別乾坤
Judith Gautier が詩中の支那は、支那にして又支那にあらず。葛かつ飾しか北ほく斎さいが水すゐ滸こぐ画わで伝んの画さしゑも、誰か又是を以て如によ実じつに支那を写したりと云はん。さればかの明めい眸ぼうの女ぢよ詩しじ人んも、この短髪の老画伯も、その無声の詩と有声の画ぐわとに彷はう弗ふつたらしめし所いは謂ゆる支那は、寧むしろ﹇#﹁寧むしろ﹂は底本では﹁寧むらろ﹂﹈彼等が白はく日じつ夢む裡りに逍せう遙えう遊ゆうを恣ほしいままにしたる別べつ乾けん坤こんなりと称すべきか。人生幸さいはひにこの別乾坤あり。誰か又小こい泉づみ八やく雲もと共に、天てん風ぷう海かい濤たうの蒼々浪々たるの処、去つて還らざる蓬ほう莱らいの蜃しん中ちう楼ろうを歎く事をなさん。︵一月二十二日︶
軽薄
元げんの李りか※ん﹇#﹁行がまえ<干﹂、69-上-16﹈、文ぶん湖こし州うの竹を見る数十幅ふく、悉ことごとく意に満たず。東とう坡ば山さん谷こく等らの評を読むも亦また思ふらく、その交親に私わたくしするならんと。偶たまたま友人王わう子しけ慶いと遇ひ、話わ次じ文湖州の竹に及ぶ。子慶曰いはく、君未いまだ真蹟を見ざるのみ。府史の蔵本甚はなはだ真しん、明みや日うにち借り来つて示すべしと。翌日即すなはち之を見れば、風ふう枝しま抹つ疎そとして塞さい煙えんを払ひ、露ろえ葉ふせ蕭うさ索くとして清霜を帯ぶ、恰あたかも渭ゐせ川ん淇きす水ゐの間かんに坐するが如し。※かん﹇#﹁行がまえ<干﹂、69-下-4﹈感歎措おく能あたはず。大いに聞見の寡くわ陋ろうを恥ぢたりと云ふ。※﹇#﹁行がまえ<干﹂、69-下-5﹈の如きは未いまだ恕じよすべし。かの写真版のセザンヌを見て色彩のヴアリユルを喋てふ々てふするが如き、論者の軽薄唾棄するに堪へたりと云ふべし。戒めずんばあるべからず。︵一月二十三日︶
俗漢
バルザツクのペエル・ラシエエズの墓地に葬らるるや、棺側に侍するものに内相バロツシユあり。送葬の途上同じく棺側にありしユウゴオを顧みて尋ぬるやう、﹁バルザツク氏は材能の士なりしにや﹂と。ユウゴオ吁ふつくとして答ふらく﹁天才なり﹂と。バロツシユその答にや憤いきどほりけん傍ばう人じんに囁ささやいて云ひけるは、﹁このユウゴオ氏も聞きしに勝まさる狂人なり﹂と。仏フラ蘭ン西スの台だい閣かく亦また這しや般はんの俗漢なきにあらず。日東帝国の大臣諸公、意を安んじて可なりと云ふべし。︵一月二十四日︶
同性恋愛
ドオリアン・グレエを愛する人は Escal Vigor を読まざる可べからず。男子の男子を愛するの情、この書の如く遺憾なく描写せられしはあらざる可し。書中若しこれを翻訳せんか。我当局の忌き違ゐに触れん事疑なきの文字少からず。出版当時有名なる訴そし訟よう事件を惹じや起くきしたるも、亦また是等艶えん冶やの筆ひつの累るゐする所多かりし由。著者 George Eekhoud は白ベル耳ギ義イ近代の大だい手しゆ筆ひつなり。声名必かならずしもカミユ・ルモニエエの下にあらず。されど多士済せい々せいたる日本文壇、未いまだこの人が等身の著述に一いち言げんの紹介すら加へたるもの無し。文芸豈あに独り北欧の天地にのみ、オウロラ・ボレアリスの盛観をなすものならんや。︵一月二十五日︶
同人雑誌
年少の子弟醵きよ金きんして、同どう人じん雑ざつ誌しを出版する事、当世の流行の一つなるべし。されど紙代印刷費用共に甚はなはだ廉れんならざる今こん日にち、経営に苦しむもの亦また少からず。伝へ聞く、ル・メルキウル・ド・フランスが初号を市いちに出いだせし時も、元もとより文壇不遇の士の黄くわ白うはくに裕ゆたかなる筈なければ、やむ無く一ひと株かぶ六十法フランの債券を同人に募りしかど、その唯ゆゐ一いちの大おほ株主たるジユウル・ルナアルが持株すら僅きん々きん四株に過ぎざりしとぞ。しかもその同人の中には、アルベエル・サマンの如き、レミ・ド・グルモンの如き、一代の才人多かりしを思へば、当世流行の同人雑誌と雖いへども、資金の甚はなはだ潤じゆ沢んたくならざるを憾うらむべき理由なきに似たり。唯、得難きは当年のル・メルキウルに、象徴主義の大たい旆はいを樹たてしが如き英えい霊れい底ていの漢かん一ダアスのみ。︵一月二十六日︶
