一 本所
大導寺信輔の生まれたのは本ほん所じょの回えこ向うい院んの近所だった。彼の記憶に残っているものに美しい町は一つもなかった。美しい家も一つもなかった。殊に彼の家のまわりは穴蔵大工だの駄菓子屋だの古道具屋だのばかりだった。それ等の家々に面した道も泥濘の絶えたことは一度もなかった。おまけに又その道の突き当りはお竹倉の大おお溝どぶだった。南なん京きん藻もの浮かんだ大溝はいつも悪臭を放っていた。彼は勿もち論ろんこう言う町々に憂ゆう欝うつを感ぜずにはいられなかった。しかし又、本所以外の町々は更に彼には不快だった。しもた家の多い山の手を始め小こぎ綺れ麗いな商店の軒を並べた、江戸伝来の下町も何か彼を圧迫した。彼は本郷や日本橋よりも寧むしろ寂しい本所を――回向院を、駒こま止どめ橋ばしを、横網を、割り下水を、榛はんの木馬場を、お竹倉の大溝を愛した。それは或は愛よりも憐あわれみに近いものだったかも知れない。が、憐みだったにもせよ、三十年後の今日さえ時々彼の夢に入るものは未だにそれ等の場所ばかりである………… 信輔はもの心を覚えてから、絶えず本所の町々を愛した。並み木もない本所の町々はいつも砂すな埃ぼこりにまみれていた。が、幼い信輔に自然の美しさを教えたのはやはり本所の町々だった。彼はごみごみした往来に駄菓子を食って育った少年だった。田舎は――殊に水田の多い、本所の東に開いた田舎はこう言う育ちかたをした彼には少しも興味を与えなかった。それは自然の美しさよりも寧ろ自然の醜さを目のあたりに見せるばかりだった。けれども本所の町々はたとい自然には乏しかったにもせよ、花をつけた屋根の草や水たまりに映った春の雲に何かいじらしい美しさを示した。彼はそれ等の美しさの為にいつか自然を愛し出した。尤もっとも自然の美しさに次第に彼の目を開かせたものは本所の町々には限らなかった。本も、――彼の小学時代に何度も熱心に読み返した蘆ろ花かの﹁自然と人生﹂やラボックの翻訳﹁自然美論﹂も勿論彼を啓発した。しかし彼の自然を見る目に最も影響を与えたのは確かに本所の町々だった。家々も樹木も往来も妙に見すぼらしい町々だった。 実際彼の自然を見る目に最も影響を与えたのは見すぼらしい本所の町々だった。彼は後年本州の国々へ時々短い旅行をした。が、荒あらしい木き曾その自然は常に彼を不安にした。又優しい瀬戸内の自然も常に彼を退屈にした。彼はそれ等の自然よりも遥はるかに見すぼらしい自然を愛した。殊に人工の文明の中にかすかに息づいている自然を愛した。三十年前の本所は割り下水の柳を、回向院の広場を、お竹倉の雑木林を、――こう言う自然の美しさをまだ至る所に残していた。彼は彼の友だちのように日光や鎌倉へ行かれなかった。けれども毎朝父と一しょに彼の家の近所へ散歩に行った。それは当時の信輔には確かに大きい幸福だった。しかし又彼の友だちの前に得々と話して聞かせるには何か気のひける幸福だった。 或朝焼けの消えかかった朝、父と彼とはいつものように百ひゃ本っぽ杭んぐいへ散歩に行った。百本杭は大川の河岸でも特に釣り師の多い場所だった。しかしその朝は見渡した所、一人も釣り師は見えなかった。広い河岸には石垣の間に舟虫の動いているばかりだった。彼は父に今朝に限って釣り師の見えぬ訣わけを尋ねようとした。が、まだ口を開かぬうちに忽たちまちその答を発見した。朝焼けの揺らめいた川波には坊主頭の死しが骸いが一人、磯臭い水草や五ご味みのからんだ乱らん杭ぐいの間に漂っていた。――彼は未だにありありとこの朝の百本杭を覚えている。三十年前の本所は感じ易い信輔の心に無数の追憶的風景画を残した。けれどもこの朝の百本杭は――この一枚の風景画は同時に又本所の町々の投げた精神的陰影の全部だった。二 牛乳
