一
先頃大おお殿との様さま御一代中で、一番人ひと目めを駭おどろかせた、地じご獄くへ変んの屏びょ風うぶの由来を申し上げましたから、今度は若殿様の御生涯で、たった一度の不思議な出来事を御話し致そうかと存じて居ります。が、その前に一通り、思いもよらない急な御病気で、大殿様が御ごこ薨うき去ょになった時の事を、あらまし申し上げて置きましょう。
あれは確か、若殿様の十九の御年だったかと存じます。思いもよらない急な御病気とは云うものの、実はかれこれその半年ばかり前から、御おや屋か形たの空へ星が流れますやら、御庭の紅梅が時ならず一度に花を開きますやら、御おう厩まやの白しろ馬うまが一いち夜やの内に黒くなりますやら、御池の水が見る間に干ひあ上がって、鯉こいや鮒ふなが泥の中で喘あえぎますやら、いろいろ凶わるい兆しらせがございました。中でも殊に空恐ろしく思われたのは、ある女房の夢枕に、良よし秀ひでの娘の乗ったような、炎々と火の燃えしきる車が一輛、人じん面めんの獣けものに曳かれながら、天から下おりて来たと思いますと、その車の中からやさしい声がして、﹁大殿様をこれへ御迎え申せ。﹂と、呼よばわったそうでございます。その時、その人面の獣が怪しく唸うなって、頭かしらを上げたのを眺めますと、夢ゆめ現うつつの暗やみの中にも、唇ばかりが生なま々なましく赤かったので、思わず金切声をあげながら、その声でやっと我に返りましたが、総身はびっしょり冷ひや汗あせで、胸さえまるで早鐘をつくように躍っていたとか申しました。でございますから、北の方かたを始め、私わたくしどもまで心を痛めて、御屋形の門かど々かどに陰おん陽みょ師うじの護ご符ふを貼りましたし、有うげ験んの法ほう師したちを御召しになって、種々の御祈祷を御上げになりましたが、これも誠に遁れ難い定じょ業うごうででもございましたろう。
ある日――それも雪もよいの、底冷がする日の事でございましたが、今いま出でが川わの大だい納なご言ん様の御屋形から、御帰りになる御みく車るまの中で、急に大熱が御発しになり、御帰館遊ばした時分には、もうただ﹁あた、あた﹂と仰おっ有しゃるばかり、あまつさえ御お身みのうちは、一面に気味悪く紫立って、御おし褥とねの白しろ綾あやも焦げるかと思う御みけ気し色きになりました。元よりその時も御枕もとには、法師、医師、陰おん陽みょ師うじなどが、皆それぞれに肝かん胆たんを砕いて、必死の力を尽しましたが、御熱は益ますます烈しくなって、やがて御おん床ゆかの上まで転ころび出ていらっしゃると、たちまち別人のような嗄しわがれた御声で、﹁あおう、身のうちに火がついたわ。この煙けぶりは如いか何が致した。﹂と、狂おしく御おた吼けりになったまま、僅わず三かみ時ときばかりの間に、何とも申し上げる語ことばもない、無残な御ごさ最い期ごでございます。その時の悲しさ、恐ろしさ、勿もっ体たいなさ――今になって考えましても、蔀しとみに迷っている、護ご摩まの煙けぶりと、右往左往に泣き惑っている女房たちの袴の紅あけとが、あの茫然とした験げん者ざや術師たちの姿と一しょに、ありありと眼に浮かんで、かいつまんだ御話を致すのさえ、涙が先に立って仕方がございません。が、そう云う思い出の内でも、あの御年若な若殿様が、少しも取乱した御ごよ容う子すを御見せにならず、ただ、青ざめた御顔を曇らせながら、じっと大殿様の御枕元へ坐っていらしった事を考えると、なぜかまるで磨とぎすました焼やき刃ばのいでも嗅かぐような、身にしみて、ひやりとする、それでいてやはり頼もしい、妙な心もちが致すのでございます。
二
御ごし親ん子しの間がらでありながら、大殿様と若殿様との間くらい、御ごよ容う子すから御性質まで、うらうえなのも稀まれでございましょう。大殿様は御承知の通り、大だい兵ひょ肥うひ満まんでいらっしゃいますが、若殿様は中ちゅ背うぜいの、どちらかと申せば痩ぎすな御生れ立ちで、御ごき容りょ貌うも大殿様のどこまでも男らしい、神将のような俤おもかげとは、似もつかない御優しさでございます。これはあの御美しい北の方かたに、瓜うり二ふたつとでも申しましょうか。眉の迫った、眼の涼しい、心もち口もとに癖のある、女のような御顔立ちでございましたが、どこかそこにうす暗い、沈んだ影がひそんでいて、殊に御装束でも召しますと、御立派と申しますより、ほとんど神かみ寂さびているとでも申し上げたいくらい、いかにももの静な御威光がございました。
が、大殿様と若殿様とが、取り分け違っていらしったのは、どちらかと云えば、御気象の方で、大殿様のなさる事は、すべてが豪ごう放ほうで、雄大で、何でも人ひと目めを驚かさなければ止まないと云う御勢いでございましたが、若殿様の御好みは、どこまでも繊細で、またどこまでも優雅な趣がございましたように存じて居ります。たとえば大殿様の御心もちが、あの堀川の御ごし所ょに窺うかがわれます通り、若殿様が若にゃ王くお子うじに御造りになった竜たつ田たの院は、御規模こそ小そうございますが、菅かん相しょ丞うじょうの御歌をそのままな、紅もみ葉じばかりの御庭と申し、その御庭を縫っている、清らかな一すじの流れと申し、あるいはまたその流れへ御放しになった、何羽とも知れない白しら鷺さぎと申し、一つとして若殿様の奥床しい御おお思ぼし召めしのほどが、現れていないものはございません。
そう云う次第でございますから、大殿様は何かにつけて、武ぶ張ばった事を御好みになりましたが、若殿様はまた詩しい歌かか管んげ絃んを何よりも御喜びなさいまして、その道々の名人上手とは、御身分の上下も御忘れになったような、隔てない御つき合いがございました。いや、それもただ、そう云うものが御好きだったと申すばかりでなく、御自分も永年御心を諸芸の奥おう秘ひに御潜めになったので、笙しょうこそ御吹きになりませんでしたが、あの名高い帥そち民のみ部んぶ卿きょう以来、三さん舟しゅうに乗るものは、若殿様御おひ一と人りであろうなどと、噂のあったほどでございます。でございますから、御家の集しゅうにも、若殿様の秀句や名歌が、今に沢山残って居りますが、中でも世上に評判が高かったのは、あの良よし秀ひでが五ごし趣ゅし生ょう死じの図を描かいた竜りゅ蓋うが寺いじの仏事の節、二人の唐から人びとの問答を御聞きになって、御お詠よみになった歌でございましょう。これはその時磬うちならしの模様に、八はち葉ようの蓮れん華げを挟はさんで二羽の孔くじ雀ゃくが鋳いつけてあったのを、その唐人たちが眺めながら、﹁捨しゃ身しん惜しゃ花っか思し﹂と云う一人の声の下から、もう一人が﹁打だふ不りゅ立うう有ちょ鳥う﹂と答えました――その意味合いが解げせないので、そこに居合わせた人々が、とかくの詮議立てをして居りますと、それを御聞きになった若殿様が、御持ちになった扇の裏へさらさらと美しく書き流して、その人々のいる中へ御おつ遣かわしになった歌でございます。
身をすてて花を惜しやと思ふらむ打てども
立たぬ鳥もありけり
三
大殿様と若殿様とは、かように万事がかけ離れていらっしゃいましたから、それだけまた御おふ二たか方たの御おん仲なかにも、そぐわない所があったようでございます。これにも世間にはとかくの噂がございまして、中には御ごし親ん子しで、同じ宮みや腹ばらの女房を御争いになったからだなどと、申すものもございますが、元よりそのような莫ば迦かげた事があろう筈はございません。何でも私わたくしの覚えて居ります限りでは、若殿様が十五六の御年に、もう御二方の間には、御不和の芽がふいていたように御見受け申しました。これが前にもちょいと申し上げて置きました、若殿様が笙しょうだけを御吹きにならないと云う、その謂いわれに縁のある事なのでございます。
その頃、若殿様は大そう笙を御好みで、遠縁の従いと兄こに御当りなさる中なか御みか門どの少しょ納うな言ごんに、御おで弟し子い入りをなすっていらっしゃいました。この少納言は、伽がり陵ょうと云う名高い笙と、大だい食じき調ちょ入うに食ゅう調じきちょうの譜とを、代々御家に御伝えになっていらっしゃる、その道でも稀きだ代いの名人だったのでございます。
若殿様はこの少納言の御手許で、長らく切せっ磋さた琢く磨まの功を御積みになりましたが、さてその大だい食じき調ちょ入うに食ゅう調じきちょうの伝授を御望みになりますと、少納言はどう思召したのか、この仰せばかりは御聞き入れになりません。それが再三押して御頼みになっても、やはり御満足の行くような御返事がなかったので、御年若な若殿様は、一方ならず残念に思召したのでございましょう。ある日大殿様の双すご六ろくの御相手をなすっていらっしゃる時に、ふとその御不満を御洩しになりました。すると大殿様はいつものように鷹おう揚ように御笑いになりながら、﹁そう不平は云わぬものじゃ。やがてはその譜も手にはいる時節があるであろう。﹂と、やさしく御慰めになったそうでございます。ところがそれから半月とたたないある日の事、中御門の少納言は、堀川の御おや屋か形たの饗さかもりへ御出になった帰りに、俄にわかに血を吐いて御おな歿くなりになってしまいました。が、それは先ず、よろしいと致しましても、その明くる日、若殿様が何気なく御居間へ御出でになると、螺らで鈿んを鏤ちりばめた御机の上に、あの伽がり陵ょうの笙と大食調入食調の譜とが、誰が持って来たともなく、ちゃんと載っていたと申すではございませんか。
その後のちまた大殿様が若殿様を御相手に双すご六ろくを御打ちになった時、
﹁この頃は笙も一段と上達致したであろうな。﹂と、念を押すように仰おっ有しゃると、若殿様は静に盤ばん面めんを御眺めになったまま、
﹁いや笙はもう一生、吹かない事に致しました。﹂と、冷かに御答えになりました。
﹁何としてまた、吹かぬ事に致したな。﹂
﹁聊いささかながら、少納言の菩ぼだ提いを弔とむらおうと存じますから。﹂
こう仰おっ有しゃって若殿様は、じっと父上の御顔を御見つめになりました。が、大殿様はまるでその御声が聞えないように勢いよく筒とうを振りながら、
﹁今度もこの方が無むじ地が勝ちらしいぞ。﹂とさりげない容よう子すで勝負を御続けになりました。でございますからこの御問答は、それぎり立ち消えになってしまいましたが、御親子の御仲には、この時からある面白くない心もちが、挟まるようになったかと存ぜられます。
四
それから大殿様の御隠れになる時まで、御ごし親ん子しの間には、まるで二羽の蒼あお鷹たかが、互に相手を窺いながら、空を飛びめぐっているような、ちっとの隙すきもない睨にらみ合いがずっと続いて居りました。が、前にも申し上げました通り若殿様は、すべて喧嘩口論の類たぐいが、大だい御おき嫌らいでございましたから、大殿様の御ごし所ょぎ業ょうに向っても、楯たてを御つきになどなった事は、ほとんど一度もございません。ただ、その度に皮肉な御微笑を、あの癖のある御口元にちらりと御浮べになりながら、一ひと言こと二ふた言こと鋭い御批判を御お漏もらしになるばかりでございます。
いつぞや大殿様が、二条大宮の百ひゃ鬼っき夜やぎ行ょうに御遇いになっても、格別御障りのなかった事が、洛中洛外の大評判になりますと、若殿様は私わたくしに御向いになりまして、﹁鬼きじ神んが鬼神に遇うたのじゃ。父上の御お身みに害がなかったのは、不思議もない。﹂と、さも可お笑かしそうに仰おっ有しゃいましたが、その後また、東三条の河かわ原らの院いんで、夜な夜な現れる融とおるの左大臣の亡霊を、大殿様が一喝して御おし卻りぞけになった時も、若殿様は例の通り、唇を歪ゆがめて御笑いになりながら、
﹁融の左大臣は、風月の才に富んで居られたと申すではないか。されば父上づれは、話のあとを打たせるにも足らぬと思われて、消え失せられたに相違ない。﹂と、仰おっ有しゃったのを覚えて居ります。
それがまた大殿様には、何よりも御耳に痛かったと見えまして、ふとした拍ひょ子うしに、こう云う若殿様の御言葉が、御聞きに達する事でもございますと、上べは苦笑いに御おま紛ぎらわしなすっても、御心中の御怒りはありありと御顔に読まれました。現に内だい裡りの梅見の宴からの御帰りに、大殿様の御みく車るまの牛がそれて、往来の老人に怪我させた時、その老人が反かえって手を合せて、権ごん者じゃのような大殿様の御みう牛しにかけられた冥みょ加うがのほどを、難あり有がたがった事がございましたが、その時も若殿様は、大殿様のいらっしゃる前で、牛飼いの童子に御向いなさりながら、﹁その方はうつけものじゃな。所しょ詮せん牛をそらすくらいならば、なぜ車の輪にかけて、あの下げ司すを轢ひき殺さぬ。怪我をしてさえ、手を合せて、随喜するほどの老おや爺じじゃ。轍わだちの下に往生を遂げたら、聖しょ衆うじゅの来らい迎ごうを受けたにも増して、難あり有がたく心得たに相違ない。されば父上の御名誉も、一段と挙がろうものを。さりとは心がけの悪い奴じゃ。﹂と、仰有ったものでございます。その時の大殿様の御機嫌の悪さと申しましたら、今にも御手の扇が上って、御ごせ折っか檻んくらいは御加えになろうかと、私ども一同が胆きもを冷すほどでございましたが、それでも若殿様は晴々と、美しい歯を見せて御笑いになりながら、
﹁父上、父上、そう御腹立ち遊ばすな。牛飼めもあの通り、恐れ入って居おるようでございます。この後のちとも精々心にかけましたら、今度こそは立派に人一人轢き殺して、父上の御名誉を震しん旦たんまでも伝える事でございましょう。﹂と、素そ知しらぬ顔で仰有ったものでございますから、大殿様もとうとう我がを御折りになったと見えて、苦にがい顔をなすったまま、何事もなく御立ちになってしまいました。