雅号
日本の作家今は多く雅がが号うを用ひず。文壇の新人旧人を分つ、殆ほとんど雅号の有無を以てすれば足るが如し。されば前さきに雅号ありしも捨てて用ひざるさへ少からず。雅号の薄命なるも亦また甚しいかな。露ロ西シ亜アの作家にオシツプ・デイモフと云ふものあり。チエホフが短篇﹁蝗いなご﹂の主人公と同名なりしと覚ゆ。デイモフはその名を借りて雅号となせるにや。博覧の士の示しけ教うを得れば幸かう甚じんなり。︵一月二十八日︶
青楼
仏フラ蘭ン西ス語に妓ぎろ楼うを la maison verte と云ふは、ゴンクウルが造語なりとぞ。蓋けだし青楼美人合せの名を翻訳せしに出づるなるべし。ゴンクウルが日記に云ふ。﹁この年︵千八百八十二年︶わが病的なる日本美術品蒐しう集しふの為に費つひやせし金額、実に三千法フランに達したり。これわが収入の全部にして、懐中時計を購あがなふべき四十法フランの残余さへ止とどめず﹂と。又云ふ。﹁数日以来︵千八百七十六年︶日本に赴おもむかばやと思ふ心止とどめ難し。されどこの旅行はわが日頃の蒐しう集しふ癖を充みたさんが為のみにはあらず。われは夢む、一巻の著述を成さん事を。題は﹃日本の一年﹄。日記の如き体裁。叙述よりも情調。かくせば比類なき好かう文もん字じを得べし。唯、わがこの老らうを如いか何ん﹂と。日本の版画を愛し、日本の古こぐ玩わんを愛し、更に又日本の菊花を愛せる伶れい※へい﹇#﹁にんべん+娉のつくり﹂、71-上-5﹈孤こじ寂やくのゴンクウルを想おもへば、青楼の一語短なりと雖いへども、無限の情味なき能あたはざるべし。︵一月二十九日︶
言語
言語は元もとより多端なり。山さんと云ひ、嶽がくと云ひ、峯ほうと云ひ、巒らんと云ふ。義の同うして字の異なるを用ふれば、即ち意を隠微の間かんに偶ぐうするを得べし。大おほ食ぐらひを大だい松まつと云ひ差さし出でも者のを左さ兵へ衛ゑ次じと云ふ。聞くものにして江戸つこならざらんか、面罵せらるるも猶なほ恬てん然ぜんたらん。試こころみに思へ、品ひん蕭せうの如き、後こう庭てい花くわの如き、倒たう澆げう燭しよくの如き、金きん瓶ぺい梅ばい肉にく蒲ぶと団ん中の語ご彙ゐを借りて一篇の小説を作らん時、善くその淫いん褻せつ俗を壊やぶるを看破すべき検閲官の数すう何人なるかを。︵一月三十一日︶
誤訳
カアライルが独ドイ逸ツ文の翻訳に誤訳指摘を試みしはデ・クインシイがさかしらなり。されどチエルシイの哲人はこの後進の鬼才を遇する事|
反かへつて甚はなはだ篤あつかりしかば、デ・クインシイも亦またその襟懐に服して百年の心交を結びたりと云ふ。カアライルが誤訳の如い何かなりしかは知らず。予が知れる誤訳の最も滑稽なるはマドンナを奥さんと訳せるものなり。訳者は楽園の門を守る下僕天使にもあらざるものを。︵二月一日︶
戯訓
往年久くめ米ま正さ雄を氏シヨウを訓して笑せう迂うと云ひ、イブセンを訓して燻いぶ仙せんと云ひ、メエテルリンクを訓して瞑めい照てる燐りん火くわと云ひ、チエホフを訓して知ちゑ慧ほ豊う富ふと云ふ。戯ぎく訓んと称して可ならん乎か。二にに人ん比び丘く尼にの作者鈴すず木きし正やう三ざう、その耶やそ蘇け教う弁べん斥せきの書に題して破はき鬼り理し死た端んと云ふ。亦また悪意ある戯訓の一例たるべし。︵二月二日︶
俳句
紅こう葉えふの句未いまだ古人霊妙の機を会せざるは、独りその談だん林りん調てうたるが故のみにもあらざるべし。この人の文を見るも楚そ々そたる落墨直ただちに松を成すの妙はあらず。長ずる所は精せい整せい緻ちみ密つ、石を描ゑがいて一いち細さい草さうの点てん綴ていを忘れざる功かうにあり。句に短なりしは当然ならずや。牛ぎう門もんの秀才鏡きや花うくわ氏の句くひ品ん遙に師しを翁うの上に出づるも、亦またこの理に外ならざるのみ。遮さも莫あらばあれ斎さい藤とう緑りよ雨くうが彼かの縦横の才を蔵しながら、句は遂に沿えん門もん※さく黒こく﹇#﹁てへん+蜀﹂、71-下-22﹈の輩はいと軒けん輊ちなかりしこそ不思議なれ。︵二月四日︶
松並木