信輔は全然母の乳を吸ったことのない少年だった。元来体の弱かった母は一粒種の彼を産んだ後さえ、一滴の乳も与えなかった。のみならず乳母を養うことも貧しい彼の家の生計には出来ない相談の一つだった。彼はその為に生まれ落ちた時から牛乳を飲んで育って来た。それは当時の信輔には憎まずにはいられぬ運命だった。彼は毎朝台所へ来る牛乳の壜びんを軽けい蔑べつした。又何を知らぬにもせよ、母の乳だけは知っている彼の友だちを羨せん望ぼうした。現に小学へはいった頃、年の若い彼の叔母は年始か何かに来ているうちに乳の張ったのを苦にし出した。乳は真しん鍮ちゅうの嗽うがい茶ぢゃ碗わんへいくら絞っても出て来なかった。叔母は眉まゆをひそめたまま、半ば彼をからかうように﹁信ちゃんに吸って貰おうか?﹂と言った。けれども牛乳に育った彼は勿もち論ろん吸いかたを知る筈はずはなかった。叔母はとうとう隣の子に――穴蔵大工の女の子に固い乳房を吸って貰った。乳房は盛り上った半球の上へ青い静脈をかがっていた。はにかみ易い信輔はたとい吸うことは出来たにもせよ、到底叔母の乳などを吸うことは出来ないのに違いなかった。が、それにも関らずやはり隣の女の子を憎んだ。同時に又隣の女の子に乳を吸わせる叔母を憎んだ。この小事件は彼の記憶に重苦しい嫉しっ妬とばかり残している。が、或はその外にも彼の Vita sexualis は当時にはじまっていたのかも知れない。……… 信輔は壜詰めの牛乳の外に母の乳を知らぬことを恥じた。これは彼の秘密だった。誰にも決して知らせることの出来ぬ彼の一生の秘密だった。この秘密は又当時の彼には或迷信をも伴っていた。彼は只ただ頭ばかり大きい、無気味なほど痩やせた少年だった。のみならずはにかみ易い上にも、磨とぎ澄ました肉屋の庖ほう丁ちょうにさえ動どう悸きの高まる少年だった。その点は――殊にその点は伏見鳥羽の役に銃火をくぐった、日頃胆勇自慢の父とは似ても似つかぬのに違いなかった。彼は一体何歳からか、又どう言う論理からか、この父に似つかぬことを牛乳の為と確信していた。いや、体の弱いことをも牛乳の為と確信していた。若もし牛乳の為とすれば、少しでも弱みを見せたが最後、彼の友だちは彼の秘密を看破してしまうのに違いなかった。彼はその為にどう言う時でも彼の友だちの挑戦に応じた。挑戦は勿論一つではなかった。或時はお竹倉の大おお溝どぶを棹さおも使わずに飛ぶことだった。或時は回えこ向うい院んの大おお銀いち杏ょうへ梯はし子ごもかけずに登ることだった。或時は又彼等の一人と殴り合いの喧けん嘩かをすることだった。信輔は大溝を前にすると、もう膝ひざ頭がしらの震えるのを感じた。けれどもしっかり目をつぶったまま、南なん京きん藻もの浮かんだ水面を一生懸命に跳おどり越えた。この恐怖や逡しゅ巡んじゅんは回向院の大銀杏へ登る時にも、彼等の一人と喧嘩をする時にもやはり彼を襲来した。しかし彼はその度に勇敢にそれ等を征服した。それは迷信に発したにもせよ、確かにスパルタ式の訓練だった。このスパルタ式の訓練は彼の右の膝頭へ一生消えない傷きず痕あとを残した。恐らくは彼の性格へも、――信輔は未だに威丈高になった父の小言を覚えている。――﹁貴様は意気地もない癖に、何をする時でも剛情でいかん。﹂ しかし彼の迷信は幸にも次第に消えて行った。のみならず彼は西洋史の中に少くとも彼の迷信には反証に近いものを発見した。それは羅ロー馬マの建国者ロミュルスに乳を与えたものは狼であると言う一節だった。彼は母の乳を知らぬことに爾じら来い一層冷淡になった。いや、牛乳に育ったことは寧むしろ彼の誇りになった。信輔は中学へはいった春、年とった彼の叔父と一しょに、当時叔父が経営していた牧場へ行ったことを覚えている。殊にやっと柵さくの上へ制服の胸をのしかけたまま、目の前へ歩み寄った白牛に干し草をやったことを覚えている。牛は彼の顔を見上げながら、静かに干し草へ鼻を出した。彼はその顔を眺めた時、ふとこの牛の瞳ひとみの中に何にか人間に近いものを感じた。空想?――或は空想かも知れない。が、彼の記憶の中には未だに大きい白牛が一頭、花を盛った杏あんずの枝の下の柵によった彼を見上げている。しみじみと、懐しそうに。………三 貧困
