支那人間に於ける食人肉の風習

桑原隲藏






 西西 Coed※(グレーブアクセント付きE小文字)s Textes d'Auteurs Grecs et Latins relatifs ※(グレーブアクセント付きA小文字)L'Extr※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)me-Orient  Ferrand  Relations de Voyages et Textes g※(アキュートアクセント付きE小文字)ographiques Arabes, Persans et Turks relatifs a L'Extr※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)me-Orient 
  Solayman Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd 
 Solayman 貿西Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd S※(サーカムフレックスアクセント付きI小文字)r※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字)fS※(サーカムフレックスアクセント付きI小文字)r※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字)f貿貿西西
 Reinaud Relation des Voyages etc. Tome I, pp. iii-vi※(二の字点、1-2-22)
 (一) 西 Renaudot  Anciennes Relations de l'Inde et de la Chine de deux Voyageurs Mahometans qui y all※(グレーブアクセント付きE小文字)rent dans le IXi※(グレーブアクセント付きE小文字)meie`mesi※(アキュートアクセント付きE小文字)cle Renaudot 西 Renaudot 使
稿 Renaudot ※(二の字点、1-2-22) Renaudot 
 (二) 西 Reinaud Relation des Voyages faits par les Arabes et les Persans dans l'Inde et ※(グレーブアクセント付きA小文字)la Chine dans le IXesi※(グレーブアクセント付きE小文字)cle de l'※(グレーブアクセント付きE小文字)re chr※(グレーブアクセント付きE小文字)tienne Reinaud 貿
 (三) 西 Ferrand Les Classiques de l'Orient Voyage du Marchand Arabe Solayman en Inde et en Chine r※(アキュートアクセント付きE小文字)dig※(アキュートアクセント付きE小文字) en 851  Renaudot  Reinaud  Solayman Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd 
Renaudot  Reinaud 
 
 1 
 2 
 3 
 4 

 沿
 Renaudot, Reinaud, Ferrand  Reinaud 



 ※(ローマ数字I、1-13-21) gouverneurReinaud; Tome I, pp. 52-53. Ferrand; p. 67
 Renaudot 
p. 25

 ※(ローマ数字II、1-13-22) g※(アキュートアクセント付きE小文字)n※(アキュートアクセント付きE小文字)reuxsouverain march※(アキュートアクセント付きE小文字)sRenaudot; pp. 34-35. Reinaud; Tome I, pp. 67-68.Ferrand; p. 78
 Renaudot la loi chinoisethe laws of their religion
 Ferrand 
支那はキスラー(Kisr※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字))の時、アレキサンダーがダリウス大王を殺さしめて、ペルシアをその將軍達の間に分つた時に、ペルシアが陷つたと同樣の状態となつた。支那の(各)地方の行政權を簒つた叛徒達(rebelles)(即ち獨立せる地方都督達)は、國王の許可も命令もなしに、(勝手に)彼等の目的を貫徹すべく、相互に助け合つた。彼等の一人がより強大となつて、より劣勢の者を打ち倒すと、征服者(Vainqueur)はその國を奪ひ、すべてを荒し、その住民のすべてを食ひ盡くした。

 ※(ローマ数字III、1-13-23) voleursmeurtriersRenaudot; pp. 35-36. Reinaud; Tome I, pp. 69-70. Ferrand; pp. 79-80
 Ferrand 
assassins

  Cannibalism  Reinaud Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) ZaydRelation des Voyages. Tome II, pp. 41-42. Note 139 Reinaud Solayman Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd 



  Cannibalism  Cannibalism ※(「月+昔」、第3水準1-90-47)※(「月+昔」、第3水準1-90-47)※(「くさかんむり/坐」、第4水準2-86-26)調()西()()()
西

※(「さんずい+緡のつくり」、第4水準2-78-93)
 
桓公好味。易牙蒸其首子而進之(二柄篇)。
といひ、又、

調
 滿※(「月+繰のつくり」、第3水準1-90-53)


 

使Cannibalism 
 西
敝邑易子而食。析骸而爨(宣公十五年)。
といひ、『列子』の説符篇に同一事を記して、


 

使Cannibalism 
※(「にんべん+果」、第3水準1-14-32)U+6287163-7※(「齒+乞」、第4水準2-94-76)