東とう海かい道だうの松まつ並なみ木き伐きらるべき由、何い時つやらの新聞紙にて読みたる事あり。元もとより道路改修の為とあれば止むを得ざるには似たれども、これが為に百ひや尺くせきの枯こり龍ゆう斧ふゑ鉞つの災さいを蒙かうむるもの百千なるべきに想到すれば、惜みても猶なほ惜むべき限りならずや。ポオル・クロオデル日本に来りし時、この東海道の松並木を見て作る所の文一篇あり。痩そう蓋がい煙を含み危きこ根ん石を倒すの状、描ゑがき得て霊れい彩さい奕えき々えきたりと云ふべし。今やこの松並木亡びんとす。クロオデルもしこれを聞かば、或は恐る、黄くわ面うめんの豎じゆ子し未いまだ王化に浴せずと長ちや太うた息いそくに堪へざらん事を。︵二月五日︶
日本
ゴオテイエが娘の支シ那ナは既に云ひぬ。Jos Maria de Heredia が日本も亦また別べつ乾けん坤こんなり。簾れん裡りの美人琵び琶はを弾たんじて鉄衣の勇士の来きたるを待つ。景情元もとより日本ならざるに非ず。︵le samourai︶されどその絹の白と漆と金きんとに彩いろどられたる世界は、却かへつて是縹へう渺べうたるパルナシアンの夢幻境のみ。しかもエレデイアの夢幻境たる、もしその所在を地図の上に按じ得べきものとせんか、恐らく仏フラ蘭ン西スには近けれども、日本には遙はるかに隔へだたりたるべし。彼かのゲエテの希ギリ臘シヤと雖も、トロイの戦たたかひの勇士の口には一いつ抹まつミユンヘンの麦ビイ酒ルの泡の未いまだ消えざるを如い何かにすべき。歎ずらくは想像にも亦また国籍の存する事を。︵二月六日︶
大雅
東海の画人多しとは云へ、九きう霞かさ山んせ樵うの如き大器又あるべしとも思はれず。されどその大たい雅がすら、年三十に及びし時、意の如く技ぎの進まざるを憂ひて、教を祇ぎな南んか海いに請ひし事あり。血けつ性せい大雅に過ぐるもの、何ぞ進歩の遅々たるに焦せう燥そうの念無きを得可けんや。唯、返へす返すも学ぶべきは、聖せい胎たい長ちや養うやうの機を誤らざりし九霞山樵の工くふ夫うなるべし。︵二月七日︶
妖婆
英語に witch と唱ふるもの、大むねは妖えう婆ばと翻訳すれど、年少美貌のウイツチ亦また決して少しとは云ふべからず。メレジユウコウスキイが﹁先覚者﹂ダンヌンツイオが﹁ジヨリオの娘﹂或は遙に品しな下さがれどクロオフオオドが Witch of Prague など、顔玉たまの如きウイツチを描ゑがきしもの、尋ぬれば猶多かるべし。されど白髪蒼顔のウイツチの如く、活躍せる性格少きは否いなみ難き事実ならんか。スコツト、ホオソオンが昔は問はず、近代の英米文学中、妖婆を描きて出色なるものは、キツプリングが The Courting of Dinah Shadd の如き、或は随一とも称すべき乎か。ハアデイが小説にも、妖婆に材を取る事珍らしからず。名高き Under the Greenwood の中なる、エリザベス・エンダアフイルドもこの類なり。日本にては山やま姥うば鬼おに婆ばば共に純然たるウイツチならず。支那にてはかの夜やた譚んず随ゐろ録く載する所の夜やせ星い子しなるもの、略ほぼ妖婆たるに近かるべし。︵二月八日︶
柔術
西せい人じんは日本と云ふ毎ごとに、必かならず柔術を想起すと聞けり。さればにやアナトオル・フランスが﹁天使の反逆﹂の一章にも、日本より巴パ里リに﹇#﹁巴パ里リに﹂は底本では﹁里パ巴リに﹂﹈来れる天使仏フラ蘭ン西スの巡査を掻かい掴つかんで物も見事に投げ捨つるくだりあり。モオリス・ルブランが探偵小説の主人公侠けふ賊ぞくリユパンが柔術に通じたるも、日本人より学びし所なりとぞ。されど日本現代の小説中、柔術の妙を極めし主人公は僅に泉いづ鏡みき花やうくわ氏が﹁芍しや薬くやくの歌﹂の桐きり太たら郎うのみ。柔術も亦また予言者は故郷に容いれられざるの歎無きを得んや。好かう笑せう好笑。︵二月十日︶
昨日の風流
趙てう甌おう北ぼくが呉ごも門んざ雑っ詩しに云ふ。看えん尽くわ煙をみ花つく細して品こま評かにひんぴやうす、始はじ知めて佳しる麗かれ也いの虚また名きよめいなるを、従いま今より不おこ作さず繁はん華くわ夢のゆめ、消せう領りや茶うす煙さえ一んい縷ちる清のせい。又その山さん塘たうの詩に云ふ。老おい入てく歓わん場じや感うに易いれ増ばかんましやすし、煙えん花くわ猶なほ記しる昔すせ遊きい曾うのそう、酒しゆ楼ろう旧きう日じつ紅こう粧しや女うのぢよ、已すで似にに禅たり家ぜん退かた院いゐ僧んのそう。一いつ腔かうの詩情殆ほとんど永なが井ゐか荷ふ風う氏を想はしむるものありと云ふべし。︵二月十一日︶