こう云う御間がらでございましたから、大殿様の御臨終を、じっと御お目ま守もりになっていらっしゃる若殿様の御姿ほど、私どもの心の上に不思議な影を宿したものはございません。今でもその時の事を考えますと、まるで磨ぎすました焼やき刃ばのいを嗅ぐような、身にしみてひやりとする、と同時にまた何となく頼もしい、妙な心もちが致した事は、先刻もう御耳に入れて置きました。誠にその時の私どもには、心から御ごだ代いが替わりがしたと云う気が、――それも御おや屋か形たの中ばかりでなく、一いっ天てん下かにさす日影が、急に南から北へふり変ったような、慌あわただしい気が致したのでございます。
五
でございますから若殿様が、御家督を御取りになったその日の内から、御おや屋か形たの中へはどこからともなく、今までにない長のど閑かな景けし色きが、春しゅ風んぷうのように吹きこんで参りました。歌うた合あわせ、花合せ、あるいは艶えん書しょ合あわせなどが、以前にも増して度々御催しになられたのは、申すまでもございますまい。それからまた、女房たちを始め、侍どもの風俗が、まるで昔の絵巻から抜け出して来たように、みやびやかになったのも、元よりの事でございます。が、殊に以前と変ったのは、御屋形の御客に御出でになる上うえつ方がたの御顔ぶれで、今はいかに時めいている大臣大将でも、一芸一能にすぐれていらっしゃらない方は、滅めっ多たに若殿様の御眼にはかかれません。いや、たとい御眼にかかれたのにしても、御出でになる方々が、皆風流の才子ばかりでいらっしゃいますから、さすがに御身を御お愧はじになって、自然御み足が遠くなってしまうのでございます。
その代りまた、詩歌管絃の道に長じてさえ居りますれば、無位無官の侍でも、身に余るような御ごほ褒う美びを受けた事がございます。たとえば、ある秋の夜に、月の光が格子にさして、機はた織おりの声が致して居りました時、ふと人を御召しになると、新参の侍が参りましたが、どう思召したのか、急にその侍に御向いなすって、
﹁機はた織おりの声が致すのは、その方ほうにも聞えような。これを題に一首仕つかまつれ。﹂と、御声がかりがございました。するとその侍は下しもにいて、しばらく頭かしらを傾けて居りましたが、やがて、﹁青あお柳やぎの﹂と、初はじめの句を申しました。するとその季節に合わなかったのが、可おか笑しかったのでございましょう。女房たちの間には、忍び笑いの声が起りましたが、侍が続いて、
﹁みどりの糸をくりおきて夏へて秋は機はた織おりぞ啼く。﹂と、さわやかに詠じますと、たちまちそれは静まり返って、萩模様のある直ひた垂たれを一領、格子の間から月の光の中へ、押し出して下さいました。実はその侍と申しますのが、私わたくしの姉の一人息子で、若殿様とは、ほぼ御ごね年んぱ輩いも同じくらいな若者でございましたが、これを御奉公の初めにして、その後のちも度々難あり有がたい御懇意を受けたのでございます。
まず、若殿様の御ごへ平いぜ生いは、あらあらかようなものでございましょうか。その間に北の方かたも御迎えになりましたし、年々の除じも目くには御官位も御進みになりましたが、そう云う事は世上の人も、よく存じている事でございますから、ここにはとり立てて申し上げません。それよりも先を急ぎますから、最初に御約束致しました通り、若殿様の御一生に、たった一度しかなかったと云う、不思議な出来事の御話へはいる事に致しましょう。と申しますのは、大殿様とは御違いになって、天あめが下したの色ごのみなどと云う御おん渾あだ名なこそ、御受けになりましたが、誠に御無事な御生涯で、そのほかには何一つ、人口に膾かい炙しゃするような御逸事と申すものも、なかったからでございます。
六
その御話のそもそもは、確か大殿様が御隠れになってから、五六年たった頃でございますが、丁度その時分若殿様は、前に申しあげました中なか御みか門どの少納言様の御一人娘で、評判の美しい御姫様へ、茂しげ々しげ御文を書いていらっしゃいました。ただ今でもあの頃の御熱心だった御噂が、私わたくしどもの口から洩れますと、若殿様はいつも晴はれ々ばれと御笑いになって、
﹁爺よ。天あめが下したは広しと云え、あの頃の予が夢中になって、拙つたない歌や詩を作ったのは皆、恋がさせた業わざじゃ。思えば狐きつねの塚を踏んで、物に狂うたのも同然じゃな。﹂と、まるで御自分を嘲るように、洒しゃ落らくとしてこう仰おっ有しゃいます。が、全く当時の若殿様は、それほど御平生に似もやらず、恋れん慕ぼざ三んま昧いに耽って御出でになりました。
しかし、これは、あながち、若殿様御一人に限った事ではございません。あの頃の年若な殿てん上じょ人うびとで、中なか御みか門どの御姫様に想おもいを懸けないものと云ったら、恐らく御一方もございますまい。あの方が阿おと父うさ様まの代から、ずっと御住みになっていらっしゃる、二条西にし洞のと院ういんの御おや屋か形たのまわりには、そう云う色好みの方々が、あるいは車を御寄せになったり、あるいは御自身御拾いで御出でになったり、絶えず御通い遊ばしたものでございます。中には一いち夜やの中に二人まで、あの御屋形の梨なしの花の下で、月に笛を吹いている立たて烏え帽ぼ子しがあったと云う噂も、聞き及んだ事がございました。
いや、現に一時は秀才の名が高かった菅すが原わら雅まさ平ひらとか仰有る方も、この御姫様に恋をなすって、しかもその恋がかなわなかった御恨みから、俄にわかに世を御捨てになって、ただ今では筑つく紫しの果に流浪して御出でになるとやら、あるいはまた東海の波を踏んで唐もろ土こしに御渡りになったとやら、皆かい目もく御おゆ行く方えが知れないと申すことでございます。この方などは若殿様とも、詩文の御交りの深かった御一人で、御消息などをなさる時は、若殿様を楽らく天てんに、御自分を東とう坡ばに比していらしったそうでございますが、そう云う風流第一の才子が、如い何かに中御門の御姫様は御美しいのに致しましても、一旦の御歎きから御生涯を辺土に御送りなさいますのは、御不覚と申し上げるよりほかはございますまい。
が、また飜ひるがえって考えますと、これも御無理がないと思われるくらい、中御門の御姫様と仰おっ有しゃる方は、御美しかったのでございます。私が一両度御見かけ申しました限でも、柳やな桜ぎさくらをまぜて召して、錦に玉を貫いた燦きらびやかな裳もの腰を、大おお殿との油あぶらの明い光に、御輝かせになりながら、御おんも重そうにうち傾いていらしった、あのあでやかな御姿は一生忘れようもございますまい。しかもこの御姫様は御気象も並々ならず御ごか闊った達つでいらっしゃいましたから、なまじいな殿上人などは、思召しにかなう所か、すぐに本ほん性しょうを御おみ見と透おしになって、とんと御ごち寵ょう愛あいの猫も同様、さんざん御おな弄ぶりになった上、二度と再び御膝元へもよせつけないようになすってしまいました。
七
でございますからこの御姫様に、想おもいを懸けていらしった方かた々がたの間には、まるで竹たけ取とり物語の中にでもありそうな、可お笑かしいことが沢山ございましたが、中でも一番御気の毒だったのは京きょ極うごくの左さだ大いべ弁んさ様まで、この方かたは京きょ童うわらんべが鴉からすの左大弁などと申し上げたほど、顔色が黒うございましたが、それでもやはり人情には変りもなく、中なか御みか門どの御姫様を恋い慕っていらっしゃいました。所がこの方は御利巧だと同時に、気の小さい御性質だったと見えまして、いかに御姫様を懐なつかしく思召しても、御自分の方からそれとは御打ち明けなすった事もございませんし、元よりまた御同輩の方にも、ついぞそれらしい事を口に出して、仰おっ有しゃった例ためしはございません。しかし忍び忍びに御姫様の御顔を拝みに参ります事は、隠れない事でございますから、ある時、それを枷かせにして、御同輩の誰彼が、手を換え品を換え、いろいろと問い落そうと御かかりになりました。すると鴉の左大弁様は、苦しまぎれの御一策に、
﹁いや、あれは何も私わたしが想おもいを懸けているばかりではない。実は姫の方からも、心ありげな風ふぜ情いを見せられるので、ついつい足が茂くなるのだ。﹂と、こう御逃げになりました。しかもそれを誠らしく見せかけようと云う出来心から、御姫様から頂いた御文の文句や、御歌などを、ある事もない事も皆一しょに取つくろって、さも御姫様の方が心を焦こがしていらっしゃるように、御話しになったからたまりません。元より悪いた戯ずら好ずきな御同輩たちは、半信半疑でいらっしゃりながら、早速御姫様の偽手紙を拵こしらえて、折からの藤ふじの枝か何かにつけたまま、それを左大弁様の許へ御とどけになりました。
こちらは京極の左大弁様で、何事かと胸を轟かせながら、慌あわてて御文を開けて見ますと、思いもよらず御姫様は、いかに左大弁様を思いわびてもとんとつれなく御もてなしになるから、所詮かなわぬ恋とあきらめて、尼あま法ほう師しの境涯にはいると云う事が、いかにももの哀れに書いてあるではございませんか。まさかそうまで御姫様が、思いつめていらっしゃろうとは、夢にも思おぼ召しめさなかったのでございますから、鴉の左大弁様は悲しいとも、嬉しいともつかない御心もちで、しばらくはただ、茫然と御文を前にひろげたまま、溜ため息いきをついていらっしゃいました。が、何はともあれ、御眼にかかって、今まで胸にひそめていた想おもいのほども申し上げようと、こう思召したのでございましょう。丁度五さみ月だ雨れの暮方でございましたが、童子を一人御伴に御つれになって、傘おおかさをかざしながら、ひそかに二条西にし洞のと院ういんの御屋形まで参りますと、御ごも門んは堅く鎖とざしてあって、いくら音なっても叩いても、開ける気けし色きはございません。そうこうする内に夜になって、人の往ゆき来きも稀な築つい土じみ路ちには、ただ、蛙かわずの声が聞えるばかり、雨は益ますます降りしきって、御召物も濡れれば、御眼も眩くらむと云う情ない次第でございます。
それがほど経てから、御門の扉が、やっと開いたと思いますと、平へい太だゆ夫うと申します私わたくしくらいの老おい侍ざむらいが、これも同じような藤の枝に御文を結んだのを渡したなり、無言でまた、その扉をぴたりと閉めてしまいました。
そこで泣く泣く御立ち帰りになって、その御文を開けて御覧になると、一首の古歌がちらし書きにしてあるだけで、一言もほかには御便りがございません。
思へども思はずとのみ云ふなればいなや思はじ思ふかひなし
これは云うまでもなく御姫様が、悪いた戯ずら好きの若殿原から、細こま々ごまと御消息で、鴉からすの左大弁様の心なしを御承知になっていたのでございます。
八
こう御話し致しますと、中には世の常の姫君たちに引き比べて、この御姫様の御ごぎ行ょう状じょうを、嘘のように思召す方もいらっしゃいましょうが、現在私が御奉公致している若殿様の事を申し上げながら、何もそのような空そら事ごとをさし加えよう道理はございません。その頃洛らく中ちゅうで評判だったのは、この御姫様ともう御一方、これは虫が大御好きで、長なが虫むしまでも御飼いになったと云う、不思議な御姫様がございました。この後あとの御姫様の事は、全くの余談でございますから、ここには何も申し上げますまい。が、中なか御みか門どの御姫様は、何しろ御両親とも御隠れになって、御屋形にはただ、先刻御耳に入れました平へい太だゆ夫うを頭かしらにして、御召使の男なん女にょが居りますばかり、それに御先代から御有福で、何御不自由もございませんでしたから、自然御美しいのと、御闊達なのとに御任せなすって、随分世を世とも思わない、御放胆な真似もなすったのでございます。
そこで噂を立て易い世間には、この御姫様御自身が、実は少納言様の北の方かたと大殿様との間に御生まれなすったので、父君の御隠れなすったのも、恋の遺いこ恨んで大殿様が毒害遊ばしたのだなどと申す輩やからも出て来るのでございましょう。しかし少納言様の急に御お歿なくなりになった御話は、前に一応申上げました通り、さらにそのような次第ではございませんから、その噂は申すまでもなく、皆跡あと方かたのない嘘でございます。さもなければ若殿様も、決してあれほどまでは御姫様へ、心を御寄せにはなりますまい。
何でも私が人ひと伝づてに承うけたまわりました所では、初めはいくら若殿様の方で御熱心でも、御姫様は反かえって誰よりも、素す気げなく御もてなしになったとか申す事でございます。いや、そればかりか、一度などは若殿様の御文を持って上った私の甥おいに、あの鴉の左大弁様同様、どうしても御門の扉を御開けにならなかったとかでございました。しかもあの平へい太だゆ夫うが、なぜか堀川の御屋形のものを仇かたきのように憎みまして、その時も梨の花に、うらうらと春はる日びがっている築つい地じの上から白しら髪があ頭たまを露あらわして、檜ひわ皮だの狩かり衣ぎぬの袖をまくりながら、推しても御門を開こうとする私の甥に、