  Cannibalism 



 Cannibalism ※(「木+否」、第4水準2-14-71)※(「彳+編のつくり」の「戸」に代えて「戸の旧字」、第3水準1-84-34)
 

年代 「記事」(出典)
西 
高祖二年(前二〇五)六月 「{關中大飢。米斛萬錢。人相食。令民就食蜀漢。}」(『前漢書』高祖本紀)
 
 
武帝{鼎元三年(前一一四)四月} 「關東郡國十餘飢。人相食。」(『前漢書』武帝本紀)
元帝初元元年(前四八)九月 「關東郡國十一。大水。飢。或人相食。轉旁郡錢穀。以相救。」(『前漢書』元帝本紀)
 
 
王莽天鳳元年(一四) 「縁邊大饑。人相食。」(『前漢書』王莽傳)
王莽地皇三年(二二)二月 「關東人相食。」(同右)
 ※(「各+隹」、第3水準1-93-65)
 
 
 
 ※(「口+敢」、第3水準1-15-19)
同三年(一〇九)十二月 「并涼二州大饑。人相食。」(同右)
桓帝元嘉元年(一五一)四月 「任城梁國饑。民相食。」(『後漢書』桓帝本紀)
桓帝永壽元年(一五五)二月 「司隷冀州饑。人相食。」(同右)
靈帝建寧三年(一七〇)正月 「河内人婦食夫。河南人夫食婦。」(『後漢書』靈帝本紀)
 

 

 Cannibalism  Cannibalism 沿※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)
 
※(「口+敢」、第3水準1-15-19)
これが當時の記載である。
 『資治通鑑』貞觀十七年(西暦六四三)の條に、太宗がその猛將丘行恭が逆臣の心肝を食したことを責めて、
U+9120166-15
※(「瑁のつくり+力」、第3水準1-14-70) Solayman ※(ローマ数字I、1-13-21)
  Cannibalism 
※(「磬」の「石」に代えて「缶」、第4水準2-84-70)※(「口+敢」、第3水準1-15-19)
 ※(「口+敢」、第3水準1-15-19)※(「口+敢」、第3水準1-15-19)



 Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd 

年代 「記事」
1 
2 
3 
4 
5 滿
6 
7 
8 
9 
10 
(11))昭宗乾寧元年(八九四)五月 「王建攻彭州。城中人相食。」
12 U+518E169-16U+506B169-17※(「彑/(「比」の間に「矢」)」、第3水準1-84-28)
13 ※(「さんずい+卞」、第3水準1-86-52)
14 ※(「亠/兌」、第3水準1-14-50)
15 U+518E170-3※(「口+敢」、第3水準1-15-19)
16 ※(「口+敢」、第3水準1-15-19)

17 ※(「睹のつくり/栩のつくり」、第4水準2-84-93)

 上の(2)に紹介した黄巣の賊徒の狼藉は、『舊唐書』卷二百下の黄巣傳に、今少しく詳細に、

()()
 西使

 この間揚州の住民は、文字通りに塗炭の苦を受け、魚肉の厄に罹つた。『五代史記』に上の(5)に紹介した同一事實を記して、
U+5232171-3

 貿稿貿Reinaud; Relation des Voyages. Tome I, pp. 63-68. Ma※(セディラ付きC小文字)oudi; Les Prairies d'Or. Tome II, pp. 302-306Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd ※(ローマ数字II、1-13-22)使※(「口+敢」、第3水準1-15-19)※(「口+敢」、第3水準1-15-19)236910Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd ※(「口+敢」、第3水準1-15-19)西※(「口+敢」、第3水準1-15-19)


 ※(二の字点、1-2-22)使退
西使U+69E5172-8※(「木+續のつくり」、第4水準2-15-72)
 Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd 



  Cannibalism Cannibalism  Cannibalism 
 ※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)U+38A7173-7
西西※(「月+昔」、第3水準1-90-47)西()()
 