発音
ポオの名 Quantin 版にPo と印刷せられてより、仏フラ蘭ン西スを始め諸方にポオエの発音行はれし由。予等が英文学の師なりし故ロオレンス先生も、時にポオエと発音せられしを聞きし事あり。西せい人じんの名の発音の誤り易きはさる事ながら、ホイツトマン、エマスンなどを崇あがめ尊ぶ人のわが仏ほとけの名さへアクセントを誤りたるは、無む下げにいやしき心地せらる。慎つつしまざる可らざるなり。︵二月十三日︶
傲岸不遜
一青年作家或会合の席上にて、われら文芸の士はと云ひさせしに、傍かたはらなるバルザツク忽ちその語を遮さへぎつて云ひけるは、﹁君の我等に伍せんとするこそ烏を滸こがましけれ。我等は近代文芸の将しや帥うすゐなるを﹂と。文壇の二三子夙つとに傲がう岸がん不ふそ遜んの譏そしりありと聞く。されど予は未いまだ一いち人にんのバルザツクに似たるものを見ず。元もとより人間喜劇の著述二三子の手に成るを聞かざれども。︵二月十五日︶
煙草
煙たば草この世に行はれしは、亜ア米メ利リ加カ発見以後の事なり。埃エジ及プト、亜ア剌ラ比ビ亜ア﹇#﹁亜剌比亜﹂は底本では﹁亜刺比亜﹂﹈、羅ロオ馬マなどにも、喫煙の俗ありしと云ふは、青せい盲まう者しや流りうのひが言ごとのみ。亜米利加土人の煙を嗜たしなみしは、コロムブスが新世界に至りし時、既に葉巻あり、刻きざみあり、嗅かぎ煙草ありしを見て知るべし。タバコの名も実は植物の名称ならで、刻みの煙を味ふべきパイプの意なりしぞ滑稽なる。されば欧洲の白色人種が喫煙に新機軸を出いだしたるは、僅に一事軽便なるシガレツトの案出ありしのみ。和わか漢んさ三んさ才い図づ会ゑによれば、南蛮紅こう毛もうの甲かび比た丹んがまづ日本に舶はく載さいしたるも、このシガレツトなりしものの如し。村むら田たの煙きせ管る未いまだ世に出でざりし時、われらが祖先は既にシガレツトを口にしつつ、春しゆ日んじつ煦く々くたる山口の街頭、天主会堂の十字架を仰いで、西洋機巧の文明に賛嘆の声を惜まざりしならん。︵二月二十四日︶
ニコチン夫人
ボオドレエルがパイプの詩は元もとより、Lyra Nicotiana を翻ひるがへすも、西洋詩人の喫煙を愛めづるは、東洋詩人の点てん茶ちやを悦ぶと好かう一いつ対つゐなりと云ふを得べし。小説にてはバリイが﹁ニコチン夫人﹂最も人口に炙くわいしやしたり。されど唯軽妙の筆ひつ、容易に読者を微笑せしむるのみ。ニコチンの名、もと仏フラ蘭ン西ス人ジアン・ニコツトより出づ。十六世紀の中葉、ニコツト大使の職を帯びて西スペ班イ牙ンに派遣せらるるや、フロリダ渡来の葉煙草を得て、その医療に効あるを知り、栽さい培ばい大いに努めしかば、一時は仏人煙草を呼んでニコチアナと云ふに至りしとぞ。デ・クインシイが﹁阿アヘ片ン喫煙者の懺ざん悔げ﹂は、さきに佐さと藤うは春る夫を氏をして﹁指しも紋ん﹂の奇文を成さしめたり。誰か又バリイの後のちに出でて、バリイを抜く事数等なる、恰あたかもハヴアナのマニラに於ける如き煙草小説を書かんものぞ。︵二月二十五日︶
一字の師
唐たうの任じん翻はん天てん台だい巾きん子しほ峯うに遊び、詩を寺壁に題して云ふ。﹁絶ぜつ頂ちや新うの秋しん生しう夜やり涼やうをしやうず。鶴つる翻はひ松るが露へつ滴てし衣よう裳ろいしやうにしたたる。前ぜん峯ぽう月つき照はて一るい江つか水うのみづ。僧そう在はす翠ゐび微にあ開つて竹ちく房ばうをひらく。﹂題し畢をはつて後のち行く事数十里、途上一いつ江かう水すゐは半はん江かう水すゐに若しかざるを覚り、直ただちに題詩の処に回かへれば、何なん人びとか既すでに﹁一﹂字を削けづつて﹁半﹂字に改めし後のちなりき。翻はん長ちや太うた息いそくに堪へずして曰いはく、台たい州しう有ひと人ありと。古人が詩に心を用ふる、惨憺経営の跡想ふべし。青せい々せいが句集妻つま木ぎの中に、﹁初夢や赤あけなる紐ひもの結ぼほる﹂の句あり。予思ふらく、一字不可、﹁る﹂字に易かふに﹁れ﹂字を以てすれば可ならんと。知らず、青々予を拝して能く一字の師と做なすや否や。一笑。︵二月二十六日︶