﹁やい、おのれは昼ひる盗ぬす人びとか。盗人とあれば容よう赦しゃはせぬ。一足でも門内にはいったが最さい期ご、平太夫が太た刀ちにかけて、まっ二つに斬って捨てるぞ。﹂と、噛みつくように喚わめきました。もしこれが私でございましたら、刃にん傷じょ沙うざ汰たにも及んだでございましょうが、甥はただ、道ばたの牛の糞まりを礫つぶて代りに投げつけただけで、帰って来たと申して居りました。かような次第でございますから、元より御文が無事に御手許にとどいても、とんと御返事と申すものは頂けません。が、若殿様は、一向それにも御頓着なく、三日にあげず、御文やら御歌やら、あるいはまた結構な絵巻やらを、およそものの三月あまりも、根気よく御おつ遣かわしになりました。さればこそ、日頃も仰おっ有しゃる通り、﹁あの頃の予が夢中になって、拙つたない歌や詩を作ったのは、皆恋がさせた業わざじゃ。﹂に、少しも違いはなかったのでございます。
九
丁度その頃の事でございます。洛らく中ちゅうに一人の異いぎ形ょうな沙しゃ門もんが現れまして、とんと今までに聞いた事のない、摩ま利りの教と申すものを説き弘ひろめ始めました。これも一時随分評判でございましたから、中には御聞き及びの方かたもいらっしゃる事でございましょう。よくものの草紙などに、震しん旦たんから天てん狗ぐが渡ったと書いてありますのは、丁度あの染そめ殿どのの御おき后さきに鬼が憑ついたなどと申します通り、この沙門の事を譬たとえて云ったのでございます。
そう申せば私が初めてその沙門を見ましたのも、やはり其頃の事でございました。確か、ある花曇りの日の昼ひる中なかだったかと存じますが、何か用足しに出ました帰りに、神しん泉せん苑えんの外を通りかかりますと、あすこの築つい土じを前にして、揉もみ烏え帽ぼ子しやら、立たて烏え帽ぼ子しやら、あるいはまたもの見高い市いち女めが笠さやらが、数かずにしておよそ二三十人、中には竹馬に跨った童わら部べも交って、皆一ひと塊かたまりになりながら、罵ののしり騒いでいるのでございます。さてはまた、福徳の大おお神かみに祟られた物狂いでも踊っているか、さもなければ迂うか闊つな近おう江みあ商きゅ人うどが、魚うお盗ぬす人びとに荷でも攫さらわれたのだろうと、こう私は考えましたが、あまりその騒ぎが仰ぎょ々うぎょうしいので、何なに気げなく後うしろからそっと覗のぞきこんで見ますと、思いもよらずその真まん中なかには、乞こつ食じきのような姿をした沙門が、何か頻しきりにしゃべりながら、見慣れぬ女にょ菩ぼさ薩つの画えす像がたを掲げた旗竿を片手につき立てて、佇たたずんでいるのでございました。年の頃はかれこれ三十にも近うございましょうか、色の黒い、眼のつり上った、いかにも凄じい面つらがまえで、着ているものこそ、よれよれになった墨染の法ころ衣もでございますが、渦を巻いて肩の上まで垂れ下った髪の毛と申し、頸くびにかけた十文字の怪しげな黄こが金ねの護ご符ふと申し、元より世の常の法ほう師しではございますまい。それが、私の覗のぞきました時は、流れ風に散る神泉苑の桜の葉を頭から浴びて、全く人間と云うよりも、あの智ちら羅えい永じ寿ゅの眷けん属ぞくが、鳶とびの翼を法ころ衣もの下に隠しているのではないかと思うほど、怪しい姿に見うけられました。
するとその時、私の側にいた、逞しい鍛か冶じか何かが、素早く童わら部べの手から竹馬をひったくって、
﹁おのれ、よくも地蔵菩薩を天狗だなどと吐ぬかしたな。﹂と、噛みつくように喚きながら、斜はすに相手の面おもてを打ち据えました。が、打たれながらも、その沙しゃ門もんは、にやりと気味の悪い微笑を洩らしたまま、いよいよ高く女にょ菩ぼさ薩つの画えす像がたを落花の風に飜ひるがえして、
﹁たとい今こん生じょうでは、いかなる栄えい華がを極めようとも、天上皇帝の御みお教しえに悖もとるものは、一旦命めい終しゅうの時に及んで、たちまち阿あび鼻きょ叫うか喚んの地獄に堕おち、不断の業ごう火かに皮肉を焼かれて、尽じん未みら来いまで吠え居ろうぞ。ましてその天上皇帝の遺のこされた、摩まり利し信の乃ほ法う師しに笞しもとを当つるものは、命終の時とも申さず、明あ日すが日にも諸天童子の現罰を蒙って、白びゃ癩くらいの身となり果てるぞよ。﹂と、叱りつけたではございませんか。この勢いに気を呑まれて、私は元より当の鍛か冶じまで、しばらくはただ、竹馬を戟ほこにしたまま、狂おしい沙門の振舞を、呆れてじっと見守って居りました。
十
が、それはほんの僅の間まで、鍛か冶じはまた竹たけ馬うまをとり直しますと、
﹁まだ雑ぞう言ごんをやめ居らぬか。﹂と、恐ろしい権けん幕まくで罵りながら、矢やに庭わに沙しゃ門もんへとびかかりました。
元よりその時は私はじめ、誰でも鍛冶の竹馬が、したたか相手の面おもてを打ち据えたと、思わなかったものはございません。いや、実際竹馬は、あの日の焦やけた頬に、もう一すじ蚯みみ蚓ずば腫れの跡を加えたようでございます。が、横なぐりに打ち下した竹馬が、まだ青い笹の葉に落花を掃はらったと思うが早いか、いきなり大だい地ちにどうと倒れたのは、沙門ではなくて、肝腎の鍛冶の方でございました。
これに辟へき易えきした一同は、思わず逃にげ腰ごしになったのでございましょう。揉もみ烏え帽ぼ子しも立たて烏帽子も意気地なく後うしろを見せて、どっと沙門のまわりを離れましたが、見ると鍛冶は、竹馬を持ったまま、相手の足もとにのけぞり返って、口からはまるで癲てん癇かん病やみのように白い泡さえも噴いて居ります。沙門はしばらくその呼吸を窺っているようでございましたが、やがてその瞳を私どもの方へ返しますと、
﹁見られい。わしの云うた事に、偽いつわりはなかったろうな。諸天童子は即座にこの横おう道どう者ものを、目に見えぬ剣つるぎで打たせ給うた。まだしも頭かしらが微塵に砕けて、都みや大こお路おじに血をあやさなんだのが、時にとっての仕合せと云わずばなるまい。﹂と、さも横おう柄へいに申しました。
するとその時でございます。ひっそりと静まり返った人々の中から、急にけたたましい泣き声をあげて、さっき竹馬を持っていた童わら部べが一人、切きり禿かむろの髪を躍らせながら、倒れている鍛か冶じの傍へ、転がるように走り寄ったのは。
﹁阿おと父っさん。阿父さんてば。よう。阿父さん。﹂
童わら部べはこう何度も喚わめきましたが、鍛冶はさらに正しょ気うきに還る気けし色きもございません。あの唇にたまった泡さえ、不あい相かわ変らず花曇りの風に吹かれて、白く水すい干かんの胸へ垂れて居ります。
﹁阿父さん。よう。﹂
童わら部べはまたこう繰り返しましたが、鍛冶が返事をしないのを見ると、たちまち血相を変えて、飛び立ちながら、父の手に残っている竹馬を両手でつかむが早いか、沙門を目がけて健けな気げにも、まっしぐらに打ってかかりました。が、沙門はその竹馬を、持っていた画えす像がたの旗竿で、事もなげに払いながら、またあの気味の悪い笑えみを洩らしますと、わざと柔やさしい声を出して、﹁これは滅相な。御おぬ主しの父てて親おやが気を失ったのは、この摩まり利し信の乃ほ法う師しがなせる業わざではないぞ。さればわしを窘くるしめたとて、父親が生きて返ろう次第はない。﹂と、たしなめるように申しました。
その道理が童わら部べに通じたと云うよりは、所詮この沙門と打ち合っても、勝てそうもないと思ったからでございましょう。鍛冶の小伜は五六度竹馬を振りまわした後で、べそを掻いたまま、往来のまん中へ立ちすくんでしまいました。
十一
摩まり利し信の乃ほ法う師しはこれを見ると、またにやにや微ほほ笑えみながら、童わら部べの傍かたわらへ歩みよって、
﹁さても御おぬ主しは、聞分けのよい、年には増した利発な子じゃ。そう温おと和なしくして居おれば、諸天童子も御主にめでて、ほどなくそこな父てて親おやも正しょ気うきに還して下されよう。わしもこれから祈きと祷うしょうほどに、御主もわしを見慣うて、天上皇帝の御慈悲に御すがり申したがよかろうぞ。﹂
こう云うと沙門は旗竿を大きく両腕に抱いだきながら、大おお路じのただ中に跪ひざまずいて、恭うやうやしげに頭を垂れました。そうして眼をつぶったまま、何やら怪しげな陀だ羅ら尼にのようなものを、声こわ高だかに誦ずし始めました。それがどのくらいつづいた事でございましょう。沙門のまわりに輪を作って、この不思議な加か持じのし方を眺めている私どもには、かれこれものの半時もたったかと思われるほどでございましたが、やがて沙門が眼を開いて、脆いたなり伸ばした手を、鍛か冶じの顔の上へさしかざしますと、見る見る中にその顔が、暖かく血の色を盛返して、やがて苦しそうな呻うなり声さえ、例の泡だらけな口の中から、一しきり長く溢れて参りました。
﹁やあ、阿おと父っさんが、生き返った。﹂
童わら部べは竹馬を抛り出すと、嬉しそうに小躍りして、また父親の傍へ走りよりました。が、その手で抱だき起されるまでもなく、呻り声を洩らすとほとんど同時に、鍛冶はまるで酒にでも酔ったかと思うような、覚束ない身のこなしで、徐おもむろに体を起しました。すると沙門はさも満足そうに、自分も悠然と立ち上って、あの女にょ菩ぼさ薩つの画えす像がたを親子のものの頭かしらの上に、日を蔽う如くさしかざすと、
﹁天上皇帝の御威徳は、この大空のように広大無辺じゃ。何と信を起されたか。﹂と、厳おごそかにこう申しました。
鍛冶の親子は互にしっかり抱いだき合いながら、まだ土の上に蹲うずくまって居りましたが、沙門の法ほう力りきの恐ろしさには、魂も空にけし飛んだのでございましょう。女菩薩の幢はたを仰ぎますと、二人とも殊勝げな両手を合せて、わなわな震えながら、礼らい拝はいいたしました。と思うとつづいて二三人、まわりに立っている私どもの中にも、笠を脱いだり、烏帽子を直したりして、画えす像がたを拝んだものが居ったようでございます。ただ私は何となく、その沙門や女菩薩の画像が、まるで魔界の風に染んでいるような、忌いまわしい気が致しましたから、鍛冶が正気に還ったのを潮しおに、々そうそうその場を立ち去ってしまいました。
後で人の話を承わりますと、この沙門の説教致しますのが、震しん旦たんから渡って参りました、あの摩ま利りの教と申すものだそうで、摩まり利し信の乃ほ法う師しと申します男も、この国の生れやら、乃ない至しは唐もろ土こしに人となったものやら、とんと確かなことはわからないと云う事でございました。中にはまた、震旦でも本朝でもない、天てん竺じくの涯はてから来た法師で、昼こそあのように町を歩いているが、夜は墨染の法ころ衣もが翼になって、八やさ阪かで寺らの塔の空へ舞上るなどと云う噂もございましたが、元よりそれはとりとめもない、嘘だったのでございましょう。が、さような噂が伝わりましたのも、一応はもっともかと存じられますくらい、この摩利信乃法師の仕業には、いろいろ幻妙な事が多かったのでございます。
十二
と申しますのは、まず第一に摩まり利し信の乃ほ法う師しが、あの怪しげな陀だ羅ら尼にの力で、瞬く暇に多くの病者を癒なおした事でございます。盲めし目いが見えましたり、跛あしなえが立ちましたり、唖おしが口をききましたり――一々数え立てますのも、煩わしいくらいでございますが、中でも一番名高かったのは、前さきの摂せっ津つの守かみの悩んでいた人にん面めん瘡そうででもございましょうか。これは甥おいを遠矢にかけて、その女房を奪ったとやら申す報むくいから、左の膝頭にその甥の顔をした、不思議な瘡かさが現われて、昼も夜も骨を刻けずるような業ごう苦くに悩んで居りましたが、あの沙門の加か持じを受けますと、見る間にその顔が気けし色きを和やわらげて、やがて口とも覚しい所から﹁南な無む﹂と云う声が洩れるや否や、たちまち跡あと方かたもなく消え失せたと申すのでございます。元よりそのくらいでございますから、狐の憑つきましたのも、天狗の憑つきましたのも、あるいはまた、何とも名の知れない、妖よう魅みき鬼じ神んの憑きましたのも、あの十じゅ文うも字んじの護符を頂きますと、まるで木この葉を食う虫が、大風にでも振われて落ちるように、すぐさま落ちてしまいました。
が、摩利信乃法師の法力が評判になったのは、それだからばかりではございません。前にも私が往来で見かけましたように、摩利の教を誹ひぼ謗うしたり、その信者を呵かし責ゃくしたり致しますと、あの沙門は即座にその相手に、恐ろしい神罰を祈り下しました。おかげで井戸の水が腥なまぐさい血潮に変ったものもございますし、持もち田だの稲を一いち夜やの中に蝗いなむしが食ってしまったものもございますが、あの白はく朱しゅ社しゃの巫み女こなどは、摩利信乃法師を祈り殺そうとした応報で、一目見るのさえ気味の悪い白びゃ癩くらいになってしまったそうでございます。そこであの沙門は天狗の化けし身んだなどと申す噂が、一層高くなったのでございましょう。が、天狗ならば一矢に射てとって見せるとか申して、わざわざ鞍馬の奥から参りました猟師も、例の諸天童子の剣つるぎにでも打たれたのか、急に目がつぶれた揚あげ句く、しまいには摩利の教の信者になってしまったとか申す事でございました。
そう云う勢いでございますから、日が経ふるに従って、信者になる老ろう若にゃ男くな女んにょも、追々数を増して参りましたが、そのまた信者になりますには、何でも水で頭かしらを濡ぬらすと云う、灌かん頂ちょうめいた式があって、それを一度すまさない中は、例の天上皇帝に帰き依えした明りが立ち兼かねるのだそうでございます。これは私の甥が見かけたことでございますが、ある日四条の大橋を通りますと、橋の下の河原に夥おびただしい人だかりが致して居りましたから、何かと存じて覗のぞきました所、これもやはり摩利信乃法師が東国者らしい侍に、その怪しげな灌頂の式を授けて居おるのでございました。何しろ折からの水が温ぬるんで、桜の花も流れようと云う加茂川へ、大太刀を佩はいて畏かしこまった侍と、あの十文字の護符を捧げている異いぎ形ょうな沙門とが影を落して、見慣れない儀式を致していたと申すのでございますから、余程面白い見みも物のでございましたろう。――そう云えば、前に申し上げる事を忘れましたが、摩利信乃法師は始めから、四条河原の非ひに人ん小屋の間へ、小さな蓆むし張ろばりの庵いおりを造りまして、そこに始終たった一人、佗わびしく住んでいたのでございます。