 ※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)
使※(「赭のつくり/火」、第3水準1-87-52)U+5232174-5※(「宛+りっとう」、第4水準2-3-26)
 ※(「赭のつくり/火」、第3水準1-87-52)
 ※(「さんずい+制」、第3水準1-86-84)
※(「りっしんべん+宛」、第3水準1-84-51)
 U+5A28174-14※(二の字点、1-2-22)※(「族/鳥」、第4水準2-94-39)※(「さんずい+制」、第3水準1-86-84)※(「さんずい+制」、第3水準1-86-84)※(二の字点、1-2-22)
 ※(「さんずい+眞」、第3水準1-87-1)

西西宿滿綿




  Bazin Chine Moderne. pp. 460, 461 Cannibalism 
 
()()()
西


 
西
『演義三國志』第十九囘に、劉備が呂布の爲に小沛を陷られて、敗走の途中、獵戸の劉安の家に宿せし時、劉安は劉備にその妻の肉を進めたことを記して、
()()宿

 
()()()()()()()※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)U+526E177-10()()()()椿()()U+7D81177-11U+819B177-11

()()()()()()()U+7F93177-14
とある。第二十六囘には張青夫婦が行人を殺害して、その肉にて肉饅頭を作つて販賣することを記して、
()()()()()()()()
といひ、その人肉料理場の有樣を描きて、
便()U+7DB3178-1()()()※(「登/几」、第4水準2-3-19)
といふ。第三十五囘に掲陽嶺の酒店裏で、宋江一行が、
()()
と取沙汰して居る。その第四十二囘に李逵が李鬼を殺害して、その肉を肴に食事する光景を描いて、
便便




 ※(「糸+乞」、第3水準1-89-89)()()滿※(「瑁のつくり+力」、第3水準1-14-70)滿※(「瑁のつくり+力」、第3水準1-14-70)※(「口+敢」、第3水準1-15-19)
 (一)
  Hosie  Journal of China Branch of Royal Asiatic Society N.S. XII  Droughts in China from A.D. 620 to 1643 便
  Solayman Reinaud; Relation des Voyages. Tome I, p. 39西※(「立+肱のつくり」、第4水準2-83-25)※(「立+肱のつくり」、第4水準2-83-25)
西西
西※(「くさかんむり/孚」、第3水準1-90-90)
 西西Rockhill; Inquiry into the Population of China.Smithsonian Miscellaneous Collections, Vol. 47, Part 3pp. 313, 316西Williams; Middle Kingdom. Vol. II, p. 736
  Hosie  Cannibalism Cannibalism  Cannibalism ※(二の字点、1-2-22)
西
西U+5232181-10槿U+6BA3181-10※(「やまいだれ+(夾/土)」、第3水準1-88-54)U+80D4181-10U+6424181-11
西※(「日+甫」、第3水準1-85-29)
 清の紀※(「日+(勹<二)」、第3水準1-85-12)の『閲微草堂筆記五種』所收の『如是我聞』卷二に、明末饑饉の際に起つた、人肉發賣に關する左の悲慘事を載せてある。
U+7DB3181-17※(「弗+色」、第3水準1-90-60)※(「縢」の「糸」に代えて「女」、第4水準2-5-71)
  Cannibalism U+8289182-5U+8289182-6U+8289182-6U+8289182-6U+8289182-8



 (二)
 
 ※(「目+隹」、第3水準1-88-87)
※(「目+隹」、第3水準1-88-87)
 
 571112131416

と記し、『五代史記』卷五十三の趙思綰傳には、


 ※(「さんずい+卞」、第3水準1-86-52)
U+526E184-6U+5304184-7U+97C2184-8※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)
 ※(「ころもへん+睹のつくり」、第3水準1-91-82)西
※(「丕+おおざと」、第3水準1-92-64)使※(「韋+華」、第4水準2-92-16)U+97C2184-13西※(「ころもへん+睹のつくり」、第3水準1-91-82)