信輔の家庭は貧しかった。尤もっとも彼等の貧困は棟むね割わり長なが屋やに雑居する下流階級の貧困ではなかった。が、体裁を繕う為により苦痛を受けなければならぬ中流下層階級の貧困だった。退職官吏だった、彼の父は多少の貯金の利子を除けば、一年に五百円の恩給に女中とも家族五人の口を餬のりして行かなければならなかった。その為には勿論節倹の上にも節倹を加えなければならなかった。彼等は玄関とも五間の家に――しかも小さい庭のある門構えの家に住んでいた。けれども新らしい着物などは誰一人滅多に造らなかった。父は常に客にも出されぬ悪酒の晩酌に甘んじていた。母もやはり羽織の下にはぎだらけの帯を隠していた。信輔も――信輔は未だにニスの臭い彼の机を覚えている。机は古いのを買ったものの、上へ張った緑色の羅ラシ紗ャも、銀色に光った抽ひき斗だしの金具も一見小こぎ綺れ麗いに出来上っていた。が、実は羅紗も薄いし、抽斗も素直にあいたことはなかった。これは彼の机よりも彼の家の象徴だった。体裁だけはいつも繕わなければならぬ彼の家の生活の象徴だった。……… 信輔はこの貧困を憎んだ。いや、今もなお当時の憎悪は彼の心の奥底に消し難い反響を残している。彼は本を買われなかった。夏期学校へも行かれなかった。新らしい外がい套とうも着られなかった。が、彼の友だちはいずれもそれ等を受用していた。彼は彼等を羨うらやんだ。時には彼等を妬ねたみさえした。しかしその嫉妬や羨望を自認することは肯がえんじなかった。それは彼等の才能を軽蔑している為だった。けれども貧困に対する憎悪は少しもその為に変らなかった。彼は古畳を、薄暗いランプを、蔦つたの画の剥はげかかった唐から紙かみを、――あらゆる家庭の見すぼらしさを憎んだ。が、それはまだ好かった。彼は只見すぼらしさの為に彼を生んだ両親を憎んだ。殊に彼よりも背の低い、頭の禿はげた父を憎んだ。父は度たび学校の保証人会議に出席した。信輔は彼の友だちの前にこう言う父を見ることを恥じた。同時にまた肉身の父を恥じる彼自身の心の卑しさを恥じた。国木田独歩を模倣した彼の﹁自ら欺かざるの記﹂はその黄ばんだ罫けい紙しの一枚にこう言う一節を残している。―― ﹁予は父母を愛する能あたはず。否、愛する能はざるに非あらず。父母その人は愛すれども、父母の外見を愛する能はず。貌かたちを以もつて人を取るは君子の恥づる所也。況いはんや父母の貌を云うん々ぬんするをや。然しかれども予は如何にするも父母の外見を愛する能はず。……﹂ けれどもこう言う見すぼらしさよりも更に彼の憎んだのは貧困に発した偽りだった。母は﹁風月﹂の菓子折につめたカステラを親しん戚せきに進物にした。が、その中味は﹁風月﹂所か、近所の菓子屋のカステラだった。父も、――如何に父は真まこ事としやかに﹁勤倹尚武﹂を教えたであろう。父の教えた所によれば、古い一冊の玉篇の外に漢和辞典を買うことさえ、やはり﹁奢しゃ侈しぶ文んじ弱ゃく﹂だった! のみならず信輔自身も亦嘘うそに嘘を重ねることは必しも父母に劣らなかった。それは一月五十銭の小遣いを一銭でも余計に貰った上、何よりも彼の餓うえていた本や雑誌を買う為だった。彼はつり銭を落したことにしたり、ノオト・ブックを買うことにしたり、学友会の会費を出すことにしたり、――あらゆる都合の好い口実のもとに父母の金銭を盗もうとした。それでもまだ金の足りない時には巧みに両親の歓心を買い、翌月の小遣いを捲まき上げようとした。就なか中んずく彼に甘かった老年の母に媚こびようとした。勿もち論ろん彼には彼自身の嘘も両親の嘘のように不快だった。しかし彼は嘘をついた。大胆に狡こう猾かつに嘘をついた。それは彼には何よりも先に必要だったのに違いなかった。が、同時に又病的な愉快を、――何か神を殺すのに似た愉快を与えたのにも違いなかった。彼は確かにこの点だけは不良少年に接近していた。彼の﹁自ら欺かざるの記﹂はその最後の一枚にこう言う数行を残している。―― ﹁独歩は恋を恋すと言へり。