十三
そこでお話は元へ戻りますが、その間に若殿様は、思いもよらない出来事から、予かねて御心を寄せていらしった中なか御みか門どの御姫様と、親しい御語いをなさる事が御出来なさるように相成りました。その思いもよらない事と申しますのは、もう花はな橘たちばなのと時ほと鳥とぎすの声とが雨もよいの空を想おもわせる、ある夜の事でございましたが、その夜は珍しく月が出て、夜目にも、朧おぼろげには人の顔が見分けられるほどだったと申します。若殿様はある女房の所へ御忍びになった御帰り途で、御供の人にん数ずも目立たないように、僅か一人か二人御召連れになったまま、その明るい月の中を車でゆっくりと御出でになりました。が、何しろ時刻が遅いので、人っ子一人通らない往来には、遠とお田だの蛙かわずの声と、車の輪の音とが聞えるばかり、殊にあの寂しい美びふ福くも門んの外は、よく狐火の燃える所だけに、何となく鬼気が身に迫って、心無い牛の歩みさえ早くなるような気が致されます。――そう思うと、急に向うの築つい土じの陰で、怪しい咳しわぶきの声がするや否や、きらきらと白しら刃はを月に輝かせて、盗人と覚しい覆面の男が、左右から凡そ六七人、若殿様の車を目がけて、猛たけ々だけしく襲いかかりました。
と同時に牛うし飼かいの童わら部べを始め、御供の雑ぞう色しきたちは余りの事に、魂も消えるかと思ったのでございましょう。驚す破わと云う間もなく、算さんを乱して、元来た方へ一散に逃げ出してしまいました。が、盗人たちはそれには目もくれる気けし色きもなく、矢やに庭わに一人が牛のを取って、往来のまん中へぴたりと車を止めるが早いか、四方から白しら刃はの垣を造って、犇ひし々ひしとそのまわりを取り囲みますと、先ず頭かし立らだったのが横柄に簾すだれを払って、﹁どうじゃ。この殿に違いはあるまいな。﹂と、仲間の方を振り向きながら、念を押したそうでございます。その容よう子すがどうも物盗りとも存ぜられませんので、御驚きの中にも若殿様は不審に思召されたのでございましょう。それまでじっとしていらっしったのが、扇を斜ななめに相手の方を、透かすようにして御窺いなさいますと、その時その盗人の中に嗄しわがれた声がして、
﹁おう、しかとこの殿じゃ。﹂と、憎にく々にくしげに答えました。するとその声が、また何となくどこかで一度、御耳になすったようでございましたから、愈いよいよ怪しく思召して、明るい月の光に、その声の主ぬしを、きっと御覧になりますと、面おもてこそ包んで居りますが、あの中御門の御姫様に年久しく御仕え申している、平へい太だゆ夫うに相違はございません。この一刹那はさすがの若殿様も、思わず総そう身みの毛がよだつような、恐ろしい思いをなすったと申す事でございました。なぜと申しますと、あの平太夫が堀川の御ごい一っ家けを仇かたきのように憎んでいる事は、若殿様の御耳にも、とうからはいっていたからでございます。
いや、現にその時も、平太夫がそう答えますと、さっきの盗人は一層声を荒あららげて、太刀の切きっ先さきを若殿様の御胸に向けながら、
﹁さらば御おん命いのちを申受けようず。﹂と罵ったと申すではございませんか。
十四
しかしあの飽くまでも、物に御騒ぎにならない若殿様は、すぐに勇気を御取り直しになって、悠々と扇を御おも弄てあそびなさりながら、
﹁待て。待て。予の命が欲しくば、次第によって呉れてやらぬものでもない。が、その方どもは、何でそのようなものを欲しがるのじゃ。﹂と、まるで人事のように御尋ねになりました。すると頭かし立らだった盗人は、白しら刃はを益ますます御胸へ近づけて、
﹁中なか御みか門どの少納言殿は、誰故の御ごさ最い期ごじゃ。﹂
﹁予は誰やら知らぬ。が、予でない事だけは、しかとした証あかしもある。﹂
﹁殿か、殿の父君か。いずれにしても、殿は仇かたきの一味じゃ。﹂
頭立った一人がこう申しますと、残りの盗人どもも覆面の下で、
﹁そうじゃ。仇の一味じゃ。﹂と、声々に罵り交しました。中にもあの平へい太だゆ夫うは歯噛みをして、車の中を獣のように覗きこみながら、太た刀ちで若殿様の御顔を指さしますと、
﹁さかしらは御無用じゃよ。それよりは十じゅ念うねんなと御称え申されい。﹂と、嘲あざ笑わらうような声で申したそうでございます。
が、若殿様は相あい不かわ変らず落ち着き払って、御胸の先の白刃も見えないように、
﹁してその方たちは、皆少納言殿の御みう内ちのものか。﹂と、抛ほうり出すように御尋ねなさいました。すると盗人たちは皆どうしたのか、一しきり答にためらったようでございましたが、その気けし色きを見てとった平太夫は、透かさず声を励まして、
﹁そうじゃ。それがまた何と致した。﹂
﹁いや、何とも致さぬが、もしこの中に少納言殿の御みう内ちでないものがいたと思え。そのものこそは天あめが下したの阿あほ呆うものじゃ。﹂
若殿様はこう仰おっ有しゃって、美しい歯を御見せになりながら、肩を揺ゆすって御笑いになりました。これには命知らずの盗人たちも、しばらくは胆きもを奪われたのでございましょう。御胸に迫っていた太刀先さえ、この時はもう自然と、車の外の月明りへ引かれていたと申しますから。
﹁なぜと申せ。﹂と、若殿様は言葉を御継ぎになって、﹁予を殺せつ害がいした暁には、その方どもはことごとく検け非び違い使しの目にかかり次第、極ごっ刑けいに行わるべき奴ばらじゃ。元よりそれも少納言殿の御内のものなら、己おのが忠義に捨つる命じゃによって、定めて本望に相違はあるまい。が、さもないものがこの中にあって、わずかばかりの金銀が欲しさに、予が身を白刃に向けるとすれば、そやつは二つとない大事な命を、その褒ほう美びと換えようず阿呆ものじゃ。何とそう云う道理ではあるまいか。﹂
これを聞いた盗人たちは、今更のように顔を見合せたけはいでございましたが、平へい太だゆ夫うだけは独り、気違いのように吼たけり立って、
﹁ええ、何が阿呆ものじゃ。その阿呆ものの太刀にかかって、最さい期ごを遂げる殿の方が、百層倍も阿呆ものじゃとは覚されぬか。﹂
﹁何、その方どもが阿呆ものだとな。ではこの中うちに少納言殿の御内でないものもいるのであろう。これは一段と面白うなって参った。さらばその御内でないものどもに、ちと申し聞かす事がある。その方どもが予を殺害しようとするのは、全く金銀が欲しさにする仕事であろうな。さて金銀が欲しいとあれば、予はその方どもに何なりと望み次第の褒美を取らすであろう。が、その代り予の方にもまた頼みがある。何と、同じ金銀のためにする事なら、褒美の多い予の方に味方して、利得を計ったがよいではないか。﹂
若殿様は鷹おう揚ように御微笑なさりながら、指さし貫ぬきの膝を扇で御叩きになって、こう車の外の盗人どもと御談じになりました。
十五
﹁次第によっては、御ぎょ意い通り仕つかまつらぬものでもございませぬ。﹂
恐ろしいくらいひっそりと静まり返っていた盗人たちの中から、頭かしらだったのが半なかば恐る恐るこう御答え申し上げますと、若殿様は御満足そうに、はたはたと扇を御鳴らしになりながら、例の気軽な御調子で、
﹁それは重ちょ畳うじょうじゃ。何、予が頼みと申しても、格別むずかしい儀ではない。それ、そこに居おる老おや爺じは、少納言殿の御みう内ちび人とで、平へい太だゆ夫うと申すものであろう。巷ちまたの風ふう聞ぶんにも聞き及んだが、そやつは日頃予に恨みを含んで、あわよくば予が命を奪おうなどと、大それた企てさえ致して居おると申す事じゃ。さればその方どもがこの度の結構も、平太夫めに唆そそのかされて、事を挙げたのに相違あるまい。――﹂
﹁さようでございます。﹂
これは盗人たちが三四人、一度に覆面の下から申し上げました。
﹁そこで予が頼みと申すのは、その張ちょ本うぼんの老おや爺じを搦からめとって、長く禍の根を断ちたいのじゃが、何とその方どもの力で、平太夫めに縄をかけてはくれまいか。﹂
この御おん仰おおせには、盗人たちも、余りの事にしばらくの間は、呆れ果てたのでございましょう。車をめぐっていた覆面の頭かしらが、互に眼を見合わしながら、一しきりざわざわと動くようなけはいがございましたが、やがてそれがまた静かになりますと、突然盗人たちの唯中から、まるで夜よど鳥りの鳴くような、嗄しわがれた声が起りました。
﹁やい、ここなうっそりどもめ。まだ乳臭いこの殿の口車に乗せられ居って、抜いた白刃を持て扱うばかりか、おめおめ御意に従いましょうなどとは、どの面下げて申せた義理じゃ。よしよし、ならば己おのれらが手は借りぬわ。高がこの殿の命一つ、平太夫が太刀ばかりで、見事申し受けようも、瞬く暇じゃ。﹂
こう申すや否や平太夫は、太刀をまっこうにふりかざしながら、やにわに若殿様へ飛びかかろうと致しました。が、その飛びかかろうと致したのと、頭だった盗人が、素早く白刃を投げ出して、横あいからむずと組みついたのとが、ほとんど同時でございます。するとほかの盗人たちも、てんでに太刀を鞘におさめて、まるで蝗いなむしか何かのように、四方から平太夫へ躍りかかりました。何しろ多たぜ勢いに無ぶぜ勢いと云い、こちらは年よりの事でございますから、こうなっては勝負を争うまでもございません。たちまちの内にあの老おや爺じは、牛のでございましょう、有り合せた縄にかけられて、月明りの往来へ引き据えられてしまいました。その時の平太夫の姿と申しましたら、とんと穽わなにでもかかった狐のように、牙ばかりむき出して、まだ未練らしく喘あえぎながら、身悶えしていたそうでございます。
するとこれを御覧になった若殿様は、欠あく伸びまじりに御笑いになって、
﹁おお、大儀。大儀。それで予の腹も一ひと先まず癒えたと申すものじゃ。が、とてもの事に、その方どもは、予が車を警護旁かたがた、そこな老おい耄ぼれを引き立て、堀川の屋やか形たまで参ってくれい。﹂
こう仰おっ有しゃられて見ますと盗人たちも、今更いやとは申されません。そこで一同うち揃って、雑ぞう色しきがわりに牛を追いながら、縄つきを中にとりまいて、月夜にぞろぞろと歩きはじめました。天あめが下したは広うございますが、かように盗人どもを御供に御つれ遊ばしたのは、まず若殿様のほかにはございますまい。もっともこの異様な行列も、御屋形まで参りつかない内に、急を聞いて駆けつけた私どもと出会いましたから、その場で面々御褒美を頂いた上、こそこそ退散致してしまいました。
十六
さて若殿様は平へい太だゆ夫うを御屋形へつれて御帰りになりますと、そのまま、御おう厩まやの柱にくくりつけて、雑ぞう色しきたちに見張りを御云いつけなさいましたが、翌朝は々そうそうあの老おや爺じを、朝曇りの御庭先へ御召しになって、
﹁こりゃ平太夫、その方が少納言殿の御おう恨らみを晴そうと致す心がけは、成程愚おろかには相違ないが、さればとてまた、神妙とも申されぬ事はない。殊にあの月夜に、覆面の者どもを駆り催して、予を殺せつ害がい致そうと云う趣向のほどは、中々その方づれとも思われぬ風流さじゃ。が、美福門のほとりは、ちと場所がようなかったぞ。ならば糺ただすの森あたりの、老おい木きの下闇に致したかった。あすこは夏の月夜には、せせらぎの音が間近く聞えて、卯うの花の白く仄ほのめくのも一段と風ふぜ情いを添える所じゃ。もっともこれはその方づれに、望む予の方が、無理かも知れぬ。ついてはその殊勝なり、風流なのが目出たいによって、今度ばかりはその方の罪も赦ゆるしてつかわす事にしよう。﹂
こう仰おっ有しゃって若殿様は、いつものように晴々と御笑いになりながら、
﹁その代りその方も、折角これまで参ったものじゃ。序ついでながら予の文を、姫君のもとまで差上げてくれい。よいか。しかと申しつけたぞ。﹂
私はそのときの平太夫の顔くらい、世にも不思議なものを見た事はございません。あの意地の悪そうな、苦にがりきった面めん色しょくが、泣くとも笑うともつかない気けし色きを浮かべて、眼ばかりぎょろぎょろ忙せわしそうに、働かせて居おるのでございます。するとその容よう子すが、笑しょ止うしながら気の毒に思召されたのでございましょう。若殿様は御おえ笑が顔おを御やめになると、縄尻を控えていた雑ぞう色しきに、
﹁これ、これ、永居は平太夫の迷惑じゃ。すぐさま縄目を許してつかわすがよい。﹂と、難あり有がたい御ごじ諚ょうがございました。
それから間もなくの事でございます。一夜の内に腰さえ弓のように曲った平太夫は、若殿様の御文をつけた花はな橘たちばなの枝を肩にして、這ほう々ほう裏の御門から逃げ出して参りました。所がその後からまた一人、そっと御門を出ましたのは、私の甥おいの侍で、これは万一平太夫が御文に無礼でも働いてはならないと、若殿様にも申し上げず、見え隠れにあの老おや爺じの跡をつけたのでございます。
二人の間はおよその所、半町ばかりもございましたろうか。平太夫は気も心も緩みはてたかと思うばかり、跣はだ足しを力なくひきずりながら、まだ雲切れのしない空に柿若葉ののする、築つい土じつづきの都みや大こお路おじを、とぼとぼと歩いて参ります。途々通りちがう菜売りの女などが、稀け有うな文ふづ使かいだとでも思いますのか、迂うさ散んらしくふり返って、見送るものもございましたが、あの老おや爺じはとんとそれにも目をくれる気けし色きはございません。