 ※(「さんずい+卞」、第3水準1-86-52)殿U+58C2185-1西

と記して居る。清初に出た大梁(開封)の人周在浚の『大梁守城記』には、同一事を一層詳細に傳へて、
U+6387185-13※(「火+喋のつくり」、第3水準1-87-56)U+80D4185-13滿U+6387185-14
 Roderic de FigueredoCordier; Histoire g※(アキュートアクセント付きE小文字)n※(アキュートアクセント付きE小文字)rale de la Chine. Tome III, p. 84Martin Martini※(「さんずい+卞」、第3水準1-86-52)
()Bellum TartaricumSemedo; History of Chinap. 270
 比較的近代の事實としては、阿片戰爭の時(西暦一八四一)廣東でも人肉を食せし事あり(Chinese Repository Vol. X)、同治年間に起つた囘教徒の叛亂中にも往々 Cannibalism が現はれた。同治五六年(西暦一八六六―一八六七)の間に、巴里坤城内在住の漢民は、囘匪に糧道を斷たれた結果、遂に人肉を食用して居る(清の魏光※(「壽/れんが」、第3水準1-87-65)の『戡定新疆記』卷一)。その約二年前の同治三四年(西暦一八六四―一八六五)の頃に、カシュガル城が重圍の裡に陷つた時、城中の支那人及び之に味方したトルコ人等は、糧食に竭きて人肉を食した。
最後に彼等は五人又は六人づつ組を作り、蚤取り眼で餌食を搜がし歩く。單獨なる行人に出會ふと、彼等はこの不幸なる犧牲者を物蔭に引き込みて殺害し、その骨立せる躯體に僅に殘れる肉を、各自に分配した(Visits to High Tartary, Yarkand and Kashgar. p. 48)。
  Shaw 西Wilson; The Ever-Victorious Army. p. 79



 (三)
 
()U+7330187-10U+3E84187-10
と傳へて居る。隨分驚くべき話ではないか。
 唐の張※(「族/鳥」、第4水準2-94-39)の『朝野僉載』に、薛震が人肉を愛用せし事を記して、

使退
※(「月+操のつくり」、第3水準1-90-53)()

 ※(「さんずい+豊」、第3水準1-87-20)
※(「さんずい+豊」、第3水準1-87-20)使
とある。併し『三國志』には一切かかる記事が載せてない。北宋の路振の『九國志』(『粤雅堂叢書』本)卷二に、高※(「さんずい+豊」、第3水準1-87-20)を傳して、
※(「さんずい+豊」、第3水準1-87-20)
使※(「さんずい+豊」、第3水準1-87-20)使


 ※(「火+喜」、第3水準1-87-63)
※(「日+甫」、第3水準1-85-29)U+7330189-9U+3E84189-9U+734D189-9
()()
 Marco PoloYule and Cordier; Vol. II, p. 225Excellent Yule  Cannibalism 



 (四)※(「口+敢」、第3水準1-15-19)
 使※(「口+敢」、第3水準1-15-19)※(「口+敢」、第3水準1-15-19)※(「口+敢」、第3水準1-15-19)
 

と載せてある。梁の賊臣侯景、及びその參謀の王偉が、後に失敗して殺戮された時、市民百姓等は競うてその肉を※(「口+敢」、第3水準1-15-19)食した。前者に就いては『南史』卷八十に、
※(「さんずい+栗」、第4水準2-79-2)※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)
と記してある。※(「さんずい+栗」、第4水準2-79-2)陽公主は梁の武帝の孫女であるが、侯景の婦となつたから、衆怒に觸れて食肉されたものと想ふ。
 王偉に就いては、『梁書』卷五十六に、


 ※(「口+敢」、第3水準1-15-19)※(「口+敢」、第3水準1-15-19)西※(「广+諛のつくり」、第3水準1-84-13)※(「广+諛のつくり」、第3水準1-84-13)※(「口+敢」、第3水準1-15-19)※(「禾+爾」、第4水準2-83-10)

 
※(「口+敢」、第3水準1-15-19)※(「足へん+搨のつくり」、第4水準2-89-44)
※(「口+敢」、第3水準1-15-19)※(「門<虫」、第3水準1-93-49)※(「門<虫」、第3水準1-93-49)※(「門<虫」、第3水準1-93-49)※(「門<虫」、第3水準1-93-49)
 


 ※(「口+敢」、第3水準1-15-19)姿 Solayman ※(ローマ数字I、1-13-21)Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd ※(ローマ数字III、1-13-23)Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd 
U+59CA192-14
Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd voleur


 Marco Polo 
Yule and Cordier; Marco Polo. vol. I, p. 301
Solayman ※(ローマ数字I、1-13-21)Marco Polo  Solayman 
 