予は憎悪を憎悪せんとす。貧困に対する、虚偽に対する、あらゆる憎悪を憎悪せんとす。……﹂ これは信輔の衷情だった。彼はいつか貧困に対する憎悪そのものをも憎んでいた。こう言う二重に輪を描いた憎悪は二十前の彼を苦しめつづけた。尤もっとも多少の幸福は彼にも全然ない訣わけではなかった。彼は試験の度ごとに三番か四番の成績を占めた。又或下級の美少年は求めずとも彼に愛を示した。しかしそれ等も信輔には曇天を洩もれる日の光だった。憎悪はどう言う感情よりも彼の心を圧していた。のみならずいつか彼の心へ消し難い痕こん跡せきを残していた。彼は貧困を脱した後も、貧困を憎まずにはいられなかった。同時に又貧困と同じように豪ごう奢しゃをも憎まずにはいられなかった。豪奢をも、――この豪奢に対する憎悪は中流下層階級の貧困の与える烙らく印いんだった。或は中流下層階級の貧困だけの与える烙印だった。彼は今日も彼自身の中にこの憎悪を感じている。この貧困と闘わなければならぬ Petty Bourgeois の道徳的恐怖を。…… 丁度大学を卒業した秋、信輔は法科に在学中の或友だちを訪問した。彼等は壁も唐紙も古びた八畳の座敷に話していた。其後へ顔を出したのは六十前後の老人だった。信輔はこの老人の顔に、――アルコオル中毒の老人の顔に退職官吏を直覚した。 ﹁僕の父。﹂ 彼の友だちは簡単にこうその老人を紹介した。老人は寧むしろ傲ごう然ぜんと信輔の挨あい拶さつを聞き流した。それから奥へはいる前に、﹁どうぞ御ゆっくり。あすこに椅い子すもありますから﹂と言った。成程二脚の肘ひじかけ椅子は黒ずんだ縁えん側がわに並んでいた。が、それ等は腰の高い、赤いクッションの色の褪さめた半世紀前の古椅子だった。信輔はこの二脚の椅子に全中流下層階級を感じた。同時に又彼の友だちも彼のように父を恥じているのを感じた。こう言う小事件も彼の記憶に苦しいほどはっきりと残っている。思想は今後も彼の心に雑多の陰影を与えるかも知れない。しかし彼は何よりも先に退職官吏の息子だった。下層階級の貧困よりもより虚偽に甘んじなければならぬ中流下層階級の貧困の生んだ人間だった。四 学校
学校も亦信輔には薄暗い記憶ばかり残している。彼は大学に在学中、ノオトもとらずに出席した二三の講義を除きさえすれば、どう言う学校の授業にも興味を感じたことは一度もなかった。が、中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通り抜けることは僅わずかに貧困を脱出するたった一つの救命袋だった。尤も信輔は中学時代にはこう言う事実を認めなかった。少くともはっきりとは認めなかった。しかし中学を卒業する頃から、貧困の脅威は曇天のように信輔の心を圧しはじめた。彼は大学や高等学校にいる時、何度も廃学を計画した。けれどもこの貧困の脅威はその度に薄暗い将来を示し、無造作に実行を不可能にした。彼は勿論学校を憎んだ。殊に拘束の多い中学を憎んだ。如何に門衛の喇らっ叭ぱの音は刻薄な響を伝えたであろう。如何に又グラウンドのポプラアは憂ゆう欝うつな色に茂っていたであろう。信輔は其処に西洋歴史のデエトを、実験もせぬ化学の方程式を、欧米の一都市の住民の数を、――あらゆる無用の小智識を学んだ。それは多少の努力さえすれば、必しも苦しい仕事ではなかった。が、無用の小智識と言う事実をも忘れるのは困難だった。ドストエフスキイは﹁死人の家﹂の中にたとえば第一のバケツの水をまず第二のバケツへ移し、更に又第二のバケツの水を第一のバケツへ移すと言うように、無用の労役を強いられた囚徒の自殺することを語っている。信輔は鼠ねず色みいろの校舎の中に、――丈の高いポプラアの戦そよぎの中にこう言う囚徒の経験する精神的苦痛を経験した。のみならず―― のみならず彼の教師と言うものを最も憎んだのも中学だった。教師は皆個人としては悪人ではなかったに違いなかった。しかし﹁教育上の責任﹂は――殊に生徒を処罰する権利はおのずから彼等を暴君にした。