この調子ならまず何事もなかろうと、一時は私の甥も途中から引き返そうと致しましたが、よもやに引かされて、しばらくは猶も跡を慕って参りますと、丁度油あぶ小らの路こうじへ出ようと云う、道さ祖えの神の祠ほこらの前で、折からあの辻をこちらへ曲って出た、見慣れない一人の沙しゃ門もんが、出合いがしらに平太夫と危くつき当りそうになりました。女にょ菩ぼさ薩つの幢はた、墨染の法ころ衣も、それから十文字の怪しい護符、一目見て私の甥は、それが例の摩利信乃法師だと申す事に、気がついたそうでございます。
十七
危くつき当りそうになった摩まり利し信の乃ほ法う師しは、咄とっ嗟さに身を躱かわしましたが、なぜかそこに足を止めて、じっと平へい太だゆ夫うの姿を見守りました。が、あの老おや爺じはとんとそれに頓着する容よう子すもなく、ただ、二三歩譲っただけで、相あい不かわ変らずとぼとぼと寂しい歩みを運んで参ります。さてはさすがの摩利信乃法師も、平太夫の異様な風俗を、不審に思ったものと見えると、こう私の甥は考えましたが、やがてその側まで参りますと、まだ我を忘れたように、道さ祖えの神の祠ほこらを後うしろにして、佇たたずんでいる沙門の眼まなざしが、いかに天狗の化けし身んとは申しながら、どうも唯事とは思われません。いや、反かえってその眼なざしには、いつもの気味の悪い光がなくて、まるで涙ぐんででもいるような、もの優しい潤いが、漂っているのでございます。それが祠の屋根へ枝をのばした、椎の青葉の影を浴びて、あの女菩薩の旗竿を斜ななめに肩へあてながら、しげしげ向うを見送っていた立ち姿の寂しさは、一生の中にたった一度、私の甥にもあの沙門を懐しく思わせたとか申す事でございました。
が、その内に私の甥の足音に驚かされたのでございましょう。摩利信乃法師は夢のさめたように、慌しくこちらを振り向きますと、急に片手を高く挙げて、怪しい九く字じを切りながら、何か咒じゅ文もんのようなものを口の内に繰返して、々そうそう歩きはじめました。その時の咒文の中に、中なか御みか門どと云うような語ことばが聞えたと申しますが、それは事によると私の甥の耳のせいだったかもわかりません。元よりその間も平太夫の方は、やはり花橘の枝を肩にして、側わき目めもふらず悄しお々しおと歩いて参ったのでございます。そこでまた私の甥も、見え隠れにその跡をつけて、とうとう西にし洞のと院ういんの御屋形まで参ったそうでございますが、時にあの摩利信乃法師の不思議な振舞が気になって、若殿様の御文の事さえ、はては忘れそうになったくらい、落着かない心もちに苦しめられたとか申して居りました。
しかしその御文は恙つつがなく、御姫様の御手もとまでとどいたものと見えまして、珍しくも今度に限って早速御返事がございました。これは私ども下しも々じもには、何とも確かな事は申し上げる訳に参りませんが、恐らくは御承知の通り御闊達な御姫様の事でございますから、平太夫からあの暗やみ討うちの次第でも御聞きになって、若殿様の御ご気象の人に優れていらっしゃるのを、始めて御ごえ会と得くになったからででもございましょうか。それから二三度、御消息を御取り交かわせになった後、とうとうある小こさ雨めの降る夜、若殿様は私の甥を御供に召して、もう葉柳の陰に埋もれた、西にし洞のと院ういんの御屋形へ忍んで御通いになる事になりました。こうまでなって見ますと、あの平太夫もさすがに我がが折れたのでございましょう。その夜も険しく眉をひそめて居りましたが、私の甥に向いましても、格別雑ぞう言ごんなどを申す勢いはなかったそうでございます。
十八
その後ご若殿様はほとんど夜毎に西にし洞のと院ういんの御屋形へ御通いになりましたが、時には私のような年よりも御供に御召しになった事がございました。私が始めてあの御姫様の、眩しいような御美しさを拝む事が出来ましたのも、そう云う折ふしの事でございます。一度などは御二人で、私を御側近く御呼びよせなさりながら、今こん昔じゃくの移り変りを話せと申す御意もございました。確か、その時の事でございましょう。御み簾すのひまから見える御池の水に、さわやかな星の光が落ちて、まだ散り残った藤ふじのがかすかに漂って来るような夜でございましたが、その涼しい夜気の中に、一人二人の女房を御おは侍べらせになって、もの静に御酒盛をなすっていらっしゃる御二方の美しさは、まるで倭やま絵とえの中からでも、抜け出していらしったようでございました。殊に白い単ひと衣えが襲さねに薄色の袿うちぎを召した御姫様の清らかさは、おさおさあの赫かぐ夜やひ姫めにも御劣りになりはしますまい。
その内に御ごし酒ゅき機げ嫌んの若殿様が、ふと御姫様の方へ御向いなさりながら、
﹁今も爺じいの申した通り、この狭い洛中でさえ、桑そう海かいの変へんは度たび々たびあった。世間一切の法はその通り絶えず生せい滅めつ遷せん流りゅうして、刹那も住じゅうすと申す事はない。されば無むじ常ょう経きょうにも﹃未い四ま曾だ有か三つ一て事い不ちレじ被のむ二じょ無うに常のま呑れざ一るは﹄と説かせられた。恐らくはわれらが恋も、この掟ばかりは逃れられまい。ただいつ始まっていつ終るか、予が気がかりなのはそれだけじゃ。﹂と、冗談のように仰おっ有しゃいますと、御姫様はとんと拗すねたように、大おお殿との油あぶらの明るい光をわざと御避けになりながら、
﹁まあ、憎らしい事ばかり仰おっ有しゃいます。ではもう始めから私わたくしを、御捨てになる御おつ心も算りでございますか。﹂と、優しく若殿様を御おに睨らみなさいました。が、若殿様は益ますます御機嫌よく、御盃を御干しになって、
﹁いや、それよりも始めから、捨てられる心つも算りで居おると申した方が、一層予の心もちにはふさわしいように思われる。﹂
﹁たんと御おな弄ぶり遊ばしまし。﹂
御姫様はこう仰有って、一度は愛くるしく御笑いになりましたが、急にまた御み簾すの外の夜やし色ょくへ、うっとりと眼を御やりになって、
﹁一体世の中の恋と申すものは、皆そのように果はかないものでございましょうか。﹂と独り語ごとのように仰有いました。すると若殿様はいつもの通り、美しい歯を見せて、御笑いになりながら、
﹁されば果はかなくないとも申されまいな。が、われら人間が万ばん法ぽうの無常も忘れはてて、蓮れん華げぞ蔵う世界の妙薬をしばらくしたりとも味わうのは、ただ、恋をしている間だけじゃ。いや、その間だけは恋の無常さえ忘れていると申してもよい。じゃによって予が眼からは恋れん慕ぼざ三んま昧いに日を送った業なり平ひらこそ、天あっ晴ぱれ知識じゃ。われらも穢え土どの衆苦を去って、常じょ寂うじ光ゃっこうの中に住じゅうそうには伊勢物語をそのままの恋をするよりほかはあるまい。何と御お身みもそうは思われぬか。﹂と、横合いから御姫様の御顔を御覗きになりました。
十九
﹁されば恋の功くど徳くこそ、千万無量とも申してよかろう。﹂
やがて若殿様は、恥しそうに御眼を御伏せになった御姫様から、私の方へ、陶然となすった御顔を御向けになって、
﹁何と、爺じいもそう思うであろうな。もっともその方には恋とは申さぬ。が、好こう物ぶつの酒ではどうじゃ。﹂
﹁いえ、却なか々なか持ちまして、手前は後ごし生ょうが恐ろしゅうございます。﹂
私が白しら髪がを掻きながら、慌ててこう御答え申しますと、若殿様はまた晴々と御笑いになって、
﹁いや、その答えが何よりじゃ。爺は後生が恐ろしいと申すが、彼ひが岸んに往生しょうと思う心は、それを暗あん夜やの燈とも火しびとも頼んで、この世の無常を忘れようと思う心には変りはない。じゃによってその方も、釈しゃ教っきょうと恋との相違こそあれ、所詮は予と同心に極きわまったぞ。﹂
﹁これはまた滅相な。成程御姫様の御美しさは、伎ぎげ芸いて天んに女ょも及ばぬほどではございますが、恋は恋、釈教は釈教、まして好物の御ごし酒ゅなどと、一つ際ぎわには申せませぬ。﹂
﹁そう思うのはその方の心が狭いからの事じゃ。弥み陀だも女にょ人にんも、予の前には、皆われらの悲しさを忘れさせる傀くぐ儡つの類いにほかならぬ。――﹂
こう若殿様が御云い張りになると、急に御姫様は偸ぬすむように、ちらりとその方を御覧になりながら、
﹁それでも女おな子ごが傀儡では、嫌じゃと申しは致しませぬか。﹂と、小さな御声で仰有いました。
﹁傀くぐ儡つで悪くば、仏ぶつ菩ぼさ薩つとも申そうか。﹂
若殿様は勢いよく、こう返事をなさいましたが、ふと何か御思い出しなすったように、じっと大おお殿との油あぶらの火ほか影げを御覧になると、
﹁昔、あの菅すが原わら雅まさ平ひらと親したしゅう交っていた頃にも、度々このような議論を闘わせた。御身も知って居おられようが、雅まさ平ひらは予と違って、一図に信を起し易い、云わば朴直な生れがらじゃ。されば予が世せそ尊んこ金ん口くの御おん経きょうも、実は恋こい歌かと同様じゃと嘲あざ笑わらう度に腹を立てて、煩ぼん悩のう外げど道うとは予が事じゃと、再々悪あしざまに罵り居った。その声さえまだ耳にあるが、当の雅平は行ゆく方えも知れぬ。﹂と、いつになく沈んだ御声でもの思わしげに御おつ呟ぶやきなさいました。するとその御ごよ容う子すにひき入れられたのか、しばらくの間は御姫様を始め、私までも口を噤つぐんで、しんとした御部屋の中には藤の花のばかりが、一段と高くなったように思われましたが、それを御お座ざが白けたとでも、思ったのでございましょう。女房たちの一人が恐る恐る、
﹁では、この頃洛中に流は行やります摩利の教とやら申すのも、やはり無常を忘れさせる新しい方便なのでございましょう。﹂と、御話の楔くさびを入れますと、もう一人の女房も、
﹁そう申せばあの教を説いて歩きます沙門には、いろいろ怪しい評判があるようでございませんか。﹂と、さも気味悪そうに申しながら、大おお殿との油あぶらの燈心をわざとらしく掻かき立たてました。
二十
﹁何、摩ま利りの教。それはまた珍しい教があるものじゃ。﹂
何か御考えに耽っていらしった若殿様は、思い出したように、御盃を御挙げになると、その女房の方を御覧になって、
﹁摩利と申すからは、摩まり利し支て天んを祭る教のようじゃな。﹂
﹁いえ、摩利支天ならよろしゅうございますが、その教の本尊は、見慣れぬ女にょ菩ぼさ薩つの姿じゃと申す事でございます。﹂
﹁では、波はし斯のく匿お王うの妃きさいの宮であった、茉ま利り夫人の事でも申すと見える。﹂
そこで私は先日神泉苑の外そとで見かけました、摩まり利し信の乃ほ法う師しの振舞を逐一御話し申し上げてから、
﹁その女菩薩の姿では、茉利夫人とやらのようでもございませぬ。いや、それよりはこれまでのどの仏菩薩の御おす像がたにも似ていないのでございます。別してあの赤あか裸はだかの幼おさ子なごを抱いだいて居おるけうとさは、とんと人間の肉を食はむ女にょ夜やし叉ゃのようだとも申しましょうか。とにかく本朝には類たぐいのない、邪宗の仏ほとけに相違ございますまい。﹂と、私の量見を言上致しますと、御姫様は美しい御おん眉まゆをそっと御ひそめになりながら、
﹁そうしてその摩利信乃法師とやら申す男は、真実天狗の化けし身んのように見えたそうな。﹂と、念を押すように御尋ねなさいました。
﹁さようでございます。風俗はとんと火の燃える山の中からでも、翼に羽は搏うって出て来たようでございますが、よもやこの洛中に、白昼さような変へん化げの物が出没致す事はございますまい。﹂
すると若殿様はまた元のように、冴さえ々ざえした御おわ笑らい声ごえで、
﹁いや、何とも申されぬ。現に延えん喜ぎの御みか門どの御み代よには、五条あたりの柿の梢に、七なの日かの間天狗が御みほ仏とけの形となって、白びゃ毫くご光うこうを放ったとある。また仏ぶつ眼げん寺じの仁にん照しょ阿うあ闍ざ梨りを日毎に凌りょうじに参ったのも、姿は女と見えたが実は天狗じゃ。﹂
﹁まあ、気味の悪い事を仰おっ有しゃいます。﹂
御姫様は元より、二人の女房も、一度にこう云って、襲かさねの袖を合せましたが、若殿様は、愈いよ御いよ酒ごしゅ機嫌の御顔を御おや和わらげになって、
﹁三千世界は元より広大無辺じゃ。僅ばかりの人間の智ち慧えで、ないと申される事は一つもない。たとえばその沙門に化けた天狗が、この屋形の姫君に心を懸けて、ある夜ひそかに破は風ふの空から、爪だらけの手をさしのべようも、全くない事じゃとは誰も云えぬ。が、――﹂と仰おっ有しゃりながら、ほとんど色も御変りにならないばかり、恐ろしげに御寄りそいになった御姫様の袿うちぎの背を、やさしく御さすりになりながら、
﹁が、まだその摩利信乃法師とやらは、幸さいわい、姫君の姿さえ垣かい間ま見みた事もないであろう。まず、それまでは魔道の恋が、成就する気づかいはよもあるまい。さればもうそのように、怖がられずとも大丈夫じゃ。﹂と、まるで子供をあやすように、笑って御慰めなさいました。
二十一
それから一月ばかりと申すものは、何事もなくすぎましたが、やがて夏も真盛りのある日の事、加かも茂が川わの水が一段と眩まばゆく日の光を照り返して、炎天の川筋には引き舟の往ゆき来きさえとぎれる頃でございます。ふだんから釣の好きな私の甥は、五条の橋の下へ参りまして、河かわ原らよ蓬もぎの中に腰を下しながら、ここばかりは涼すず風かぜの通うのを幸と、水みか嵩さの減った川に糸を下して、頻しきりに鮠はえを釣って居りました。すると丁度頭の上の欄干で、どうも聞いた事のあるような話し声が致しますから、何気なく上を眺めますと、そこにはあの平へい太だゆ夫うが高たか扇おうぎを使いながら、欄干に身をよせかけて、例の摩まり利し信の乃ほ法う師しと一しょに、余念なく何事か話して居おるではございませんか。