応酬
ユウゴオ一夕宴をアヴニウ・デイロオの自邸に張る。偶たまたま衆しゆ客うかく皆みな杯さかづきを挙げて主人の健康を祝するや、ユウゴオ傍かたはらなるフランソア・コツペエを顧みて云ふやう、﹁今この席上なる二詩人迭たがひに健康を祝さんとす。亦また善からずや﹂と。意コツペエが為に乾杯せんとするにあり。コツペエ辞して云ふ、﹁否、否、座ざか間ん詩人は唯一いち人にんあるのみ﹂と。意詩人の名に背そむかざるものは唯ユウゴオ一いち人にんのみなるを云ふなり。時に﹁オリアンタアル﹂の作者、忽ち破顔して答ふるやう、﹁詩人は唯一いち人にんあるのみとや。善し、さらば我は如いか何に﹂と。意コツペエが言を翻ひるがへしておのが仰損を示せるなり。曰く﹁僧院の秋﹂の会、曰く﹁三みう浦ら製糸場主﹂の会、曰く猫の会、曰く杓しや子くしの会、方はう今こんの文壇会甚はなはだ多しと雖いへども、未いまだ滑くわ脱つだつの妙を極めたる、斯かくの如き応酬ありしを聞かず。傍かたはらに人あり。嗤わらつて云ふ、﹁請ふ、隗くわいより始めよ﹂と。︵二月二十七日︶
白雨禅
狩かの野うは芳うが涯い常に諸しよ弟てい子しに教へて曰いはく、﹁画ぐわの神理、唯当まさに悟ごと得くすべきのみ。師授によるべからず﹂と。一日芳涯病んで臥ふす。偶たまたま白雨天を傾けて来り、深しん巷かう寂せきとして行かう人じんを絶つ。師弟共に黙して雨うせ声いを聴きくもの多時、忽ち一いち人にんあり。高歌して門外を過ぐ。芳涯莞くわ爾んじとして、諸弟子を顧みて曰、﹁会ゑせりや﹂と。句下殺人の意あり。吾ご家かの吹すゐ毛まう剣けん、単ぜん于う千金に購あがなひ、妖精太たい陰いんに泣く。一道の寒光、君看取せよ。︵三月三日︶
批評
ピロンが、皮肉は世に聞えたり。一文人彼に語るに前人未発の業を成さん事を以てす。ピロン冷然として答ふらく、﹁易い々いたるのみ。君自身の讃さん辞じを作らば可﹂と。当代の文壇、聞くが如くんば、党派批評あり。売笑批評あり。挨あい拶さつ批評あり。雷同批評あり。紛ふん々ぷんたる毀きよ誉はう褒へ貶ん、庸よう愚ぐの才が自讃の如きも、一犬の虚に吠ゆる処、万犬亦また実を伝へて、必かならずしもピロンが所いは謂ゆる、前人未発の業と做なす可べからず。寿じゆ陵りよ余うよ子し生れてこの季世にあり。ピロンたるも亦また難いかな。︵三月四日︶
誤謬
門前の雀じや羅くら蒙もう求ぎうを囀さへづると説く先生あれば、燎れう原げんを焼く火の如しと辯ずる夫ふう子しあり。明治神宮の用材を賛さんして、彬ひん々ひんたるかな文質と云ふ農学博士あれば、海陸軍の拡張を議して、艨もう艟どう罷ひき休うあらざる可らずと云ふ代議士あり。昔は姜きや度うとの子こを誕たんするや、李りり林ん甫ぼ手しゆ書を作つて曰いはく、聞く、弄ろうの喜よろこびありと。客之を視て口を掩おほふ。蓋し林りん甫ぽの璋しや字うじを誤つて、字しやうじを書せるを笑へるなり。今は大臣の時勢を慨するや、危険思想の瀰びま漫んを論じて曰、病既に膏かう盲まう﹇#﹁膏かう盲まう﹂はママ﹈に入る、国家の興廃旦夕にありと。然れども天下怪しむ者なし。漢学の素養の顧られざる、亦また甚しと云はざる可らず。況いはんや方今の青年子女、レツテルの英語は解すれども、四書の素そど読くは覚おぼ束つかなく、トルストイの名は耳に熟すれども、李りせ青いれ蓮んの号は眼に疎うときもの、紛ふん々ぷんとして数へ難し。頃けい日じつ偶たまたま書林の店頭に、数冊の古ふる雑誌を見る。題して紅こう潮てい社しや発はつ兌だ紅潮第何号と云ふ。知らずや、漢語に紅潮と云ふは女子の月経に外ほかならざるを。︵四月十六日︶
入月
西洋に女子の紅こう潮てうを歌へる詩ありや否や、寡くわ聞ぶんにして未いまだ之を知らず。支那には宮きゆ掖うえ閨きけ閤いかふの詩中、稀まれに月経を歌へるものあり。王わう建けんが宮きゆ詞うしに曰いはく、﹁密くん奏わう君にみ王つそ知うし入つき月にいるをしる、喚ひと人をよ相んで伴あひ洗とも裙なつ裾てくんきよをあらふ﹂と。春しゆ風んぷう珠しゆ簾れんを吹いて、銀ぎん鉤こうを蕩たうするの処、蛾が眉びの宮人の衣いく裙んを洗ふを見る、月げつ事じも亦また風流ならずや。︵四月十六日︶