彼等は彼等の偏見を生徒の心へ種痘する為には如何なる手段をも選ばなかった。現に彼等の或ものは、――達だる磨まと言う諢あだ名なのある英語の教師は﹁生意気である﹂と言う為に度たび信輔に体刑を課した。が、その﹁生意気である﹂所ゆえ以んは畢ひっ竟きょう信輔の独歩や花かた袋いを読んでいることに外ならなかった。又彼等の或ものは――それは左の眼に義眼をした国語漢文の教師だった。この教師は彼の武芸や競技に興味のないことを喜ばなかった。その為に何度も信輔を﹁お前は女か?﹂と嘲ちょ笑うしょうした。信輔は或時赫かっとした拍子に、﹁先生は男ですか?﹂と反問した。教師は勿論彼の不ふそ遜んに厳罰を課せずには措おかなかった。その外もう紙の黄ばんだ﹁自ら欺かざるの記﹂を読み返して見れば、彼の屈辱を蒙こうむったことは枚挙し難い位だった。自尊心の強い信輔は意地にも彼自身を守る為に、いつもこう言う屈辱を反はん撥ぱつしなければならなかった。さもなければあらゆる不良少年のように彼自身を軽んずるのに了おわるだけだった。彼はその自じき彊ょう術じゅつの道具を当然﹁自ら欺かざるの記﹂に求めた。―― ﹁予の蒙れる悪名は多けれども、分つて三と為すことを得べし。 ﹁その一は文弱也。文弱とは肉体の力よりも精神の力を重んずるを言ふ。 ﹁その二は軽けい佻てう浮薄也。軽佻浮薄とは功利の外に美なるものを愛するを言ふ。 ﹁その三は傲がう慢まん也。傲慢とは妄みだりに他の前に自己の所信を屈せざるを言ふ。 しかし教師も悉ことごとく彼を迫害した訣ではなかった。彼等の或ものは家族を加えた茶話会に彼を招待した。又彼等の或ものは彼に英語の小説などを貸した。彼は四学年を卒業した時、こう言う借りものの小説の中に﹁猟人日記﹂の英訳を見つけ、歓喜して読んだことを覚えている。が、﹁教育上の責任﹂は常に彼等と人間同士の親しみを交える妨害をした。それは彼等の好意を得ることにも何か彼等の権力に媚びる卑しさの潜んでいる為だった。さもなければ彼等の同性愛に媚びる醜さの潜んでいる為だった。彼は彼等の前へ出ると、どうしても自由に振舞われなかった。のみならず時には不自然に巻まき煙たば草この箱へ手を出したり、立ち見をした芝居を吹聴したりした。彼等は勿論この無作法を不遜の為と解釈した。解釈するのも亦尤もだった。彼は元来人好きのする生徒ではないのに違いなかった。彼の筺きょ底うていの古写真は体と不ふつ吊りあ合いに頭の大きい、徒いたずらに目ばかり赫かがやかせた、病弱らしい少年を映している。しかもこの顔色の悪い少年は絶えず毒を持った質問を投げつけ、人の好い教師を悩ませることを無上の愉快としているのだった! 信輔は試験のある度に学業はいつも高点だった。が、所いわ謂ゆる操行点だけは一度も六点を上らなかった。彼は6と言うアラビア数字に教員室中の冷笑を感じた。実際又教師の操行点を楯たてに彼を嘲あざけっているのは事実だった。彼の成績はこの六点の為にいつも三番を越えなかった。彼はこう言う復ふく讐しゅうを憎んだ。こう言う復讐をする教師を憎んだ。今も、――いや、今はいつのまにか当時の憎悪を忘れている。中学は彼には悪夢だった。けれども悪夢だったことは必しも不幸とは限らなかった。彼はその為に少くとも孤独に堪える性情を生じた。さもなければ彼の半生の歩みは今日よりももっと苦しかったであろう。彼は彼の夢みていたように何冊かの本の著者になった。しかし彼に与えられたものは畢ひっ竟きょ落うら寞くばくとした孤独だった。この孤独に安んじた今日、――或はこの孤独に安んずるより外に仕かたのないことを知った今日、二十年の昔をふり返って見れば、彼を苦しめた中学の校舎は寧むしろ美しい薔ばら薇い色ろをした薄明りの中に横よこたわっている。尤もっともグラウンドのポプラアだけは不あい相かわ変らず欝うつ々うつと茂った梢こずえに寂しい風の音を宿しながら。………五 本