それを見ますと私の甥は、以前油あぶ小らの路こうじの辻で見かけた、摩利信乃法師の不思議な振舞がふと心に浮びました。そう云えばあの時も、どうやら二人の間には、曰いわくがあったようでもある。――こう私の甥は思いましたから、眼は糸の方へやっていても、耳は橋の上の二人の話を、じっと聞き澄まして居りますと、向うは人通りもほとんど途絶えた、日盛りの寂しさに心を許したのでございましょう。私の甥の居おる事なぞには、更に気のつく容よう子すもなく、思いもよらない、大それた事を話し合って居おるのでございます。
﹁あなた様がこの摩利の教を御おひ拡ろめになっていらっしゃろうなどとは、この広い洛中で誰一人存じて居おるものはございますまい。私わたくしでさえあなた様が御自分でそう仰おっ有しゃるまでは、どこかで御見かけ申したとは思いながら、とんと覚えがございませんでした。それもまた考えて見れば、もっともな次第でございます。いつぞやの春の月夜に桜さく人らびとの曲を御謡いになった、あの御年若なあなた様と、ただ今こうして炎天に裸で御歩きになっていらっしゃる、慮外ながら天狗のような、見るのも凄じいあなた様と、同じ方でいらっしゃろうとは、あの打うち伏ふしの巫み子こに聞いて見ても、わからないのに相違ございません。﹂
こう平へい太だゆ夫うが口軽く、扇の音と一しょに申しますと、摩利信乃法師はまるでまた、どこの殿様かと疑われる、鷹おう揚ような言ことばつきで、
﹁わしもその方に会ったのは何よりも満足じゃ。いつぞや油あぶ小らの路こうじの道さ祖えの神の祠ほこらの前でも、ちらと見かけた事があったが、その方は側わき目めもふらず、文をつけた橘の枝を力なくかつぎながら、もの思わしげにたどたどと屋形の方へ歩いて参った。﹂
﹁さようでございますか。それはまた年甲斐もなく、失礼な事を致したものでございます。﹂
平太夫はあの朝の事を思い出したのでございましょう。苦々しげにこう申しましたが、やがて勢いの好よい扇の音が、再びはたはたと致しますと、
﹁しかしこうして今こん日にち御眼にかかれたのは、全く清きよ水みず寺でらの観世音菩薩の御ごり利や益くででもございましょう。平太夫一生の内に、これほど嬉しい事はございません。﹂
﹁いや、予が前で神しん仏ぶつの名は申すまい。不ふし肖ょうながら、予は天上皇帝の神勅を蒙って、わが日の本に摩ま利りの教を布しこうと致す沙門の身じゃ。﹂
二十二
急に眉をひそめたらしいけはいで、こう摩まり利し信の乃ほ法う師しが言ことばを挟みましたが、存外平へい太だゆ夫うは恐れ入った気けし色きもなく、扇と舌と同じように働かせながら、
﹁成程さようでございましたな。平太夫も近頃はめっきり老おい耄ぼれたと見えまして、する事為す事ことごとく落おち度どばかりでございます。いや、そう云う次第ならもうあなた様の御おま前えでは、二度と神仏の御み名なは口に致しますまい。もっとも日頃はこの老おや爺じも、余り信しん心じん気ぎなどと申すものがある方ではございません。それをただ今急に、観世音菩薩などと述べ立てましたのは、全く久しぶりで御目にかかったのが、嬉しかったからでございます。そう申せば姫君も、幼馴染のあなた様が御ご無事でいらっしゃると御聞きになったら、どんなにか御喜びになる事でございましょう。﹂と、ふだん私どもに向っては、返事をするのも面倒そうな、口の重い容よう子すとは打って変って、勢いよく、弁じ立てました。これにはあの摩利信乃法師も、返事のしようさえなさそうにしばらくはただ、頷うなずいてばかりいるようでございましたが、やがてその姫君と云う言ことばを機し会おに、
﹁さてその姫君についてじゃが、予は聊いささか密々に御ぎょ意い得たい仔しさ細いがある。﹂と、云って、一段とまた声をひそめながら、
﹁何と平太夫、その方の力で夜分なりと、御目にかからせてはくれまいか。﹂
するとこの時橋の上では、急に扇の音が止んでしまいました。それと同時に私の甥は、危く欄干の方を見上げようと致しましたが、元より迂うか闊つな振舞をしては、ここに潜んでいる事が見みあ露らわされないものでもございません。そこでやはり河かわ原らよ蓬もぎの中を流れて行く水の面おもてを眺めたまま、息もつかずに上の容子へ気をくばって居りました。が、平太夫は今までの元気に引き換えて、容易に口を開きません。その間の長さと申しましたら、橋の下の私の甥おいには、体中の筋すじ骨ぼねが妙にむず痒がゆくなったくらい、待ち遠しかったそうでございます。
﹁たとい河原とは申しながら、予も洛中に住まうものじゃ。堀川の殿がこの日頃、姫君のもとへしげしげと、通わるる趣も知っては居おる。――﹂
やがてまた摩利信乃法師は、相あい不かわ変らずもの静かな声で、独り言のように言ことばを継つぐと、
﹁が、予は姫君が恋しゅうて、御ぎょ意い得たいと申すのではない。予の業ごう欲よくに憧るる心は、一ひと度たび唐もろ土こしにさすらって、紅毛碧眼の胡こそ僧うの口から、天上皇帝の御みお教しえを聴ちょ聞うもんすると共に、滅びてしもうた。ただ、予が胸を痛めるのは、あの玉のような姫君も、この天あめ地つちを造らせ給うた天上皇帝を知られぬ事じゃ。されば、神と云い仏ほとけと云う天てん魔まげ外ど道うの類たぐいを信仰せられて、その形になぞらえた木石にも香こう花げを供えられる。かくてはやがて命めい終しゅうの期ごに臨んで、永えい劫ごう消えぬ地獄の火に焼かれ給うに相違ない。予はその事を思う度に、阿あび鼻たい大じょ城うの暗の底へ逆落しに落ちさせらるる、あえかな姫君の姿さえありありと眼に浮んで来るのじゃ。現に昨ゆう夜べも。――﹂
こう云いかけて、あの沙門はさも感慨に堪えないらしく、次第に力の籠って来た口をしばらくの間とざしました。
二十三
﹁昨ゆう晩べ、何かあったのでございますか。﹂
ほど経て平へい太だゆ夫うが、心配そうに、こう相手の言ことばを促しますと、摩まり利し信の乃ほ法う師しはふと我に返ったように、また元の静な声で、一ひと言こと毎に間を置きながら、
﹁いや、何もあったと申すほどの仔細はない。が、予は昨ゆう夜べもあの菰こもだれの中で、独りうとうとと眠って居おると、柳の五つ衣ぎぬを着た姫君の姿が、夢に予の枕もとへ歩みよられた。ただ、現うつつと異ったは、日頃つややかな黒髪が、朦朧と煙けぶった中に、黄こが金ねの釵さい子しが怪しげな光を放って居っただけじゃ。予は絶えて久しい対面の嬉しさに、﹃ようこそ見えられた﹄と声をかけたが、姫君は悲しげな眼を伏せて、予の前に坐られたまま、答えさえせらるる気けし色きはない。と思えば紅くれないの袴の裾に、何やら蠢うごめいているものの姿が見えた。それが袴の裾ばかりか、よう見るに従って、肩にも居おれば、胸にも居る。中には黒髪の中にいて、えせ笑うらしいものもあった。――﹂
﹁と仰有っただけでは解げせませんが、一体何が居ったのでございます。﹂
この時は平太夫も、思わず知らず沙しゃ門もんの調子に釣り込まれてしまったのでございましょう。こう尋ねました声ざまには、もうさっきの気負った勢いも聞えなくなって居りました。が、摩利信乃法師は、やはりもの思わしげな口ぶりで、
﹁何が居ったと申す事は、予自身にもしかとはわからぬ。予はただ、水みず子ごほどの怪しげなものが、幾つとなく群って、姫君の身のまわりに蠢うごめいているのを眺めただけじゃ。が、それを見ると共に、夢の中ながら予は悲しゅうなって、声を惜まず泣き叫んだ。姫君も予の泣くのを見て、頻しきりに涙を流される。それが久しい間続いたと思うたが、やがて、どこやらで鶏とりが啼いて、予の夢はそれぎり覚めてしもうた。﹂
摩利信乃法師がこう語り終りますと、今度は平太夫も口を噤つぐんで、一しきりやめていた扇をまたも使い出しました。私の甥はその間中鉤はりにかかった鮠はえも忘れるくらい、聞き耳を立てて居りましたが、この夢の話を聞いている中は、橋の下の涼しさが、何となく肌身にしみて、そう云う御姫様の悲しい御姿を、自分もいつか朧げに見た事があるような、不思議な気が致したそうでございます。
その内に橋の上では、また摩利信乃法師の沈んだ声がして、
﹁予はその怪しげなものを妖よう魔まじゃと思う。されば天上皇帝は、堕獄の業ごうを負わせられた姫君を憐れと見そなわして、予に教きょ化うげを施せと霊夢を賜ったのに相違ない。予がその方の力を藉りて、姫君に御意得たいと申すのは、こう云う仔細があるからじゃ。何と予が頼みを聞き入れてはくれまいか。﹂
それでもなお、平太夫はしばらくためらっていたようでございますが、やがて扇をつぼめたと思うと、それで欄干を丁ちょうと打ちながら、
﹁よろしゅうございます。この平太夫はいつぞや清きよ水みずの阪の下で、辻つじ冠かん者じゃばらと刃にん傷じょうを致しました時、すんでに命も取られる所を、あなた様の御かげによって、落ち延びる事が出来ました。その御恩を思いますと、あなた様の仰おっ有しゃる事に、いやと申せた義理ではございません。摩ま利りの教とやらに御帰依なさるか、なさらないか、それは姫君の御意次第でございますが、久しぶりであなた様の御目にかかると申す事は、姫君も御おい嫌やではございますまい。とにかく私の力の及ぶ限り、御対面だけはなされるように御取り計らい申しましょう。﹂
二十四
その密談の仔細を甥の口から私が詳しく聞きましたのは、それから三四日たったある朝の事でございます。日頃は人の多い御屋形の侍さむ所らいどころも、その時は私共二人だけで、眩まばゆく朝日のさした植込みの梅の青葉の間からは、それでも涼しいそよ風が、そろそろ動こうとする秋の心もちを時々吹いて参りました。
私の甥はその話を終ってから、一段と声をひそめますと、
﹁一体あの摩まり利し信の乃ほ法う師しと云う男が、どうして姫君を知って居おるのだか、それは元より私にも不思議と申すほかはありませんが、とにかくあの沙しゃ門もんが姫君の御意を得るような事でもあると、どうもこの御屋形の殿様の御身の上には、思いもよらない凶変でも起りそうな不吉な気がするのです。が、このような事は殿様に申上げても、あの通りの御気象ですから、決して御取り上げにはならないのに相違ありません。そこで、私は私の一存で、あの沙門を姫君の御目にかかれないようにしようと思うのですが、叔父さんの御考えはどういうものでしょう。﹂
﹁それはわしも、あの怪しげな天狗法師などに姫君の御顔を拝ませたく無い。が、御おぬ主しもわしも、殿様の御用を欠かぬ限りは、西にし洞のと院ういんの御屋形の警護ばかりして居おる訳にも行かぬ筈じゃ。されば御主はあの沙門を、姫君の御身のまわりに、近づけぬと云うたにした所で。――﹂
﹁さあ。そこです。姫君の思召しも私共には分りませんし、その上あすこには平へい太だゆ夫うと云う老おや爺じも居りますから、摩利信乃法師が西洞院の御屋形に立寄るのは、迂うか闊つに邪魔も出来ません。が、四条河原の蓆むし張ろばりの小屋ならば、毎晩きっとあの沙門が寝泊りする所ですから、随分こちらの思案次第で、二度とあの沙門が洛らく中ちゅうへ出て来ないようにすることも出来そうなものだと思うのです。﹂
﹁と云うて、あの小屋で見張りをしてる訳にも行くまい。御おぬ主しの申す事は、何やら謎めいた所があって、わしのような年寄りには、十分に解げし兼ねるが、一体御主はあの摩利信乃法師をどうしようと云う心つも算りなのじゃ。﹂
私が不ふし審んそうにこう尋ねますと、私の甥はあたかも他聞を憚はばかるように、梅の青葉の影がさして居る部屋の前後へ目をくばりながら、私の耳へ口を附けて、
﹁どうすると云うて、ほかに仕方のある筈がありません。夜更けにでも、そっと四条河原へ忍んで行って、あの沙門の息の根を止めてしまうばかりです。﹂
これにはさすがの私もしばらくの間は呆れ果てて、二の句をつぐ事さえ忘れて居りましたが、甥は若い者らしい、一図に思いつめた調子で、
﹁何、高があの通りの乞こつ食じき法師です。たとい加勢の二三人はあろうとも、仕止めるのに造ぞう作さはありますまい。﹂
﹁が、それはどうもちと無法なようじゃ。成程あの摩利信乃法師は邪じゃ宗しゅ門うもんを拡めては歩いて居ようが、そのほかには何一つ罪らしい罪も犯して居らぬ。さればあの沙門を殺すのは、云わば無む辜こを殺すとでも申そう。――﹂
﹁いや、理窟はどうでもつくものです。それよりももしあの沙門が、例の天上皇帝の力か何か藉かりて、殿様や姫君を呪のろうような事があったとして御覧なさい。叔父さん始め私まで、こうして禄を頂いている甲斐がないじゃありませんか。﹂
私の甥は顔を火ほ照てらせながら、どこまでもこう弁じつづけて、私などの申す事には、とんと耳を藉しそうな気けし色きさえもございません。――すると丁度そこへほかの侍たちが、扇の音をさせながら、二三人はいって参りましたので、とうとうこの話もその場限り、御おな流がれになってしまいました。
二十五