滿西※(「言+焦」、第3水準1-92-19)※(「王+據のつくり」、第3水準1-88-32)西※(「王+炎」、第3水準1-88-13)※(「棊」の「木」に代えて「糸」、第3水準1-90-9)※(「口+敢」、第3水準1-15-19) Groot The Religious System of China. Vol. IV, pp. 373-374
 西Ball; Things Chinese. p. 128
()※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)()

  Cannibalism 

 
 
 ※(「赤+おおざと」、第3水準1-92-70)U+73AD195-17※(「口+敢」、第3水準1-15-19)※(「口+敢」、第3水準1-15-19)
西西U+637D196-3西
 Hongkong Daily PressBall; Things Chinese. pp. 128-129




 (五)
 ※(「やまいだれ+祭」、第3水準1-88-56)
U+5232196-12
調U+5232196-15
 
 ※(「やまいだれ+祭」、第3水準1-88-56)
 
 (a)
U+5232197-14U+5232197-14
 (b)『元史』卷百九十八、孝友傳、
U+5232198-1※(「やまいだれ+膠のつくり」、第4水準2-81-69)
 (c)『元史』卷二百、列女傳、
U+59CA198-3U+5232198-4
 (d)『四川總志』(『欽定圖書集成』閨媛典、第三十四卷、閨孝部列傳三所引)
※(「登+おおざと」、第3水準1-92-80)※(「登+おおざと」、第3水準1-92-80)U+5232198-6※(「登+おおざと」、第3水準1-92-80)
 (e)『武進縣志』(『欽定圖書集成』閨媛典、第三十四卷、閨孝部列傳三所引)、
※(「やまいだれ+祭」、第3水準1-88-56)U+5232198-9U+7C72198-10U+5232198-10※(「女+息」、第4水準2-5-70)U+5232198-11※(「禾+爾」、第4水準2-83-10)U+5232198-12
 U+5232198-13※(「にんべん+方」、第3水準1-14-10)西※(「宛+りっとう」、第4水準2-3-26)西

と明記してある。されど元の泰定二年(西暦一三二五)に新刊した『事林廣記』壬集卷一に、
()※(「女+章」、第4水準2-5-75)
とあり、且つ『元史』に至元七年以後も、父母舅姑の爲に、股肉を割いた男女を旌賞した實例が疊見して居るに據ると、行孝割股不當の條文の、實際に於ける效力は疑問と申さねばならぬ。
 明の太祖は實際的政治家として、中々傑出し居るが、彼は割股行孝の流弊を知つて、新に之を制限した。明初に青州日照縣の住民に江伯兒といふ者があつて、その母が病に罹つた時、自分の肉を割いて進めたが、十分の效驗がない。彼は遂に神に願掛けして、母の病が平いだら、我が子を殺すことを誓つた。後幸に母が平癒したから、彼はかねての願掛け通り、三歳になる幼兒を殺して神に謝した。地方官憲は江伯兒を母に孝なる者として、旌表すべく上聞した。所が太祖は江伯兒の行爲は人倫を絶滅せる、以ての外の非行として、大に怒り之を海南島に遠謫し、且つ禮部に命じて、將來に於ける孝行旌表の事例を詳議させた。禮部の詳議した結果は、明の何孟春の『餘冬序録摘抄』一(『紀録彙編』卷百四十八)に、次の如く記載してある。
()使※(「示+方」、第4水準2-82-65)
 朝廷はこの議を採用して、洪武二十七年(西暦一三九四)に、
稿
Groot; The Religious System of China. Vol. IV, p. 387
 西
※(「にんべん+方」、第3水準1-14-10)
西()