本に対する信輔の情熱は小学時代から始まっていた。この情熱を彼に教えたものは父の本箱の底にあった帝国文庫本の水すい滸こで伝んだった。頭ばかり大きい小学生は薄暗いランプの光のもとに何度も﹁水滸伝﹂を読み返した。のみならず本を開かぬ時にも替レ天行レ道の旗や景陽岡の大虎や菜園子張青の梁はりに吊つった人間の腿ももを想像した。想像?――しかしその想像は現実よりも一層現実的だった。彼は又何度も木剣を提げ、干し菜をぶら下げた裏庭に﹁水滸伝﹂中の人物と、――一丈青扈こさ三んじ娘ょうや花和尚魯ろち智し深んと格闘した。この情熱は三十年間、絶えず彼を支配しつづけた。彼は度たび本を前に夜を徹したことを覚えている。いや、几きじ上ょう、車上、厠しじ上ょう、――時には路上にも熱心に本を読んだことを覚えている。木剣は勿もち論ろん﹁水滸伝﹂以来二度と彼の手に取られなかった。が、彼は本の上に何度も笑ったり泣いたりした。それは言わば転身だった。本の中の人物に変ることだった。彼は天てん竺じくの仏のように無数の過去生を通り抜けた。イヴァン・カラマゾフを、ハムレットを、公爵アンドレエを、ドン・ジュアンを、メフィストフェレスを、ライネッケ狐を、――しかもそれ等の或ものは一時の転身には限らなかった。現に或晩秋の午後、彼は小遣いを貰う為に年とった叔父を訪問した。叔父は長州萩はぎの人だった。彼はことさらに叔父の前に滔とう々とうと維新の大業を論じ、上は村田清風から下は山やま県がた有あり朋ともに至る長州の人材を讃さん嘆たんした。が、この虚偽の感激に充みちた、顔色の蒼あお白じろい高等学校の生徒は当時の大導寺信輔よりも寧ろ若いジュリアン・ソレル――﹁赤と黒﹂の主人公だった。 こう言う信輔は当然又あらゆるものを本の中に学んだ。少くとも本に負う所の全然ないものは一つもなかった。実際彼は人生を知る為に街頭の行人を眺めなかった。寧ろ行人を眺める為に本の中の人生を知ろうとした。それは或は人生を知るには迂うえ遠んの策だったのかも知れなかった。が、街頭の行人は彼には只ただ行人だった。彼は彼等を知る為には、――彼等の愛を、彼等の憎悪を、彼等の虚栄心を知る為には本を読むより外はなかった。本を、――殊に世紀末の欧ヨー羅ロッ巴パの産んだ小説や戯曲を。彼はその冷たい光の中にやっと彼の前に展開する人間喜劇を発見した。いや、或は善悪を分たぬ彼自身の魂をも発見した。それは人生には限らなかった。彼は本所の町々に自然の美しさを発見した。しかし彼の自然を見る目に多少の鋭さを加えたのはやはり何冊かの愛読書、――就なか中んずく元禄の俳はい諧かいだった。彼はそれ等を読んだ為に﹁都に近き山の形﹂を、﹁欝うこ金んば畠たけの秋の風﹂を、﹁沖の時しぐ雨れの真帆片帆﹂を、﹁闇やみのかた行く五位の声﹂を、――本所の町々の教えなかった自然の美しさをも発見した。この﹁本から現実﹂へは常に信輔には真理だった。彼は彼の半生の間に何人かの女に恋愛を感じた。けれども彼等は誰一人女の美しさを教えなかった。少くとも本に学んだ以外の女の美しさを教えなかった。彼は日の光を透かした耳や頬ほおに落ちた睫まつ毛げの影をゴオティエやバルザックやトルストイに学んだ。女は今も信輔にはその為に美しさを伝えている。若もしそれ等に学ばなかったとすれば、彼は或は女の代りに牝めすばかり発見していたかも知れない。………… 尤もっとも貧しい信輔は到底彼の読むだけの本を自由に買うことは出来なかった。彼のこう言う困難をどうにかこうにか脱したのは第一に図書館のおかげだった。第二に貸本屋のおかげだった。第三に吝りん嗇しょくの譏そしりさえ招いだ彼の節倹のおかげだった。彼ははっきりと覚えている――大おお溝どぶに面した貸本屋を、人の好い貸本屋の婆さんを、婆さんの内職にする花はな簪かんざしを。婆さんはやっと小学へ入った﹁坊ちゃん﹂の無邪気を信じていた。が、その﹁坊ちゃん﹂はいつの間にか本を探がす風を装よそおいながら、偸ぬすみ読みをすることを発明していた。彼は又はっきりと覚えている。