遺精
西洋に男子の遺ゐせ精いを歌へる詩ありや否や、寡聞にして未いまだ之を知らず。日本には俳諧錦きん繍しう段だんに、﹁遺精驚く暁のゆめ、神しん叔しゆく﹂とあり。但ただしこの遺精の語義、果して当代に用ふる所のものと同じきや否やを詳つまびらかにせず。識者の示しけ教うを得ば幸かう甚じんなり。︵四月十六日︶
後世
君見ずや。本ほん阿あ弥みの折をり紙かみ古ここ今んに変ず。羅ロマ曼ン派起つてシエクスピイアの名、四海に轟く事迅じん雷らいの如く、羅曼派亡んでユウゴオの作、八方に廃すたるる事霜さう葉えふに似たり。茫々たる流るて転んの相さう。目前は泡沫、身しん後ごは夢幻。智ちい音ん得可からず。衆愚度し難し。フラゴナアルの技ぎを以イタ太リ利イに修めんとするや、ブウシエその行かうを送つて曰いはく、﹁ミシエル・アンジユが作を見ること勿なかれ。彼が如きは狂人のみ﹂と。ブウシエを哂わらつて俗漢と做なす。豈あに敢あへて難しとせんや。遮さも莫あらばあれ千年の後のち、天下靡びぜ然んとしてブウシエの見けんに赴おもむく事無しと云ふ可らず。白はく眼がん当世に傲おごり、長ちや嘯うせう後代を待つ、亦また是これ鬼きく窟つ裡りの生計のみ。何ぞ若しかん、俗に混じて、しかも自みづから俗ならざるには。籬まがきに菊有り。琴ことに絃げん無し。南なん山ざん見来きたれば常に悠々。寿じゆ陵りよ余うよ子し文を陋ろう屋をくに売る。願くば一生後こう生せいを云はず、紛ふん々ぷんたる文壇の張ちや三うさ李んり四しと、トルストイを談じ、西さい鶴かくを論じ、或は又甲主義乙傾向の是非曲直を喋てふ々てふして、遊戯三ざん昧まいの境きやうに安んぜんかな。︵五月二十六日︶
罪と罰
鴎おう外ぐわい先生を主筆とせる﹁しがらみ草さう紙し﹂第四十七号に、謫たく天てん情じや僊うせんの七しち言ごん絶ぜつ句く、﹁読つみ罪とば与つじ罰やう上へん篇をよむ﹂数首あり。泰たい西せいの小説に題するの詩、嚆かう矢し恐らくはこの数首にあらんか。左にその二三を抄出すれば、﹁考かう慮りよ閃ひら来めき如きた電つて光でんくわうのごとし、茫ばう然ぜん飛とん入でい老るら婆うば房のばう、自みづ談から罪だん跡ずざ真いせ耶きし仮んかかか、警けい吏りあ暗んさ殺つす狂きや不うか狂ふきやうか﹂︵第十三回︶﹁窮きゆ女うぢ病よび妻やう哀さい涙あい紅るゐくれなゐに、車しや声せい轣れき轆ろく仆とし家てか翁をうたふる、傾なう嚢をか相たむ救けて客あひ何すく侠うふかくなんぞけふなる、一いち度どあ相ひあ逢ふし酒ゆし肆のう中ち﹂︵第十四回︶﹁可かれ憐んの小せう女ぢよ去さつ邀てひ賓んをむかへ、慈じぜ善んの書しよ生せい半はん死しの身み、見みい到たる室しつ中ちう無いち一ぶつ物なし、感かん恩おん人のひ是とは動これ情どう人じやうのひと﹂︵第十八回︶の如し。詩の佳か否ひは暫く云はず、明治二十六年の昔、既に文壇ドストエフスキイを云々するものありしを思へば、この数首の詩に対して破顔一番するを禁じ難きもの、何ぞ独り寿じゆ陵りよ余うよ子しのみならん。︵五月二十七日︶
悪魔
悪魔の数甚はなはだ多し。総数百七十四万五千九百二十六匹あり。分つて七十二隊を為なし、一隊毎に隊長一匹を置くとぞ。是れ十六世紀の末葉、独人 Wierus が悪魔学に載する所、古ここ今んを問はず、東西を論ぜず、魔界の消息を伝へて詳密なる、斯かくの如きものはあらざるべし。︵十六世紀の欧ヨオ羅ロツ巴パには、悪魔学の先せん達だつ尠すくなからず。ウイルスが外にも、以イタ太リ利イの Pietro d'Apone の如き、英イン克グラ蘭ンドの Reginald Soct の如き、皆天下に雷名あり。︶又曰いはく、﹁悪魔の変へん化げ自じざ在いなる、法律家となり、昆こん侖ろん奴ぬとなり、黒こく驪りとなり、僧人となり、驢ろとなり、猫となり、兎となり、或は馬車の車輪となる﹂と。既に馬車の車輪となる。豈あに半夜人を誘いざなつて、煙火城中に去らんとする自動車の車輪とならざらんや。畏おそる可く、戒む可し。︵五月二十八日︶
聊斎志異
