千葉海岸の詩
原民喜
我れ生存に行き暮れて
足どり鈍くたたずめど
満ち足らひたる人のごと
海を眺めて語るなり
あはれそのかみののぞき眼鏡に
東京の海のあさき色を
今千(こ)葉(こ)に来て憶ひ出すかと
幼き日の記憶熱をもて妻に語りぬ
ここに来て空気のにほひを感じる
うつとりと時間をかへりみるのだ
ひなげしの花は咲き
麦の穂に潮風が吹く
青空に照りかがやく樹がある
かがやく緑に心かがやく
海の近いしるしには
空がとろりと潤んでゐる
広い眺めは横につらなる
新しい眺めは茫としてゐる
遠浅の海は遠くて
黒ずんだ砂地ばかりだ
暗い海には三日月が出てゐる
暗い海にはほの明りがある
茫として微かではあるが
あのあたりが東京らしい
外に出てみると月がある
そこで海へ行つてみた
舟をやとつて乗出した
やがて暫くして帰つた
夜の海の霧は
海と空をかくし
眼の前に闇がたれさがる
闇が波音をたてて迫る
日は丘にあるが
海はまだ明けやらぬ
潮の退いた海にむかつて
人影は一つ進んで行く
底本‥﹁原民喜全詩集﹂岩波文庫、岩波書店
2015︵平成27︶年7月16日第1刷発行
底本の親本‥﹁定本原民喜全集
﹂青土社
1978︵昭和53︶年11月30日発行
入力‥村並秀昭
校正‥竹井真
2022年2月25日作成
青空文庫作成ファイル‥
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