――古本屋ばかりごみごみ並んだ二十年前の神保町通りを、その古本屋の屋根の上に日の光を受けた九段坂の斜面を。勿論当時の神保町通りは電車も馬車も通じなかった。彼は――十二歳の小学生は弁当やノオト・ブックを小こわ脇きにしたまま、大橋図書館へ通う為に何度もこの通りを往復した。道のりは往復一里半だった。大橋図書館から帝国図書館へ。彼は帝国図書館の与えた第一の感銘をも覚えている。――高い天井に対する恐怖を、大きい窓に対する恐怖を、無数の椅い子すを埋め尽した無数の人々に対する恐怖を。が、恐怖は幸いにも二三度通ううちに消滅した。彼は忽たちまち閲覧室に、鉄の階段に、カタロオグの箱に、地下の食堂に親しみ出した。それから大学の図書館や高等学校の図書館へ。彼はそれ等の図書館に何百冊とも知れぬ本を借りた。又それ等の本の中に何十冊とも知れぬ本を愛した。しかし―― しかし彼の愛したのは――殆ほとんど内容の如何を問わずに本そのものを愛したのはやはり彼の買った本だった。信輔は本を買う為めにカフエへも足を入れなかった。が、彼の小遣いは勿論常に不足だった。彼はその為めに一週に三度、親しん戚せきの中学生に数学︵!︶を教えた。それでもまだ金の足りぬ時はやむを得ず本を売りに行った。けれども売り価は新らしい本でも買い価の半ば以上になったことはなかった。のみならず永年持っていた本を古本屋の手に渡すことは常に彼には悲劇だった。彼は或薄雪の夜、神保町通りの古本屋を一軒一軒覗のぞいて行った。その内に或古本屋に﹁ツアラトストラ﹂を一冊発見した。それも只の﹁ツアラトストラ﹂ではなかった。二月ほど前に彼の売った手てあ垢かだらけの﹁ツアラトストラ﹂だった。彼は店先きに佇たたずんだまま、この古い﹁ツアラトストラ﹂を所どころ読み返した。すると読み返せば読み返すほど、だんだん懐しさを感じだした。 ﹁これはいくらですか?﹂ 十分ばかり立った後、彼は古本屋の女主人にもう﹁ツアラトストラ﹂を示していた。 ﹁一円六十銭、――御ごあ愛いき嬌ょうに一円五十銭にして置きましょう。﹂ 信輔はたった七十銭にこの本を売ったことを思い出した。が、やっと売うり価ねの二倍、――一円四十銭に価切った末、とうとうもう一度買うことにした。雪の夜の往来は家々も電車も何か微妙に静かだった。彼はこう言う往来をはるばる本郷へ帰る途中、絶えず彼の懐ろの中に鋼鉄色の表紙をした﹁ツアラトストラ﹂を感じていた。しかし又同時に口の中には何度も彼自身を嘲ちょ笑うしょうしていた。……六 友だち
信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった。たといどう言う君子にもせよ、素行以外に取り柄のない青年は彼には用のない行人だった。いや、寧むしろ顔を見る度に揶や揄ゆせずにはいられぬ道化者だった。それは操行点六点の彼には当然の態度に違いなかった。彼は中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通りぬける間に絶えず彼等を嘲笑した。勿もち論ろん彼等の或ものは彼の嘲笑を憤った。しかし又彼等の或ものは彼の嘲笑を感ずる為にも余りに模範的君子だった。彼は﹁厭いやな奴やつ﹂と呼ばれることには常に多少の愉快を感じた。が、如何なる嘲笑も更に手答えを与えないことには彼自身憤らずにはいられなかった。現にこう言う君子の一人――或高等学校の文科の生徒はリヴィングストンの崇拝者だった。同じ寄宿舎にいた信輔は或時彼に真まこ事としやかにバイロンも亦リヴィングストン伝を読み、泣いてやまなかったと言う出たらめを話した。爾じら来い二十年を閲けみした今日、このリヴィングストンの崇拝者は或基キリ督スト教会の機関雑誌に不あい相かわ変らずリヴィングストンを讃さん美びしている。のみならず彼の文章はこう言う一行に始まっている。――﹁悪魔的詩人バイロンさえ、リヴィングストンの伝記を読んで涙を流したと言うことは何を我々に教えるであろうか?﹂!
