えてあった。
校舎の上には、山の背が見えた。振り返ると、海が霞かすんで、近くに島がいくつも見えた。
﹁待っとれや﹂
父は、袴の結び紐ひもの上に手を組んで、教員室の白い門の中へはいって行った。――よっぽど柳には性のあった土地と見えて、この庭の真中にも、柔かい芽を出した大きい、柳の木が一本、羊のようにフラフラ背を揺ゆすっていた。
廻かい旋せん木ぼくにさわってみたり、遊動円木に乗ってみたり、私は新しい学校の匂いをかいだ。だが、なぜか、うっとうしい気持ちがしていた。このまま走って、石段を駈かけ降りようかと、学校の門の外へ出たが、父が、﹁ヨオイ!﹂と私を呼んだので、私は水から上った鳥のように身震いして教員室の門をくぐった。
教員室には、二列になって、カナリヤの巣すのような小さい本箱が並んでいた。真中に火鉢があった。そこに、父と校長が並んでいた。父は、私の顔を見ると、いんぎんにおじぎをした。だから、私も、おじぎをしなければならないのだろうと、丁寧に最敬礼をした。校長は満足気であった。
﹁教室へ連れて行きましょう﹂
﹁ほんなら、私はこれで失礼いたします。何ともハヤ、よろしくお願い申し上げます﹂
父が門から去ると私は悲しくなった。校長は背の高い人であった。私はどこかの学校で覚えた、﹁七尺下さがって師の影を踏ふまず﹂と、云う言葉を思い出したので、遠くの方から、校長の後へついて行った。
﹁道草食わずと、早よウ歩かんか!﹂
校長は振り返って私を叱った。窓の外のポンプ井戸の水みず溜たまりで、何かカロカロ……鳴いていた。
雨戸のような歪ゆがんだ扉とびらを開けると、ワアンと子供達の息が私にかかった。︵女子六年 イ組︶と、黒板の上に札ふだが下っていた。私は五年を半分飛ばして六年にあがる事が出来た。ちょっと不安であった。
9 長い間雨が続いた。
私はだんだん学校へ行く事が厭いやになった。学校に馴れると、子供達は、寄ってたかって私の事を﹁オイチニイの新馬鹿大将の娘じゃ﹂と、云った。
私はチャップリンの新馬鹿大将と、父の姿とは、似つかないものだと思っていた。それ故、私は、いつか、父にその話をしようと思ったが、父は長い雨で腐り切っていた。
黄色い粟あわ飯めしが続いた。私は飯を食べるごとに、厩うまやを聯れん想そうしなければならなかった。私は学校では、弁当を食べなかった。弁当の時間は唱歌室にはいってオルガンを鳴らした。私は、父の風琴の譜ふで、オルガンを上手に弾ひいた。
私は、言葉が乱暴なので、よく先生に叱られた。先生は、三十を過ぎた太った女のひとであった。いつも前髪の大きい庇ひさしから、雑ぞう巾きんのような毛けた束ばを覗かしていた。
﹁東京語をつかわねばなりませんよ﹂
それで、みんな、﹁うちはね﹂と云う美しい言葉を使い出した。
私は、それを時々失念して、﹁わしはね﹂と、云っては皆に嘲ちょ笑うしょうされた。学校へ行くと、見た事もない美しい花と、石版絵がたくさん見られて楽しみであったが、大勢の子供達は、いつまでたっても、私に対して、﹁新馬鹿大将﹂を止やめなかった。
﹁もう学校さ行きとうはなか?﹂
﹁小学校だきゃ出とらんな、おッ母さんば見てみい、本も読めんけん、いつもかつも、眠ねむっとろうがや﹂
﹁ほんでも、うるそうして……﹂
﹁何がうるさかと?﹂
﹁云わん!﹂
﹁云わんか?﹂
﹁云いとうはなか!﹂
刀で剪きりたくなるほど、雨が毎日毎日続いた。階下のおばさんは、毎日昆布の中に辻占と山椒を入れて帯を結んでいた。もう、黄いろいご飯も途絶え勝ちになった。母は、階下のおばさんに荷札に針金を通す仕事を探してもらった。父と母と競争すると母の方が針金を通すのは上手であった。
私は学校へ行くふりをして学校の裏の山へ行った。ネルの着物を通して山肌がくんくん匂っている。雨が降って来ると、風呂敷で頭をおおうて、松まつの幹に凭れて遊んだ。
天気のいい日であった。山へ登って、萩はぎの株の蔭かげへ寝ころんでいたら、体操の先生のように髪を長くした男が、お梅うめさんと云う米屋の娘と遊んでいた。恥はずかしい事だと思ったのか私は山を降りた。真しん珠じゅ色いろに光った海の色が、チカチカ眼をさした。
父と母が、﹁大阪の方へ行ってみるか﹂と云う風な事をよく話しだした。私は、大阪の方へ行きたくないと思った。いつの間にか、父の憲兵服も無くなっていた。だから風琴がなくなった時の事を考えると、私は胸に塩が埋うまったようで悲しかった。
﹁俥でも引っぱってみるか?﹂
父が、腐り切ってこう云った。その頃、私は好きな男の子があったので、なんぼうにもそれは恥ずかしい事であった。その好きな男の子は、魚屋のせがれであった。いつか、その魚屋の前を通っていたら、知りもしないのに、その子は私に呼びかけた。
﹁魚が、こぎゃん、えっと、えっと、釣つれたんどう、一尾びやろうか、何がええんな﹂
﹁ちぬご﹂
﹁ちぬごか、あぎゃんもんがええんか﹂