聊れう斎さい志し異いが剪せん燈とう新しん話わと共に、支那小説中、鬼き狐こを説いて、寒燈為に青からんとする妙を極めたるは、洽あまねく人の知る所なるべし。されど作者蒲ほし松よう齢れいが、満洲朝廷に潔いさぎよからざるの余り、牛ぎう鬼きだ蛇し神んの譚ものがたりに託して、宮きゆ掖うえきの隠微を諷したるは、往々本邦の読者の為に、看かん過くわせらるるの憾うらみなきに非ず。例へば第二巻所載侠けふ女じよの如きも、実は宦くわ人んじん年ねん羹かう堯げうの女ぢよが、雍よう正せい帝ていを暗殺したる秘史の翻案に外ならずと云ふ。崑こん崙ろん外ぐわ史いしの題詞に、﹁董とう狐こあ豈にひ独とり人じん倫りん鑒のかんならんや﹂と云へる、亦また這しや般はんの消息を洩らせるものに非ずして何ぞや。西スペ班イ牙ンにゴヤの Los Caprichos あり。支那に留りう仙せんの聊れう斎さい志し異いあり。共に山さん精せい野や鬼きを借りて、乱臣賊子を罵殺せんとす。東西一双の白はく玉ぎよ瓊くけい、金きん匱きの蔵ざうに堪へたりと云ふべし。︵五月二十八日︶
麗人図
西スペ班イ牙ンに麗人あり。Dona Maria Theresa と云ふ。若くしてヴイラフランカ十一代の侯 Don Jos Alvalez de Toledo に嫁す。明めい眸ぼう絳かう脣しん、香かう肌き白き事脂しの如し。女王マリア・ルイザ、その美を妬ねたみ、遂に之を鴆ちん殺さつせしむ。人じん間かん止とどめ得たり一香嚢の長恨ある、かの楊やう太たい真しんと何いづれぞや。侯爵夫人に情じや郎うらうあり。Francesco de Goya と云ふ。ゴヤは画名を西班牙に馳はするもの、生前屡しばしばドンナ・マリア・テレサの像を描ゑがく。俗伝にして信ずべくんば、Maja vestida と Maja desnuda との両りや画うぐ幀わたう、亦また実に侯爵夫人が一代の国色を伝ふるが如し。後年仏フラ蘭ン西スに一画家あり。Edouard Manet と云ふ。ゴヤが侯爵夫人の画像を得て、狂喜自みづから禁ずる能あたはず。直ただちにその画像を模して、一いつ幀たう春の如き麗人図を作る。マネ時に印象派の先せん達だつたり。交かうを彼と結ぶもの、当世の才人尠すくなからず。その中に一詩人あり。Charles Baudelaire と云ふ。マネが侯爵夫人の画像を得て、愛あい翫がんする事洪こう璧へきの如し。千八百六十六年、ボオドレエルの狂疾を発して、巴パ里リの寓居に絶命するや、壁間亦またこの檀だん口こう雪せつ肌き、天仙の如き麗人図あり。星眼長とこしへに秋波を浮べて、﹁悪の華はな﹂の詩人が臨終を見る、猶なほ往年マドリツドの宮廷に、黄面の侏しゆ儒じゆが筋きん斗との戯ぎを傍観するが如くなりしと云ふ。︵五月二十九日︶
売色鳳香餅
支那に龍りや陽うやうの色しよくを売る少年を相しや公うこうと云ふ。相公の語、もと像しや姑うこより出づ。妖えい恰あたかも姑こぢ娘やうの如くなるを云ふなり。像姑相公同音相通ず。即すなはち用ひて陰いん馬ばの名に換へたるのみ。支那に路上春を鬻ひさぐの女ぢよを野や雉ちと云ふ。蓋けだし徘徊行かう人じんを誘いざなふ、恰あたかも野雉の如くなるを云ふなり。邦語にこの輩を夜よた鷹かと云ふ。殆ほとんど同一轍てつに出づと云ふべし。野雉の語行はれて、野やち雉し車やの語出づるに至る。野雉車とは仰そも何ぞ。北ペキ京ン上シヤ海ンハイに出没する、無鑑札の朦もう朧ろう車しや夫ふなり。︵五月三十日︶
泥黎口業
寿じゆ陵りよ余うよ子し雑誌﹁人にん間げん﹂の為に、骨こつ董とう羹かんを書く事既に三回。東西古ここ今んの雑書を引いて、衒げん学がくの気焔を挙ぐる事、恰あたかもマクベス曲中の妖えう婆ばの鍋なべに類せんとす。知者は三千里外にその臭を避け、昧まい者しやは一弾指しか間んにその毒に中あたる。思ふに是泥でい黎りの口こう業げふ。羅らく貫わん中ちう水すゐ滸こで伝んを作つて、三さん生せい唖あ子しを生むとせば、寿陵余子亦また骨董羹を書いて、仰そも如いか何んの冥みや罰うばつをか受けん。黙殺か。撲滅か。或は余子の小説集、一冊も市いちに売れざるか。若しかず、速すみやかに筆を投じて、酔中独り繍しう仏ぶつの前に逃たう禅ぜんの閑を愛せんには。昨の非を悔い今こんの是ぜを知る。何なんぞ須しゆ臾ゆも踟ちち※う﹇#﹁足へん+廚﹂、79-上-3﹈せん。抛はう下かす、吾ご家かの骨董羹。今こん日にち喫きつし得て珍ちん重ちようならば、明みや日うにち厠しじ上やうに瑞光あらん。糞中の舎しや利り、大たい家か看みよ。︵五月三十日︶