信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった。たとい君子ではないにもせよ、智的貪どん慾よくを知らない青年はやはり彼には路傍の人だった。彼は彼の友だちに優しい感情を求めなかった。彼の友だちは青年らしい心臓を持たぬ青年でも好かった。いや、所いわ謂ゆる親友は寧ろ彼には恐怖だった。その代りに彼の友だちは頭脳を持たなければならなかった。頭脳を、――がっしりと出来上った頭脳を。彼はどう言う美少年よりもこう言う頭脳の持ち主を愛した。同時に又どう言う君子よりもこう言う頭脳の持ち主を憎んだ。実際彼の友情はいつも幾分か愛の中に憎悪を孕はらんだ情熱だった。信輔は今日もこの情熱以外に友情のないことを信じている。少くともこの情熱以外に Herr und Knecht の臭味を帯びない友情のないことを信じている。況いわんや当時の友だちは一面には相あい容いれぬ死敵だった。彼は彼の頭脳を武器に、絶えず彼等と格闘した。ホイットマン、自由詩、創造的進化、――戦場は殆ほとんど到いたる所にあった。彼はそれ等の戦場に彼の友だちを打ち倒したり、彼の友だちに打ち倒されたりした。この精神的格闘は何よりも殺さつ戮りくの歓喜の為に行われたものに違いなかった。しかしおのずからその間に新しい観念や新しい美の姿を現したことも事実だった。如何に午前三時の蝋ろう燭そくの炎は彼等の論戦を照らしていたか、如何に又武者小路実篤の作品は彼等の論戦を支配していたか、――信輔は鮮かに九月の或夜、何匹も蝋燭へ集って来た、大きい灯ひと取りむ虫しを覚えている。灯取虫は深い闇やみの中から突然きらびやかに生まれて来た。が、炎に触れるが早いか、嘘うそのようにぱたぱたと死んで行った。これは何も今更のように珍しがる価のないことかも知れない。しかし信輔は今日もなおこの小事件を思い出す度に、――この不思議に美しい灯取虫の生死を思い出す度に、なぜか彼の心の底に多少の寂しさを感ずるのである。………
信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった。標準は只ただそれだけだった。しかしやはりこの標準にも全然例外のない訣わけではなかった。それは彼の友だちと彼との間を截せつ断だんする社会的階級の差別だった。信輔は彼と育ちの似寄った中流階級の青年には何のこだわりも感じなかった。が、纔わずかに彼の知った上流階級の青年には、――時には中流上層階級の青年にも妙に他人らしい憎悪を感じた。彼等の或ものは怠惰だった。彼等の或ものは臆おく病びょうだった。又彼等の或ものは官能主義の奴隷だった。けれども彼の憎んだのは必しもそれ等の為ばかりではなかった。いや、寧ろそれ等よりも何か漠然としたものの為だった。尤もっとも彼等の或ものも彼等自身意識せずにこの﹁何か﹂を憎んでいた。その為に又下流階級に、――彼等の社会的対たい蹠せき点てんに病的なを感じていた。彼は彼等に同情した。しかし彼の同情も畢ひっ竟きょう役には立たなかった。この﹁何か﹂は握手する前にいつも針のように彼の手を刺した。或風の寒い四月の午後、高等学校の生徒だった彼は彼等の一人、――或男爵の長男と江の島の崖がけの上に佇たたずんでいた。目の下はすぐに荒磯だった。彼等は﹁潜り﹂の少年たちの為に何枚かの銅貨を投げてやった。少年たちは銅貨の落ちる度にぽんぽん海の中へ跳おどりこんだ。しかし一人海あ女まだけは崖の下に焚たいた芥あく火たびの前に笑って眺めているばかりだった。
﹁今度はあいつも飛びこませてやる。﹂
彼の友だちは一枚の銅貨を巻まき煙たば草この箱の銀紙に包んだ。それから体を反らせたと思うと、精一ぱい銅貨を投げ飛ばした。銅貨はきらきら光りながら、風の高い浪の向うへ落ちた。するともう海女はその時にはまっ先に海へ飛びこんでいた。信輔は未いまだにありありと口もとに残酷な微笑を浮べた彼の友だちを覚えている。彼の友だちは人並み以上に語学の才能を具そなえていた。しかし又確かに人並み以上に鋭い犬歯をも具えていた。…………
︵以下続出︶
附記 この小説はもうこの三四倍続けるつもりである。今度掲げるだけに﹁大導寺信輔の半生﹂と言う題は相当しないのに違いないが、他に替る題もない為にやむを得ず用いることにした。﹁大導寺信輔の半生﹂の第一篇と思って頂けば幸甚である。大正十三年十二月九日、作者記。