家の中は誰もいなかった。男の子は鼻水をずるずる啜りながら、ちぬごを新聞で包んでくれた。ちぬごは、まだぴちぴちして鱗が銀色に光っていた。
﹁何枚着とるんな﹂
﹁着物か?﹂
﹁うん﹂
﹁ぬくいけん何枚も着とらん﹂
﹁どら、衿を数えてみてやろ﹂
男の子は、腥い手で私の衿を数えた。数え終ると、皮かわ剥はぎと云う魚を指差して、﹁これも、えっとやろか﹂と云った。
﹁魚、わしゃ、何でも好きじゃんで﹂
﹁魚屋はええど、魚ばア食える﹂
男の子は、いつか、自分の家の船で釣りに連れて行ってやると云った。私は胸に血がこみあげて来るように息苦しさを感じた。
学校へ翌あくる日行ってみたら、その子は五年生の組長であった。
10 誰の紹しょ介うかいであったか、父は、どれでも一ひと瓶びん拾銭の化けし粧ょう水すいを仕入れて来た。青い瓶もあった。紅あかい瓶も、黄いろい瓶も、みな美しい姿をしていた。模様には、ライラックの花がついて、きつく振ると、瓶の底から、うどん粉のような雲があがった。
﹁まあ、美しか!﹂
﹁拾銭じゃ云うたら、娘達や買いたかろ﹂
﹁わしでも買いたか﹂
﹁生意気なこと云いよる﹂
父はこの化粧水を売るについて、この様な唄をどこからか習って来た。
一瓶つければ桜色
二瓶つければ雪の肌
諸君! 買いたまえ
買わなきゃ炭団 となるばかし。
二瓶つければ雪の肌
諸君! 買いたまえ
買わなきゃ
父は、この節に合せて、風琴を鳴らす事に、五日もかかってしまった。
﹁早よう売らな腐る云いよった﹂
﹁そぎゃん、ひどかもん売ってもよかろか?﹂
﹁ハテ、良かろか、悪かろか、食えんもな、仕様がなかじゃなッか﹂
尾の道の町はずれに吉よし和わと云う村があった。帆はん布ぷ工場もあって、女工や、漁師の女達がたくさんいた。父はよくそこへ出掛けて行った。
私は、こういうハイカラな商売は好きだと思った。私は、赤い瓶を一ツ盗ぬすんで、はんど甕の横に隠しておいた。
﹁時勢が進むと、安うて、ハイカラなものが出来るもんかなア﹂
町中﹁一瓶つければ桜色﹂の唄が流は行やった。化粧水は、持って出るたび、よく売れて行った。
その頃、籠の中へ、牛肉を入れて売って歩く婆さんが来た。もうけがあるのであろう、母は気前よく、よくそれを買った。蒟こん蒻にゃくを入れると、血のような色になって、﹁犬の肉ででもあっとじゃろ﹂と、三人とも安いのでよく、その赤い肉を食った。
﹁やっぱし、犬の肉でやんすで﹂
階下のおばさんは、買った肉を犬にくれたら、やっぱし食わなかったと、それが犬の肉である事を保証した。
雨がカラリと霽はれた日が来た。ある日、山の学校から帰って来ると、母が、息を詰めて泣いていた。
﹁どぎゃん、したと?﹂
﹁お父さんが、のう……警察い行きなはった﹂
私は、この時の悲しみを、一生忘れないだろう。通あけ草びのように瞼が重くなった。
﹁おッ母さんな、警察い、ちょっと行って来ッで、ええ子して待っとれ﹂
﹁わしも行く。――わしも云うたい、お父さん帰るごと﹂
﹁子供が行ったっちゃ、おごらるるばかり、待っとれ!﹂
﹁うんにゃ! うんにゃ! 一人じゃ淋さびしか!﹂
﹁ビンタばやろかいッ!﹂
母が出て行った後、私は、オイオイ泣いた。階下のおばさんが、這い上って来て、一緒に傍に横になってくれても、私は声をあげて泣いた。
﹁お父さんが云わしたばい、あア、おばっさん! 戦争の時、鑵かん詰づめに石ぶち込んで、成金さなったものもあるとじゃもの、俺がとは砂すな粒つぶよか、こまかいことじゃ云うて……﹂
﹁泣きなはんな、お父さんは、ちっとも悪うはなかりゃん、あれは製造する者が悪いんじゃけのう﹂
﹁どぎゃんしても俺や泣く! 飯ば食えんじゃなっか!﹂
私は、夕方町の中の警察へ走って行った。
唐から草くさ模様のついた鉄の扉に凭れて、父と母が出て来るのを待った。﹁オンバラジャア、ユウセイソワカ﹂私は、鉄の棒を握って、何となく空に祈いのった。
淋しくなった。
裏側の水上署でカラカラ鈴すずの鳴る音が聞える。
私は裏側へ廻まわって、水色のペンキ塗ぬりの歪んだ窓へよじ登って下を覗いてみた。
電気が煌こう々こうとついていた。部屋の隅に母が鼠ねずみよりも小さく私の眼に写った。父が、その母の前で、巡じゅ査んさにぴしぴしビンタを殴られていた。
﹁さあ、唄うてみんか!﹂
父は、奇きみ妙ょうな声で、風琴を鳴らしながら、
﹁二瓶つければ雪の肌﹂と、唄をうたった。
﹁もっと大きな声で唄わんかッ!﹂
﹁ハッハッ……うどん粉つけて、雪の肌いなりゃア、安かものじゃ﹂
悲しさがこみあげて来た。父は闇やみ雲くもに、巡査に、ビンタをぶたれていた。
﹁馬鹿たれ! 馬鹿たれ!﹂
私は猿さるのように声をあげると、海岸の方へ走って行った。
﹁まさこヨイ!﹂と呼ぶ、母の声を聞いたが、私の耳底には、いつまでも何か遠く、歯車のようなものがギリギリ鳴っていた。
︵昭和六年四月︶