それからまた、三四日はすぎたように覚えて居ります。ある星ほし月づく夜よの事でございましたが、私は甥おいと一しょに更こう闌たけてから四条河原へそっと忍んで参りました。その時でさえまだ私には、あの天狗法師を殺そうと云う心つも算りもなし、また殺す方がよいと云う気もあった訳ではございません。が、どうしても甥が初の目ろみを捨てないのと、甥を一人やる事がなぜか妙に気がかりだったのとで、とうとう私までが年甲斐もなく、河かわ原らよ蓬もぎの露に濡れながら、摩まり利し信の乃ほ法う師しの住む小屋を目がけて、窺うかがいよることになったのでございます。
御承知の通りあの河原には、見苦しい非ひに人ん小屋が、何軒となく立ち並んで居りますが、今はもうここに多い白びゃ癩くらいの乞こつ食じきたちも、私などが思いもつかない、怪しげな夢をむすびながら、ぐっすり睡ね入いって居おるのでございましょう。私と甥とが足音を偸ぬすみ偸み、静にその小屋の前を通りぬけました時も、蓆むし壁ろかべの後うしろにはただ、高たか鼾いびきの声が聞えるばかり、どこもかしこもひっそりと静まり返って、たった一ひと所ところ焚き残してある芥あく火たびさえ、風もないのか夜空へ白く、まっすぐな煙けぶりをあげて居ります。殊にその煙の末が、所とこ斑ろはだらな天の川と一つでいるのを眺めますと、どうやら数え切れない星屑が、洛中の天を傾けて、一尺ずつ一寸ずつ、辷る音まではっきりと聞きとれそうに思われました。
その中に私の甥は、兼ねて目星をつけて置いたのでございましょう、加かも茂が川わの細い流れに臨んでいる、菰こもだれの小屋の一つを指さしますと、河原蓬の中に立ったまま、私の方をふり向きまして、﹁あれです。﹂と、一ひと言こと申しました。折からあの焚き捨てた芥あく火たびが、まだ焔の舌を吐いているそのかすかな光に透かして見ますと、小屋はどれよりも小さいくらいで、竹の柱も古ふる蓆むしろの屋根も隣近所と変りはございませんが、それでもその屋根の上には、木の枝を組んだ十文字の標しるしが、夜目にもいかめしく立って居ります。
﹁あれか。﹂
私は覚おぼ束つかない声を出して、何と云う事もなくこう問い返しました。実際その時の私には、まだ摩利信乃法師を殺そうとも、殺すまいとも、はっきりした決断がつかずにいたのでございます。が、そう云う内にも私の甥が、今度はふり向くらしい容よう子すもなく、じっとその小屋を見守りながら、
﹁そうです。﹂と、素っ気なく答える声を聞きますと、愈いよ太いよ刀たちへ血をあやす時が来たと云う、何とも云いようのない心もちで、思わず総身がわななきました。すると甥は早くも身仕度を整えたものと見えて、太刀の目釘を叮嚀に潤しめしますと、まるで私には目もくれず、そっと河原を踏み分けながら、餌えじ食きを覗う蜘く蛛ものように、音もなく小屋の外へ忍びよりました。いや全く芥火の朧げな光のさした、蓆壁にぴったり体をよせて、内のけはいを窺っている私の甥の後姿は、何となく大きな蜘蛛のような気味の悪いものに見えたのでございます。
二十六
が、こう云う場合に立ち至ったからは、元よりこちらも手を束つかねて、見て居おる訳には参りません。そこで水すい干かんの袖を後で結ぶと、甥の後うしろから私も、小屋の外へ窺うかがいよって、蓆の隙から中の容子を、じっと覗きこみました。
するとまず、眼に映ったのは、あの旗竿に掲げて歩く女にょ菩ぼさ薩つの画えす像がたでございます。それが今は、向うの蓆壁にかけられて、形ははっきりと見えませんが、入口の菰こもを洩れる芥あく火たびの光をうけて、美しい金の光輪ばかりが、まるで月げっ蝕しょくか何かのように、ほんのり燦きらめいて居りました。またその前に横になって居りますのは、昼の疲れに前後を忘れた摩まり利し信の乃ほ法う師しでございましょう。それからその寝姿を半なか蔽ばおおっている、着物らしいものが見えましたが、これは芥火に反そむいているので、噂に聞く天狗の翼だか、それとも天てん竺じくにあると云う火ひね鼠ずみの裘けごろもだかわかりません。――
この容子を見た私どもは、云わず語らず両方から沙しゃ門もんの小屋を取囲んで、そっと太刀の鞘さやを払いました。が、私は初めからどうも妙な気おくれが致していたからでございましょう。その拍子に手もとが狂って、思わず鋭い鍔つば音おとを響かせてしまったのではございませんか。すると私が心の中で、はっと思う暇いとまさえなく、今まで息もしなかった菰だれの向うの摩利信乃法師が、たちまち身を起したらしいけはいを見せて、
﹁誰じゃ。﹂と、一声咎とがめました。もうこうなっては、甥を始め、私までも騎き虎この勢いで、どうしてもあの沙門を、殺すよりほかはございません。そこでその声がするや否や、前と後と一斉に、ものも云わずに白しら刃はをかざして、いきなり小屋の中へつきこみました。その白刃の触れ合う音、竹の柱の折れる音、蓆壁の裂け飛ぶ音、――そう云う物音が凄じく、一度に致したと思いますと、矢庭に甥が、二足三足後うしろの方へ飛びすさって、﹁おのれ、逃がしてたまろうか。﹂と、太刀をまっこうにふりかざしながら、苦しそうな声でおめきました。その声に驚いて私も素早く跳はねのきながら、まだ燃えている芥火の光にきっと向うを透かして見ますと、まあ、どうでございましょう。粉微塵になった小屋の前には、あの無気味な摩利信乃法師が、薄色の袿うちぎを肩にかけて、まるで猿ましらのように身をかがめながら、例の十文字の護ご符ふを額にあてて、じっと私どもの振舞を窺っているのでございます。これを見た私は、元よりすぐにも一刀浴びせようとあせりましたが、どう云うものか、あの沙しゃ門もんの身をかがめたまわりには、自然と闇が濃くなるようで、容易に飛びかかる隙すきがございません。あるいはその闇の中に、何やら目に見えぬものが渦巻くようで、太刀の狙ねらいが定まらなかったとも申しましょうか。これは甥も同じ思いだったものと見えて、時々喘あえぐように叫びますが、白刃はいつまでもその頭かしらの上に目まぐるしくくるくると輪ばかり描かいて居りました。
二十七
その中に摩まり利し信の乃ほ法う師しは、徐おもむろに身を起しますと、十文字の護符を左右にふり立てながら、嵐の叫ぶような凄い声で、
﹁やい。おのれらは勿もっ体たいなくも、天上皇帝の御威徳を蔑ないがしろに致す心得か。この摩利信乃法師が一身は、おのれらの曇った眼には、ただ、墨染の法ころ衣ものほかに蔽うものもないようじゃが、真まことは諸天童子の数を尽して、百万の天軍が守って居おるぞよ。ならば手てが柄らにその白しら刃はをふりかざして、法師の後うしろに従うた聖しょ衆うじゅの車馬剣戟と力を競うて見るがよいわ。﹂と、末は嘲あざ笑わらうように罵りました。
元よりこう嚇おどされても、それに悸おぞ毛けを震う様な私どもではございません。甥と私とはこれを聞くと、まるで綱を放れた牛のように、両方からあの沙門を目め蒐がけて斬ってかかりました。いや、将まさに斬ってかかろうとしたとでも申しましょうか。と申しますのは、私どもが太刀をふりかぶった刹那に、摩利信乃法師が十文字の護符を、一しきりまた頭かしらの上で、振りまわしたと思いますと、その護符の金こん色じきが、稲妻のように宙へ飛んで、たちまち私どもの眼の前へは、恐ろしい幻が現れたのでございます。ああ、あの恐しい幻は、どうして私などの口の先で、御話し申す事が出来ましょう。もし出来たと致しましても、それは恐らく麒きり麟んの代りに、馬を指さして見せると大した違いはございますまい。が、出来ないながら申上げますと、最初あの護符が空へあがった拍子に、私は河原の闇が、突然摩利信乃法師の後だけ、裂け飛んだように思いました。するとその闇の破れた所には、数限りもない焔ほのおの馬や焔の車が、竜蛇のような怪しい姿と一しょに、雨より急な火花を散らしながら、今にも私共の頭上をさして落ちかかるかと思うばかり、天に溢れてありありと浮び上ったのでございます。と思うとまた、その中に旗のようなものや、剣つるぎのようなものも、何千何百となく燦きらめいて、そこからまるで大おお風かぜの海のような、凄じいもの音が、河原の石さえ走らせそうに、どっと沸わき返って参りました。それを後に背負いながら、やはり薄色の袿うちぎを肩にかけて、十文字の護符をかざしたまま、厳おごそかに立っているあの沙しゃ門もんの異様な姿は、全くどこかの大天狗が、地獄の底から魔軍を率いて、この河原のただ中へ天あま下くだったようだとでも申しましょうか。――
私どもは余りの不思議に、思わず太刀を落すや否や、頭かしらを抱えて右左へ、一たまりもなくひれ伏してしまいました。するとその頭かしらの空に、摩利信乃法師の罵る声が、またいかめしく響き渡って、
﹁命が惜しくば、その方どもも天上皇帝に御おわ詫び申せ。さもない時は立ちどころに、護法百万の聖しょ衆うじゅたちは、その方どもの臭しゅ骸うがいを段だん々だん壊えに致そうぞよ。﹂と、雷いかずちのように呼よばわります。その恐ろしさ、物凄さと申しましたら、今になって考えましても、身ぶるいが出ずには居おられません。そこで私もとうとう我慢が出来なくなって、合掌した手をさし上げながら、眼をつぶって恐る恐る、﹁南な無む天上皇帝﹂と称となえました。
二十八
それから先の事は、申し上げるのさえ、御恥しいくらいでございますから、なる可く手短に御話し致しましょう。私共が天上皇帝を祈りましたせいか、あの恐ろしい幻は間もなく消えてしまいましたが、その代り太刀音を聞いて起て来た非ひに人んたちが、四方から私どもをとり囲みました。それがまた、大たい抵ていは摩ま利りの教の信者たちでございますから、私どもが太刀を捨ててしまったのを幸に、いざと云えば手ごめにでもし兼ねない勢いで、口々に凄じく罵り騒ぎながら、まるで穽わなにかかった狐きつねでも見るように、男も女も折り重なって、憎さげに顔を覗きこもうとするのでございます。その何人とも知れない白びゃ癩くらいどもの面おもてが、新に燃え上った芥あく火たびの光を浴びて、星ほし月づく夜よも見えないほど、前後左右から頸うなじをのばした気味悪さは、到底この世のものとは思われません。
が、その中でもさすがに摩まり利し信の乃ほ法う師しは、徐おもむろに哮たけり立つ非人たちを宥なだめますと、例の怪しげな微笑を浮べながら、私どもの前へ進み出まして、天上皇帝の御威徳の難あり有がたい本もと末すえを懇々と説いて聴かせました。が、その間も私の気になって仕方がなかったのは、あの沙門の肩にかかっている、美しい薄色の袿うちぎの事でございます。元より薄色の袿と申しましても、世間に類たぐいの多いものではございますが、もしやあれは中なか御みか門どの姫君の御召し物ではございますまいか。万一そうだと致しましたら、姫君はもういつの間にか、あの沙しゃ門もんと御対面になったのでございましょうし、あるいはその上に摩ま利りの教も、御帰依なすってしまわないとは限りません。こう思いますと私は、おちおち相手の申します事も、耳にはいらないくらいでございましたが、うっかりそんな素そぶ振りを見せましては、またどんな恐ろしい目に遇わされないものでもございますまい。しかも摩利信乃法師の容よう子すでは、私どももただ、神仏を蔑なみされるのが口くち惜おしいので、闇討をしかけたものだと思ったのでございましょう。幸い、堀川の若殿様に御仕え申している事なぞは、気のつかないように見えましたから、あの薄色の袿うちぎにも、なるべく眼をやらないようにして、河原の砂の上に坐ったまま、わざと神妙にあの沙門の申す事を聴いて居おるらしく装いました。
するとそれが先方には、いかにも殊しゅ勝しょうげに見えたのでございましょう。一通り談義めいた事を説いて聴かせますと、摩利信乃法師は顔色を和やわらげながら、あの十文字の護符を私どもの上にさしかざして、
﹁その方どもの罪ざい業ごうは無知蒙もう昧まいの然らしめた所じゃによって、天上皇帝も格別の御ごゆ宥うめ免んを賜わせらるるに相違あるまい。さればわしもこの上なお、叱り懲こらそうとは思うて居ぬ。やがてはまた、今夜の闇討が縁となって、その方どもが摩利の御みお教しえに帰依し奉る時も参るであろう。じゃによってその時が参るまでは、一ひと先まずこの場を退散致したが好よい。﹂と、もの優しく申してくれました。もっともその時でさえ、非人たちは、今にも掴みかかりそうな、凄じい気色を見せて居りましたが、これもあの沙門の鶴の一声で、素直に私どもの帰る路を開いてくれたのでございます。
そこで私と甥とは、太刀を鞘におさめる間まも惜しいように、々そうそう四条河原から逃げ出しました。その時の私の心もちと申しましたら、嬉しいとも、悲しいとも、乃ない至しはまた残念だとも、何ともお話しの致しようがございません。でございますから河原が遠くなって、ただ、あの芥火の赤く揺ゆらめくまわりに、白癩どもが蟻ありのように集って、何やら怪しげな歌を唄って居りますのが、かすかに耳へはいりました時も、私どもは互の顔さえ見ずに、黙って吐とい息きばかりつきながら、歩いて行ったものでございます。
二十九
それ以来私どもは、よるとさわると、額を鳩あつめて、摩まり利し信の乃ほ法う師しと中なか御みか門どの姫君とのいきさつを互に推量し合いながら、どうかしてあの天狗法師を遠ざけたいと、いろいろ評議を致しましたが、さて例の恐ろしい幻の事を思い出しますと、容易に名案も浮びません。もっとも甥おいの方は私より若いだけに、まだ執念深く初一念を捨てないで、場合によったら平へい太だゆ夫うのしたように、辻冠者どもでも駆り集めたら、もう一度四条河原の小屋を劫おびやかそうくらいな考えがあるようでございました。所がその中に、思いもよらず、また私どもは摩利信乃法師の神変不思議な法ほう力りきに、驚くような事が出来たのでございます。