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天路歴程
Pilgrim's Progress を天てん路ろれ歴きて程いと翻訳するのは清の同治八年︵西暦千八百六十九年︶上海華草書館にて出版せる漢訳の名を踏たう襲しふせるにや。この書、篇中の人物風景を悉ことごとく支那風に描きたる銅版画の画数葉あり。その入にふ窄さく門もん図づの如き、或は入美宮図の如き、長崎絵の紅毛人に及ばざれど、亦一種の風ふう韻ゐん無きに非らず。文章も漢を以て洋を叙じよするの所、読み来り読み去つて感興反つて尠すくなからざるを覚ゆ。殊にその英詩を翻訳したる、詩としては見るに堪へざらんも、別様の趣致あるは画と一なり。譬たとへば生命水の河の詩に﹁路ろば旁うの生せい命めい水みづ清きよ流くながる、天てん路ろの行かう人じん喜よろ暫こび留しばらくとどまる、百ひや菓つく奇わき花くわ供えつ悦らく楽にきようす、吾わが儕さい幸さい得はひ此にえ埔たり遊このほのいう﹂と云ふが如し。この種の興味を云々するは恐らく傍人の嗤笑を買ふ所にならん。然れども思へ、獄中のオスカア・ワイルドが行往坐臥に侶としたるも、こちたき希ギリ臘シヤ語ごの聖書なりしを。︵一月二十一日︶
三馬
二三子集り議して曰、今人の眼を以て古人の心を描く事、自然主義以後の文壇に最も目ざましき傾向なるべしと。一老人あり。傍より言を挾はさみて曰、式しき亭てい三さん馬ばが大千世界楽屋探しは如いか何んと。二三子の言の出づる所を知らず、相顧みて唖あぜ然んたるのみ。︵一月二十七日︶
尾崎紅葉
紅葉の歿後殆二十年。その﹁多情多恨﹂の如き、﹁伽から羅まく枕ら﹂の如き、﹁二人女房﹂の如き、今日猶なほ之を翻読するも宛えん然ぜんたる一いち朶だの鼈べつ甲かう牡ぼた丹ん、光彩更に磨滅すべからざるが如し。人亡んで業顕あらはるとは誠にこの人の謂いひなるかな。思ふに前記の諸篇の如き、布局法あり、行筆本あり、変化至つて規き矩くを離れざる、能く久遠に垂たるべき所ゆゑ以んならん。予常に思ふ、芸術の境に未成品ある莫なしと。紅葉亦然らざらんや。︵二月三日︶
誨淫の書
金きん瓶ぺい梅ばい、肉にく蒲ぶと団んは問はず、予が知れる支那小説中、誨淫の譏そしりあるものを列挙すれば、杏きや花うく天わてん、燈たう芯しん奇きそ僧うで伝ん、痴ちば婆し子で伝ん、牡丹奇縁、如によ意いく君んで伝ん、桃花庵、品ひん花くわ宝はう鑑かん、意外縁、殺子報、花影奇情伝、醒せい世せい第だい一いち奇きし書よ、歓喜奇観、春風得意奇縁、鴛えん鴦あう夢む、野やゆ臾ばう曝げ言ん、淌せう牌はい黒こく幕ばく等なるべし。聞く、夙つとに舶載せられしものは、既に日本語の翻案ありと。又聞く、近年この種の翻案を密に剞きけに附せしものありと。若し這しや般はんの和訳艶情小説を一読過せんと欲するものは、請こふ、当代の照せう魔まき鏡やうたる検閲官諸氏の門を叩いて恭うやうやしくその蔵する所の発売禁止本を借用せよ。︵二月十二日︶
演劇史
西洋演劇研究の書今は多く出でたれど、その濫らん觴しやうをなせしものは永井徹が著したる各国演劇史の一巻ならん。この書、太たい鼓こ喇らつ叭ぱ竪たて琴ことなどを描きたる銅版画の表紙の上に、Kakkoku Engekishi なる羅ロオ馬マ字じを題す。内容は劇場及機関道具等の変遷、男女俳優古今の景状、各国戯曲の由来等なれど、英イギ吉リ利スの演劇を論ずること最も詳しきものの如し。その一斑を紹介すれば、﹁然るに千五百七十六年女王エリサベスの時代に至り、始めて特別演劇興行の為め、ブラツク・フラヤス寺院の不用なる領地に於て劇場を建立したり。之を英国正統なる劇場の始祖とす。︵中略︶俳優にはウイリヤム・セキスピヤと云へる人あり。当時は十二歳の児童なりしが、ストラタフオルドの学校にて、羅ラテ甸ン並に希ギリ臘シヤの初学を卒業せしものなり。﹂の如き、破顔微笑せらるる記事少からず。明治十七年一月出版、著者永井徹の警視庁警視属なるも一興なり。︵二月十四日︶
寿陵余子
(大正九年)