とて、特旨で旌表を加へられて居る。勿論雍正帝は今囘の處置を以て定例となすべからず、又地方官憲はよく管内の人民に、割肝輕生の愚擧を懇戒すべき旨を仰せ下されて居るが、兔に角この時以來、國初の禁令のやや弛緩されたのは爭ふことが出來ぬ。爾來二百年の間、依然として割肝※[#「卦のへん+りっとう」、U+5232、201-3]股の風が行はれ、官憲もその行爲が賣名の目的でない限り、之に旌表を加へて居る。清代の記録や新聞に、かかる例證が多く散見して居るが、煩を恐れて茲には引用すまい。二十餘年間支那に布教して、該國情に精通して居るアメリカの Arthur Smith も、その Chinese Characteristics. p. 178 に、
支那人は兩親が難治の疾病に罹る時は、その子女たる者が、自己の肉片を割き之を調理して父母に進めることが、尤も有效な療法と認めて居る。支那の新聞紙上に、時々かかる療法を實行した場合の報道が記載されてある。著者自身も、親しく母親の病氣を醫すべく、自己の股肉を割いた若者に面會したことがある。彼は宛も古武士が戰場で受けた古傷を示すが如き得意な態度で、自分にその傷痕を示した。

 Behrens; Der Kannibalismus der Chinesen. Globus. Bd. LXXXI, Nr. 6, SS. 96-97. Groot; The Religious System of China. Vol. IV, Chap. XIV, pp. 389-405. ※(「宀/綵のつくり」、第4水準2-8-4)Rennie 西U+528A201-17Peking and the Pekingese. Vol. II, pp. 243-244使Balfour; Cyclopaedia of India. Vol. I, p. 570西Yule and Cordier; Marco Polo. Vol. I, p. 312
 使
西西※(「月+昔」、第3水準1-90-47)※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)使使※(「さんずい+徑のつくり」、第3水準1-86-75)※(「さんずい+徑のつくり」、第3水準1-86-75)※(「さんずい+徑のつくり」、第3水準1-86-75)
退






  Cannibalism 西 Cannibalism 使西

とあるは、已に先人の指摘した如く(敷田年治『日本書紀標注』卷十六參看)、『漢書』の元帝本紀初元元年(西暦前四八)九月の條に、
關東郡國十一。大水。饑。或人相食。轉旁郡錢穀。以相救。

  Cannibalism 
 
 退
  Marco Polo 西 Globus  Behrens  Der Kannibalismus der Chinesen 
 西 Cannibalism  Yule  Groot Yule  Marco Polo1903 Vol. I, pp. 312-313西 Cannibalism Groot  Yule  Cannibalism The Religious System of China. Vol. IV, pp. 364-389西Groot  Cannibalism 
 Solayman Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd 

稿




 
   196843313
 
   1924137
5-86
使




2006729
2011324

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 W3C  XHTML1.1 



JIS X 0213



JIS X 0213-


「てへん+日」、U+6287    163-7
「樗のつくり+おおざと」、U+9120    166-15
「咼−口」、U+518E    169-16、170-3
「にんべん+待」、U+506B    169-17
「卦のへん+りっとう」、U+5232    171-3、174-5、181-10、196-12、196-15、197-14、197-14、198-1、198-4、198-6、198-9、198-10、198-11、198-12、198-13、201-3
「木+彗」、U+69E5    172-8
「疆のへん」の「土」に代えて「一」、U+38A7    173-7
「女+旱」、U+5A28    174-14
「咼+りっとう」、U+526E    177-10、184-6
「糸+邦」、U+7D81    177-11
「月+堂」、U+819B    177-11
「翔のへん+巴」、U+7F93    177-14
「糸+(萠−くさかんむり)」、U+7DB3    178-1、181-17
「歹+槿のつくり」、U+6BA3    181-10
「此/肉」、U+80D4    181-10、185-13
「てへん+益」、U+6424    181-11
「くさかんむり/干」、U+8289    182-5、182-6、182-6、182-6、182-8
「勹<亡」、U+5304    184-7
「檐」の「木」に代えて「革」、U+97C2    184-8、184-13
「殿/土」、U+58C2    185-1
「てへん+綴のつくり」、U+6387    185-13、185-14
「けものへん+禊のつくり」、U+7330    187-10、189-9
「けものへん+愉のつくり」、U+3E84    187-10、189-9
「けものへん+竟」、U+734D    189-9
「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「ノ」)、「姉」の正字」、U+59CA    192-14、198-3
「王+比」、U+73AD    195-17
「てへん+卒」、U+637D    196-3
「竹かんむり/(籥のあし+頁)」、U+7C72    198-10
「會+りっとう」、U+528A    201-17


●図書カード