それはもう秋風の立ち始めました頃、長なが尾おの律りっ師しさ様まが嵯さ峨がに阿あみ弥だ陀ど堂うを御建てになって、その供くよ養うをなすった時の事でございます。その御みど堂うも只今は焼けてございませんが、何しろ国々の良材を御集めになった上に、高こう名みょうな匠たくみたちばかり御召しになって、莫ばく大だいな黄こが金ねも御かまいなく、御造りになったものでございますから、御規模こそさのみ大きくなくっても、その荘厳を極めて居りました事は、ほぼ御推察が参るでございましょう。
別してその御みど堂うく供よ養うの当日は、上かん達だち部めて殿んじ上ょう人びとは申すまでもなく、女房たちの参ったのも数限りないほどでございましたから、東西の廊に寄せてあるさまざまの車と申し、その廊廊の桟さじ敷きをめぐった、錦の縁へりのある御み簾すと申し、あるいはまた御簾際になまめかしくうち出した、萩はぎ、桔きき梗ょう、女おみ郎なえ花しなどの褄つまや袖口の彩りと申し、うららかな日の光を浴びた、境けい内だい一面の美しさは、目まのあたりに蓮れん華げほ宝う土どの景色を見るようでございました。それから、廊に囲まれた御庭の池にはすきまもなく、紅ぐれ蓮んび白ゃく蓮れんの造り花が簇ぞく々ぞくと咲きならんで、その間を竜りゅ舟うしゅうが一いっ艘そう、錦の平ひら張ばりを打ちわたして、蛮ばん絵えを着た童わら部べたちに画がと棹うの水を切らせながら、微妙な楽の音ねを漂わせて、悠々と動いて居りましたのも、涙の出るほど尊げに拝まれたものでございます。
まして正面を眺めますと、御みど堂うの犬いぬ防ふせぎが燦々と螺らで鈿んを光らせている後には、名香の煙けぶりのたなびく中に、御本尊の如来を始め、勢せい至しか観んの音んなどの御おん姿が、紫しま磨おう黄ご金んの御おん顔や玉の瓔よう珞らくを仄ほの々ぼのと、御現しになっている難あり有がたさは、また一層でございました。その御みほ仏とけの前の庭には、礼らい盤ばんを中に挟はさみながら、見るも眩まばゆい宝蓋の下に、講師読とく師しの高座がございましたが、供くよ養うの式に連っている何十人かの僧どもも、法ころ衣もや袈け裟さの青や赤がいかにも美々しく入り交って、経を読む声、鈴れいを振る音、あるいは栴せん檀だん沈ちん水すいの香かおりなどが、その中から絶え間なく晴れ渡った秋の空へ、うらうらと昇って参ります。
するとその供養のまっ最中、四方の御門の外に群って、一目でも中の御ごよ容う子すを拝もうとしている人々が、俄にわかに何事が起ったのか、見る見るどっとどよみ立って、まるで風の吹き出した海のように、押しつ押されつし始めました。
三十
この騒ぎを見た看かど督のお長さは、早速そこへ駈けつけて、高々と弓をふりかざしながら、御ごも門んの中うちへ乱れ入った人々を、打ち鎮めようと致しました。が、その人波の中を分けて、異様な風俗の沙しゃ門もんが一人、姿を現したと思いますと、看督長はたちまち弓をすてて、往来の遮さまたげをするどころか、そのままそこへひれ伏しながら、まるで帝みかどの御出ましを御拝み申す時のように、礼を致したではございませんか。外の騒動に気をとられて、一しきりざわめき立った御門の中が、急にひっそりと静まりますと、また﹁摩まり利し信の乃ほ法う師し、摩利信乃法師﹂と云う囁き声が、丁度蘆あしの葉に渡る風のように、どこからともなく起ったのは、この時の事でございます。
摩利信乃法師は、今日も例の通り、墨染の法ころ衣もの肩へ長い髪を乱しながら、十文字の護符の黄こが金ねを胸のあたりに燦きらめかせて、足さえ見るも寒そうな素すは跣だ足しでございました。その後うしろにはいつもの女にょ菩ぼさ薩つの幢はたが、秋の日の光の中にいかめしく掲げられて居りましたが、これは誰か供のものが、さしかざしてでもいたのでございましょう。
﹁方かた々がたにもの申そう。これは天上皇帝の神勅を賜わって、わが日の本に摩利の教を布しこうずる摩利信乃法師と申すものじゃ。﹂
あの沙門は悠々と看かど督のお長さの拝に答えてから、砂を敷いた御庭の中へ、恐れげもなく進み出て、こう厳おごそかな声で申しました。それを聞くと御門の中は、またざわめきたちましたが、さすがに検け非び違い使したちばかりは、思いもかけない椿ちん事じに驚きながらも、役目は忘れなかったのでございましょう。火かち長ょうと見えるものが二三人、手に手を得えも物のひ提っさげて、声こわ高だかに狼ろう藉ぜきを咎めながら、あの沙門へ走りかかりますと、矢庭に四方から飛びかかって、搦からめ取ろうと致しました。が、摩利信乃法師は憎さげに、火長たちを見やりながら、
﹁打たば打て。取らば取れ。但ただし、天上皇帝の御罰は立ち所に下ろうぞよ。﹂と、嘲あざ笑わらうような声を出しますと、その時胸に下っていた十文字の護符が日を受けて、眩まぶしくきらりと光ると同時に、なぜか相手は得物を捨てて、昼ひる雷かみなりにでも打たれたかと思うばかり、あの沙門の足もとへ、転まろび倒れてしまいました。
﹁如何に方々。天上皇帝の御威徳は、ただ今目まのあたりに見られた如くじゃ。﹂
摩利信乃法師は胸の護符を外して、東西の廊へ代る代る、誇らしげにさしかざしながら、
﹁元よりかような霊れい験げんは不思議もない。そもそも天上皇帝とは、この天あめ地つちを造らせ給うた、唯ゆい一いつ不ふ二じの大おお御みか神みじゃ。この大御神を知らねばこそ、方々はかくも信心の誠を尽して、阿弥陀如来なんぞと申す妖よう魔まの類たぐいを事々しく、供養せらるるげに思われた。﹂
この暴言にたまり兼ねたのでございましょう。さっきから誦ずき経ょうを止めて、茫然と事の次第を眺めていた僧たちは、俄にわかにどよめきを挙げながら、﹁打ち殺せ﹂とか﹁搦からめ取れ﹂とかしきりに罵り立てましたが、さて誰一人として席を離れて、摩利信乃法師を懲こらそうと致すものはございません。
三十一
すると摩まり利し信の乃ほ法う師しは傲然と、その僧たちの方を睨ねめまわして、
﹁過てるを知って憚はばかる事こと勿なかれとは、唐から国くにの聖人も申された。一旦、仏菩薩の妖魔たる事を知られたら、々そうそう摩利の教に帰依あって、天上皇帝の御威徳を讃たたえ奉るに若しくはない。またもし、摩利信乃法師の申し条に疑いあって、仏菩薩が妖魔か、天上皇帝が邪神か、決けつ定じょう致し兼ぬるとあるならば、いかようにも法ほう力りきを較くらべ合せて、いずれが正しょ法うぼうか弁別申そう。﹂と、声も荒らかに呼ばわりました。
が、何しろただ今も、検け非び違い使したちが目まのあたりに、気を失って倒れたのを見て居おるのでございますから、御み簾すの内も御簾の外も、水を打ったように声を呑んで、僧俗ともに誰一人、進んであの沙門の法力を試みようと致すものは見えません。所詮は長なが尾おの僧そう都ずは申すまでもなく、その日御見えになっていらしった山の座ざ主すや仁にん和な寺じの僧そう正じょうも、現あら人ひと神がみのような摩利信乃法師に、胆きもを御挫くじかれになったのでございましょう。供養の庭はしばらくの間、竜りゅ舟うしゅうの音楽も声を絶って、造り花の蓮華にふる日の光の音さえ聞えたくらい、しんと静まり返ってしまいました。
沙門はそれにまた一層力を得たのでございましょう。例の十文字の護符をさしかざして、天てん狗ぐのように嘲あざ笑わらいますと、
﹁これはまた笑止千万な。南都北嶺とやらの聖ひじり僧たちも少からぬように見うけたが、一ひと人りとしてこの摩利信乃法師と法力を較べようずものも現れぬは、さては天上皇帝を始め奉り、諸天童子の御ごし神んこ光うに恐れをなして、貴賤老ろう若にゃくの嫌いなく、吾が摩利の法門に帰依し奉ったものと見える。さらば此場において、先ず山の座ざ主すから一人一人灌かん頂ちょうの儀式を行うてとらせようか。﹂と、威いた丈けだ高かに罵りました。
所がその声がまだ終らない中に、西の廊からただ一人、悠然と庭へ御下りになった、尊げな御ごそ僧うがございます。金きん襴らんの袈け裟さ、水晶の念ねん珠ず、それから白い双の眉毛――一目見ただけでも、天あめが下したに功くど徳くむ無りょ量うの名を轟かせた、横よか川わの僧そう都ずだと申す事は疑おうようもございません。僧都は年こそとられましたが、たぶたぶと肥え太った体を徐おもむろに運びながら、摩利信乃法師の眼の前へ、おごそかに歩みを止めますと、
﹁こりゃ下げろ郎う。ただ今もその方が申す如く、この御みど堂う供養の庭には、法ほっ界かいの竜りゅ象うぞう数を知らず並み居られるには相違ない。が、鼠に抛なげうつにも器うつ物わものを忌いむの慣い、誰かその方如き下げろ郎うづれと、法力の高下を競わりょうぞ。さればその方は先ず己を恥じて、々そうそうこの宝前を退散す可き分際ながら、推して神じん通ずうを較べようなどは、近頃以て奇きっ怪かい至しご極くじゃ。思うにその方は何いず処こかにて金こん剛ごう邪じゃ禅ぜんの法を修した外げど道うの沙門と心得る。じゃによって一つは三宝の霊れい験げんを示さんため、一つはその方の魔縁に惹ひかれて、無むげ間んじ地ご獄くに堕ちようず衆しゅ生じょうを救うてとらさんため、老ろう衲のう自らその方と法ほう験げんを較べに罷まかり出いでた。たといその方の幻術がよく鬼神を駆り使うとも、護法の加護ある老衲には一指を触るる事すらよも出来まい。されば仏ぶつ力りきの奇きど特くを見て、その方こそ受戒致してよかろう。﹂と、大だい獅し子し孔くを浴せかけ、たちまち印いんを結ばれました。
三十二
するとその印を結んだ手の中うちから、俄にわかに一道の白はっ気きが立たち上のぼって、それが隠々と中なか空ぞらへたなびいたと思いますと、丁度僧そう都ずの頭かしらの真上に、宝ほう蓋がいをかざしたような一団の靄もやがたなびきました。いや、靄と申したのでは、あの不思議な雲うん気きの模様が、まだ十分御ごえ会と得くには参りますまい。もしそれが靄だったと致しましたら、その向うにある御みど堂うの屋根などは霞んで見えない筈でございますが、この雲気はただ、虚こく空うに何やら形の見えぬものが蟠わだかまったと思うばかりで、晴れ渡った空の色さえ、元の通り朗かに見透かされたのでございます。
御庭をめぐっていた人々は、いずれもこの雲気に驚いたのでございましょう。またどこからともなく風のようなざわめきが、御み簾すを動かすばかり起りましたが、その声のまだ終らない中に、印を結び直した横よか川わの僧そう都ずが、徐おもむろに肉ししの余った顎おとがいを動かして、秘密の呪じゅ文もんを誦ずしますと、たちまちその雲気の中に、朦朧とした二尊の金きん甲こう神じんが、勇ましく金こん剛ごう杵しょをふりかざしながら、影のような姿を現しました。これもあると思えばあり、ないと思えばないような幻ではございます。が、その宙を踏んで飛ひ舞ぶする容よう子すは、今しも摩まり利し信の乃ほ法う師しの脳上へ、一いっ杵しょを加えるかと思うほど、神威を帯びて居ったのでございます。
しかし当の摩利信乃法師は、不あい相かわ変らず高慢の面おもてをあげて、じっとこの金きん甲こう神じんの姿を眺めたまま、眉毛一つ動かそうとは致しません。それどころか、堅く結んだ唇のあたりには、例の無ぶ気き味みな微笑の影が、さも嘲りたいのを堪こらえるように、漂って居おるのでございます。するとその不敵な振舞に腹を据え兼ねたのでございましょう。横よか川わの僧都は急に印を解いて、水晶の念ねん珠ずを振りながら、
﹁叱しっ。﹂と、嗄しわがれた声で大喝しました。
その声に応じて金きん甲こう神じんが、雲気と共に空中から、舞まい下くだろうと致しましたのと、下にいた摩利信乃法師が、十文字の護符を額に当てながら、何やら鋭い声で叫びましたのとが、全く同時でございます。この拍子に瞬く間、虹のような光があって空へ昇ったと見えましたが、金甲神の姿は跡もなく消え失せて、その代りに僧都の水晶の念珠が、まん中から二つに切れると、珠はさながら霰あられのように、戞かつ然ぜんと四方へ飛び散りました。
﹁御ごぼ坊うの手なみはすでに見えた。金こん剛ごう邪じゃ禅ぜんの法を修したとは、とりも直さず御坊の事じゃ。﹂
勝ち誇ったあの沙門は、思わずどっと鬨ときをつくった人々の声を圧しながら、高らかにこう罵りました。その声を浴びた横よか川わの僧都が、どんなに御おし悄おれなすったか、それは別段とり立てて申すまでもございますまい。もしもあの時御弟子たちが、先を争いながら進みよって、介抱しなかったと致しましたら、恐らく満足には元の廊へも帰られなかった事でございましょう。その間に摩利信乃法師は、いよいよ誇らしげに胸を反そらせて、
﹁横よか川わの僧都は、今天あめが下したに法ほう誉よむ無じょ上うの大だい和おし尚ょうと承わったが、この法師の眼から見れば、天上皇帝の照覧を昏くらまし奉って、妄みだりに鬼神を使役する、云おうようない火かた宅くそ僧うじゃ。されば仏菩薩は妖魔の類たぐい、釈教は堕獄の業ごう因いんと申したが、摩利信乃法師一人の誤りか。さもあらばあれ、まだこの上にもわが摩利の法門へ帰依しょうと思おぼ立したたれずば、元より僧俗の嫌いはない。何なん人びとなりともこの場において、天上皇帝の御威徳を目まのあたりに試みられい。﹂と、八方を睨にらみながら申しました。
その時、また東の廊に当って、
﹁応おう。﹂と、涼しく答えますと、御装束の姿もあたりを払って、悠然と御庭へ御お下おりになりましたのは、別人でもない堀川の若殿様でございます。
(未完)
(大正七年十一月)